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津山城跡・鶴山公園<br /><br />歴史と文化の城下町・津山、ここも私の故郷です。<br />高校卒業までを過ごした「わが青春の城下町」なのです。<br /><br />「青春の城下町」 作詞:西沢 爽 作曲:遠藤 実 昭和39年<br /><br />歌詞 流れる雲よ 城山(しろやま)に<br />    のぼれば見える 君の家<br />    灯りが窓に ともるまで<br />    見つめていたっけ 逢いたくて<br />    ああ青春の 思い出は<br />    わがふるさとの 城下町<br /><br />さくらも散って、若葉の香りにつつまれた<br />そんな故郷のまち津山、鶴山(かくざん)の公園を<br />ひとりあるいてみたい・・・・。<br /><br />行ってきました「美作路(みまさかじ)」ぶらりみてある記。<br /><br /><br /> ※ たぬち庵のブログにも寄ってみてくださいな。<br /><br />  クリック! ⇒ http://fabon.cocolog-nifty.com/blog/<br /><br /><br /><br />

ぶらり美作みてある記 (?) 津山城跡・鶴山公園

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2008/05/03 - 2008/05/03

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たぬち庵

たぬち庵さん

津山城跡・鶴山公園

歴史と文化の城下町・津山、ここも私の故郷です。
高校卒業までを過ごした「わが青春の城下町」なのです。

「青春の城下町」 作詞:西沢 爽 作曲:遠藤 実 昭和39年

歌詞 流れる雲よ 城山(しろやま)に
    のぼれば見える 君の家
    灯りが窓に ともるまで
    見つめていたっけ 逢いたくて
    ああ青春の 思い出は
    わがふるさとの 城下町

さくらも散って、若葉の香りにつつまれた
そんな故郷のまち津山、鶴山(かくざん)の公園を
ひとりあるいてみたい・・・・。

行ってきました「美作路(みまさかじ)」ぶらりみてある記。


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交通手段
自家用車

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  • 美作(みまさか)の国・津山城跡 <br /><br />別名、鶴山城とも呼ばれ、国指定史跡になっている。<br /><br />城跡面積 91.11?<br />城跡周囲 1,779m<br />麓から本丸までの高さ、45m<br />石垣の高さ、最高13,6m 平均高8〜10m

    美作(みまさか)の国・津山城跡 

    別名、鶴山城とも呼ばれ、国指定史跡になっている。

    城跡面積 91.11?
    城跡周囲 1,779m
    麓から本丸までの高さ、45m
    石垣の高さ、最高13,6m 平均高8〜10m

  • 津山城は、1603年から10数年を費やして築城された。<br /><br />戦国の時代が終わり、江戸時代に変わります。<br />慶長八年、森忠正候がここ、美作18万6千500石に奉ぜられ、本格的な築城を行った。<br /><br />この付近は、正門前あたりになり、NHK朝のドラマ「あぐり」のロケが行われた場所。

    津山城は、1603年から10数年を費やして築城された。

    戦国の時代が終わり、江戸時代に変わります。
    慶長八年、森忠正候がここ、美作18万6千500石に奉ぜられ、本格的な築城を行った。

    この付近は、正門前あたりになり、NHK朝のドラマ「あぐり」のロケが行われた場所。

  • 森 忠正候の像。<br /><br />「本能寺の変」で信長と共に討ち死にした「森蘭丸」の弟で兄の死後、森家を継いだひと。<br /><br />この方、各地の名城を調べ参考にして、戦国以来廃城となっていたこの鶴山に、本格的な築城をしました。<br /><br />津山城は、本丸を中心にした平山城で、日本の「名城100選」にもえらばれている。<br />

    森 忠正候の像。

    「本能寺の変」で信長と共に討ち死にした「森蘭丸」の弟で兄の死後、森家を継いだひと。

    この方、各地の名城を調べ参考にして、戦国以来廃城となっていたこの鶴山に、本格的な築城をしました。

    津山城は、本丸を中心にした平山城で、日本の「名城100選」にもえらばれている。

  • 表門からみる、左石段が三ノ丸へ続く。<br /><br />城郭は、複雑に曲折を重ねている。本丸までは二の丸、三ノ丸が配され、どっしりとした巨石の石垣は容易に敵が本丸に攻め入ることができない構造だ。<br /><br />巧みに積み上げた石垣と戦略的な構造は比類のないものと高く評価され、平山城の典型として国の史跡に指定された。まさに「難航不落の名城」でありますな。

    表門からみる、左石段が三ノ丸へ続く。

    城郭は、複雑に曲折を重ねている。本丸までは二の丸、三ノ丸が配され、どっしりとした巨石の石垣は容易に敵が本丸に攻め入ることができない構造だ。

    巧みに積み上げた石垣と戦略的な構造は比類のないものと高く評価され、平山城の典型として国の史跡に指定された。まさに「難航不落の名城」でありますな。

  • 三の丸にある芭蕉の句碑。<br /><br /> 「 鐘つかぬ 里はなにをか 春の暮れ 」<br /><br />気になりましたんで、いろいろ調べてみましたが<br />松尾芭蕉が、作州津山に立ち寄った記録は見つけられませんでした。ご存じの方があれば教えていただきたいな。<br />俳聖・松尾芭蕉の句ですが、比類なき名城で譜代大名のおさめた、賑やかな城下町にはちと違和感がありますねえ。「鐘つかん」となっていて大きな寺社の境内とかだったら、納得なんですがね。

    三の丸にある芭蕉の句碑。

     「 鐘つかぬ 里はなにをか 春の暮れ 」

    気になりましたんで、いろいろ調べてみましたが
    松尾芭蕉が、作州津山に立ち寄った記録は見つけられませんでした。ご存じの方があれば教えていただきたいな。
    俳聖・松尾芭蕉の句ですが、比類なき名城で譜代大名のおさめた、賑やかな城下町にはちと違和感がありますねえ。「鐘つかん」となっていて大きな寺社の境内とかだったら、納得なんですがね。

  • 三の丸から本丸方向を望む。<br />「備中櫓・びっちゅうやぐら」の甍が少し見えます。<br /><br />津山城跡・鶴山公園案内パンフレットより(抜粋)<br /><br />≪備中櫓は「森家先代実録」付図の「作州津山城本丸之図」に「上ノ櫓 備中櫓ト云フ 城下ヨリ 見ユル」と記載されているように、本丸から南に張り出した石垣の上に建てられた櫓であり、城下からの景観も含め、天守閣に次ぐシンボル性の高い建造物であったと推定される。(中略)通常の櫓では稀な全室畳敷き、天井張りという構造で全国的にも類例のない特別な空間を有する建造物です。このように景観的にシンボル性が高く、内部は御殿建築であるというこの櫓を復元することにより築城当時の様子を体感していただくことができます。≫

    三の丸から本丸方向を望む。
    「備中櫓・びっちゅうやぐら」の甍が少し見えます。

    津山城跡・鶴山公園案内パンフレットより(抜粋)

    ≪備中櫓は「森家先代実録」付図の「作州津山城本丸之図」に「上ノ櫓 備中櫓ト云フ 城下ヨリ 見ユル」と記載されているように、本丸から南に張り出した石垣の上に建てられた櫓であり、城下からの景観も含め、天守閣に次ぐシンボル性の高い建造物であったと推定される。(中略)通常の櫓では稀な全室畳敷き、天井張りという構造で全国的にも類例のない特別な空間を有する建造物です。このように景観的にシンボル性が高く、内部は御殿建築であるというこの櫓を復元することにより築城当時の様子を体感していただくことができます。≫

  • 三ノ丸から本丸を仰ぎ見ると名高い「備中櫓」。<br /><br />明治6年(1873)廃城令により城郭は公売され、天守閣をはじめ城の建物はすべて取り壊されました。<br /><br />この「備中櫓」は鶴山公園のシンボルとして、平成16年に築城400年を記念して復元されたもの。<br /><br />

    三ノ丸から本丸を仰ぎ見ると名高い「備中櫓」。

    明治6年(1873)廃城令により城郭は公売され、天守閣をはじめ城の建物はすべて取り壊されました。

    この「備中櫓」は鶴山公園のシンボルとして、平成16年に築城400年を記念して復元されたもの。

  • 二ノ丸から、新緑の桜の木。<br /><br />石垣に新緑の桜の梢から木漏れ日がさす、春の午後。季節の度に訪れる、四季折々の城山の表情は、おおらかに旅人を迎えてくれます。<br /><br />全山約5千本の桜は、花は散ってものどかな季節の移ろいを心ゆくまで愉しませてくれます。

    二ノ丸から、新緑の桜の木。

    石垣に新緑の桜の梢から木漏れ日がさす、春の午後。季節の度に訪れる、四季折々の城山の表情は、おおらかに旅人を迎えてくれます。

    全山約5千本の桜は、花は散ってものどかな季節の移ろいを心ゆくまで愉しませてくれます。

  • 二ノ丸から、巧みに積み上げられた石垣。<br /><br />津山城跡の鶴山公園を歩くとき、何と言ってもその石塁の見事さにすばらしさを感じます。<br /><br />城跡の東南方向に見える「石山(いしやま」、ここの石垣に使われている石の多くはこの地区から切り出したものです。

    二ノ丸から、巧みに積み上げられた石垣。

    津山城跡の鶴山公園を歩くとき、何と言ってもその石塁の見事さにすばらしさを感じます。

    城跡の東南方向に見える「石山(いしやま」、ここの石垣に使われている石の多くはこの地区から切り出したものです。

  • 忘れられた石。碑文の説明文より(抜粋)<br />≪平成10年の台風通過後、津山市大谷の谷川で、津山城築城時に切りだされたと思われる石が見つかりました。(中略)平成16年3月に谷川から引き上げられ同年5月津山城築城400年記念事業「津山歴史時代絵巻〜築城大石曳き」で大谷町内の皆さんによって修羅(巨石を運ぶ木製のそり状の運搬具)に載せて運んだ。≫<br />何かの事情があったのか、石割りの途中から、400年の時を経て目的地にやってきた「忘れられた石」。<br /><br /><br />

    忘れられた石。碑文の説明文より(抜粋)
    ≪平成10年の台風通過後、津山市大谷の谷川で、津山城築城時に切りだされたと思われる石が見つかりました。(中略)平成16年3月に谷川から引き上げられ同年5月津山城築城400年記念事業「津山歴史時代絵巻〜築城大石曳き」で大谷町内の皆さんによって修羅(巨石を運ぶ木製のそり状の運搬具)に載せて運んだ。≫
    何かの事情があったのか、石割りの途中から、400年の時を経て目的地にやってきた「忘れられた石」。


  • 本丸にあるつつじの庭。<br /><br />三の丸の石段を上がると本丸の中央はつつじの庭になっています。<br />広場のつつじは、5月の中旬位が満開時期でしょう今はもう少しと言う頃かな。ヒラドツツジなど300株が咲き乱れます。<br />向こう側(北)に見える林は月見櫓の跡で秋には樹木が紅葉して美しい。少年のころ写生に来たこをがあるな・・。<br />

    本丸にあるつつじの庭。

    三の丸の石段を上がると本丸の中央はつつじの庭になっています。
    広場のつつじは、5月の中旬位が満開時期でしょう今はもう少しと言う頃かな。ヒラドツツジなど300株が咲き乱れます。
    向こう側(北)に見える林は月見櫓の跡で秋には樹木が紅葉して美しい。少年のころ写生に来たこをがあるな・・。

  • 本丸備中櫓に続く長局跡にある藤棚。<br /><br />藤棚に設けられたベンチに腰をおろし、懐かしい城下町を見渡します。左向こうにかすんで見える山は神南備山(かんなびさん)でその麓のあたりの村に実家があります。<br />ここから見える、駅や学校のある町並みが、私のなつかしい「青春の城下町」なのです・・・。

    本丸備中櫓に続く長局跡にある藤棚。

    藤棚に設けられたベンチに腰をおろし、懐かしい城下町を見渡します。左向こうにかすんで見える山は神南備山(かんなびさん)でその麓のあたりの村に実家があります。
    ここから見える、駅や学校のある町並みが、私のなつかしい「青春の城下町」なのです・・・。

  • 満開の少し前のフジ棚。<br />このあたりの、ふじの花は5月中旬頃が見ごろです。<br />満開になると房が大きく垂れて、地にも届かんばかりのみごとな藤棚になります。<br /><br />最近、以前に比べ野山に自生する、ふじの花を多く見かける様になったと感じませんか。皮肉なことに山の手いれをしないで放置するとよく育ち、たくさん咲きます。

    満開の少し前のフジ棚。
    このあたりの、ふじの花は5月中旬頃が見ごろです。
    満開になると房が大きく垂れて、地にも届かんばかりのみごとな藤棚になります。

    最近、以前に比べ野山に自生する、ふじの花を多く見かける様になったと感じませんか。皮肉なことに山の手いれをしないで放置するとよく育ち、たくさん咲きます。

  • 本丸、南に面した天守閣跡。<br /><br />本丸敷地内の西部を区切って、天主閣エリアがある。この豪壮な石垣の台上に、五層の天守閣がそびえていたんですね。<br />天守閣内部は装飾も質素で、弓・鉄砲等の攻防の利便性を優先させ、優れた実践向きの天守閣だったそうです。

    本丸、南に面した天守閣跡。

    本丸敷地内の西部を区切って、天主閣エリアがある。この豪壮な石垣の台上に、五層の天守閣がそびえていたんですね。
    天守閣内部は装飾も質素で、弓・鉄砲等の攻防の利便性を優先させ、優れた実践向きの天守閣だったそうです。

  • 天守閣あとから備中櫓越しに、津山城下町。<br /><br />作州津山は城下町。お城と共に生まれ育ってきた町なのです。津山を語るとき「お城」抜きでは語れません。<br />この「津山城」、築城以来城下に暮らす人々と風雪をともに歩んできました。400年のときを刻み、苔むした石垣が、悠久の想いに心を引き込みます。<br /><br />歌謡曲「古城」の一節<br /><br />  「石垣青く 苔むして 古城よひとり なに想う」<br />

    天守閣あとから備中櫓越しに、津山城下町。

    作州津山は城下町。お城と共に生まれ育ってきた町なのです。津山を語るとき「お城」抜きでは語れません。
    この「津山城」、築城以来城下に暮らす人々と風雪をともに歩んできました。400年のときを刻み、苔むした石垣が、悠久の想いに心を引き込みます。

    歌謡曲「古城」の一節

      「石垣青く 苔むして 古城よひとり なに想う」

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この旅行記へのコメント (13)

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  • tomofukiさん 2009/01/19 12:54:09
    津山 故郷です
    たぬち庵様

    はじめまして、ときどき訪問させていただいております。
    私も 津山は故郷です。
    高校まで 津山ですごしました。兵庫県に住んでいますので良く帰っています。
    お城山の歌は、知りませんが、こどものころに聞いた歌で記憶に残っているのは、
    「つやまー城下町、おしろのーまちよー。。。。。」です。
    津山は、B'z の稲葉浩治もふるさとですが、日本で超有名になっており、近所だったので帰れば、話題に上っています。

    Tomofuki

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2009/01/20 14:40:05
     同郷のタヌキ爺さんです、ありがとう。

    Tomofukiさん、こんにちは。

    同郷なんですねえ。いや懐かしいですナ。吉井川の流れは今も当時のようにゆったり流れていますねえ。津山はいい街です。

    いま、ご返事するのにお人柄のイメージがわかなくて、タイ・ベトナム編をゆっくり旅を同行しているか面持ちで拝見しました。このたぬち庵爺さんと同じような感性をもったお方だと感じましたョ。

    いいブログ友達になれそうです。いまは少し休んでいますがまたそのうち始めます。これからもよろしく。

    鳥取駅周辺はタヌキ爺さんの徘徊エリアですから、里帰りの際は声をかけていただいたらコーヒータイムでも致しましょう。

    思いがけない とても嬉しいお便りをありがとう!

    これからもよろしく、たぬち庵。



    tomofuki

    tomofukiさん からの返信 2009/01/21 04:20:57
    RE: 津山 故郷です
    たぬち庵様

    ご返事有り難うございます。
    以前、シンガポールで3年間いました。この前ベトナムを旅行したのは、シンガポールから日本まで陸路で帰って見たらどんな感じか体験してみたいと思いベトナムも通過ポイントとして移動してみました。
    今年、中国を通過し、日本までの移動完了しました。
    意外とベトナムも良いところ思います。

    津山、鳥取等に出かける時は、コーヒータイム一緒にさせていただきたいと
    思います。

    Tomofuki
  • 前日光さん 2008/06/11 00:18:28
    再び、失礼いたします。
    お気に入りへのご承認ありがとうございます。

    ずっと前から書こうと思っていたのですが、
    実は手元に2003年9月30日発売(講談社)の
    「週刊日本の街道 出雲往来」姫路から出雲大社へ
    というものがありまして、そこに「津山城今昔」
    というページがあって、明治初年、取り壊される前に
    撮影された津山城の写真が載っているのです。
    五層四庇の天守閣、大小数十の櫓群が並ぶ壮大なお城
    だったのですねぇ。
    CG復元図まで載っていまして、その豪壮さがビジュアルに
    伝わってきます。
    一度目は幕藩体制の崩壊により、二度目は復元された天守閣が
    空襲の目標になるため、昭和20年に解体されてしまったのですね。

    時の流れに翻弄され続けてきたんですねぇ。
    「美作の小京都」という響きも素敵だと思います。

    与謝野晶子が
      山國の津山のしろの石垣に
      見出づることよはつ秋の白(しろ)

    と詠んだそうです。

    千本格子やなまこ壁を残す酒屋や塩屋などが軒を連ね、武家屋敷や
    寺町も残ると書かれています。
    勝間田の近くにある長福寺の三重の塔も美しいですね。
    行ってみたい所が多くて困ってしまいます。

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/06/11 10:26:52
    RE: 再び、失礼いたします。
    前日光さん、こんにちは。いつもありがとうございます。

    津山の市民にとって「鶴山(かくざん)」のお城山はシンボルであり、心のふるさとでもあります。人々のこころに特別な響きと意味をもっているようですねえ。今でも昔の面影を残す寺町や武家屋敷の跡などは、封建時代の名残がうかがえて、ゆったりした気分に浸れます。

    与謝野晶子の歌、夫の鉄幹とともに昭和のはじめころ、津山を訪れたことは知っていましたが、このように書かれた歌にふれたのは初めてのことです。またひとつふるさと津山のことに知識がふえました。ありがとうございます。

    大正から昭和期に、和気町の歌人に正宗敦夫と言う人がおりまして、この方が与謝野鉄幹と交わりが深く、大恋愛で結ばれた与謝野晶子との関係で津山に縁ができたものだと思います。

    勝間田の長福寺、高校生時分に友人と自転車でいったことがあります。ずいぶん年月がたってしまいましたが、あの三重の塔ももう一度みてみたいものです。

    いつもながらの味のあるコメント、大変感謝します。
    では、また ありがとう。 たぬち庵

  • ツーリスト今中さん 2008/05/15 12:42:00
    時を伝える石垣
    こんにちは!

    いつもご訪問ありがとうございます。

    津山城は戦火で消失などではなくて
    廃城令で無くなったとは何とも残念ですね。
    復元されたコンクリートのお城はどこに限らず
    あまり好きになれませんが
    石垣だけは確かに400年の歴史を見ていた訳で
    重みと趣がありますね。

    一票投じて失礼します。

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/05/15 22:11:44
    RE: 時を伝える石垣
    ツーリスト今中さん、どうもこんばんは。たいへんありがとうございます。北からの便り、お邪魔しました。いつもながらのきれいな写真愉しませてもらっています。日本列島北の方へも春の訪れが来ているのを感じさせてくれますねえ・・。

    私がまだ小さいころ、床の間になぜか大正天皇はなくて、明治天皇と昭和天皇のお写真に並んで、この鶴山城(地元では皆、かくざんと言う)の取り壊す前の写真が掲げてありました。

    航空写真のような角度からのものだったですから、たぶん写実的な絵であったろうと思われますがね。今でもその構図までも覚えています。素晴らしい石組みの上に堂々とした天守閣がまぶたによみがえってきます。

    津山の人たちは今でもこの城跡をこよなく愛し、石垣を自慢します。

    それでは、また。 どうもありがとうございました。  たぬち庵
  • 前日光さん 2008/05/07 00:21:01
    実は・・・
    「青春の城下町」、知っています。
    歌えます。けっこう歌詞を覚えているのです。
    小学校時代に覚えた歌なので、忘れないのかもしれません。

    あの頃、もっといろいろなことを記憶していれば、もっと
    賢くなったかもしれませんね。

    津山市って、「出雲往来」のルートに入っていましたよね。
    姫新線が走っていたかと思うのですが。
    新見市だったなら、「サンライズ出雲」に乗った時、通過して
    いるのですがねぇ。

    岡山県内陸部の津山盆地、そこにこんなに立派なお城があったなんて!
    5000本もの桜が咲いたら、それはそれは壮観でしょうね!

    芭蕉の句碑ですが、芭蕉は明石市辺りまでは行っていますが、
    はたして津山まで足を伸ばしたのでしょうか?
    とても興味があります。

    その句碑を建てたのは、津山市の教育委員会などですか?
    建立者に訪ねれば分かるかもしれませんね。
    芭蕉と津山市の関連、知りたいですね!

    それにしましても、たぬち庵さんはこのような歴史ある町で、
    どんな高校生活を送られたのでしょうか?
    旅行記を拝見していますと、いろいろな興味が湧いてきます。

    すばらしい城下町の様子を伝えていただき、ありがとうございました。

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/05/07 13:40:05
    RE: 実は・・・

    どうも前日光さん、こんにちは。ね、懐かしい歌でしょ?
    私も3番まできっちり歌えますよ。(音痴ですがね。)

    昭和30年代からよく歌われた、いわゆる「青春歌謡」といいましたな。
    我々当時の若者にとっては体の一部のように、それぞれが思い入れのある「心の唄」を持っていますね。梶光男の歌うこの「青春の城下町」、私の心に残る歌なんです。

    人生、ここまであっと言う間に走ってきた感がありますな。「光陰矢のごとし」若き折には、何か意味はわかれど、現実とかけ離れた熟語のように思われましたが、今はひしひしとこの言葉の意味が実感できます。後悔は先に立たずも同じくですな。無理して、人生振り返るのはまだ早いと言い聞かせています。(笑)

    「津山城・鶴山公園」ここも花見の時期はいいところですよ。城下町津山ははご指摘のとおり、出雲街道の要所だったですね。大和と出雲の中間に位置する津山盆地、まあ今でいえば、東京都と大阪の中間のようなところですから、街道でも要衝であったと考えられますねえ。

    ですから出雲街道を行き交った歴史上の人物もたくさん立ち寄ったことと思いますねえ。後醍醐天皇や出雲のお国さんなど悲喜こもごも行き交ったことでしょう。いまでも、林町界隈の街道では、昔ながらの旅籠の佇まいが残っています。

    「三の丸の芭蕉の句碑」やはり、芭蕉が立ち寄ったわけではなくて、俳聖・松尾芭蕉を偲ぶ地元の俳人たちが建立したものだそうです。

    背景になった様子など詳しいことが、判りましたらまたコメントを差し上げます。

    それじゃまた。ありがとうございました。  たぬち庵
  • 白い華さん 2008/05/06 17:20:10
    ウチに ある カレンダーが・・・。
     たぬち庵さん、今晩は。
    うちの リビングに ある!『ANA(全日空)』の カレンダー!
    2008年の 4月は まさしく 「津山 城址・鶴山 公園」の 城址を 上空から 撮影した! 一枚! でした。

     上空から 眺めると・・・、本丸の 背の低い!つつじの 緑!
     高さのある 石垣!が 四角く! 城の 面積!を 感じさせてくれます。
     一面に 咲き誇る! 桜の 木々・・・。

     城の 廻り!を ・・・城址へと 繋がる! 道路!も また 上空から 見ると、なかなか イイ! アクセント。

     川には、 沢山の 鯉のぼり!が そよぎます。

     そんな カレンダー!デス。

     あまり、気にならないのに、 ナゼか、この「津山 城址・鶴山 公園」は、とっても 好き!で いつも 眺めて いたんです。

     たぬち庵さんの 高校までの 子供時代!を 過ごした!場所・・・。なんですかぁ〜。
     「たぬち・パワー(?)」が、 私を この カレンダーに 引き寄せた!???(笑)
     そんな ご縁!が 嬉しいですね〜。(♪)
     
     たまたま・・・ どうしても 気になった!場所。
     そして、この場所!のコト! もっと 知りたいなぁ〜と 思っていたので、
     今回の 旅行記での 偶然!の ご紹介!が
     とっても 嬉しかった デス。(喜)

     いつも なかなか 行けない! 中国・山陰の 様々な 情報!
     楽しみ!に して 拝見しています。 これからも ヨロシク お願いします。

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/05/06 21:23:45
    RE: ウチに ある カレンダーが・・・。(爺さん自慢の桜)
    はーいっ、どうもこんばんわー♪。

    はい、またまたパソコン画面がぱっと明るくなりましたから・・。
    誰からのものなのかすぐわかりましたねえ。

    「全日空のカレンダー」にでしたか。これはかなり知名度がアップするでしょうね。ちょっとしたもんでしょ!ここの桜。(私は花が散ってから来たから写真は葉桜ですけど。)

    爺さんがまたまた大げさに例のお国自慢の大風呂敷を広げてなどと思われずにすみそうだねえ。なにしろいまや世界のANAのコマーシャルカレンダーに載っているんですからねえ。初めて耳にしました。またまた、いいニュースをありがとうございました。リビングにねえ・・奇遇ですな。

    4トラメンバーさんからのね、コメントくださった方に書いちゃってからちょっと心配になっていたんですよ、実はね。桜を語るのに「津山城跡・鶴山公園」の桜を知らずには語れないってね。(少し安心!)

    一本、一本の桜の木が素晴らしいとかではないんですな、ここの桜は。
    城山全体がね、古城の巨大な石組の壇上に、総数約五千本の桜が豪華絢爛に咲き乱れる風情は、他に比べようがありませんねえ・・。

    さらに花見時分には終日、琴の音が響く和楽のミュージックが全山にながれます。いやがうえにも、華やいだおももちになり、いにしえの時代の真っただ中にひきこまれます。とりわけ「白い華さん」なんかだとこういった具合かな。

    供の者「姫。」ちょっと違うかな?。「お方様、まあ何と美しい桜でしょ        う。」

    白い華のお方様 駕籠からおりたち、にこやかな表情で「良き、眺めじゃ。        供の者にも皆酒など、ふるもうて、ゆるりとたのしむがよ        い。」などと空想の世界にはいってしまえるほどのモノで        すねえ。

    岡山県では桜の名所がたくさんありますが、「日本桜の名所・100選」にえらばれている所は此処「津山城跡・鶴山公園」だけです。

    さらに「日本名城・100選」「日本歴史公園・100選」にも選ばれていますよ。昔から津山の町並みは「西の小京都」といわれ落ち着言いた雰囲気の城下町なんです。昔からの武家屋敷や寺院も古いたたずまいのまま残っています。

    是非機会をもうけて、桜の時期に一度おいでなさい。いいところです。
    まだまだ語りつくせませんが、またぶらり行って写真で報告いたします。

    それじゃ、どうもありがとう。  たぬち庵





  • comevaさん 2008/05/04 16:56:11
    鶴山公園
    たぬち庵さん

    こんにちは〜
    美作地区は2年ほど前まで長年に渡って勤務してきた仕事(営業)のテリトリーでありながらこのブログでもこれまでなかなか紹介出来なかったエリアです。
    この鶴山公園も今春、桜の時期に行きたかった場所の一つですが、今年は京都へ集中してましたので又来年度以降と言う事にしました。

    公園はきれいにされてるようですね。

    comeva

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/05/04 19:03:28
    RE: 鶴山公園

    どおも、 comevaさん こんにちは。

    それじゃあよくご存じのところだったんですねえ。

    私も最後に行ったのは、7年以上も前になります、とても懐かしくゆっくりゆっくり歩いてきました。

    また例によってお国自慢になりますがね、「さくら」と言ってはここの桜を観てからじゃなきゃあ語れないよと申しあげたいようなモノですねえ。桜の木は約5000本あります。各石段に、せりあがって咲いてる桜の見事さは平地や山里に咲いてる様子と違い、巨大な桜の花壇のお花の山ですから・・・。

    子供のころ私の住んでいた村から見えるんですがね。霞がかったこの時期に遠くに見える「お城山」がそれこそ真っ白に見えるんですからね、しかも繁華街の真ん中あたりから、盛り上がった山城ですからね。町中、村中、学校中、満開の時期になったら「そわそわ!いそいそ!」(笑!)

    花見の日には、リアカーにむしろやコンロをもった場所取り役が、夜桜を見るのに朝早くからいっておりましたな。いやーほんとに懐かしく思いだされます。

    一番上の本丸には近年、備中櫓が再現されていますし、藤棚も擬木の感じのよいもので整備していました。藤棚の下にはベンチがおかれゆっくりとした時間を味わえるでしょうね。

    来年の桜はぜひ、いらっしゃってくださいな。満開時の人出はちょっと半端じゃないですが、ここは昔からそう言うところです。賑やかくそぞろ歩きいや「そぞろのぼり」が城下町の花見の雰囲気を出すそういうところなんですよ。
    参道には、幔幕を張り入口約100m両側には、びっしりとね「フーテンの寅さん」の縁日興行さながらの屋台の店が出て、雰囲気最高潮になります。花見としては最高のモノだと思っています。長いこと仕事の関係で各地で桜も見ましたが、花見でこう言う雰囲気のところには出会いませんでしたよ。

    来年はひとつ、comevaさんのきれいな写真記で、みせて頂きたいですね。

    それではまた。ありがとうございました。  たぬち庵





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