2008/07/19 - 2008/07/21
44位(同エリア64件中)
山菜迷人さん
1.自衛隊の演習に遭遇
飲んで帰って風呂にも入らずにベットに沈没したものだから、朝は、早く目が覚めた。風呂の用意をして、ゆっくり風呂に入る。7時から1階のレストラン料理天国で朝食バイキング。河豚の干物や雑魚の山椒煮、蒟蒻のピリ辛煮、卵焼き、などで、琵琶湖ならでは今津ならではの食材が無かったのが残念だが普通に旨い。
食事をしながら、窓の外を何かが横切った気がして、ふと外を見ると100人ほどの自衛隊員が宿と琵琶湖の間にある公園にたむろしている。小銃やバズーカ砲のようなものまで、兵器を装備した100人の迷彩服の集団に空恐ろしさを感じたのは、僕だけだったのだろうか。そういえば、ここ高島市今津には、陸上自衛隊第3特科連隊の大隊駐屯地があり、バズーカ砲が民家の軒先に届くような市街地演習が行われていることが問題となりニュースとなったことがあった。今日もどうやら徒歩訓練をこの地域でやるようである。たぶん空砲なのだろうが、朝飯を食っている僕の方に銃口が向くのは気持ちのいいものではない。そそくさと朝飯をすませて部屋に戻る。西の窓から外を見ると、ホテル北側の用水路の向こうを80人くらいと思われる一団が等間隔で歩いている。地元の人たちはこの風景をどのように見ているのだろうか。憲法9条を改悪しようという政府の動きを考えると、戦争と無縁だった戦後日本の平和がもろくも崩れていくのではないかという恐怖と、眼前の武装した自衛隊の訓練風景が重なり思わず身震いし慌てて窓を閉めた。
ちょっと暗い気持ちになったが、気を取り直し、今日の計画を練り直すことにした。
2.今津浜~奥琵琶湖
もとの計画では、今日は来た道を大津まで戻り、紫式部縁の石山寺を散策する予定だったが、急に思いついて、
「そうだ!琵琶湖を一周しよう。」
と決意した。進行方向が違うので、目の前の景色は違って見えるのかもしれないけれど、来たところを戻るのでは能がない。日本一の湖をこの際一回りするのも良いかもしれないと思ったのだった。
ホテルを出て、湖岸道路に出、今津浜で松林の中に車を止め琵琶湖の自然を楽しむ。花の写真を撮り、トノサマガエルを追いかけしていたら、あやうく蛇を踏みそうになってドキッとした。体長1メートル50センチくらいはあったろうか、大きなシマヘビである。僕が佇んでいると、茂みの中に姿を消した。僕がおなかの中にいる時に、お袋さんが蛇に驚いたことがあり、そのせいかどうか定かではないが、僕は蛇が苦手である。蛇から逃げるように今津浜に別れを告げ、奥琵琶湖をめざす。
マキノ町に入ると何故だか寺が多く、萬明寺、蓮光寺、誓行寺、願慶寺、最勝寺などの寺名を見つけることができる。今津のあたりは平野が広がっていたけれど、マキノまで来ると、山が湖岸線まで迫ってきており、道は右に左にうねり見通しの悪いカーブが続く。所々、道幅広くなっているところなどに車が止められているが、Basser達がバス釣りに興じ、陸っぱりにボート、思い思いのスタイルで竿を振っている。時々、生簀のような網の仕掛けが見えるが、湖魚を料亭にでも卸しているのだろうか。
大浦を過ぎると湖岸道路は奥琵琶湖パークウェイと呼ぶらしい。大きな湾の中に本格的な生簀がしつらえてあり、船で乗りつけて何かの作業をしているのが見える。湖面の青、山の緑、湖面に映る雲の白、白い船、静かな、静かな風景である。やがて、湖岸の菅浦の集落に入る道と九十九折れの山道に入る分岐に出る。迷わず山に向かう道に入る。この道は一方通行になっており、僕はまっすぐ進むので問題はないんだけれど、上まで登ってまた、こちらに下りてきたい人はどうすればいいのだろうかと心配になる。いくつかのカーブを曲がったところで琵琶湖側の視界が開け、菅浦の集落を見下ろすことができた。この山深い里の人たちは、厳しい冬をどう過ごすのだろうか。集落の外に仕事に行っているのだろうか。それとも、漁業で生計を立てているのだろうか。美しい風景の背後に冬の厳しい顔を持っているであろうこの地の暮らしに、僕の心が何故か少しだけチクッとした。
突然目の前が開けて駐車場があらわれる。トイレや土産物売り場もあって、車やバイクがけっこう停まっているので驚いた。だって、ここまで登ってくる間、ほとんど車に会わなかったのだから。琵琶湖に向かって半島のように突き出た山上のこの場所は背後の山側を除いてぐるりと見渡せる眺望が素晴らしい。海のように見えるけれど、ここは海ではない。まず、波が違う。大きなうねりもない。でもこの広さは、まるで海だ。琵琶湖って本当に大きいんだなぁ。
3.水鳥公園
余呉湖を回ろうかと思ったが、彦根で天寧寺、彦根城に登る予定なので、先を急ぐことにして、湖北町の水鳥公園に向かうことにした。もっとも、この時期はあまり野鳥の種類は多くない。それでも、ヒクイナなど夏鳥に会えることに期待して回ってみることにした。
とにかく暑い。湖岸道路の脇に駐車場を見つけ、できるだけ木陰になりそうな所にラウム君を停める。
滋賀の県政eしんぶんの7月8日付で、琵琶湖から新属、新種の原生生物発見のニュースを見た。「県立琵琶湖博物館、オーストリア・ザルツブルク大学、宮城教育大学の研究グループが、琵琶湖から新種の繊毛虫(原生生物:ゾウリムシの仲間)を発見し、新属、新種として、国際原生生物学会が発行する学術雑誌、ジャーナル・オブ・ユーカリオティック・マイクロバイオロジー(Journal of Eukaryotic Microbiology)に報告しました。」というもの。
「この研究班が、繊毛中の形態や遺伝子の解析を行ったところ、後部の棘がないことや、尾部の繊毛の数が平均7本多いこと、リボゾーマルRNAの遺伝子配列が他のコレプス科の属と異なることから、新属、新種であると判断し、レビコレプス・ビワエ(学名Levicoleps biwae Foissner, Kusuoka and Shimano, 2008)と命名しました。」ということである。
この日も、若き研究者と思しき二人が、チェストハイウェーダーを着用して、目の細かい網を持って湖内を歩きながら何かをすくっていた。「もしかしたら、先の研究グループかな?」などと思ったのだった。
琵琶湖が形成された時期は約400万~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であり、これがしだいに北へ移動し比良山系によって止められ、現在の位置に固定した。バイカル湖、タンガニーカ湖に次いで世界で3番目に古い古代湖であると目されているのだ。もしかしたら、琵琶湖の深い底に、いまだ発見されず、それでもしっかり生き残った古代の生物たちが、まだまだたくさん生息しているのかもしれない。
カイツブリが潜って小魚を追い、思いがけないところに浮き上がって、また潜るという作業を根気よく続けている。湖面をシオカラトンボが飛び、葦の穂先で羽を休め、遠くの黒っぽい色の柵にカワウがとまっている。うだるような暑さ。時間の流れもこの暑さでメルトダウンしてしまったのではないかと思えるほどだ。中州や小島の景観を楽しみ、彦根に向かう。
4.天寧寺の五百羅漢に身近な人の顔を発見
彦根で最初に立ち寄ったのは、里根町の五百羅漢で有名な天寧寺。この寺の縁起は、慈悲無情の出来事から始まる。
彦根城主井伊直中公の耳に、ある日、男子禁制の欅御殿の腰元、若竹が子供を宿しているといううわさが届く。直中公が相手の名を問いただすが口を割らない若竹。業を煮やした直中公は若竹を手打ちにしてしまう。その後、若竹の相手が自分の息子であり、お腹の子は自分の初孫であったことが判明する。直中公は自分の行いを悔い、井伊家菩提寺清涼寺、寂室堅光禅師の指導の下、追善供養のため、京仏師駒井朝運に刻ませて後百羅漢を安置し、天寧寺としたのである。
「亡き親、子供、愛しき人に会いたければ天寧寺に籠れ。」と云われる程、必ず自分の探し求める人の顔があるという、五百羅漢が並ぶ羅漢堂に入る。入口を入るとすぐ右手に羅漢が並ぶ。そして、中央の広間に出ると、南面は背丈ほどの障子が閉じられているが、残りの3面には、びっしりと羅漢さんが並ぶ。そして中央にはお釈迦様とその弟子たちの仏像が一段高い所に鎮座している。
広間の中央に座して、ゆっくりと羅漢さんのお顔を見せていただく。確かに、一体ごとに顔つきも表情も異なり、見ているうちに、
「あ~っ!須田さんに似てる!」
と、しばらく会っていない先輩の顔を思い出したりする。しばらく、一人ひとりの羅漢さんに友人・知人を重ね合わせて楽しむ。なかなか飽きのこない作業なんだけれど、お腹もすいてきたので、羅漢堂を出て、とりあえず境内を一回りすることにして、羅漢堂の裏手に回り込むと、何とも派手な布袋さんがいた。かなり恰幅の良い方で、右手に軍配をもち、笑い顔(ちょっと不気味さものぞかせる・・・)、立膝姿で腰を下ろしている。元は金色に輝いていたのだろうが、参拝客に撫でられたものか、お腹や足は黒光し、周囲ぐるりに五色の幕が張られ、両側に『布袋尊』と書かれた赤い神前用提灯が下げられている。
布袋さんの見ている方向には枯山水の庭園があり、白い砂に箒で波を表す筋目が引かれ陸を表す石が置かれている。その配列がなんとも妙味を出している。枯山水の向こう側は開けており、彦根城を遠望することができた。
桜田門外の変で落命した大老井伊直弼の血染めの衣装が四斗樽に収められ埋められているという供養塔、仏さまの足形が刻まれ仏足石、手の入っていない草むらに鬼ゆりが咲いてい、そのオレンジの大輪の花が印象的だった。
5.金亀城登城編
(1)八景亭のこと
天寧寺の境内を一通り見て回って、彦根城、別名金亀城(こんきじょう)に向かう。どこかで昼飯を食おうと思うのだが、なかなか適当なところが見つからない。しかも、駐車場がどこもいっぱいで・・・、2周して『玄宮園』の隣にある桜場駐車場に車を止め、八景亭に寄ってみようと歩いて行ったのだけれど、入口に仲居さんがおり、
「御昼食は、お一人10,000円ですけど・・・」
僕の姿を見ていぶかしげに聞いてきた。ちなみに、その時のいでたちは、ハーフパンツにピンクのTシャツ、竹の皮製の雪駄、手荷物の入ったカバンを肩から提げ・・・、まあ、上客には見えなかったのかな。まあ、それはそれで良いんだけれど、ちょっとカチンと来たので、
「かまいませんよ。」
と返事して中に入ろうとする。
「すいません、お一人ですか?」
「そうですよ。」
「申し訳ありませんが、御昼食はお二人様からお受けしているんです・・・。」
「わかりました。それならもういいです。」
と辞したのであります。
何とも気分の良くない店でした。表のお品書きのところにでも、「御昼食二名様よりお受けいたしております。」くらいのことを書いておくとか、配慮がいりますよね。でも、何で二人何のかなぁ。効率よく稼ごうという商魂から来るのかなぁ。時々一人旅に出る僕は、
「一人旅を差別するなぁ!」
と、シュプレヒコールの一つもあげて、糾弾したいところではあったが、まあ、それほどのことでもないか。食事はあきらめて、表門から天守閣を目指す。
(2)天秤櫓前売店の旨いうどんのこと
気温34度。ちょうど一番暑い時間帯に差し掛かろうかという午後1時、僕は彦根城に上る坂道を、汗をかきながら登っていく。二の丸のところの入門ゲートから 天秤櫓まで、道のりは大したことはないのだけれど、かなりの急傾斜であり、昔、武士は出勤のために、重い刀を腰にさして、ここを登ったり降りたりしていたのかと思うと、
「あなたたちは凄いですね。」
と古人(いにしえびと)に労いの声をかけたくなる。
天秤櫓の下をくぐり左へ回り込みながらさらに石段を登ると、天秤櫓を渡っていよいよ本丸にはいっていくというところに、売店がある。昼飯を食っていないのだけれど、暑くて食欲がいまいちわかないのだが、『うどん』、『蕎麦』の幟に引き寄せられるように売店に近づくと、売店のおばさんが、
「いらっしゃいませ。どうぞ!お席は空いていますよ。」
と声をかけてきたので、思わず
「では、笊うどんをください。」
と答えてしまった。
正直言って、ほとんど青天井で、申し訳程度に扇風機が回っているだけのこの店で、旨いうどんが食えるとは思っていなかった。ところが、である。よく冷えたコシのある麺、汗をかいて不足気味の塩分を補給するに十分な適度に出汁の利いた麺汁、刻みネギにワサビ、旨いではないか!
確かに、?腹が減りすぎるくらい減っており、?しかし、暑くて食欲がわかず、?これから本丸に上りさらに場内を散策するエネルギーの補給が必要だ、という僕の側の主体的条件が、その店のうどんを普通以上に旨く感じさせたかもしれないという可能性は否定できないが、店先で愛想を振りまくおばさんと、ご主人かどうか定かではないが、客の注文に合わせて料理を出してくるおじさんの絶妙のコンビネーションと、美味しく食べてもらおうという気持ちが伝わる店である。
こうなると、八景亭さんに追い返された(ちょっと言い過ぎですが・・・。)ことに感謝しなければならないね。何せ、気持ち良くうどんを食べて、500円で済んだのだから。八景亭に入っていたとすれば、1万円の『豪華御昼食』だったのだろうが、この天秤櫓の笊うどんほど感動的な旨さを味わうことはできなかったと思うのである。
(3)天守閣にあがる
売店を後にし、天秤櫓に向かう廊下橋を渡る。天秤櫓はこの廊下橋を中心に左右対称に建てられており、天秤のような形をしていることから天秤櫓と呼ばれている。日本の城郭でこの形式の櫓があるのは、この彦根城だけである。天秤櫓を抜けるとまた坂道となり、途中に時報鐘がある。城全体に響き渡るようにと鐘の丸より移設されたそうで、今でも定時に鐘がつかれ、日本の音風景百選(彦根城の時報鐘と虫の音)に選ばれているのである。時報鐘の左手に聴鐘庵があり、時報鐘を見上げる縁台で、薄茶をいただくことができる。
時報鐘を過ぎ、石段をのぼりつめたところに本丸への最後の関門である太鼓門櫓(重要文化財)がある。この櫓は東側の壁がなく、柱の間に高欄をつけ廊下にしている。登城合図用の太鼓の音を響かせるために考案されたのではないかといわれている。太鼓門を過ぎるといよいよ彦根城本丸である。
この彦根城、別名を金亀城というのにはわけがある。彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像安置されていたためだという。この観音様について、「扶桑略記」に、次のような謂れが書いてある。
摂津の徳満という僧が両目の視力を失い、長谷寺で祈願したところ夢に老僧があらわれ「彦根山西寺の観音に祈願するならば、三日のうちに験がある。」と告げた。徳満は拝謝して承暦3(1079)年3月9日彦根山西寺にきて祈願したところ、三日目の戌の刻に至り両目が忽ち開き、仏前の灯明を見ることができた。この噂が京に広まり、その年は白河上皇や大臣をはじめ多くの人が彦根山観音に参詣し大いに賑わったという。
天守は姫路城、松本城、犬山城とともに国宝四城の一つである。屋根様式が巧みに組み合わされた美しい城だ。この彦根城は将軍徳川家康の命により、佐和山城を一掃するため、慶長8(1603)年に着工され、天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築、石垣や用材などを佐和山城、安土城などからも運び、20年もの年月を要とした大工事の末、1622年に完成したとされている。
天守に入ると、梁などの構造を見ることができる。直線的な梁ではなく、曲がった巨木が使われているのだが、それは、この工事を受けた匠の手仕事によるもので、腕を自慢したものだといわれている。
天守の構造を楽しみながら急階段を登り、玄宮園を上から眺め、堀を行く観光船を見送り、徳川譜代の井伊氏35万石の居城を、眼で、耳で、触って、十分堪能した。天守から西の丸、三重櫓(重要文化財)の中を見せてもらう。三重櫓の向こう側は空堀になっており、10メートル以上に及ぶ石垣の上に、敵の侵入を拒むようにこの櫓は建てられている。西の丸一帯は桜などの木がたくさん植えられており、木陰でしばし休憩。天守の裏手に当たり、三重櫓の向こうは長坂という天守へあがる経路では一番長い道ということもあり、西の丸に足を伸ばしてくる人はあまり多くない。江戸時代には武士たちが跋扈したであろう城郭の木立の中に一人でいると、木陰の中を渡る一陣の風と共にひょっこりと武士達が現れるような時代の気配を感じた気がしたのだった。
(4)名勝玄宮園
長坂を降り玄宮園に入る。食事を断られた八景亭の近くに、玄宮園の入口がある。彦根城の北東にある大名庭園で、中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模して作られた縮景園で、第四代藩主直興が延宝5(1677)年に造営したものだという。八景亭は、この玄宮園を愛でながら食事をすることができるんだね。
国宝の天守を借景とし、4つの島と9つの橋がかかり、畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭と趣のある建物が並んでいる。僕の記憶が確かならば、映画『大奥』のロケに使われたはずだ。
名庭をゆっくり歩いて楽しむ。でも、暑い。こりゃぁたまりませんな。涼しいところに避難しようと、博物館に向かう。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
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ホテルの4階の僕の部屋から見た南西方向の風景
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同じく西側の景色。駐車場には愛車のラウム君が停まっているのが見える。長閑な田舎町という感じが良いでしょう。
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で、ラウム君の周りを拡大してみました。
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北西方向を写しています。この方向、奥の方に自衛隊の駐屯地があります。
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自衛隊の皆さんの市街地訓練
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ホテルの前の大通りを北の方向に曲がって行軍していきます。どこまで行くんでしょうね。
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今津浜で自然と戯れます。
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ボートでバス釣りを楽しむ人がいる。それにしても、水平線ですよ。これで湖なんだから、やっぱり琵琶湖ってすごいですね。
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今津浜の木陰に車を止め、花の写真やトンボを追う。
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水辺にアゲハ蝶が水を飲みに来ている
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花の写真を撮るのは好きなのだけれど、名前を調べるのが一苦労。
この黄色い花は、その花よりも、ハート型のその葉っぱから特定できる。
カタバミ科のカタバミである。カタバミは、紫や白、ピンクなど花の色も色々なのだ。
カタバミは酢漿草(サクショウソウ)という生薬でもあり、搾り汁は虫さされに効く。生薬名に酢の字がつかわれているが、葉は、シュウ酸を含み酸っぱい。
繁殖力が強く一度根付くと絶やすことが難しいことから、子孫繁栄の縁起を担ぎカタバミの葉を模った家紋に使われており、戦国大名の長宗我部元親を輩出した土佐長宗我部家の『七つ酢漿草』や新陰流である上泉信綱の『酢漿草』・徳川氏譜代の酒井氏の『剣酢漿草』『丸に酢漿草』など、酢漿草紋を家紋とする戦国大名・武将も多い。 -
たくさん群生しているこの花は?
ツルナ科の松葉菊です。湖岸の松林の中に自生していました。 -
紫露草
染め物の下絵を書くときにこの花の色素を使う。小学校の時に、この花を絞って、染め物を作ったか青い色素で布に絵を描いたか、そんな授業があったと記憶している。 -
紫露草 その2
日本的な花だと思っていたら、北米原産なんですね。渡来時期も明治期ということでそんなに歴史は古くない。にもかかわらず全国各地に繁殖している。生命力の強い花なんだな。 -
殿様バッタかな?
いえいえ違います。
ショウリョウバッタでした。 -
糸トンボだと思って撮影したけれど、腹部に物差しの目盛りのような環状斑が見えるので、モノサシトンボのようだね。
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入り江を回りこんだところで対岸のマキノの街
背の高い木立はたくさんあった各寺かもしれない。 -
大きな生簀がこしらえてある
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右手の光る湖面から左手のブルーにかけてのグラデーションの妙!自然のなせる業だね。
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いかだの上で何の作業をしているのやら
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湖面に映りこんだ雲や青空、漣に歪んでなんともいえない深い味わい。
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湖岸線が美しい。グラマラスな女性の腰の辺りの曲線に似ているかな?曲線美!
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菅浦の集落に夏の日差しが降り注ぐ!暑さが滲んでくるようだね。
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木陰にラウム君を停めた。木漏れ日が痛いほど気温が高い。
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写真ではわからないのだけれど、小島の右手にカワウと思われる黒い水鳥が群れている。
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水草が湖上の道のように蛇行しながら小島の向こうまで続いている。
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水草のアップ
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何を探しているのか
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何を研究しているのか
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湖の中に佇む姿は凛として格好良いね。
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カイツブリが羽を繕う
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思いがけず、近くの水草の中に浮き上がってきた。
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シオカラトンボ
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背景の湖の色
富栄養化し藻類が繁殖。こういう中に、新種の生物がいたのだろうか? -
けだるい昼下がりの琵琶湖
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ヘラオオバコの花だと思うのだが・・・
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前の写真と同じ花。ヘラオオバコの花だと思う。
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天寧寺の境内右手に身の丈3メートル程の、お地蔵さんが立っている。
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五百羅漢
入口をはいって右手の壁に鎮座まします羅漢さんたち。 -
五百羅漢
中央の広間、お釈迦様に向かって左手に鎮座する羅漢さんたち。 -
左手に何かを捧げている
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印を結び、眼は半眼、無精ひげが生えるまで、坐禅の修業に励む羅漢さん
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右手に鈴をもち、何やらお題目を唱えているかのように口を開く羅漢さん
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蒼き衣をまとい、ふくよかな顔立ちの羅漢さん
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いかりや長助さん似の羅漢さん
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中央広間の一段高い台座の上に居並ぶお釈迦様とその弟子たち
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五百羅漢の奉られた裏手に回ると、何とも派手な布袋様がいた。
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五百羅漢がおさめられているお堂の裏手にある枯山水の庭
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枯山水
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反対側から、できるだけ庭全体を写し込もうと思ったら斜めになった。
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井伊大老供養塔
桜田門外の変で花と散った大老の血染めの遺品を四斗樽に入れて、この供養塔の下に祀っているのだ。 -
鬼百合の花が咲いていた。
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仏さまの足形
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彦根城がみえる。
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表門を通って天秤櫓に向かう表坂
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表坂を登り左に向きを変えると天秤櫓の下をくぐる。
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天秤櫓の下をくぐって、天秤櫓方向を振り返った。
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天秤櫓をくぐって左に曲がり石段を登り、売店の前から石段を写す。
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天秤櫓前売店
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天秤櫓前売店でいただいた笊うどん。旨い!
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売店の前から天秤櫓を写す
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天秤櫓を通る観光客
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天秤櫓の上から登ってくる石段を写す
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天秤櫓を抜けるといよいよ本丸エリアである。
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時報鐘
お城全体に時を告げる鐘のが響き渡るのだ。 -
天守の直下、太鼓門櫓手前の最後の曲がり角に灯篭が立つ。
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太鼓門櫓
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太鼓門櫓に向かって登ってくる観光客
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天守の写真その1
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天守の写真その2
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曲がった巨木を上手に加工して梁にしている
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最上階へあがる急な階段
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天守内部の木造壁
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侍たちの控えの間
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天守の窓から
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名カメラマンが天守を狙う
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天守から見た玄宮園
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西の丸
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西の丸三重櫓
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三重櫓の内部
かなり広い -
三重櫓の内部の写真
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三重櫓の中から、空堀の向こう側を写す。
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空掘、そして、10メートル程の垂直の石垣、その上に櫓が立てられ、北からの侵入に対して守りを固めているのだ。
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三重櫓から長坂出口にかかる木橋。木橋のこちら側、写真を撮っている側が出郭である。ここは、『馬出し』の機能を持っている。この石垣は、『井伊年譜』によれば、石工集団として知られる穴太衆(あのうしゅう)が積み上げたものだという。
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長坂を下り、三重櫓方面を見上げる。
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外堀に亀の姿
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亀の近くの草叢に鴨の親子を発見
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この土手の向こう側が外堀
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玄宮園
池の水の色が緑色で気持ち悪い -
池には島と橋がいくつかあり、そのうちの一つ。正面の建物が八景亭かな。
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彦根城を借景に
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玄宮園の建物、山、そして彦根城
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玄宮園の隣の掘割に蓮がびっしりと群生していた。
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彦根城のキャラクター『ひこにゃん』
彦根城博物館では時間を定めて、子供達がひこにゃんと触れ合えるように工夫していた。
それにしても、すごい人気!!
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