2007/09/05 - 2007/09/30
71位(同エリア340件中)
Hidechanさん
- HidechanさんTOP
- 旅行記25冊
- クチコミ0件
- Q&A回答15件
- 187,202アクセス
- フォロワー9人
9月16日、今日からいよいよ、聖地カイラス山巡礼のトレッキングが始まった、3泊4日でこの聖山の周り(52Km)をトレックする。我々のグループはトレッカー12人、ツアーコンダクター1人、ガイド1人、、チーフコック1人、コック助手1人、キッチンボーイ3人、プライベートポーター3人(1人は女性)、及びヤクのキャラバン隊十数頭とヤク追い数名。18日最高度ドルマ、ラ(5、668m)越えを無事すませ、19日麓のタルチェンに帰り着いた。
なを、カイラス巡礼の旅の写真をDigiBookで公表しています。全面画像でごらんになれますので、興味のある方は下記のURLでご覧ください。
http://www.digibook.net/q/2FPlVpQ8mGJ_HuGK/
PR
-
【カイラス山とは】
カイラスは中華人民共和国、チベット(西蔵)自治区、アリ地区にある山で、その標高は6、656mとあまり高い山ではない。カイラス(カイラーサ)は通称で、チベット語ではカン、リンポチェと呼ばれている。中国語では崗仁波斉峰(カンレンポーチーフォン)、または略して神山とも呼ぶことが多いようだ。またカン、ティセという古名でよばれることもある。ヒンディー語名はカイラーシャー・パルヴァタ(कैलाश पर्वत, Kailāśā Parvata)である。
【カイラス山巡礼】
この山はヒンドゥー教、ジャイナ教、ボン教、仏教徒の最高の聖地である。この山を聖地として巡礼を始めたのはヒンドゥー教徒だったといわれている。7世紀にチベットに仏教が入ってきた後、チベットの仏教徒はこの山を仏教の宇宙観がそのまま地上に現れたマンダラと見た。すなわち、カイラスはブッダ(あるいは大日如来)であり、周囲の山々は菩薩や神々であると。過去世界的な政治情勢により外界から隔離されたこともあったが、今では制限があるにしてもこの山に巡礼で訪れることは可能で、世界各地から巡礼や、トレッキングに訪れる人も多い。
ちなみに初めてこの地に到達した日本人は河口慧海であった。
【カイラス山のコルラ】
この山をコルラする者は、チベット族では1日でコルラをするものが多い。外国人トレッカーでは1泊2日から3泊4日があるが、2泊3日がもっとも多いようだ。中には五体投地で1週間以上かけてコルラするチベット族の猛者もいる。 -
出発後1時間半ほどでタルポチェに到達した。ここには大きな柱(13m)が立てられており、これを中心としてものすごい数のタルチョがはためいていた。
この地では毎年チベット歴の4月15日(満月の日)に『サカダワ祭』が開かれ何千という敬虔なチベット仏教徒が集まりこのお祭りを祝う。
いまはこの地は静まりかえっていた。タルチョがはためくその先の台地状の高台は今でも使われている『鳥葬場』だ。さらにその先にはカイラスが白く輝いていた。 -
9月16日午前9時についにカイラス山巡礼(コルラ)をスタートした。今日の予定はチュクゴンパ(4、860m)まで3時間程度トレックする予定である。当初チュクゴンパ付近でキャンプの予定であったが、中国公安からこのあたりのキャンプ禁止が申し渡され、予定を変更して、チュクゴンパ到達時にランクルで迎えにきてもらいいったんタルチェンに戻り、翌17日今日の到達箇所までランクルで送ってもらい、この地点からトレックを再開することとした。
我々の進む右手はタルチェンの裏山、そしてカイラスが時々頭を出しており、反対側の左手はこの様に遙か彼方まで砂漠状の平原が広がっていた。 -
『タルチョ』。この写真はタルチョと呼ばれる物の写真である。チベットでは良く見ることが出来る。これは、五色の布に真言や招福攘災の陀羅尼を印刷したものであり、寺院の中庭の柱、峠、山頂、そして民家の屋上などに取り付けられている。風になびくたびに真言、陀羅尼が世に広がることを祈願した物である。
-
当初今日宿泊する地点に予定をしていた、チュク、ゴンパについた(4、800m)。我々が歩いてきたラ、チュ(チュとは川の意)の河原から50〜60m上部にあるお寺である。私にとってこの高さまで上がることが大変きつかった。空気の薄さが身にしみて感ずる。みんなに遅れること20分、やっと境内にたどり着いた。13世紀に創建されたお寺で1980年代後半に再建された物である。このゴンパの向こうにもカイラスが輝いていた。
-
カイラス(カン、リンポチェ)の南壁。
-
羊たちがガレ場を移動している。その向こうにはカイラスが。
-
チベット族の老婆と孫達がコルラをしている。この家族は五体投地で進んできた。ひょっとして、我々には老婆に見えるが、この子達の母親かも知れない。
-
ラ、チュの上流からコルラを終えた人々が下ってきた。この人たちは逆回りをしている、ボン教徒であろう。
-
カイラスの麓を目指して進む我々トレッキンググループ。
-
9月17日、昨日到達した箇所までランクルで送ってもらい、再度トレッキングを再開した。今日も快晴。カイラスは真っ白に輝いている。
-
11時すぎ、ラ、チュの河原で昼食休憩と成った。
-
カイラスの西面が被さってくるように見えている。
-
前の写真を撮影した箇所から少し進んだところから見たカイラスの西面。
-
チベット族の家族連れと思われる人々がコルラで進んできた。我々を追い越して先に進んでいく。
-
上部からヤクのキャラバンが下ってきた?逆回りだ。ボン教徒のキャラバンか。でも、中には途中までコルラをして空気の薄さに耐えきれず戻ってくる人々も居るので一概には決めつけられない。
-
午後3寺過ぎにディラ、プク、ゴンパ(5、210m)が見えてきた
-
ディラ、プク、ゴンパ手前のチョルテン脇を進む我々トレッキンググループ。
【チョルテン】
仏塔、ストゥーパ(日本の卒塔婆はここからきた)、チャイティヤとも言う。釈迦の遺骨(仏舎利)を納め祠るストゥーパをシャカと縁の深い八カ所に建てたことに始まる。ストゥーパにはその土地土地によりいろいろな型がある。ここ西チベットではラパブ型(天降型)、タシゴマン型が多い。 -
谷間の反対から見た、ディラ、プク、コンパの全景。
-
ディラ、プク、ゴンパの少し下に巡礼者の為の宿泊を目的としたと思われる新しい建物があった。
この日我々はランクルで出発地点まで移動した後トレッキングをスタートしたが、我々のキャンプ資材を背負ったヤクのキャラバン隊はその後に我々を追いかけて移動していた。このヤクが我々に追いついてこない、キャンプ地の設定が出来ていないのでお茶の休憩も出来なかった、この新しい施設でお湯をもらおうとしたが、ここもお湯は出なかった。ここでヤクが到着するまで1時間ほど休んで待った。 -
我々が休んでいる所を挟んでラ、チュ(川)の対岸を上がってくる我々のヤクのキャラバン隊が見えてきた。
-
ディラ、プク、ゴンパ周辺は他の人々のキャンプでうるさいのと、汚れているので、我々はここからラ、チュをわたった対岸の上流にキャンプ地を設定することとした。少し上流に移動して橋を渡りキャンプ地に移動した。
-
我々のキャンプ資材を運んできたヤク達もここで荷物を降ろされ、自由に放たれて近くの草地で草を飯んでいる。ご苦労さん。
-
キャンプ設定も出来た。いよいよ明日はこのトレッキングハイライトのドルマ、ラ(峠)5、668m越えだ、朝早く峠越えに取り付くので今夜は早く寝て鋭気を養おう。
-
今夜の宿泊テントサイトからはもうカイラスの北壁が見えている、私のような無信者でもこの景色を目のあたりにして、何か心の中から神を信ずる様な、震え上がるような感動がわき上がってくる。心の底からわき上がる感動に包まれて、暮れゆくカイラス姿をいつまでも仰ぎ見ていた。
-
9月18日、今日はいよいよドルマ、ラ越えの日だ、夜明け前の6時起床、まだ暗い7時に峠越えにに取り付いた。もう5、300mは越えているようだ、最初から苦しい。このグループで私が一番体力がない、また、高度順応にも最も遅れている。先頭のガイドの後ろが私と指定された。これは登山の定石で最も弱い物がリーダーの跡を歩くのが鉄則である。
歩き出して30分後に一休みしているグループ。 -
もうこの高度になると空気は平地の半分を切っている。足が上がらない。5メートルも進むと息が切れる。しかし、高山病の症状は全く出なかった。
-
山の上部にタルチョが見えだしてきた、下からは我々のテント資材を積んだヤク達が上がってくる。ここで私はツアーコンダクターからリュックをガイドに持ってもらうように指示された。私の苦しさを見かねたようだ。意地でもリュックを自分で背負って頂上に立ちたかったが、他の人々に迷惑をかけてはと思い、素直に従った。10歩歩いては休み、5歩登っては立ち止まる。でも、まだ余力を感じながら一歩一歩足を進めていた。
-
2007年9月18日現地時間11時48分、とうとうドルマ、ラ(5、668m)に自分の足で到達した。
昭和24、5年、私の小学校4.5年の頃から心の片隅にあったこの地の巡礼願望を60年近く経った今やっと達成したのだ。心の奥から『ラーギャロー、ソソソー』と叫びながらルンタをカイラスの頂上にめがけて蒔き上げていた。
多くの旅行記を読むと、この峠越えは猛烈にキツイ、中には死ぬほどきつかったと書かれた物もある。私はリュックを持ってもらい身軽になった勢で余力を感じながらこの地に立つことが出来た。
【ルンタ】風の馬の意。正方形の紙に印刷したものが束で売られている。峠越えやお祭りの時など【ラーギャロー】(神に勝利あれ)と叫んでまく。 -
ドルマ、ラに上がってきた我々のヤク。元気いっぱいだ。
-
ドルマ、ラ無事到達を祝って全員で記念写真を撮った。
この地に到達するには長い過酷な旅を続け、さらに空気が平地の半分以下というこの峠を登らなければならない。此処をを目指して多くの人々が世界各地からやってくるが麓のタルチェンまでも到達できず、国に返される人も多い。以前読んだ旅行記ではインドのヒンドゥー教徒の一団、98名でこの地に到達したのはたった3名だけとの報告があった。
我々がこの地を目指していたときも、日本からのトレッカーが3名高山病の影響で、日本に戻るためランクルでラサに戻っている車とすれちがった。またこのパーテーでは麓のタルチェンまでたどり着いてがそこでとどまっている者も何名か居るとのことであった。
例年途中から国に戻すためチャーター便を仕立てて、香港に運ぶことも2.3度はあるようだ。今年も未確認情報では死者も出たとのこと。我々が全員無事にこの地点に到達できたことを心から喜んだ。 -
我々のコルラを助けてドルマ、ラ越えを成功させたチベット側スタッフも喜んで記念写真を撮っている。心から『ありがとう』の言葉を贈った。
-
空気の薄い峠に長い時間留まることは出来ない。少しの休憩後直ちに峠の向こう側に降りていった。
峠の向こうは急な下り坂になっており、真っ青な湖(沼)があった。ヨクモ、ツォ(ゴーリクンド)と呼ばれる沼で、仏の化身とされる赤ん坊が此処に落ちて消えたと言う言い伝えがある。 -
峠を越え急な坂を下ったところで、休憩昼食となった。次から次と峠越えを終えた人々やヤク、馬、それに野良犬達が降りてくる。
我々が麓のタルチェンを出た時から我々と一緒にコルラをする犬が2.3匹先になり後になり付いてきた。ほかの人々の周りにもともにコルラをする犬が歩いている。 -
昼食を終えて下山を再開した頃から白い物が落ちだしてきた。あられが降りだし向かいの山々は白くかすんでいる。此処は高度5、000以上、真夏でも雪が降り出すことは珍しくもない。
-
峠下の急な坂を下りきって、少し広い河原を少しずつ高度を下げながら進む。この川はション、チュである。この川の東側を下ると右手にカイラスが望めるが我々は西側を歩いているので右手の山々に隔てられカイラスは見えない。長い時間をかけて少しづつ高度を下げながら下っていった。疲れ切ってきた頃、今夜泊まるテントサイトが見えてきた。本当にに疲れた一日だった。テントに倒れながら潜り込んだ。
-
9月19日、今日はトレッキング最終日。朝食後ズトゥル、プク、コンパ(4、810m)を訪ねた。ここはあの峠から800mは下っている箇所だ。
-
今日も幅広い河原の西側を黙々と下っていった。この道は景色の変化があまりなく退屈な歩きになる。今日の帰り道は途中までランクルが迎えにきているとのこと。車が走ることの出来る箇所まで迎えに来てくれるそうだ。疲れ切った人は後を車で、まだ元気が残っている者は最後のタルチェン村まで徒歩で帰ることとなった。
-
前方にタルチェン村はずれの砂漠状の平原が見えてきた。砂漠の向こうにはナムナニ峰も見えている。山陰に隠れながらマナサロワール湖も少し顔をのぞかせている。
疲れた足取りで迎えに来た車が止まっている箇所まで降りていった。 -
我々のランクルとトラックが止まっている。車の運転手が一斉に我々を迎えてくれた。聖地カイラスのコルラを無事終えたことを祝福して一人一人にカタを首にかけて歓迎してくれた。
ヤク達もここでキャンプ資材を降ろしトラックに積み替えて自由になって帰っていくことになる。ご苦労さん。 -
重たかった荷をおろし自由になってほっとしているヤク。
-
一部の人はこの地点から車に同乗して宿泊地まで帰っていった。私はおよそ1時間半程度かかるタルチェン村まで歩いて帰ることにした。一仕事を終えたヤクの一団が飼い主に連れられ意気揚々と帰っていく。その先には4日ぶりのタルチェンの家々が見えている。
-
村に帰り着いて宿泊箇所の招待所に入った。疲れ切ってはいたが、村にあるシャワー屋に洗面器、タオル、着替えを抱えて出かけていった。
チベットの招待所と呼ばれる宿泊設備にはシャワーもなくもちろんバス等ない。しかし村にはシャワー屋さんがあって利用できる。一坪程度の個室のシャワー部屋に入ると壁からゴムホースが出ていてちょろちょろとぬるい水がでている。もっと強く、もっと熱くと怒鳴るといくらかは良くなるが、ほとんど変わらない。
ここで、怪しげな体験をした。シャワーを終えて、ああいい気持ちと部屋の外の椅子で休んでいると、皮ジャンと細身のズボンをはいて厚化粧のオネイチャンが別室でマッサージなどいかがですかときた、冗談ではない。いまカイラスのコルラから帰ってきたこの老人にはそんな元気は残っていない。丁重にお断り申し上げた。考え過ぎだったかなー。
シャワー屋から帰る頃南の空が真っ黒にかわってきて、遠くには竜巻、豪雨が見て取れる。雨が降り出してきた。 -
雨がやんで虹が出てきた。我々のカイラス巡礼のコルラ成功を祝福しているような素晴らしい景色だ。現地時間19日午後7時30分過ぎである。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- 三昧さん 2008/02/04 01:32:12
- カイラス山 羨ましいです
- Hidechanさん はじめまして!
4トラでカイラス山旅行記にやっと辿り着きました。
それにしても、羨ましい限りです。私も一生に一度はカイラス山巡礼を体験してみたいなーと、かと言って還暦前後が峠かな?とも考えたりしております。
数年で定年退職ですが(勤めていると、約1ヶ月の休みは取れません)、その時は一番に行く所と決めております。
それにしても羨ましいですな〜。
- Hidechanさん からの返信 2008/02/04 21:43:31
- RE: カイラス山 羨ましいです
- 黒鯛釣師さん、今日は!、コメントありがとうございました。
カイラス巡礼の旅は60年近く前から心の片隅にあった旅でした。いまは無事帰国できて、何か心に穴が開いたような虚脱感を覚えています。
先月、日経新聞の夕刊にチベット旅行に関する記事が有りました。昨年5月から10月までの間にチベットを訪れた日本人の観光客に8人の死亡事故が発生しているようです、ほとんどは高山病の影響です。
私達がカイラスに向かっている時にも3日前に同じコースを先行しているグループに3人の高山病が発症、日本に戻すため途中から引き返すランクルと出会いました。後刻このうちの1人は死亡したことを知りました。
今チベットは中国政府または漢族により急激にチベット文化が破壊されており、代わり映えのしない中国の一田舎に変わりつつあります。
もしチベットを訪れるのであれば1日も早く、万全の体調をもって訪れますよう祈念致します。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Hidechanさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
44