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曼荼羅寺公園で咲く藤の花や、曼荼羅寺等の境内で咲く花や堂宇の数々の紹介です。名物の藤のほか、躑躅も満開でした。(ウィキペディア、曼荼羅寺関連公式サイト)

2008春、藤の花咲く曼荼羅寺公園(4/6):曼荼羅寺正堂、檜皮葺、曼荼羅堂、九尺藤

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2008/05/01 - 2008/05/01

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旅行記グループ 2008春、藤の曼荼羅寺

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旅人のくまさん

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曼荼羅寺公園で咲く藤の花や、曼荼羅寺等の境内で咲く花や堂宇の数々の紹介です。名物の藤のほか、躑躅も満開でした。(ウィキペディア、曼荼羅寺関連公式サイト)

交通手段
高速・路線バス 私鉄

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  • 名前:『ムラサキカピタン(紫花美短)』(推定)<br />分類:マメ科フジ属<br />分布:ヤマフジと呼ばれる日本の固有種。<br />その他:カピタンの語源は、江戸時代に、東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者(商館長)のことです。(同上)<br />

    名前:『ムラサキカピタン(紫花美短)』(推定)
    分類:マメ科フジ属
    分布:ヤマフジと呼ばれる日本の固有種。
    その他:カピタンの語源は、江戸時代に、東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者(商館長)のことです。(同上)

  • 名前:『ムラサキカピタン(紫花美短)』(推定)<br />分類:マメ科フジ属<br />分布:ヤマフジと呼ばれる日本の固有種。<br />その他:落花の光景です。(同上)

    名前:『ムラサキカピタン(紫花美短)』(推定)
    分類:マメ科フジ属
    分布:ヤマフジと呼ばれる日本の固有種。
    その他:落花の光景です。(同上)

  • 同じく、藤の花の落花光景です。上半分が紫色、手前半分が黄色あるいは白色の落花でした。風もなく、静かに散ったのでしょうか、行儀よく散り敷いていました。(同上)

    同じく、藤の花の落花光景です。上半分が紫色、手前半分が黄色あるいは白色の落花でした。風もなく、静かに散ったのでしょうか、行儀よく散り敷いていました。(同上)

  • 名前:『九尺藤』(推定)<br />分類:マメ科フジ属<br />分布:ノダフジ(野田藤)とも呼ばれる日本の固有種です。<br />その他:ノダフジ(野田藤)の呼び名は、摂津国野田村(現在は大阪市)の地名に由来します。野田村は『吉野の桜、高尾(高雄)のもみじ、野田の藤』と言われるほどフジの名所でした。(同上)

    イチオシ

    名前:『九尺藤』(推定)
    分類:マメ科フジ属
    分布:ノダフジ(野田藤)とも呼ばれる日本の固有種です。
    その他:ノダフジ(野田藤)の呼び名は、摂津国野田村(現在は大阪市)の地名に由来します。野田村は『吉野の桜、高尾(高雄)のもみじ、野田の藤』と言われるほどフジの名所でした。(同上)

  • 名前:『九尺藤』(推定)<br />分類:マメ科フジ属<br />分布:ノダフジ(野田藤)とも呼ばれる日本の固有種です。<br />その他:『紫長藤(ムラサキナガフジ)』や、『野田長藤(のだながふじ)』の別名もあります。(同上)

    名前:『九尺藤』(推定)
    分類:マメ科フジ属
    分布:ノダフジ(野田藤)とも呼ばれる日本の固有種です。
    その他:『紫長藤(ムラサキナガフジ)』や、『野田長藤(のだながふじ)』の別名もあります。(同上)

  • 名前:『九尺藤』(推定)<br />分類:マメ科フジ属<br />分布:ノダフジ(野田藤)とも呼ばれる日本の固有種です。<br />その他:2メートルに近いとされる九尺藤の最上部付近の光景です。曼荼羅寺公園では、一番多く植栽されている品種のようでした。(同上)

    名前:『九尺藤』(推定)
    分類:マメ科フジ属
    分布:ノダフジ(野田藤)とも呼ばれる日本の固有種です。
    その他:2メートルに近いとされる九尺藤の最上部付近の光景です。曼荼羅寺公園では、一番多く植栽されている品種のようでした。(同上)

  • 日輪山・曼荼羅寺の正堂前の焼香台の光景です。曼荼羅寺は、元徳元年(1329年)、『後醍醐天皇(第96代天皇、南朝初代天皇)』の命により、叔父である天真乗運を開山として1324年から1329年の5年の歳月をかけて創建されました。その後、第105代・後奈良天皇からも勅願寺の綸旨を賜っています。かつては円福寺と称していましたが、寛正3年(1462年)に現在の寺号となりました。(同上)

    日輪山・曼荼羅寺の正堂前の焼香台の光景です。曼荼羅寺は、元徳元年(1329年)、『後醍醐天皇(第96代天皇、南朝初代天皇)』の命により、叔父である天真乗運を開山として1324年から1329年の5年の歳月をかけて創建されました。その後、第105代・後奈良天皇からも勅願寺の綸旨を賜っています。かつては円福寺と称していましたが、寛正3年(1462年)に現在の寺号となりました。(同上)

  • 日輪山・曼荼羅寺の甍の光景です。次の4点の国の重要文化財を所蔵しています。<br />〇正堂:寛永9年(1632年)建立。入母屋造、檜皮葺き。<br />〇書院:文禄元年(1592年)建立。書院造、銅板葺き。<br />〇絹本著色浄土五祖像:5幅。<br />〇銅鐘:朝鮮・高麗時代。他に木曽川堤さくら(名勝)があります。(同上)

    日輪山・曼荼羅寺の甍の光景です。次の4点の国の重要文化財を所蔵しています。
    〇正堂:寛永9年(1632年)建立。入母屋造、檜皮葺き。
    〇書院:文禄元年(1592年)建立。書院造、銅板葺き。
    〇絹本著色浄土五祖像:5幅。
    〇銅鐘:朝鮮・高麗時代。他に木曽川堤さくら(名勝)があります。(同上)

  • 次の愛知県指定有形文化財を所蔵しています。<br />〇曼陀羅寺伽藍(地蔵堂):本尊の地蔵尊は、後醍醐天皇の母親の念持仏として宮中に祀られていたものを、創建時に天真乗運に賜ったものと伝わります。<br />〇浄土変相当麻曼荼羅図:鎌倉末期、1幅。<br />*写真は、檜皮葺の本堂の屋根の光景です。

    次の愛知県指定有形文化財を所蔵しています。
    〇曼陀羅寺伽藍(地蔵堂):本尊の地蔵尊は、後醍醐天皇の母親の念持仏として宮中に祀られていたものを、創建時に天真乗運に賜ったものと伝わります。
    〇浄土変相当麻曼荼羅図:鎌倉末期、1幅。
    *写真は、檜皮葺の本堂の屋根の光景です。

  • 次の江南市指定文化財を所蔵・保有しています。<br />〇絵画:絹本著色三尊弥陀来迎図、他。<br />〇建築物:曼陀羅堂<br />〇工芸:香箱文珠<br />〇書状:織田信雄禁制、他<br />〇彫刻:不動面、他<br />〇天然記念物:椋(むく)、彼岸桜。(同上)<br />*写真は、江南市文化財の曼荼羅堂の光景です。

    次の江南市指定文化財を所蔵・保有しています。
    〇絵画:絹本著色三尊弥陀来迎図、他。
    〇建築物:曼陀羅堂
    〇工芸:香箱文珠
    〇書状:織田信雄禁制、他
    〇彫刻:不動面、他
    〇天然記念物:椋(むく)、彼岸桜。(同上)
    *写真は、江南市文化財の曼荼羅堂の光景です。

  • 四国八十八ヶ所霊場の第七十二番札所に『我拝師山・延命院・曼荼羅寺』がありますが、直接の繋がりはないようです。そのお寺は、景行天皇の後裔にして、弘法大師の先祖である讃岐の国の領主佐伯家一族の氏寺として、推古帝四年(596年)に建立されました。(同上)

    四国八十八ヶ所霊場の第七十二番札所に『我拝師山・延命院・曼荼羅寺』がありますが、直接の繋がりはないようです。そのお寺は、景行天皇の後裔にして、弘法大師の先祖である讃岐の国の領主佐伯家一族の氏寺として、推古帝四年(596年)に建立されました。(同上)

  • 次に紹介するのは、江南市の名勝と文化財等です。10箇所のリストアップです。<br />①フラワーパーク江南、②曼陀羅寺、③すいとぴあ江南、④布袋の大仏、⑤尾張ういろ、⑥廣間家の門、⑦生駒屋敷跡(小折城)、⑧猿尾(斜めに造られた突堤)、⑨木曽川堤(桜の名勝)、⑩宮後八幡社本殿、をリストアップしてみました。次に、すでに紹介した、曼荼羅寺以外の名勝と文化財等の紹介です。(同上)

    次に紹介するのは、江南市の名勝と文化財等です。10箇所のリストアップです。
    ①フラワーパーク江南、②曼陀羅寺、③すいとぴあ江南、④布袋の大仏、⑤尾張ういろ、⑥廣間家の門、⑦生駒屋敷跡(小折城)、⑧猿尾(斜めに造られた突堤)、⑨木曽川堤(桜の名勝)、⑩宮後八幡社本殿、をリストアップしてみました。次に、すでに紹介した、曼荼羅寺以外の名勝と文化財等の紹介です。(同上)

  • 〇フラワーパーク江南:園内には、メインの花壇には一年草が育てられ、春にはチューリップ・ビオラ、秋にはコリウス・アンゲロニアといった花々が咲き誇ります。花壇の周りには水盤池があり、綺麗な花々と霧が生み出す光景は思わず息を飲んでしまうほどです。また、ハーブの香りが心地良い「香の庭」、果物や野菜を栽培する「果実の庭」などが人気です。(同上)

    〇フラワーパーク江南:園内には、メインの花壇には一年草が育てられ、春にはチューリップ・ビオラ、秋にはコリウス・アンゲロニアといった花々が咲き誇ります。花壇の周りには水盤池があり、綺麗な花々と霧が生み出す光景は思わず息を飲んでしまうほどです。また、ハーブの香りが心地良い「香の庭」、果物や野菜を栽培する「果実の庭」などが人気です。(同上)

  • 〇すいとぴあ江南:「すいとぴあ江南」は木曽川のほとりに建つ公共施設で、「展望タワー」と「江南市勤労会館」の二つの建物があります。「展望タワー」は6階の「スカイルーム」がおすすめです。東の方角を望むと、木曽川の上流まで見られます。また、織田信長が犬山城を特攻したとき、訪れたといわれる伊木山も眺めます。また、タワーの2階では木曽川の歴史が知れる展示室もあります。(同上)

    〇すいとぴあ江南:「すいとぴあ江南」は木曽川のほとりに建つ公共施設で、「展望タワー」と「江南市勤労会館」の二つの建物があります。「展望タワー」は6階の「スカイルーム」がおすすめです。東の方角を望むと、木曽川の上流まで見られます。また、織田信長が犬山城を特攻したとき、訪れたといわれる伊木山も眺めます。また、タワーの2階では木曽川の歴史が知れる展示室もあります。(同上)

  • 〇布袋の大仏:大仏がある布袋町(ほていちょう)は、江南市の南に位置します。「布袋の大仏」の愛称で親しまれるのは、「御嶽薬師尊」です。住宅地の中に大仏が佇む様子は不思議な光景です。奈良県にある東大寺の大仏よりも2mも大きく、のっぺりした顔が印象的です。1954年に完成しました。完成の5年前の1949年に、当時鍼灸師だった男性が夢のお告げにより、大仏を自らの手で作りました。(同上)

    〇布袋の大仏:大仏がある布袋町(ほていちょう)は、江南市の南に位置します。「布袋の大仏」の愛称で親しまれるのは、「御嶽薬師尊」です。住宅地の中に大仏が佇む様子は不思議な光景です。奈良県にある東大寺の大仏よりも2mも大きく、のっぺりした顔が印象的です。1954年に完成しました。完成の5年前の1949年に、当時鍼灸師だった男性が夢のお告げにより、大仏を自らの手で作りました。(同上)

  • 〇尾張ういろ:愛知県といえば、きしめん、味噌カツ、ひつまぶしなど美味しい食べ物がたくさんです。数あるお土産の中でも「尾張ういろ」は江南市に本店を構える和菓子屋です。ひとつひとつ職人の手によって手作りされています。尾張ういろの特徴は米粉の生地を使用し、2時間かけて蒸し上げている点です。防腐剤、小麦、卵、乳製品も使用をしていないため、体に優しくアレルギーの方も安心して食べられます。また、ういろの種類も豊富で、定番の白、抹茶をたっぷり使った「濃抹茶ういろ」、大納言小豆をのせた「あずきういろ」、爽やかな風味が特徴の「ゆずういろ(秋冬限定商品)」があります。(同上)

    〇尾張ういろ:愛知県といえば、きしめん、味噌カツ、ひつまぶしなど美味しい食べ物がたくさんです。数あるお土産の中でも「尾張ういろ」は江南市に本店を構える和菓子屋です。ひとつひとつ職人の手によって手作りされています。尾張ういろの特徴は米粉の生地を使用し、2時間かけて蒸し上げている点です。防腐剤、小麦、卵、乳製品も使用をしていないため、体に優しくアレルギーの方も安心して食べられます。また、ういろの種類も豊富で、定番の白、抹茶をたっぷり使った「濃抹茶ういろ」、大納言小豆をのせた「あずきういろ」、爽やかな風味が特徴の「ゆずういろ(秋冬限定商品)」があります。(同上)

  • 〇廣間家の門:廣間家は生駒家のかかりつけ医として仕えていました。廣間家は普段、医院を開いており、生駒家に呼ばれるとすぐに屋敷に向かい、治療にあたっていました。廣間家と生駒家は縁が深い関係となり、廃藩置県のときに生駒家にあった中門を貰い受けて、移築させたのが現在の「廣間家の門」となっています。廣間家の門は欅(けやき)造りで、門の正面には漆喰などの外壁に平らな瓦を貼り付けて、かまぼこ形に盛り上げた「海鼠壁(なまこかべ)」と呼ばれています。当時の面影が未だに残る貴重な文化財です。中門となる廣間家の門は、その先にお座敷へ通されるようになるため、当時は特別な人だけが通ることを許されていました。現在は自由に見られますが、個人所有物の市指定文化財となっています。(同上)

    イチオシ

    〇廣間家の門:廣間家は生駒家のかかりつけ医として仕えていました。廣間家は普段、医院を開いており、生駒家に呼ばれるとすぐに屋敷に向かい、治療にあたっていました。廣間家と生駒家は縁が深い関係となり、廃藩置県のときに生駒家にあった中門を貰い受けて、移築させたのが現在の「廣間家の門」となっています。廣間家の門は欅(けやき)造りで、門の正面には漆喰などの外壁に平らな瓦を貼り付けて、かまぼこ形に盛り上げた「海鼠壁(なまこかべ)」と呼ばれています。当時の面影が未だに残る貴重な文化財です。中門となる廣間家の門は、その先にお座敷へ通されるようになるため、当時は特別な人だけが通ることを許されていました。現在は自由に見られますが、個人所有物の市指定文化財となっています。(同上)

  • 写真は、檜皮葺の建物の『破風(はふ)』の周りの光景です。破風は、東アジアに広く分布する屋根の妻側の造形のことです。切妻造や入母屋造の屋根の妻側には必然的にあり、妻壁や破風板(はふいた)など妻飾りを含む呼び名です。日本では平安時代頃以降に千鳥破風や唐破風が現れ、室町時代末期から安土桃山時代にかけての時期に、神社建築の権現造や城郭建築の天守のように、複数の破風を組み合わせるデザインが考え出されました。(同上)

    写真は、檜皮葺の建物の『破風(はふ)』の周りの光景です。破風は、東アジアに広く分布する屋根の妻側の造形のことです。切妻造や入母屋造の屋根の妻側には必然的にあり、妻壁や破風板(はふいた)など妻飾りを含む呼び名です。日本では平安時代頃以降に千鳥破風や唐破風が現れ、室町時代末期から安土桃山時代にかけての時期に、神社建築の権現造や城郭建築の天守のように、複数の破風を組み合わせるデザインが考え出されました。(同上)

  • 〇生駒屋敷跡(小折城):小折城(生駒屋敷跡)は、現在の小折町にあった生駒氏の在所で、初代家広が文明年間(1469~1486年)に大和国生駒郷から移住してからの屋敷でした。尾張藩ができ、5代利豊が藩士となってからは名古屋城下に屋敷を持ったため、小折城(生駒屋敷跡)は生駒家の別宅となりました。現在は布袋東保育園の隣接地に生駒氏の邸址碑が建立されています。(同上)

    〇生駒屋敷跡(小折城):小折城(生駒屋敷跡)は、現在の小折町にあった生駒氏の在所で、初代家広が文明年間(1469~1486年)に大和国生駒郷から移住してからの屋敷でした。尾張藩ができ、5代利豊が藩士となってからは名古屋城下に屋敷を持ったため、小折城(生駒屋敷跡)は生駒家の別宅となりました。現在は布袋東保育園の隣接地に生駒氏の邸址碑が建立されています。(同上)

  • 〇猿尾(斜めに造られた突堤):猿尾とは、堤から猿の尾のように斜めに築堤した小高い堤防のことです。洪水の水勢を削いで堤より川方にある民家や畑を護るため、江戸時代から明治時代にかけて多く築かれました。現在は、ほとんどの猿尾が失われましたが、木曽川沿いにはその痕跡を残す箇所が点在しています。特に、中般若にある猿尾は原形が保たれ、貴重な史跡として残されています。(同上)

    〇猿尾(斜めに造られた突堤):猿尾とは、堤から猿の尾のように斜めに築堤した小高い堤防のことです。洪水の水勢を削いで堤より川方にある民家や畑を護るため、江戸時代から明治時代にかけて多く築かれました。現在は、ほとんどの猿尾が失われましたが、木曽川沿いにはその痕跡を残す箇所が点在しています。特に、中般若にある猿尾は原形が保たれ、貴重な史跡として残されています。(同上)

  • 〇木曽川堤(桜の名勝):木曽川堤のサクラは、愛知県一宮市から江南市にわたる延長7 kmのサクラ並木です。1927年(昭和2年)8月11日に、国の名勝および天然記念物の二重指定を受けたサクラの名所です。約1800本のエドヒガン、シダレザクラと共に少数のヤマザクラが植樹されたもので、ソメイヨシノを植樹しない点が日本各地のサクラ並木に対して特徴があります。(同上)

    〇木曽川堤(桜の名勝):木曽川堤のサクラは、愛知県一宮市から江南市にわたる延長7 kmのサクラ並木です。1927年(昭和2年)8月11日に、国の名勝および天然記念物の二重指定を受けたサクラの名所です。約1800本のエドヒガン、シダレザクラと共に少数のヤマザクラが植樹されたもので、ソメイヨシノを植樹しない点が日本各地のサクラ並木に対して特徴があります。(同上)

  • 〇宮後八幡社本殿:江南市大字宮後の八幡社は、寛永元年(1624年)9月に徳島城主蜂須賀家政が再建したものです。古い棟札に「奉建立八幡宮御本社並釣殿拝殿共ニ大旦那ハチスカノ庵様、寛永元年9月28日」と書いてあります。蜂須賀家政は、幼少の頃父の小六正勝とともに宮後に住んでいました。成長した後、父小六とともに豊臣秀吉の家来として各地を転戦し、手柄を立てました。(同上)

    〇宮後八幡社本殿:江南市大字宮後の八幡社は、寛永元年(1624年)9月に徳島城主蜂須賀家政が再建したものです。古い棟札に「奉建立八幡宮御本社並釣殿拝殿共ニ大旦那ハチスカノ庵様、寛永元年9月28日」と書いてあります。蜂須賀家政は、幼少の頃父の小六正勝とともに宮後に住んでいました。成長した後、父小六とともに豊臣秀吉の家来として各地を転戦し、手柄を立てました。(同上)

  • 〇宮後八幡社本殿(続き):蜂須賀家政は、その手柄により、四国・徳島24万石の大名になりました。家政は隠居の後、子の至鎭に先立たれ、幼くして大名になった孫の忠英の後見として、再び国の政治に当たりました。漸く老境に達した寛永元年69歳の時、故郷の宮後の地が忘れがたく、八幡社の本殿、釣殿、拝殿を造営寄進しました。(同上)

    〇宮後八幡社本殿(続き):蜂須賀家政は、その手柄により、四国・徳島24万石の大名になりました。家政は隠居の後、子の至鎭に先立たれ、幼くして大名になった孫の忠英の後見として、再び国の政治に当たりました。漸く老境に達した寛永元年69歳の時、故郷の宮後の地が忘れがたく、八幡社の本殿、釣殿、拝殿を造営寄進しました。(同上)

  • 庭木により、大部分が隠れてしまいましたが、南側から眺めた、日輪山・曼荼羅寺の正堂の光景になるようです。「本堂」に相当するらしい、伝統工法の檜皮葺の大屋根です。国指定の重要文化財の建物です。その前の通りの両側には、藤祭りの門前市のお店が、賑やかな色で並んでいました。(同上)

    イチオシ

    庭木により、大部分が隠れてしまいましたが、南側から眺めた、日輪山・曼荼羅寺の正堂の光景になるようです。「本堂」に相当するらしい、伝統工法の檜皮葺の大屋根です。国指定の重要文化財の建物です。その前の通りの両側には、藤祭りの門前市のお店が、賑やかな色で並んでいました。(同上)

  • 曼荼羅寺の境内の堂宇か、8箇所ある塔頭の堂宇になるようですが、建物の特定はできませんでした。比較的新しい造りのようでしたが、風格を感じさせる大屋根です。その前面に手入れが行き届いた松が飾っていました。(同上)

    曼荼羅寺の境内の堂宇か、8箇所ある塔頭の堂宇になるようですが、建物の特定はできませんでした。比較的新しい造りのようでしたが、風格を感じさせる大屋根です。その前面に手入れが行き届いた松が飾っていました。(同上)

  • 絵馬掛の光景です。数も少なく、新しい絵馬は見当たらないようでした。『絵馬(えま)』は、神社や寺院に祈願するとき、あるいは祈願した願いが叶って、その謝礼をするときに社寺に奉納する、絵が描かれた木製の板のことです。奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物として、『神馬(しんめ、じんめ)』を奉納したと記されています。一方、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、奈良時代からは板に描いた馬の絵が見られるようになった、とされます。(同上)<br /><br />

    絵馬掛の光景です。数も少なく、新しい絵馬は見当たらないようでした。『絵馬(えま)』は、神社や寺院に祈願するとき、あるいは祈願した願いが叶って、その謝礼をするときに社寺に奉納する、絵が描かれた木製の板のことです。奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物として、『神馬(しんめ、じんめ)』を奉納したと記されています。一方、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、奈良時代からは板に描いた馬の絵が見られるようになった、とされます。(同上)

  • 緩やかに刈り込まれたツツジから、真っ赤な花が顔を出していました。まじりけのない明るい赤色の花です。先ほどの絵馬掛け同様、手入の手間が、あまり掛けられていない一画のようでした。(同上)

    緩やかに刈り込まれたツツジから、真っ赤な花が顔を出していました。まじりけのない明るい赤色の花です。先ほどの絵馬掛け同様、手入の手間が、あまり掛けられていない一画のようでした。(同上)

  • お洒落な造りの石灯篭の光景です。『雪見灯篭』と呼ばれる石灯篭になるようです。この後、修造院の境内の雪見灯篭も紹介しますが、非常によく似た意匠でした。同じ工房で手掛けられたもののようです。(同上)

    お洒落な造りの石灯篭の光景です。『雪見灯篭』と呼ばれる石灯篭になるようです。この後、修造院の境内の雪見灯篭も紹介しますが、非常によく似た意匠でした。同じ工房で手掛けられたもののようです。(同上)

  • 名前:『モッコウバラ(木香薔薇、木香茨)』(推定)<br />分類:バラ科バラ属<br />分布:中国原産。<br />その他:性質は強健で、病気も普通のバラと比べると少なく、成長も早いバラです。野生種の起源は不明とされます。(同上)

    名前:『モッコウバラ(木香薔薇、木香茨)』(推定)
    分類:バラ科バラ属
    分布:中国原産。
    その他:性質は強健で、病気も普通のバラと比べると少なく、成長も早いバラです。野生種の起源は不明とされます。(同上)

  • 曼荼羅寺見学を終えて、次に向かった塔頭の『修造院』の石標の光景です。曼荼羅寺の東北に隣接する場所並んだ三つの塔頭の内の一つです。西から順に、修造院(しゅうぞういん)、世尊院(せそんいん)と本誓院(ほんせいいん)になります。<br />〇修造院:西山浄土宗:ご本尊は阿弥陀如来。<br />〇世尊院:西山浄土宗:ご本尊は阿弥陀如来。<br />〇本誓院:西山浄土宗:ご本尊は阿弥陀如来。(同上)

    曼荼羅寺見学を終えて、次に向かった塔頭の『修造院』の石標の光景です。曼荼羅寺の東北に隣接する場所並んだ三つの塔頭の内の一つです。西から順に、修造院(しゅうぞういん)、世尊院(せそんいん)と本誓院(ほんせいいん)になります。
    〇修造院:西山浄土宗:ご本尊は阿弥陀如来。
    〇世尊院:西山浄土宗:ご本尊は阿弥陀如来。
    〇本誓院:西山浄土宗:ご本尊は阿弥陀如来。(同上)

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