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史上有名な「長篠設楽が原の戦い」古戦場を歩く。

設楽が原古戦場

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2009/03/28 - 2009/03/28

73位(同エリア145件中)

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guizhi

guizhiさん

史上有名な「長篠設楽が原の戦い」古戦場を歩く。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル

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  • 3月28日東京より日帰り。青春18キップを活用する。<br />JR品川駅0510−0621小田原0622−0645熱海0649−0919浜松0928−1003豊橋1043−1128三河東郷<br />初めての18切符。東海道線は乗継が計算されていて非常に便利。。。便利すぎて駅トイレに行けず。列車内のトイレは一箇所のみ。<br />土曜日だったので早朝にも係わらず電車は品川から乗車率50%。小田原からはほぼ満席に近い状態でした。<br />飯田線は2両編成。運転手が車掌を兼ねています。

    3月28日東京より日帰り。青春18キップを活用する。
    JR品川駅0510−0621小田原0622−0645熱海0649−0919浜松0928−1003豊橋1043−1128三河東郷
    初めての18切符。東海道線は乗継が計算されていて非常に便利。。。便利すぎて駅トイレに行けず。列車内のトイレは一箇所のみ。
    土曜日だったので早朝にも係わらず電車は品川から乗車率50%。小田原からはほぼ満席に近い状態でした。
    飯田線は2両編成。運転手が車掌を兼ねています。

  • 三河東郷駅は無人駅です。<br />駅降りると直ぐに古戦場の案内図があります。<br />周回コース看板も途中掲示されています。<br />駅から馬防柵(観光用)まで連吾川沿いに歩くと徒歩30分ばかりです。<br />案内板に古戦場まで徒歩7分というのは駅から最も近い連吾川の最も近い河原までです。地図だと古戦場の南端に当たります。

    三河東郷駅は無人駅です。
    駅降りると直ぐに古戦場の案内図があります。
    周回コース看板も途中掲示されています。
    駅から馬防柵(観光用)まで連吾川沿いに歩くと徒歩30分ばかりです。
    案内板に古戦場まで徒歩7分というのは駅から最も近い連吾川の最も近い河原までです。地図だと古戦場の南端に当たります。

  • 周回コースに沿って進みます。<br />なだらかな坂を登ります。周囲は農家になります。<br />有名な首洗池です。<br />現在は真四角に切られて純粋な農業貯水池です。<br />元々首洗池というのは用水池を戦場で臨時に利用したものと思います。<br />駅から徒歩15分程度です。

    周回コースに沿って進みます。
    なだらかな坂を登ります。周囲は農家になります。
    有名な首洗池です。
    現在は真四角に切られて純粋な農業貯水池です。
    元々首洗池というのは用水池を戦場で臨時に利用したものと思います。
    駅から徒歩15分程度です。

  • 本日は桜が開花し始めのどかな雰囲気です。

    本日は桜が開花し始めのどかな雰囲気です。

  • 首洗池より坂を10分程度登ったほぼ小山の頂上に位置します。<br />武田軍の前線左翼の陣地があった所です。現在は大塚(<br />写真)があり、武田軍の戦死者を祭った塚があります。<br />付近には左翼の武将、山縣昌景や原美濃守の墓があります。左翼部隊は最も戦傷者が多く特に指揮官は突撃を繰り返した為に戦死した人物が多いです。

    首洗池より坂を10分程度登ったほぼ小山の頂上に位置します。
    武田軍の前線左翼の陣地があった所です。現在は大塚(
    写真)があり、武田軍の戦死者を祭った塚があります。
    付近には左翼の武将、山縣昌景や原美濃守の墓があります。左翼部隊は最も戦傷者が多く特に指揮官は突撃を繰り返した為に戦死した人物が多いです。

  • 大塚のそばにある資料館の案内地図です。<br />資料館は300円の入場料が必要です。<br />中には火縄銃の展示が多いです。3Fに登ると古戦場一帯の地形が判り易いです。

    大塚のそばにある資料館の案内地図です。
    資料館は300円の入場料が必要です。
    中には火縄銃の展示が多いです。3Fに登ると古戦場一帯の地形が判り易いです。

  • 資料館から西方の急峻な坂を降りると舗装道路に出ます。徒歩7分程度です。<br />これは甘利信康の墓です。<br />写真中央奥部には馬防柵を遠望出来ます。

    資料館から西方の急峻な坂を降りると舗装道路に出ます。徒歩7分程度です。
    これは甘利信康の墓です。
    写真中央奥部には馬防柵を遠望出来ます。

  • 古戦場のほぼ中央部分です。武田軍(東側)から連吾川を越えて徳川家康の本陣を望みます。<br />写真では判りにくいですが武田側と織田徳川側は連吾川(川幅2m)を挟んで指呼の間だったのがよく判ります。

    古戦場のほぼ中央部分です。武田軍(東側)から連吾川を越えて徳川家康の本陣を望みます。
    写真では判りにくいですが武田側と織田徳川側は連吾川(川幅2m)を挟んで指呼の間だったのがよく判ります。

  • 古戦場の北側の激戦地になった箇所です。東の武田側から織田側を望みます。<br />写真中央の工事車両があるところが連吾川の橋になります。手前白色のクルマの左側の小丘陵が開戦時に織田側の佐久間信盛の陣地がありました。武田側の右翼先方、馬場信房が奪取した箇所です。<br />但し武田側は真田兄弟の突撃で織田軍を脅かしますが多大の損害を蒙ります。

    古戦場の北側の激戦地になった箇所です。東の武田側から織田側を望みます。
    写真中央の工事車両があるところが連吾川の橋になります。手前白色のクルマの左側の小丘陵が開戦時に織田側の佐久間信盛の陣地がありました。武田側の右翼先方、馬場信房が奪取した箇所です。
    但し武田側は真田兄弟の突撃で織田軍を脅かしますが多大の損害を蒙ります。

  • 東方より西方の徳川家康陣地を臨みます。<br />写真右の森が家康の陣地になります。<br />写真では判りにくいですが、その手前が連吾川になります。

    東方より西方の徳川家康陣地を臨みます。
    写真右の森が家康の陣地になります。
    写真では判りにくいですが、その手前が連吾川になります。

  • 現存する土塁の一部です。<br />1572年の土塁が残されている珍しい箇所です。<br />馬防柵は現在の模造品です。<br />ここら辺りが織田徳川軍の中央部先方部隊になります。

    現存する土塁の一部です。
    1572年の土塁が残されている珍しい箇所です。
    馬防柵は現在の模造品です。
    ここら辺りが織田徳川軍の中央部先方部隊になります。

  • 織田徳川軍より武田側(東方)を見ます。

    織田徳川軍より武田側(東方)を見ます。

  • 武田軍の土屋昌次の記念碑です。彼は3重の馬防柵を2重まで破り3重目の柵によじ登ったと伝えられています。

    武田軍の土屋昌次の記念碑です。彼は3重の馬防柵を2重まで破り3重目の柵によじ登ったと伝えられています。

  • 織田徳川方(西方)より武田側を見ます。手前の川が連吾川です。<br />写真中央部の丘陵が武田側の陣地になります。<br />写真より現地に行ってみてください。戦場が如何に狭隘な谷地だったかが判明します。<br />ここに織田徳川連合軍3.8万人と武田軍1.5万人が激突したという事はちょっと信じられません。<br />現在の研究だと織田徳川軍1.8万人、武田軍6000人程度と言うのが有力です。

    織田徳川方(西方)より武田側を見ます。手前の川が連吾川です。
    写真中央部の丘陵が武田側の陣地になります。
    写真より現地に行ってみてください。戦場が如何に狭隘な谷地だったかが判明します。
    ここに織田徳川連合軍3.8万人と武田軍1.5万人が激突したという事はちょっと信じられません。
    現在の研究だと織田徳川軍1.8万人、武田軍6000人程度と言うのが有力です。

  • 古戦場を南方より北方を望みます。<br />写真左側が織田徳川軍(西方)、右側は武田軍(東方)になります。<br />写真では判りにくいですが連吾川は明瞭な河岸段丘の地形を有します。<br />つまり織田徳川軍はこの河岸段丘を利用したものと思います。<br />北から南へは古戦場1k余りですが高低差3m程度あります。

    古戦場を南方より北方を望みます。
    写真左側が織田徳川軍(西方)、右側は武田軍(東方)になります。
    写真では判りにくいですが連吾川は明瞭な河岸段丘の地形を有します。
    つまり織田徳川軍はこの河岸段丘を利用したものと思います。
    北から南へは古戦場1k余りですが高低差3m程度あります。

  • 古戦場南端の激戦地になります。<br />武田側(東方)より織田徳川方(西方)を望みます。<br />山縣昌影は馬防柵を迂回しようとしてここら辺りから連吾川を越えようと、徳川軍の大久保兄弟と戦いました。<br />「三河東郷」駅に戻るにはここから更に連吾川を南下して徒歩30分ばかりです。<br />駅に戻ったのが12時45分程度です。所要時間78分ばかりです。<br />1312三河東郷駅発1354豊橋着

    古戦場南端の激戦地になります。
    武田側(東方)より織田徳川方(西方)を望みます。
    山縣昌影は馬防柵を迂回しようとしてここら辺りから連吾川を越えようと、徳川軍の大久保兄弟と戦いました。
    「三河東郷」駅に戻るにはここから更に連吾川を南下して徒歩30分ばかりです。
    駅に戻ったのが12時45分程度です。所要時間78分ばかりです。
    1312三河東郷駅発1354豊橋着

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