2008/02/04 - 2008/02/05
1291位(同エリア1514件中)
ニーコさん
今回で何回目でしたっけ…?
多分6回目になるお遍路旅行です。
今回は52番~64番、どっぷり愛媛県内でのお遍路でした。
34番で半年ほど停滞していたことを考えると、今年は今のところかなりいいペースで進んでいます。
46番以降は札所と札所の間もそんなに離れていないし、どんどん進める感じです。
それにしても今年の冬は寒いですねー。
順調に進むお遍路を、寒さと雪が(ちょっとだけ)阻みます…。
今回のお遍路の旅では、他のお遍路さん(特に団体さん)にほとんど出会いませんでした。
2月はお遍路のオフ・シーズンのようです。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
PR
-
羽田7:25発松山行きの飛行機に乗ろうと、それに間に合うようにバスに乗るはずが…
前日都内に降った雪が凍り付いてしまい、首都高が閉鎖→バスも運休!!!
バス停から急遽タクシーで浜松町まで行き、モノレールで羽田まで向かって、なんとかすべりこみセーフ(^^;;
予定通り9時に松山に到着することができました〜3(-_^;)
今年の冬は寒いっ!
雪とか凍結とか、去年は全然なかったのになぁ。
でもとりあえず良かった♪
(…翌日再び雪の影響をドカンと受けることをこの時はまだ露知らず…)
写真は52番・太山寺の駐車場→お寺までの道のり(徒歩約5、6分)。 -
52番・太山寺の門の前にいたお地蔵さん・その1。
唇が真っ赤に塗られて、なまめかしい?! -
52番・太山寺の門の前にいたお地蔵さん・その2。
なんだか厚着してます。
お地蔵さんも寒いよね。
でも足元の子供達はハダカ…。
後ろには弘法大師のお姿。 -
★第52番 瀧雲山 太山寺(たいさんじ)
創建は6世紀中頃、欽明天皇の時代と伝わる。
その後、行基が十一面観音像を刻んで本尊とした。
どっしりとした本堂は県下最大の古い木造建築で、14世紀初めに建てられている。
仁王門は三間一戸の八脚門で、重文に指定されている。太山寺 寺・神社・教会
-
太山寺・本堂。
嘉元3年(1305年)に建てられた国宝。 -
「太山寺の鐘」
こちらも古そうな建物…。 -
「太山寺の鐘」 内部の壁画。
閻魔様がいるってことは、これは地獄の様子…。
おどろおどろしい絵です。
ちなみに私達は見逃してしまったのですが、ここ太山寺には、亀の子たわしで洗うと「痔が完治する」という石があるそうなので、痔にお悩みの方はぜひ! -
★第53番 須賀山 円明寺(えんみょうじ)
開基は天平勝宝元年、聖武天皇の勅願を受けた行基が、自ら阿弥陀如来像を彫って安置した。
当時は西山という海岸にあり、弘法大師が巡錫され、四国第53番霊場となるが、鎌倉時代には度重なる兵火により、焼失してしまう。
この地に引っ越してきたのは元和元年(1615年)。
この寺には日本最古の銅製の納め札(慶安3年(1650年)のもの)が残されている。円明寺 寺・神社・教会
-
円明寺・大師堂。
-
円明寺・本堂。
-
キリシタン燈篭を探して、大師堂の裏に回ってみたら、こっち側じゃなかったみたい…
瓦とか、屋根の飾り置き場になっていました。 -
キリシタン灯篭。
寛永年間(1624〜1644年)に建立されたもの。
キリスト教禁制の江戸時代、隠れキリシタン達が建てたもので、寺はこれを黙認していたという。 -
松山市から海岸沿いを通って、今治市方面へ。
瀬戸内海!
きれいな景色です。 -
途中にあった、道の駅「風早の郷 風和里」の「花へんろ」というレストランでお昼ご飯。
奮発してお店で1番高いメニュー「鯛づくしセット」1300円也。
2種類の鯛めしと鯛のお刺身がたっぷりと乗ったサラダ、お吸い物、小鉢。
鯛めしは3種類のうちから2種類選びます。
鯛のそぼろご飯と、お刺身と薬味を出汁と生卵にからめてご飯に乗っけた鯛めしの2種類にしました。
美味しかった♪
でもすごいボリューム!道の駅 風早の郷 風和里 道の駅
-
★第54番 近見山 延命寺(えんめいじ)
行基が開山した当時は七堂伽藍を誇る大寺院であったというが、度重なる兵火で衰退した。
境内の梵鐘は18世紀初め、住職が私財を投じて鋳造したもので戦乱にも耐えて残っている。
この山門は、今治城城門のひとつを廃藩置県の際に譲り受けたもの。延命寺 寺・神社・教会
-
これが宝永元年(1074年)、当時の住職が私財を投じて鋳造した梵鐘。
今治市の文化財に指定されている。 -
延命寺・本堂。
-
★第55番 別宮山 南光坊(なんこうぼう)
縁起は1300年も昔まで遡る。
明治初年までは瀬戸内の大三島の大山祗神社別当寺であった。今治藩主の信仰により庇護された。
現在の本堂は戦後の再建。南光坊 寺・神社・教会
-
南光坊・本堂。
四国霊場の中で「寺」ではなく「坊」というのはここだけ。
本尊はこれまた珍しい「大通智勝如来」。
納経所で墨書を書いていただいたおじさんに墨書について色々教えていただきました。
何が書いてあるのか全然読めなかったのですが、
「 奉納
『ご本尊名』
『寺名』 」と書いてあるそうです。
お寺ごとに書体が決まっているわけではなく、書く人によって違うそうです。 -
ガイドブックに載っていた「茶夢day」というカフェ。
良さそうじゃない?と行ってみることにしたのですが、住宅地にあって、カーナビも全然違う場所を示すし、しかも全く看板などが出ていないので外観からはわからず、迷いに迷ってたどり着くまで20〜30分もかかりました…(@Д@;
やっと一息つき、「フルーツアイスパフェ」(750円也)をいただきました。
かなりボリューム満点…。 -
「茶夢day」の看板犬、ゆずちゃん。
他に2匹いましたが、みんな人懐こいし、おとなしくて、かわいい♪
帰るときには玄関までお見送りしてくれました〜♪ -
お茶をして、外に出てみたら、なんと雨が降っていました(*_*)アチャ!
さっきまであんなに天気良かったのにー!
空を見ると丁度灰色の雲の塊が頭上に…
これが過ぎれば雨も止むはず。
局地的な雨のようです。
しばし車の中で待っていたら、雨は止んできました。 -
★第56番 金輪山 泰山寺(たいさんじ)
弘法大師がこの地を巡錫していた弘仁6年(815年)、豪雨の為に蒼社川が氾濫していた。当時この川は毎年のように氾濫していて、地元の人は「人取り川」と呼び、「氾濫は悪霊の祟りによってに起こる」と恐れていた。そこで大師は村人たちを指導して、堤防を建設。
土砂加持の秘法を行い、その満願の日に延命地蔵が空中に出現。大師は示現した地蔵尊を刻んで本尊とし、この寺を建立した。
寺号の由来は延命地蔵菩薩十大願の第一「女人泰産」にちなむという。泰山寺 寺・神社・教会
-
泰山寺・本堂。
-
納札入れの中に、珍しい薄い板に書かれた納札を見かけました。
すごいな〜。 -
泰山寺の納経所。
受付の窓を開けたら、ワンちゃんが2匹元気良く飛び出してきました♪ -
泰山寺→栄福寺の道のり。
雨上がりの道を自転車に乗って帰宅する中学生達。
のどかな光景だな〜。 -
★第57番 府頭山 栄福寺(えいふくじ)
海難事故が続くので大師は、海神供養を行った。満願の日に阿弥陀如来像が現れたので、これを本尊として大師が堂宇を建てたという。
海陸安全の寺として今も信仰が篤い。栄福寺 寺・神社・教会
-
栄福寺・本堂。
-
栄福寺・本堂内。
-
★第58番 作礼山 仙遊寺(せんゆうじ)
天智天皇(662〜672年)の勅願によって伊予の国の国主越智守興が開基した。本尊は天智天皇の守護仏ある千手観音で、これは龍宮の竜女から届けられたという伝説がある。
弘法大師が巡錫で訪れたときには衰退していたが堂宇を整え再興させた。
お寺は標高300mの作礼山の頂上に建っている。
写真の仁王門は山道の途中にある。仙遊寺 寺・神社・教会
-
味わいのあるお顔をした石仏。
前掛けがでかい…。 -
仙遊寺・本堂。
昭和28年に再建された。
本堂の裏側には宿坊があり、温泉もあるみたいでした。(足湯だったら宿泊しない人でも利用できるそうです。) -
夕方になってきたというだけではない寒さ…。
やはり仙遊寺は山の上にあるので寒い!
大師堂の石段にもこんなに雪が積もっていました。 -
山の上からの景色!
今治市内とその向こうに広がる瀬戸内海まで。
素晴らしい眺めです♪ -
★第59番 金光山 国分寺(こくぶんじ)
創建当時は七堂伽藍の大寺で、旧国分寺の東塔跡には13個の礎石が残る。推定60mの大塔で、当時の瓦が出土している。
弘法大師が訪れた際、しばらく滞在し、五大尊の絵を一幅残している。国分寺 寺・神社・教会
-
国分寺・本堂。
-
納経所の入口の足拭きマットがお寺のオリジナル(゚▽゚*)
▼・ェ・▼・ェ・▼・ェ・▼・ェ・▼・ェ・▼・ェ・▼・ェ・▼
「四国八十八ヵ所☆お遍路珍道中(12)」に続きます♪
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
38