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 戦前我が家は広島の港町宇品で旅館を営んでいた。当時広島市内には陸軍師団の駐屯地があり、広島湾には戦艦長門や大和を建造したことでも知られる軍港呉を抱え、そして世界三大兵学校の一つ、海軍兵学校が広島湾に浮かぶ江田島に作られた。名実ともに広島は日本の軍都であり、陸海軍とは切り離されぬ町だった。<br /><br /> 広島港は呉港と比較すると海が浅いため大きな艦船は広島港に入港できず、広島湾に停泊していたと祖父は言う。水兵や士官達は休息や家族との接見の為に沖に停泊した艦からボートで広島に上陸した。その受け入れ先が広島の港町宇品だった。宇品の旅館は軍人やその家族たちが多く滞在し、大変賑わっていたそうで、旅館も繁盛していたという。しかし私の祖父は長男であるにも拘らず旅館を継ぐ事を好しとしなかった。<br /><br /> 祖父は国鉄に就職するも、上司と喧嘩して僅か数年で飛び出してしまう。この時祖父の母親の悲嘆ぶりは今の私にも容易に想像できる。退職したからといって、我が家に戻るのでは面子に関わる。祖父は知り合いの伝で大阪の工場で旋盤工になる事を決意する。そして大阪で旋盤工の職人として歩み始めた祖父は、此所でハルピンでの仕事を紹介され、満州に渡航することとなった。<br /><br /> 祖父は下関から航路釜山に渡り、列車でハルピンを目指した。祖父の話によると、列車はピョンヤンを経由し、満州国の首都新京(現在の長春)まで向かい、新京で南満州鉄道に乗り換え、釜山からハルピンまで二泊三日で目指したという。列車は朝鮮半島を抜け、満州国に入ると平原を直走った。地平線から昇る太陽が祖父には大変印象に残り、祖父は初めて見たこの情景の回想を、幼い私に目を輝かせて話してくれた。平地の少ない広島では、地平線からの夜明けを見ることなんて到底あり得ない。祖父はその大自然から陽が昇って行く景色に感動したのだ。<br /> <br />  そしてハルピンに到着し祖父の新生活がスタートしたが、異国の満州での生活は全てが新鮮だった。厳寒な冬ですら彼にとっては刺激をもたらすものに過ぎなかった。<br /><br />「銭湯通いはそりゃ寒かった。でも楽しかった。銭湯の帰り際にタオルを一回振り回しただけでカチカチに凍るんじゃけー。広島じゃ、どがいに(どんなに)寒うても、そがいなことはなかろう。ようそうやって遊んどったもんじゃ。」<br /><br />「ハルピンには松花江ゆう、そりゃ大きい川があってのぅ。太田川(広島市最大の川)なんか比べ物になりゃーせん。そんとな川が冬になったら凍るんじゃけー! 歩いて川を渡ることができるんで。わしゃ、タマげたわ。」<br />祖父は半世紀以上前の体験を、ついこないだ経験したかのように楽しそうに話してくれた。<br /><br /> ハルピンはロシア人によって開拓され、急速に発展したことは知られている。アールヌーボー、バロック、ビザンティン様式など、様々な建築様式で彩られ、当時『東洋のパリ』と謳われた。またソ連共産主義者から逃れて来た多くの白系ロシア人が居住し、アジアと言うよりもまるでモスクワやレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に在留しているような気分だったと祖父は言う。<br /><br />「ハルピンはのぅ、『東洋のパリ』ゆうて言われとったんじゃ。それぐらい美しく国際的な町じゃった。」<br />ロシア人、漢族、満州族、ユダヤ人、日本人が住み、この他諸外国の施設も多く置かれたハルピンは、その別名に違わぬ美しく、そして国際色豊かな町だったのだ。そんなハルピンの美しさに祖父は惚れこみ、そしてその美麗な街をまるで自分のことのように自慢したものだ。<br /><br /> このロシア香るハルピンの話を私は幼い頃から聞いて育ち、私は大きく影響を受けた。そしてロシア(当時ソ連だったが)に興味を持ち、派生して学生時代にはハンガリーや旧ユーゴ諸国を研究した。人生のスタート地点が広島であれば、学業と旅のスタート地点はここハルピンなのだ。祖父が辿った道程で未だ見ぬハルピンを目指したかったが、行く手を北朝鮮が遮っている為、残念ながらその軌跡を辿ることはできない。その為私は大連からハルピンを目指した。大連は別項でも御紹介した通り、私は出張で滞在することが多く、また祖父がハルピンに渡航した同時期に祖母の親戚が在留していた馴染みある町だ。大正時代の日本の面影を残す大連は、日本人にとり中国で最も生活し易い町だと言われている。<br /><br /> 5月下旬、アカシアの花が大連を優しく包み込み、大連は白花で彩られる。純白の花は、厳しい冬を乗り越え、ようやく訪れた春から夏への移ろいを知らせ、命の息吹きを感じさせる大連の象徴の花、アカシア。戦前の大連を知る日本人はこのアカシアの花咲く頃になると古き良き時代を思い出すと言う。<br /><br /> その大連は日本政府にとり中国東北部経営の重要な拠点でもあり、ハルピンまで続く満鉄の起点でもある。2都市間の約940kmの距離を、最高時速130km/hで12時間半をかけて超特急列車「あじあ号」が結んだ。「あじあ号」は当時の日本最高の鉄道技術が凝縮された超特急列車、満州の在留邦人ばかりでなく、内地の日本人にも親しまれていた。私はこの「あじあ号」の軌跡を追うように大連から夜行列車でハルピンへ向かった。現在では大連を21時50分に出発した列車は、最高時速160km/hで走り、翌日7時20分にはハルピンに到着、9時間30分で結んでいる。<br /><br /> 今回敢えて気候も厳しい12月を旅に選んだのは、祖父が最も楽しげに幼い私に語っていた厳しい冬のハルピンを体験したかったからにほかならない。私が訪れた時ハルピンは最低気温が&#8315;17℃、最高気温でも&#8315;6℃だった。ハルピンでは平年並みの気温ではなかろうか?<br /><br /> 約100年前のロシア建築が建ち並ぶハルピンの中心街は、一時毎年のように訪れ、慣れ親しんだロシアの町並みを思い起こさせ、私を懐かしさに浸らせた―まるで幼なじみと邂逅したかのように。嗚呼、この町並みを見て祖父はロシアを想像したのだろうな。ロシアを知る私でさえもハルピンの町並みはロシアそのものに感じたのだから、祖父がモスクワやレニングラードに滞在した気分になるのも納得する。大連にも旧ロシア人街はあるし、大連で最も美しい中山広場はロシア人によって建設された。しかしこの旧ロシア人街は戦後明らかに帝政ロシアの建物を意識して、その特徴を強調して改修した観があり、興冷めしてしまう。また中山広場は大連の統治権が帝政ロシアから日本に移され改修が行われたので、大正時代の日本の香りがする。しかしハルピンのロシア建築物は、それ自体ロシアにあっても何らおかしくない程外観の保存状態が良い。<br /><br /> 私はロシア建築が建ち並ぶ大通り、中央大街を散策後、松花江へ向かい、岸辺で川をしばらく見つめた。川は祖父の言うとおりアスファルトのように凍てつき、天然のスケートリンクが出来上がっていた。氷上ではハルピン市民が氷上でスケートをしたり、ソリをい引いたりと楽しんでいる。また1キロ離れた向こう岸まで歩いている者もいる。かの時代、ハルピンでの開拓を夢見て海を渡った多く日本人も、厳しい冬の中にあっても、こうして一ときの楽しみに興じていたのだろう。<br /><br /> 河岸に立つと凍りついた川から冷気が足元を這う様に私を取り巻き、靴の底から体が冷えてくる。そして風が吹くと、冷気は露出した肌を掠め、まるで風が鋭い刃となり、私の頬に切り傷でもできたかのように肌がヒリッと痛む。それでも河岸から私はしばらく動くことができなかった。60有余年の時を経て、今こうして私は祖父と同じ景色を見ていると思うと感慨深くなり、どんなに寒くとも足が動こうとしなかったのだ。私の感情に、「そんとに急がんでええ。寒いじゃろうがもうちぃと(もう少し)ここで松花江を眺めさせてくれぇや。」、とまるで祖父が語りかけられているかのように。ようやく訪れることのできたハルピンを実感できたのは、この松花江だ。私はやっと辿りついた私自身の旅の、そして学業のスタート地点をこうしてかみ締めた。<br /><br /> 祖父が亡くなって今年で11年が過ぎた。生前、ハルピンにもう一度行きたいと私に口にしていたので、祖父が生きている間にこのハルピンに連れていきたかったが、これも今となっては叶わぬものとなってしまった。その祖父の代わりに私はこの目にハルピンを焼き付けて帰国した。最近は旅をしてもパソコンと言う便利なものがあるので、データとして保存している為に写真を現像していないが、ハルピンの写真は印刷して仏前に飾っておこうと思う。きっと祖父もゆっくり写真を見たいだろうから。<br /><br />(大連編はこちら)<br />http://4travel.jp/traveler/worldspan2005/album/10105014/

アカシアの花香る大連から、松花江流る東洋のパリ、ハルピンへ

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2007/12/22 - 2007/12/24

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worldspan

worldspanさん

 戦前我が家は広島の港町宇品で旅館を営んでいた。当時広島市内には陸軍師団の駐屯地があり、広島湾には戦艦長門や大和を建造したことでも知られる軍港呉を抱え、そして世界三大兵学校の一つ、海軍兵学校が広島湾に浮かぶ江田島に作られた。名実ともに広島は日本の軍都であり、陸海軍とは切り離されぬ町だった。

 広島港は呉港と比較すると海が浅いため大きな艦船は広島港に入港できず、広島湾に停泊していたと祖父は言う。水兵や士官達は休息や家族との接見の為に沖に停泊した艦からボートで広島に上陸した。その受け入れ先が広島の港町宇品だった。宇品の旅館は軍人やその家族たちが多く滞在し、大変賑わっていたそうで、旅館も繁盛していたという。しかし私の祖父は長男であるにも拘らず旅館を継ぐ事を好しとしなかった。

 祖父は国鉄に就職するも、上司と喧嘩して僅か数年で飛び出してしまう。この時祖父の母親の悲嘆ぶりは今の私にも容易に想像できる。退職したからといって、我が家に戻るのでは面子に関わる。祖父は知り合いの伝で大阪の工場で旋盤工になる事を決意する。そして大阪で旋盤工の職人として歩み始めた祖父は、此所でハルピンでの仕事を紹介され、満州に渡航することとなった。

 祖父は下関から航路釜山に渡り、列車でハルピンを目指した。祖父の話によると、列車はピョンヤンを経由し、満州国の首都新京(現在の長春)まで向かい、新京で南満州鉄道に乗り換え、釜山からハルピンまで二泊三日で目指したという。列車は朝鮮半島を抜け、満州国に入ると平原を直走った。地平線から昇る太陽が祖父には大変印象に残り、祖父は初めて見たこの情景の回想を、幼い私に目を輝かせて話してくれた。平地の少ない広島では、地平線からの夜明けを見ることなんて到底あり得ない。祖父はその大自然から陽が昇って行く景色に感動したのだ。

そしてハルピンに到着し祖父の新生活がスタートしたが、異国の満州での生活は全てが新鮮だった。厳寒な冬ですら彼にとっては刺激をもたらすものに過ぎなかった。

「銭湯通いはそりゃ寒かった。でも楽しかった。銭湯の帰り際にタオルを一回振り回しただけでカチカチに凍るんじゃけー。広島じゃ、どがいに(どんなに)寒うても、そがいなことはなかろう。ようそうやって遊んどったもんじゃ。」

「ハルピンには松花江ゆう、そりゃ大きい川があってのぅ。太田川(広島市最大の川)なんか比べ物になりゃーせん。そんとな川が冬になったら凍るんじゃけー! 歩いて川を渡ることができるんで。わしゃ、タマげたわ。」
祖父は半世紀以上前の体験を、ついこないだ経験したかのように楽しそうに話してくれた。

 ハルピンはロシア人によって開拓され、急速に発展したことは知られている。アールヌーボー、バロック、ビザンティン様式など、様々な建築様式で彩られ、当時『東洋のパリ』と謳われた。またソ連共産主義者から逃れて来た多くの白系ロシア人が居住し、アジアと言うよりもまるでモスクワやレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に在留しているような気分だったと祖父は言う。

「ハルピンはのぅ、『東洋のパリ』ゆうて言われとったんじゃ。それぐらい美しく国際的な町じゃった。」
ロシア人、漢族、満州族、ユダヤ人、日本人が住み、この他諸外国の施設も多く置かれたハルピンは、その別名に違わぬ美しく、そして国際色豊かな町だったのだ。そんなハルピンの美しさに祖父は惚れこみ、そしてその美麗な街をまるで自分のことのように自慢したものだ。

 このロシア香るハルピンの話を私は幼い頃から聞いて育ち、私は大きく影響を受けた。そしてロシア(当時ソ連だったが)に興味を持ち、派生して学生時代にはハンガリーや旧ユーゴ諸国を研究した。人生のスタート地点が広島であれば、学業と旅のスタート地点はここハルピンなのだ。祖父が辿った道程で未だ見ぬハルピンを目指したかったが、行く手を北朝鮮が遮っている為、残念ながらその軌跡を辿ることはできない。その為私は大連からハルピンを目指した。大連は別項でも御紹介した通り、私は出張で滞在することが多く、また祖父がハルピンに渡航した同時期に祖母の親戚が在留していた馴染みある町だ。大正時代の日本の面影を残す大連は、日本人にとり中国で最も生活し易い町だと言われている。

 5月下旬、アカシアの花が大連を優しく包み込み、大連は白花で彩られる。純白の花は、厳しい冬を乗り越え、ようやく訪れた春から夏への移ろいを知らせ、命の息吹きを感じさせる大連の象徴の花、アカシア。戦前の大連を知る日本人はこのアカシアの花咲く頃になると古き良き時代を思い出すと言う。

 その大連は日本政府にとり中国東北部経営の重要な拠点でもあり、ハルピンまで続く満鉄の起点でもある。2都市間の約940kmの距離を、最高時速130km/hで12時間半をかけて超特急列車「あじあ号」が結んだ。「あじあ号」は当時の日本最高の鉄道技術が凝縮された超特急列車、満州の在留邦人ばかりでなく、内地の日本人にも親しまれていた。私はこの「あじあ号」の軌跡を追うように大連から夜行列車でハルピンへ向かった。現在では大連を21時50分に出発した列車は、最高時速160km/hで走り、翌日7時20分にはハルピンに到着、9時間30分で結んでいる。

 今回敢えて気候も厳しい12月を旅に選んだのは、祖父が最も楽しげに幼い私に語っていた厳しい冬のハルピンを体験したかったからにほかならない。私が訪れた時ハルピンは最低気温が⁻17℃、最高気温でも⁻6℃だった。ハルピンでは平年並みの気温ではなかろうか?

 約100年前のロシア建築が建ち並ぶハルピンの中心街は、一時毎年のように訪れ、慣れ親しんだロシアの町並みを思い起こさせ、私を懐かしさに浸らせた―まるで幼なじみと邂逅したかのように。嗚呼、この町並みを見て祖父はロシアを想像したのだろうな。ロシアを知る私でさえもハルピンの町並みはロシアそのものに感じたのだから、祖父がモスクワやレニングラードに滞在した気分になるのも納得する。大連にも旧ロシア人街はあるし、大連で最も美しい中山広場はロシア人によって建設された。しかしこの旧ロシア人街は戦後明らかに帝政ロシアの建物を意識して、その特徴を強調して改修した観があり、興冷めしてしまう。また中山広場は大連の統治権が帝政ロシアから日本に移され改修が行われたので、大正時代の日本の香りがする。しかしハルピンのロシア建築物は、それ自体ロシアにあっても何らおかしくない程外観の保存状態が良い。

 私はロシア建築が建ち並ぶ大通り、中央大街を散策後、松花江へ向かい、岸辺で川をしばらく見つめた。川は祖父の言うとおりアスファルトのように凍てつき、天然のスケートリンクが出来上がっていた。氷上ではハルピン市民が氷上でスケートをしたり、ソリをい引いたりと楽しんでいる。また1キロ離れた向こう岸まで歩いている者もいる。かの時代、ハルピンでの開拓を夢見て海を渡った多く日本人も、厳しい冬の中にあっても、こうして一ときの楽しみに興じていたのだろう。

 河岸に立つと凍りついた川から冷気が足元を這う様に私を取り巻き、靴の底から体が冷えてくる。そして風が吹くと、冷気は露出した肌を掠め、まるで風が鋭い刃となり、私の頬に切り傷でもできたかのように肌がヒリッと痛む。それでも河岸から私はしばらく動くことができなかった。60有余年の時を経て、今こうして私は祖父と同じ景色を見ていると思うと感慨深くなり、どんなに寒くとも足が動こうとしなかったのだ。私の感情に、「そんとに急がんでええ。寒いじゃろうがもうちぃと(もう少し)ここで松花江を眺めさせてくれぇや。」、とまるで祖父が語りかけられているかのように。ようやく訪れることのできたハルピンを実感できたのは、この松花江だ。私はやっと辿りついた私自身の旅の、そして学業のスタート地点をこうしてかみ締めた。

 祖父が亡くなって今年で11年が過ぎた。生前、ハルピンにもう一度行きたいと私に口にしていたので、祖父が生きている間にこのハルピンに連れていきたかったが、これも今となっては叶わぬものとなってしまった。その祖父の代わりに私はこの目にハルピンを焼き付けて帰国した。最近は旅をしてもパソコンと言う便利なものがあるので、データとして保存している為に写真を現像していないが、ハルピンの写真は印刷して仏前に飾っておこうと思う。きっと祖父もゆっくり写真を見たいだろうから。

(大連編はこちら)
http://4travel.jp/traveler/worldspan2005/album/10105014/

同行者
カップル・夫婦
交通手段
鉄道 タクシー
航空会社
ANA

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  • 大連駅から眺める大連市内。大都会大連でも、東北四大都市(ハルピン、長春、瀋陽、大連)の中で人口も街の規模は最も小さいと言うのだから驚きです。

    大連駅から眺める大連市内。大都会大連でも、東北四大都市(ハルピン、長春、瀋陽、大連)の中で人口も街の規模は最も小さいと言うのだから驚きです。

  • 駅前に停車する寝台バス。車内には二段ベッドが設置されているのですが未だ一度も乗ったことが有りません。一度は体験してみたい・・・。

    駅前に停車する寝台バス。車内には二段ベッドが設置されているのですが未だ一度も乗ったことが有りません。一度は体験してみたい・・・。

  • ケンタッキーもロシア建築を意識した感じに。う〜んこりゃ安っぽいクレムリン。

    ケンタッキーもロシア建築を意識した感じに。う〜んこりゃ安っぽいクレムリン。

  • 他の都市ではあまり見かけませんが、大連市内ではこの三輪タクシーを良く見かけます。

    他の都市ではあまり見かけませんが、大連市内ではこの三輪タクシーを良く見かけます。

  • 大連の勝利広場の地下街で食べた食事。大連の友人にご馳走になりました。どれもとても美味しく、楽しい食事でした。

    大連の勝利広場の地下街で食べた食事。大連の友人にご馳走になりました。どれもとても美味しく、楽しい食事でした。

  • 大連からハルピンに向かう特快列車。

    大連からハルピンに向かう特快列車。

  • 今回利用したのは4人個室、所謂軟臥。個室にはポットに入れたお湯が配られますので、お茶っ葉を持っていれば自分でお茶を作ることもできます。9時間半と余り長くないので、動き始めて二時間もしないうちにベッドを作り、就寝。

    今回利用したのは4人個室、所謂軟臥。個室にはポットに入れたお湯が配られますので、お茶っ葉を持っていれば自分でお茶を作ることもできます。9時間半と余り長くないので、動き始めて二時間もしないうちにベッドを作り、就寝。

  • 定刻どおり7時20分にハルピン駅に到着。車内は暖房が効いているので良いが、ホームに降り立つと同時に強烈な寒さを感じる

    定刻どおり7時20分にハルピン駅に到着。車内は暖房が効いているので良いが、ホームに降り立つと同時に強烈な寒さを感じる

  • ハルピン駅前

    ハルピン駅前

  • 満州国時代には東北4大都市夫々にヤマトホテルが作られましたが、写真はハルピンの旧ヤマトホテル。現在は龍門酒店といいます。建物は1901年にロシア人により作られました。外観はちょっと今ひとつですが、中に入ると・・・

    満州国時代には東北4大都市夫々にヤマトホテルが作られましたが、写真はハルピンの旧ヤマトホテル。現在は龍門酒店といいます。建物は1901年にロシア人により作られました。外観はちょっと今ひとつですが、中に入ると・・・

  • こんな立派なロビーが。

    こんな立派なロビーが。

  • 二階に上る階段はなんともおしゃれなステンドグラスがあります。

    二階に上る階段はなんともおしゃれなステンドグラスがあります。

  • 歴史を感じさせる趣ある廊下

    歴史を感じさせる趣ある廊下

  • 今回はちょっと奮発してスモールスイートルームを取りました。といっても部屋の広さはそれほど広いわけでは有りません。寝室とあわせてもドバイのエミレーツタワーズのスタンダードルームのほうが広いです。古き良きヤマトホテルの雰囲気を味わって楽しみましょう!

    今回はちょっと奮発してスモールスイートルームを取りました。といっても部屋の広さはそれほど広いわけでは有りません。寝室とあわせてもドバイのエミレーツタワーズのスタンダードルームのほうが広いです。古き良きヤマトホテルの雰囲気を味わって楽しみましょう!

  • 寝室のベッドはさすがにデカッ

    寝室のベッドはさすがにデカッ

  • 中国にはバイクタクシーなるものがありますが、ハルピンは厳寒なためこのようにビニールに覆われています。まるでビニールハウス。

    中国にはバイクタクシーなるものがありますが、ハルピンは厳寒なためこのようにビニールに覆われています。まるでビニールハウス。

  • 恐らく満州国時代に建てられたのではないかと思われる建物。

    恐らく満州国時代に建てられたのではないかと思われる建物。

  • スゴッ!こんな突き刺して自転車こいでるわ

    スゴッ!こんな突き刺して自転車こいでるわ

  • 東方正教会系の寺院に良く見受けられるビザンティン様式の建物、ウクライナ正教の寺院

    東方正教会系の寺院に良く見受けられるビザンティン様式の建物、ウクライナ正教の寺院

  • これぞハルピン!、と言う象徴の建物、聖ソフィスカヤ寺院。

    これぞハルピン!、と言う象徴の建物、聖ソフィスカヤ寺院。

  • 寺院の周りは広場が作られ、その背後に建物が作られています。この広場、何かに似てるなーっと暫く見ていて思い出したのが、赤の広場。そうだこのソフィスカヤ寺院をモスクワの赤の広場に面したワシリー寺院に見立て、その周辺の建物を赤の広場に面したGUM百貨店に似させて作ったのか。

    寺院の周りは広場が作られ、その背後に建物が作られています。この広場、何かに似てるなーっと暫く見ていて思い出したのが、赤の広場。そうだこのソフィスカヤ寺院をモスクワの赤の広場に面したワシリー寺院に見立て、その周辺の建物を赤の広場に面したGUM百貨店に似させて作ったのか。

  • ソフィスカヤ寺院を近くで見ると精巧な模様のつくりの美しさも良くわかります。

    ソフィスカヤ寺院を近くで見ると精巧な模様のつくりの美しさも良くわかります。

  • あれ??、このケンタのオッサン微妙になんか違うで!? 少し若くなったような・・・。それにエプロンなんかしてたっけ??<br /><br />偽物かと思いきや本物のケンタッキーでした。ハルピンのケンタのオッサンは他の店でもエプロンが描かれていました。それにしてもこんな偽物っぽいケンタはじめてみた。

    あれ??、このケンタのオッサン微妙になんか違うで!? 少し若くなったような・・・。それにエプロンなんかしてたっけ??

    偽物かと思いきや本物のケンタッキーでした。ハルピンのケンタのオッサンは他の店でもエプロンが描かれていました。それにしてもこんな偽物っぽいケンタはじめてみた。

  • ハルピンの中心地のひとつ、尚志大街

    ハルピンの中心地のひとつ、尚志大街

  • 旧ハルピン市公所だった建物。ロシアを思い出させる建物の作り

    旧ハルピン市公所だった建物。ロシアを思い出させる建物の作り

  • ロシア建築が多く残る中央大街では1月5日から始まる氷雪祭りに備え、すでに氷のオブジェが並んでいます。

    ロシア建築が多く残る中央大街では1月5日から始まる氷雪祭りに備え、すでに氷のオブジェが並んでいます。

  • 中央大街の東方餃子王で食べた昼食。「餃子王」というだけあって、焼き餃子は旨い!

    中央大街の東方餃子王で食べた昼食。「餃子王」というだけあって、焼き餃子は旨い!

  • 1906年に開業されたモデルンホテル。

    1906年に開業されたモデルンホテル。

  • 氷でできた建物。上に登ることもできます。実はこれ、凍った松花江にまで伸びる滑り台なのです。

    氷でできた建物。上に登ることもできます。実はこれ、凍った松花江にまで伸びる滑り台なのです。

  • 凍った松花江の上でスケートやソリを引いて楽しむ市民

    凍った松花江の上でスケートやソリを引いて楽しむ市民

  • 凍った川の上を歩いているので普通の靴では当然ツルツル滑ります。にも拘らずこんなところにまでチャリで来る輩がいるとは・・・。

    凍った川の上を歩いているので普通の靴では当然ツルツル滑ります。にも拘らずこんなところにまでチャリで来る輩がいるとは・・・。

  • オリンピック競技のリュージュまでいきませんが、ソリで滑り台を猛烈な勢いで駆け下りてきます。

    オリンピック競技のリュージュまでいきませんが、ソリで滑り台を猛烈な勢いで駆け下りてきます。

  • お! これは見事な氷のオブジェ!!

    お! これは見事な氷のオブジェ!!

  • モデルンホテルの正面に位置するロシア料理の店、華梅西餐庁。ロシアと言うより中国風西洋料理を出す店といったところか。味は美味しいです。ロールキャベツに、えびのから揚げ、そしてビフテキをハルピンビールと一緒につまみました。

    モデルンホテルの正面に位置するロシア料理の店、華梅西餐庁。ロシアと言うより中国風西洋料理を出す店といったところか。味は美味しいです。ロールキャベツに、えびのから揚げ、そしてビフテキをハルピンビールと一緒につまみました。

  • ちょうどクリスマスシーズンだったので、スーパーでケーキを買ったが、私が手を振りすぎたおかげで上に乗っかったフルーツが全てずり落ちてしまった・・・。まぁそれは置いといて、2,5人分ほどの大きさのこのケーキで日本円で僅か170円!しかも美味しかった。

    ちょうどクリスマスシーズンだったので、スーパーでケーキを買ったが、私が手を振りすぎたおかげで上に乗っかったフルーツが全てずり落ちてしまった・・・。まぁそれは置いといて、2,5人分ほどの大きさのこのケーキで日本円で僅か170円!しかも美味しかった。

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この旅行記へのコメント (10)

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  • ayanさん 2008/01/23 13:07:23
    なんですか!?
    拡大しても正体がわかりませんでした・・・

    トルコでパンをジェンガ(でしたっけ?積み木のゲームの名前・・・)のように組み積み上げて運んでる人を見かけたこともありましたが、人間は効率のために頭を使うんですね(笑)

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2008/01/23 22:06:08
    RE: なんですか!?⇒これです!
    やっぱわかりませんでしたか。。。ポーランドの所、ペチカが載っている写真をアップデートしましたので良くわかると思いますよ♪このことです!!

    そうそう、今年はモロッコに行けたらと思っているので、ひょっとしたらスペインにもチョッくら顔を出すかもしれません。その時にはayanさんにもおせわになりますね〜〜。

    ayan

    ayanさん からの返信 2008/01/23 23:43:29
    あー!
    全体像がみえてすっきりしましたっ!
    王宮などでよく見かける陶器製のストーブに似ていますね〜。
    (もしやあのストーブもペチカだったりして??)

    でもshijoさん、今回私が知りたかったのは大連で何かを突き刺して自転車をこいでる、あの人の荷物ですよ〜!笑 彼はどこへ何を運んでいるんでしょうね〜?笑

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2008/01/24 12:39:25
    RE: なんですか!?
    ああ、あれですね!
    これ最初はリンゴ飴かと思ってたんですけど、どうやらトマトを串に刺して飴を塗りたくった「トマト飴」らしいんです。自分はまだ食べたことないんですよー。この串刺しトマトをつけた自転車がなんと5台連続で向かってきたので、何だ何だと写真を撮りました(笑)しかもマイナス10度を下回るこの寒さの中、手袋もせずに自転車をこぐこの根性に感服です!
  • sate8さん 2008/01/03 16:37:27
    明けまして、おめでとうございます
    今年もよろしくお願いします。

    12月25日〜12月29日まで、中国天津にいました。
    shijoさんも、同じ時期に中国にいたのですね。

    天津で、中国の日本語学習者の方に、おすすめの場所を聞いたら、
    大連と九塞溝を勧められました。

    もともと大連は行って見たい街なのですが、
    大連はキレイな町だからという30代中国女性答えが、私としては意外な感じでした。

    天津でも、ケンタッキーのお店は多く、中国出身の友人に寄れば、
    子供が好きだからとのことでした。

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2008/01/03 17:32:13
    RE: 明けまして、おめでとうございます
    天津ですか良いですね。私は未だ一度も行ったことが有りません。やはり天津の甘栗は美味しいのですか?

    考えて見ますと大連は大阪から北海道や沖縄に行くよりも距離的には近いわけですので、日本人からすればなじみがあるのは当然なのですが、天津の方でも大連の街が人気あるのは意外な感じですね。大連はやはりアカシアの花の咲く5月下旬が良いです。ちょうどアカシア祭りが開かれています。私も一度だけ5月下旬に訪れたことがあるのですが、この年に限ってアカシアの開花が遅れ、5月22日で3部咲きでした・・・。
  • けーしちょーさん 2008/01/03 12:21:14
    お正月から感動しております。
    shijoさん。
    あけましておめでとうございます。

    この旅行記の冒頭。
    なにやら小説を読んでいるような気分になりました。
    年寄りの話は聞いておくものだと、改めて。

    おじいちゃんはきっと、ハルピンで楽しかった思い出のある人なのでしょう。
    また、よく記憶されてますね。
    きっと、おじいちゃんも喜んでおられることでしょう。
    良い旅をなさってますね。

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2008/01/03 17:10:46
    RE: お正月から感動しております。
    メールを頂きましてありがとうございます。

    幼い頃の思い出や話は良く覚えているのですが最近のことはすっかり忘れてしまい、当時の抜群の記憶力の良さと比較してしまうと悲しくなってしまいます。私の実家は祖父母と一緒に暮らしていたので、祖父母から聞いた戦争の体験や昔の我が家の話は物心ついた頃から聞いていたので、自然と覚えてしまったんです。原爆の体験の話も祖母から私が継承して子孫に伝えて生きたいと思っています。

    では!
  • comevaさん 2008/01/03 06:25:14
    新年明けましておめでとうございます!
    新年明けましておめでとうございます!

    世界中の穴場をいつも楽しみにしてます♪

    今年も宜しくお願いします。

    comeva





    worldspan

    worldspanさん からの返信 2008/01/03 10:10:37
    RE: 新年明けましておめでとうございます!
    新年おめでとうございます。

    わたくしこそ、本年もよろしくお願いいたします。
    今年は昨年ほど海外出張もないでしょうし、旅行へ行くこともないとは思いますが今後ともよろしくお願いいたします。

    shijo

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