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      ≪万葉歌人・大伴家持≫<br /><br /><br /><br />JR鳥取駅から東へ8km車で約15分、<br />鳥取市国府町大字町屋726に所在する<br />『因幡万葉歴史館』と国庁跡。<br /><br />ときは、今から約1,250年前の日本史でいう奈良時代の<br />天平宝字二年(西暦758年)六月のころ。<br />大和朝廷以来の部門の家柄ながら「万葉歌人」としても<br />有名なこのお方「大伴家持:おおとものやかもち」さん。<br />都の朝廷から「因幡守」として遷任され、ここ鳥取市一帯<br />を治めるお役所、「因幡国庁」へ赴任してきました。<br />翌三年(西暦759年)春 正月一日、因幡国庁にて国や郡の司を<br />集め宴を催した時の一首。<br /><br /><br />『新しき 年の始めの 初春の<br />           けふ降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)』           (20−4516)万葉集巻末。<br /><br /><br />この歌、我が国最古の歌集とされる『万葉集』の巻末最後を<br />締めくくる歌なのです。<br />これもまた因幡の国(鳥取)の誇れるもののひとつなのですな。<br />その『万葉集・巻末の歌』が詠まれた「因幡国庁跡」<br />とすぐ近くにある「因幡万葉歴史館」ぶらり見て歩いた。<br /><br /><br />バス利用: <br />鳥取駅バス乗り場3番から日の丸バス中川原線に乗車、<br />因幡万葉歴史館前で下車(約20分)<br /><br />会館時間: 午前9時〜午後5時<br />休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合開館)年末年始29〜1<br />入館料金: 小中高校生 無料   大学生一般 500円<br />      (20人以上)団体400円<br />       70歳以上無料 障害者の方及び介護の方 無料<br />

ぶらり山陰みてある記 (2) 因幡万葉歴史館と国庁跡 

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2008/03/22 - 2008/03/22

222位(同エリア1186件中)

13

24

たぬち庵

たぬち庵さん

≪万葉歌人・大伴家持≫



JR鳥取駅から東へ8km車で約15分、
鳥取市国府町大字町屋726に所在する
『因幡万葉歴史館』と国庁跡。

ときは、今から約1,250年前の日本史でいう奈良時代の
天平宝字二年(西暦758年)六月のころ。
大和朝廷以来の部門の家柄ながら「万葉歌人」としても
有名なこのお方「大伴家持:おおとものやかもち」さん。
都の朝廷から「因幡守」として遷任され、ここ鳥取市一帯
を治めるお役所、「因幡国庁」へ赴任してきました。
翌三年(西暦759年)春 正月一日、因幡国庁にて国や郡の司を
集め宴を催した時の一首。


『新しき 年の始めの 初春の
けふ降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)』       (20−4516)万葉集巻末。


この歌、我が国最古の歌集とされる『万葉集』の巻末最後を
締めくくる歌なのです。
これもまた因幡の国(鳥取)の誇れるもののひとつなのですな。
その『万葉集・巻末の歌』が詠まれた「因幡国庁跡」
とすぐ近くにある「因幡万葉歴史館」ぶらり見て歩いた。


バス利用: 
鳥取駅バス乗り場3番から日の丸バス中川原線に乗車、
因幡万葉歴史館前で下車(約20分)

会館時間: 午前9時〜午後5時
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合開館)年末年始29〜1
入館料金: 小中高校生 無料   大学生一般 500円
      (20人以上)団体400円
       70歳以上無料 障害者の方及び介護の方 無料

交通手段
自家用車

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  • 因幡国庁跡から見る日の出。<br /><br />東の山、因幡三山の一つ、甑山(こしきやま)の頂上付近から、まだ肌寒い季節のすがすがしい空気に包まれて古代の昔から変わらぬ朝日を拝む。<br /><br />なんとも、すがすがしい、よい面持ちであることか。<br />「家持さん」もこのあたりから夜明けを迎えていたんでしょうな。<br /><br />  撫子が その花にもが 朝な朝な 手にとり持ちて   <br />    恋ひぬ日なけむ   (大伴家持全集)

    因幡国庁跡から見る日の出。

    東の山、因幡三山の一つ、甑山(こしきやま)の頂上付近から、まだ肌寒い季節のすがすがしい空気に包まれて古代の昔から変わらぬ朝日を拝む。

    なんとも、すがすがしい、よい面持ちであることか。
    「家持さん」もこのあたりから夜明けを迎えていたんでしょうな。

      撫子が その花にもが 朝な朝な 手にとり持ちて   
        恋ひぬ日なけむ   (大伴家持全集)

  • 田園の一角にある「因幡国庁跡」<br /><br />国府・国庁とは諸国の行政官庁が置かれた場所で役所をあらわし、国府の中に国庁が設置されたものとされている。<br /><br />因幡の国庁の位置は、昭和47年〜昭和52年までの発掘調査により明確になった。

    田園の一角にある「因幡国庁跡」

    国府・国庁とは諸国の行政官庁が置かれた場所で役所をあらわし、国府の中に国庁が設置されたものとされている。

    因幡の国庁の位置は、昭和47年〜昭和52年までの発掘調査により明確になった。

  • 国庁跡南門あとから西側を望む。<br /><br />復元模型写真の左側端にある、南門跡から西側を望み撮影。<br /><br />右寄りの山は因幡三山の一つで面影山(おもかげやま:100m)<br /><br />JR鳥取駅や市の中心街は面影山の右向こうにある。<br /><br />

    国庁跡南門あとから西側を望む。

    復元模型写真の左側端にある、南門跡から西側を望み撮影。

    右寄りの山は因幡三山の一つで面影山(おもかげやま:100m)

    JR鳥取駅や市の中心街は面影山の右向こうにある。

  • 国守『大伴家持』の執務室の跡。<br />国庁の全体は東西150m、南北213m、面積32,000?<br />が確認され、国の史跡に指定されています。<br /><br />推定模型の右端(北)は国主の執務室にあたるところで後殿(こうでん)と呼ばれています。<br /><br />「大伴家持」の義母である「大伴坂上郎女」が因幡の国へ赴任している家持をしのんで詠んだ歌がある。<br /><br />「わが兄子(せこ)が 面影山の さかいまに われのみ恋ひて 見ぬはねたしも」  (古今和歌六帖)<br />           

    国守『大伴家持』の執務室の跡。
    国庁の全体は東西150m、南北213m、面積32,000?
    が確認され、国の史跡に指定されています。

    推定模型の右端(北)は国主の執務室にあたるところで後殿(こうでん)と呼ばれています。

    「大伴家持」の義母である「大伴坂上郎女」が因幡の国へ赴任している家持をしのんで詠んだ歌がある。

    「わが兄子(せこ)が 面影山の さかいまに われのみ恋ひて 見ぬはねたしも」  (古今和歌六帖)
               

  • 発掘調査による建物の復元模型。<br /><br />因幡万葉歴史館には写真のような因幡の国を治めた役所の発掘調査による推定模型が展示してある。<br /><br />南(写真左)正面の門の先に国主が重要な政務をおこなう正殿、その後ろは国主の執務室のある後殿、左右には役人が仕事をする脇殿が配置されている。<br /><br />中間の広場で儀式などが執り行われたとされる。<br />奈良時代〜鎌倉時代(8世紀〜12世紀)

    発掘調査による建物の復元模型。

    因幡万葉歴史館には写真のような因幡の国を治めた役所の発掘調査による推定模型が展示してある。

    南(写真左)正面の門の先に国主が重要な政務をおこなう正殿、その後ろは国主の執務室のある後殿、左右には役人が仕事をする脇殿が配置されている。

    中間の広場で儀式などが執り行われたとされる。
    奈良時代〜鎌倉時代(8世紀〜12世紀)

  • 国庁跡の傍らに早春の花が。<br /><br />国庁跡から歴史館までは歩いて5〜6分位です。<br />田の畔にオオイヌフグリが青色の可憐ないでたちで咲き誇っていたよ。<br /><br />いつも思うんだけどね。この春を告げる可憐な花にとって、その実の形ゆえにこの名は不名誉に思えますな<br />。<br />学名のベロニカの逸話では女性の名に因んだ清楚な花の美しさを思わせるんだけどどね。<br /><br />ともあれ野に自然に咲く花は心を和ませてくれます。

    国庁跡の傍らに早春の花が。

    国庁跡から歴史館までは歩いて5〜6分位です。
    田の畔にオオイヌフグリが青色の可憐ないでたちで咲き誇っていたよ。

    いつも思うんだけどね。この春を告げる可憐な花にとって、その実の形ゆえにこの名は不名誉に思えますな

    学名のベロニカの逸話では女性の名に因んだ清楚な花の美しさを思わせるんだけどどね。

    ともあれ野に自然に咲く花は心を和ませてくれます。

  • 因幡万葉歴史館広場から。<br /><br />国庁跡から東へ300メートルほどの道のり。<br />広い駐車場の隣は広い芝生の庭がある。花崗岩の磨きの入った石のベンチに小さな東屋が設けられている。<br /><br />葉が繁る頃は日影ができて、寝そべっても気持ちがいいね。

    因幡万葉歴史館広場から。

    国庁跡から東へ300メートルほどの道のり。
    広い駐車場の隣は広い芝生の庭がある。花崗岩の磨きの入った石のベンチに小さな東屋が設けられている。

    葉が繁る頃は日影ができて、寝そべっても気持ちがいいね。

  • 時の塔<br /><br />歴史館の玄関付近は時の広場と呼ばれている。<br /><br />高さ30mの「時の塔」は巻貝をイメージしたシンボルタワーでエレベーターと螺旋階段をそなえている。<br /><br />塔の屋上からは因幡三山や国府平野が一望でき、ゆったりとした時間が過ごせるよ。

    時の塔

    歴史館の玄関付近は時の広場と呼ばれている。

    高さ30mの「時の塔」は巻貝をイメージしたシンボルタワーでエレベーターと螺旋階段をそなえている。

    塔の屋上からは因幡三山や国府平野が一望でき、ゆったりとした時間が過ごせるよ。

  • 時の塔から国庁跡方向(西)を望む。<br /><br />正面の小高い山は面影山でその手前こんもりした茂みに見えるところが、今見てきた国庁跡だよ。<br /><br />右手にJR鳥取駅、鳥取市街地が望まれ、さらに右方向の先は鳥取砂丘、日本海があるという具合だね。

    時の塔から国庁跡方向(西)を望む。

    正面の小高い山は面影山でその手前こんもりした茂みに見えるところが、今見てきた国庁跡だよ。

    右手にJR鳥取駅、鳥取市街地が望まれ、さらに右方向の先は鳥取砂丘、日本海があるという具合だね。

  • 時の塔から歴史展示館を見下ろす。<br />配置に合わせ記述すると<br /><br />    万葉と<br />    神話の庭<br />  企       ラ    → 民族館へ <br />  画  通路  ウ 入口   <br />  展       ン      映画館へ<br />  示  中庭  ジ <br />  室<br />    常設展示館<br /><br />大体こんなふうな配置になっている。

    時の塔から歴史展示館を見下ろす。
    配置に合わせ記述すると

        万葉と
        神話の庭
      企       ラ    → 民族館へ 
      画  通路  ウ 入口   
      展       ン      映画館へ
      示  中庭  ジ 
      室
        常設展示館

    大体こんなふうな配置になっている。

  • 瓦の壁<br /><br />「時の塔」の一階部分。外壁に瓦を用い、甍の波で日差しの具合により微妙に変化するさまは、斬新なアイディアを感じたな。<br /><br />古い壁に感じられる時代感、わびさびには興味をもっているけど新しくてもいいもんもあるな。

    瓦の壁

    「時の塔」の一階部分。外壁に瓦を用い、甍の波で日差しの具合により微妙に変化するさまは、斬新なアイディアを感じたな。

    古い壁に感じられる時代感、わびさびには興味をもっているけど新しくてもいいもんもあるな。

  • 伝承館<br /><br />郷土の芸能の練習、発表会や演劇・コンサートなどを行う多目的なスペース。<br /><br />古代を感じさせるいい感じの館だね。<br /><br /><br /><br />

    伝承館

    郷土の芸能の練習、発表会や演劇・コンサートなどを行う多目的なスペース。

    古代を感じさせるいい感じの館だね。



  • 歴史館正面入口。<br /><br />家持さんが坂上大嬢に贈った歌。<br /><br />「我が屋戸の 時じき藤の めずらしく <br />   今もみてしか 妹が笑いまひを 」  大伴家持<br /><br />「庭に咲いた季節外れの藤のように、稀にしか逢えない恋人よ、今すぐにあって花をめでる様に貴女の笑顔をずっと見詰めていたい。」<br /><br />万葉のラブレターってとこですナ。天平の時代がロマンと評される所以です。

    歴史館正面入口。

    家持さんが坂上大嬢に贈った歌。

    「我が屋戸の 時じき藤の めずらしく 
       今もみてしか 妹が笑いまひを 」  大伴家持

    「庭に咲いた季節外れの藤のように、稀にしか逢えない恋人よ、今すぐにあって花をめでる様に貴女の笑顔をずっと見詰めていたい。」

    万葉のラブレターってとこですナ。天平の時代がロマンと評される所以です。

  • 大伴家持ホール。<br /><br />名門大伴氏の族長として政治の表舞台で、高官としての要職にありながら、万葉歌人として活躍した家持さん。この感性豊かな「万葉人」の生涯にスポットをあてた展示品がたくさん陳列されています。<br /><br />因幡の国での家持さんの当時の生活の様子を再現する、ミラービジョンが設置してあって、万葉の世界がとても、身近に感じられるよ。

    大伴家持ホール。

    名門大伴氏の族長として政治の表舞台で、高官としての要職にありながら、万葉歌人として活躍した家持さん。この感性豊かな「万葉人」の生涯にスポットをあてた展示品がたくさん陳列されています。

    因幡の国での家持さんの当時の生活の様子を再現する、ミラービジョンが設置してあって、万葉の世界がとても、身近に感じられるよ。

  • 大伴家持ホール。<br /><br />左下の巻物が『万葉集』の写本。<br /><br />現品は 国宝として京都国立博物館に保存されている これは平安時代後期(11世紀)藤原伊定により複製されたものといわれているもの。

    大伴家持ホール。

    左下の巻物が『万葉集』の写本。

    現品は 国宝として京都国立博物館に保存されている これは平安時代後期(11世紀)藤原伊定により複製されたものといわれているもの。

  • 常設展示室。<br /><br />因幡国の国府一帯に残る古墳や石堂などの古代遺跡を原寸大の模型で再現したものなどが展示されている。<br />ロマンが溢れ、古代の雰囲気が 感じられる空間だネ。<br />因幡国庁の模型、岡益の石堂(原寸大再現)、梶山古墳石室(複製)その他奈良時代や平安時代の役人などの仕事の様子などがわかりやすく展示してあるよ。

    常設展示室。

    因幡国の国府一帯に残る古墳や石堂などの古代遺跡を原寸大の模型で再現したものなどが展示されている。
    ロマンが溢れ、古代の雰囲気が 感じられる空間だネ。
    因幡国庁の模型、岡益の石堂(原寸大再現)、梶山古墳石室(複製)その他奈良時代や平安時代の役人などの仕事の様子などがわかりやすく展示してあるよ。

  • 伊福吉部徳足比売(いふきべのとこたりひめ)<br /><br />奈良時代の因幡の豪族・伊福部氏の娘さん。<br />文武天皇の藤原京で女官として仕え、天皇の食事の世話などをしていたと伝えられる。<br /><br />官位までいただいた立派な女官で、亡きあと当時としては珍しい火葬にふされ、骨灰は銅製の骨蔵器に納められて因幡の国に葬られた。<br /><br />墓跡は国の史跡。骨蔵器は国の重要文化財になっている。<br /><br />

    伊福吉部徳足比売(いふきべのとこたりひめ)

    奈良時代の因幡の豪族・伊福部氏の娘さん。
    文武天皇の藤原京で女官として仕え、天皇の食事の世話などをしていたと伝えられる。

    官位までいただいた立派な女官で、亡きあと当時としては珍しい火葬にふされ、骨灰は銅製の骨蔵器に納められて因幡の国に葬られた。

    墓跡は国の史跡。骨蔵器は国の重要文化財になっている。

  • 万葉の時代の女性の身だしなみ。<br /><br />黒髪をすく櫛。髪を整えるピン。糸巻きなどが展示されている。<br /><br />『 春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり <br />   <br />  天の香具山 』  (万葉集 持統天皇)<br />

    万葉の時代の女性の身だしなみ。

    黒髪をすく櫛。髪を整えるピン。糸巻きなどが展示されている。

    『 春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり
       
      天の香具山 』  (万葉集 持統天皇)

  • 『万葉集』 名場面再現! <br /><br />ヌカタノオオキミ オオアマノミコ<br />額田王と大海人皇子の近江での宴席で詠まれた歌。<br />        ムラサキノ   シメノ<br />「あかねさす 紫野行き 標野行き<br />   ノモリ<br />   野守は見ずや 君が袖振る」    額田王<br />             <br />「紫の 匂へる妹を 憎くあらば<br />   人妻ゆへに 我れ恋ひめやも」  大海人皇子<br /><br />当時、額田王は天智天皇の后、それより以前は大海人皇子の妻であった。二人の間には娘がいる。複雑な間柄の二人が取り交わした歌である。天平のロマンの香りで彩るメロドラマの感があるね。<br />

    『万葉集』 名場面再現! 

    ヌカタノオオキミ オオアマノミコ
    額田王と大海人皇子の近江での宴席で詠まれた歌。
            ムラサキノ   シメノ
    「あかねさす 紫野行き 標野行き
       ノモリ
       野守は見ずや 君が袖振る」    額田王

    「紫の 匂へる妹を 憎くあらば
       人妻ゆへに 我れ恋ひめやも」  大海人皇子

    当時、額田王は天智天皇の后、それより以前は大海人皇子の妻であった。二人の間には娘がいる。複雑な間柄の二人が取り交わした歌である。天平のロマンの香りで彩るメロドラマの感があるね。

  • 万葉のファッション<br /><br />男は若き日の「家持」さん、女の方は「坂上郎女」さんという設定になっている。<br />大伴家持は六位の「朝服」、帽子は無文の絹、上着は緑色に花葉文様の錦。<br />叔母の大伴坂上郎女は黄色と茜色を掛け合わせた上着に、茜赤の葡萄唐草文の錦のベスト(背子)、スカートは薄緑色。高貴な人の万葉ファッションの定番。<br /><br />「夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の <br />     知らえぬ恋は 苦しきものそ」  大伴坂上郎女<br />

    万葉のファッション

    男は若き日の「家持」さん、女の方は「坂上郎女」さんという設定になっている。
    大伴家持は六位の「朝服」、帽子は無文の絹、上着は緑色に花葉文様の錦。
    叔母の大伴坂上郎女は黄色と茜色を掛け合わせた上着に、茜赤の葡萄唐草文の錦のベスト(背子)、スカートは薄緑色。高貴な人の万葉ファッションの定番。

    「夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の
     知らえぬ恋は 苦しきものそ」  大伴坂上郎女

  • 万葉のファッション(染と柄)<br />「絞纈染め」は模様染めの手法としてはもっとも古く<br />布を糸でくくって浸み染めにするもの。インドから中国を経て奈良時代に大流行した。現在はネクタイ、のれんなど応用されている。<br />「七曜文」は中国の陰陽五行説に由来する、七つの星を表し、中国では皇帝の礼服に日本の奈良時代では天皇の礼服の柄に使用された。<br /><br />今見てもなかなかに「渋い!」そういえばこんな感じのネクタイ確か持ってたな。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    万葉のファッション(染と柄)
    「絞纈染め」は模様染めの手法としてはもっとも古く
    布を糸でくくって浸み染めにするもの。インドから中国を経て奈良時代に大流行した。現在はネクタイ、のれんなど応用されている。
    「七曜文」は中国の陰陽五行説に由来する、七つの星を表し、中国では皇帝の礼服に日本の奈良時代では天皇の礼服の柄に使用された。

    今見てもなかなかに「渋い!」そういえばこんな感じのネクタイ確か持ってたな。





  • 万葉びとの食。<br /><br />食材を煮る、焼く、などして味付けはしない。「塩」、「醤・ひしお」、「酢」などで味をつけ自分で加減して食した。<br /><br />また、この時期から漬物、塩から、干し肉などの保存食加工も発達したことがわかっている。<br />

    万葉びとの食。

    食材を煮る、焼く、などして味付けはしない。「塩」、「醤・ひしお」、「酢」などで味をつけ自分で加減して食した。

    また、この時期から漬物、塩から、干し肉などの保存食加工も発達したことがわかっている。

  • 庶民の食。<br /><br />庶民の食膳は簡素な、一汁一菜。ご飯には玄米に赤米やヒエやアワを混ぜて食べた。ちょっとさみしい感じもするけれど、これは健康食で体にはいいナ。<br /><br />「格差社会」というけど万葉の昔からのことで珍しくもなんともないんだね。<br /><br /> 「皆なさん、 ガンバッテ行こうネ。」

    庶民の食。

    庶民の食膳は簡素な、一汁一菜。ご飯には玄米に赤米やヒエやアワを混ぜて食べた。ちょっとさみしい感じもするけれど、これは健康食で体にはいいナ。

    「格差社会」というけど万葉の昔からのことで珍しくもなんともないんだね。

     「皆なさん、 ガンバッテ行こうネ。」

  • ラウンジから万葉の庭を望む。<br /><br />万葉集には、四季の花、野山の植物、季節の移ろいなど美しい自然を歌い上げた歌がたくさんあるね。<br />実に見事なまでの描写と言えます。高貴な方から身分のひくい人たちの歌も一緒に編纂されているところがなお、その素晴らしさを際立たせ、人々に愛されるのだろうね。<br />庭の木や花に因んだ歌が、それぞれに票記されていて庭の散策をしながら、さながら万葉の昔にタイムスリップしたような気分に浸れる。<br /><br />「青丹よし 奈良の都は 咲く花の<br />     薫うがごとく 今盛りなり」  小野老<br /><br /><br />

    ラウンジから万葉の庭を望む。

    万葉集には、四季の花、野山の植物、季節の移ろいなど美しい自然を歌い上げた歌がたくさんあるね。
    実に見事なまでの描写と言えます。高貴な方から身分のひくい人たちの歌も一緒に編纂されているところがなお、その素晴らしさを際立たせ、人々に愛されるのだろうね。
    庭の木や花に因んだ歌が、それぞれに票記されていて庭の散策をしながら、さながら万葉の昔にタイムスリップしたような気分に浸れる。

    「青丹よし 奈良の都は 咲く花の
         薫うがごとく 今盛りなり」  小野老


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この旅行記へのコメント (13)

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  • 前日光さん 2009/08/05 00:39:33
    お久しぶりです!
    ご無沙汰しておりました。

    実は今日(あ、もう昨日です)鳥取「因幡万葉歴史館」を見て帰って来たところです。

    たぬち庵さんの旅行記を拝見したときから、行ってみたいと思っていた所ですので、行くことができて大変うれしいです。

    とりわけ、「時の塔」から眺めた因幡三山が印象的でした。
    面影山、因幡山、甑山を肉眼で見られたのは、本当にうれしかったです。
    甑山には、白鷺がたくさん枝に留まっているのが車の中からも見えました。
    時間がなかったので、岡益の石堂と池田家墓所を見ただけで戻って来ましたが、実は智頭にも行きたくて試みたのですが、飛行機の時間に遅れる訳にもいかず、断念しました。
    若桜駅にも、岩見にも行きたかったのですが、欲張りですよね。

    三徳山、三佛寺の投入堂には登れました。
    いつになるか分かりませんがアップしたいと思います。
    どうぞ、また遊びにいらしてください。

      前日光
  • 白い華さん 2008/04/01 23:00:17
    鳥取って、 いいところですねぇ〜。
     今晩は。先日、 東京 近県の 夕方の 奥様向け!ローカル番組『レディース 4』で 「鳥取の 旅」を 特集!で やったんです。
     「たぬち庵さんの 鳥取!だ〜」(喜)ということで、何日か前から、HDDで 録画!の 用意万端!の 私・・・デシタ。(笑)

     鳥取 砂丘!の 風紋!も 風が 創りあげる! 砂の 芸術・・・、実に ロマンチック!ですね〜。
     ただ、レポーターの 女性! 靴の中にも 容赦なく 入り込む!砂に 悪戦苦闘!してました。
     
     それから、鳥取市内!の 港!を ご紹介!
     なかなか アフリカの サハラ砂漠!や 中央アジアの ゴビ砂漠!へは 行けないでしょうけど、 鳥取砂丘!なら 国内だし・・・行けるかな〜?
     
     こうやって 4トラ!で 日本全国の 皆様!と お知り合い!に なれて いろんな 地方!に 自分なりの 思い!や 興味!で テレビを 見たりするのも ・・・ いいモン!ですよね。(♪)

     お体を 大切に・・・。
     田舎 爺さんの 「和み! 旅行記」 期待しています。

     万葉の 昔の 人々は、調理!が 味付け!なし・・・とは。。。
     各自 それぞれの 好み!で 味付け!って その日の 気分次第で 合理的!だったんですね〜。
     いろいろ ご自身で お調べ!になる 勉強の パワー!に 頭が 下がります。。。(ペコリ)

        それでは また

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/04/02 19:43:07
    RE: 鳥取って、 いいところですねぇ〜。
    ハーイッ!こんばんわ。またまた鳥取のテレビ情報ありがとう。
    結構いろいろなもので、中央の方へも鳥取の紹介があるんですねえ。

    砂丘をテーマにした写真をライフワークにしているアマチュアカメラマンの人はたくさんいるようです。最近では写真集が簡単に発行できるようでね、何人かの人の作品を拝見しましたよ。砂丘の織りなす四季の様子、一日のうちでも朝・昼・夕・夜、克明に撮った写真集なども地元の本屋さんで見かけます。

    やはり砂丘の良さを実感したい場合はね、風が強くて人があまりいない日の
    翌日、夜明け前から砂丘に足を運び、日の出をまってそうしてから、砂丘のあたりを散策するのがいいね。条件のそろった観光は少し難しいですね。

    観光バスの駐車エリアになっている所は、小高い丘になっていて展望台もあり砂丘全体が見渡せるよ。砂丘に降りるリフトが運転されていましてね。
    一応難なく砂丘がたのしめます。旅行者のための記念写真用に本物のラクダが「月の砂漠」のいでたちで用意されていますよ。新婚のカップルは必ず撮っているようですね。私もずいぶん昔にとりました(笑!)

    ローカルな写真記も白い華さんのように興味を持って見てくれる人があると
    とってもうれしいですな。今日もね随分と山奥の方へ仕事の打ち合わせにいきましてね。ちょっとしたところを撮ってきたから載せますよ。

    このあたりは東京や大阪よりずーっと南なんだけどね、春の訪づれるのはかなりおそいですな。山裾にはまだ残雪がありました。それでも春になったあかしを告げるように、ひっそりと芽をだしているフキノトウなどにも会えたよ。
    ほんのわずかな日差しを見計らって少しばかり撮ってきましたからね。写りはいまいちだけど、「田舎の春のおとずれ」を近日掲載、また見てくださいな。
        いつもお便りありがとう。 たぬち庵


  • M-koku1さん 2008/03/29 22:59:43
    山陰地方
    たぬち庵さん

    非常に学術的な旅行記で感服しました。
    万葉集を購入までなさったとは、ただただ敬服です。
    残念ながら和歌、詩歌に詳しくないので、多分、本当の良さの
    何分の一もわかっていないです。
    でも歴史的に古い時代から山陰地方が開けていたというのは
    日本書紀を紐解いても明白なわけで、
    一時は邪馬台国も山陰にあったと思われていたんではなかったかと…

    友達に俳句を趣味としている粋な男性がいまして、
    (大学時代の若い頃から、私から見れば古語としか思えない和語を
    連発していたのですが、見事NHKの俳句王国に出るほどの俳人になってしまっています。)私もたまに作ってみるのですが
    小学生の作品よりひどい感じです。
    そんな日本文化に憧憬の深いたぬち庵さん、
    フィリピンの島、エジプト人さんから、日本の昔まで、守備範囲が広いですネエ。

    少し勉強しなくちゃと反省中です。

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/03/30 12:19:28
    RE: 山陰地方は「さんしゃいん」 
    爺さんの「つぶやき写真記」学術・歴史に因んだ場所を見て歩いていますけど本人はさほど教養があるわけでもなく、文化的素養もない田舎爺さんなんですよ。
    ただ若いときから、官公庁に検査をしてもらう書類を作っていたんで、それで提出物には十分な下調べをして説明をすると言う習慣が残っているんでしょうねえ。ついつい勉強をしてみたくなるんですよ。
    「万葉集」は有名どころの歌を知っていたぐらいで特別な興味を抱いていたわけではないんですが、改めて解説本などを読むとハマりそうなほど興味深いもんですな。
    どちらかといえば「徒然草」がたいそう気に入り関連本はかなり持っていますがね。俳句の素養もありませんな。即興で話し相手を笑わせるのに季語の入らない川柳のようなものは飛び出しますがね(笑!)

    この山陰地方はおっしゃるとおり古代は、大陸から文化の入ってくる玄関口のような処だったようですね。鳥取の西部つまり島根県とつながるあたりは出雲圏になっていて「出雲神話の国」だったんです。縄文・弥生時代・それ以後の時代の出土品などもたくさん出てきてね。
    古代史や歴史の常識をくつがえすような発見が次々と出現しています。

    最近ではすぐ近くの「青谷上寺地遺跡」からのすぐれた出土品を復元する特別企画が特集されてね。「人間国宝―弥生の謎に挑む」と題されてNHKの教育番組でやっていたよ。

    「南の島の訪問記」と並行して地方発の「歴史探訪」の写真記もいいね。
    エジプトの「ハッサン大王」お帰りになりました。「エジプト、イツクルカ?」と言っておりましたが、「南の小さな島」が気になりだしたこの頃です。

      ではまた。  たぬち庵


  • めぐみ☆さん 2008/03/25 11:10:22
    初めまして。。
    たぬち庵さん、こんにちは。
    私のサイトにご訪問、有難うございます。

    万葉のファッション、素敵ですね。
    古布に興味があるので参考になりました。

    赤地…の生地、絞りにこのような名前があるのですね。

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/03/25 18:43:08
    RE: 初めまして。。
    はい、どうもはじめまして。
    たくさんの旅行記時々お邪魔しとりますよ。

    万葉の時代の染織品にはこの布のように樹脂とロウで模様を描いて布に
    デザインを施す方法だったそうです。模様染では一番最初の方法だということのようです。

    デザインは中国古代のものやペルシャなど西方から遣隋使や遣唐使により伝えられ、それが平安時代になると繊細で優美な和文様に発達したということですよ。これらの流れが万葉歴史館に詳しく記述されていました。
    いい勉強にもなりました。

    その他、万葉の染物教室とかもあっていろいろな同好の会も開催されているようでした。
    唐八景さんのブログの方、さっき初めて知りましてね。
    お邪魔させていただきましたよ。こちらのミニファッション、素晴らしいもんですな。いやーっ、本当に感心しましたよ。センスいいですな。なかなか根気が必要でしょうね。細かいところまで手がこんでいます。和裁の技術も
    ないとできんでしょうね。ここまで来るともう趣味の域をこえていますな。

    印刷して眺めながらか書きこんでいますけど、これなど爺さんの孫娘もきっと欲しがるでしょうな。いいものを見せてもらいましたよ。私のお気にいり
    ブロガーの義臣さんの横顔もちらっと見ましたしね。

    また時々お邪魔させてもらいます。   ありがとう。 たぬち庵



  • 前日光さん 2008/03/24 22:45:26
    因幡国庁の雪
    たぬち庵さん こんばんは!
    拙い私のブログにご訪問いただき、ありがとうございます。

    義臣さんと同じく「万葉集」が大好きな人間です。
    特に大伴家持は、私の卒論のテーマでした。
    まだ越中にも因幡にも行っていませんが、そのうち
    家持を訪ねる旅も、ぜひ実践してみたいと思っています。

    それにしましても、家持は国庁に降る雪を、どんな気持ちで
    眺めていたのでしょうか?

    衰退に向かう大伴の家。武門の家柄に生まれてしまったことが
    彼の悲劇だったのでしょうか?
    良いことがますます重なってほしいという歌を詠みながら、
    彼はこの後、永遠に沈黙してしまうのです。
    万葉集は、この家持の因幡国庁で詠まれた歌を最後に終焉を
    迎えています。

    家持が眺めた国庁の雪を、私もぜひ眺めてみたいものです。
    やはり因幡の国には、冬こそ訪れたい!と今、猛烈に思って
    しまいました。

    よいものをご紹介いただき、ありがとうございました。

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/03/25 01:08:51
    RE: 因幡国庁の雪
    そうでしたか、卒論のテーマにするほどですから、学生時代からこの時代に
    相当の興味と知識がおありだったんですねえ。

    家持さんの因幡の国庁での正月の宴の一首、ねえ。いかなる想いだったんだろうね。以下はたぬち庵のまったくの私見。

    あーあ、越中から都に帰ったのにすぐまたこんな西国の片田舎に追いやられてしまったよ。このあたりでも冬になるとこんなにも雪がふるんだねー。
    当時、都では様々な政変があり、家持にとっても長らく官位の昇叙もなく気分は晴れない赴任地での毎日だったのではないかとそういう気がします。

    感性豊かで、細やかな心配りを歌の随所に見せる家持の万葉集最後の一首は
    彼の作品のなかでは、凡庸な歌だと思いますな。よくよく何度吟じたってねほんとに儀礼的なだけでね。家持特有の思い入れ等は全く感じられませんよ。淡々と天皇賛歌をよみあげています。個人的な意を含まないだけに降りしきる雪がつもるように天皇家に目出度きことが次々と重なりますようにと流れるような美しい調べになっていますな。 

    彼ほどの歌人がこの一首を最後に歌を詠まなくなったとは考えられないんだね私は。史実をたどっても歌を止める動機らしきことも見当たらない。
    万葉集の編纂を終える場所がここ山陰の地がふさわしいと考えたんではないかと思いますよ。この地は古来、神話の里であり、黄泉の国への入口だと考えられ死地にふさわしいところだから・・・・。
    以上、「珍説万葉集の終章・考」  
                      ではまた たぬち庵







  • 義臣さん 2008/03/24 17:18:12
    万葉集
    たぬち庵さん
    万葉集の好きな私としては 此処は行かなくては
    昨年は富山の国府跡を歩いてきたのですが、
      いいことがわかりました、
    記憶して、、数年中には行こうかと思います、
                      義臣

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/03/24 20:01:52
    RE: 万葉集
    義臣さんどうも、こんばんは。
    万葉集ファンでしたか、ここは駅からも近く旅の途中でもちょっと立ち寄ることも出来ていいですよ。

    越中(富山)には行かれたとのこと、家持さんはやはり国主として因幡の国に赴任する7年前までの5年間くらいを越中国主として任にあたっていますね。こちらの方では非常にたくさんの歌を詠んでいまして、その数220首あまりと記述されていますね。

    私も一度は訪ねてみたいところです。家持さんはこの万葉集の編纂に深くかかわったひとだといわれていますが「万葉集」にはこの方の長歌・短歌あわせて473首が収められているということですから、じつに越中時代の歌が半数近くあるんですね。

    万葉集ゆかりの地や句碑をたずね、ゆっくりと古に思いを馳せる旅もまたいいもんでしょうな。この因幡の地もぜひお立ち寄りくださいな。

    では、また。   たぬち庵
  • 三昧さん 2008/03/23 19:09:36
    オオイヌフグリ


    この場所は知りませんでした。それにしても、春になると小さいけれど目をひくオオイヌフグリって、誰が最初にこの名前を広めたんでしょうね?私も、昨日 伊豆半島の突端にある石廊崎に行くときに可愛く咲いているオオイヌフグリを見て、フグリの意味をその時に知りました。もうチョット子供にも可愛く理解できる花の名前に変えてあげたいですね。

    たぬち庵

    たぬち庵さん からの返信 2008/03/23 19:34:33
    RE: オオイヌフグリ
    あははっ!どうも釣師さん。さっそくに来ていただきましてありがとう。
    まだ半分くらいですけどね。この手のものは記述に間違いがあるといけない部分が絡んでくるからね。調べものもあるしマーちょっとも進みませんな。

    さっきも本屋さんまで万葉集の関連本を買ってきましてね。解説など読むと結構おもしろいもんですね。こうして勉強にもなるしね。

    今ごろ、いいことを始めたものだと、楽しいもんですなこれは。もう少し頑張って整理しますんでね。早々と投票までもらってますからな。

    ありがとうございました。   たぬち庵

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