2002/05/07 - 2002/06/05
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kojikojiさん
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ニャチャンでムンさんに見送られ夜行バスでホイアンへ移動します。ホーチミンからハノへ行くバスの途中乗車なので、バスにはすでに乗客がたくさんいます。一番後ろのシートに席が取れたので横になって寝ることが出来ました。
ただ、当時の1号線の舗装は良くないうえにサスペンションも悪いので熟睡など出来ません。早朝のホイアンの町外れでバスを降りるとヴィンフンホテルのお迎えトゥクトゥクが来ていました。この当時は旧市街に車が入れたので、ホテルまで楽ちんでした。宿泊したのはヴィンフン1というお屋敷のホテルです。ホイアンの旧市街では最初に出来たホテルで、開業時にはタダみたいな値段で屋敷を買ったそうですがそれから十数年で金額は何十倍にもなったそうです。この当時で新市街にヴィンフン2ホテルがあり、後に川沿いにリゾートまでたっていましたのでオーナーは大儲けですね。ホテルのスタッフはティン君という青年と白いアオザイが似合う女の子がカウンターにいました。ティン君はニャチャンのムンさんのように離れたダナンの方からバイクで毎日通っていました。アオザイの女の子は近くの上に部屋を借りていると言っていましたが、1カ月の家賃が10ドルと言っていました。我々が泊まったスイートが1泊43ドルですから…。彼女は翌月には結婚すると言っていました。15年後に妻を連れてこのホテルを訪れたらティン君はまだ働いていました。相変わらずダナンから通っていると言っていました。この時ホイアンで思ったのは来るのが5年ほど遅かったという事です。これは町の人にも何度も言われました。ここ数年で町の風情は無くなったと。それでも旧市街にはまだ住宅も多かったですし、夕方になると観光客は全く姿を消して静かに過ごせました。並んでいるお店も魅力的な所が多く、お土産屋さんでも店の奥にガラスケースがあってアンティークの商品が並んでいました。ホイアンは海からも近いのですが、ホーチミンに近いブンタウと共に昔の貿易船が沖合で沈んでいるので、漁師の網に数百年前の陶器がかかるのです。それがお土産屋に流れるので、海上がりの本物が10ドルから30ドルくらいで買えました。ベトナムは骨董品の海外持ち出しが禁止されていますが、お店ではコピー商品とギャランティを書いてくれます。「万が一税関で止められたら2~3ドルくらい払えば大丈夫。」なんて言葉と共に。ここで出会った骨董品屋のおじいさんが最高にかっこよくて何日かかけて数点購入しました。買わないそぶりをしていながら狙っていたものがあって、翌日に行ったらその品物がアルコールで拭いてきれいになっていたり。何故か尋ねると「あんたが戻ってくるのは分かっていたし、欲しいのはこっちだろう?」完全に見透かされています。早朝に散歩しているとそのおじいさんは店先でパンツ一丁でタバコを吸っていました。写真を撮らせてもらったのですが、そのままになっていて、次の機会に持っていたら2年前に亡くなっていました。骨董屋も楽しかったですが、靴やシャツのオーダーの店もたくさんあり、自分のシャツを持って行って、オーダーすると翌日の夕方には出来上がっていました。この時造ったかかとの低いスエードのモカシンは最高にかっこよくて重宝しました。シャツもシューズも5ドルくらいだったと思います。郊外へのエクスカーションはシンカフェで予約しました。ミーソン遺跡に行って、帰りは食事つきボートツアーです。このツアーは現在もありますが、当時のバスはエアコンも無く、道路は埃だらけで、遺跡の入り口ではジープに乗り換え、遺跡も草に埋もれていました。15年後同じツアーに参加したらメルセデスのバンで、道路も綺麗に舗装され、入り口から遺跡にはカートが配備され、公園のようにきれいになっていて驚きました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホイアンの街外れでバスを降ろされるとヴィンフン1の軽三輪がお出迎えです。15分ほどで旧市街のホテルに到着しました。この当時は旧市街まで車両の乗り入れが出来ました。時間は早かったけど部屋が空いていたのでチェックインできました。1泊42ドルのスイートルームに弟と二人で泊まります。部屋は2階の右側の部屋でベットは天蓋付きだったので当然料金を多く出している私が利用します。
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滞在した2002年に封切りの「愛の落日」という映画の撮影でマイケル・ケインがこの部屋に滞在したとのことです。通りの店もまだ少なかったので観光客の姿もまばらです。
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ホテルのテラスからこんな眺めも見ることが出来ました。
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ベトナムの鄙びた地方都市という雰囲気が良かったです。
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お土産物屋もこんな雰囲気で、ガラスケースにはホイアンの沖で海から上がった陶器や磁器が売っていました。ホーチミンの「インドシナ」というアンティーク屋さんにも良いものがありましたが、尺寸の青華の大皿が30ドルくらいで買えました。
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午前中は旧市街の1本道をブラブラと散歩しました。どうでも良いような同じような版画や絵画の店が並び、5年くらい来るのが遅かったかなというのが第一印象でした。昔ながらの店構えの建物もまだ多くありましたが、店を開いていないところも多かったです。
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中国の福建省辺りから移ってきた華僑の人も多く、出身地ごとの開館もたくさんありました。この辺りはマレーシアのペナン島にも通じるものがあります。
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日本橋の先はほとんど店などは無く、ただの住宅街の雰囲気でした。現在はほぼすべてがお土産物屋で、この奥には駐車場がありました。
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日本橋のたもとには天秤棒で担いできたものを売る人も多かったです。
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トゥボン川に出ると風も通り少し涼しくなった気がします。この日はチケットを買ってタンキーの家などを見学しました。
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翌朝は早起きして市場に行ってみました。ベトナムの市場には数々行きましたが、ここの川沿いの市場が一番風情があるかもしれません。
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対岸からは町中へ向かう人々が通勤だったり通学ラッシュです。橋もありますが多くの人が自転車ごとやってきます。気のせいか船の目も疲れているような気がします。
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ベトナムでは「女の人二人とアヒルが一羽いれば市場になる。」と何かの本で読んだ記憶があるけれど、まさにその通りだと思いました。
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アヒルで無くても良いみたいです。これで一日いくらの商いになるのでしょう。
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橋のたもとでもごそごそ人がいるので覗いてみると川に沸き返るほどのシジミをすくっています。メコンデルタでもそんな光景を見たなと思いながら遠い昔のように感じます。
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福建省の人はどこに行っても会館を建てますね。また華僑の人が世界中にいらっしゃるお陰で世界中のどんな国でも中華料理が食べられる事に感謝します。
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扉の上に掲げられた花のような形の板はホイアンの町ではよく見掛けます。町家の正面扉の上には「二つの目」があります。道教の考えでは家も生き物なので目があるといい、悪運を退ける八卦や陰陽を表す太極図などが描かれています。屋根は「陰陽瓦」と呼ばれる瓦が葺かれています。湾曲した瓦を凹面と凸面の列を交互に並べ、列の境目は石灰で密着させます。
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前の日に入ったお土産物屋さんはまだ店開き前でした。扉だけ開いていておじいさんが座っていました。挨拶をして帰んらを見せると頷かれたので1枚。
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昨晩に品定めをしながら買わないそぶりでホテルに帰りました。翌々日に再度見に行ったら汚れていた茶入れはアルコールで綺麗に拭かれ、金具も磨かれていました。何故かと尋ねると「あんたが買いに来るのは分かっていたからさ。」とニッコリ。恐れ入りました。
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14年後にこの店を探したのですが、すでに無くなっていました。別の通りの骨董屋さんのご主人と話をしていて、写真を見せると「彼は友達だったよ。」と。そして「2年前に亡くなったよ。」「家族は日本橋の向こうに住んでいるはずさ。」少し来るのが遅かったです。おじいさんに写真を託して店を出ました。少し寂しい気分になりました。
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ホイアンではこのイエローリバーという店に昼と夜の2回くらい行きました。
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通りに面してまだ住宅が数多く残っています。いい時代でした。
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町工場のような縫製所も清清しい感じがしました。
上着でもサンダルでも夕方までにデザインを決めたり見本を預けると、翌日には思い通りの物が出来ていました。もちろん他の都市より全然安かったです。 -
ベトナム語で「DAI-LY」と言われても何だか分からないけれど、「代理」と漢字で書かれているとなるほどなと思います。フランス人が漢字が読めないからアルファベット表記に変えてしまったのですから。
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町の半分近くはまだ普通の住宅でした。この後の10年の変化は驚くばかりです。
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工芸品を売る店はこの当時から数多くありました。
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いろいろな伝統工芸を見せるショップも増えているようでした。
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ホイアンと言えばランタンですね。これが折りたためれば買うのにな?と何度も思いました。数年後に簡単に畳めるのを知ってから欲しくなり、次に行ったときは自分でオーダーして造ってもらいました。驚くほどの安さです。
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夕暮れ時になると川から涼しい風が流れ込みホッとします。ホテルのテラスから街行く人を眺めるだけで幸せな気分です。
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ホテルのスタッフとはすぐに仲良くなりました。彼らは交代で寝泊りしているので夜中まで語り明かしました。1995年開業当時はお客もまばらで「こんな所でホテルを開業してバカや奴だ。」とオーナーは言われたそうです。7年で家屋の価値は10倍になったとも言っていました。そして新市街にヴィンフン2というホテルもこの当時で建っていました。
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ホテルのスタッフのティン君は毎日ダナンの方からバイクで通っていて、女の子は「来月結婚するんです。」とはにかみながら教えてくれました。家は35キロほど郊外にあるけど通えないので、ホイアン市内にアパートを借りているとの事でした。1カ月10ドルの家賃とのことでした。僕らの部屋は1泊42ドルなので3泊で彼女の1年分の家賃と考えると複雑な気持ちになりました。
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夕方になってサンダルのオーダーに行きました。スエードのモカシンタイプの靴が5ドルくらいでした。そのままじゃつまらないのでかかとを1センチくらいのサンダル風にしてもらったのですが、これが歩きやすくて重宝しました。10足くらい作ってくれば良かったと思いました。前の年にはヴェネツィアで茶器を造ってもらったり、オーダーするのがマイブームになっていました。ちなみに弟は型まで取ってもらいながら、彼女のお兄さんの友人の画家の絵が気に入ってそっちを買ってサンダルはキャンセル。ひどい。
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その絵は14年後も同じ型が描いていたのが売っていたので弟にお土産にしました。
サンダルをオーダーした後は夕ご飯で、イエローリバーの2階のテラスから広場の屋台を眺めていました。市場の横のオレンジ色の街灯が何とも言えない雰囲気を醸し出しています。 -
夜になるとランタン屋さんが雄弁になります。多分この店で14年後にランタンを注文しました。
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この後にいろいろな国を旅して提灯を見る度にホイアンの夜を思い出します。
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ベトナムのデザートのチェーの店の看板が何とも言えない雰囲気です。まだ暗い所と明るい所がはっきりしていたホイアンです。今のホイアンは明るすぎます。
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翌日はシンカフェのオフィスまで出向いてミーソン遺跡のツアーに参加しました。このツアーは現在でもありますが昔は過酷でした。この当時はおんぼろバスにお客満載で、エアコンなどありませんでした。窓は全開なので土埃が入ってきます。道路は工事中でボコボコだし・・・。
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2時間くらいは知った先ではおんぼろバスからベトナム戦争で使っていたのではと思うほどの古いジープでガタガタの急坂を登ります。しかも後部の荷台に立ってロールバーにつかまってです。もう無理やり「楽しい!」と思わなければやってられません。
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遺跡に入っても普通の農村の道を歩いているようです。ガイドさんについて見学を始めます。
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ーソン遺跡群はフランス統治下の1898年にフランス人が発見されます。発見当時から発掘調査と修復と補強がなされましたが、盗掘を受けて美術品の多くが失われてしまいます。また、ベトナム戦争ではアメリカ軍の空爆を受け、大半の遺跡が破壊されてしまったそうです。
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寺院群は2つの山並みに囲まれて、谷幅およそ2キロメートルに設けられ、周囲の山々はマハーパルヴァータ(Mahaparvata)を中心とした聖山に囲まれた聖域となっています。まや山々と共に聖域を流れる川も重要な役割を果たしたそうです。
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ミーソン聖域は4世紀後半にバドラヴァルマン1世(Bhadravarman I)という王がヒンズー教のシヴァ神を祀る木造の祠堂を建てたことから始まるとされます。この木造の祠堂は後に焼失してしまい、7世紀になってレンガ造で再建されます。
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以降、歴代の王たちがいくつもの宗教施設を建てて現在は7世紀から13世紀に建てられた約70のレンガ造りの建造物が残っています。
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レンガ造りの祠堂は接着剤を一切使わずに建てた建築で、アーチを用いず屋根を架ける構造など当時の技術力の高さ感じさせます。このレンガの接着方法は現在でも解明されていないそうです。
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遺跡を残したチャンパ王国はベトナムの中部から中南部にかけての海岸沿いで、栄えたチャム族の貿易国家です。海のシルクロードの拠点として、アラブ諸国、インド、中国との中継貿易を行っていました。
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東南アジアでも早い時期にインドの影響を受けてヒンズー教を崇拝し始めています。後に仏教が国家の宗教として崇拝され、土着信仰を取り入れながら独特の文化を形成していきます。
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ベトナム戦争のことをベトナムの人は「アメリカ戦争(抗米戦争)」と呼んでいました。そんな戦いの傷跡がレンガに残っています。
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日陰が無いので蒸し暑さが身に沁みます。
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この当時は荒れるがままというか、維持管理が行き届いていない感じでしたがそれもまた諸行無常な感じがあってよかったです。
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訪れる人もまだ少なかったように思います。
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草が生えているので本当の輪郭が読み取れにくいです。
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多分何十年か前は草木で覆われていたのではないでしょうか?アンコールワット群の遺跡のタ・プローム遺跡のスポアンの木も凄かったですがこちらも負けない雰囲気を持っています。
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この祠堂の雰囲気が良かったです。
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女性性器の形をしたヨニが草むらに無造作に置かれています。
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現在では遺跡の写真を撮っていても人が映らないようにするのは大変ですが、この当時は我々のバス1台分の30数人だけでした。
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レンガを一度組んでから、彫刻を施したのだと思います。その技術の高さに驚きます。
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こちらはヨニと男性器のリンガが結合した形です。
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ほぼ完全な形で残されていました。
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ヒンドゥーの女神たちは何を支えているのでしょう。
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上部が同じように削り取られていましたが理由は分かりません。
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「夏草や兵どもが夢の跡」という俳句が頭に浮かんできます。
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屋内の小さな博物館にあるのは足元の2頭のマカラの間で瞑想する姿の八臂の姿のシヴァ神のレリーフです。
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足元の草むらにも注意を払わないと見逃してしまいます。
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小さな彫刻がそこかしこにあります。
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メコンデルタのドメスティックなリゾートに泊まった時にパン一丁でプールの周りを走っていたオランダ人の女の子を思い出しました。あの姉妹も上海で元気にしているだろうか…。
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寺院群は2つの山並みに囲まれて、谷幅およそ2キロメートルに設けられ、周囲の山々はマハーパルヴァータ(Mahaparvata)を中心とした聖山に囲まれた聖域となっています。まや山々と共に聖域を流れる川も重要な役割を果たしたそうです。自由時間も含めて約2時間の見学でした。帰りも同じルートをバスで帰るのですが、みんなうんざりしていました。ところが3ドルくらい多く払っていた我々と他数人は川のたもとでバスを降ろされます。ここからクルーズでホイアンに帰るのです。残った乗客の恨めしそうな顔がまだ浮かんできます。
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気持ちの良い風の中をクルーズ船は走っていきます。途中簡単でしたが船の中でランチが出ました。チャーハンと揚げ春巻きだけでしたが、何を食べても美味しく感じたと思います。その後は川で水泳タイム。思いっきり飛び込んだら川底の砂に手首まで刺さりました。水は透明ではないので分かりませんでしたが、あまり深くありません。ホイアンの町の手前でゴザを織っている村に立ち寄ったり。
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木工芸の盛んなキムボン村にも立ち寄りました。ホイアンで売っている木製の物は大抵ここで造られています。市内で買っても安いですが、ここで買うと更に数割安いです。この時は何も買いませんでしたが、14年後は大人買いしました。
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ホイアンの市場が見えてきました。もう夕方なのにまだ混雑しています。ここまで来るとクルーズは終了になり、ツアーも終わりです。バスの人たちはどうしたのだろうか…。
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そしてホイアンの旅も終わりです。次はまたツーリストバスでフエに向かいます。ここのルートは風光明媚なハイバン峠を越えるので夜行バスではなく、日中の移動になります。
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