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 5回までは丹波国の宿場は辿り終え、京都三条大橋から山陰道7宿目の福知山宿を後に、福知山宿の北はずれにある名刹長安寺から丹後国を巡った。長安寺は臨済宗の禅刹で、姫髪山麓にあって一名を「もみじ寺」として知られる。夜久野は子午線の町として知られており、旧役場前に町を南北に貫く東経135度線の我が国中央標準時を定める子午線標柱がある。<br /> そして一宮神社により、夜久野高原の南西部、小倉にある玄武岩公園を見学。道の駅がある農匠の郷に近接している「郷土資料館」で化石がたくさん出土している展示物を、学芸員の説明で見る。旅人の湯茶の接待をした「夜久野茶堂」を見て、そこから高原一体に88の石仏が設けられており、一部ではあるが「夜久野八十八ヶ所巡り」をした。<br /> 夜久野宿は福知山宿と和田山宿の間にあり、間の宿としての施設はほとんどないが、町並みはいくぶん旧街道の趣がある。

山陰道をゆく⑥/福知山宿~夜久野宿

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2008/03/22 - 2008/03/22

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ひま人

ひま人さん

 5回までは丹波国の宿場は辿り終え、京都三条大橋から山陰道7宿目の福知山宿を後に、福知山宿の北はずれにある名刹長安寺から丹後国を巡った。長安寺は臨済宗の禅刹で、姫髪山麓にあって一名を「もみじ寺」として知られる。夜久野は子午線の町として知られており、旧役場前に町を南北に貫く東経135度線の我が国中央標準時を定める子午線標柱がある。
 そして一宮神社により、夜久野高原の南西部、小倉にある玄武岩公園を見学。道の駅がある農匠の郷に近接している「郷土資料館」で化石がたくさん出土している展示物を、学芸員の説明で見る。旅人の湯茶の接待をした「夜久野茶堂」を見て、そこから高原一体に88の石仏が設けられており、一部ではあるが「夜久野八十八ヶ所巡り」をした。
 夜久野宿は福知山宿と和田山宿の間にあり、間の宿としての施設はほとんどないが、町並みはいくぶん旧街道の趣がある。

同行者
友人
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス 徒歩

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  •  長安寺大方丈、1400年前の用明天皇の第3皇子麻呂子親王(聖徳太子の実弟)が勅命を受け、丹波の国大江山に棲む鬼退治に向かう際、戦勝祈願のため薬師如来像を刻みこの地に奉納した。平安初期、薬師如来を本尊とする真言宗鎮護道場として金剛山善行寺が創建。後に長安寺と改名、25カ寺の坊を有し、諸国に知られ栄えた寺であったが、火災でことごとく焼失。天文13年(1544年)福知山初代城主、杉原家次(秀吉の正妻寧々の伯父)により再建された。<br /> 宗派は臨済宗南禅寺派。別格地である。

     長安寺大方丈、1400年前の用明天皇の第3皇子麻呂子親王(聖徳太子の実弟)が勅命を受け、丹波の国大江山に棲む鬼退治に向かう際、戦勝祈願のため薬師如来像を刻みこの地に奉納した。平安初期、薬師如来を本尊とする真言宗鎮護道場として金剛山善行寺が創建。後に長安寺と改名、25カ寺の坊を有し、諸国に知られ栄えた寺であったが、火災でことごとく焼失。天文13年(1544年)福知山初代城主、杉原家次(秀吉の正妻寧々の伯父)により再建された。
     宗派は臨済宗南禅寺派。別格地である。

  •  長安寺、庭園

     長安寺、庭園

  •  旧山陰道夜久野宿あたり。

     旧山陰道夜久野宿あたり。

  •  一宮神社鳥居、本殿、

     一宮神社鳥居、本殿、

  •  やくの玄武岩公園。京都府唯一の火山、宝山の火山活動により大地から流失した溶岩が、冷えて固まる時にできた一辺40〜50センチの六角形の柱状節理。<br /> 玄武岩は火山岩の一種で、約165万年前に噴火した溶岩が固まったものです。「玄武」とは中国神話で方位を司る四神のうち北方に相当する蛇と亀が合体した神体で、黒色の意味もある。

     やくの玄武岩公園。京都府唯一の火山、宝山の火山活動により大地から流失した溶岩が、冷えて固まる時にできた一辺40〜50センチの六角形の柱状節理。
     玄武岩は火山岩の一種で、約165万年前に噴火した溶岩が固まったものです。「玄武」とは中国神話で方位を司る四神のうち北方に相当する蛇と亀が合体した神体で、黒色の意味もある。

  •  やくの玄武岩公園。柱状節理。

     やくの玄武岩公園。柱状節理。

  •  夜久野化石郷土資料館。常設展示では、中生代・三畳紀のアンモナイトやサメの歯などの化石があり、全国でも珍しい展示である。

     夜久野化石郷土資料館。常設展示では、中生代・三畳紀のアンモナイトやサメの歯などの化石があり、全国でも珍しい展示である。

  •  夜久野茶堂(やくのちゃどう)、夜久野高原を旅する人の喉の渇きと飢えを癒すために湯茶の接待する施設として建てられた。創建年代不明、現代の茶堂は江戸時代の寛政年間(1789〜1801)に、信州稲荷山出身の一道貞心が再建した。

     夜久野茶堂(やくのちゃどう)、夜久野高原を旅する人の喉の渇きと飢えを癒すために湯茶の接待する施設として建てられた。創建年代不明、現代の茶堂は江戸時代の寛政年間(1789〜1801)に、信州稲荷山出身の一道貞心が再建した。

  •  やくの高原八十八石仏めぐり入り口。

     やくの高原八十八石仏めぐり入り口。

  •  夜久野88仏石仏、13番目。地元の人が石仏の前掛けに願い事を書いている。

     夜久野88仏石仏、13番目。地元の人が石仏の前掛けに願い事を書いている。

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