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先般、九州国立博物館で見た、前原市平原遺跡の出土品、<br />内行花文鏡が40点(全て国宝!)ある、伊都国歴史博物館を訪ねる。<br />11日、朝博多から博物館に電話する。<br />交通の便甚だ悪し。最寄りの筑肥線の駅から歩いて1時間!<br />タクシー1300円。聞いてみると、周船寺から、コミュニティーバスが、<br />午前中2本!出ているとのこと。何とか10:58発に間に合いそう。<br />地下鉄西新駅から、約20分で、周船寺へ。<br />途中、海の景色を見ながら行く。<br />相変わらず、西部はゆったりして良い。九大学研都市駅の開発は凄い。<br />周船寺付近も古墳は多い。1日車や自転車があれば面白いが、今日はパス。<br />タクシー会社運営のワゴンバスで、「高祖」へ。<br />この辺は、怡土城の土塁がかなりきちんと残っている。<br />朝鮮式山城でなく、吉備真備が中国から学んだ、中国式山城というのがミソである。<br />わかりやすいHPデータがある。<br />下りたのは、この「高祖」バス停。<br />運転手さんが、あそこが博物館と指さしてくれる。<br />http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/kanko/miru-aruku/cat26/post_67.php<br /><br />散歩がてら、行くと、白鷺や青鷺が舞っている。小さな川がいくつかあり、流れがきれいだ。<br />農道に、イタチが飛び出してくる。小動物や昆虫、魚も多いのだろう。<br />本当に自然豊かだ。<br />都市と農村の交流拠点施設というファームパーク伊都国もそばにある。<br />20分で、伊都国歴史博物館へ。帰りのバスを聞くと、<br />13:58まで無い!しょうがないか、ゆっくり見よう。<br />基本的には車で来るところだ。<br />http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/city/bunka/ito-museum/index.htm<br />沖の島出土品や宗像君関連の、<br />~伊都国歴史博物館秋季特別展~『玄界灘を制したもの 伊都国王と宗像君』と、<br />常設展示をみる。津屋崎古墳群は一見の価値がある。<br />あの宮地嶽神社のご神体、宮地嶽古墳の被葬者は「宗像君胸善」とされ、<br />娘は天武天皇の妻とされる。<br /><br />やはり、平原遺跡の内行花文鏡、国宝40点は素晴らしい。<br />もし、この博物館が、もっと交通の便の良いところにあれば、もっと来館者が多いのに、<br />と思うと残念だ。<br />ともかく、じっくり見て、また周りの景色を楽しんで過ごす。<br />帰りに、隣のファームパーク伊都国で、栗、銀杏、ムカゴを買う。<br />ちなみに、この日の夕食は、1980円也の松茸を買い、<br />イカの煮物と、焼いて食べ、翌日、栗ご飯と銀杏を食べ、好評だった。<br />夕食後は、高校後輩のS君やその友人と飲んで楽しい時間を過ごす。<br /><br />翌日は、いよいよ久留米を訪ね、観興寺・高島野十郎の墓へ。<br />西鉄電車で、久留米へ、急行で40分くらい。<br />まず、青木繁の「海の幸」を見に、石橋美術館へ。<br />青木繁は高島野十郎の兄、宇郎の友人で、野十郎も会ったはずだ。<br />ただし、野十郎の青木繁への評価は、厳しい。<br />聞いてみると、郡山市美術館との交換展示で、「海の幸」は無い!とのこと。<br />坂本繁二郎のアトリエや庭園の花を観賞して、いよいよ観興寺へ。<br />西鉄久留米とJR久留米駅はかなり離れているので、バスでJRへ。<br />久留米ラーメンは、午後に!<br />11:12発久大線湯布院行きで、「善導寺」へ。270円なり。<br />無人駅。歩いている人に聞いて、一路観興寺へ。耳納山麓へ歩く。<br />本当に静かなところ。前原も良いけど、久留米もいいな。<br />30分ほどあるいて、観興寺へ。<br />山門そばに、高島野十郎の墓が。説明書きもある。<br />立派な墓である。合掌!<br />階段を上り、本殿にも参る。木の実や葉っぱを拾い、記念にする。<br />帰り道、カラスウリ、柿がなっている。<br />やはり、野十郎にとって身近な題材だったのだ。銀杏も拾う。<br />帰りは、行きに確認したバス停「山本」から、12:39発JR久留米行きに乗り、<br />西鉄久留米へ。430円也。<br />下りると、明善高校同窓会の案内で、至る所OBの姿が。<br />同窓会案内立て看が至る所に。明善、南筑、筑水高・・。<br />筑後地区は、秋が大同窓会シーズンなのだ。<br />高島野十郎も旧制明善中学出身である。<br /><br />駅近くで久留米ラーメンを食べる。大盛り580円。量は十分。<br />しかし、ちょっとコクに欠ける、豚骨ラーメンだ。<br /><br />14時前の特急で天神まで。<br />時間あるので、福岡県美術館へ。<br />コレクション展2 特集「福岡の工芸とデザイン」で、<br />高島野十郎の6点が展示されている。<br />http://fpmahs1.fpart-unet.ocn.ne.jp/cont_j/topics/topics_det1_10.php?TOPICS_ID=178<br />特に「海辺の秋花」が今回印象深かった。<br />一種、シュールである。<br />写実を突き詰めた、野十郎の世界の広がりを感じさせる作品だ。<br />

伊都国歴史博物館~久留米市観興寺・高島野十郎の墓~高島野十郎作品

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2008/10/11 - 2008/10/12

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尾瀬リピーター

尾瀬リピーターさん

先般、九州国立博物館で見た、前原市平原遺跡の出土品、
内行花文鏡が40点(全て国宝!)ある、伊都国歴史博物館を訪ねる。
11日、朝博多から博物館に電話する。
交通の便甚だ悪し。最寄りの筑肥線の駅から歩いて1時間!
タクシー1300円。聞いてみると、周船寺から、コミュニティーバスが、
午前中2本!出ているとのこと。何とか10:58発に間に合いそう。
地下鉄西新駅から、約20分で、周船寺へ。
途中、海の景色を見ながら行く。
相変わらず、西部はゆったりして良い。九大学研都市駅の開発は凄い。
周船寺付近も古墳は多い。1日車や自転車があれば面白いが、今日はパス。
タクシー会社運営のワゴンバスで、「高祖」へ。
この辺は、怡土城の土塁がかなりきちんと残っている。
朝鮮式山城でなく、吉備真備が中国から学んだ、中国式山城というのがミソである。
わかりやすいHPデータがある。
下りたのは、この「高祖」バス停。
運転手さんが、あそこが博物館と指さしてくれる。
http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/kanko/miru-aruku/cat26/post_67.php

散歩がてら、行くと、白鷺や青鷺が舞っている。小さな川がいくつかあり、流れがきれいだ。
農道に、イタチが飛び出してくる。小動物や昆虫、魚も多いのだろう。
本当に自然豊かだ。
都市と農村の交流拠点施設というファームパーク伊都国もそばにある。
20分で、伊都国歴史博物館へ。帰りのバスを聞くと、
13:58まで無い!しょうがないか、ゆっくり見よう。
基本的には車で来るところだ。
http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/city/bunka/ito-museum/index.htm
沖の島出土品や宗像君関連の、
~伊都国歴史博物館秋季特別展~『玄界灘を制したもの 伊都国王と宗像君』と、
常設展示をみる。津屋崎古墳群は一見の価値がある。
あの宮地嶽神社のご神体、宮地嶽古墳の被葬者は「宗像君胸善」とされ、
娘は天武天皇の妻とされる。

やはり、平原遺跡の内行花文鏡、国宝40点は素晴らしい。
もし、この博物館が、もっと交通の便の良いところにあれば、もっと来館者が多いのに、
と思うと残念だ。
ともかく、じっくり見て、また周りの景色を楽しんで過ごす。
帰りに、隣のファームパーク伊都国で、栗、銀杏、ムカゴを買う。
ちなみに、この日の夕食は、1980円也の松茸を買い、
イカの煮物と、焼いて食べ、翌日、栗ご飯と銀杏を食べ、好評だった。
夕食後は、高校後輩のS君やその友人と飲んで楽しい時間を過ごす。

翌日は、いよいよ久留米を訪ね、観興寺・高島野十郎の墓へ。
西鉄電車で、久留米へ、急行で40分くらい。
まず、青木繁の「海の幸」を見に、石橋美術館へ。
青木繁は高島野十郎の兄、宇郎の友人で、野十郎も会ったはずだ。
ただし、野十郎の青木繁への評価は、厳しい。
聞いてみると、郡山市美術館との交換展示で、「海の幸」は無い!とのこと。
坂本繁二郎のアトリエや庭園の花を観賞して、いよいよ観興寺へ。
西鉄久留米とJR久留米駅はかなり離れているので、バスでJRへ。
久留米ラーメンは、午後に!
11:12発久大線湯布院行きで、「善導寺」へ。270円なり。
無人駅。歩いている人に聞いて、一路観興寺へ。耳納山麓へ歩く。
本当に静かなところ。前原も良いけど、久留米もいいな。
30分ほどあるいて、観興寺へ。
山門そばに、高島野十郎の墓が。説明書きもある。
立派な墓である。合掌!
階段を上り、本殿にも参る。木の実や葉っぱを拾い、記念にする。
帰り道、カラスウリ、柿がなっている。
やはり、野十郎にとって身近な題材だったのだ。銀杏も拾う。
帰りは、行きに確認したバス停「山本」から、12:39発JR久留米行きに乗り、
西鉄久留米へ。430円也。
下りると、明善高校同窓会の案内で、至る所OBの姿が。
同窓会案内立て看が至る所に。明善、南筑、筑水高・・。
筑後地区は、秋が大同窓会シーズンなのだ。
高島野十郎も旧制明善中学出身である。

駅近くで久留米ラーメンを食べる。大盛り580円。量は十分。
しかし、ちょっとコクに欠ける、豚骨ラーメンだ。

14時前の特急で天神まで。
時間あるので、福岡県美術館へ。
コレクション展2 特集「福岡の工芸とデザイン」で、
高島野十郎の6点が展示されている。
http://fpmahs1.fpart-unet.ocn.ne.jp/cont_j/topics/topics_det1_10.php?TOPICS_ID=178
特に「海辺の秋花」が今回印象深かった。
一種、シュールである。
写実を突き詰めた、野十郎の世界の広がりを感じさせる作品だ。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JRローカル 私鉄

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  • 地下鉄姪浜駅。<br />昔は「寒村」的地域でしたが、<br />すっかり高級マンション村となりました。

    地下鉄姪浜駅。
    昔は「寒村」的地域でしたが、
    すっかり高級マンション村となりました。

  • 周船寺駅付近。<br />長閑な風景、福岡市内から30分で、<br />こんな地域に来ます。<br />コスモスが咲いています。

    周船寺駅付近。
    長閑な風景、福岡市内から30分で、
    こんな地域に来ます。
    コスモスが咲いています。

  • 周船寺駅案内。<br />古墳の宝庫です。<br />今回はパス。

    周船寺駅案内。
    古墳の宝庫です。
    今回はパス。

  • 怡土城跡。土塁がきちんと残っています。<br />朝鮮式山城の大野城は、<br />高校の時回りましたが、怡土城はまだ。<br />次の機会に。

    怡土城跡。土塁がきちんと残っています。
    朝鮮式山城の大野城は、
    高校の時回りましたが、怡土城はまだ。
    次の機会に。

  • 怡土城(いとじょう)跡の土塁。下記のHP参照<br />http://www.yado.co.jp/tiiki/itokan/itozyo/itozyo.htm<br /><br />「怡土城跡は福岡市との境にそびえる高祖山(たかすやま)の西斜面に築かれた山城の跡です。この山城は「続日本書記」に756年(天平勝宝8年)6月から768年(神護景雲2年)年2月まで約12年を要して完成したと記されていて、築城の責任者は大宰府の長官であった吉備真備(きびのまきび)でした。」<br />

    怡土城(いとじょう)跡の土塁。下記のHP参照
    http://www.yado.co.jp/tiiki/itokan/itozyo/itozyo.htm

    「怡土城跡は福岡市との境にそびえる高祖山(たかすやま)の西斜面に築かれた山城の跡です。この山城は「続日本書記」に756年(天平勝宝8年)6月から768年(神護景雲2年)年2月まで約12年を要して完成したと記されていて、築城の責任者は大宰府の長官であった吉備真備(きびのまきび)でした。」

  • 向こうに、可也山(糸島富士)が見えます。<br />標高365メートル、東西約4キロメートル、南北約2キロメートルの独立峰。

    向こうに、可也山(糸島富士)が見えます。
    標高365メートル、東西約4キロメートル、南北約2キロメートルの独立峰。

  • 伊都国歴史博物館。<br />原田大六氏が、館長だった歴史資料館が前身で、<br />ここまで立派になりましたが、<br />アクセスをしっかり考えるべきでしょう。

    伊都国歴史博物館。
    原田大六氏が、館長だった歴史資料館が前身で、
    ここまで立派になりましたが、
    アクセスをしっかり考えるべきでしょう。

  • 原田大六氏銅像。<br />何と言っても、平原遺跡発掘の功労者。<br />『邪馬台国論争』は名著だと思います。<br />彼は、近畿説らしいですが。それも面白い

    原田大六氏銅像。
    何と言っても、平原遺跡発掘の功労者。
    『邪馬台国論争』は名著だと思います。
    彼は、近畿説らしいですが。それも面白い

  • ファーム横のきれいな川。<br />鯉、ハヤがいました。<br />福岡市内も含め、川がきれいになりました。<br />

    ファーム横のきれいな川。
    鯉、ハヤがいました。
    福岡市内も含め、川がきれいになりました。

  • 博物館前の栴檀並木。<br />実がたくさん落ちていました。<br />お聞きすると、昔は油をとっていたそうです。

    博物館前の栴檀並木。
    実がたくさん落ちていました。
    お聞きすると、昔は油をとっていたそうです。

  • 石橋美術館。「明治11年11月11日、旧久留米藩士が福島県郡山・安積地方に入植しました。この安積開拓がとりもつ縁で始まった郡山市と久留米市の交流は、1975(昭和50)年の姉妹都市提携を機にさらに深まっています。」とのことで、「久留米藩士郡山入植130年を記念して、郡山市立美術館と石橋美術館の交換展として開催」され、「海の幸」は観覧できず。

    石橋美術館。「明治11年11月11日、旧久留米藩士が福島県郡山・安積地方に入植しました。この安積開拓がとりもつ縁で始まった郡山市と久留米市の交流は、1975(昭和50)年の姉妹都市提携を機にさらに深まっています。」とのことで、「久留米藩士郡山入植130年を記念して、郡山市立美術館と石橋美術館の交換展として開催」され、「海の幸」は観覧できず。

  • 坂本繁二郎アトリエ。<br />「石橋美術館は、久留米出身の洋画家・坂本繁二郎(1882-1969)の作品を多く所蔵しています。その坂本が実際に使っていたアトリエが、石橋文化センターの園内にあります。1980年(昭和55年)に八女市から移築されたものです。2007年12月に保存修理工事を終え」て、立派になっています。<br />勿論、高島野十郎のアトリエは、何処にもありませんが、その跡はいずれ訪ねるつもりです。

    坂本繁二郎アトリエ。
    「石橋美術館は、久留米出身の洋画家・坂本繁二郎(1882-1969)の作品を多く所蔵しています。その坂本が実際に使っていたアトリエが、石橋文化センターの園内にあります。1980年(昭和55年)に八女市から移築されたものです。2007年12月に保存修理工事を終え」て、立派になっています。
    勿論、高島野十郎のアトリエは、何処にもありませんが、その跡はいずれ訪ねるつもりです。

  • 善導寺駅。<br />無人駅です。静かなたたずまいです。<br />駅近くでおじさんに、寺を聞きました。

    善導寺駅。
    無人駅です。静かなたたずまいです。
    駅近くでおじさんに、寺を聞きました。

  • 観興寺も、周辺案内にしっかりありました。<br />30分はかかるなと思いましたが、<br />当たりでした。

    観興寺も、周辺案内にしっかりありました。
    30分はかかるなと思いましたが、
    当たりでした。

  • 耳納山麓まで来ました。<br />向こうに、観興寺が見えます。<br />静かなところです。<br />ずっと軽い登りでした。

    耳納山麓まで来ました。
    向こうに、観興寺が見えます。
    静かなところです。
    ずっと軽い登りでした。

  • 観興寺の由来。由緒のある大変古いお寺であることが<br />わかります。生涯空海の著作を学んだ、野十郎に、<br />相応しい、地元のお寺です。「寺伝によると白莖年間(650〜654)草野太郎常門が、豊後国串川山中(現日田市)で霊示をうけ、榧の大木で千手観音像を彫らせ、これり濳ったのが始まりといい、天智天皇より、庄田75町と「観興寺」の勅額を賜りました。<br />草野永平が、土佐将監光信に描かせたという絹本著色観興寺縁起二幅(重要文化財)があります。」<br />http://www.kttnet.co.jp/kurume-convention/category/00026.htm<br />

    観興寺の由来。由緒のある大変古いお寺であることが
    わかります。生涯空海の著作を学んだ、野十郎に、
    相応しい、地元のお寺です。「寺伝によると白莖年間(650〜654)草野太郎常門が、豊後国串川山中(現日田市)で霊示をうけ、榧の大木で千手観音像を彫らせ、これり濳ったのが始まりといい、天智天皇より、庄田75町と「観興寺」の勅額を賜りました。
    草野永平が、土佐将監光信に描かせたという絹本著色観興寺縁起二幅(重要文化財)があります。」
    http://www.kttnet.co.jp/kurume-convention/category/00026.htm

  • 墓の説明文、大変丁寧です。<br />「観興寺にある野十郎の墓碑は、昭和63年 ( 1988 ) 、野十郎の実弟である 重松喜六氏の長男 重松善彦氏と、長女京都光子氏によって建立されたもので、<br />碑石の文字は、野十郎の自筆だそうです。」<br />http://blog.baliyoka.net/archives/50137050.html

    墓の説明文、大変丁寧です。
    「観興寺にある野十郎の墓碑は、昭和63年 ( 1988 ) 、野十郎の実弟である 重松喜六氏の長男 重松善彦氏と、長女京都光子氏によって建立されたもので、
    碑石の文字は、野十郎の自筆だそうです。」
    http://blog.baliyoka.net/archives/50137050.html

  • 市川霊園とは違う堂々たるお墓です。<br />市川のお骨を分骨したそうです。

    市川霊園とは違う堂々たるお墓です。
    市川のお骨を分骨したそうです。

  • これが9月に訪ねた、市川霊園の墓。<br />芸大の方に作ってもらったとか。

    これが9月に訪ねた、市川霊園の墓。
    芸大の方に作ってもらったとか。

  • 野十郎の自筆の文章が彫られています。<br /><br />「足音を立てず 靴跡を残さず  空気を動かさず  寺門を出る  さて 袖を拂ひ 裳をたたひて去り 歩○行く  明々朗々遍無方」<br /> <br />○はーで、何と読むのでしょう。「歩み行く」でしょうか。

    野十郎の自筆の文章が彫られています。

    「足音を立てず 靴跡を残さず  空気を動かさず  寺門を出る  さて 袖を拂ひ 裳をたたひて去り 歩○行く  明々朗々遍無方」
     
    ○はーで、何と読むのでしょう。「歩み行く」でしょうか。

  • 墓石の横面には、野十郎の本名、<br />分骨、建碑の日、<br />親族の名が記されています。<br /><br />本名 弥寿、字光雄 とあります。<br />

    墓石の横面には、野十郎の本名、
    分骨、建碑の日、
    親族の名が記されています。

    本名 弥寿、字光雄 とあります。

  • 観興寺本堂。<br />お参りしました。あくまでも閑かです。<br />

    観興寺本堂。
    お参りしました。あくまでも閑かです。

  • 寺近くになっているカラスウリ。<br />いいですね。落ちていたのを拾いました。<br />

    寺近くになっているカラスウリ。
    いいですね。落ちていたのを拾いました。

  • こちらは柿です。<br />銀杏も落ちていました。

    こちらは柿です。
    銀杏も落ちていました。

  • 福岡県立美術館のチケット。<br />6点の展示がありました。<br />常設展示を30点くらいしてもらえないでしょうか。<br />お願いします。<br />http://fpmahs1.fpart-unet.ocn.ne.jp/cont_j/topics/topics_det1_10.php?TOPICS_ID=178

    福岡県立美術館のチケット。
    6点の展示がありました。
    常設展示を30点くらいしてもらえないでしょうか。
    お願いします。
    http://fpmahs1.fpart-unet.ocn.ne.jp/cont_j/topics/topics_det1_10.php?TOPICS_ID=178

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