2007/05 - 2007/05
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Weiwojingさん
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5月の連休を利用して、東京北区王子にある「旧渋沢栄一邸」(「暖依村荘」と名付けられていた)を訪ねました。
ちょうどこの日は、「庭園ガイドツアー」と国指定重要文化財「晩香蘆・青淵文庫」の内部公開がありました。隣接して飛鳥山公園があり、春は江戸時代から桜の名所として知られたところです。
広大な敷地に、日本の近代経済社会の基礎を築いた渋沢栄一のかっての邸宅跡や渋沢資料館があり、彼の足跡をたどることが出来ました。
※ 渋沢栄一は今やテレビドラマに言うは及ばず書籍や雑誌でも取り上げられ、話題の主と言ってよいでしょう。近く埼玉県深谷市にある彼の生家を訪ねてみたと考えています。
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JR京浜東北線王子駅からすぐ近くに飛鳥山公園があります。公園内は初夏の緑が一段と濃くなり、それらの木々のトンネルを通って旧渋沢栄一邸に向かいました。4月初旬ならばきっと桜の花がきれいでしょう。
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ここは「渋沢資料館」です。渋沢栄一に関する資料が展示され、彼の人となりや業績を広く知ることが出来ます。今までは実業家としての渋沢栄一しか知りませんでしたが、彼の家族や交友関係、文化教育事業への関わりなどを知ることが出来ました。入館料は300円です。
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旧邸内にある栄一の銅像です。元は別の場所にあったのが、ここに移されたそうです。
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邸内のあちこちにこのような苔むした古い灯篭が残っています。
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本邸(日本館と西洋館)や茶室は1945年(昭和20)の空襲で焼失し、今はありません。しかし、「晩香蘆」と「青淵文庫」だけが空襲を免れ、現存します。この建物は「晩香蘆」です。栄一の喜寿を祝い、現在の清水建設(株)が贈った和洋折衷の建物で、1917年(大正6)に田辺淳吉によって完成しました。賓客をもてなすために使われ、インドのノーベル賞受賞詩人タゴール等を迎えています。
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「晩香蘆」の名の由来については諸説あるようですが、自作の詩「菊花晩節香」から取ったとも、また「バンガロー」をもじって、栄一が付けたとも言われています。
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こちらは「青淵文庫」の建物です。栄一の傘寿と男爵から子爵への昇格を祝って彼の書生たちで作っている龍門会の会員たちが贈った図書館です。設計は「暖香蘆」と同じ田辺淳吉で、1925年(大正14)に完成しました。2階書庫に栄一の収集した論語関係の書籍を収蔵し、1階で閲覧するしつらえでしたが、ここも賓客接待の場所として使われました。
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外から見た文庫の南側です。ガラス戸の上部にはステンドグラスがはめ込まれ、周囲の壁にはきれいに装飾が施されています。
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「青淵文庫」の1階にある予備室です。
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文庫の2階へ向かう階段です。大きく半円を描いた窓が印象的です。
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こちらも2階へ向かう階段ですが、大きくカーブをえがいた曲線が人を自然と上階へ導くような形をしています。
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1階閲覧室の天井部分です。ステンドグラスが南側のガラス戸の上にはめ込まれています。
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これは1階閲覧室に作られたステンドグラスです。渋沢家の家紋である「丸に違い柏」をもとに「柏」、お祝いを表す「寿」、龍門会の名前の龍である「登り龍・下り龍」がデザインされています。
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4枚あるステンドグラスのうち左右外側2枚が、このようなシンプルなデザインになっています。
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閲覧室の天井に下げられている照明器具です。なかなか凝ったデザインです。
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「青淵文庫」には意匠をこらした様々な照明器具が見られますが、これは玄関入り口(外側)にあるものです。
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「青淵文庫」の北側から階段室のある部分を撮ってみました。
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