2009/04/07 - 2009/04/07
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旅人のくまさんさん
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大垣城紹介の続きです。天守閣は1594年に望楼型として築城され、1620年に複合式層塔型の3重4階に改築されたとされます。現在は観覧のために最上階にはガラス窓が見えます。城址にある神社も見学しました。
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『大垣城本丸城郭図』の立て看板の光景です。内堀で囲まれた、本丸エリアだけが表示されていました。
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『大垣城本丸城郭図』のズームアップ光景です。現在位置は、この図面下部の『廊下橋』の右上でした。『廊下橋』は、二の丸との間の唯一の通路だったようです。
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『廊下橋』があった付近の光景です。土塀の囲いから内側は、本丸になるようです。この後は、本丸跡から外の城跡の散策です。
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同じく、『廊下橋』があった付近の土塀の光景です。古文書や発掘調査になどに基づき、忠実に再建された施設かどうかは、判断できませんでした。
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大垣公園の広場光景のようです。染井吉野とは違った、色鮮やかな桜の花が満開でした。大垣公園は、大垣城の旧本丸、二の丸を整備した公園で、『日本の歴史公園100選』に選ばれています。
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野面積の石垣が残る一角の光景です。正確な位置は確認できませんでしたが、大垣城址の二の丸エリア当たりのようでした。
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同じく、野面積の石垣の光景です。古木の根が食い込み、長期間に亘って、積み直しがされていない石垣のように見えました。
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左下見えている立札は、『大垣公園内では犬などを離さないでください』との注意書きがありました。お城エリアから、公園エリアに入ったようです。
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この後紹介しますが、大垣城址の二の丸に位置する、『濃飛護國神社』の建物の側面光景のようでした。本殿か、その周りの建物かは、分かりません。
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同じく、大垣城址の二の丸に位置する、『濃飛護國神社』の建物の側面光景のようです。神社独特の屋根飾りが見えてきました。
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下の三文字だけか読めませんでしたが、『招魂社』の文字でした。護国神社と関わりのありそうな石碑です。
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屋根の造りを見て、鐘楼の建物かと見間違えましたが、手水舎の建物でした。護国神社の手水舎のようです。
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幾段にも積み上げられた基壇の上に建つ石灯篭と、その頭上の満開のソメイヨシノの光景です。大垣城跡に建つ、神社境内に入って来たようです。
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イチオシ
かつての大垣城跡に建つ、『濃飛護國神社』の拝殿光景です。銅葺屋根でした。
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『忠魂顕彰之碑』の光景です。碑文のプレートの上に菊のご紋がありました。濃飛護國神社が建立したもののようでした。
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キンニクマンタイプの狛犬の光景です。阿形の雄獅子の方です。まだ新しい造りのようでした。
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こちらは吽形の雌獅子です。同じく、キンニクウーマンタイプでした。珍しく、子獅子の姿はないようです。
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拝殿正面の鳥居越しに眺めた、『濃飛護國神社』の拝殿光景です。主として西濃・飛騨地方の岐阜県出身の英霊1万8900余柱を祀るとされます。明治2年(1869年)8月、旧大垣藩主の戸田氏共公が戊辰戦争で戦死した54名の大垣藩士を祀るため、大垣城下の操練場に仮招魂祠を創建したのが始まりとされます。翌明治3年(1870年)8月、大垣城二の丸に祠宇が創建され、祭式が執り行われました。
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『濃飛護國神社』の拝殿と、その脇のソメイヨシノの光景です。昭和14年(1939年)3月に『濃飛招魂社』に改称、昭和14年(1939年)、内務省令により『濃飛護國神社』と改称しました。
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木々の間から透かして眺めた、その先の光景です。八重咲きのベニシダレらしい桜の花と、その先には現代工法の建物の姿がありました。
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満開の桜の花ですが、染井吉野とは違っているようでした。山桜系統かも知れません。満開の桜の木でした。
(追記)オオシマシダレザクラ(大島枝垂れ桜)の名札がありました。 -
枝先に固まって咲いていた、白い桜の花の光景です。染井吉野とは、少し趣の違った桜の種類に見えました。緑の葉も少し出ているようです。
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イチオシ
一重咲の白い桜の花のズームアップ光景です。緑の葉も一緒に出ていました。大型の純白の花ですから、『オオシマザクラ(大島桜)』当たりかもしれません。野生種のサクラの一種で、ソメイヨシノなどの多くの園芸品種を生み出したサクラとして知られます。淡い芳香を持つ桜です。
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『オオシマザクラ(大島桜)』に比べますと、やや赤みを感じるソメイヨシノの花です。『ソメイヨシノ(染井吉野)』は、エドヒガン系の桜と日本固有種のオオシマザクラの交配で生まれた、日本産の園芸品種の桜です。
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大垣城跡の二の丸跡辺りになるのでしょうか、木々が生い茂った一角の光景です。
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本瓦葺きの屋根越しに見えていた、薄いピンク色の枝垂れ桜の光景です。その背後にも、本瓦葺きの大屋根の光景がありました。
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イチオシ
濃いピンク色の枝垂れ桜の光景です。一重ではなく、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』のようでした。満開直前の見頃でした。
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魅力的な色をした、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』の花のズームアップ光景です。エドヒガン系の園芸品種の桜の一種で、『遠藤桜』、『仙台八重枝垂れ』、『仙台小桜』や『平安紅枝垂れ』の別名を持ちます。
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この辺りには、多くの『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』の木がありました。見事な満開になった木の光景です。花期はシダレザクラやベニシダレザクラと比べてやや遅いとされます。
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本瓦で葺かれた建物をバックにした、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』の光景です。江戸時代から栽培されている品種で、『千弁糸桜』と記した書籍もあります。明治時代、初代仙台市長であった遠藤庸治(1849〜1918年)が増やし、その子孫樹を各地に贈って普及に努めたことに因む名前がいくつも残りました。
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