2008/09/01 - 2008/09/15
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bluebonnetさん
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サリーナス、モントレー、パシフィック・グローブ、最後に、カーメルとスタインベックの実像と作品の背景を巡りました。
サリーナスでは、スタインベック・ミュージアムを中心に、生家や通っていた小学校、ダウンタウンの作品に登場する場所を訪れたり、町外れの墓地にもお参りして来ました。
ハイウエー68を通ってモントレーに移動、サリーナスの郊外では、広大なレタス畑を通過しました。
モントレーでは、作品にも影響を与えた友人の海洋生物学者リヶットの実験室やカナリ−・ローを散策しました。
パシフィック・グローブでは、執筆にも使った別荘や作品に登場するデパート、ガス・ステーション、ベーカリー跡などを見て回りました。
そして、ジャック・ロンドンなど他の作家も愛したカーメルまで足を延ばし、カーメル川も渡って来ました。
写真は、静かで、瀟洒なカーメルの街角。
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旅の最後に訪れたカーメル川の新しい橋。
右手から流れているCarmel Riverは、The Cannery Rowにも出てくる。Carmel Missionからハイウエー1の橋を渡ったところ。次の地元のサイトをご覧下さい。
http://www.carmelriverwatershed.org/ -
旅の出発点、スタインベックの生まれ育ったリーナスのMain Streetの北西端に造られたNational Steinbeck Center。
サンフランシスコから101Southで、Salinas Main St. Exitを出て、3ッ目の信号でMarket St.を渡り、最初のCentral Aveを左折したところにある。前に、Main St.の大きな駐車場。 -
Steinbeck Centerの筋向い、Main Streetのはずれにある古い建物を利用したモンテリ−郡、地元のワイン・テイスティングの店。
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スタインベック・センターにあるミュージアムの家族写真の展示。
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20世紀初頭のサリーナスのメイン・ストリート。
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「怒りの葡萄」(1939年)関連の展示。
「Grapes of Gladness」は、この作品を単なる社会小説とみて、心よく思わない農園主や地元の人のために書かれたパンフレット。オクラホマの貧農、Okiesを労働力に受入れたカリフォルニア、彼らを送り出したオクラホマや他の中西部の州でもアメリカの価値観を損なうものとみられた。’90年代でも、地方自治が強いので、学校の図書館から取り除かれ、禁書扱いにする教育委員会がある。
しかし、一方、スタインベックの宗教心をPreacherのJohn Casyやジョード一家に読み取る教師や、旧約聖書のモーゼの出エジプト記に重ね合わせて読み取る研究者もいる。 ジョード一家は、連邦政府の作ったシェルターからあえて出て行き、娘のRose of Sharonは赤ん坊を亡くし、究極の人間愛の結末を迎える。スタインベックは、最終ページの構想を、絵画、Cimon & Pero:Roman Charity*から得たのではないかともいわれている。
1940年にルーズベルト大統領夫人が現地を視察し、事実は、本以上だとスタインベックに手紙を送っている。
次の関連サイト、「名残りのルート66」をご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/bluebonnet/album/10057541/
*この絵画は、ヨーロッパで数多く描かれています。Rubensのものが、アムステルダム国立美術館で見られます。
ちなみに、ジョンフォードの映画では、川に流される赤ん坊の亡骸と最終ページの納屋のシーンはありません。連邦政府のキャンプを出ていく車の運転席の正に”Great Mother"がエンディングになっています。 -
再現された「怒りの葡萄」のOkiesの小屋。
でも、悪いことばかりではありません。
前の写真の括弧書きコメントにある連邦政府のシェルターの実例は、Bakersfieldの郊外に、Weedpatch Camp(Arvin Federal Governmnet Camp)として残されています。地元の人道的な教育長(Leo B Hart、彼の名を付けたElementary SchoolがBakersfieldにある。)は、Okiesの子供達に教育を受けさせなければならないと学校をつくった。そして、アメリカが不況から回復した後も、ここで教育を受けた子供達やその子孫が地元で立派に暮らしている。
勿論、オクラホマに帰った人達もいて、後に、彼らは、ここを訪問、Okiesであることを誇りに思うと述べたそう。
なぜ、ジョード一家は、短期間で、普通の生活できるキャンプを捨て、嵐の中に出てしまったのでしょうか。アメリカ人、特に、中西部の保守的な敬虔なキリスト教徒の人達がよく言うBootstrap、自立??スタインベックは、生涯、「アメリカとアメリカ人とは?」を問い続けたのでは? -
「カナリ−ロー」関連の展示。
ちなみに、「二十日鼠と人間」は、大恐慌時代に、知恵遅れの大男を助けてやりながら農場を渡り歩く、背の低い労働者の2人づれの話で、結末は、悲惨。今でもアメリカの学校では、使われている言葉もよくないし、教育的にも問題があると禁書扱い。
なお、作品の展示コーナーでは、国外で出版されたものの中で、日本語は、「チャーリーとの旅」(Travels with Charley in Search of America)の1冊だけ。 -
スタインベックの生家、The Steinbeck Houseは、132 Central Ave.にある。National Steinbeck Center玄関前の通り、Central Ave.を西に、3ブロックほど行ったところにある。
父、John Ernstは、郡の出納長をつとめていた。 -
彼が通っていた小学校、生家から更に西に2ブロックほど先を一寸、南にいったところ。入口の左手に第一次世界大戦で戦死した卒業生の碑板。その内の1人、Martin Hoppsは、East of Edenに登場。銘板、Plaqueがあります。
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「エデンの東」の場面に使われたメインストリートのMuller's Funeral Chapel跡。
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銘板が張られている。
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メインストリートから2ブロックス西のスタインベック・ライブラリー。
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スタインベックの墓所、The Garden of Memories は、サリーナスの南東2マイルの町外れ、768 Abbott Streetにあります。1968年12月20日に66歳で、ニューヨークで没。Hamilton家のPlotに家族と眠っている。(お母さんのOlive Steinbeck、お父さんのJohn Ernst Steinbeck、おじさんの William John Hamilton、 妹の Mary S. Decker)、そしてこれらの人達は、“East of Eden”に登場。この映画でも Samuel Hamilton's の埋葬が、この墓地がセットになったそうです。
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モントレーの「キャナリ−・ロー」。
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「キャナリ−・ロー」の海側の広場にあるスタインベック像。
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像から水族館の方に行ったところにある友人の海洋生物学者、リケットの研究室跡。
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モントレーの水族館から、西は、閑静なパシフィック・グローブの町になり、222 Central Ave(2nd & Central)にあるElizabeth Hmilton's Cottageは、スタインベックの母方祖母の家だった。ここで、East of Edenを書いたと言われています。
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売りに出されていた。
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147 11th St., Pacific Grove(Ricketts Rowの南側)にあるFamily Cottageは、スタインベックのお父さんが建てたもの。スタインベックは、1932年以降に、ここで、Tortilla Flat、Of Mice and Menなどを執筆。しかし、有名になり、人目がわずらわしく、1936年にLos Gantosの新しい家に引っ越しました。
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Family Cottageから坂を登り、行き当たりが、Lighthouse Ave.になり、右に折れ、少し歩くと、もう、道幅の広い、静かな洒落たパシフィック・グローブのダウンタウン。左は、Holman's Department Store跡(現在、アンティーク・プラザになっている。) 、右は、Red Willaims' Gas Station跡。
Cannery Rowの17章に、ガス・ステーションでペンキ屋のHenriが椅子に腰掛けている描写がある。また、19章には、Holman's Department Storeの宣伝として、旗ざおの上での長時間のスケーティングのことが書かれている。 -
Holman'sの向い、545 Lighthouse AveにあるThe Scotch Bakery跡、現在は、レストラン。Cannery Rowの19章では、Mrs. Trolatが甘いパンの袋を持って、ここから出てくる記述があります。
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Lighthouse Ave.のもう少し先で、Ridge Rd.を左に折れ、少し先の路地を徒歩で入って行くとMonarch Grove Sanctuary。Monarch蝶の群れが、毎年10月に、カナディアン・ローキーズや南アラスカからやって来て、ユーカリの木立に群がります。通常は、葉っぱのように見えて判り難いが、晴れた日の10:00から14:00までならよく見えるそう。そして、3月、北に旅立つ。Sweets Thursdayの38章に記述があります。
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すぐ近くのAsilomar Conference Centerの別館敷地内、800 Asilomar Blvd.にあるThe Esther Steinbeck Rodgers House。Sea of Cortezの一部がこの小屋で、書かれたそう。
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コンベンションで宿泊の若者達の為の見学ツアーに遭遇。
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Asilomar Blvd.から森の奥に少し、見えるHouse。
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おまけ。
カーメルのあちこちにある落ち着いた広場の一つ、ジャック・ロンドンにちなんだレストランが奥にある。
学生時代の英語の教科書、「野生の叫び」を思い出す方も多いでしょう。
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