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岩崎城址と桜の紹介の続きです。再建された天守閣などの紹介です。隅櫓は礎石のまま残されていました。

2009春、桜の季節の岩崎城(3/4):隅櫓礎石、染井吉野、椿、1階展示室、天守からの眺望

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2009/04/01 - 2009/04/01

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旅行記グループ 2009春、尾張の桜

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

岩崎城址と桜の紹介の続きです。再建された天守閣などの紹介です。隅櫓は礎石のまま残されていました。

交通手段
自家用車

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  • 『隅櫓跡』の説明看板です。発掘調査された礎石が残されていました。その大きさは、礎石の配置から、四間*四間の建物であったことが分かりました。

    『隅櫓跡』の説明看板です。発掘調査された礎石が残されていました。その大きさは、礎石の配置から、四間*四間の建物であったことが分かりました。

  • 発掘調査で見つかった、『隅櫓跡』の光景です。発掘調査の後に埋め戻し、出土した礎石をもとのまま並べたもののようです。

    発掘調査で見つかった、『隅櫓跡』の光景です。発掘調査の後に埋め戻し、出土した礎石をもとのまま並べたもののようです。

  • 同じく、発掘調査で見つかった、『隅櫓跡』の礎石の光景です。発掘調査で確認された縄張りを参照しますと、模擬天守の北側になる、本丸の東北角になります。

    イチオシ

    同じく、発掘調査で見つかった、『隅櫓跡』の礎石の光景です。発掘調査で確認された縄張りを参照しますと、模擬天守の北側になる、本丸の東北角になります。

  • 満開だった桜の枝先のピックアップ光景です。少し赤味を帯びていますから、染井吉野以外の樹種かも知れません。

    満開だった桜の枝先のピックアップ光景です。少し赤味を帯びていますから、染井吉野以外の樹種かも知れません。

  • 天守の木々の間から眺めた岩崎市街の光景です。天守閣に登らなくても、かなりの高さを感じました。

    イチオシ

    天守の木々の間から眺めた岩崎市街の光景です。天守閣に登らなくても、かなりの高さを感じました。

  • 葉の間から少しだけ顔を覗かせた、ツバキ(椿)の赤い花の光景です。

    葉の間から少しだけ顔を覗かせた、ツバキ(椿)の赤い花の光景です。

  • 本丸の敷地内の光景です。隅櫓跡や井戸跡などがある、東北方面になるようです。右手に見えるのが櫓台方面のようです。

    本丸の敷地内の光景です。隅櫓跡や井戸跡などがある、東北方面になるようです。右手に見えるのが櫓台方面のようです。

  • 五分咲以上になっていた、染井吉野の枝先の光景です。開いた花で、赤っぽい蕾が隠されたような光景です。

    イチオシ

    五分咲以上になっていた、染井吉野の枝先の光景です。開いた花で、赤っぽい蕾が隠されたような光景です。

  • こちらは染井吉野ではなく、山桜の光景です。七分以上に開花しているようでした。緑の葉も一緒です。

    こちらは染井吉野ではなく、山桜の光景です。七分以上に開花しているようでした。緑の葉も一緒です。

  • 場所を代えながら、何度も撮影した模擬天守の光景です。ネット情報では、南側から見上げた天守の光景が一番見栄えがするようでした。今回は残念ながら撮影していません。

    場所を代えながら、何度も撮影した模擬天守の光景です。ネット情報では、南側から見上げた天守の光景が一番見栄えがするようでした。今回は残念ながら撮影していません。

  • 本丸の模擬天守の周りの光景です。常緑樹や、これからが見頃の染井吉野などの庭木の光景です。

    本丸の模擬天守の周りの光景です。常緑樹や、これからが見頃の染井吉野などの庭木の光景です。

  • 同じく、本丸の模擬天守の周りの光景です。右奥に見えるのは一階展示室の出入口です。入場はすべて無料でした。

    同じく、本丸の模擬天守の周りの光景です。右奥に見えるのは一階展示室の出入口です。入場はすべて無料でした。

  • 本丸で咲いていた染井吉野の光景です。囲いがある部分は、先に紹介した、『隅櫓址』の礎石がある区域です。

    本丸で咲いていた染井吉野の光景です。囲いがある部分は、先に紹介した、『隅櫓址』の礎石がある区域です。

  • 岩崎城一階展示室の出入口光景です。イメージ的には、橋を渡って入場するようなデザインになっていました。

    岩崎城一階展示室の出入口光景です。イメージ的には、橋を渡って入場するようなデザインになっていました。

  • 入場して見学した、岩崎城1階展示室の光景です。入口付近では、『移りゆく自然』のタイトルで、地元日進の植物の祖愉快がありました。その案内の左手の写真は、サギソウ(鷺草)のようです。

    入場して見学した、岩崎城1階展示室の光景です。入口付近では、『移りゆく自然』のタイトルで、地元日進の植物の祖愉快がありました。その案内の左手の写真は、サギソウ(鷺草)のようです。

  • 『小牧・長久手の戦いと岩崎城』のタイトルがあった説明パネルです。最初の方に、『三河「中入」作戦』のことが紹介されていました。家康軍の後方攪乱が目的ですが、岩崎城の戦いは、この秀吉側の作戦と大きく関わっていました。

    『小牧・長久手の戦いと岩崎城』のタイトルがあった説明パネルです。最初の方に、『三河「中入」作戦』のことが紹介されていました。家康軍の後方攪乱が目的ですが、岩崎城の戦いは、この秀吉側の作戦と大きく関わっていました。

  • 『三河「中入」作戦と岩崎城』のタイトルの説明パネルです。秀吉軍の後方攪乱作戦の総大将は第四陣の三好秀次、後の第二代関白の豊臣秀次です。池田親子、森、堀の武将が第1陣から第三陣までに揃います。徳川郡は、道案内を兼ねた岩崎城主の丹羽氏次はじめの五将です。

    『三河「中入」作戦と岩崎城』のタイトルの説明パネルです。秀吉軍の後方攪乱作戦の総大将は第四陣の三好秀次、後の第二代関白の豊臣秀次です。池田親子、森、堀の武将が第1陣から第三陣までに揃います。徳川郡は、道案内を兼ねた岩崎城主の丹羽氏次はじめの五将です。

  • 岩崎城での戦い部分のピックアップ光景です。守るのは岩崎城主の丹羽氏次の弟の16歳の氏重と加藤景恒はじめの約300名です。討ち死に覚悟の足止め作戦です。

    岩崎城での戦い部分のピックアップ光景です。守るのは岩崎城主の丹羽氏次の弟の16歳の氏重と加藤景恒はじめの約300名です。討ち死に覚悟の足止め作戦です。

  • 『三河「中入」作戦』の秀吉方の武将です。300名足らずの岩崎城に襲い掛かったのは、第1隊池田恒興(兵6000名)、第二隊の森長可(兵3000名)と第三隊の堀秀政(兵3000人)1万2千名です。3時間余りの至当で、岩崎城は落城しました。岩崎城で攻城戦が行われている頃、羽柴秀次勢は白山林での休憩中でした。

    『三河「中入」作戦』の秀吉方の武将です。300名足らずの岩崎城に襲い掛かったのは、第1隊池田恒興(兵6000名)、第二隊の森長可(兵3000名)と第三隊の堀秀政(兵3000人)1万2千名です。3時間余りの至当で、岩崎城は落城しました。岩崎城で攻城戦が行われている頃、羽柴秀次勢は白山林での休憩中でした。

  • 織田・徳川連合軍の先手隊の五将の紹介です。道案内を兼ねた岩崎城主の丹羽氏次(300名)、水野忠重(800名)、榊原・本多隊隊(1550名)、大須賀隊(1850名)の四隊です。これに家康本隊が追いつきました。足止めの成果でした。

    織田・徳川連合軍の先手隊の五将の紹介です。道案内を兼ねた岩崎城主の丹羽氏次(300名)、水野忠重(800名)、榊原・本多隊隊(1550名)、大須賀隊(1850名)の四隊です。これに家康本隊が追いつきました。足止めの成果でした。

  • 長久手で対峙したのは、家康軍9000名と織田・徳川軍の9300名です。結果は、徳川軍の大勝でした。秀吉軍の死者2500余人、織田・徳川連合軍の死者590余人と伝わります。模擬天守閣から見下ろした城内の光景です。染井吉野の枝先が見えました。

    長久手で対峙したのは、家康軍9000名と織田・徳川軍の9300名です。結果は、徳川軍の大勝でした。秀吉軍の死者2500余人、織田・徳川連合軍の死者590余人と伝わります。模擬天守閣から見下ろした城内の光景です。染井吉野の枝先が見えました。

  • 同じく、模擬天守閣から見下ろした城内の光景です。階下の軒下光景です。室町時代末期に築城されたようです。築城者は確定していませんが、信長の父の織田信秀の説があるようです。歴代城主は、織田氏、松平氏と丹羽氏です。慶長5年(1600年)に廃城となりました。

    同じく、模擬天守閣から見下ろした城内の光景です。階下の軒下光景です。室町時代末期に築城されたようです。築城者は確定していませんが、信長の父の織田信秀の説があるようです。歴代城主は、織田氏、松平氏と丹羽氏です。慶長5年(1600年)に廃城となりました。

  • 模擬天守閣から見下ろした城内の光景が続きます。廃城後は3百年以上も整備されることは無く、本丸跡は畑となっていました。現在の模擬天守は、昭和62年(1987年)に展望塔として造られた、五重構造の建物です。

    模擬天守閣から見下ろした城内の光景が続きます。廃城後は3百年以上も整備されることは無く、本丸跡は畑となっていました。現在の模擬天守は、昭和62年(1987年)に展望塔として造られた、五重構造の建物です。

  • 上から眺めたソメイヨシノ(染井吉野)の花の光景です。赤っぽい色をした蕾の塊があちこちに見えました。

    上から眺めたソメイヨシノ(染井吉野)の花の光景です。赤っぽい色をした蕾の塊があちこちに見えました。

  • 模擬櫓から眺めた椎の景色を一通り紹介しておきます。岩崎川が見えていますから、東北方面のようです。遠くに紅白の鉄塔列が見えます。

    模擬櫓から眺めた椎の景色を一通り紹介しておきます。岩崎川が見えていますから、東北方面のようです。遠くに紅白の鉄塔列が見えます。

  • 市街地から田畑に変わり、更にその背後になだらかな山が見える光景です。西方面のようです。

    市街地から田畑に変わり、更にその背後になだらかな山が見える光景です。西方面のようです。

  • 中央上部に、『東』方面の表示がありました。岩崎側と、岩崎橋がある方面です。近くには慈眼寺があります。

    中央上部に、『東』方面の表示がありました。岩崎側と、岩崎橋がある方面です。近くには慈眼寺があります。

  • 『西』方面の表示がありました。大応寺や神明神社がある方角です。

    『西』方面の表示がありました。大応寺や神明神社がある方角です。

  • 『南』方面の光景です。近くには、岩崎市街が広がる方面です。『小牧・長久手の戦い』で例えれば、『岡崎方面』になります。

    『南』方面の光景です。近くには、岩崎市街が広がる方面です。『小牧・長久手の戦い』で例えれば、『岡崎方面』になります。

  • 『北』側の当たる、標高131メートルの岩崎御嶽山がある方面です。平成展望台などがある方角です。『小牧・長久手の戦い』で例えれば、『長久手・小牧方面』になります。

    『北』側の当たる、標高131メートルの岩崎御嶽山がある方面です。平成展望台などがある方角です。『小牧・長久手の戦い』で例えれば、『長久手・小牧方面』になります。

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2009春、尾張の桜

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