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第16章 イタリア運転免許証取得手順<br /><br />そんなこんなで私はイタリアでは実質、無免許運転をしていました。でもまた検問で止められても、国際運転免許証を見せればうまく行くだろうと思っていました。でも事故などを起こすと、いろいろな書類を要求され、私がイタリアで運転資格がないことがバレてしまうので、安全運転に徹しました。<br />そんなある日、ミラノの弁護士のコロネリ女史から、日本政府とイタリア政府が運転免許証についてある合意に達したというニュースが入りました。<br />つまり、イタリアに住む日本人、日本に住むイタリア人に対して、それぞれの自国の運転免許証があれば、それを書き換えるだけで他国での免許証が発行されるというのです。要するに私が日本の免許証を持っていれば、イタリアでの試験は受けなくても、書類手続きだけでイタリアの免許証が発行されるということです。実は数年前はそのようになっていたのですが、外交上の駆け引きのせいで、それが中断され、私のような者が迷惑をこうむっていたのです。イタリア政府の気が変らないうちにと思い、私は早速、手続きに入りました。しかしその手続きの厄介なことと言ったら。日本の免許証をミラノにある日本領事館でイタリア語に翻訳してもらいその領事の証明をもらって来いとか、視力と身体検査に、どこかの事務所へ何曜日に行けとか、郵便局から為替でいくらいくら払い込めとか。その一環で申請書類にID(身分証明書)のコピーが必要であるということがわかりました。私はそれまでイタリアのIDを持ってはいませんでしたが、合法的にイタリアに滞在する外国人には、役所がIDを発行してくれます。日本では企業などが自社の社員に身分証明書を発行したりはしますが、公の機関が写真入りの身分証明書を発行するということはありません。パスポートや運転免許証が、それの代わりをすると言えばそうかも知れません。<br />私はすぐ自分の住むパドバ郊外の役所へIDを発行してもらうために行きました。警察署の発行した滞在許可証の原本を持参し、自分の写真と収入印紙を貼った申請書を提出すると、こりゃまた簡単にIDを発行してくれました。とにかく役所では必要書類の多いイタリアらしくない。少しあてが外れて拍子抜け。<br /><br /><br />第17章 結婚証明書<br /><br />役所の受付のサンドラおばさんからIDを受け取り無事取得して、これで完了ですね、と私が確認して帰ろうとします。ところが、ちょっと待ってと言います。そしてガラス越しに、あなたは結婚していますかと聞くのです。当然私は「ハイ」と答えます。サンドラおばさんは中くらいに伸ばした黒い髪を後ろで束ねています。なんで私がサンドラおばさんの名前を知っているかというと、サンドラと書いた名前たてが目の前にあったからです。しかし、ケッコウ愛想のいいサンドラおばさんは妙な事を言うのです。「あなたの、役所への届出は独身となっている。結婚をしているのなら結婚証明書を提出してください」と言うのです。私は日本で結婚していますがイタリアでは結婚した覚えはないので(確か)、結婚証明書を取るとしたら日本でしかありません。でも待てよ、日本で結婚証明書なんて聞いたことがないゾ。<br />私はサンドラおばさんに言います。私は結婚詐欺をしたりするつもりはないので、結婚していながら独身などと言ったことはないぞ、、、でもこんな難しいことは私はイタリア語では言えないので、心の中で思っただけです。しかし、本当に日本には結婚証明書などはないので、戸籍謄本ではダメかと聞きました。サンドラおばさんは、それしかないのならそれでいいと言います。<br /><br />アパートへ帰ってから、早速日本の自宅へ電話をして、女房に戸籍謄本を取り寄せてE-mailで送ってくれと頼みました。数日してE-mailを受け取り、私はそれを土日の2日間かけて英語に訳しました。そのあと会社の仲間に頼み、英語からイタリア語に訳してもらいました。そしてそのイタリア語訳の戸籍謄本を持って役所へ行きました。日本語の戸籍謄本は原本でなければいけないので、コピーではダメだとサンドラおばさんは言うのです。また日本へ電話して郵便で戸籍謄本の原本を送ってもらうよう頼みました。ここまで来るのに2ヶ月かかりました。そして戸籍謄本の原本を持ち、私の会社の仲間が訳してくれたイタリア語の戸籍謄本を持って再度役所へ行きました。サンドラおばさんは私に聞くのです。このイタリア語訳は誰がしたのですか、と。私は、私の友人がしてくれましたと答えました。サンドラおばさんは更に言います。このような公式文書の翻訳は資格を持った弁護士などが翻訳したものでなければ無効ですと、、、。ゲッ! いまさら何を言うのだと私もアタマへ来ました。サンドラおばさんは言うのです、資格のある弁護士の翻訳には100ユーロ(約13000円)かかるよと。100ユーロも?と私は強い口調で、いや~な顔をしてサンドラおばさんに言いました。皆さん、これからが腹が立つのです。それに対して、役所窓口のサンドラおばさんの返事を想像できますか?普通の日本人なら絶対、想像できないでしょう。もし当たったなら豪華客船での世界一周旅行、、、、のパンフレットを差し上げます。<br />サンドラおばさんの返事はこうでした。<br />「そ~お、翻訳料が高いので困るのだったら、もういいわよ」<br />もういいわよ、とはどういうこと? 何がもういいわよなの?<br />サンドラおばさんは言います。<br />「結婚証明書はもう要らないわよ」<br />私は絶句しました。日本から戸籍謄本の原本を取り寄せたり、それを英訳し、更に友人に頼んで伊訳してもらい、このために3ヶ月も費やしたのです。それを「もう要らない」との一言で片付けられたのです。冗談は よしこさん、何を ゆうこさんです。ホント冗談は休み休み言ってほしいわ。あたしは さっき休んだからいいけどぉ。おおっと、こんなギャグがサンドラおばさんに通じるはずがない。あーあ、これがイタリアなんだ。怒ってはいけない、こんなことで怒っていてはイタリアでは暮らしていけないぞ。実際に何か被害を受けたわけではないのだからいいではないか、、しかし、しっかし、、、握ったこぶしの震えを必死に抑える私でした。<br /><br />結局イタリアでは私は独身となっているらしい。もしかしたら、このせいで結婚紹介所から、きれいなイタリアのオネエサンのお嫁さん候補の紹介とか写真とかがダイレクトメールで届くかもしれない、、それを楽しみに怒りを抑えよう。<br /><br /><br />第18章 運転免許証取得、ぶぁんずゎ~い!!<br /><br />運転免許証から、話が少し横道へ反れました。イタリアでの運転免許証は結局、手続きを始めてから4ヶ月後にやっと手に入りました。これで私は合法的に大手を振ってイタリアで運転ができます。事故を起こしても大丈夫だぞぃ。おお~っと待て、無理に事故を起こす必要はないべな。このイタリアの免許証は写真付きのプラスチックカードでサイズはクレジットカードと同じ、有効期限が5年。これがあればEU加盟国のヨーロッパの国中、どこの国でも運転できます。<br />私は、免許証について心配してくれたガリちゃん、そしてナポリの闇ルートでの免許証の入手方法を探ってくれたルーチョ君、叔父さんのルートで免許証発行のルートを調べてくれたジョゼッペ君に、正規の免許証が手に入ったことを知らせました。彼らは私の写真入りの免許証を見ながら、「この写真は若すぎるぞ、何年前の写真だ?」とか言いながらも祝福してくれました。免許証については一件落着。後日談は、、、、ありません。<br /><br /><br />第19章 イタリアの挨拶<br /><br />さて、イタリアの挨拶の言葉に関して、ひとくさり。<br />ご存知の方も多いと思いますが、イタリア語で、おはようとか、こんにちは、は「ボンジョールノ」と言います。こんばんは、は「ボナセーラ」。これぐらいは私でもイタリアへ来る前から知っていました。特に午後だけの挨拶には「ボン.ポメリージョ」と言ったりもします。ポメリージョは正に日本語の午後に相当します。<br />ところがイタリアへ住むようになって、イタリア人達とこれらの挨拶を交わすうち、私は何か違和感を持ち始めたのです。<br />「おはよう」と「こんにちは」に相当するボンジョールノは朝や午後の早いうち3時ごろまでに会ったとき交わす言葉です。英語で言うと「グッド.モーニングとグッド.アフターヌーン」の両方に相当します。グッドモーニングとか、おはようは、当然会ったときに交わす言葉です。そしてもし少し立ち話でもしたあとに別れるとしたら、「又ね」とか言って別れます。別れるときに「おはよう」とは言いません。ところが、ところが、イタリアでは、朝初めて会って「ボンジョールノ」と挨拶を交わし、少し話したあと別れるときにまた「ボンジョールノ」と言うのです。なんで、別れる時に、おはようなんて言うのだろう、、、これがイタリア語の挨拶言葉に対して私が持った違和感と疑問でした。周りにこのことを聞く人が誰もいなく、少しの間、私は自分の中で違和感を持ち続けていました。<br />そしてある日突然その違和感が吹っ飛んだのです。そのわけを発見したのです。<br />別れるときに言うボンジョールノは、日本語のこんにちは、ではなく「今日、これからいい日をお過ごし下さい」という意味になるのです。そして、夕方に別れるときに言うボナセーラは、こんばんはではなく「これから、いい夕べをお過ごし下さい」という意味なのです。こう解釈すると今までの私の持っていた違和感がすう~っと解消されたのです。おそらくラテン語の国々のポルトガルやスペインでも同じではないかと自分勝手に決めつけています。ただ、イタリア語の挨拶で最も有名なチャオ(Ciao)は、ポルトガル語を話すブラジルでも使いますが用法が少しだけ違います。イタリアのチャオは会ったときも別れるときにも使います。日本語の「どうも」に一番近いように思います。でもブラジルではチャオは何故か別れる時にしか使いません。わけを知っている方は教えてください。<br /><br /><br />第20章 サンマルコ広場で、映画「旅情」を気取る<br /><br />春もうららな、ある土曜日に私はベネチアの島へ一人で車で遊びに行きました。特に訪れたいところがあったわけではありませんが、のんびりとベネチアを散策したい気分になったのです。島の入り口のローマ広場から水上バスに乗り30分ちょっとでサンマルコ広場へ着きました。サンマルコ寺院の前にある広場なのでサンマルコ広場と呼ばれています。見慣れた風景ですが気候がよくなったせいか、サンマルコ広場は世界中からの観光客でいっぱいです。古い映画をご記憶の方は知っておられるかと思いますが、このサンマルコ広場は、アメリア映画の「旅情、原題Summer Time」でキャサリーン.ヘップバーンとロッサノ.ブラッツイが出会った場所です。広場の屋外のカフェ(喫茶店)でこの映画のヒロインのジェーンとレナートは出遭ったのです。<br /><br />私もロッサノ.ブラッツイを気取り屋外のカフェの椅子に腰掛けました。白いジャケットを着た年配のウエーターがテーブルへ来ます。私はプロセッコ、イタリア北部地方で作られる炭酸入りの白ワイン、を注文します。葉巻をくゆらせながら私は気取りまくってプロセッコのグラスを傾けます。冷えていてとてもうまい。目の前を観光客が行き交います。<br /><br />私はイタリアに住みつく前から、出張のついでに何度もベネチアへ来たことがあります。当然、私も観光客であり来訪者でした。しかし、その日は目の前を行き交う観光客を見ていると自分は土地の者だという感覚になりました。お~ぅ、今日も世界中から観光客が来とるな、、という感覚になるのです。日本からの女子大生らしい数人のグループが観光ガイドブックと地図を広げながら、どっちへ行ったらいいのかなどと話し合っています。実は私のイタリアの会社には日本人は私一人なので、なかなか日本語を話す機会がありません。つまり私は日本語が話したくてしょうがないのです。それで日本から観光に来た人などが困っていると助けたくなるのです。日本語が話せるからです。でも、その道に迷ったらしい女子大生達は、私がすぐ傍にいるのに私に道を尋ねようとはしないのです。「俺に聞いてくれよっ!」と心の中で叫びながら私はチラチラと女子大生達を盗み見ます。結局、彼女達は行き先がわかったらしく、無常にも私を無視して立ち去りました。なんと薄情な奴らだ。でも女子大生達は私の存在に気付いていないのだから、薄情者などと言う私は逆恨み以外の何者でもありません。スンマセン。<br /><br />考えてみると、女子大生達から見れば、私は日本人か、なに人かわからないのに聞けるわけがありません。見かけからして私は東洋人だとはわかるでしょうが、、、。それにもし私から親切そうに声をかけたりしたら「怪しい東洋人の人さらい」と思われかねません。観光客に親しげに話しかけて来る人に注意しましょう、と書かれたガイドブックを読んだことがあります。そうか、そうだったのか。私は、サンマルコ広場で自問自答し、結局は日本語を話すことも出来ず寂しい思いをしたのでありました。<br /><br />私の知人で台湾に単身で長い間滞在している日本人がいます。その人が私に言ったことがあります。人間が、人に対して一番親切になれるのは「私のように単身で外国に滞在する人が、母国から来た人に会ったときです」と。日本語が話したいと思ったり、人恋しくなって、何か力になってあげたいとか、困っている母国の人に親切にしてあげたくなるのだと言うのです。その通りです。まさに今の私がそうです。<br /><br /><br />第21章 民間親善大使<br /><br />そして、私が日本人観光客と話し、親切にしてあげる機会が突然訪れたのです。<br />あるとき、私は仕事上の来客を出迎えるためにベネチア空港へ行きました。空港の建物の出口あたりで、新婚旅行らしい日本人のカップルが不安そうな顔をしてガイドブックを見ているのです。ガイドブックの表紙に「イタリア観光」と日本語で書かれていたので私には、その2人が日本人だということがすぐわかりました。その旦那さんらしき若い男の人が私の方をチラチラ見ています。そうそう、彼らから見れば私が日本人かどうかはわからないのです。何か困った様子です。しかし、しかし、人さらいと思われるのが怖いので私からは決して話しかけません。次の瞬間、その旦那さんらしき人と目線が合いました。その人はおずおずと私に歩み寄り「エクスキューズミー」と言います。私は待ってましたとばかり、しかし、おもむろに「何でしょうか?」と日本語で答えます。その男の人の顔がパッと輝きました。「日本の方ですか?」と弾んだ声でした。異国で困っている時に日本人に会えたのです。きっと私は神様か仏様に見えたことでしょう、、、私はそういう上品な顔はしていないのですが。<br /><br />そのカップルによると、関西空港からパリ経由でベネチアへ来たのだけれども、ベネチアへ着いたら、スーツケースが紛失して届いていないとのこと。一応自分達で荷物紛失届けの手続きをしたけど、これからベネチアのホテルへどうやって行ったらいいのかわからなく荷物が出てきた時どうしたらいいのかわからず困っていたとのこと。経験されている方もおありでしょうが、こういうとき、通常はスーツケースの鍵などは空港へ預けます。荷物が遅れて届いたとき、税関でその荷物の検査を要求された際に開けられるようにするためです。しかしそのカップルは、イタリアの空港職員が信用できず、スーツケースの鍵を預けなかったというのです。そうすると彼らは荷物が届いた時、また空港へ来なければなりません。彼らは、そのつもり、つまり空港へ来るからいいと言うのです。しかし鍵を預けておけば、空港へなど来なくても、運送会社を使って自動的にホテルへ届けてくれるのです。私は旦那さんらしい人に聞きました。そのスーツケースにはカメラとか高価なものが入っているのですかと。返事は、衣類や洗面具などが入っているだけです。私は言いました、イタリアがいくら危ないといっても、空港職員はあなた達の衣類なんかを盗ったりしませんよ。だからスーツケースの鍵を空港職員へ預けなさい、荷物は明日には、まずあなたたちのホテルへ届けてくれるから、、。そして私は彼らと一緒に荷物係の所へ行き、鍵を預け、書類訂正のお手伝いをしてあげました。そして、ベネチアの島へ行く船の乗り場を教えてあげました。<br /><br />でも彼は言うのです。私達はベネチアで3泊して、そのあとフィレンツェへ行くのですが、ベネチア滞在の間に荷物が届かなかったらどうしよう、フィレンツェのホテルの名前と住所も空港へ届けたほうがいいでしょうかと。私はアドバイスしました。3日の間には必ず荷物が届くから大丈夫、もしフィレンツェのホテルの名前や住所を届けたら、それこそイタリアのことだから、明日届いても、そちらへ間違って送られてしまう可能性があるよと。彼は納得しました。しかし更に言うのです。もしベネチアに3泊する間に荷物が届かなかったら、フィレンツェへ移動するのを延ばしベネチアに3泊以上することになる。しかしベネチアでホテルが延長できるのかも、また別のホテルが見つかるかもわからないので心配ですと。2人は本当に心細そうでした。私は胸を叩いて言いました。大丈夫、ベネチア滞在を延長することになってホテルが取れなかったら私へ電話しなさい、2人ぐらいなら何泊でも泊めてあげましょうと。私は自分の名刺を渡しました。名刺には私の携帯電話の番号も書かれているので、ここへ電話してくださいと伝えました。私はそのとき旦那さんの名前を聞きました。「新藤」ですとのこと。彼らが、あまりにも不安そうだったので私は2人と同じバスに乗ってベネチア島行きの船の乗り場まで一緒に行ってあげました。バスの中で私は奥さんらしい人に言いました。こういうことがあるとベネチアはきっと印象に残って、あとになるととても楽しい思い出になりますよ、かえって幸運だったと思ったほうがいいかもネ、と。しかし彼女は、悲壮な顔をしていて、そのような余裕はありませんでした。そうそう、私が彼らのことを助けてあげている間、本来の私が空港へ行った目的の人、つまり私が出迎えに行った人は、ず~ぅっと我慢強く待っていてくれました。<br />それから数日間、私は新藤さんからの電話があるのか気にしていましたが結局電話はありませんでした。きっと予定どおりに荷物は着いたのでしょう。Nessuna nuova, buona nuova.(便りの無いのは良い知らせ)とは、このことです。 <br /><br />それから2週間ほど経ったある日、私のパソコンにEmailが届きました。あの新藤さんからのものでした。彼らは広島に住んでいて、無事に帰国したとのこと。そのEmailにはオーバー過ぎると思えるほど私に対するお礼の言葉が書かれてありました。「ベネチアで大変親切にしていただき、お陰で楽しい旅ができました、頂いたご親切は一生忘れません」と。いいえ、いいえ、私も日本語が話せてとても嬉しかったので、お礼を言いたいのは自分の方ですと思ったけど私のEmailの返事には書きませんでした。ただ、私はEmailで書きました。「どうです、私が言ったとおりでしょう? 無事に帰る事が出来た今、ベネチアはとても印象深い町となり、荷物がなくなったこともとても楽しい思い出になったでしょう? 奥さんもそう思っていませんか?」と。それには返事はありませんでした。ま、いいけどね。しかし、それ以来私は、日伊友好民間親善大使を自負しています。<br /><br /><br />第22章 イタリアの結婚式に招待される<br /><br />そろそろ夏になるという頃、ガリちゃんが私に言いました。ロベルタが結婚することになったから、お前を結婚式に招待したい。ガリちゃんの長女であるロベルタはとても優秀でパドバ大学の法律学科を卒業し弁護士になるための研修中とのこと。歳は30才。結婚相手のアレッサンドロ君にも私は以前会っていて知っています。<br /><br />ついでながらイタリア人の名前、それもファーストネームについて一言。<br />イタリアに限らず多くのラテンの国の人たちのファーストネームには一定の法則があります。ラテン語には男性名詞と女性名詞があることは語学に興味のある人は知っておられると思います。名前も同じです。男の名前の語尾は「o」で終わり、女の名前は「a」で終わります。男のAndreaのような例外はありますが多くがそうです。ガリちゃんの娘はロベルタ(Roberta)です。これが男になるとロベルト(Roberto)になります。女のシルビアがいれば男はシルビオ。男のジーノがいれば女のジーナがいます。ロベルタの旦那さんになる人はアレッサンドロですが、これが女の名前になるとアレッサンドラとなります。ですからイタリア人の男の名前はパオロやフランコなどの場合は「o」で終わります。日本人の女の子の名前は「子」で終わるものが多くあります、最近はそうでもないのですが。私のイタリア人の友人が私に聞いたことがあります。例えば、日本人の名前で純子(Junko)という名前の場合、「o」で終わるのに何で女の名前なのかと。イタリアで「コ」で終わる名前は男だよと。そんなこと知ったことか。私はうまく説明が出来ませんでした。でも「子」は日本ではGirlを意味するので女の子の名前によく使われるんだよというのが精一杯でした。<br /><br />さて、それまで私はイタリアの結婚式には出たことがなく興味津々です。そして式にはどのような服装で行けばいいのか。私は日本から、黒いダブルの略式礼服を持って来ていました。そこでガリちゃんに聞きました。どんな服装で行けばいいの? ガリちゃんが怪訝そうな顔で言います。どんなのでもいいよ、自分の好きな服装でいいよとのこと。それでも納得がいかず、黒い礼服がいいのか?と聞きました。別に黒い服などと決まっていないよ、本当に好きな服でいいよと言います。結局よくわからず、私は礼服はやめ、普通のダークスーツにしました。実際に結婚式に行って驚きました。ガリちゃんの言ったとおり列席者は皆おもいおもいの服装で、男の列席者の中には、ズック靴にポロシャツの人もいました。<br /><br /><br />第23章  イタリアの結婚式<br /><br />イタリアの結婚式の実況中継をします。<br />まず結婚式当日、私は花嫁の家であるガリちゃんの自宅へ行きました。そこには友人、親戚が数人集まっていて、ワインやジュースを飲み、サンドイッチやクッキーを食べながらだべっています。少ししたら花嫁である白いドレスのロベルタが現れます。長いドレスの裾を両手で自分で持ち大股で歩いてきます。彼女は親戚や友人に混じってサンドイッチなどをかじります。私は用意していた贈り物をロベルタに渡しました。前から準備していた、源氏物語絵巻のミニチュアたて屏風です。これからどうなるかと思っていた頃、そろそろ行こうかということになり、皆数台の車に分乗して教会へ向かいました。教会には花婿のアレッサンドロはじめ親戚、友人そして子供達、合計50人あまりの人が揃っています。アレッサンドロは日本のようにモーニングなどではなく、普通のダークスーツです。でも胸には白いバラが付けられています。アレッサンドロ君はスラリとした細身で顔は画家のダリのような風貌です。<br /><br />教会の椅子に皆が座った頃、花嫁が、父親であるガリちゃんに腕を組みながら祭壇に向かって歩いてきます。花嫁のドレスの長い裾を2人の可愛い女の子が持っています。そのあと神父が2人現れ、その前に花婿花嫁が並んで立ちます。神父がなにやら言っています。キッと、あなたは健やかなときも病めるときもお互いを助けあい一生ともに生きて行くことを誓いますかなどと言っているに違いありません。少しすると列席者が皆突然立ち上がります。そしてオルガンの演奏が始まりみな一緒に歌を歌い始めます。あたしはもちろん歌など歌えずただ周りを見回しているだけです。そのあとまた神父がなにやら言っています。きっと聖書の文言を引用しているのでしょう。カメラマンがあちらこちら動き回りフラッシュを焚き続けます。そのあとテーブルの上で神父がなにやら紙に書いています。<br />子供があちこち走り回っています。花婿と花嫁がキスをしています。とても厳かですがちっとも堅苦しいところはなく和やかな結婚式です。始まりから終わりまで、それでも45分くらいかかりました。<br />式の始まる前に私はガリちゃんに、「おめぇ、今日は泣くなよ」と言っておきました。ガリちゃんは「あほな、俺が泣くか」と言っていました。厳かな式が終わってガリちゃんが花嫁と教会の建物の外へ出て、また皆から祝福を受けます。その時、ガリちゃんの目に涙が滲んでいるのを私は見逃しませんでした。ガリちゃんのビシッと決まったダークスーツの胸にも白いバラがつけられていました。それまでタバコを我慢していた人達が教会の建物の外でスパスパやっています。花嫁の妹であるマルタもニコニコしてロベルタと話しています。<br /><br /><br />第24章 披露宴<br /><br />そのあと十数台の車に分乗して披露宴の行われるレストランへ向かいました。披露宴の出席者も同じメンバーの50人余。白い布をかけた長いテーブルの端に、花嫁花婿、そしてその両側にテスティモニーと呼ばれる二人が座り、隣に両親が座ります。テスティモニーと呼ばれる人は、日本でいうと媒酌人に近いかも知れませんが、友人であったり家族であったりします。このテスティモニーは「証人」という意味があり、結婚式の時から、ずっと花嫁花婿の傍に付き添っています。2人であったり3人であったりします。教会で神父が書いていた書類にもテスティモニーは署名し結婚の証人になるのです。<br />イタリアでは教会と役所と特別な取り決めがあり、教会で誓約書に署名すると、それが自動的に役所へ送られ結婚の届出になるのです。日本では政教分離の原則から、このようなことは決してありません。<br />披露宴はとてもくだけたもので、日本のように媒酌人や来賓のスピーチなどは一切ありません。みなでワインをのみ食事をしながらわいわい騒ぐのです。花嫁もかしこまって椅子に座っているだけではありません。花嫁のロベルタは時々列席者に向かって大きな声を張り上げ「みなさんドンドン飲んで食べてください」などと言っています。テーブルにはワインボトルとか水の入ったボトル、グラスなどがところ狭しと並べられています。突然テスティモニーが水の入ったボトルをスプーンでチンチンと叩き始めました。これは、花嫁花婿にキスをしろとの催促です。誰かがボトルを叩いたら花嫁花婿はキスをしなければなりません。食べ物を口にほおばっていた花婿のアレッサンドロはあわててナプキンで口を拭い花嫁にキスをします。披露宴のあいだ、誰かがボトルをチンチンならすことが何度もあり、その都度、花嫁花婿は慌ててナプキンで口を拭ってキスをしていました。花嫁のロベルタはヘビースモーカーで、披露宴の間も席に着いたまま皆の前でタバコをスパスパ吸っています。そして時折、席を立ち、長いドレスの裾を両手で持ち上げ列席者の所へ行って話し込んでいます。披露宴はなかなか終わりません。4時間くらいたった頃、ぱらぱらと帰り始める人が出てきます。日本のようにきちんとお開きになり一斉に皆さんが帰るということはなく、みんな自分の都合で時間がきたら帰って行きます。花嫁花婿は先に帰るわけにはいきませんがね。<br /><br />私は花嫁に言いました。ロベルタが結婚してしまうと、もう私にティラミスを作ってくれないのか?と。 そうです、ロベルタはティラミスを作るのがとても上手なのです。私がティラミスを好きだと父親から聞いたロベルタが以前私にティラミスを作ってくれたのです。ロベルタの作るティラミスはうまいと友人の間でも評判とのことです。確かにロベルタの作ってくれたティラミスは絶品でした。ロベルタは言いました。「大丈夫よ、結婚しても近くに住むからまたティラミスを作って届けてあげます」<br />ティラミスは少し前に日本でも一時ブームになったので、多くの方はご存知だと思います。<br />日本のイタリアンレストランのティラミスのメニューに「とってもおいしく天国まで昇るおいしさ」というのがありました。イタリア人に言わせると、天国まで昇るというのはオーバーだとのことです。ティラミスというのは「私を引っ張り上げて」という意味があるとのことですが、それはちょっとだけ引っ張りあげるというニュアンスで、天国までではないとのこと。それにしても、あのクリームのようなお菓子が「私を引っ張り上げて」という意味とは妙な。<br /><br />イタリアの結婚式では日本のように、ご祝儀という現金を持ってくるということはないようです。少なくとも私が住む北イタリアでは。それでも引き出物として、小さいガラス細工の水中花の入った置物が配られました。日本のように会社の取引上の義理で出席したとかということはなく、お色直しとかで主人公達が長い間いなくなってしまったりすることもありません。本当に心から祝福したいという人たちが集まり、派手ではありませんが、とても心のこもったイタリアの結婚式、披露宴でした。さてこれには後日談ならぬ、前日談があります。次の第25章を読んでくらはい。<br /><br /><br />第25章 スペインでの出来事<br /><br />このロベルタの結婚式の3日前、私は仕事でスペインのバルセロナへ行くことになっていました。夕方にベネチア空港から発つバルセロナ向けのイベリア航空の直行便です。その日は仕事が立て込んでいて、おまけに3日ほどイタリアを留守にするので溜まっていた仕事を処理するのに追われていました。ちょっとナメていたせいもありますが、会社を出るのが少し遅れました。バルセロナ行きのフライトに乗るには時間的にギリギリでした。運悪くベネチア空港へ行く高速の料金ゲートが混んでいました。この高速はスロベニアへ向かう大型の長距離トラックなどが沢山走り、混雑するのです。ベネチア空港の駐車場へ着いたのは飛行機出発時間の35分前。<br /><br />空港駐車場から小走りにイベリア航空のチェックインカウンターへ急ぎました。チェックインカウンターが混んでいたら危ないかも知れないと焦っていました。チェックインカウンターには並んでいる人がいなく「シメタ、チェックインはスムースだぞ」と一人ほくそえみ、航空券とパスポートをカウンターへ出しました。カウンターにいた2人の若いオネエサンのうちの一人が事務的に言います。チェックインは締め切った。えっ? 締め切ったって? 道理で誰も並んでいないわけだと一瞬思いました。しかしバルセロナへ着いたあとぎっしりスケジュールが組まれているので、この飛行機に乗らないわけには行きません。「なに言ってんだよ、出発までにまだ30分もあるじゃないか。乗せてくれよ」と悲壮な声で私がせがみます。オネエサンは、もうダメよと繰り返します。私がしつこく食い下がったからか、オネエサンはどこかへ電話をかけました。きっと出発ゲートだと思います。その電話を切ったあと、オネエサンは私に向かってやはり事務的に言いました。「締め切りました」それでも私は諦め切れず泣きそうな顔をしていると、責任者らしい40歳前後の金髪のおばさんがカウンターへ来ました。私はそのおばさんに向かって腕時計を指しながら言いました。「まだ出発まで25分もあるじゃないか、何とか乗せてチョウダイ」 責任者らしいおばさんは、笑顔を見せるでもなく電話機を取り上げ、また出発ゲートらしいところと話しています。そして私の方へ向き直り一言、「OK」。<br /><br />すぐチェックインの手続きが始まり、ゲートへ急いでくれと言います。手荷物を持っていたけど、走るくらいは問題ない。結局私はギリギリ間に合い予定の飛行機に乗ることができました。<br />飛行機の座席に着いたあと、ホッと胸を なでおろしながら私は考えました。もう締め切りましたと言ったオネエサンと、あとからOKと言ってくれた責任者らしいおばさんとの違いをです。初めに出発ゲートへ電話をした若いオネエサンは電話でどうも「もう締め切ったよね」という言い方をしたため、ゲートからの返事は当然、締め切ったと返ってきたのです。しかし責任者のおばさんは、出発ゲートの担当に対してそのような言い方はせず、ただ「もう一人行くから」と、質問ではなく、決めつけた一方的な言い方でした。この2人には初めからそれぞれの結論を出していたのです。若い方は初めっからダメ、責任者はどうしても乗せてあげよう、、と。どうです、これはイタリアに限らず、我々も学ばなければなりませんネ。面倒なことは初めっから避けようとしたりしないように、、、、。<br /><br />さてバルセロナでの3日間のスケジュールをこなしたあと、予定通りベネチアへ帰るため、今度は早めにバルセロナ空港へ向かいました。出発の時間まで余裕がありました。<br />ところがところが、指定のカウンターに並んでいても、いつまで経ってもチェックイン手続きが始まらないのです。チェックインカウンターに並んだ人は私を入れて8人。列の先頭のイタリア人らしき男の人がカウンターの係員と話しています。係員がカウンターの外へ出てきて、我々に言います。このフライトはキャンセルになりました。な、なんと、せっかく時間通りに来たのに今度はキャンセルだと? その係員曰く、ベネチア空港がストで飛行機が降りられないとか。待っていた8人の乗客は、なんてこったという顔をします。<br />私も思わず言ってしまいました、「マンマ.ミーヤ」。マンマ.ミーヤは今では日本でもよく使われるみたいですね。ご存知のない方のために又イタリア語の講義をひとくさり。マンマ.ミーヤ自体は「私のお母さん」という意味ですが、英語の「マイゴット!」と同じ意味で、「何てこった!」という時に使われます。イタリアでは、マンマ(お母さん)は神のごとく大きな存在なのです。これホント。<br /><br />さてくだんの飛行機会社の係員は、結局、ベネチア行きのお客様は別のフライトでバルセロナからナポリへ飛び、ナポリで乗り換えてベネチア行きの便に乗っていただきますと言うのです。でもベネチア空港がストで降りられないのなら、どこ経由で行っても降りられないんじゃないのぉ?。素朴な疑問ですが、きっとナポリ経由で時間をかけてベネチアへ着けばそのころはスト解除ということだな、と自分の質問に自分で答えます。<br />バルセロナ発ナポリ行きのフライトまでは時間があります。スペインは正にラテンの代表みたいな国なので、そのスペインの航空会社のイベリア航空もいい加減かもしれない。ことによったら、ナポリへ着いても乗り継ぎがうまくいかなく、もしかしたら、ナポリで1泊ということにもなりかねないぞと私は思いました。でもいいや、ナポリで時間があったら観光が出来るぞ。「ナポリを見てから死ね」と言われるほどナポリはきれいな港があるんだ。一夜にして灰に埋まったポンペイの町、そしてベスビオ火山、、。早くもナポリへの夢が広がるのでした。<br />待てよ、ナポリの観光なんぞ夢見てる場合じゃないぞ、明日は友人ガリちゃんの愛娘ロベルタの結婚式だ。最悪の場合、サポリ泊りで出席出来なくなってしまうかも知れないぞ。私は慌ててガリちゃんに電話をかけました。もちろん私の携帯電話はヨーロッパのどこからもかけられます。ヨーロッパの携帯電話は、世界中どこからでも、特別な手続きなしにどこへでもかけられます、日本と韓国へ行った時だけを除いて。<br />私はガリちゃんに言いました。バルセロナからナポリ経由でベネチアへ帰ることになったので、もしかしたら明日の結婚式に出られないかも知れない。もし遅れるようなことがあったら明日の朝また電話するわ、と。私はバルセロナ発ベネチア着のフライトがキャンセルになったこと、そしてその理由がベネチア空港のストで降りられないことを伝えました。ところがなんと、ガリちゃんは言うのです。「ベネチア空港はストなんかやってないぞ」と。<br />えっ? イベリア航空の係員が言ったことと違うぞ。そして我々はついに気付いたのです、イベリア航空のウソを。その飛行機は120人くらいの座席があります。120人乗りの飛行機をたった8人の乗客だけで飛ばしては採算が取れないので、そのフライトを飛ばすのをやめたのです。私は以前、台湾で同じ経験をしたのを思い出しました。台南から台中へ飛ぶ時、やはり乗客数が少なく、並行して飛んでいる別の航空会社のフライトに乗せられたのです。その時はちゃんと説明があり、また飛行ルートも時間も変らなくて問題はありませんでした。<br /><br />でも、それならそうとイベリア航空は言ってくれればいいのにね。しかし、きっと乗客の怒りを恐れたのでしょう。さて迷惑をこうむった8人の中に、英語もイタリア語もスペイン語も全くわからないロシア人の親子連れがいました。50歳くらいの背の高いお父さんと10歳前後の男の子2人です。彼らはことの成り行きが全くわからずオロオロしていました。<br />私がロシア語の通訳をしてあげられればと思ったのですが、オーチンハラショー(ベリーグッド)とスパシーバ(ありがとう)、ダスビダーニャ(さようなら)の三つのロシア語しか知らない私では役に立ちません。ここでダスビダーニャと言ったらロシア人親子は泣きそうになるでしょう。<br />そして8人の中にリーダーが現れたのです。イタリア人の45歳くらいの品のいいおばさんで英語も話します。ナポリ経由でベネチアへ行くことになったけど、我々8人はナポリ空港で、はぐれないようにグループで一緒に行動しましょうというのです。というのはバルセロナからナポリまでの搭乗券はもらえたもののナポリからベネチアまでの搭乗券はなく、ナポリへ着いてから8番カウンターへ行ってくれなどというのです。8人ともナポリへ着いてからどうなるやらと思いました。このリーダーになったおばさんはイタリア人だからイタリア人の「いい加減さ」を知っているからだろうと思います。<br />グループで行動することに誰も異存はありません。そのリーダーのおばさんはパドバ大学の職員をしていると言っていました。そのリーダーが英語とイタリア語で、ロシア人家族に説明します。やはり通じないので、とにかく我々について来なさいという説明をしたようです。またもう一人、イタリア人のサブリーダーともいうべき人が現れ、みなのことを心配してくれるのです。予定の飛行機に乗れなくなったのだから、ベネチア空港であなた達を出迎えに来ている人があるのなら連絡しなくてはいけないとか。私に対しても心配して同じ事を聞いてくれましたが、私は出迎えは誰もいなく空港に車を停めてあるから大丈夫ですと答え、その親切にお礼を言いました。東洋人の私が空港に車を停めてあるからと言うのを不思議そうに思ったようでした。私はすかさず、パドバに住んでいるんですよと付け加えました。<br /><br />このリーダーとサブリーダーのお陰でナポリ空港での乗り継ぎのチェックインカウンターでのトラブルもすぐに解決でき我々8人は同じ日の夜遅くベネチア空港へ着きました。ストをしているわけではないので無事に降りられたのは当然です。<br />そして私は無事、翌日のロベルタの結婚式に出席出来たのです。せっかくのナポリ観光のチャンスを逃したのは残念でしたが。<br /><br /><br />第26章 朝市のオバサン<br /><br />ある土曜の朝、久しぶりにパドバの街の中心にある朝市へ食料の買出しに行きました。土曜日の午前中にだけ開かれるあの朝市です。<br /><br />広場の屋台の野菜を売っているお店へ行き、私は「ネギ」を見つけました。日本の長ネギと殆ど同じですがちょっと短め。ネギの束を手に取ろうとすると、お店のオバサンが「ノー、ノー」と言うのです。「えっ?」と私。するとオバサンは強い口調で言うのです。「ここはスーパーと違ってセルフサービスではないので、あなたは手を触れてはいけない」。そうですかぁ?。それならそれでいいけど、このネギを3束くださいと私。ところがオバサンは、ちょっとしなびた古いネギを取って紙の袋に入れようとするのです。私は新鮮なほうを指差して「こっちのをチョウダイ」と言います。オバサンは「これもあれも同じだよ、だからこれでいいよ」と古いしなびたのを売りつけようとします。ねぇオバサンたらっ!、同じなら私の欲しいと言っているのをチョウダイよ。でもオバサンはどうしても古いほうから売りたいので、同じだよと言ってガンとして譲りません。<br />オバサンは私にイタリア語が通じないと思ったのか、自分の右手と左手の人差し指を平行に並べて、ジェスチャーで、ステッソ(同じ)だと繰り返します。なるほど、イタリアでは同じということをジェスチャーで示す時は人差し指を2本並べるんだ。イタリアのボディランゲージを一つ覚えてちょっと勉強になったなどと自分に言い聞かせていました。しょうがないか、私はオバサンに負けて古いネギを1束だけ買いました。3束買おうとしていましたが1束だけにしたのが、私のせめてもの抵抗でした。古いものから売ってしまいたいというオバサンの気持ちはわかるけどね。<br /><br /><br />第27章 イタリアのダンディたちのおしゃれ<br /><br />イタリア製の衣類は日本と比べると高いように思えます。特に最近の日本ではアジアで生産したものが多く売られていて、しかも品質は悪くなく価格も驚くほど安くなっています。この日本で売られている安い衣類とイタリアの自国製のものと比べると、やはりイタリア製はかなり高く感じられます。衣類といっても下着から、コートまでいろいろあります。<br /><br />イタリアのおしゃれな男たちは、スーパーとか量販店でスーツやジャケットなどは買いません。最高級の裕福層は、もちろんテーラーメードの注文服を作ります。日本でいう「イージーオーダー」というのもあります。しかし多くの、ある程度お金を持っている男達は、行きつけのブティックを数軒もっているのです。季節が変わったりして、例えば冬物のコートが欲しくなったとします。そうすると、行きつけのブティックへ行くのです。そしてブティックの店員に「こういう感じのコートが欲しい」と言うのです。行きつけですから、ブティックの店員はそのお客さんのサイズなどは大体頭に入っています。そして、その人のセンス、好みなどもわかっているのです。それで、店員は2?3着の色違いとかタイプの違うコートを持って来て、これなんかどうですか?と示すわけです。そうすると大抵の場合、客はその店員の選んだ数着の中から決めることができるのです。客が新しいコートを本当に買おうと思っているときは、ホント短時間で決まってしまうことが多いのです。ある意味、ブティックの店員がスタイリストの役目をするようです。<br /><br />おしゃれなイタリア人でも、もちろんいいものを安く買いたいと思っています。イタリアではクリスマスシーズンは、殆どのショップは書き入れ時です。クリスマスセールが終るとバーゲンセールが始まります。でも冬物衣類は、すぐではありません。12月末、1月ではなく、多くのショップは2月に入ってからバーゲンセールをします。ある2月の初め、友人のガリちゃんが「おい、今日の夕方、俺がコートを買いに行くからお前も一緒にどうだ。お前が日本から持ってきているコートは薄手なので北イタリアではダメだ。もっと厚手のものが要るぞ」と言います。「そうだな、俺も一緒に行くわ」と私。パドバの街の中心にあるFURLANという名前のコート、ジャケット専門店へ行きました。ここがガリちゃんの「行きつけのブティック」らしいのです。<br />ガリちゃんが店主らしいオジサンに何やら話しています、きっとこういう感じのコートが欲しいと言っているのでしょう。私は感が鋭いのです、知ってましたぁ? そのオジサンはニコニコ顔でガリちゃんの話にあいづちを打ちながら聞いています。その後、オジサンがハンガーに掛かった陳列品の中から3着のコートを選んで持って来ます。ガリちゃんがブツブツ言いながら、1着目、2着目と試着します。5分も経ったでしょうか、ガリちゃんが「これにするわ」てなことを言って購入決定。<br />そして、ガリちゃんが私に言います。「お前はどうする? 今はバーゲンで2割引きだぞ」。「そうだな、いいのがあれば」と私。 ガリちゃんが店のオジサンに何やら言います。例によってオジサンが2着のコートを私のために選んでくれました。マントのような形をしたコートで、紺色と濃い緑色の2着です。これなら空が飛べそうです。ガリちゃんが言います。「これはオーソドックスな形で、ここ30年くらいデザインは変わっていない」。 へぇ、そうなの。私もすかさず、「これにするわ」、と紺色のものを選びました。ガリちゃんにつられたのか、私も3分で決定、、、でした。<br /><br /><br />第28章 イラリアンダンディの足元のおしゃれ<br /><br />おしゃれなイタリア人男性は、特に靴に気を遣います。スーツ、ジャケットなどの着るものの他に靴にも結構お金を遣います。私も、せっかく革製品の本場と言われるイタリアに住んでいるのだから、カッコいい靴を買おうと、かねがね思っていました。以前にも何度か靴屋さんへ行ってみたのですが、なかなか気に入ったものが見つからず、しかも自分の足の形がイタリア製の靴に合わないのです。一言で言うと、イタリア人の足は細くて長い、一方私の足は幅が広い。<br />それで私はイタリアで靴を買うのを殆ど諦めていました。しかし、オーダーメードの靴もあると聞きました。よしっ、思い切ってオーダーメードで靴を作ってみよう、、、と思ったのですが、聞いてみると注文で作る靴は安くて5万円、高いのだと20万円以上もするというのです。これではちょっと躊躇します。でもイタリアの人たちは高い靴を買ったときは、一生ものといわれるほど大切にし、何度も修理をして長い間履き続けるのです。<br /><br />土曜日のある日、食料品を買った帰りに靴屋さんを何軒か覗いてみました。ちょっと気に入った形の靴がショーウインドーにありました。思い切ってお店の中へ入りました。年配のオバサン店員が対応してくれました。これと同じもので私のサイズ、イタリア式で40、のものはありますか、と尋ねました。そのオバサン店員は、ちょっと残念そうな表情で「無い」の一言。ダメか、やっぱしぃ。せっかく買う気になったのにぃ?。<br />それでまた別の靴屋さんのショーウインドーを覗いてみました。なかなかいいのが目にとまりました。色は明るい茶色。そして、お店の中に入りました。人のよさそうなオジサンが対応してくれました。私の気に入ったデザインのもののサイズをお願いし、試しに履いてみました。な、なんと、つま先も横幅もほぼピッタリなのです。感激です、いままで殆ど諦めていたのですから。よくよく見ると、明るい茶色というか、赤が混じった色です。ちょっと自分には派手すぎて照れくさいという感じ。でも待てよ、友人のルーチョ君なんか、いつかもっと赤い色の靴を履いていたではないか。しかしイタリアの男なら赤い靴でも ちっとも違和感がなく似合ってしまうんです。よっしゃ、という感じで決心しました。そして、その赤茶色の靴を買ってしまいました。でもやっぱ、色が派手すぎるかなぁ?。<br /><br /><br />第29章 便利さの追求と自然環境<br /><br />イタリアの野菜や果物などの価格は日本に比べて安いと感じます。野菜とか果物は、日本のように温室栽培を殆どしません。今の日本は季節感がないと言われます。例えば、4月5月が旬のイチゴでも日本ではスーパーで年中売られています。温室栽培されているのですよね。オイルを焚いたり夜中でも電気をあてたりしてエネルギーを使っているのです。太陽光を浴びないで育った野菜や果物はそれに含まれるビタミンが通常のものよりはかなり低いと言われています。イタリアでは、スーパーや市場では殆どその季節に自然にできるものしか売られていません。昔の日本では、八百屋さんで売られている野菜なんかで季節を感じたものです。その点では、イタリアでは市場やスーパーで季節を感じることができます。一年中、どんなものでも手に入る日本は便利かもしれませんが、長くイタリアに住んでいるとイタリアのほうが自然でいいと感じるようになりました。<br /><br />またコンビニは、今や日本の街角ごとに1軒はあるほどです。そして夜間営業のお店には夜遅くまで、こうこうと電気がついています。これも大きなエネルギー消費です。イタリアにはコンビニはありません。ましてや深夜営業のスーパーなどはありません。イタリアへ来た日本人は「コンビニがないなんてイタリアは不便な国ね」などと言います。しかし日本は便利さを追求するあまり、多くの環境破壊をしているのです。<br /><br />昨今でも日本ではCO2を削減する努力をしていると声高に言っています。野菜、果物の温室栽培やコンビニの深夜営業などでエネルギーを消費し、たくさんCO2を出しておいて、京都議定書ではCO2削減の立派な提案をしていると威張っています。その前に、まずCO2を初めから出さないように考えるということを忘れているのではないでしょうか。ゴミを散らかしておいて、私は立派な掃除機で掃除をしているからいいだろうと言っているようなもんです。まずゴミを出さないようにしてくださいヨと言いたいですね。<br />日本人は、自分達がいつも正しいと思っているかのようです。日本と同じでない国に対しては、遅れているとか不便な国だとか言います。多くの日本人は、世界の中において自分達が異常だということに気がついていないのです。柄に似合わず、ちょっと真面目な話をしてしまいました。<br /><br /><br />第30章 コミュニケーション<br /><br />イタリア人の思考過程は、日本人と違うように思います。<br />私の周りのイタリア人で日本語がわかる人はいません。そうすると私は英語かイタリア語で話さなければなりません。コミュニケーションをとろうとするときは言葉がその主な役割を果たし、とても重要な要素ですが、同時にお互いの思考過程、知識のバックグラウンドなどもまた大切な要素だと思います。物事を考える基準が異なっていたりすると意思疎通がうまく出来ません。<br /><br />物事を考える基準で、例えば、車の燃費の話をしようとします。日本では、この車はガソリン1リッターで何キロ走れるかと燃費の表現をします。リッター10キロは延びるなぁ?などと言います。イタリアでも同じように言いますが、人によっては、100kmを走るのに何リッターのガソリンを使うのかと言います。両者の基準が異なっていては即座に数値を比較することは出来ませんね。アメリカなんかは車の燃費は日本と同じようだと思いますが、それでも1ガロンで何マイル走れるかというので、これまた換算が厄介です。異なる言語を使って、しかも物事の表現が異なる基準でされていてはコミュニケーションはうまく出来ません。<br /><br />また例えば、ある目的地へ行きたい時に道順を聞いたりするとします。<br />日本人の表現:<br />この道をまっすぐ500m行くと交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。そして更に300mm行くとまた交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。<br />イタリア人の表現:<br />この道をまっすぐ500m行くと交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。そして更に300mm行くとまた交差点がありますから、そこをまっすぐ行かないで、左へも行かないでください。<br />(それって、つまり右へ曲がるということですか?と聞くとイタリア人はそうですよと言います。それならなぜ最初から右へ曲がれと言わないのですかと日本人が言います。そうするとイタリア人は言います。だって一緒のことでしょ、、と。)<br /><br />これはただの例です。世界中同じ言葉を話し、同じ思考過程であれば戦争や争いごともかなり減ったのではないかと思えます。何かの本で読んだことがありますが、「本当の国際化というのは相手に合わせることではなく、まず双方に違いがあることを認識することから始まる」という言葉が思い起こされます。イタリアでの毎日の生活で、このような思考過程の違いによりコミュニケーションで私は日々苦労しています。1分で終る会話が10分かかったりします。<br />初めは私も苦労し悩んだり腹が立ったりしましたが、最近は少しづつゆとりが持てるようになり、こういうことも楽しいと思えるようになりました。そうです世界は広いのです、そしていろいろな考え方、いろいろな人がいるのです。<br /><br /><br />

愛すべきイタリア、その2

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2001/11/15 - 2011/12/31

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Stefano

Stefanoさん

第16章 イタリア運転免許証取得手順

そんなこんなで私はイタリアでは実質、無免許運転をしていました。でもまた検問で止められても、国際運転免許証を見せればうまく行くだろうと思っていました。でも事故などを起こすと、いろいろな書類を要求され、私がイタリアで運転資格がないことがバレてしまうので、安全運転に徹しました。
そんなある日、ミラノの弁護士のコロネリ女史から、日本政府とイタリア政府が運転免許証についてある合意に達したというニュースが入りました。
つまり、イタリアに住む日本人、日本に住むイタリア人に対して、それぞれの自国の運転免許証があれば、それを書き換えるだけで他国での免許証が発行されるというのです。要するに私が日本の免許証を持っていれば、イタリアでの試験は受けなくても、書類手続きだけでイタリアの免許証が発行されるということです。実は数年前はそのようになっていたのですが、外交上の駆け引きのせいで、それが中断され、私のような者が迷惑をこうむっていたのです。イタリア政府の気が変らないうちにと思い、私は早速、手続きに入りました。しかしその手続きの厄介なことと言ったら。日本の免許証をミラノにある日本領事館でイタリア語に翻訳してもらいその領事の証明をもらって来いとか、視力と身体検査に、どこかの事務所へ何曜日に行けとか、郵便局から為替でいくらいくら払い込めとか。その一環で申請書類にID(身分証明書)のコピーが必要であるということがわかりました。私はそれまでイタリアのIDを持ってはいませんでしたが、合法的にイタリアに滞在する外国人には、役所がIDを発行してくれます。日本では企業などが自社の社員に身分証明書を発行したりはしますが、公の機関が写真入りの身分証明書を発行するということはありません。パスポートや運転免許証が、それの代わりをすると言えばそうかも知れません。
私はすぐ自分の住むパドバ郊外の役所へIDを発行してもらうために行きました。警察署の発行した滞在許可証の原本を持参し、自分の写真と収入印紙を貼った申請書を提出すると、こりゃまた簡単にIDを発行してくれました。とにかく役所では必要書類の多いイタリアらしくない。少しあてが外れて拍子抜け。


第17章 結婚証明書

役所の受付のサンドラおばさんからIDを受け取り無事取得して、これで完了ですね、と私が確認して帰ろうとします。ところが、ちょっと待ってと言います。そしてガラス越しに、あなたは結婚していますかと聞くのです。当然私は「ハイ」と答えます。サンドラおばさんは中くらいに伸ばした黒い髪を後ろで束ねています。なんで私がサンドラおばさんの名前を知っているかというと、サンドラと書いた名前たてが目の前にあったからです。しかし、ケッコウ愛想のいいサンドラおばさんは妙な事を言うのです。「あなたの、役所への届出は独身となっている。結婚をしているのなら結婚証明書を提出してください」と言うのです。私は日本で結婚していますがイタリアでは結婚した覚えはないので(確か)、結婚証明書を取るとしたら日本でしかありません。でも待てよ、日本で結婚証明書なんて聞いたことがないゾ。
私はサンドラおばさんに言います。私は結婚詐欺をしたりするつもりはないので、結婚していながら独身などと言ったことはないぞ、、、でもこんな難しいことは私はイタリア語では言えないので、心の中で思っただけです。しかし、本当に日本には結婚証明書などはないので、戸籍謄本ではダメかと聞きました。サンドラおばさんは、それしかないのならそれでいいと言います。

アパートへ帰ってから、早速日本の自宅へ電話をして、女房に戸籍謄本を取り寄せてE-mailで送ってくれと頼みました。数日してE-mailを受け取り、私はそれを土日の2日間かけて英語に訳しました。そのあと会社の仲間に頼み、英語からイタリア語に訳してもらいました。そしてそのイタリア語訳の戸籍謄本を持って役所へ行きました。日本語の戸籍謄本は原本でなければいけないので、コピーではダメだとサンドラおばさんは言うのです。また日本へ電話して郵便で戸籍謄本の原本を送ってもらうよう頼みました。ここまで来るのに2ヶ月かかりました。そして戸籍謄本の原本を持ち、私の会社の仲間が訳してくれたイタリア語の戸籍謄本を持って再度役所へ行きました。サンドラおばさんは私に聞くのです。このイタリア語訳は誰がしたのですか、と。私は、私の友人がしてくれましたと答えました。サンドラおばさんは更に言います。このような公式文書の翻訳は資格を持った弁護士などが翻訳したものでなければ無効ですと、、、。ゲッ! いまさら何を言うのだと私もアタマへ来ました。サンドラおばさんは言うのです、資格のある弁護士の翻訳には100ユーロ(約13000円)かかるよと。100ユーロも?と私は強い口調で、いや~な顔をしてサンドラおばさんに言いました。皆さん、これからが腹が立つのです。それに対して、役所窓口のサンドラおばさんの返事を想像できますか?普通の日本人なら絶対、想像できないでしょう。もし当たったなら豪華客船での世界一周旅行、、、、のパンフレットを差し上げます。
サンドラおばさんの返事はこうでした。
「そ~お、翻訳料が高いので困るのだったら、もういいわよ」
もういいわよ、とはどういうこと? 何がもういいわよなの?
サンドラおばさんは言います。
「結婚証明書はもう要らないわよ」
私は絶句しました。日本から戸籍謄本の原本を取り寄せたり、それを英訳し、更に友人に頼んで伊訳してもらい、このために3ヶ月も費やしたのです。それを「もう要らない」との一言で片付けられたのです。冗談は よしこさん、何を ゆうこさんです。ホント冗談は休み休み言ってほしいわ。あたしは さっき休んだからいいけどぉ。おおっと、こんなギャグがサンドラおばさんに通じるはずがない。あーあ、これがイタリアなんだ。怒ってはいけない、こんなことで怒っていてはイタリアでは暮らしていけないぞ。実際に何か被害を受けたわけではないのだからいいではないか、、しかし、しっかし、、、握ったこぶしの震えを必死に抑える私でした。

結局イタリアでは私は独身となっているらしい。もしかしたら、このせいで結婚紹介所から、きれいなイタリアのオネエサンのお嫁さん候補の紹介とか写真とかがダイレクトメールで届くかもしれない、、それを楽しみに怒りを抑えよう。


第18章 運転免許証取得、ぶぁんずゎ~い!!

運転免許証から、話が少し横道へ反れました。イタリアでの運転免許証は結局、手続きを始めてから4ヶ月後にやっと手に入りました。これで私は合法的に大手を振ってイタリアで運転ができます。事故を起こしても大丈夫だぞぃ。おお~っと待て、無理に事故を起こす必要はないべな。このイタリアの免許証は写真付きのプラスチックカードでサイズはクレジットカードと同じ、有効期限が5年。これがあればEU加盟国のヨーロッパの国中、どこの国でも運転できます。
私は、免許証について心配してくれたガリちゃん、そしてナポリの闇ルートでの免許証の入手方法を探ってくれたルーチョ君、叔父さんのルートで免許証発行のルートを調べてくれたジョゼッペ君に、正規の免許証が手に入ったことを知らせました。彼らは私の写真入りの免許証を見ながら、「この写真は若すぎるぞ、何年前の写真だ?」とか言いながらも祝福してくれました。免許証については一件落着。後日談は、、、、ありません。


第19章 イタリアの挨拶

さて、イタリアの挨拶の言葉に関して、ひとくさり。
ご存知の方も多いと思いますが、イタリア語で、おはようとか、こんにちは、は「ボンジョールノ」と言います。こんばんは、は「ボナセーラ」。これぐらいは私でもイタリアへ来る前から知っていました。特に午後だけの挨拶には「ボン.ポメリージョ」と言ったりもします。ポメリージョは正に日本語の午後に相当します。
ところがイタリアへ住むようになって、イタリア人達とこれらの挨拶を交わすうち、私は何か違和感を持ち始めたのです。
「おはよう」と「こんにちは」に相当するボンジョールノは朝や午後の早いうち3時ごろまでに会ったとき交わす言葉です。英語で言うと「グッド.モーニングとグッド.アフターヌーン」の両方に相当します。グッドモーニングとか、おはようは、当然会ったときに交わす言葉です。そしてもし少し立ち話でもしたあとに別れるとしたら、「又ね」とか言って別れます。別れるときに「おはよう」とは言いません。ところが、ところが、イタリアでは、朝初めて会って「ボンジョールノ」と挨拶を交わし、少し話したあと別れるときにまた「ボンジョールノ」と言うのです。なんで、別れる時に、おはようなんて言うのだろう、、、これがイタリア語の挨拶言葉に対して私が持った違和感と疑問でした。周りにこのことを聞く人が誰もいなく、少しの間、私は自分の中で違和感を持ち続けていました。
そしてある日突然その違和感が吹っ飛んだのです。そのわけを発見したのです。
別れるときに言うボンジョールノは、日本語のこんにちは、ではなく「今日、これからいい日をお過ごし下さい」という意味になるのです。そして、夕方に別れるときに言うボナセーラは、こんばんはではなく「これから、いい夕べをお過ごし下さい」という意味なのです。こう解釈すると今までの私の持っていた違和感がすう~っと解消されたのです。おそらくラテン語の国々のポルトガルやスペインでも同じではないかと自分勝手に決めつけています。ただ、イタリア語の挨拶で最も有名なチャオ(Ciao)は、ポルトガル語を話すブラジルでも使いますが用法が少しだけ違います。イタリアのチャオは会ったときも別れるときにも使います。日本語の「どうも」に一番近いように思います。でもブラジルではチャオは何故か別れる時にしか使いません。わけを知っている方は教えてください。


第20章 サンマルコ広場で、映画「旅情」を気取る

春もうららな、ある土曜日に私はベネチアの島へ一人で車で遊びに行きました。特に訪れたいところがあったわけではありませんが、のんびりとベネチアを散策したい気分になったのです。島の入り口のローマ広場から水上バスに乗り30分ちょっとでサンマルコ広場へ着きました。サンマルコ寺院の前にある広場なのでサンマルコ広場と呼ばれています。見慣れた風景ですが気候がよくなったせいか、サンマルコ広場は世界中からの観光客でいっぱいです。古い映画をご記憶の方は知っておられるかと思いますが、このサンマルコ広場は、アメリア映画の「旅情、原題Summer Time」でキャサリーン.ヘップバーンとロッサノ.ブラッツイが出会った場所です。広場の屋外のカフェ(喫茶店)でこの映画のヒロインのジェーンとレナートは出遭ったのです。

私もロッサノ.ブラッツイを気取り屋外のカフェの椅子に腰掛けました。白いジャケットを着た年配のウエーターがテーブルへ来ます。私はプロセッコ、イタリア北部地方で作られる炭酸入りの白ワイン、を注文します。葉巻をくゆらせながら私は気取りまくってプロセッコのグラスを傾けます。冷えていてとてもうまい。目の前を観光客が行き交います。

私はイタリアに住みつく前から、出張のついでに何度もベネチアへ来たことがあります。当然、私も観光客であり来訪者でした。しかし、その日は目の前を行き交う観光客を見ていると自分は土地の者だという感覚になりました。お~ぅ、今日も世界中から観光客が来とるな、、という感覚になるのです。日本からの女子大生らしい数人のグループが観光ガイドブックと地図を広げながら、どっちへ行ったらいいのかなどと話し合っています。実は私のイタリアの会社には日本人は私一人なので、なかなか日本語を話す機会がありません。つまり私は日本語が話したくてしょうがないのです。それで日本から観光に来た人などが困っていると助けたくなるのです。日本語が話せるからです。でも、その道に迷ったらしい女子大生達は、私がすぐ傍にいるのに私に道を尋ねようとはしないのです。「俺に聞いてくれよっ!」と心の中で叫びながら私はチラチラと女子大生達を盗み見ます。結局、彼女達は行き先がわかったらしく、無常にも私を無視して立ち去りました。なんと薄情な奴らだ。でも女子大生達は私の存在に気付いていないのだから、薄情者などと言う私は逆恨み以外の何者でもありません。スンマセン。

考えてみると、女子大生達から見れば、私は日本人か、なに人かわからないのに聞けるわけがありません。見かけからして私は東洋人だとはわかるでしょうが、、、。それにもし私から親切そうに声をかけたりしたら「怪しい東洋人の人さらい」と思われかねません。観光客に親しげに話しかけて来る人に注意しましょう、と書かれたガイドブックを読んだことがあります。そうか、そうだったのか。私は、サンマルコ広場で自問自答し、結局は日本語を話すことも出来ず寂しい思いをしたのでありました。

私の知人で台湾に単身で長い間滞在している日本人がいます。その人が私に言ったことがあります。人間が、人に対して一番親切になれるのは「私のように単身で外国に滞在する人が、母国から来た人に会ったときです」と。日本語が話したいと思ったり、人恋しくなって、何か力になってあげたいとか、困っている母国の人に親切にしてあげたくなるのだと言うのです。その通りです。まさに今の私がそうです。


第21章 民間親善大使

そして、私が日本人観光客と話し、親切にしてあげる機会が突然訪れたのです。
あるとき、私は仕事上の来客を出迎えるためにベネチア空港へ行きました。空港の建物の出口あたりで、新婚旅行らしい日本人のカップルが不安そうな顔をしてガイドブックを見ているのです。ガイドブックの表紙に「イタリア観光」と日本語で書かれていたので私には、その2人が日本人だということがすぐわかりました。その旦那さんらしき若い男の人が私の方をチラチラ見ています。そうそう、彼らから見れば私が日本人かどうかはわからないのです。何か困った様子です。しかし、しかし、人さらいと思われるのが怖いので私からは決して話しかけません。次の瞬間、その旦那さんらしき人と目線が合いました。その人はおずおずと私に歩み寄り「エクスキューズミー」と言います。私は待ってましたとばかり、しかし、おもむろに「何でしょうか?」と日本語で答えます。その男の人の顔がパッと輝きました。「日本の方ですか?」と弾んだ声でした。異国で困っている時に日本人に会えたのです。きっと私は神様か仏様に見えたことでしょう、、、私はそういう上品な顔はしていないのですが。

そのカップルによると、関西空港からパリ経由でベネチアへ来たのだけれども、ベネチアへ着いたら、スーツケースが紛失して届いていないとのこと。一応自分達で荷物紛失届けの手続きをしたけど、これからベネチアのホテルへどうやって行ったらいいのかわからなく荷物が出てきた時どうしたらいいのかわからず困っていたとのこと。経験されている方もおありでしょうが、こういうとき、通常はスーツケースの鍵などは空港へ預けます。荷物が遅れて届いたとき、税関でその荷物の検査を要求された際に開けられるようにするためです。しかしそのカップルは、イタリアの空港職員が信用できず、スーツケースの鍵を預けなかったというのです。そうすると彼らは荷物が届いた時、また空港へ来なければなりません。彼らは、そのつもり、つまり空港へ来るからいいと言うのです。しかし鍵を預けておけば、空港へなど来なくても、運送会社を使って自動的にホテルへ届けてくれるのです。私は旦那さんらしい人に聞きました。そのスーツケースにはカメラとか高価なものが入っているのですかと。返事は、衣類や洗面具などが入っているだけです。私は言いました、イタリアがいくら危ないといっても、空港職員はあなた達の衣類なんかを盗ったりしませんよ。だからスーツケースの鍵を空港職員へ預けなさい、荷物は明日には、まずあなたたちのホテルへ届けてくれるから、、。そして私は彼らと一緒に荷物係の所へ行き、鍵を預け、書類訂正のお手伝いをしてあげました。そして、ベネチアの島へ行く船の乗り場を教えてあげました。

でも彼は言うのです。私達はベネチアで3泊して、そのあとフィレンツェへ行くのですが、ベネチア滞在の間に荷物が届かなかったらどうしよう、フィレンツェのホテルの名前と住所も空港へ届けたほうがいいでしょうかと。私はアドバイスしました。3日の間には必ず荷物が届くから大丈夫、もしフィレンツェのホテルの名前や住所を届けたら、それこそイタリアのことだから、明日届いても、そちらへ間違って送られてしまう可能性があるよと。彼は納得しました。しかし更に言うのです。もしベネチアに3泊する間に荷物が届かなかったら、フィレンツェへ移動するのを延ばしベネチアに3泊以上することになる。しかしベネチアでホテルが延長できるのかも、また別のホテルが見つかるかもわからないので心配ですと。2人は本当に心細そうでした。私は胸を叩いて言いました。大丈夫、ベネチア滞在を延長することになってホテルが取れなかったら私へ電話しなさい、2人ぐらいなら何泊でも泊めてあげましょうと。私は自分の名刺を渡しました。名刺には私の携帯電話の番号も書かれているので、ここへ電話してくださいと伝えました。私はそのとき旦那さんの名前を聞きました。「新藤」ですとのこと。彼らが、あまりにも不安そうだったので私は2人と同じバスに乗ってベネチア島行きの船の乗り場まで一緒に行ってあげました。バスの中で私は奥さんらしい人に言いました。こういうことがあるとベネチアはきっと印象に残って、あとになるととても楽しい思い出になりますよ、かえって幸運だったと思ったほうがいいかもネ、と。しかし彼女は、悲壮な顔をしていて、そのような余裕はありませんでした。そうそう、私が彼らのことを助けてあげている間、本来の私が空港へ行った目的の人、つまり私が出迎えに行った人は、ず~ぅっと我慢強く待っていてくれました。
それから数日間、私は新藤さんからの電話があるのか気にしていましたが結局電話はありませんでした。きっと予定どおりに荷物は着いたのでしょう。Nessuna nuova, buona nuova.(便りの無いのは良い知らせ)とは、このことです。

それから2週間ほど経ったある日、私のパソコンにEmailが届きました。あの新藤さんからのものでした。彼らは広島に住んでいて、無事に帰国したとのこと。そのEmailにはオーバー過ぎると思えるほど私に対するお礼の言葉が書かれてありました。「ベネチアで大変親切にしていただき、お陰で楽しい旅ができました、頂いたご親切は一生忘れません」と。いいえ、いいえ、私も日本語が話せてとても嬉しかったので、お礼を言いたいのは自分の方ですと思ったけど私のEmailの返事には書きませんでした。ただ、私はEmailで書きました。「どうです、私が言ったとおりでしょう? 無事に帰る事が出来た今、ベネチアはとても印象深い町となり、荷物がなくなったこともとても楽しい思い出になったでしょう? 奥さんもそう思っていませんか?」と。それには返事はありませんでした。ま、いいけどね。しかし、それ以来私は、日伊友好民間親善大使を自負しています。


第22章 イタリアの結婚式に招待される

そろそろ夏になるという頃、ガリちゃんが私に言いました。ロベルタが結婚することになったから、お前を結婚式に招待したい。ガリちゃんの長女であるロベルタはとても優秀でパドバ大学の法律学科を卒業し弁護士になるための研修中とのこと。歳は30才。結婚相手のアレッサンドロ君にも私は以前会っていて知っています。

ついでながらイタリア人の名前、それもファーストネームについて一言。
イタリアに限らず多くのラテンの国の人たちのファーストネームには一定の法則があります。ラテン語には男性名詞と女性名詞があることは語学に興味のある人は知っておられると思います。名前も同じです。男の名前の語尾は「o」で終わり、女の名前は「a」で終わります。男のAndreaのような例外はありますが多くがそうです。ガリちゃんの娘はロベルタ(Roberta)です。これが男になるとロベルト(Roberto)になります。女のシルビアがいれば男はシルビオ。男のジーノがいれば女のジーナがいます。ロベルタの旦那さんになる人はアレッサンドロですが、これが女の名前になるとアレッサンドラとなります。ですからイタリア人の男の名前はパオロやフランコなどの場合は「o」で終わります。日本人の女の子の名前は「子」で終わるものが多くあります、最近はそうでもないのですが。私のイタリア人の友人が私に聞いたことがあります。例えば、日本人の名前で純子(Junko)という名前の場合、「o」で終わるのに何で女の名前なのかと。イタリアで「コ」で終わる名前は男だよと。そんなこと知ったことか。私はうまく説明が出来ませんでした。でも「子」は日本ではGirlを意味するので女の子の名前によく使われるんだよというのが精一杯でした。

さて、それまで私はイタリアの結婚式には出たことがなく興味津々です。そして式にはどのような服装で行けばいいのか。私は日本から、黒いダブルの略式礼服を持って来ていました。そこでガリちゃんに聞きました。どんな服装で行けばいいの? ガリちゃんが怪訝そうな顔で言います。どんなのでもいいよ、自分の好きな服装でいいよとのこと。それでも納得がいかず、黒い礼服がいいのか?と聞きました。別に黒い服などと決まっていないよ、本当に好きな服でいいよと言います。結局よくわからず、私は礼服はやめ、普通のダークスーツにしました。実際に結婚式に行って驚きました。ガリちゃんの言ったとおり列席者は皆おもいおもいの服装で、男の列席者の中には、ズック靴にポロシャツの人もいました。


第23章  イタリアの結婚式

イタリアの結婚式の実況中継をします。
まず結婚式当日、私は花嫁の家であるガリちゃんの自宅へ行きました。そこには友人、親戚が数人集まっていて、ワインやジュースを飲み、サンドイッチやクッキーを食べながらだべっています。少ししたら花嫁である白いドレスのロベルタが現れます。長いドレスの裾を両手で自分で持ち大股で歩いてきます。彼女は親戚や友人に混じってサンドイッチなどをかじります。私は用意していた贈り物をロベルタに渡しました。前から準備していた、源氏物語絵巻のミニチュアたて屏風です。これからどうなるかと思っていた頃、そろそろ行こうかということになり、皆数台の車に分乗して教会へ向かいました。教会には花婿のアレッサンドロはじめ親戚、友人そして子供達、合計50人あまりの人が揃っています。アレッサンドロは日本のようにモーニングなどではなく、普通のダークスーツです。でも胸には白いバラが付けられています。アレッサンドロ君はスラリとした細身で顔は画家のダリのような風貌です。

教会の椅子に皆が座った頃、花嫁が、父親であるガリちゃんに腕を組みながら祭壇に向かって歩いてきます。花嫁のドレスの長い裾を2人の可愛い女の子が持っています。そのあと神父が2人現れ、その前に花婿花嫁が並んで立ちます。神父がなにやら言っています。キッと、あなたは健やかなときも病めるときもお互いを助けあい一生ともに生きて行くことを誓いますかなどと言っているに違いありません。少しすると列席者が皆突然立ち上がります。そしてオルガンの演奏が始まりみな一緒に歌を歌い始めます。あたしはもちろん歌など歌えずただ周りを見回しているだけです。そのあとまた神父がなにやら言っています。きっと聖書の文言を引用しているのでしょう。カメラマンがあちらこちら動き回りフラッシュを焚き続けます。そのあとテーブルの上で神父がなにやら紙に書いています。
子供があちこち走り回っています。花婿と花嫁がキスをしています。とても厳かですがちっとも堅苦しいところはなく和やかな結婚式です。始まりから終わりまで、それでも45分くらいかかりました。
式の始まる前に私はガリちゃんに、「おめぇ、今日は泣くなよ」と言っておきました。ガリちゃんは「あほな、俺が泣くか」と言っていました。厳かな式が終わってガリちゃんが花嫁と教会の建物の外へ出て、また皆から祝福を受けます。その時、ガリちゃんの目に涙が滲んでいるのを私は見逃しませんでした。ガリちゃんのビシッと決まったダークスーツの胸にも白いバラがつけられていました。それまでタバコを我慢していた人達が教会の建物の外でスパスパやっています。花嫁の妹であるマルタもニコニコしてロベルタと話しています。


第24章 披露宴

そのあと十数台の車に分乗して披露宴の行われるレストランへ向かいました。披露宴の出席者も同じメンバーの50人余。白い布をかけた長いテーブルの端に、花嫁花婿、そしてその両側にテスティモニーと呼ばれる二人が座り、隣に両親が座ります。テスティモニーと呼ばれる人は、日本でいうと媒酌人に近いかも知れませんが、友人であったり家族であったりします。このテスティモニーは「証人」という意味があり、結婚式の時から、ずっと花嫁花婿の傍に付き添っています。2人であったり3人であったりします。教会で神父が書いていた書類にもテスティモニーは署名し結婚の証人になるのです。
イタリアでは教会と役所と特別な取り決めがあり、教会で誓約書に署名すると、それが自動的に役所へ送られ結婚の届出になるのです。日本では政教分離の原則から、このようなことは決してありません。
披露宴はとてもくだけたもので、日本のように媒酌人や来賓のスピーチなどは一切ありません。みなでワインをのみ食事をしながらわいわい騒ぐのです。花嫁もかしこまって椅子に座っているだけではありません。花嫁のロベルタは時々列席者に向かって大きな声を張り上げ「みなさんドンドン飲んで食べてください」などと言っています。テーブルにはワインボトルとか水の入ったボトル、グラスなどがところ狭しと並べられています。突然テスティモニーが水の入ったボトルをスプーンでチンチンと叩き始めました。これは、花嫁花婿にキスをしろとの催促です。誰かがボトルを叩いたら花嫁花婿はキスをしなければなりません。食べ物を口にほおばっていた花婿のアレッサンドロはあわててナプキンで口を拭い花嫁にキスをします。披露宴のあいだ、誰かがボトルをチンチンならすことが何度もあり、その都度、花嫁花婿は慌ててナプキンで口を拭ってキスをしていました。花嫁のロベルタはヘビースモーカーで、披露宴の間も席に着いたまま皆の前でタバコをスパスパ吸っています。そして時折、席を立ち、長いドレスの裾を両手で持ち上げ列席者の所へ行って話し込んでいます。披露宴はなかなか終わりません。4時間くらいたった頃、ぱらぱらと帰り始める人が出てきます。日本のようにきちんとお開きになり一斉に皆さんが帰るということはなく、みんな自分の都合で時間がきたら帰って行きます。花嫁花婿は先に帰るわけにはいきませんがね。

私は花嫁に言いました。ロベルタが結婚してしまうと、もう私にティラミスを作ってくれないのか?と。 そうです、ロベルタはティラミスを作るのがとても上手なのです。私がティラミスを好きだと父親から聞いたロベルタが以前私にティラミスを作ってくれたのです。ロベルタの作るティラミスはうまいと友人の間でも評判とのことです。確かにロベルタの作ってくれたティラミスは絶品でした。ロベルタは言いました。「大丈夫よ、結婚しても近くに住むからまたティラミスを作って届けてあげます」
ティラミスは少し前に日本でも一時ブームになったので、多くの方はご存知だと思います。
日本のイタリアンレストランのティラミスのメニューに「とってもおいしく天国まで昇るおいしさ」というのがありました。イタリア人に言わせると、天国まで昇るというのはオーバーだとのことです。ティラミスというのは「私を引っ張り上げて」という意味があるとのことですが、それはちょっとだけ引っ張りあげるというニュアンスで、天国までではないとのこと。それにしても、あのクリームのようなお菓子が「私を引っ張り上げて」という意味とは妙な。

イタリアの結婚式では日本のように、ご祝儀という現金を持ってくるということはないようです。少なくとも私が住む北イタリアでは。それでも引き出物として、小さいガラス細工の水中花の入った置物が配られました。日本のように会社の取引上の義理で出席したとかということはなく、お色直しとかで主人公達が長い間いなくなってしまったりすることもありません。本当に心から祝福したいという人たちが集まり、派手ではありませんが、とても心のこもったイタリアの結婚式、披露宴でした。さてこれには後日談ならぬ、前日談があります。次の第25章を読んでくらはい。


第25章 スペインでの出来事

このロベルタの結婚式の3日前、私は仕事でスペインのバルセロナへ行くことになっていました。夕方にベネチア空港から発つバルセロナ向けのイベリア航空の直行便です。その日は仕事が立て込んでいて、おまけに3日ほどイタリアを留守にするので溜まっていた仕事を処理するのに追われていました。ちょっとナメていたせいもありますが、会社を出るのが少し遅れました。バルセロナ行きのフライトに乗るには時間的にギリギリでした。運悪くベネチア空港へ行く高速の料金ゲートが混んでいました。この高速はスロベニアへ向かう大型の長距離トラックなどが沢山走り、混雑するのです。ベネチア空港の駐車場へ着いたのは飛行機出発時間の35分前。

空港駐車場から小走りにイベリア航空のチェックインカウンターへ急ぎました。チェックインカウンターが混んでいたら危ないかも知れないと焦っていました。チェックインカウンターには並んでいる人がいなく「シメタ、チェックインはスムースだぞ」と一人ほくそえみ、航空券とパスポートをカウンターへ出しました。カウンターにいた2人の若いオネエサンのうちの一人が事務的に言います。チェックインは締め切った。えっ? 締め切ったって? 道理で誰も並んでいないわけだと一瞬思いました。しかしバルセロナへ着いたあとぎっしりスケジュールが組まれているので、この飛行機に乗らないわけには行きません。「なに言ってんだよ、出発までにまだ30分もあるじゃないか。乗せてくれよ」と悲壮な声で私がせがみます。オネエサンは、もうダメよと繰り返します。私がしつこく食い下がったからか、オネエサンはどこかへ電話をかけました。きっと出発ゲートだと思います。その電話を切ったあと、オネエサンは私に向かってやはり事務的に言いました。「締め切りました」それでも私は諦め切れず泣きそうな顔をしていると、責任者らしい40歳前後の金髪のおばさんがカウンターへ来ました。私はそのおばさんに向かって腕時計を指しながら言いました。「まだ出発まで25分もあるじゃないか、何とか乗せてチョウダイ」 責任者らしいおばさんは、笑顔を見せるでもなく電話機を取り上げ、また出発ゲートらしいところと話しています。そして私の方へ向き直り一言、「OK」。

すぐチェックインの手続きが始まり、ゲートへ急いでくれと言います。手荷物を持っていたけど、走るくらいは問題ない。結局私はギリギリ間に合い予定の飛行機に乗ることができました。
飛行機の座席に着いたあと、ホッと胸を なでおろしながら私は考えました。もう締め切りましたと言ったオネエサンと、あとからOKと言ってくれた責任者らしいおばさんとの違いをです。初めに出発ゲートへ電話をした若いオネエサンは電話でどうも「もう締め切ったよね」という言い方をしたため、ゲートからの返事は当然、締め切ったと返ってきたのです。しかし責任者のおばさんは、出発ゲートの担当に対してそのような言い方はせず、ただ「もう一人行くから」と、質問ではなく、決めつけた一方的な言い方でした。この2人には初めからそれぞれの結論を出していたのです。若い方は初めっからダメ、責任者はどうしても乗せてあげよう、、と。どうです、これはイタリアに限らず、我々も学ばなければなりませんネ。面倒なことは初めっから避けようとしたりしないように、、、、。

さてバルセロナでの3日間のスケジュールをこなしたあと、予定通りベネチアへ帰るため、今度は早めにバルセロナ空港へ向かいました。出発の時間まで余裕がありました。
ところがところが、指定のカウンターに並んでいても、いつまで経ってもチェックイン手続きが始まらないのです。チェックインカウンターに並んだ人は私を入れて8人。列の先頭のイタリア人らしき男の人がカウンターの係員と話しています。係員がカウンターの外へ出てきて、我々に言います。このフライトはキャンセルになりました。な、なんと、せっかく時間通りに来たのに今度はキャンセルだと? その係員曰く、ベネチア空港がストで飛行機が降りられないとか。待っていた8人の乗客は、なんてこったという顔をします。
私も思わず言ってしまいました、「マンマ.ミーヤ」。マンマ.ミーヤは今では日本でもよく使われるみたいですね。ご存知のない方のために又イタリア語の講義をひとくさり。マンマ.ミーヤ自体は「私のお母さん」という意味ですが、英語の「マイゴット!」と同じ意味で、「何てこった!」という時に使われます。イタリアでは、マンマ(お母さん)は神のごとく大きな存在なのです。これホント。

さてくだんの飛行機会社の係員は、結局、ベネチア行きのお客様は別のフライトでバルセロナからナポリへ飛び、ナポリで乗り換えてベネチア行きの便に乗っていただきますと言うのです。でもベネチア空港がストで降りられないのなら、どこ経由で行っても降りられないんじゃないのぉ?。素朴な疑問ですが、きっとナポリ経由で時間をかけてベネチアへ着けばそのころはスト解除ということだな、と自分の質問に自分で答えます。
バルセロナ発ナポリ行きのフライトまでは時間があります。スペインは正にラテンの代表みたいな国なので、そのスペインの航空会社のイベリア航空もいい加減かもしれない。ことによったら、ナポリへ着いても乗り継ぎがうまくいかなく、もしかしたら、ナポリで1泊ということにもなりかねないぞと私は思いました。でもいいや、ナポリで時間があったら観光が出来るぞ。「ナポリを見てから死ね」と言われるほどナポリはきれいな港があるんだ。一夜にして灰に埋まったポンペイの町、そしてベスビオ火山、、。早くもナポリへの夢が広がるのでした。
待てよ、ナポリの観光なんぞ夢見てる場合じゃないぞ、明日は友人ガリちゃんの愛娘ロベルタの結婚式だ。最悪の場合、サポリ泊りで出席出来なくなってしまうかも知れないぞ。私は慌ててガリちゃんに電話をかけました。もちろん私の携帯電話はヨーロッパのどこからもかけられます。ヨーロッパの携帯電話は、世界中どこからでも、特別な手続きなしにどこへでもかけられます、日本と韓国へ行った時だけを除いて。
私はガリちゃんに言いました。バルセロナからナポリ経由でベネチアへ帰ることになったので、もしかしたら明日の結婚式に出られないかも知れない。もし遅れるようなことがあったら明日の朝また電話するわ、と。私はバルセロナ発ベネチア着のフライトがキャンセルになったこと、そしてその理由がベネチア空港のストで降りられないことを伝えました。ところがなんと、ガリちゃんは言うのです。「ベネチア空港はストなんかやってないぞ」と。
えっ? イベリア航空の係員が言ったことと違うぞ。そして我々はついに気付いたのです、イベリア航空のウソを。その飛行機は120人くらいの座席があります。120人乗りの飛行機をたった8人の乗客だけで飛ばしては採算が取れないので、そのフライトを飛ばすのをやめたのです。私は以前、台湾で同じ経験をしたのを思い出しました。台南から台中へ飛ぶ時、やはり乗客数が少なく、並行して飛んでいる別の航空会社のフライトに乗せられたのです。その時はちゃんと説明があり、また飛行ルートも時間も変らなくて問題はありませんでした。

でも、それならそうとイベリア航空は言ってくれればいいのにね。しかし、きっと乗客の怒りを恐れたのでしょう。さて迷惑をこうむった8人の中に、英語もイタリア語もスペイン語も全くわからないロシア人の親子連れがいました。50歳くらいの背の高いお父さんと10歳前後の男の子2人です。彼らはことの成り行きが全くわからずオロオロしていました。
私がロシア語の通訳をしてあげられればと思ったのですが、オーチンハラショー(ベリーグッド)とスパシーバ(ありがとう)、ダスビダーニャ(さようなら)の三つのロシア語しか知らない私では役に立ちません。ここでダスビダーニャと言ったらロシア人親子は泣きそうになるでしょう。
そして8人の中にリーダーが現れたのです。イタリア人の45歳くらいの品のいいおばさんで英語も話します。ナポリ経由でベネチアへ行くことになったけど、我々8人はナポリ空港で、はぐれないようにグループで一緒に行動しましょうというのです。というのはバルセロナからナポリまでの搭乗券はもらえたもののナポリからベネチアまでの搭乗券はなく、ナポリへ着いてから8番カウンターへ行ってくれなどというのです。8人ともナポリへ着いてからどうなるやらと思いました。このリーダーになったおばさんはイタリア人だからイタリア人の「いい加減さ」を知っているからだろうと思います。
グループで行動することに誰も異存はありません。そのリーダーのおばさんはパドバ大学の職員をしていると言っていました。そのリーダーが英語とイタリア語で、ロシア人家族に説明します。やはり通じないので、とにかく我々について来なさいという説明をしたようです。またもう一人、イタリア人のサブリーダーともいうべき人が現れ、みなのことを心配してくれるのです。予定の飛行機に乗れなくなったのだから、ベネチア空港であなた達を出迎えに来ている人があるのなら連絡しなくてはいけないとか。私に対しても心配して同じ事を聞いてくれましたが、私は出迎えは誰もいなく空港に車を停めてあるから大丈夫ですと答え、その親切にお礼を言いました。東洋人の私が空港に車を停めてあるからと言うのを不思議そうに思ったようでした。私はすかさず、パドバに住んでいるんですよと付け加えました。

このリーダーとサブリーダーのお陰でナポリ空港での乗り継ぎのチェックインカウンターでのトラブルもすぐに解決でき我々8人は同じ日の夜遅くベネチア空港へ着きました。ストをしているわけではないので無事に降りられたのは当然です。
そして私は無事、翌日のロベルタの結婚式に出席出来たのです。せっかくのナポリ観光のチャンスを逃したのは残念でしたが。


第26章 朝市のオバサン

ある土曜の朝、久しぶりにパドバの街の中心にある朝市へ食料の買出しに行きました。土曜日の午前中にだけ開かれるあの朝市です。

広場の屋台の野菜を売っているお店へ行き、私は「ネギ」を見つけました。日本の長ネギと殆ど同じですがちょっと短め。ネギの束を手に取ろうとすると、お店のオバサンが「ノー、ノー」と言うのです。「えっ?」と私。するとオバサンは強い口調で言うのです。「ここはスーパーと違ってセルフサービスではないので、あなたは手を触れてはいけない」。そうですかぁ?。それならそれでいいけど、このネギを3束くださいと私。ところがオバサンは、ちょっとしなびた古いネギを取って紙の袋に入れようとするのです。私は新鮮なほうを指差して「こっちのをチョウダイ」と言います。オバサンは「これもあれも同じだよ、だからこれでいいよ」と古いしなびたのを売りつけようとします。ねぇオバサンたらっ!、同じなら私の欲しいと言っているのをチョウダイよ。でもオバサンはどうしても古いほうから売りたいので、同じだよと言ってガンとして譲りません。
オバサンは私にイタリア語が通じないと思ったのか、自分の右手と左手の人差し指を平行に並べて、ジェスチャーで、ステッソ(同じ)だと繰り返します。なるほど、イタリアでは同じということをジェスチャーで示す時は人差し指を2本並べるんだ。イタリアのボディランゲージを一つ覚えてちょっと勉強になったなどと自分に言い聞かせていました。しょうがないか、私はオバサンに負けて古いネギを1束だけ買いました。3束買おうとしていましたが1束だけにしたのが、私のせめてもの抵抗でした。古いものから売ってしまいたいというオバサンの気持ちはわかるけどね。


第27章 イタリアのダンディたちのおしゃれ

イタリア製の衣類は日本と比べると高いように思えます。特に最近の日本ではアジアで生産したものが多く売られていて、しかも品質は悪くなく価格も驚くほど安くなっています。この日本で売られている安い衣類とイタリアの自国製のものと比べると、やはりイタリア製はかなり高く感じられます。衣類といっても下着から、コートまでいろいろあります。

イタリアのおしゃれな男たちは、スーパーとか量販店でスーツやジャケットなどは買いません。最高級の裕福層は、もちろんテーラーメードの注文服を作ります。日本でいう「イージーオーダー」というのもあります。しかし多くの、ある程度お金を持っている男達は、行きつけのブティックを数軒もっているのです。季節が変わったりして、例えば冬物のコートが欲しくなったとします。そうすると、行きつけのブティックへ行くのです。そしてブティックの店員に「こういう感じのコートが欲しい」と言うのです。行きつけですから、ブティックの店員はそのお客さんのサイズなどは大体頭に入っています。そして、その人のセンス、好みなどもわかっているのです。それで、店員は2?3着の色違いとかタイプの違うコートを持って来て、これなんかどうですか?と示すわけです。そうすると大抵の場合、客はその店員の選んだ数着の中から決めることができるのです。客が新しいコートを本当に買おうと思っているときは、ホント短時間で決まってしまうことが多いのです。ある意味、ブティックの店員がスタイリストの役目をするようです。

おしゃれなイタリア人でも、もちろんいいものを安く買いたいと思っています。イタリアではクリスマスシーズンは、殆どのショップは書き入れ時です。クリスマスセールが終るとバーゲンセールが始まります。でも冬物衣類は、すぐではありません。12月末、1月ではなく、多くのショップは2月に入ってからバーゲンセールをします。ある2月の初め、友人のガリちゃんが「おい、今日の夕方、俺がコートを買いに行くからお前も一緒にどうだ。お前が日本から持ってきているコートは薄手なので北イタリアではダメだ。もっと厚手のものが要るぞ」と言います。「そうだな、俺も一緒に行くわ」と私。パドバの街の中心にあるFURLANという名前のコート、ジャケット専門店へ行きました。ここがガリちゃんの「行きつけのブティック」らしいのです。
ガリちゃんが店主らしいオジサンに何やら話しています、きっとこういう感じのコートが欲しいと言っているのでしょう。私は感が鋭いのです、知ってましたぁ? そのオジサンはニコニコ顔でガリちゃんの話にあいづちを打ちながら聞いています。その後、オジサンがハンガーに掛かった陳列品の中から3着のコートを選んで持って来ます。ガリちゃんがブツブツ言いながら、1着目、2着目と試着します。5分も経ったでしょうか、ガリちゃんが「これにするわ」てなことを言って購入決定。
そして、ガリちゃんが私に言います。「お前はどうする? 今はバーゲンで2割引きだぞ」。「そうだな、いいのがあれば」と私。 ガリちゃんが店のオジサンに何やら言います。例によってオジサンが2着のコートを私のために選んでくれました。マントのような形をしたコートで、紺色と濃い緑色の2着です。これなら空が飛べそうです。ガリちゃんが言います。「これはオーソドックスな形で、ここ30年くらいデザインは変わっていない」。 へぇ、そうなの。私もすかさず、「これにするわ」、と紺色のものを選びました。ガリちゃんにつられたのか、私も3分で決定、、、でした。


第28章 イラリアンダンディの足元のおしゃれ

おしゃれなイタリア人男性は、特に靴に気を遣います。スーツ、ジャケットなどの着るものの他に靴にも結構お金を遣います。私も、せっかく革製品の本場と言われるイタリアに住んでいるのだから、カッコいい靴を買おうと、かねがね思っていました。以前にも何度か靴屋さんへ行ってみたのですが、なかなか気に入ったものが見つからず、しかも自分の足の形がイタリア製の靴に合わないのです。一言で言うと、イタリア人の足は細くて長い、一方私の足は幅が広い。
それで私はイタリアで靴を買うのを殆ど諦めていました。しかし、オーダーメードの靴もあると聞きました。よしっ、思い切ってオーダーメードで靴を作ってみよう、、、と思ったのですが、聞いてみると注文で作る靴は安くて5万円、高いのだと20万円以上もするというのです。これではちょっと躊躇します。でもイタリアの人たちは高い靴を買ったときは、一生ものといわれるほど大切にし、何度も修理をして長い間履き続けるのです。

土曜日のある日、食料品を買った帰りに靴屋さんを何軒か覗いてみました。ちょっと気に入った形の靴がショーウインドーにありました。思い切ってお店の中へ入りました。年配のオバサン店員が対応してくれました。これと同じもので私のサイズ、イタリア式で40、のものはありますか、と尋ねました。そのオバサン店員は、ちょっと残念そうな表情で「無い」の一言。ダメか、やっぱしぃ。せっかく買う気になったのにぃ?。
それでまた別の靴屋さんのショーウインドーを覗いてみました。なかなかいいのが目にとまりました。色は明るい茶色。そして、お店の中に入りました。人のよさそうなオジサンが対応してくれました。私の気に入ったデザインのもののサイズをお願いし、試しに履いてみました。な、なんと、つま先も横幅もほぼピッタリなのです。感激です、いままで殆ど諦めていたのですから。よくよく見ると、明るい茶色というか、赤が混じった色です。ちょっと自分には派手すぎて照れくさいという感じ。でも待てよ、友人のルーチョ君なんか、いつかもっと赤い色の靴を履いていたではないか。しかしイタリアの男なら赤い靴でも ちっとも違和感がなく似合ってしまうんです。よっしゃ、という感じで決心しました。そして、その赤茶色の靴を買ってしまいました。でもやっぱ、色が派手すぎるかなぁ?。


第29章 便利さの追求と自然環境

イタリアの野菜や果物などの価格は日本に比べて安いと感じます。野菜とか果物は、日本のように温室栽培を殆どしません。今の日本は季節感がないと言われます。例えば、4月5月が旬のイチゴでも日本ではスーパーで年中売られています。温室栽培されているのですよね。オイルを焚いたり夜中でも電気をあてたりしてエネルギーを使っているのです。太陽光を浴びないで育った野菜や果物はそれに含まれるビタミンが通常のものよりはかなり低いと言われています。イタリアでは、スーパーや市場では殆どその季節に自然にできるものしか売られていません。昔の日本では、八百屋さんで売られている野菜なんかで季節を感じたものです。その点では、イタリアでは市場やスーパーで季節を感じることができます。一年中、どんなものでも手に入る日本は便利かもしれませんが、長くイタリアに住んでいるとイタリアのほうが自然でいいと感じるようになりました。

またコンビニは、今や日本の街角ごとに1軒はあるほどです。そして夜間営業のお店には夜遅くまで、こうこうと電気がついています。これも大きなエネルギー消費です。イタリアにはコンビニはありません。ましてや深夜営業のスーパーなどはありません。イタリアへ来た日本人は「コンビニがないなんてイタリアは不便な国ね」などと言います。しかし日本は便利さを追求するあまり、多くの環境破壊をしているのです。

昨今でも日本ではCO2を削減する努力をしていると声高に言っています。野菜、果物の温室栽培やコンビニの深夜営業などでエネルギーを消費し、たくさんCO2を出しておいて、京都議定書ではCO2削減の立派な提案をしていると威張っています。その前に、まずCO2を初めから出さないように考えるということを忘れているのではないでしょうか。ゴミを散らかしておいて、私は立派な掃除機で掃除をしているからいいだろうと言っているようなもんです。まずゴミを出さないようにしてくださいヨと言いたいですね。
日本人は、自分達がいつも正しいと思っているかのようです。日本と同じでない国に対しては、遅れているとか不便な国だとか言います。多くの日本人は、世界の中において自分達が異常だということに気がついていないのです。柄に似合わず、ちょっと真面目な話をしてしまいました。


第30章 コミュニケーション

イタリア人の思考過程は、日本人と違うように思います。
私の周りのイタリア人で日本語がわかる人はいません。そうすると私は英語かイタリア語で話さなければなりません。コミュニケーションをとろうとするときは言葉がその主な役割を果たし、とても重要な要素ですが、同時にお互いの思考過程、知識のバックグラウンドなどもまた大切な要素だと思います。物事を考える基準が異なっていたりすると意思疎通がうまく出来ません。

物事を考える基準で、例えば、車の燃費の話をしようとします。日本では、この車はガソリン1リッターで何キロ走れるかと燃費の表現をします。リッター10キロは延びるなぁ?などと言います。イタリアでも同じように言いますが、人によっては、100kmを走るのに何リッターのガソリンを使うのかと言います。両者の基準が異なっていては即座に数値を比較することは出来ませんね。アメリカなんかは車の燃費は日本と同じようだと思いますが、それでも1ガロンで何マイル走れるかというので、これまた換算が厄介です。異なる言語を使って、しかも物事の表現が異なる基準でされていてはコミュニケーションはうまく出来ません。

また例えば、ある目的地へ行きたい時に道順を聞いたりするとします。
日本人の表現:
この道をまっすぐ500m行くと交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。そして更に300mm行くとまた交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。
イタリア人の表現:
この道をまっすぐ500m行くと交差点がありますから、そこを右へ曲がってください。そして更に300mm行くとまた交差点がありますから、そこをまっすぐ行かないで、左へも行かないでください。
(それって、つまり右へ曲がるということですか?と聞くとイタリア人はそうですよと言います。それならなぜ最初から右へ曲がれと言わないのですかと日本人が言います。そうするとイタリア人は言います。だって一緒のことでしょ、、と。)

これはただの例です。世界中同じ言葉を話し、同じ思考過程であれば戦争や争いごともかなり減ったのではないかと思えます。何かの本で読んだことがありますが、「本当の国際化というのは相手に合わせることではなく、まず双方に違いがあることを認識することから始まる」という言葉が思い起こされます。イタリアでの毎日の生活で、このような思考過程の違いによりコミュニケーションで私は日々苦労しています。1分で終る会話が10分かかったりします。
初めは私も苦労し悩んだり腹が立ったりしましたが、最近は少しづつゆとりが持てるようになり、こういうことも楽しいと思えるようになりました。そうです世界は広いのです、そしていろいろな考え方、いろいろな人がいるのです。


同行者
一人旅
交通手段
タクシー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空

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  • 披露宴会場のレストランへ花嫁花婿が到着。

    披露宴会場のレストランへ花嫁花婿が到着。

  • 二人でケーキ入刀です。

    二人でケーキ入刀です。

  • 花嫁ロベルタと花婿アレッサンドラと。

    花嫁ロベルタと花婿アレッサンドラと。

  • 披露宴の大きな長いテーブルです。

    披露宴の大きな長いテーブルです。

  • 花嫁の妹のマルタです。

    花嫁の妹のマルタです。

  • 隣のオーロラちゃん、6歳です。恥ずかしがり屋さんです。でもちょっとセクシー過ぎるポーズですかぁ?

    隣のオーロラちゃん、6歳です。恥ずかしがり屋さんです。でもちょっとセクシー過ぎるポーズですかぁ?

  • パドバの朝市の花屋さん。季節の花がいっぱい売られていて、とっても華やかです。

    パドバの朝市の花屋さん。季節の花がいっぱい売られていて、とっても華やかです。

  • イタリアのネギです。日本の長ネギより白い部分が短い。イタリアでは、あまり温室栽培などをしないので、季節はずれの野菜などはいつも手に入りません。でも売られている野菜や果物で季節がわかります。

    イタリアのネギです。日本の長ネギより白い部分が短い。イタリアでは、あまり温室栽培などをしないので、季節はずれの野菜などはいつも手に入りません。でも売られている野菜や果物で季節がわかります。

  • 春になっても桜の花見が出来ないイタリアでは、あんずの花でその雰囲気を楽しみます。これは近所の家の庭に咲いたあんずの花です。

    春になっても桜の花見が出来ないイタリアでは、あんずの花でその雰囲気を楽しみます。これは近所の家の庭に咲いたあんずの花です。

  • 私の家の庭に咲いたマーガレットです。春になると可憐な花を咲かせます。マーガレットはイタリアの国花です。

    私の家の庭に咲いたマーガレットです。春になると可憐な花を咲かせます。マーガレットはイタリアの国花です。

  • パドバの街頭のバイオリン弾きのおねえさん。パドバ大学の学生さんのようです。「魅惑の宵」、「美しき青きドナウ」など思わず聞き惚れて立ち止まってしまいます。

    パドバの街頭のバイオリン弾きのおねえさん。パドバ大学の学生さんのようです。「魅惑の宵」、「美しき青きドナウ」など思わず聞き惚れて立ち止まってしまいます。

  • イタリアではこんな可愛い自動車が活躍しています。50ccの三輪自動車です。

    イタリアではこんな可愛い自動車が活躍しています。50ccの三輪自動車です。

  • パドバのお巡りさん。みんな陽気でカッコいい。

    パドバのお巡りさん。みんな陽気でカッコいい。

  • パドバ警察が誇るヘリコプター。ある土曜日に日頃の警察の活動をアピールするために このヘリが広場で展示されていました。

    パドバ警察が誇るヘリコプター。ある土曜日に日頃の警察の活動をアピールするために このヘリが広場で展示されていました。

  • パドバの靴屋さん。紳士靴のショーウインドーです。

    パドバの靴屋さん。紳士靴のショーウインドーです。

  • これは女性用の靴のショーウインドーです。

    これは女性用の靴のショーウインドーです。

  • 私が買った派手な色の靴です。VALLEVERDEというブランドです。革底でカチッとしたつくりです。イタリアでは日本で知られていないブランドで、いい品質の靴がたくさんあります。

    私が買った派手な色の靴です。VALLEVERDEというブランドです。革底でカチッとしたつくりです。イタリアでは日本で知られていないブランドで、いい品質の靴がたくさんあります。

  • 北イタリア、パドバとボローニャの中間にあるフェッラーラ。その街の中心にあるる公園。市民の憩いの場です。新緑の季節はとってもきれいです。

    北イタリア、パドバとボローニャの中間にあるフェッラーラ。その街の中心にあるる公園。市民の憩いの場です。新緑の季節はとってもきれいです。

  • フェッラーラのエステンセ城。お城の周りはお堀で囲まれています。

    フェッラーラのエステンセ城。お城の周りはお堀で囲まれています。

  • フェッラーラの街並み。石畳の道路の両側にレンガ造りの建物が並んでいます。

    フェッラーラの街並み。石畳の道路の両側にレンガ造りの建物が並んでいます。

  • スーパーのワインコーナー。さすが沢山のワインがありますね。

    スーパーのワインコーナー。さすが沢山のワインがありますね。

  • 夏はイタリアでもスイカは人気あります。スーパーでもたくさん売られています。日本のよりちょっと大きいですか。

    夏はイタリアでもスイカは人気あります。スーパーでもたくさん売られています。日本のよりちょっと大きいですか。

  • イタリアのスーパーでは、野菜や果物は素手で触れてはいけません。備え付けのビニールの手袋をはめて触るのです。そして、自分で計りに乗せて計量し、自動的に印刷される値段ラベルを貼ってレジーへ持って行くのです。

    イタリアのスーパーでは、野菜や果物は素手で触れてはいけません。備え付けのビニールの手袋をはめて触るのです。そして、自分で計りに乗せて計量し、自動的に印刷される値段ラベルを貼ってレジーへ持って行くのです。

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