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一年前から計画準備してきた積雪期剱岳集中登山。幸運に恵まれ、合宿中、悪天で行動不能の停滞した日はわずかに2日のみ、計画通り、大成功の山行であった。同時期、剱岳には東京の3つの有力大学山岳部が入っていたらしいが、アクシデントなどもあった大学もあったらしく、早々に撤収してしまい、剱岳は我々だけの庭になり、思う存分登り且つ歩きまくった。更には山にはどうしてもつきものアクシデントの気配ひとつ無く、幸運な山の女神が吾等に微笑んだ。我々は長期の山行計画を立てる時、3日に1日の停滞日(悪天候による行動不能日)を予定する。(参加人員 25名)

山日記/1958年:冬・春

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1958/02/28 - 1958/03/30

5988位(同エリア6999件中)

旅行記グループ 山日記

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17

Berg Heil

Berg Heilさん

一年前から計画準備してきた積雪期剱岳集中登山。幸運に恵まれ、合宿中、悪天で行動不能の停滞した日はわずかに2日のみ、計画通り、大成功の山行であった。同時期、剱岳には東京の3つの有力大学山岳部が入っていたらしいが、アクシデントなどもあった大学もあったらしく、早々に撤収してしまい、剱岳は我々だけの庭になり、思う存分登り且つ歩きまくった。更には山にはどうしてもつきものアクシデントの気配ひとつ無く、幸運な山の女神が吾等に微笑んだ。我々は長期の山行計画を立てる時、3日に1日の停滞日(悪天候による行動不能日)を予定する。(参加人員 25名)

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  • 富山から上市 極楽寺を経てそこから雪の中 伊折部落に入り、更にゾロメキ発電所経由 全員で早月尾根の麓、馬場島小屋のベースハウスへ。C1を1600M C2を2600M C3を2700Mに設営、C4が剱岳山頂直下 C5が三の窓 その後荷揚げが終了後 C1 C2を撤収 全員が C3 C4 C5に集結 集中登攀を開始した。 この荷揚げも秋に偵察をしていたので天候にも恵まれた事もあって実にスムースに進んだ。一ヶ月25人分の荷物は750KG以上に及ぶ。<br /><br />正面は早月尾根 ここを何回も登り降りして荷揚げを行う。(これをボッカという) 

    富山から上市 極楽寺を経てそこから雪の中 伊折部落に入り、更にゾロメキ発電所経由 全員で早月尾根の麓、馬場島小屋のベースハウスへ。C1を1600M C2を2600M C3を2700Mに設営、C4が剱岳山頂直下 C5が三の窓 その後荷揚げが終了後 C1 C2を撤収 全員が C3 C4 C5に集結 集中登攀を開始した。 この荷揚げも秋に偵察をしていたので天候にも恵まれた事もあって実にスムースに進んだ。一ヶ月25人分の荷物は750KG以上に及ぶ。

    正面は早月尾根 ここを何回も登り降りして荷揚げを行う。(これをボッカという) 

  • 大きな荷物でののボッカが進む。<br /><br /> 伊折部落でご厄介になったお宅は大きな屋敷で、広い部屋の囲炉裏を囲んでの就寝、建物は深い雪に埋もれて真っ暗。このお宅の小学生6年生くらいの娘さんが素足で藁靴を履き、雪道を登校するのには驚いた。<br />このお宅の名前を忘れてしまったが、今一度訪ねたいものである。

    大きな荷物でののボッカが進む。

     伊折部落でご厄介になったお宅は大きな屋敷で、広い部屋の囲炉裏を囲んでの就寝、建物は深い雪に埋もれて真っ暗。このお宅の小学生6年生くらいの娘さんが素足で藁靴を履き、雪道を登校するのには驚いた。
    このお宅の名前を忘れてしまったが、今一度訪ねたいものである。

  • スキーをはいてのボッカ隊が行く。荷物は30Kgを軽く越える。(伊折〜馬場島)

    スキーをはいてのボッカ隊が行く。荷物は30Kgを軽く越える。(伊折〜馬場島)

  • 天候は曇り 時々雪 下界では何の事もない。順調に荷揚げが続く。

    天候は曇り 時々雪 下界では何の事もない。順調に荷揚げが続く。

  • 早月尾根C1(2100M)からの別山 東大谷方面を望む

    早月尾根C1(2100M)からの別山 東大谷方面を望む

  • C3(2700M)

    C3(2700M)

  • <br />C3


    C3

  • C? 剱岳山頂直下 私はここに一週間滞在 基地とした。

    C? 剱岳山頂直下 私はここに一週間滞在 基地とした。

  • C? 三の窓 最前線基地 ここへもC?設置と撤収の為 訪れている。

    C? 三の窓 最前線基地 ここへもC?設置と撤収の為 訪れている。

  • 山頂から八つ峰 長次郎谷<br /><br />C3 C4 C5 を基地として それぞれ2人でパーティーを組み 各岩稜 岩壁の登攀に向かう。

    山頂から八つ峰 長次郎谷

    C3 C4 C5 を基地として それぞれ2人でパーティーを組み 各岩稜 岩壁の登攀に向かう。

  • 八つ峰と長次郎谷

    八つ峰と長次郎谷

  • 山頂から見る 五竜岳 鹿島槍ヶ岳<br /><br />この時 皆が好んでテントで口ずさんだ歌<br /><br />※「錆びたナイフ」石原裕次郎(この頃流行か?)<br />※「月見草の歌」旧第三高等学校の歌(京都)<br />※「北帰行」旧旅順高等学校寮歌<br />   (小林旭バージョンではない!!)<br />※ アーベント・ロート(Abend Rot:夕焼け)

    山頂から見る 五竜岳 鹿島槍ヶ岳

    この時 皆が好んでテントで口ずさんだ歌

    ※「錆びたナイフ」石原裕次郎(この頃流行か?)
    ※「月見草の歌」旧第三高等学校の歌(京都)
    ※「北帰行」旧旅順高等学校寮歌
       (小林旭バージョンではない!!)
    ※ アーベント・ロート(Abend Rot:夕焼け)

  • 薬師岳 遠望 <br /><br />アーベント・ロート<br /><br />夕日山に沈みて 黄昏せまる頃<br />ここに我一人立ち 遠き君を思う<br />そよ風は我が愛の思い出もたらしぬ<br />ふもとの谷間に灯が点けば<br />思い出は若き日の昔に帰る<br />夕日山に沈みて 遠き君を思う

    薬師岳 遠望 

    アーベント・ロート

    夕日山に沈みて 黄昏せまる頃
    ここに我一人立ち 遠き君を思う
    そよ風は我が愛の思い出もたらしぬ
    ふもとの谷間に灯が点けば
    思い出は若き日の昔に帰る
    夕日山に沈みて 遠き君を思う

  • 北帰行(宇多博:1941年)<br /><br />窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく<br />北へ帰る旅人一人 涙流れてやまず<br /><br />建大 一高 旅高 追われ闇を旅行く<br />汲めど酔わぬ恨みの苦杯 嗟嘆干すに由なし<br /><br />富も名誉も恋も 遠きあくがれの日ぞ<br />淡きのぞみはかなき心 恩愛我を去りぬ<br /><br />我が身容るるに狭き 国をさらむとすれば<br />せめて名残の花の小枝 尽きぬ未練の色か<br /><br />今は黙して行かん 何をまた語るべき<br />さらば祖国わがふるさとよ <br />明日は異郷の旅路<br />明日は異郷の旅路<br /><br />※ 建大(満州にあった建国大学)一高(旧制第一高等学校/東京)<br />たしか宇田氏はTBSの重役をされた 。

    北帰行(宇多博:1941年)

    窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく
    北へ帰る旅人一人 涙流れてやまず

    建大 一高 旅高 追われ闇を旅行く
    汲めど酔わぬ恨みの苦杯 嗟嘆干すに由なし

    富も名誉も恋も 遠きあくがれの日ぞ
    淡きのぞみはかなき心 恩愛我を去りぬ

    我が身容るるに狭き 国をさらむとすれば
    せめて名残の花の小枝 尽きぬ未練の色か

    今は黙して行かん 何をまた語るべき
    さらば祖国わがふるさとよ 
    明日は異郷の旅路
    明日は異郷の旅路

    ※ 建大(満州にあった建国大学)一高(旧制第一高等学校/東京)
    たしか宇田氏はTBSの重役をされた 。

  • C4から立山に一泊で向かう朝、これが当時の完全装備 C4(7:00)立山(15:30)ー剱御前小屋(17:00) ここで一泊 翌日C4へ戻る。<br />

    C4から立山に一泊で向かう朝、これが当時の完全装備 C4(7:00)立山(15:30)ー剱御前小屋(17:00) ここで一泊 翌日C4へ戻る。

  • 後立山連峰 剱岳山頂から<br /><br />月見草の歌(1919年 岡本扇一)<br /><br />紅萌ゆる岡の上 夕月淡く照らす頃<br />恋に泣く子は唯一人 吉田の山をさまよいぬ<br /><br />折から山の静けさを 破りてひびくマルサスの<br />挽歌の聞ゆ来てみれば 此処に一人の乙女あり<br /><br />月は東の空に出で 広野の果ての月見草<br />一人咲くべき恋の夜に 可憐な乙女何を泣く<br /><br />(4〜10番まで省略)<br /><br />されど乙女子恋の子よ 君永劫の死にされど<br />恋には朽ちぬ命あり うましき恋に君よ泣け<br /><br /><br />※ この歌は加藤登紀子が歌っている<br />「風の歌 知床旅情」ポリドール・カセットテープ CR7018 (今でも大事に所存)<br /><br />

    後立山連峰 剱岳山頂から

    月見草の歌(1919年 岡本扇一)

    紅萌ゆる岡の上 夕月淡く照らす頃
    恋に泣く子は唯一人 吉田の山をさまよいぬ

    折から山の静けさを 破りてひびくマルサスの
    挽歌の聞ゆ来てみれば 此処に一人の乙女あり

    月は東の空に出で 広野の果ての月見草
    一人咲くべき恋の夜に 可憐な乙女何を泣く

    (4〜10番まで省略)

    されど乙女子恋の子よ 君永劫の死にされど
    恋には朽ちぬ命あり うましき恋に君よ泣け


    ※ この歌は加藤登紀子が歌っている
    「風の歌 知床旅情」ポリドール・カセットテープ CR7018 (今でも大事に所存)

  • 真夜中 小用の為テントを出た。風そよとも吹かず 雲ひとつ無い満月 物音一つせず、静寂の世界、月光に輝く北アルプスの峰々 遥かに槍、穂高迄澄み切った凍てつく空気の中に輝いている。これぞ山に来た幸せ、しばし佇み 長次郎谷に向かって勢い良く放尿!!  実に爽快であった。<br /><br /><br />「万里の頂上で小便すれば ゴビの砂漠に虹がたつ。」こんな歌を口ずさみながら。<br /><br />この写真と同じ夜の風景を想像されたい。

    真夜中 小用の為テントを出た。風そよとも吹かず 雲ひとつ無い満月 物音一つせず、静寂の世界、月光に輝く北アルプスの峰々 遥かに槍、穂高迄澄み切った凍てつく空気の中に輝いている。これぞ山に来た幸せ、しばし佇み 長次郎谷に向かって勢い良く放尿!!  実に爽快であった。


    「万里の頂上で小便すれば ゴビの砂漠に虹がたつ。」こんな歌を口ずさみながら。

    この写真と同じ夜の風景を想像されたい。

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  • utamiumiuさん 2017/03/31 15:50:34
    ご無沙汰しています。utamiumiuです
    Berg Heilさん
    冬山の登山記拝読拝見いたしました。
    張り詰めた空気が伝わってくるような清々しくも恐ろしくもある写真と文章に背中がゾクゾクしました。

    私にとっては同じ地球とは思えない光景です。

    お変わりありませんか?
    私の方は、老親と老叔母と孫たちの世話をしながらオペラに出たり、バロックアンサンブルをやったり貧乏暇なしの暮らしです。

    4月25日からドイツとウィーンに行きます。
    なんとなんと、お嫁さんが姑である私に「連れてって」とリクエストをくれました。

    これには夫も文句が言えず、財政難のなかですが行ってよしのGOサインをくれました。
    15年間公共料金の支払いで貯めたマイレージも大きな助けになりました。

    またお邪魔します。

    uta

    Berg Heil

    Berg Heilさん からの返信 2017/04/01 10:48:08
    RE: ご無沙汰しています。utamiumiuです
    > Berg Heilさん
    > 冬山の登山記拝読拝見いたしました。
    > 張り詰めた空気が伝わってくるような清々しくも恐ろしくもある写真と文章に背中がゾクゾクしました。

    >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    こちらこそご無沙汰です。山日記の編集でローマ数字が文字化けしているので洋数字に書き換えたところ旅行記の順番が一番新しいところに来てしまってお目にともったのかもしれません。

    当方 昨年大腸ののポリーフを除去したところ血液検査で前立腺に異常ありと言われ、精密検査の結果正月早々前立腺癌と診断、老齢故に手術や放射線治療はせず、内分泌療法で注射と投薬で過ごしております。なんでも男性ホルモンを抑えるとかで副作用として女性化する恐れありと言われましたがお陰様で目下のところ副作用の気配もなく順調に日々を過ごしております。医師の話によりますれば「この癌で死ぬより、他の病気や寿命で死ぬ人のほうがよほど多い」といっていましたので案外気楽に考えていますので御放念下さい。

    まだまだ旅には出たいのですが、特に三十年戦争の講和でウエストファリア条約が結ばれた、ミュンスターとオスナブリュックの訪問。そして一昨年訪れたホーエンツオルレン城を周囲の山に登って写真を(ライヒベルク、ツエラーホルンから)撮りたかったのですがこんなことで独逸中欧物見遊山の旅もこの辺で卒業かもしれません。

    4月からの旅、Gute Reise !! 在京諸姉によろしく。まだまだ人生日没までには時間がありそうです。ここ数年母校静岡高校の野球部の活躍を楽しんでいます。

    ※ 静岡高校は県下では浜松北高と並んで双璧をなす進学校ですが、野球部は10人ほどの校長推薦枠があり、県下(全県一区)の優秀な野球少年の憧れです。しかし一般生徒と同じ授業を受けますので中学でもそこそこの成績をとっていないと入れないそうで、現役の2番手の投手は医学部進学志望、昨年は東北大に、今年も筑波大に進学しています。一般入試で入ってきた生徒でも野球部に入っています。決して野球学校ではありません。

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