2007/09/15 - 2007/09/24
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riverwillさん
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2007年9月15日から24日までの10日間、マリンスポーツ嫌いのわたしが何故か一人、リゾートアイランドのタヒチとイースター島を旅した奇妙奇天烈な旅行記です。
このアルバムはイースター島第一日目の模様です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ラタム チリ
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-
9月17日(月)
予定より1時間半遅れてイースター島・マタベリ国際空港に到着。
パペーテからイースター島までランチリ航空で週2回直行便が出ています。
これも、今回の旅先をタヒチに決定付けた理由の一つ。
所要約6時間。日本との時差は−15時間。
そして季節は冬。日本と真逆なのです。さむっ
10月はちょうど雨季と乾季の境目で、非常に天候が崩れやすい。
何より、
滞在期間がばっちりチリの大型連休(土日と独立記念日及び陸軍記念日+国民の祝日)にぶつかってしまい、土産物屋からレストラン、旅行代理店にいたるまで軒並み休業・店じまいという不運に見舞われることに。
この事実、日本を経つ直前に知りました。明らかに事前調査ミス。
知ってたら、3ヶ月以上も前に予約してなかった・・・
そこで、慌ててイースター島に現地支店オフィスを構える「アンデス・ニッポン・ツーリスト」社にお問い合わせ。
すると、当然オフィスは閉めてしまうけれども、この旅行代理店のツアーは通常通り敢行されるとのご回答。
しかも、現地駐在員の方にわたしのことを伝えておくので、まずは空港で待機している駐在員に声をかけて、何か現地で困ったことがあれば迷わず相談するよう取り計らって頂きました。世の中捨てたもんじゃない!
直前にもかかわらず、ギリギリまで快く、親身に対応して下さったアンデス・ニッポン・ツーリスト(http://www.chile-tour.com)、おすすめです。
というわけで、
急遽、その現地日本人駐在員さんに滞在期間中のツアーをアレンジしてもらい、到着後まもなく、本日のメニューの半日ツアーに参加したのでした。 -
イースター島第1日目に参加したツアーは、ビナプ、プナパウ、アキビ、テパフという、島下半分の主要ポイントに点在するモアイや遺跡を巡る半日バスツアーでした。
島自体はとっても小さいので、天候に恵まれればレンタカーで気合で一日で主要なモアイを回り切れてしまうぐらいの大きさです。
それらを3日間に分けて、バスで巡るツアーです。
まず最初に訪れたのは「アフ・アキビ Ahu Akivi」。
周囲には何もない野原というか牧草地帯に海を臨んでたたずむ7体のモアイが建っています。
よくイースター島の紹介写真に使われるポイントだとか。
ちなみに「アフ」とはモアイをまつる「祭壇」という意味だそうです。 -
通常、イースター島のモアイは海を背にして沿岸部に建てられていることが多いのですが、このアフ・アキビの7体のモアイのみ、内陸部でかつそろって海に視線を向けて建ち並んでいます。
これは非常に特異なケースだそうです。ふーん。 -
イースター島のモアイは、19世紀頃まで部族の闘争などでことごとく倒され、特にパワーを持つとされる目(マヌ)が破壊されていたそうです。
今ある出で立ちになったは近年海外(日本を含む)などの心ある有志の方々による復元されたのだそうです。
このアフ・アキビは1960年、イギリス人ウィリアム・ムロイらによって初めて復元されたそうです。 -
海を眺めている理由として、
伝説の酋長ホツマツア王がよこした7人の使者を祀ったものだというのが一般的のようです。
また、モアイたちが見つめる方角は春分と秋分の日没と一致し、天文学的性格も併せ持っていたとも考えられているそう。
英語のガイドさんは、この祀られた7人の使者は、自分たちの遠い故郷の島を懐かしく想いをはせて眺めているのではないか、とノスタルジック論を熱く語っていました。 -
モアイの大きさは高さ3〜4m、重さは20〜30トンぐらいあるそうです。
これらの巨大な石像は島北部にある岩山からわざわざ切り出し運ばれたとか。
交通手段もない大昔、どうやって運んできたのかは未だミステリー。
途方もない時間と人力を費やして運んだのか。
はたまた、未知なるパワーが存在したのか。
これが、世界七不思議のひとつ。 -
ツアー参加者。
左から2番目の黒のジャンパーに青のフードのお兄さんが現地ガイドのテロンギさん。
イースター島はチリ国家(スペイン語圏)ですが、ラパヌイ語(現地語)の名前なんだと教えてくれました。
ちなみに、イースター島はスペイン語でIsla de Pascua パスクア島と言います。このため、航空会社コードは“IPC”。わかりにくいですねぇ
ツアーの参加者は日本人女性1名、日本人カップル1組、その他、チリや欧米各国から熟年夫婦やハネムーナーなどさまざまでした。
わたし以外に日本人の女性ひとり旅に出会ったのは今回初。(写真、一番左端の女性)勝手にささやかに仲間意識。
しかしながら、やはり日本人。
バックパッカーという意味では仲間ではない。いいとこ泊まってました。 -
後ろから見た光景。
逆光と光量不足のためなんだかムーディーな写真に。
実際はまだ3時過ぎぐらいです。
天候は雲が多く、今にも雨が降り出しそう。
というか、小雨が降っていました。
イースター島ではレインウエアは絶対必須です。(風があるので傘は不便だとのこと) -
違う角度から。
一体として同じ顔はありません。
角刈りで猫背の親父に見えるのはわたしだけ? -
次の目的地、アナ・テ・パフAna Te Pafu。
ここは島内最大規模・全長3500kmもあるといわれる溶岩で出来た洞窟。
かつて、島民はこの洞窟に棲み、この中でバナナや野菜などの農作物を栽培して暮らしていたとか。
四方を海に囲まれた絶海の孤島・イースター島では風が強く吹き荒れ農作物の栽培には不向き。
洞窟は風除けにもなり、穴から陽光が差しこみ、作物栽培には比較的向いていたのだとか。
釜戸らしきところには炭を炊いたあとがまだ残っていて、人々の生活の痕跡が記されていました。
かつて侵略してきた欧米人の奴隷狩りから逃れるための隠れ家でもあったそうです。 -
洞窟の入り口。
人が豆粒状態。
洞窟の巨大さがお分かり頂けるでしょう。 -
2組のツアーがいました。
1組はわたしが参加した英語・スペイン語ガイドツアー。
もう1組は日本人観光客対象の日本人ガイドによるツアー。総勢30人ぐらい。
参加者は熟年夫婦が割と多かった気がします。老後の楽しみに取っておいたんですかね。
日本人ガイドのツアーにすると、当たり前ですが料金がガンッと上がります。
今回の3日間のツアーは、英語ガイドで締めてUS$146(17,000円ぐらい)
これを日本人ガイドにすると、200はしないかもしれませんが、まぁ、高かった記憶があります。
でも、払う価値はあるでしょうね。よほど英語が堪能でない限り、やはり説明は日本語の方が十分理解できます。
英語が不十分だと、「何か質問は?」という問いに思わず聞きたくても黙ってしまうシャイな性格がうらめしい。 -
洞窟深奥部。
このあたりで人々は生活していたようです。
巨大な穴から光が差し込みます。 -
洞窟のさらに奥から撮影した写真。
一組の母子連れの子どもが洞窟内をスケッチしていました。
絵を描くのが単に好きなのか、学校の宿題なのか。
みんなに「上手だねぇ」と褒められ、ご満悦そうでした。 -
次の目的地、プナ・パウPuna Pau。
島のほぼ中央部に位置します。
プナ・パウの丘の上から島唯一の村、ハンガロア村を望めるポイントです。 -
プナ・パウのゆかりが記されています。
プナ・パウは、モアイの頭上に乗っかっている赤い帽子のような「プカオ」と呼ばれる原石の切り出し場。
「プカオ」とは「髷(まげ)」のことで、帽子に見えるのは、実はかつての部族の象徴的なヘアスタイルです。 -
プカオの由来やどのように石を切り出したかが説明されています。
かつてイースター島では、部族の中で高位の人間は赤い染料で髪を染め、髷を結っていたという言い伝えがあるんだそうです。
これを見立ててモアイにも赤色凝灰岩でプカオを造り頭に載せたんだろうという説が有力。
アフリカのどこかの国の部族は今でも赤の染料でからだ中を染めて着飾る風習が残っているから、そうかもしれないですね。 -
引き続き、プカオの切り出し方?の説明。
これらの説明プレートは基本的にスペイン語と英語の併記ですが、じっくり読む気がしない、そこまで英語に熟達していない自分が悲しい。
というか、じっくり読む時間を与えてくれない、それがツアー。 -
切り出したプカオの残骸。
あっちこっちに転がっています。
曇っていて残念ですが、原っぱの緑と赤茶のコントラストがきれいです。 -
プカオもまた相当でかいです。
こんな重いもの、どうやって北の果てから南の果てまで各沿岸部へ運び、なおかつも高さ約4mもあるモアイの頭上に載せたのか、これもまたミステリー。 -
モアイもそうですが、突然プカオの製造も中止されやりっぱなしで放置されたのだそうです。
その理由もまだ歴史は証明していません。
はなはだミステリー・・・ -
分かりずらいですが、かなたにハンガロア村が見えています。
しかし、雲行き怪しく、雨降ってきました〜
強風吹き荒れる中で、しばれる寒さ!
うそじゃあありません。
フリース着てても、その上からレインウェア着ていても身に染みる寒さ。
イースター島は南太平洋の島国のイメージですが全く覆されます。 -
本日のフィナーレの地、アフ・ヴィナプ Ahu Vinapu。
島南東部の沿岸に位置します。
ここには倒されたモアイ数体とインカ文明との関連性を示唆されるアフの特徴的な石組みで有名。 -
左手は土中に埋められたモアイと右手はアフ(祭壇)。
その奥にうつぶせに倒されたモアイがいます。 -
モアイ ズームアップ。
近寄ることはOKですが、モアイは決して触ってはいけません。
なんたって世界遺産ですから。
保護条例でしっかり守られています。
万が一触れたり、ましてや落書きなんてした日には警察のお縄になります。
かつて日本人を含む外国人観光客でモアイにいたずらをして警察に捕まり、数週間の拘留の実刑にあった方々がいるそうです。
訪れたときはマナーを守りましょう。 -
後ろ頭。
絶壁。 -
これがインカ文明の流れを汲むというアフの石組み。
南米ペルーのマチュピチュやティワナコに見られるような隙間ない精密な石組みが特徴です。
マチュピチュは訪れたことがありますが、確かに似ています。
はるか遠い昔に海を渡ってインカの民がこの地を訪れて技術を伝授したのかもしれないですね。
歴史ロマン・・・ -
石組みのズームアップ。
全く隙間がない精巧な造り。
道具が未発達の時代、一体どうやったらこんな垂直に石が切れるのか、謎です。 -
うつぶせに倒された無残なモアイ。
雨風にさらされ風化されたからだと苔むした感じがさらに哀愁を帯びさせます。 -
倒れたモアイとプカオ。
悲しいですねぇ。 -
プカオ。
主のそばで再び頭に載る日はあるのでしょうか。 -
何となく、「天空の城ラピュタ」の空中庭園をイメージしました。
巨人兵の成れの果てに見えます。 -
女性のモアイといわれている立像。
写真では見抜けませんが、石像の最下部にはうっすらと手のレリーフが彫ってあります。
モアイはその部族の男の長を象徴しているといわれており、ラノ・カウ山という山から切り出した岩石でしか作られないのが一般的。
この、プカオの原材料となった赤色凝灰岩で作られた石像は極めてまれで、そのため女性のモアイだろうと言われているのだそうです。 -
プナ・パウのあとツアーは一路、ハンガロア村へ。
各自が宿泊するホテルへ順番に送迎され、買い物などをしたい人だけ村の真ん中で降ろしてもらいました。
祝日のため、想像通り多くのお店が休業中、メインストリートは閑散気味でしたが、幸いにしてスーパーマーケットは営業中。そこでミネラルウォーターやパン、フルーツ等、明日の朝食分も購入しました。
イースター島もタヒチ同様、食糧自給率が低く本土からの輸入に頼らざるを得ないため、必然的に物価も上昇気味。
パンは量り売りで比較的安く、3個400ペソ(約96円)。
果物や野菜は、鮮度はいかほど?!と疑りたくなるような代物にもかかわらず値段はお高め。
野菜も果物も、それぞれの単品kg売りではなくまとめて袋の量り売り。
今回、怪しげなバナナ1本とオレンジ1個、洋ナシ1個を購入したら1050ペソ=約US$2(約300円)もしました。
ちなみに、チリではUSドルが普通に流通しています。なので両替する必要が全くありません。スーパーでもレジでドルを出すとドル換算にして計算してくれ、ペソのお釣りが出ます。
ある意味で、観光客にとっては都合がよい。両替の手数料も馬鹿にならない。
スーパーの近所で開いていたエンパナーダ(ピロシキのようなパイ生地の中にひき肉や野菜等の具材が詰められた南米の伝統的メニュー)のお店にて、イースター島でしか食べられないというまぐろが入ったエンパナーダ(Enpanada de Atun)を購入。
Atun(アトゥン)はスペイン語でマグロ(ツナ)のこと。南米の中でもエンパナーダにツナや魚介類を入れるのはここイースター島だけ。まさにご当地グルメ!
このとき頂いたツナとチーズのエンパナーダは1600ペソ(約435円)で、決して安くはないですが、何たってボリューム満点。また常に焼き立てを出してくれるので、ジューシーですっごくウマイ!お腹にたまる軽食です。
ちなみに、この写真は村のちょうど中央に位置する広場。誰の銅像だったかは未確認。
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