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2006暮、中国旅行記11(6):12月9日(1)青島・2箇所の市場見学

旅行時期 2006/12/08 - 2006/12/10 (2007/06/13投稿

<2006年12月9日(土)><br /><br /> 旅行2日目、この日のメモからです。「7時起床、7時30分モーニングコール、9時ホテル出発、薄曇、朝寒し」でした。早目に1階のレストランで朝食を済ませ、付近を散策して来ました。2泊3日の小旅行では、今日が一番の観光尽くしの日です。朝は冷え込みましたが、天候は上々です。冷え込んだのも、天候がいいことの証左かも知れません。<br /><br /><早朝の散歩><br /> モーニングコールの時間には、既に朝の仕度が済んでいましたから、早めに朝食を済ませて、付近の散策に出掛けました。ホテルから東方面には何もないようでしたから、向かったのは、昨日と同じ西側方面です。<br /> 朝の冷え込みは厳しく、コートを羽織っての外出でした。30分程を予定していましたが、西方面への散策は早々に終えて、ホテルへ引き返しました。そのホテルの前では、朝早くから出掛ける車が、既に玄関に横付けされていました。中々立派な車ばかりでした。<br /> そのまま部屋に戻るのも。時間が余り過ぎましたので、ホテルの前をやり過ごし、南側方面に向かって坂を登りました。台湾路と呼ばれるホテルの前の通りです。その散歩からも早々に引き返しました。<br /><br /><市場見学><br /> 海外旅行の際に楽しみにしているのが、市場見学です。その国の台所事情と、自然環境が透かし見えるようで、興味が尽きません。今夏の旅行でもその市場見学が組み込まれていましたから、期待していました。<br /> 9時にホテルを出発して、その市場はさほど時間がかからない場所にありました。露店と言った方が似合う、市場でした。しかし、そこで扱われている魚介類は、今海から揚がったばかりの活きの良さでした。新鮮な魚介類で、籠が満ち溢れていました。<br /> 写真編にも掲載しておきましたが、貝類では牡蠣、アサリ、赤貝、帆立、サザエに似た巻貝、蟹類は渡り蟹と、それより一回り小さい獰猛な種類の蟹、蝦蛄(シャコ)など、魚ではヒラメ、太刀魚、マナガツオの他、ナマコもいました。<br /> この小冊子を書きながら知ったことですが、黄海は有明海と類似の干潟を持ち、韓国の仁川等とも生態系が類似しているようです。その干潟が、都市化、工業化の波で近年急激に減少し、環境問題が深刻化しているようです。また、渤海と黄海は同じ大陸棚を持ち、環境保護の面では、共通の課題を抱えているようです。<br /><br /><二つ目の市場見学><br /> 最初の市場見学を終え、更に東方面に走って、二つ目の市場見学をしました。東方面は地図で確認したわけではありませんが、右手に海が見えましたから、それで判断しました。新市街を通り越し、付近に民家も無い片田舎でした。<br /> その市場は、通りから坂を100m近く登った場所にありました。開いているかどうか分からない時間でしたから、全員バスに残って、現地ガイドのグーさんが、その市場へ先行されました。<br /> その市場の入口でグーさんがOKのサインを出されましたので、全員揃って市場見学に坂を登りました。最初の市場とは違って、鮮魚ではなく、もっぱら加工食品を販売していました。内部の写真撮影はお断りされました。同行の方は、干物や海苔等をこの市場で買い求めていました。試食の品も置いてありましたが、魚の干物は少し干し方が浅く、生臭い感じが残りましたので、買うのは止めました。<br /><br /><小魚山公園><br /> 旅行の前に徐さんが送って頂いた旅行計画書から引用して、小魚山公園について説明しておきます。<br /> 『小魚山公園、元々青島休止外の普通の丘でした。以前は漁民達が魚と網を干すところでしたから、こう名付けました』<br /> 『青島旧市街の全景を眺望する最適な場所ですから、1995年に公園が建設されました。公園面積は800平方米、頂上には閣高18米、屋根には、緑色の瑠璃瓦が使われた「覧潮閣」と呼ばれる建物が建っています』<br /> と、紹介されていました。現在では青島の十景に選ばれたり、省クラスの風致地区にも指定されているようです。その見所を紹介します。<br /> まず最初に、独逸租界時代の旧市街地です。オレンジ色の屋根の市街地が四方に広がります。壁の色も白か黄色系統に統一され、落ち着いた感じの欧風の町並みです。租界時代は不幸な時代だったでしょうが、折角残った歴史遺産ですから、この後も保存されれば、観光資源として大いに役立つものとなるでしょう。<br /> 目を南側に向けますと、匯泉湾の眺めが一望できます。青島で一番の人気があると言われる第一海水浴場は、この湾に面しています。魯迅公園も、この湾を望む西側の一角です。その中に水族館もありますが、この場所からは良く分かりませんでした。パンフレットには、覧潮閣に登れば、迎賓館、青島駅、キリスト教会、小青島、水族館、海軍博物館、青島テレビ塔が眺望できると解説されていました。<br /><br /><ドイツ公邸址、迎賓館><br /> 次の見学地は迎賓館です。小魚山公園とは余り離れていない旧市街地の中にありました。元は独逸公邸だった由緒ある建物です。1914年の第一次世界大戦での独逸が敗戦し、独逸租界時代が終了した後も、青島は日本の占領地として、苦労の時代を迎えました。帝国主義時代の日本から返還されたのは1922年のことです。<br /> 青島紹介の公式ホームページらしきものがありましたから、その青島紹介を引用させて頂きます。<br /> 『本来はドイツ総督の官邸でしたから「総督楼」か「提督楼」と呼ばれていました。1930年代から当時の国民党政府要人がよく泊まりましたから、迎賓館と呼ばれ始めました』<br /> と、その経緯が紹介されていました。更にその建築物については、<br /> 『この建物はドイツの著名な建築家によって設計され、1903年に着工、1908年に完成しています。高さ30m、建築面積4,080平方米の建物は、100万ドイツマルクを費やして建てられました。その総督は、お金を使いすぎて、ドイツ皇帝にも怒られ、首になったそうです。建築全体は石造りです』<br /> と、紹介されています。総督が首になったエピソードは、この迎賓館を説明して頂いた、日本語が達者な案内の方からもお聞きしました。更に内装については、<br /> 『内装は絢爛豪華で、厨房、会議室、ダンスホール、食堂、寝室のほか、噴水や水槽が飾られています。ライトも大量の天然水晶と宝石を使っています。ドイツ原産のピアノと時計は迎賓館の宝物です』<br /> と、紹介されています。天然水晶を使った照明器具の1枚が剥がれていた理由も、現地案内のガイドさんが教えてくれました。この建物を管理していた人が1枚だけ剥がしたようでした。ピアノはスタンウェイの銘がありました。ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーと並ぶ世界の名品の中でも、トップを占めるピアノです。独逸で発祥し、アメリカにも生産拠点が置かれました。<br />大きな柱時計は精巧で、今も現役でした。床に置いてありました。定時になると、それぞれ異なった音色を発します。更に説明を続けます。<br /> 『中華人民共和国成立後、1957年、中国の最高指導者毛沢東主席はここで1ヶ月も泊まり、共産党高級幹部の会議を主催しました。また、青島を訪問する外国の使節もよく泊まりました。7、8年前、一般観光客は宿泊できましたが、今は青島市の文化財として保護されています』<br /> と、現在に至る経緯も紹介されていました。毛沢東は身長が180センチを超える長身でしたから、毛沢東が使ったベッドは、足の部分が50センチほど継ぎ足されていました。<br /> 建物で興味が湧いた一つは、2階にあった温室です。鉄骨を使った建築は、当時としては先駆的だったようです。今でも立派に温室として機能していました。<br /> 黒檀の棚に収めた瑪瑙や水晶等の飾り物のほか、書画を一杯に展示した部屋も見学しました。これは新作で、販売目的でした。飾り棚単位での販売もしますとの、現地説明の方のお話でした。<br /><br /><桟橋公園><br /> 続いて公式ホームページからの引用です。まずは桟橋の景観評価からです。<br /> 『桟橋は旧市街の青島湾に位置している青島の最も有名な観光スポットで、青島市のシンボルとも呼ばれています。青島ビールのラベルマークも桟橋の絵を使っています』<br /> と、最高級の褒め方です。更にその歴史については、清朝時代に遡ります。<br /> 『桟橋の建設は1891年(光緒17年)から始まりました。当時の清朝政府は軍需物資の運送のため、この桟橋を埠頭として建設しました。中国海軍の創始者、李鴻章に桟橋と命名されています。1897年、ドイツの占領後は軍用埠頭として使用され、ドイツ軍は桟橋をさらに沖合へと延ばして、全長は350米となりました。1931年、当時の国民党政府が、また改修して、先端に中国伝統風格の回瀾閣を建造しました、1933年には総延長440米、幅10米となったのです』<br /> 次第と桟橋が伸びて、現在の440mになった経緯が説明されています。私見ですが、浅瀬の青島の沖合に大きな船を接岸するためには、沖合まで桟橋を伸ばす必要があったようです。説明が続きます。<br /> 『桟橋とつながっているのは青島のもっとも人気な繁華街―中山路です。桟橋から小青島の白い灯台と中国海軍博物館の軍艦が見られます。また、桟橋の夕日はとても魅力的です。見学時間は40分前後です。先の回瀾閣には、よく珊瑚などの海洋生物展示をやりますが、入場料5元前後です』<br /> と、締め括ってありました。今回中国旅行を始めて同行させて頂いた山本さんと、桟橋の先端にある回瀾閣を目指しました。吹き曝しの海上ですから、さすがに少し冷たさを感じました。しかし、耐えられないような寒さのレベルではありませんでした。<br /> 回瀾閣までの桟橋の両脇では、珊瑚や貝などのお土産店に混じって、磁石を使った人形も売られていました。9月の山西省の旅行の際に、騙されてしまった人形でした。山西省旅行の時は、瞬間の動きが面白いので、つい騙されてしまいました。その人形は、透明の紐を使ってコントロールされていました。<br />約束の場所と時間に全員集合し、次の見学地に向かいました。<br /><br /><カトリック教会><br /> 青島案内の公式ホームページは「キリスト教会=基督教堂」と「カトリック教会=天主教堂」を使い分けてありましたから、この小冊子でもその例に倣うこととしました。ホテルの部屋にあった無料観光案内冊子の「青島指南」でも同じ記述でした。公式ホームページからの引用です。<br /> 『青島にはドイツ占領時代に建てられた多くの西洋建築が点在しています。これは青島の一番魅力的な存在です。この天主教堂も有名な建築の一つとして知られています。にぎやかな中山路繁華街に聳えて、とても目立っています』<br /> と、その立地について説明され、教堂建設の由来については、<br /> 『天主教は19世紀末、ドイツ占領時代にこの地に伝えられました。外来の宗教ですから、最初には中国伝統文化と衝突が発生し、1897年ドイツ宣教師が山東省で暗殺された事件を理由に、ドイツ軍は青島を占領しました。1925年には青島教区が設立され、1932年に、この教堂の建設を開始、1934年に完成しました。塔高は60米、塔上には4.5米の巨大な十字架、正面は青島花崗岩から作られた重厚な建築物となっています』<br /> と、説明されていました。異教との軋轢が大きな事件となり、青島が独逸に占領されたようです。帝国主義が世界を席巻していた時代です。建物は外光をふんだんに取り入れ、明るい雰囲気を持っていました。中国の現代の若い人にとって、カトリック教は無縁の教えのようです。今は、デートスポットになっていて、係りの方が見回っては、注意をしていました。そのカトリック教会の付近は大掛かりな工事中でした。その理由は、<br /> 『中山路改造工事は完成したら、天主教会の手前には広場が出来上がり、この周辺にはバーの専用地域ができます。現代のおしゃれと歴史の重みがよく融合したら、ふさわしい雰囲気があると思います』<br /> と、紹介されていました。新しい観光スポットとして生まれ変わる途中でした。<br /><br /><自由行動、市内散策でデパートへ><br /> カトリック教会は、旧市街地を南北に伸びる中山路の東の小高い場所に建っていました。見学を終えた後、西向きに坂を下り、中山路に出ました。ここで、解散し、暫く自由行動となりました。再集合は中山路の西側に面したマクドナルドのお店と決まりました。少し風が出て冷え込みが厳しくなりました。<br /> 中山路を北に歩くとお洒落グッズの専門店、南に下ると百貨店がありました。道路工事や、町並みを撮影した後、南側に歩くことにしました。少し冷え込んできましたから、ビルの中に入るのが一番です。<br /> 5分と歩かない内に、百貨店のビルが見付かりました。早速入店し、地下1階へ移動しました。食料品が置いてあるとの見当でした。その見当は当たっていました。地下にはセルフサービスのお店と、これとは別の専門店がありました。<br /> 専門店と言っても、お茶を買いたかっただけです。烏龍茶と花茶です。買い求める前に、一通り地下のお店を回りました。その中のお店の1つで、目的の品を買い求めました。買物リストを伝票に書いて頂き、それを共通のレジで支払った後で、品物を受取るシステムでした。<br /> 買物後も、少し時間がありましたから、デパートの上の階も見学しました。エレベータではなく、エスカレータに乗って7、8階あるデパートの最上階まで登りました。<br /> 一通り見学した後、約束の集合時間に余裕を持って、マグドナルドのお店に向かいました。<br /><br /><青島麦酒博物館><br /> 青島は、青島ビールによって知名度が高まったとも言われています。私も、これまでの中国旅行の際は、決まってチンタオピーチュ(青島麦酒)を注文していました。置いてない場合にだけ、その他のビールか、地ビールでした。<br /> 青島紹介の公式ホームページからの引用です。最初は、青島麦酒の生い立ちと、日本に買収された時代のことです。<br /> 『青島ビール工場は、1903年ドイツ人によって創立された中国一番古いビール工場です。1916年日独戦争で青島を占領した日本人は、青島ビール工場を買収し始め、1945年まで29年間経営しました。ここでは朝日、麒麟麦酒を生産しました』<br /> 1945年は、第二次世界大戦で日本が敗戦した年です。その後、<br /> 『1949年の中国解放後、青島ビール工場は国有になり、初めて世界へ輸出を開始しました。いまの青島ビール集団は年間生産量200万トンにのぼり、中国一です』<br /> と、今日までの歴史が敷衍されています。ただし年間の生産量は300万トンで、世界48カ国に輸出されていると、現地でお聞きしました。次は、歴史館の説明です。<br /> 『ビール工場見学の時、青島ビール歴史展示、ビール生産過程が見られるだけではなく、一時間前に作られた濁りビールと新鮮な生ビールが飲めます。第一ビール工場は歴史が古くて、1903年の建物が現存しています。2003年青島ビール100年記念のため、2600万元を投資して、青島ビール博物館を成立しました。第二ビール工場は新しく作られた工場で、世界最新の設備を使っています』<br /> と、続きます。ホームページには2600元と記載してありましたが、2600万元の誤記でしょう。これですと、日本円換算で約4億円ですから、現地の展示内容から見て妥当なようです。<br /> ところで、青島麦酒博物館見学の感想です。実に良く整備され、分かり易い展示でした。案内人を一切置かず、現地ガイドさんが説明をしてくれました。いい意味で、合理的な、お仕着せの無いシステムでした。<br /> 唯一、係りの方がいたのは出来立ての生ビールを注いでくれたコーナーでした。出来立ての生ビールが、これほど円やかで、きめ細かな泡を持っているとは、改めて青島麦酒の美味しさに脱帽しました。<br /> 100年前の設備を見学用に改造し、最新設備が同じ敷地内に建設されているのも、好感を持てました。最新設備があるからこそ、美味しい出来立てのビールが飲める道理です。最新設備はガラス窓越に眺めただけですが、ステンレスのタンクが使われた、ぴかぴかの工場でした。<br /> 公式ホームページの引用でも記しましたが、2003年に青島ビール工場は、創立100周年を迎えました。それを祝ってのお祝いの品が飾ってありました。通路に沿って展示された品々は、中途半端な数ではありませんでした。<br /> 国内の関係者、団体だけではなく、海外からのお祝いの品々が多くありました。何枚か撮影しましたが、写真編への掲載は割愛しました。次の黒檀の額に納められた写真等です。ホールでセレモニーが行われ、席が空いていませんでしたから、ここで生ビールを飲むのは諦めました。<br /><br /><泊まったホテルでの結婚式><br /> 青島麦酒博物館見学の後、一旦ホテルへ戻りました。夕食の時間までは少し時間があったためです。部屋へ戻り、テレビ番組をデジカメに納めながら時間を過ごしました。<br /> 待合せ場所は、ホテルのロビーでした。ソファーに座って暫く待ちましたが、その中に玄関の辺りが騒がしくなってきました。このホテルでの結婚式が、その理由である事が直ぐに分かりました。何度かエレベータに乗ったり、1階のお店を覗き回っている内に、披露宴の式場が、1階のエレベータの奥にある事が分かっていました。<br /> 玄関前に赤絨毯が敷かれ、軍楽隊が奏でる音楽が何度か流れると、新郎、新婦の車がホテルに到着しました。その時を見計らって、大きな音を立てて、赤い紙吹雪が空に舞い上がりました。その光景を眺めた後で、夕食のレストランへ向かいました。<br /><br /><火鍋の夕食><br /> マイクロバスで送って頂いたレストランは、「燕京」のネオンサインの看板がありました。今日のメニューは火鍋料理です。<br /> 中国の火鍋料理で印象が深いのは、黄龍、九寨溝旅行の帰りに立ち寄った重慶での四川風火鍋料理が、強く印象に残っています。20回以上の韓国旅行で辛い料理には慣れていましたし、むしろ大好物になっていましたから、本場の四川料理に感激しました。<br /> 話が逸れついでに、四川料理の話を続けます。上海での創作四川料理も、それ以上に強く印象に残っています。上海旅行の時には毎度立ち寄りました。今でも、その四川料理を食べるために、上海旅行をしたい思いに駆られます。ともかく、上海は私にとって、楽しい思い出が一杯詰まった宝物のようです。<br /> 話を戻します。この日の夕食は、誕生祝の方がお見えになりましたので、お祝いのケーキに蝋燭を点しての晩餐となりました。私は、5年物の紹興酒のボトルを注文して、この夜の晩餐を満喫しました。<br /><br /><br />  露店の魚市場で<br /> 黄海の恵は露店に溢たり活きし蟹あり貝も魚も<br /><br />  小魚山公園で<br /> 小魚を干たり小高きその丘に登て望む租界の屋並<br /><br />  迎賓館で<br /> 継足の毛沢東の寝台は長逗留の居間に猶在り<br /><br />  桟橋公園で<br /> 黄海の波は静かに治りぬ楼閣建る長き桟橋<br /><br />  キリスト教会で<br /> キリストの教はこの地に細々と並ぶ尖塔街に聳る<br /><br />  青島麦酒博物館で<br /> 呑み慣し青島麦酒まろやかく泡柔に至福喉越す

<2006年12月9日(土)>

 旅行2日目、この日のメモからです。「7時起床、7時30分モーニングコール、9時ホテル出発、薄曇、朝寒し」でした。早目に1階のレストランで朝食を済ませ、付近を散策して来ました。2泊3日の小旅行では、今日が一番の観光尽くしの日です。朝は冷え込みましたが、天候は上々です。冷え込んだのも、天候がいいことの証左かも知れません。

<早朝の散歩>
 モーニングコールの時間には、既に朝の仕度が済んでいましたから、早めに朝食を済ませて、付近の散策に出掛けました。ホテルから東方面には何もないようでしたから、向かったのは、昨日と同じ西側方面です。
 朝の冷え込みは厳しく、コートを羽織っての外出でした。30分程を予定していましたが、西方面への散策は早々に終えて、ホテルへ引き返しました。そのホテルの前では、朝早くから出掛ける車が、既に玄関に横付けされていました。中々立派な車ばかりでした。
 そのまま部屋に戻るのも。時間が余り過ぎましたので、ホテルの前をやり過ごし、南側方面に向かって坂を登りました。台湾路と呼ばれるホテルの前の通りです。その散歩からも早々に引き返しました。

<市場見学>
 海外旅行の際に楽しみにしているのが、市場見学です。その国の台所事情と、自然環境が透かし見えるようで、興味が尽きません。今夏の旅行でもその市場見学が組み込まれていましたから、期待していました。
 9時にホテルを出発して、その市場はさほど時間がかからない場所にありました。露店と言った方が似合う、市場でした。しかし、そこで扱われている魚介類は、今海から揚がったばかりの活きの良さでした。新鮮な魚介類で、籠が満ち溢れていました。
 写真編にも掲載しておきましたが、貝類では牡蠣、アサリ、赤貝、帆立、サザエに似た巻貝、蟹類は渡り蟹と、それより一回り小さい獰猛な種類の蟹、蝦蛄(シャコ)など、魚ではヒラメ、太刀魚、マナガツオの他、ナマコもいました。
 この小冊子を書きながら知ったことですが、黄海は有明海と類似の干潟を持ち、韓国の仁川等とも生態系が類似しているようです。その干潟が、都市化、工業化の波で近年急激に減少し、環境問題が深刻化しているようです。また、渤海と黄海は同じ大陸棚を持ち、環境保護の面では、共通の課題を抱えているようです。

<二つ目の市場見学>
 最初の市場見学を終え、更に東方面に走って、二つ目の市場見学をしました。東方面は地図で確認したわけではありませんが、右手に海が見えましたから、それで判断しました。新市街を通り越し、付近に民家も無い片田舎でした。
 その市場は、通りから坂を100m近く登った場所にありました。開いているかどうか分からない時間でしたから、全員バスに残って、現地ガイドのグーさんが、その市場へ先行されました。
 その市場の入口でグーさんがOKのサインを出されましたので、全員揃って市場見学に坂を登りました。最初の市場とは違って、鮮魚ではなく、もっぱら加工食品を販売していました。内部の写真撮影はお断りされました。同行の方は、干物や海苔等をこの市場で買い求めていました。試食の品も置いてありましたが、魚の干物は少し干し方が浅く、生臭い感じが残りましたので、買うのは止めました。

<小魚山公園>
 旅行の前に徐さんが送って頂いた旅行計画書から引用して、小魚山公園について説明しておきます。
 『小魚山公園、元々青島休止外の普通の丘でした。以前は漁民達が魚と網を干すところでしたから、こう名付けました』
 『青島旧市街の全景を眺望する最適な場所ですから、1995年に公園が建設されました。公園面積は800平方米、頂上には閣高18米、屋根には、緑色の瑠璃瓦が使われた「覧潮閣」と呼ばれる建物が建っています』
 と、紹介されていました。現在では青島の十景に選ばれたり、省クラスの風致地区にも指定されているようです。その見所を紹介します。
 まず最初に、独逸租界時代の旧市街地です。オレンジ色の屋根の市街地が四方に広がります。壁の色も白か黄色系統に統一され、落ち着いた感じの欧風の町並みです。租界時代は不幸な時代だったでしょうが、折角残った歴史遺産ですから、この後も保存されれば、観光資源として大いに役立つものとなるでしょう。
 目を南側に向けますと、匯泉湾の眺めが一望できます。青島で一番の人気があると言われる第一海水浴場は、この湾に面しています。魯迅公園も、この湾を望む西側の一角です。その中に水族館もありますが、この場所からは良く分かりませんでした。パンフレットには、覧潮閣に登れば、迎賓館、青島駅、キリスト教会、小青島、水族館、海軍博物館、青島テレビ塔が眺望できると解説されていました。

<ドイツ公邸址、迎賓館>
 次の見学地は迎賓館です。小魚山公園とは余り離れていない旧市街地の中にありました。元は独逸公邸だった由緒ある建物です。1914年の第一次世界大戦での独逸が敗戦し、独逸租界時代が終了した後も、青島は日本の占領地として、苦労の時代を迎えました。帝国主義時代の日本から返還されたのは1922年のことです。
 青島紹介の公式ホームページらしきものがありましたから、その青島紹介を引用させて頂きます。
 『本来はドイツ総督の官邸でしたから「総督楼」か「提督楼」と呼ばれていました。1930年代から当時の国民党政府要人がよく泊まりましたから、迎賓館と呼ばれ始めました』
 と、その経緯が紹介されていました。更にその建築物については、
 『この建物はドイツの著名な建築家によって設計され、1903年に着工、1908年に完成しています。高さ30m、建築面積4,080平方米の建物は、100万ドイツマルクを費やして建てられました。その総督は、お金を使いすぎて、ドイツ皇帝にも怒られ、首になったそうです。建築全体は石造りです』
 と、紹介されています。総督が首になったエピソードは、この迎賓館を説明して頂いた、日本語が達者な案内の方からもお聞きしました。更に内装については、
 『内装は絢爛豪華で、厨房、会議室、ダンスホール、食堂、寝室のほか、噴水や水槽が飾られています。ライトも大量の天然水晶と宝石を使っています。ドイツ原産のピアノと時計は迎賓館の宝物です』
 と、紹介されています。天然水晶を使った照明器具の1枚が剥がれていた理由も、現地案内のガイドさんが教えてくれました。この建物を管理していた人が1枚だけ剥がしたようでした。ピアノはスタンウェイの銘がありました。ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーと並ぶ世界の名品の中でも、トップを占めるピアノです。独逸で発祥し、アメリカにも生産拠点が置かれました。
大きな柱時計は精巧で、今も現役でした。床に置いてありました。定時になると、それぞれ異なった音色を発します。更に説明を続けます。
 『中華人民共和国成立後、1957年、中国の最高指導者毛沢東主席はここで1ヶ月も泊まり、共産党高級幹部の会議を主催しました。また、青島を訪問する外国の使節もよく泊まりました。7、8年前、一般観光客は宿泊できましたが、今は青島市の文化財として保護されています』
 と、現在に至る経緯も紹介されていました。毛沢東は身長が180センチを超える長身でしたから、毛沢東が使ったベッドは、足の部分が50センチほど継ぎ足されていました。
 建物で興味が湧いた一つは、2階にあった温室です。鉄骨を使った建築は、当時としては先駆的だったようです。今でも立派に温室として機能していました。
 黒檀の棚に収めた瑪瑙や水晶等の飾り物のほか、書画を一杯に展示した部屋も見学しました。これは新作で、販売目的でした。飾り棚単位での販売もしますとの、現地説明の方のお話でした。

<桟橋公園>
 続いて公式ホームページからの引用です。まずは桟橋の景観評価からです。
 『桟橋は旧市街の青島湾に位置している青島の最も有名な観光スポットで、青島市のシンボルとも呼ばれています。青島ビールのラベルマークも桟橋の絵を使っています』
 と、最高級の褒め方です。更にその歴史については、清朝時代に遡ります。
 『桟橋の建設は1891年(光緒17年)から始まりました。当時の清朝政府は軍需物資の運送のため、この桟橋を埠頭として建設しました。中国海軍の創始者、李鴻章に桟橋と命名されています。1897年、ドイツの占領後は軍用埠頭として使用され、ドイツ軍は桟橋をさらに沖合へと延ばして、全長は350米となりました。1931年、当時の国民党政府が、また改修して、先端に中国伝統風格の回瀾閣を建造しました、1933年には総延長440米、幅10米となったのです』
 次第と桟橋が伸びて、現在の440mになった経緯が説明されています。私見ですが、浅瀬の青島の沖合に大きな船を接岸するためには、沖合まで桟橋を伸ばす必要があったようです。説明が続きます。
 『桟橋とつながっているのは青島のもっとも人気な繁華街―中山路です。桟橋から小青島の白い灯台と中国海軍博物館の軍艦が見られます。また、桟橋の夕日はとても魅力的です。見学時間は40分前後です。先の回瀾閣には、よく珊瑚などの海洋生物展示をやりますが、入場料5元前後です』
 と、締め括ってありました。今回中国旅行を始めて同行させて頂いた山本さんと、桟橋の先端にある回瀾閣を目指しました。吹き曝しの海上ですから、さすがに少し冷たさを感じました。しかし、耐えられないような寒さのレベルではありませんでした。
 回瀾閣までの桟橋の両脇では、珊瑚や貝などのお土産店に混じって、磁石を使った人形も売られていました。9月の山西省の旅行の際に、騙されてしまった人形でした。山西省旅行の時は、瞬間の動きが面白いので、つい騙されてしまいました。その人形は、透明の紐を使ってコントロールされていました。
約束の場所と時間に全員集合し、次の見学地に向かいました。

<カトリック教会>
 青島案内の公式ホームページは「キリスト教会=基督教堂」と「カトリック教会=天主教堂」を使い分けてありましたから、この小冊子でもその例に倣うこととしました。ホテルの部屋にあった無料観光案内冊子の「青島指南」でも同じ記述でした。公式ホームページからの引用です。
 『青島にはドイツ占領時代に建てられた多くの西洋建築が点在しています。これは青島の一番魅力的な存在です。この天主教堂も有名な建築の一つとして知られています。にぎやかな中山路繁華街に聳えて、とても目立っています』
 と、その立地について説明され、教堂建設の由来については、
 『天主教は19世紀末、ドイツ占領時代にこの地に伝えられました。外来の宗教ですから、最初には中国伝統文化と衝突が発生し、1897年ドイツ宣教師が山東省で暗殺された事件を理由に、ドイツ軍は青島を占領しました。1925年には青島教区が設立され、1932年に、この教堂の建設を開始、1934年に完成しました。塔高は60米、塔上には4.5米の巨大な十字架、正面は青島花崗岩から作られた重厚な建築物となっています』
 と、説明されていました。異教との軋轢が大きな事件となり、青島が独逸に占領されたようです。帝国主義が世界を席巻していた時代です。建物は外光をふんだんに取り入れ、明るい雰囲気を持っていました。中国の現代の若い人にとって、カトリック教は無縁の教えのようです。今は、デートスポットになっていて、係りの方が見回っては、注意をしていました。そのカトリック教会の付近は大掛かりな工事中でした。その理由は、
 『中山路改造工事は完成したら、天主教会の手前には広場が出来上がり、この周辺にはバーの専用地域ができます。現代のおしゃれと歴史の重みがよく融合したら、ふさわしい雰囲気があると思います』
 と、紹介されていました。新しい観光スポットとして生まれ変わる途中でした。

<自由行動、市内散策でデパートへ>
 カトリック教会は、旧市街地を南北に伸びる中山路の東の小高い場所に建っていました。見学を終えた後、西向きに坂を下り、中山路に出ました。ここで、解散し、暫く自由行動となりました。再集合は中山路の西側に面したマクドナルドのお店と決まりました。少し風が出て冷え込みが厳しくなりました。
 中山路を北に歩くとお洒落グッズの専門店、南に下ると百貨店がありました。道路工事や、町並みを撮影した後、南側に歩くことにしました。少し冷え込んできましたから、ビルの中に入るのが一番です。
 5分と歩かない内に、百貨店のビルが見付かりました。早速入店し、地下1階へ移動しました。食料品が置いてあるとの見当でした。その見当は当たっていました。地下にはセルフサービスのお店と、これとは別の専門店がありました。
 専門店と言っても、お茶を買いたかっただけです。烏龍茶と花茶です。買い求める前に、一通り地下のお店を回りました。その中のお店の1つで、目的の品を買い求めました。買物リストを伝票に書いて頂き、それを共通のレジで支払った後で、品物を受取るシステムでした。
 買物後も、少し時間がありましたから、デパートの上の階も見学しました。エレベータではなく、エスカレータに乗って7、8階あるデパートの最上階まで登りました。
 一通り見学した後、約束の集合時間に余裕を持って、マグドナルドのお店に向かいました。

<青島麦酒博物館>
 青島は、青島ビールによって知名度が高まったとも言われています。私も、これまでの中国旅行の際は、決まってチンタオピーチュ(青島麦酒)を注文していました。置いてない場合にだけ、その他のビールか、地ビールでした。
 青島紹介の公式ホームページからの引用です。最初は、青島麦酒の生い立ちと、日本に買収された時代のことです。
 『青島ビール工場は、1903年ドイツ人によって創立された中国一番古いビール工場です。1916年日独戦争で青島を占領した日本人は、青島ビール工場を買収し始め、1945年まで29年間経営しました。ここでは朝日、麒麟麦酒を生産しました』
 1945年は、第二次世界大戦で日本が敗戦した年です。その後、
 『1949年の中国解放後、青島ビール工場は国有になり、初めて世界へ輸出を開始しました。いまの青島ビール集団は年間生産量200万トンにのぼり、中国一です』
 と、今日までの歴史が敷衍されています。ただし年間の生産量は300万トンで、世界48カ国に輸出されていると、現地でお聞きしました。次は、歴史館の説明です。
 『ビール工場見学の時、青島ビール歴史展示、ビール生産過程が見られるだけではなく、一時間前に作られた濁りビールと新鮮な生ビールが飲めます。第一ビール工場は歴史が古くて、1903年の建物が現存しています。2003年青島ビール100年記念のため、2600万元を投資して、青島ビール博物館を成立しました。第二ビール工場は新しく作られた工場で、世界最新の設備を使っています』
 と、続きます。ホームページには2600元と記載してありましたが、2600万元の誤記でしょう。これですと、日本円換算で約4億円ですから、現地の展示内容から見て妥当なようです。
 ところで、青島麦酒博物館見学の感想です。実に良く整備され、分かり易い展示でした。案内人を一切置かず、現地ガイドさんが説明をしてくれました。いい意味で、合理的な、お仕着せの無いシステムでした。
 唯一、係りの方がいたのは出来立ての生ビールを注いでくれたコーナーでした。出来立ての生ビールが、これほど円やかで、きめ細かな泡を持っているとは、改めて青島麦酒の美味しさに脱帽しました。
 100年前の設備を見学用に改造し、最新設備が同じ敷地内に建設されているのも、好感を持てました。最新設備があるからこそ、美味しい出来立てのビールが飲める道理です。最新設備はガラス窓越に眺めただけですが、ステンレスのタンクが使われた、ぴかぴかの工場でした。
 公式ホームページの引用でも記しましたが、2003年に青島ビール工場は、創立100周年を迎えました。それを祝ってのお祝いの品が飾ってありました。通路に沿って展示された品々は、中途半端な数ではありませんでした。
 国内の関係者、団体だけではなく、海外からのお祝いの品々が多くありました。何枚か撮影しましたが、写真編への掲載は割愛しました。次の黒檀の額に納められた写真等です。ホールでセレモニーが行われ、席が空いていませんでしたから、ここで生ビールを飲むのは諦めました。

<泊まったホテルでの結婚式>
 青島麦酒博物館見学の後、一旦ホテルへ戻りました。夕食の時間までは少し時間があったためです。部屋へ戻り、テレビ番組をデジカメに納めながら時間を過ごしました。
 待合せ場所は、ホテルのロビーでした。ソファーに座って暫く待ちましたが、その中に玄関の辺りが騒がしくなってきました。このホテルでの結婚式が、その理由である事が直ぐに分かりました。何度かエレベータに乗ったり、1階のお店を覗き回っている内に、披露宴の式場が、1階のエレベータの奥にある事が分かっていました。
 玄関前に赤絨毯が敷かれ、軍楽隊が奏でる音楽が何度か流れると、新郎、新婦の車がホテルに到着しました。その時を見計らって、大きな音を立てて、赤い紙吹雪が空に舞い上がりました。その光景を眺めた後で、夕食のレストランへ向かいました。

<火鍋の夕食>
 マイクロバスで送って頂いたレストランは、「燕京」のネオンサインの看板がありました。今日のメニューは火鍋料理です。
 中国の火鍋料理で印象が深いのは、黄龍、九寨溝旅行の帰りに立ち寄った重慶での四川風火鍋料理が、強く印象に残っています。20回以上の韓国旅行で辛い料理には慣れていましたし、むしろ大好物になっていましたから、本場の四川料理に感激しました。
 話が逸れついでに、四川料理の話を続けます。上海での創作四川料理も、それ以上に強く印象に残っています。上海旅行の時には毎度立ち寄りました。今でも、その四川料理を食べるために、上海旅行をしたい思いに駆られます。ともかく、上海は私にとって、楽しい思い出が一杯詰まった宝物のようです。
 話を戻します。この日の夕食は、誕生祝の方がお見えになりましたので、お祝いのケーキに蝋燭を点しての晩餐となりました。私は、5年物の紹興酒のボトルを注文して、この夜の晩餐を満喫しました。


  露店の魚市場で
 黄海の恵は露店に溢たり活きし蟹あり貝も魚も

  小魚山公園で
 小魚を干たり小高きその丘に登て望む租界の屋並

  迎賓館で
 継足の毛沢東の寝台は長逗留の居間に猶在り

  桟橋公園で
 黄海の波は静かに治りぬ楼閣建る長き桟橋

  キリスト教会で
 キリストの教はこの地に細々と並ぶ尖塔街に聳る

  青島麦酒博物館で
 呑み慣し青島麦酒まろやかく泡柔に至福喉越す

写真 30枚

テーマ:
イベント・祭り
交通手段 : 
  • 航空会社 :  中国東方航空
  • 現地移動 :  高速・路線バス / 観光バス
エリア:
中国 > 山東省 > 青島
エリアの満足度:
評価なし
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    12月9日の土曜日になりました。いつも通り、6時頃には起床しました。朝食を済ませた後の散歩です。9時出発には十分時間がありました。

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    昨日と同じように、西方面へ向かって出掛けましたが、早めにユーターンしてきました。朝の冷え込みは、かなり厳しいものでした。

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    日は既に昇っていますが、雲に隠れて、うっすらとその輪郭だけが見えます。天気予報では、昼間の最高気温も4度程度と伝えていました。

  • 500_12309513

    西方面からの散策から引き返したホテル前です。既に車で出掛ける人達がいました。さすがに立派な車ばかりです。

  • 500_12309514

    ホテルの前を通り過ごし、少し上り坂になっている海岸に続く道を南下しました。人通りは疎らでした。その通りの西方面の風景です。

  • 500_12309531

    泊まったホテルは、日本人客が良く利用するようです。道路の向いには、「刺身」「寿司」「鉄板焼」等の文字がありました。アパートを改造した店です。

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    9時にホテルを出発し、この日の市内観光です。まずは、下町の市場見学です。道路わきに質素な掘っ立て小屋が建っていました。

  • 500_12309533

    この日も冷え込んでいましたから、完全防備での観光です。コートは手放せませんし、手袋もポケットに仕舞いこみました。

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    露店と言った形容が似合う市場です。日本では見かけなくなった光景ですが、韓国旅行では、こういった市場を各地で見学しました。

  • 500_12309535

    渡り蟹です。韓国料理で大好きなのが、この蟹をキムチで浅漬けしたケジャンです。干潟が少なくなると、この蟹も品薄になりそうです。

  • 500_12309544

    大型で生きのいいシャコです。さっと塩茹ですれば、ビールのツマミに最高です。ただし、はさみで縁を切り取らないと、捌くのが大変です。

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    大雑把に「左ヒラメに右カレイ」ですから、手前の魚はカレイのようです。4、50センチはある大物です。生きのいい魚の調理の場面も見学しました。

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    渡り蟹よりは一回り小型の蟹です。鋏が縛られているところを見ますと、かなり獰猛な種類かも知れません。

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    日本でも見慣れたアサリ貝です。よく動き回っているようですから、砂や泥は吐いてしまっているようです。日本は、アサリも輸入しているようです。

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    サザエに似た巻貝ですが、別種のようです。サザエにも殻に棘がない「無棘型」がありますが、これとも形状が違うようです。小型の法螺貝風です。

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    これも日本でお馴染みの赤貝です。刺身でも美味しいですし、寿司ネタでも上等です。大きさは、ばらばらでした。

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    帆立貝のようですが、日本でお見かけするものに比べ、1周り小さいようです。インターネット情報で調べた「ホタテ稚貝」クラスです。

  • 500_12309563

    これもお馴染みの牡蠣です。天然物か養殖かは分かりませんでした。レモンを絞った生食が好きですが、こちらではその習慣は無いようです。

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    グロテスクな姿ですが、高級食材のナマコです。軽く酢で締めて戴くと美味しいですが、こちらでは火を通すか乾燥食材が一般的なようです。

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    マナガツオのようです。日本では関西より以西で食されています。手間をかけた西京焼き、ゆう庵焼きは日本酒に最高です。

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    この海産物市場では、魚類も置いてありましたが、一番多かったのは、貝類です。蟹も豊富でしたから、近くに広い干潟があるようです。

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    ぐるりと一回り、市場見学を終えて、振り返っての一枚です。朝一番の見学でしたから、地元の買い物客は、疎らでした。

  • 500_12309575

    露店の右横で。果物を売っていました。この葡萄を買おうと思いましたが、思い止まりました。洗わずに食べるのを躊躇したためです。

  • 500_12309576

    こちらは蜜柑です。葉っぱがついたものと、葉っぱ無しが分けて並べてありました。試食品もありました。葡萄と並んで、この地の特産品のようです。

  • 500_12309577

    露店市場の周りでは建設工事が進んでいました。更に開発が進めば、立ち退き問題が出てくるかも知れません。

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    お二人は、今見学してきた露店市場の感想を話されているような雰囲気です。普段見かけない生き物市場なので、びっくりされたようです。

  • 500_12309579

    朝一番の市場見学を終えて、次の見学場所までの車窓の景色です。ここはまだ、最初の市場付近です。中級か、高級住宅街のようです。

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    背景に見える山並みは、青島の東から北方面に位置するロウ山です。チンタオビールが美味しいのは、この山の湧き水を使っているからです。

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    ロウ山が、更にはっきりと見える場所です。名山と綺麗な海に挟まれたこの地区は、観光地としても、大きな可能性を秘めているようです。

  • 500_12309582

    青島に在住している外国人の数では、韓国が7万人とダントツのようです。青島市内の人口が270万人、地域全体では700万人の人口です。

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