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国立劇場の『大老』を見て、マイブーム再燃。<br />井伊家の菩提寺の豪徳寺へ!<br />徳川四天王といえば、夏の陣の大阪城へもGO!!<br />そして、彦根藩といえば、彦根城へもGO!GO!と、<br />過去の旅行へもタイムスリップ!<br /><br />ひとつの旅行記で3倍楽しめる?<br />相変わらずの連鎖反応による、蔵出し写真の連写。<br />お楽しみ下さい。

江戸東京ふるさと紀行(徳川四天王、2代井伊直孝、豪徳寺の巻)

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2008/10/30 - 2008/10/30

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一歩人

一歩人さん

国立劇場の『大老』を見て、マイブーム再燃。
井伊家の菩提寺の豪徳寺へ!
徳川四天王といえば、夏の陣の大阪城へもGO!!
そして、彦根藩といえば、彦根城へもGO!GO!と、
過去の旅行へもタイムスリップ!

ひとつの旅行記で3倍楽しめる?
相変わらずの連鎖反応による、蔵出し写真の連写。
お楽しみ下さい。

同行者
一人旅
交通手段
私鉄

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  • 01 江ノ電601号<br />宮の坂駅を降りると、駅の横にも電車?<br />引き込み線かと除くと、そこにあったものは。<br /><br />大正14年製造、昭和44年までは東急線で、<br />後に譲渡され、主力電車に。藤沢〜鎌倉間で活躍。<br />平成2年、65年におよぶ長い現役生活に別れを告げた。<br />と。<br /><br />ああ!惜別感無量。そう、そう、鉄道博物館の1号機関車。<br />ふ、ふ、いきなりお涙頂戴?<br />いえ、いえ、次、次。

    01 江ノ電601号
    宮の坂駅を降りると、駅の横にも電車?
    引き込み線かと除くと、そこにあったものは。

    大正14年製造、昭和44年までは東急線で、
    後に譲渡され、主力電車に。藤沢〜鎌倉間で活躍。
    平成2年、65年におよぶ長い現役生活に別れを告げた。
    と。

    ああ!惜別感無量。そう、そう、鉄道博物館の1号機関車。
    ふ、ふ、いきなりお涙頂戴?
    いえ、いえ、次、次。

  • 02 豪徳寺<br />無事、到着。門を撮ろうと、しばし、熟慮。<br />そう、そう、孔子様のアングルを思い出し、<br />自転車を見かけて、パシッ!結構でかい門と<br />なりました。

    02 豪徳寺
    無事、到着。門を撮ろうと、しばし、熟慮。
    そう、そう、孔子様のアングルを思い出し、
    自転車を見かけて、パシッ!結構でかい門と
    なりました。

  • 03 井伊家墓所案内<br />ふむ、ふむ。2代直孝からみるのよね。<br />このあたりから、ちょっと気になることが?<br />歴代のお墓が立ち並び、地元ではなく、<br />ここは、第二のふるさと。ピタッとハウス、<br />いえ、いえ、お墓?<br />(ふるさとテーマと合致のギャグのつもり)

    03 井伊家墓所案内
    ふむ、ふむ。2代直孝からみるのよね。
    このあたりから、ちょっと気になることが?
    歴代のお墓が立ち並び、地元ではなく、
    ここは、第二のふるさと。ピタッとハウス、
    いえ、いえ、お墓?
    (ふるさとテーマと合致のギャグのつもり)

  • 04 私は直進、2代直孝墓<br />今の篤姫ブームからすると、皆様方は、<br />13代井伊直弼へ直進よね。いいじゃない。

    04 私は直進、2代直孝墓
    今の篤姫ブームからすると、皆様方は、
    13代井伊直弼へ直進よね。いいじゃない。

  • 05 2代直孝墓<br />これ、これ、これからの展開の伏線。<br />しばし、お墓の前で、熟慮。<br />そこへ、ひと組の老夫婦、左手奥の<br />13代井伊直弼墓へ直進。やっぱり。

    05 2代直孝墓
    これ、これ、これからの展開の伏線。
    しばし、お墓の前で、熟慮。
    そこへ、ひと組の老夫婦、左手奥の
    13代井伊直弼墓へ直進。やっぱり。

  • 06 国立劇場歌舞伎「大老」<br />吉衛門さんの直弼と妻静の魁春さんのコンビ。<br />そういえば、第20回こんぴら歌舞伎でも、<br />このコンビだったのよね。見る?<br />いいよ。ごめんね、一枚だけ。

    06 国立劇場歌舞伎「大老」
    吉衛門さんの直弼と妻静の魁春さんのコンビ。
    そういえば、第20回こんぴら歌舞伎でも、
    このコンビだったのよね。見る?
    いいよ。ごめんね、一枚だけ。

  • 07 歌舞伎看板<br />歌舞伎に目のない、私は、遠く、<br />香川の琴平町へGO!<br />この展開は、旅行記の想定外だったかな。<br /><br />ふ、ふ、魁春さんは、襲名披露だったよね。<br />(撮影2006年3月4日こんぴら歌舞伎)

    07 歌舞伎看板
    歌舞伎に目のない、私は、遠く、
    香川の琴平町へGO!
    この展開は、旅行記の想定外だったかな。

    ふ、ふ、魁春さんは、襲名披露だったよね。
    (撮影2006年3月4日こんぴら歌舞伎)

  • 08 大阪城<br />さて、本題。<br />彦根城で徳川四天王のひとりとして紹介されていたのを<br />思い出し、その、功のあった、関が原の戦いを紹介します。<br />(撮影2004年11月8日大阪城、以下同じ)

    08 大阪城
    さて、本題。
    彦根城で徳川四天王のひとりとして紹介されていたのを
    思い出し、その、功のあった、関が原の戦いを紹介します。
    (撮影2004年11月8日大阪城、以下同じ)

  • 09 関が原の戦い<br />真田隊の活躍やいかに。<br />屏風より、私は、人形のミニチュア合戦に釘付け。<br />ここで、表紙の絵とともに、紹介されておりました。<br /><br />徳川四天王の一人井伊直政の二男、直孝。<br />冬の陣には、病身の兄直継にかわり出陣、<br />翌年(慶長20年1615年)2月、家督を継ぎ<br />彦根藩主に。同年5月6日、夏の陣八尾・若江の戦いで<br />味方の将兵100名余を失いつつも、木村重成隊を<br />撃破。損害を考慮して翌7日の決戦では先方を免ぜ<br />られたがこれを拒んで先陣に踊り出た。<br />大阪城落城の翌8日、焼け残りの倉に潜んでいた<br />淀殿・秀頼らに鉄砲を撃ちかけ、自害に追い込んだ。と。

    09 関が原の戦い
    真田隊の活躍やいかに。
    屏風より、私は、人形のミニチュア合戦に釘付け。
    ここで、表紙の絵とともに、紹介されておりました。

    徳川四天王の一人井伊直政の二男、直孝。
    冬の陣には、病身の兄直継にかわり出陣、
    翌年(慶長20年1615年)2月、家督を継ぎ
    彦根藩主に。同年5月6日、夏の陣八尾・若江の戦いで
    味方の将兵100名余を失いつつも、木村重成隊を
    撃破。損害を考慮して翌7日の決戦では先方を免ぜ
    られたがこれを拒んで先陣に踊り出た。
    大阪城落城の翌8日、焼け残りの倉に潜んでいた
    淀殿・秀頼らに鉄砲を撃ちかけ、自害に追い込んだ。と。

  • 10 大阪城こども甲冑隊<br />ふ、ふ、これ、これ。真田幸村の家紋。<br />旗の六連銭は仏教でいうところの六道銭のことで、<br />三途の川の渡し賃であるり、決死の覚悟であるという<br />意気込みが伝わるところからこの家紋にした。とさ。<br /><br />これを旗印にすることは「不惜身命」<br />(ふしゃくしんみょう:仏法のために身命をささげて<br />惜しまないこと)を意味するといわれている。とか。

    10 大阪城こども甲冑隊
    ふ、ふ、これ、これ。真田幸村の家紋。
    旗の六連銭は仏教でいうところの六道銭のことで、
    三途の川の渡し賃であるり、決死の覚悟であるという
    意気込みが伝わるところからこの家紋にした。とさ。

    これを旗印にすることは「不惜身命」
    (ふしゃくしんみょう:仏法のために身命をささげて
    惜しまないこと)を意味するといわれている。とか。

  • 11 彦根城<br />慶長5年(1600年)直政が、関が原の戦いで、<br />徳川四天王の一人として抜群の功をたて、この戦いに<br />敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、翌年、<br />上野の国高崎城から移ってきた。<br />その後、城を彦根山に移そうとしたが実現せず病死し、<br />慶長8年その子直継が父直政の遺志を受けて築城に<br />着手した。<br />時の将軍家康は、特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも、<br />応援させ、元和8年(1622年)現在の彦根城が完成。<br />城地面積75,800坪、周囲一里、高さ約50mの<br />彦根山の平城。と。<br /><br />(撮影2004年11月7日彦根城、以下同じ)<br />

    11 彦根城
    慶長5年(1600年)直政が、関が原の戦いで、
    徳川四天王の一人として抜群の功をたて、この戦いに
    敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、翌年、
    上野の国高崎城から移ってきた。
    その後、城を彦根山に移そうとしたが実現せず病死し、
    慶長8年その子直継が父直政の遺志を受けて築城に
    着手した。
    時の将軍家康は、特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも、
    応援させ、元和8年(1622年)現在の彦根城が完成。
    城地面積75,800坪、周囲一里、高さ約50mの
    彦根山の平城。と。

    (撮影2004年11月7日彦根城、以下同じ)

  • 12 能舞台<br />ふ、ふ、これ、これ、能にも目のない私。<br />何の催しだったかなあ?<br />大名のたしなみのひとつですよね。<br />御成りの時には、欠かせない、接待行事。<br />旅行記のテーマが浮かぶ私。<br />家康、秀忠、家光の三代の能とか。どうでしょう。<br />マイブーム点火?いえいえ、もう鎮火。撤収済み。<br /><br />さて、さて、もう、おしまい。<br />では、また、よろしくお願い致します。

    12 能舞台
    ふ、ふ、これ、これ、能にも目のない私。
    何の催しだったかなあ?
    大名のたしなみのひとつですよね。
    御成りの時には、欠かせない、接待行事。
    旅行記のテーマが浮かぶ私。
    家康、秀忠、家光の三代の能とか。どうでしょう。
    マイブーム点火?いえいえ、もう鎮火。撤収済み。

    さて、さて、もう、おしまい。
    では、また、よろしくお願い致します。

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