2002/10 - 2002/10
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出張で出かけた折の、三保の松原見学です。秋晴れの好天に恵まれ、富士山もくっきりと見えました。
- 交通手段
- 新幹線 自家用車
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三保の松原に向かう、車中からの光景です。地元の方に案内して戴きました。前方に、微かに富士山が見えてきたようです。
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前方に富士山の雄大な姿が見えてきました、この後の三保の松原からの富士山の眺望が楽しみです。
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三保の松原に到着しました。日本新三景、日本三大松原の一つとされ、国の名勝にも選ばれています。
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三保の松原の入口付近の光景です。静岡市清水区の三保半島にある景勝地です。
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三保の松原の案内看板です。日本三景は、松島、天橋立と宮島(厳島)です。大正5年(1916年)に選ばれた日本新三景は、大沼(堰止湖)、三保の松原と耶馬渓です。
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三保の松原に伝わる羽衣伝説を記した立看板です。浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる『羽衣の松』があります。
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三保の松原に向かう石段の光景です。平安時代から親しまれている三保半島の東側に広がる景勝地です。三保半島は、安倍川から海へ流された土砂が太平洋の荒波に運ばれ、日本平を擁する有度山を削りながら出来た砂嘴(さし)です。
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『忘れねや山路打出て清見がた はるかに三保の浦の松原』の和歌が記された立看板です。続古今和歌集に載せられた中務郷親王の歌です。続古今和歌集(しょくこきんわかしゅ)は、鎌倉時代の20巻の勅撰集です。中務郷親王は、尊良親王(たかよししんのう、たかながしんのう:1310?〜1337年)を指すようです。後醍醐天皇(1288〜1339年)の皇子です。
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清水市教育委員会名の『名勝・三保の松原』のタイトルがあった説明看板です。大正5年(1916年)に日本新三景に選ばれたことなどが紹介されていました。
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『羽車(はぐるま)神社』の石の鳥居と小さな社の光景です。創建年は不明ですが、御穂(みほ)神社の離宮とされます。江戸時代には羽車磯田社と呼ばれていたようです。現在の社は昭和31年(1956年)に再建されたものです。
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『羽車(はぐるま)神社』に近くにある、二代目の『羽衣の松』の光景です。
(追記)二代目に次ぐ、三代目の『羽衣の松』が平成20年(2010年)に指定されました。樹勢が衰え、立ち枯れになったようです。 -
同じく、二代目の『羽衣の松』の光景です。初代の『羽衣の松』は、宝永4年(1707年)の富士山の噴火(宝永大噴火)で、海に沈んだと伝えられています。
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少し離れた場所から眺めた、二代目の『羽衣の松』の光景です。周りの松に比べますと、樹勢の衰えが否めません。
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海側から二代目の『羽衣の松』に向かって左手方面の光景です。松林が続いていました。富士山が見える方向とは反対側になります。
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陽に照らされた駿河湾の光景です。薄っすらと左手に見える半島は、伊豆半島です。
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三保の松原の波打ち際から眺めた、富士山の光景です。10月下旬ですから、すでに冠雪していました。例年、10月初旬から中旬には初冠雪となるようです。
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松原越しに眺めた、駿河湾の光景です。海に近い場所の松は、生育環境が厳しいように見えました。
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横に張り出した幹が支柱で支えられていました。台風時などに、倒木寸前になったのかもしれません。
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『清見潟ふじの烟や消えぬらん 月影みがくみほのうら波』の和歌が記された立札です。玉葉集に納められた、後鳥羽院(1180〜1239年)の歌です。玉葉和歌集は、鎌倉時代後期の約2800首の勅撰和歌集です。
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『廬原(いほはら)の清見の崎の三保の浦の ゆたけき見つつ物思ひもなし』の和歌です。万葉集の卷三に収録された、田口益人(たぐちのますひと:658〜723年)の歌です。飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての官人で歌人です。武内宿禰の後裔氏族である田口朝臣の出身です。
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田口益人の同じ和歌の立札は、別の場所にも立っていました。こちらは、入口から坂を登る途中にあったものです。和銅7年(709年)、上野国司として赴任した時、駿河の清見崎に来て詠んだ歌との添え書きがありました。
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『白龍』のタイトルがあったブロンズ像です。三保の松原を舞台にした、『羽衣伝説』に登場する地元の漁師、『白龍(はくりょう)』が手にした羽衣です。
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砂浜に置かれた小舟を全景、左手に三保の松原の中景が入った富士山の光景です。
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小舟が置かれていた方角に少し進み、小舟と松林を左に入れての冨士の光景です。コンパクトデジカメでの撮影では、勿体ないようなお膳立てでした。
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二代目の『羽衣の松』と、青空に浮かんだ白い雲の光景です。羽衣伝説のお仕舞の場面は、『天女はふわりふわりと天へと上り、だんだん高くなったかと思うとみるみる内に愛鷹山から富士の高嶺に、霞にまぎれて消えていきました。』と伝わります。
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富士山の眺望を堪能したところで、次は駿河湾の波打ち際の光景です。伊豆半島をバックに、白波が繰り返し寄せていました。
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沖合に船が並んだ光景です。海岸線は砂だけではなく、小石が多く堆積していました。三保の松原の西側に位置する安倍川から流れ出し、海流で運ばれたもののようです。
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白波が岸に押し寄せ、砕けて泡となって引き返す光景です。この辺りも砂ではなく、小石でした。
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目を転じて、西方面の光景です。海岸線を守るためらしい、テトラポットの小山が見えました。景観を害しないよう、テトラポットの配置も難しそうでした。
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これで三保の松原の見学はおしまいです。最後にもう一度、富士山と松原の光景です。
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