2003/05/15 - 2003/05/22
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@とらじろうさん
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表紙の写真は大統領官邸を警護するギリシアの衛兵。
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ギリシアのアテネで2003年5月に開かれた国際会議 16th International Conference on Oral & Maxillofacial Surgery(16th ICOMS)に参加しました。
ギリシアは1896年の第1回オリンピック大会以来108年振りのオリンピック開催を翌2004年に控え、国中が活気づいていました。
International Association of Oral & Maxillofacial Surgeons(IAOMS)が主催するこの国際会議は口腔外科関係では世界最大規模の学術会議で、私は1986年バンクーバー(カナダ)で開かれた第9回会議で口演発表の経験があります。当時は3年に1度の開催でしたが、1995年ブダペスト(ハンガリー)の第12回会議から2年に1度開かれるようになり、1997年の第13回会議は第42回日本口腔外科学会総会との共催でアジアでは初めて日本(京都)で開催されました。
会議前日
5月15日(木)午前11時15分関西国際空港発のエールフランスAF291便でパリ(シャルル・ドゴール空港)を経由し、同AF2332便に乗り継ぎ、同日午後10時45分、アテネ(エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港)に到着しました。日本からギリシアへの直行便はないので第3国、一般的にはヨーロッパの主要都市での乗り継ぎが必要となります。エールフランス便を利用した理由は、エコノミー席でも私の大好きなシャンパンをサービスしてくれるからでした。
会議初日
5月16日(金)の早朝、期間中の宿泊先であるシンタグマのアマリア・ホテルから地下鉄でディヴァニ・カラヴェル・ホテル国際会議場に向かい、午前8時頃エントリーしました。14,15の両日は学会役員会等の日程なので、一般参加者にとっては16日が実質的な会議初日です。ヨーロッパ、アジア、アフリカ、中近東、オセアニア、北米、中南米の各国から色々な人種が集まって来るので、国際会議には独特な雰囲気があります。会議初日の受付はいつも大変混雑しますが、私は事前登録をしておいたので、すぐにコングレス・バッグを手に入れることが出来ました。
毎回少なくとも1,000人前後は参加する大きな会議ですが、今回はイラク戦争やSARSの影響で参加者は少ないと思っていました。予想に反し学術プログラムには654題もの一般演題が採択され、口演発表421題(日本26)、ポスター発表229題(同82)、ビデオ発表4題(同0)に分類されていました。日本は108題で、世界一の出題国です(口演発表は米国が第一位。日本はポスター発表が突出しています)。
抄録集を見て自分の演題とアブストラクト(要旨)が正確にプリントしてあることを確認し、次に他の発表者の演題をセッション別に通覧して興味深い演題のアブストラクトをチェックします。同時進行で行われる幾つかの口演会場を効率よく移動し、出来るだけ多くの発表を聴きたいからです。もちろんポスター発表会場や商社展示ブースも巡(まわ)り、空き時間や休憩時間を利用して市内観光もしました。
会議場の北にはリカヴィトスの丘、西にはアクロポリスの丘が見えます。紀元前の昔、ソクラテスやプラトンが熱弁を振るったといわれる古代アゴラなど、重厚な石造りの古代遺跡群がいたるところにあり、市内を歩き回るだけで当時の栄華が偲ばれます。実際には初めて訪れた古代都市ですが、世界史の授業で聞き覚えのある場所を散策していると、まるで千数百年振りに懐かしい祖国に帰ってきた哲学者にでもなったような錯覚に陥ります。アクロポリスの丘に上り、巨大なパルテノン神殿の前に立って遠くを見渡すと、サロニコス湾に浮かぶ船やヨットが小さく見えます。ペルシア戦争(BC492-BC479)で破壊されたこの神殿を紀元前438年に再建したというペリクレス将軍も、同じ場所に立ってサロニコス湾を俯瞰したのでしょうか・・・。
午後6時30分に学会が終了すると、夜は楽しい社交プログラムが待っています。学会場から貸し切りバスでアポロ・コースト沿いにアッティカ半島を南下して高級リゾート、ヴーリャグメニの豪華ホテル、ディヴァニ・アポロン・パレスの「アリストテレス・ホール」で午後8時からオープニング・セレモニー(開会式)、続いて同ホテルのプールサイドでカクテル・レセプションが開かれました。
会議2日目
5月17日(土)。会議も2日目になると会場間の移動にも馴れてきました。
この日も学術プログラムが終わると、参加者を乗せたバスは会議場を午後7時30分に出発し、アテネの南にある美しいカヴォウリ・ビーチに向かいました。バスから見る海は初夏の夕陽に反射してエメラルド・グリーンに輝いて見えます。午後8時から「グリーク・イヴニング(ギリシアの夕べ)」と名付けたビーチ・パーティが始まりました。
パーティは12時過ぎまで延々と続きます。パーティ会場で隣り合わせになった参加者とカタコトの英語や日本語でお喋りをしながら、エーゲ海で取れたばかりの新鮮な魚介、太陽の光を十分に浴びて育った野菜や果物をふんだんに使った伝統的なギリシア料理を堪能することが出来ました。
会議3日目(エクスカーション)
5月18日(日)。会議はお休みです。学会主催の「エーゲ海1日クルーズ」(費用は会議登録費に含まれています)に全員で参加して頭の凝(こ)りを解(ほぐ)します。
午前7時30分にアテネのホテルを出てバスでトロカデロ港まで移動、8時30分に出港しサロニコス湾に浮かぶエギナ島とイドラ島を巡航して午後7時に帰港するワン・デイ・クルーズです。男はカジュアルなジャケット・スーツまたはラフにTシャツ、半ズボンとスニーカー、女は白のレースかピンクまたは水色のドレスでさり気なくお洒落をします。見知らぬ男女に訪れるエキゾティックな恋のチャンスを期待して・・・。
ギリシアは1年の内300日が晴天だそうです。この日も雲一つない晴天。空の色はまぎれもないスカイ・ブルー。海は見渡す限り、まさに文字通りのエイジアン・ブルーです。船のデッキから眺める島々には太陽の光を浴びた白い集落。目に入って来る原色のコントラストは強烈です。ふと、「留守を預けた家族や従業員は今頃何をしているだろう」と思いました。駐車場や庭の草取りに汗を流し、黒く日焼けしているかも知れません。私1人エーゲ海の日差しを浴びてのんびり優雅に日焼けしているかと思うと、少し心が痛みました。
会議4日目
5月19日(月)は私の発表の日。幸運にも会場はメイン会場の1つ「オリンピアA」。午前8時30分-10時30分に行われる Session17 : Orthognathic Surgery で、私の演題は「Surgical correction of asymmetric mandibular excess in a private clinic」です。発表の順番が近づくといつもドキドキします。私の番になると緊張はピークに達します。座長から名前を呼ばれ、立ち上がります。世界の学者・臨床家の視線を浴びているかと思うと足が強張(こわば)り、躓(つまず)きそうになります。発表は何とか無事に終わりました。拍手。2分間のディスカッション・タイム。時間が来て座長が質疑を打ち切ります。拍手。緊張から解放されてほっとする瞬間です。
わずか8分間の発表のために私は8日間仕事を休んでアテネまでやって来ました。準備にも多くの時間を費やしました。しかし、目標があったおかげでこの1年間、単調になりがちな日常を緊張感を持って過ごすことが出来たように思います。
この日は午後8時30分からゴルフの名門コース「アテネ・ゴルフクラブ」を会場に学会主催の公式晩餐会(16th ICOMS Official Banquet)が開かれました。世界の学者・臨床家との交流も国際学会参加の楽しみです。
アペリティフは冷たいシャンパンにカシスを混ぜた「キール・ロワイヤル」(シャンパンは私の好きな銘柄、ルイ・ロデレール・ブリュットを使っていました)。
ドレス・コードはフォーマルです。ブラックタイで正装した紳士がイヴニング・ドレスで着飾った背の高いブロンドの婦人をエスコート。大胆にカットした美しい背中と胸の谷間がちょうど私の目の高さに来るものですから、普段は敬虔な仏教徒もさすがに信仰心が揺らぎます。
シャンパンフルートを掴んで外に出ると、エーゲ海の生暖かい風がワインで火照った頬を優しく撫でました。
会議5日日
5月20日(火)は最終日。会議をサボって「コリントス・ミケーネ・エピダウロス1日観光」に参加しました。
朝8時15分にアテネをバスで出発し、約2時間後ペロポネソス半島の入り口にあるコリントスに到着。19世紀末に完成したというコリントス運河を見学しました。
コリントスの南約30キロの所に紀元前14?13世紀を最盛期とするミケーネ文明の遺跡があります。かつてホメロスが「黄金に富むミケーネ」と謳ったミケーネ遺跡は、ホメロスの叙事詩を実話と確信したドイツの考古学者シュリーマンによって1876年に発見されました。神話と考えられていた出来事が歴史的事実であることが裏付けられたのです。
最後の訪問地エピダウロスは医神アスクレピオスの生誕地とされ、アスクレピオスの神殿跡があります。エピダウロス最盛期の紀元前4世紀に建てられた古代劇場は1万4千人を収容でき、上階席からでも舞台のささやきが聞こえるほどの驚異的な音響効果を持つといいます。今でも毎年古代演劇が上演されているそうです。
翌21日(水)午前6時50分発のエールフランスAF2333便でアテネを経ち、パリで同AF292便に乗り継いで機内泊し、22日(木)午前8時25分、関西国際空港に着きました。
なお、第17回国際会議(17th ICOMS )は、2年後の2005年8月28日から9月4日まで音楽の都ウイーン(オーストリア)で開催されることが決まっています。
私はウィーンの国際会議にも出席し、口演発表をすることになります。
- 交通手段
- 高速・路線バス 船
- 航空会社
- エールフランス
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国際会議のパンフレット(抄録集)の表紙。
アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿が表紙を飾っています。 -
夜明け前のアテネ。
ホテル・アマリアのテラスから「リカヴィトスの丘」を撮影。
手前の大きい建物は国会議事堂です。
右側は国立庭園、広い道路はアマリアス大通りです。 -
国立庭園(ホテルのテラスから撮影)
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アマリアス大通りの朝の通勤風景。
ホテル・アマリアの建物が見えます。 -
開会式会場「HOTEL DIVANI APOLLON PALACE」
画面中央のすこし右側に一人でぼーっと立っている男がトンデモハップン伯爵。 -
開会式への「招待状(Invitation Card)」。
会議参加者であっても、このカードがないと開会式には参列できません。 -
「開会の辞」を述べるAngelos Angelopoulos教授:大会会長・ギリシア口腔外科学会(HAOMS)会長
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「開会挨拶」を述べるPaul Stoelinga教授:国際口腔外科学会(IAOMS)会長(190cmの長身です)。
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画面の中央、メガネをかけた眠そうな男が伯爵。
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ポセイドン神殿(スニオン岬)。
アテネ市内からバスに揺られて2時間。アッティカ半島の南端、スニオン岬の丘の上にあります。
紀元前444年に建てられたドリア式建造物。均整の取れた美しい16本の大理石の柱が残っています。
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スニオン岬からの眺め。
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ポセイドン神殿にて。
神殿の柱には英国ロマン派の詩人バイロン(1788〜1824)の名があり、本人の落書きとされています。
バイロンは1823年、ギリシア独立戦争の義勇軍に参加。マラリアに罹患し1824年に死亡。
現在、落書きは禁止されています。 -
リオシオン長距離バスターミナル(Liossion Terminal)
デルフィ(DELFI-ITEA)行き10:30発に乗り込みます。 -
デルフィ行きのバスの中。
所要時間は約3時間。途中2回ぐらい約20分のトイレ休憩がありました。 -
デルフィ遺跡の古代劇場。
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デルフィ遺跡入場券
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デルフィ遺跡のスタジウム(競技場)。
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競技場のスタート・ライン。
フェア・プレイを担保するためか、大理石で出来ています。 -
アポロン神殿跡。
ミケーネ時代(紀元前12世紀)からデルフィは神を祭る地であったことが判明。全盛期は紀元前6世紀頃。
この場所でアポロンの神託が行われ、国家の指導者は神託をもとに国の大事を決定していたといわれています。 -
デルフィ遺跡。アポロン神殿跡。
古代ギリシア人達はデルフィの聖地を世界の中心と考え、「オンファロス(大地のヘソ)」とされる大理石をアポロン神殿の地下に安置。そこで神託が行われていました。 -
アポロン神殿跡(巨大です)。
アポロンの神託はビザンティン帝国テオドシウス帝によってデルフィが閉鎖される381年まで続けられました。 -
デルフィ遺跡の「ブレフテリオン(会議所)跡」。
オリンピアと同様にデルフィでもピューティア祭(デルフィ祭)が4年に一度行われ、スポーツの祭典だけでなく演劇祭も行われていました。ここ「ブレフテリオン」は祭典を仕切る評議員達が会合を開いたところです。 -
アテネ行き16:00発のバス(ギリシア語混じりで行き先を表示)。
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国際会議場の舞台、アテネの「DIVANI CARAVEL HOTEL」:昼の顔。
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3人の座長が会議の司会、進行を務めます。演台に立っているのは映像の調整をする技術者です。
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伯爵の演題(講演のタイトル)です。
顎が骨格性に変形している患者さんの外科的治療についての講演です。 -
講演中です。
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講演終了後の質疑の時間です。
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講演終了後、会議場から出てきたところです。
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国際会議場(ディヴァニ・カラヴェル・ホテル):夜の顔。
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地下鉄「エヴァンゲリモス」駅。
宿泊ホテルの近くの「シンタグマ」駅から会議場に近い「エヴァンゲリモス」駅まで地下鉄で通いました。懐かしいです。 -
カヴォウリ・ビーチでの懇親パーティ「グリーク・イヴニング」
グリーク・ダンス(その1) -
懇親パーティ「グリーク・イヴニング」
グリーク・ダンス(その2)
エキゾティックなメロディに乗せてギリシアの民族ダンスが披露されました。 -
エーゲ海ワン・デイ・クルーズ(エギナ島、ポロス島、イドラ島巡り)のパンフレット。
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地元ギリシアの学会がチャーターしたクルーズ船のデッキで寛ぐ、会議の参加者たち。
ウェーター氏は大忙しの様子。 -
エギナ港に停泊したクルーズ船「Hermes号」
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アフェア神殿(エギナ島)。
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ゾードホス・ピギ修道院(ポロス島)。
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イドラ島に到着した「Hermes号」。
各国からの学会参加者の列。中高年が多いためか”メタボ体型”が目立ちます。 -
イドラ島にて。
伯爵も立派な「メタボ体型」です(涙)。 -
イドラ島。
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イドラ島。
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5月19日。ここからはアテネ市内です。
アクロポリス遺跡入口。 -
アクロポリス遺跡入場券。
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アクロポリス遺跡。
画面右下のイドロ・アティコス音楽堂(工事中)を覗き込む観光客。
丘の上の建物はパルテノン神殿。 -
パルテノン神殿。
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古代アゴラ。
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アタロスのストア(柱廊)。
ギリシアの遺跡の中でただ一つ完全に復元された建築物。長径115m、幅径20mの2階建てで、建築様式は典型的なギリシアの柱廊。
1階には45本のドリア式列柱が外側に並び、中間には22本のイオニア式列柱が並んでいます。2階は外側にイオニア式、中間にはエジプト式棕櫚柱頭の列柱が配されています。
現在、「アタロスの柱廊博物館」として、古代アゴラで発掘された物品のほとんどがここに展示されています。
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イオニア式柱頭。
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パンドロスウ通り。
ギリシアの民芸品や革製品、アクセサリーなどを売る店が並ぶ、道幅の狭い観光客向けの道路。 -
5月20日。会議をサボって「コリントス・ミケーネ・エピダウロス1日観光」に参加しました。
朝8時15分にアテネをバスで出発し、約2時間後ペロポネソス半島の入り口にあるコリントスに到着。19世紀末に完成したというコリントス運河を見学しました。
コリントス運河。 -
コリントス運河(パンフレット)。
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アトレウスの宝庫。
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アトレウスの宝庫とミケーネ遺跡の入場券。
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ミケーネ遺跡。
会議をサボってミケーネ遺跡に群がる学会参加者。伯爵もその一人(笑)。 -
ミケーネ遺跡の入口にある「獅子の門(Lion Gate)」。
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エピダヴロス遺跡。
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エピダヴロス遺跡の入場券。
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16th ICOMS 晩餐会にて。
「課長島耕作(漫画)」風に画像処理(その1) -
16th ICOMS 晩餐会にて。
「課長島耕作(マンガ)」風に画像処理(その2)
左の人物はハリファクス(カナダ)Dalhousie大学のP教授(○○学部長)、右は日本の T大学 U教授。 -
IAOMS会長と記念撮影。
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晩餐会風景。
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黄昏(たそがれ)のアマリアス大通りを見つめる野犬。
後姿が強く印象に残っています。伯爵はこの犬を「とらじろう」と命名。各地を放浪する自分の境遇と重ね合わせ、ブログ・ネームとして使っています。
ヨーロッパを旅行すると街中(まちなか)で犬を見かけることがとても多いのですが、ほとんどは飼い犬です。
一方、当時のアテネは野犬が多いことで知られていました。2004年のアテネ・オリンピック開催を前にして政府は大規模な野犬狩りを実施したと報じられました。
「とらじろう」は難を逃れることが出来たでしょうか? 考えると胸が痛みます(涙)。 -
空港行きのバスの時刻表(24時間運行)。
乗り場は「ホテル・アマリア」の前にあって便利でした。
所要時間は通常1時間です。 -
早朝のアテネ・エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港(5:42撮影)。
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空港に掲げられたアテネ・オリンピックのPR。
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6:50発のエール・フランス機で経由地パリ・シャルルドゴール空港に向かいました。
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