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 99年3月4日、目を覚ますと時計の針は午前7時を回っていた。同室の人たちも大体この時間帯に起き上がっていた。長距離列車では大抵皆で朝食の食材を出し合い、ワイワイと食べるのがロシアスタイル。しかしこの朝に限っては全く様相が異なる。誰もが落ち着きなく動き、所持金を靴下や靴の中敷の下、カーテンの裏、布団の中等、あらゆる場所に隠し始めた。こうして「ささやかな武装勢力への抵抗の試み」を見ていると、車掌からはチェチェン人武装勢力にお金を要求されたら全て出すように言われたものの、私も金銭をミスミス奪われたくもないので、所持金は靴の中敷きの下や紙に包んでクシャクシャにし、あたかもゴミのように見せてカムフラージュさせ、座席下の荷物入れに捨ててあるかのようにいれ、所持金の3分の1は彼らへの「上納金」として収める腹ずもりで、来るべき時に備えた。<br /><br /> ダゲスタン領内を走り始めると、列車には連邦軍兵士や私服警官が乗り込み、車内を巡回し、彼らが厳重な警護に当たっている。そんな厳重な警備の中、本当に武装勢力が列車に現れるのだろうか? 武装勢力が現れるのが判っていながら、乗務員にもハイリスクを与えながらも、列車を走らせることがあるのだろうか? 例え野党が車内に侵入し、強盗まがいのことがあっても、これだけの警備の中で誘拐はされないだろうと、自分自身に言い聞かせようとしても、この車内の緊張感から自分自身を納得させられずにいた。<br /><br /> 車内の空気がピリピリしていた中、チェチェン領内にあと数時間後に突入する頃のことだ。皆深い溜め息をついていた。車窓を眺めていると停車する駅にも兵士が配置され、停戦中とはいえ、ダゲスタンでは「戦中」であることが雰囲気から十二分に伝わって来る。いつ停戦が破れてもおかしくない状況とはこのことを言うのだろう。実際にこの年の8月に主戦派のバサエフ派は停戦を破り、ダゲスタンに侵攻し、翌月の9月には第二次チェチェン戦争が勃発する。<br /><br />いよいよ列車はチェチェンに突入する。車内の乗客達の緊張感も上がり、誰の顔もこわばり、冗談を言うような空気はなかった。人それぞれに深いため息をついたり、神に祈ったり・・・、列車全体が重たい空気に包み込まれて、この重圧に押し潰されそうになる。時計の針が時を刻むのに比例して皆のため息の数が多くなる。<br /><br /> 午前10時過ぎ、遂にチェチェン国境に到着し、ロシア側国境で私は恐ろしい光景を目の当たりにした。列車の警護に当たっていた連邦軍兵士はもちろん、私服警官も列車から下車しはじめた―列車はチェチェン領内を丸腰で突き進むことになるのだ。ロシア連邦はチェチェンとの停戦協定でチェチェン領内から連邦軍全てを撤退させ、チェチェン共和国は事実上独立した状態となった。つまりこれまで列車を警護していた連邦軍や私服警官もチェチェン領内には及ばないのだ。なるほど、これなら間違いなく武装集団は心置きなく列車を襲撃できる・・・。しかしこんな悠長なことを考えられていたのはロシア側のゲートに差し掛かっていたときだけ、チェチェン側で列車が停車し、車両を徘徊しているチェチェン人たちを見て愕然と絶望を味わう。<br /><br /> チェチェン側の国境に列車が到着したとき、車内からは物音一つしない。まるで小羊たちが物陰に潜み、飢えた狼達が去るのを待っているかのように(因みにチェチェンの紋章は狼)。暫くすると静まり返った車内に怒鳴り声響き渡った。そして個室の扉を開けるバタンッと大きな音が聞こえる度に室内の人たちはもちろん、私もビクッ、ビクッとしていた。<br /><br /> カツカツ、と通路を複数の人が歩くブーツの音が聞こえ、自分達の個室の前で止まった。皆固唾を呑んで座席に座っていると、扉はバッ開けられ、私は振り返ると二人の青年が立っていた。腰にアーミーナイフをぶら下げ、肩にはライフルをかけ、自動小銃をこちらに構えていた10代の青年は、一人が私服、もう一人は迷彩ズボンを履いている。二人とも毛髪は赤黄色く髭を蓄え、彫りが深く眼光が鋭い−赤き狼、チェチェン人だ。<br /><br /> 彼らは扉を開けると一様に銃口を向けたまま私に目を留めた。恐らくチェチェンで余り見かけぬ人種がいたので、思わず私に目がいったのだろう。自動小銃の銃口を向けられたのは初めての事だが、この時私は緊張感を通り越し、絶望感へと気持ちが変わっていった。彼らは私を暫く見つめた後、個室をぐるりと見回し、扉を開けっ放しにし、次の個室へと移動した。彼らが立ち去ると、個室内では皆一同に深いため息をついた。<br /><br /> チェチェン国境では武装集団の他に、武装集団と同様に髭を蓄え、チェチェン共和国の紋章でもある狼の顔をあしらった、黄緑がかった迷彩服を着たチェチェン人の軍人も各車両一人配置された。チェチェンの紋章をつけているということは、チェチェン政府、つまりマスハードフ大統領派の軍人なのだろうが、ロシアの権限の届かぬチェチェン共和国では、本来彼らがチェチェンをまとめるはずなのだろうが、彼ら軍人は武装集団を取り押さえるどころか、彼らの蛮行を見て見ぬ振りをしていた。この怠慢ともとれる行為を私は当初理解できなかったが、後に車掌に聞いてわかったことだが、もし彼ら軍人が武装集団を阻止し、発砲事件になれば多くの犠牲者を出してしまう。その為彼ら軍人は列車で起きた事をチェチェン政府に報告をするだけに過ぎないのだという。更に後になってわかったことだが、穏健のマスハードフ派は、同じチェチェン人でもある主戦派のバサエフ派との対立、この他の武装勢力も乱立していたが、マスハードフ大統領は彼らに断固たる態度をとらなかった。チェチェン人同士の衝突による「血の復讐」やロシアの傀儡を恐れてと言うことだったのだが、いずれにせよこの時マスハードフ大統領派はこうした武装勢力に対して指をくわえて眺めている他なかった。その為我々乗客はチェチェン政府の軍人がいながら、武装勢力に列車はコントロールされ、我々の生命は彼らに委ねられる事となった。<br /><br />

チェチェン共和国で列車ジャック−恩人と赤き狼達 2/4 -チェチェンで列車ジャック

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1999/03/03 - 1999/03/06

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worldspan

worldspanさん

 99年3月4日、目を覚ますと時計の針は午前7時を回っていた。同室の人たちも大体この時間帯に起き上がっていた。長距離列車では大抵皆で朝食の食材を出し合い、ワイワイと食べるのがロシアスタイル。しかしこの朝に限っては全く様相が異なる。誰もが落ち着きなく動き、所持金を靴下や靴の中敷の下、カーテンの裏、布団の中等、あらゆる場所に隠し始めた。こうして「ささやかな武装勢力への抵抗の試み」を見ていると、車掌からはチェチェン人武装勢力にお金を要求されたら全て出すように言われたものの、私も金銭をミスミス奪われたくもないので、所持金は靴の中敷きの下や紙に包んでクシャクシャにし、あたかもゴミのように見せてカムフラージュさせ、座席下の荷物入れに捨ててあるかのようにいれ、所持金の3分の1は彼らへの「上納金」として収める腹ずもりで、来るべき時に備えた。

 ダゲスタン領内を走り始めると、列車には連邦軍兵士や私服警官が乗り込み、車内を巡回し、彼らが厳重な警護に当たっている。そんな厳重な警備の中、本当に武装勢力が列車に現れるのだろうか? 武装勢力が現れるのが判っていながら、乗務員にもハイリスクを与えながらも、列車を走らせることがあるのだろうか? 例え野党が車内に侵入し、強盗まがいのことがあっても、これだけの警備の中で誘拐はされないだろうと、自分自身に言い聞かせようとしても、この車内の緊張感から自分自身を納得させられずにいた。

 車内の空気がピリピリしていた中、チェチェン領内にあと数時間後に突入する頃のことだ。皆深い溜め息をついていた。車窓を眺めていると停車する駅にも兵士が配置され、停戦中とはいえ、ダゲスタンでは「戦中」であることが雰囲気から十二分に伝わって来る。いつ停戦が破れてもおかしくない状況とはこのことを言うのだろう。実際にこの年の8月に主戦派のバサエフ派は停戦を破り、ダゲスタンに侵攻し、翌月の9月には第二次チェチェン戦争が勃発する。

いよいよ列車はチェチェンに突入する。車内の乗客達の緊張感も上がり、誰の顔もこわばり、冗談を言うような空気はなかった。人それぞれに深いため息をついたり、神に祈ったり・・・、列車全体が重たい空気に包み込まれて、この重圧に押し潰されそうになる。時計の針が時を刻むのに比例して皆のため息の数が多くなる。

 午前10時過ぎ、遂にチェチェン国境に到着し、ロシア側国境で私は恐ろしい光景を目の当たりにした。列車の警護に当たっていた連邦軍兵士はもちろん、私服警官も列車から下車しはじめた―列車はチェチェン領内を丸腰で突き進むことになるのだ。ロシア連邦はチェチェンとの停戦協定でチェチェン領内から連邦軍全てを撤退させ、チェチェン共和国は事実上独立した状態となった。つまりこれまで列車を警護していた連邦軍や私服警官もチェチェン領内には及ばないのだ。なるほど、これなら間違いなく武装集団は心置きなく列車を襲撃できる・・・。しかしこんな悠長なことを考えられていたのはロシア側のゲートに差し掛かっていたときだけ、チェチェン側で列車が停車し、車両を徘徊しているチェチェン人たちを見て愕然と絶望を味わう。

 チェチェン側の国境に列車が到着したとき、車内からは物音一つしない。まるで小羊たちが物陰に潜み、飢えた狼達が去るのを待っているかのように(因みにチェチェンの紋章は狼)。暫くすると静まり返った車内に怒鳴り声響き渡った。そして個室の扉を開けるバタンッと大きな音が聞こえる度に室内の人たちはもちろん、私もビクッ、ビクッとしていた。

 カツカツ、と通路を複数の人が歩くブーツの音が聞こえ、自分達の個室の前で止まった。皆固唾を呑んで座席に座っていると、扉はバッ開けられ、私は振り返ると二人の青年が立っていた。腰にアーミーナイフをぶら下げ、肩にはライフルをかけ、自動小銃をこちらに構えていた10代の青年は、一人が私服、もう一人は迷彩ズボンを履いている。二人とも毛髪は赤黄色く髭を蓄え、彫りが深く眼光が鋭い−赤き狼、チェチェン人だ。

 彼らは扉を開けると一様に銃口を向けたまま私に目を留めた。恐らくチェチェンで余り見かけぬ人種がいたので、思わず私に目がいったのだろう。自動小銃の銃口を向けられたのは初めての事だが、この時私は緊張感を通り越し、絶望感へと気持ちが変わっていった。彼らは私を暫く見つめた後、個室をぐるりと見回し、扉を開けっ放しにし、次の個室へと移動した。彼らが立ち去ると、個室内では皆一同に深いため息をついた。

 チェチェン国境では武装集団の他に、武装集団と同様に髭を蓄え、チェチェン共和国の紋章でもある狼の顔をあしらった、黄緑がかった迷彩服を着たチェチェン人の軍人も各車両一人配置された。チェチェンの紋章をつけているということは、チェチェン政府、つまりマスハードフ大統領派の軍人なのだろうが、ロシアの権限の届かぬチェチェン共和国では、本来彼らがチェチェンをまとめるはずなのだろうが、彼ら軍人は武装集団を取り押さえるどころか、彼らの蛮行を見て見ぬ振りをしていた。この怠慢ともとれる行為を私は当初理解できなかったが、後に車掌に聞いてわかったことだが、もし彼ら軍人が武装集団を阻止し、発砲事件になれば多くの犠牲者を出してしまう。その為彼ら軍人は列車で起きた事をチェチェン政府に報告をするだけに過ぎないのだという。更に後になってわかったことだが、穏健のマスハードフ派は、同じチェチェン人でもある主戦派のバサエフ派との対立、この他の武装勢力も乱立していたが、マスハードフ大統領は彼らに断固たる態度をとらなかった。チェチェン人同士の衝突による「血の復讐」やロシアの傀儡を恐れてと言うことだったのだが、いずれにせよこの時マスハードフ大統領派はこうした武装勢力に対して指をくわえて眺めている他なかった。その為我々乗客はチェチェン政府の軍人がいながら、武装勢力に列車はコントロールされ、我々の生命は彼らに委ねられる事となった。

航空会社
アエロフロート・ロシア航空

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