2007/04/30 - 2007/05/05
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●加茂岩倉遺跡
全国最多39個の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡、そして全国最多358本の銅剣と16本の銅矛、6個の銅鐸が出土した荒神谷遺跡。大量の青銅器を埋納した二つの遺跡は、山々を挟んで直線距離約3.3kmという近い距離に位置しています。
【手記】
中国地方ほぼ一周旅行の道程。
蒜山から山陰の鳥取砂丘・浦富海岸・白兎海岸・菅原神社・島根加茂岩倉遺跡・荒神谷遺跡・琴が浜・石見海浜公園・広島芸北・山口錦帯橋・大島・上関などへ立ち寄りました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●宍道湖ふれあいパーク
鳥取砂丘・白兎海岸観光後、宍道湖ふれあいパークにて車中泊しました。
明早朝、島根「菅原天満宮」へ向けて出発。 -
★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●菅原天満宮
島根県松江市(旧・八束郡)宍道町 -
★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●菅原天満宮
宍道湖に流れる来待川の上流、菅原地区にある菅原天満宮は学問の神様として知られています。 -
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●菅原天満宮
6歳の時、道真は都の役人であった父を頼って都にのぼり、天賦の学才にさらに磨きをかけ、参議から右大臣に列する出世をしました。 -
★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●菅原天満宮
しかし、藤原氏との対立に破れ、太宰権師(だざいごんのそつ)に左遷され、この地で没しました。
ところがその後、今日の貴族や天皇家に不幸が続き、これは道真の怨念だと思われるようになりました。 -
★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●菅原天満宮
道真は火雷天神(ほいかづちてんじん)の号を贈られて天暦元年(947)に北野神社に祀られました。
しかし、時代を経るに従って天神は祟り(たたり)神から学問の神へと変身し、天神信仰が全国に広がって行きました。 -
★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●菅原天満宮
菅原天満宮で行われる1月25日の初天神、3月25日の祭礼には受験生やその親御さん達が今も参詣しています。 WEBサイトより -
★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●加茂岩倉遺跡
島根県雲南市加茂町岩倉にある弥生時代の遺跡。国の史跡に指定されています。 -
「加茂岩倉遺跡」
加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡は、山々を挟んで直線距離約3.3kmという近い距離に位置しています。 -
「加茂岩倉遺跡」
この階段を登っていくと遺跡があります。
以前、発掘途中に妻と訪れました。その時より階段(遺跡全体)が整備されています。そう言えば、愛犬も一緒に連れて上っていきましたね。
想い出をさがして、ひとり旅を続けています。 -
「加茂岩倉遺跡」
上から見ると・・・けっこう段数があります。 -
「加茂岩倉遺跡」
遺跡は1996年に加茂町(現雲南市)岩倉で農道の工事中、重機により掘り起こされ、偶然発見されました。 -
「加茂岩倉遺跡」
銅鐸は、型式から弥生中期から後期の初めまでの古いタイプで、中型(高さ40センチ余り)と小型(約30センチ)に二分され、ほとんどが二個一対の入れ子でした。 -
「加茂岩倉遺跡」
遺跡は青銅器の出土状況が復元整備され、発見時の興奮と感動が蘇ります。 -
「加茂岩倉遺跡」
島根県加茂町岩倉の標高約140メートルの山の斜面で、農道建設工事中に、弥生時代中期(紀元前後)などの銅鐸(どうたく)が計39個出土しました。 -
「加茂岩倉遺跡」
1か所で見つかった量では全国最多です。 -
「加茂岩倉遺跡」
邪馬台国はどこにあったか。
近畿説、九州説など100年以上の論争が続き、未だ決着が付いていません。 -
「加茂岩倉遺跡」
全国最多39個の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡、そして全国最多358本の銅剣と16本の銅矛、6個の銅鐸が出土した荒神谷遺跡。大量の青銅器を埋納した二つの遺跡は、山々を挟んで直線距離約3.3kmという近い距離に位置しています。 -
「加茂岩倉遺跡」
駐車場
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「加茂岩倉遺跡」
駐車場。
加茂岩倉遺跡は、弥生時代の原風景を彷彿とさせる景観が魅力です。 -
★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●荒神谷遺跡
荒神谷遺跡は周辺一帯が史跡公園となっており、6月中旬から7月中旬には色鮮やかな2000年ハスも楽しめます。 -
「荒神谷遺跡」
荒神谷遺跡は昭和58年(1983年)広域農道(出雲ロマン街道)建設にともなう遺跡分布調査で、調査員が田んぼのあぜ道で一片の土器(古墳時代の須恵器)をひろった事がきっかけとなり発見されました。 -
「荒神谷遺跡」
遺跡の南側に『三宝荒神』が祭られている事から荒神谷遺跡と命名され、翌昭和59年谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣(どうけん)が出土しました。 -
「荒神谷遺跡」
銅剣が埋納されていたのは、小さな谷間の標高22mの南向きの急斜面で、昭和60年には、その時点からわずか7m離れて銅鐸(どうたく)と銅矛(どうほこ)が出土しました。 -
「荒神谷遺跡」
WEBサイトより -
★ぐるっと中国5県ほぼ一周の旅★
●荒神谷遺跡
このあと、琴が浜・石見海浜公園・広島芸北・山口錦帯橋・大島・上関などへ立ち寄りました。
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