1989/07/15 - 1989/09
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ギリシャ/スケッチ旅さん
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私の外国旅はイタリア・ペルージア外国人大学への入学から始まった(1989年7月)。
日伊協会で数年間イタリア語を学んだ後(まだNHKイタリア語講座は放送されていなかった)やはり現地でイタリア語に触れてみたくて出かけた。
夏期だけではあったが、ここで世界各国から集まった友達と生活を共にして、自分とは違った考え方に出会えたことは、それから世界のことを考える際に影響している。
ペルージアはイタリアの真中にあり、唯一海に面していないウンブリア州の州都。
授業は月曜から金曜日まで。土・日曜は休みなので近くの町(アッシジやシエナ、フィレンツェ、ローマなど)に出かけた。
私のスケッチ活動はこの時に描いた絵ハガキから始まったと言ってよい。
数えてみると、あれからもう20年になるんだなぁ。感慨もひとしお。
テレビを見ているとベルリンの壁崩壊もこの年であったらしい。旅行から帰って二ヶ月後(11月9日)に崩壊したことになる。
この年は世界経済も変革の渦中に飲み込まれていた。
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ペルージア観光地の中心部、11月4日広場。
夏のフェスティバル期間中、この広場には木組みの舞台を設置し行事が催されていた。 -
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ペルージャの歴史地区は小高い丘の上にあるが、大学はこの広場奥の道をずっと下ったところにある。
(タイトル画はその道途中をスケッチしたもの)
また南に位置する鉄道駅方向からこの丘に登るには、地下トンネルが通っていて、ずっと上までエスカレータでつながれている。そして両脇には小さなギャラリーがあったりしてとてもそのアイデアに感心したものだ。 -
これら歴史的な建物の中で、演奏会や展覧会がどこかで催されている。
前日はインド舞踊家のパフォーマンスだった。もちろん無料で見られる。 -
夕方になって涼しくなるとどこともなく人々の姿が現れてくる。
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民家アパートのスケッチ。
はがき大。 -
これから広場で始まる催し物を見ようと集まって来ている観客たち。
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少し一つだけはずれたところにある教会。 -
学生寮から大学までこの道を
お店など周りの様子を見ながら通った。 -
坂の途中で見つけたプチ・ホテル。
絵になる、好きな構図だ。
この地下にエスカレータ付きトンネルが通っていて
近くにはトンネルへの出入口があった。 -
民家のスケッチ。(画面;ハガキ大)
この頃からスケッチの楽しさを知るようになる。 -
ペルージャ旧市街周りはこのように緑地が広がり、そこには新興住宅が建ち並んだ地区を形成したり。
ここも通学路の一部。
旧市街の東側で、ずっと向こう遠くの方にはアッシジが見えているはず。 -
休日に学内募集でバス旅行、ローマ・カラカラ浴場でオペラ「アイーダ」を観賞する。
学生身分を使って一流アーティストの競演を特等席3.000円で見ることが出来た。
観客の中には日本の演奏家(N響)の顔も見えた。 -
中心地から眺めたペルージアの町並み。
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崩れた壁も立派な芸術作品になっている。
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通学路にある市民公園脇の教会。
入学初日、受付で学生寮を紹介されると地図を手渡され、それを見ながら途中で訊きながら町外れにある学生寮までたどりつかなければならなかった。
初めての土地で、しかもいきなり現地イタリア語のみ、これはとても大変な経験だった。
私の場合は学生寮だったが、学友の多くは自分たちの好きな場所に部屋を借りていたようだ。
滞在費は月8万ぐらいだったと記憶している。 -
麓にある新しいイタリアの家屋。
まわりにはこのような建物が多くなる。 -
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ペルージャは夏のあいだ世界中から芸術家を招聘して殆どどこかで催物をしている。
ある日、古い教会で演奏会があるというので出かけることにする。宣伝によると日本の団体らしい。
雅楽の団体だった。
日本の伝統曲や新しい曲を紹介しながら世界を廻っているらしい。
プログラムを見てみると全然知らない作曲家、曲ばかり。細川俊夫という今は日本を代表する現代音楽作曲家の名を知ったのもこの時だ。
会場には30名ばかりの熱心な観客が集まっていた。
演奏は「声明」から始まった。
すごい迫力! このお坊さんたちはただ者ではない。
後で知ることになるが、やはり日本を代表する名だたる寺院の僧侶たちだった。
教会いっぱいに朗々と声明は響く。
種々の雅楽を4,5曲演奏した。
私も驚くほどの内容だったが、外国人観客たちはどう感じただろう。 -
演奏会後に声を掛けると夕食に誘われた。
大学近くに見つけていた美味しいレストランを紹介する。
この団体はある大学教授が創案し、奏者と共に世界中を廻っているとのこと。数日前には他国で演奏してきたと言っていた。
ここに参加されている方々は日本のこの部門を代表する指導的立場の方々で、お話をしていてその情熱を感ずることが出来てとても興味深かった。
外国に来て初めて日本音楽事情に関心を持つことになろうとは。 -
町全体が夕焼けに染まる。
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サッカーの中田英寿が
ペルージアを本拠地としたクラブで活躍した時期は
これから約10年後の1998〜2000年のこと。
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