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山形県南部を“置賜地方”といいます。Gooの天気予報でも置賜(米沢)地方と出ます。知らなかった!この地方には何百年もの桜の木がたくさんあります。4月21日に訪問したときは一分咲き程度、まだ咲いていない桜もありました。今回リベンジしました。お陰で満開の桜でした。

置賜桜回廊 樹齢500年以上の桜が一杯

5いいね!

2007/04/29 - 2007/04/29

74位(同エリア94件中)

2

52

しんちゃん

しんちゃんさん

山形県南部を“置賜地方”といいます。Gooの天気予報でも置賜(米沢)地方と出ます。知らなかった!この地方には何百年もの桜の木がたくさんあります。4月21日に訪問したときは一分咲き程度、まだ咲いていない桜もありました。今回リベンジしました。お陰で満開の桜でした。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車

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  • 「久保桜」「伊佐沢の久保桜」長井市のHPより転記ですが・・・「天保・弘化のころは枝が40アールを覆っていたので4反桜と呼ばれ、花時には米沢藩主が来観し、樹下10アール余りの土地は明治維新まで免税地であったという。言い伝え(口碑)によると、幕末の頃、乞食が桜の根元のほこら(洞)に宿って炊事をしたところが、朽ちた部分に火が燃えついてやけどをしたので退散した。火は朽ちた部分を燃やし、養分の通う皮の部分まで焼いたので、大枝2本、その他の枝が枯れ落ちて、樹形が一変してしまったということである。乞食のたき火の事故の後、土地の人々は残った枝に支柱を立て、柵をめぐらして桜の保護を続けた。 近年は地元の有志者が保存会を組織し、支柱も60余本にしているが、老化が目立つようになった。・・・」

    「久保桜」「伊佐沢の久保桜」長井市のHPより転記ですが・・・「天保・弘化のころは枝が40アールを覆っていたので4反桜と呼ばれ、花時には米沢藩主が来観し、樹下10アール余りの土地は明治維新まで免税地であったという。言い伝え(口碑)によると、幕末の頃、乞食が桜の根元のほこら(洞)に宿って炊事をしたところが、朽ちた部分に火が燃えついてやけどをしたので退散した。火は朽ちた部分を燃やし、養分の通う皮の部分まで焼いたので、大枝2本、その他の枝が枯れ落ちて、樹形が一変してしまったということである。乞食のたき火の事故の後、土地の人々は残った枝に支柱を立て、柵をめぐらして桜の保護を続けた。 近年は地元の有志者が保存会を組織し、支柱も60余本にしているが、老化が目立つようになった。・・・」

  • 場所:山形県長井市上伊佐沢字峰屋敷2021 小学校のとなりの一角にありました。4月21日訪れたとき“花咲爺さん”の格好をしたボランティアの方に「本当に1200年ですか?」疑い深く聞きましたら「ん〜ん、ま、5・600年くらいかな?」「文献に1200年前に桜の話が載っており、大体で良いでしょう」ですって!流石(さすが)話を丸めるのが上手い。伊達に説明員ではないな!4月29日午前5時40ではカメラマンしかおりませんでした。三脚を構えて陣取り合戦、早朝の熱き戦いを繰り広げておりました。

    場所:山形県長井市上伊佐沢字峰屋敷2021 小学校のとなりの一角にありました。4月21日訪れたとき“花咲爺さん”の格好をしたボランティアの方に「本当に1200年ですか?」疑い深く聞きましたら「ん〜ん、ま、5・600年くらいかな?」「文献に1200年前に桜の話が載っており、大体で良いでしょう」ですって!流石(さすが)話を丸めるのが上手い。伊達に説明員ではないな!4月29日午前5時40ではカメラマンしかおりませんでした。三脚を構えて陣取り合戦、早朝の熱き戦いを繰り広げておりました。

  • 品種はエドヒガン。根周10.8m、目通りの幹囲8.1m、高さ約16m。根元は大きく二つに分かれています。現在西側の根元は茶色のシートに覆われて治療中です。「そのうち東側の根元も治療して地肌は隠れてしまうでしょう」と“花咲爺さん”のお話です。完全治癒は100年くらい掛かるでしょうとの事ですので、“快気祝い”は当分、あげなくてよさそうです。

    品種はエドヒガン。根周10.8m、目通りの幹囲8.1m、高さ約16m。根元は大きく二つに分かれています。現在西側の根元は茶色のシートに覆われて治療中です。「そのうち東側の根元も治療して地肌は隠れてしまうでしょう」と“花咲爺さん”のお話です。完全治癒は100年くらい掛かるでしょうとの事ですので、“快気祝い”は当分、あげなくてよさそうです。

  • 「久保桜」「伊佐沢の久保桜」

    「久保桜」「伊佐沢の久保桜」

  • 「殿(どの)入り桜」品種:エドヒガン 樹齢:約680年 樹高:約16m 周囲:約6.60m  場所:白鷹町浅立字羽黒入4396 」【置賜さくら回廊観光推進会議】のネット情報では「国道287号線、長井市と白鷹町との境より東へ約100m入った段丘地帯、古峰神社下にあり、誰が呼んだのか殿乃入(戸の入)桜というのがある。確かな文献はないが、文政12年(西暦1829年)米沢藩主斉定が下長井方面巡視のおり、ここに立ち寄られたという言い伝えがある。 昭和の初期、桜の季節には地元の茶屋が店を出し他村からも夜桜見物に訪れた全盛時代もあった。」との事です。

    「殿(どの)入り桜」品種:エドヒガン 樹齢:約680年 樹高:約16m 周囲:約6.60m  場所:白鷹町浅立字羽黒入4396 」【置賜さくら回廊観光推進会議】のネット情報では「国道287号線、長井市と白鷹町との境より東へ約100m入った段丘地帯、古峰神社下にあり、誰が呼んだのか殿乃入(戸の入)桜というのがある。確かな文献はないが、文政12年(西暦1829年)米沢藩主斉定が下長井方面巡視のおり、ここに立ち寄られたという言い伝えがある。 昭和の初期、桜の季節には地元の茶屋が店を出し他村からも夜桜見物に訪れた全盛時代もあった。」との事です。

  • 「殿入り桜」しんちゃんの情報では以前の持ち主はこの辺一体の土地をもっていた方の“ほんのひと山”でした。しかし、現在は他の方に譲られ、今の持ち主は無料で一般の方々に開放しているそうです。XXX協会・XXX観光XXXに所属すると、トイレを設置しろ、駐車場だの管理がうるさいので入部してないと聞きました。枝垂れ桜・染井吉野の木々が公園並みにありました。

    「殿入り桜」しんちゃんの情報では以前の持ち主はこの辺一体の土地をもっていた方の“ほんのひと山”でした。しかし、現在は他の方に譲られ、今の持ち主は無料で一般の方々に開放しているそうです。XXX協会・XXX観光XXXに所属すると、トイレを設置しろ、駐車場だの管理がうるさいので入部してないと聞きました。枝垂れ桜・染井吉野の木々が公園並みにありました。

  • 「原のしだれ桜」品種:エドヒガン系シダレザクラ 樹齢:約500年 樹高:約28m 周囲:約5m  場所:白鷹町浅立字小屋館4692 看板に「駐車場はXXX石材店駐車場をご利用ください!」太っ腹!現地には説明版一切無し。

    「原のしだれ桜」品種:エドヒガン系シダレザクラ 樹齢:約500年 樹高:約28m 周囲:約5m  場所:白鷹町浅立字小屋館4692 看板に「駐車場はXXX石材店駐車場をご利用ください!」太っ腹!現地には説明版一切無し。

  • 「原のしだれ桜」」【置賜さくら回廊観光推進会議】のネット情報では「南部5町内の原地区小屋館(稲荷)に、しだれ桜の巨木があります。この桜の由来は南部4町内に建立されている塔姿石様に深い関わりがあります。 塔姿石の碑面(南無阿弥陀仏)は、仙台瑞鳳寺の僧南山大和尚に酒を土産に持参し依頼したところ、一気に飲みほし書き終えたといわれる。帰途仙台の釈迦堂という所から桜の苗木を3本譲り受け、大念仏塔建立の発起人高橋与衛門氏が植えたといわれている。このように桜の木と塔姿石が結びついた伝説がある。」との事です。

    「原のしだれ桜」」【置賜さくら回廊観光推進会議】のネット情報では「南部5町内の原地区小屋館(稲荷)に、しだれ桜の巨木があります。この桜の由来は南部4町内に建立されている塔姿石様に深い関わりがあります。 塔姿石の碑面(南無阿弥陀仏)は、仙台瑞鳳寺の僧南山大和尚に酒を土産に持参し依頼したところ、一気に飲みほし書き終えたといわれる。帰途仙台の釈迦堂という所から桜の苗木を3本譲り受け、大念仏塔建立の発起人高橋与衛門氏が植えたといわれている。このように桜の木と塔姿石が結びついた伝説がある。」との事です。

  • 個人宅「新津宅」だったでしょうか?一週間前「原のしだれ桜」と間違えました。個人宅に生えている桜です。

    個人宅「新津宅」だったでしょうか?一週間前「原のしだれ桜」と間違えました。個人宅に生えている桜です。

  • 「また、来ちゃいました」と言って挨拶しましたら。「良く、来たね〜!」「本年の桜はいつもと違いさっぱり」との答えでした。「原のしだれ桜」を北側の道から探したら、きっと間違えるでしょう!

    「また、来ちゃいました」と言って挨拶しましたら。「良く、来たね〜!」「本年の桜はいつもと違いさっぱり」との答えでした。「原のしだれ桜」を北側の道から探したら、きっと間違えるでしょう!

  • 「称名寺阿弥陀堂の桜」フラワー長井線終点「荒砥駅」から東へ約600m小高い丘に称名寺お墓があります。称名寺は北へ300mくらいの場所にあります。飛び地か別院?本院のお墓が手狭になり、別荘地なのでしょうか?

    「称名寺阿弥陀堂の桜」フラワー長井線終点「荒砥駅」から東へ約600m小高い丘に称名寺お墓があります。称名寺は北へ300mくらいの場所にあります。飛び地か別院?本院のお墓が手狭になり、別荘地なのでしょうか?

  • 一週間前訪れた時は一分から二分咲きでした。一週間後の今回は満開でしたが、ちょっと花びらが少ないでした。

    一週間前訪れた時は一分から二分咲きでした。一週間後の今回は満開でしたが、ちょっと花びらが少ないでした。

  • 4月21日の「阿弥陀堂の桜」の下での写真です。一週間前の4月21日(土)朝9時半ごろ、ここを訪問しました。「称名寺阿弥陀堂の桜」は、お墓の中に立っている桜です。写真を撮りにお墓に入り、一応挨拶後、うろうろしていたら、「一本いかがでしょう?」お団子を一串いただきました。お墓参りの供養物を“おすそ分”けしていただきました。縁起物ですから断ったら失礼です。その日の朝食になりました。お話を伺ったら、おじいちゃんの5回忌との事。阿弥陀堂の桜の枝の真下が「新納(にいのう)家」のお墓でした。美人三人姉妹とお母さんでしょうか?お世話になりました。

    4月21日の「阿弥陀堂の桜」の下での写真です。一週間前の4月21日(土)朝9時半ごろ、ここを訪問しました。「称名寺阿弥陀堂の桜」は、お墓の中に立っている桜です。写真を撮りにお墓に入り、一応挨拶後、うろうろしていたら、「一本いかがでしょう?」お団子を一串いただきました。お墓参りの供養物を“おすそ分”けしていただきました。縁起物ですから断ったら失礼です。その日の朝食になりました。お話を伺ったら、おじいちゃんの5回忌との事。阿弥陀堂の桜の枝の真下が「新納(にいのう)家」のお墓でした。美人三人姉妹とお母さんでしょうか?お世話になりました。

  • 4月21日の「阿弥陀堂の桜の花」です。咲き始めはピンク色でした。「新納家」は山形では数軒しかないそうです。鹿児島のほうには「新納」(しんのう)という苗字が多いそうです。ご先祖は鹿児島から移住されたかも知れないそうです。

    4月21日の「阿弥陀堂の桜の花」です。咲き始めはピンク色でした。「新納家」は山形では数軒しかないそうです。鹿児島のほうには「新納」(しんのう)という苗字が多いそうです。ご先祖は鹿児島から移住されたかも知れないそうです。

  • これは4月29日の写真です。右側の枝の下に新納家のお墓があります。亡くなっても、お墓の上で、毎年桜が咲きます。遠く朝日連邦の残雪が眩しい、「阿弥陀堂の桜」の花でした。来年も4月21日に行って「新納家」の方々に逢いたいですね。

    これは4月29日の写真です。右側の枝の下に新納家のお墓があります。亡くなっても、お墓の上で、毎年桜が咲きます。遠く朝日連邦の残雪が眩しい、「阿弥陀堂の桜」の花でした。来年も4月21日に行って「新納家」の方々に逢いたいですね。

  • 「八乙女種まき桜」品種:エドヒガン 樹齢:約500年 樹高:約20m 周囲:約4.45m 八乙女八幡神社境内にあります。場所:白鷹町荒砥甲 神社は「荒砥城跡」石灘城・八乙女城ともいわれ、平安時代に城がありました。本殿北側に空堀の説明版内容です「荒砥城“空堀”の跡 昔、荒砥城へ登る正面の道は南であった。城の東南側には、鉤なりに“水堀”があり、あとはぐるりと“空堀”を巡らしてあった。現在地の下に、その“空堀”の一部が残っており、城の面影を忍ばせている。伝説に、この空堀はわざと荊棘(いばら)、藤等の蔓草(つるくさ)の繁茂(はんも)するにまかせ、荒砥城があ攻められた時、城内“蛇井戸”の竜神に祈ると、不思議にも井戸より水が溢れ出したちまち空掘りが水で充満され、敵の人馬を防ぎ、難攻不落の城として敵を悩ませたという」ん〜ん。やっばり伝説じゃ!

    「八乙女種まき桜」品種:エドヒガン 樹齢:約500年 樹高:約20m 周囲:約4.45m 八乙女八幡神社境内にあります。場所:白鷹町荒砥甲 神社は「荒砥城跡」石灘城・八乙女城ともいわれ、平安時代に城がありました。本殿北側に空堀の説明版内容です「荒砥城“空堀”の跡 昔、荒砥城へ登る正面の道は南であった。城の東南側には、鉤なりに“水堀”があり、あとはぐるりと“空堀”を巡らしてあった。現在地の下に、その“空堀”の一部が残っており、城の面影を忍ばせている。伝説に、この空堀はわざと荊棘(いばら)、藤等の蔓草(つるくさ)の繁茂(はんも)するにまかせ、荒砥城があ攻められた時、城内“蛇井戸”の竜神に祈ると、不思議にも井戸より水が溢れ出したちまち空掘りが水で充満され、敵の人馬を防ぎ、難攻不落の城として敵を悩ませたという」ん〜ん。やっばり伝説じゃ!

  • 「八乙女種まき桜」【置賜さくら回廊観光推進会議】のネットから“パクリ”ますと「春の苗代の種蒔きの頃に花が咲くので種蒔き桜と呼ばれてきた。八乙女八幡神社の創立は、八幡太郎義家が東征の折り日頃崇拝する京都の石清水八幡を遥拝し、この丘に弓矢を立て奉り8人の乙女に舞楽を奉させたと言われている。神社のある丘一帯は、荒砥城址として史跡に指定され本丸跡、空堀跡、水跡の一部が残っている。」との事です。

    「八乙女種まき桜」【置賜さくら回廊観光推進会議】のネットから“パクリ”ますと「春の苗代の種蒔きの頃に花が咲くので種蒔き桜と呼ばれてきた。八乙女八幡神社の創立は、八幡太郎義家が東征の折り日頃崇拝する京都の石清水八幡を遥拝し、この丘に弓矢を立て奉り8人の乙女に舞楽を奉させたと言われている。神社のある丘一帯は、荒砥城址として史跡に指定され本丸跡、空堀跡、水跡の一部が残っている。」との事です。

  • 「八乙女」境内入り口、鳥居脇に「八乙女」のかわいい銅像がありました。特別に美人二人の厳選です!

    「八乙女」境内入り口、鳥居脇に「八乙女」のかわいい銅像がありました。特別に美人二人の厳選です!

  • 「赤坂の桜」「赤坂の薬師桜」品種:エドヒガン 樹齢:約970年 樹高:約9m 周囲:6.10m 場所:白鷹町箕和田赤坂

    「赤坂の桜」「赤坂の薬師桜」品種:エドヒガン 樹齢:約970年 樹高:約9m 周囲:6.10m 場所:白鷹町箕和田赤坂

  • 「赤坂の桜」「赤坂の薬師桜」【置賜さくら回廊観光推進会議】のネットから“パクリ”ますと「赤坂より旧深山・栃窪街道入り口に位置し、おそらく古地図にある一里塚がこの場所か、桜樹の根方に町指定文化財東潮句碑があり小高い丘になっている。当地では昔から種蒔き桜として親しまれている。別名で舟つなぎの桜ともいわれている。 高玉の薬師桜と樹種も同じ薬師堂近くにあることから同年代のものとも考えられる。但し、立地条件が悪く昭和の初期に桜の南側の工場の火災で半焼している。旧栃窪街道(最上街道ともいう)はこの桜樹の下を通っていたという伝えがあり急な坂なので、薬師堂と地続きのものを堀り割って作った道のため根が張れないとも言われている。」ま、現地のたて看板も同じ意味が載ってました。

    「赤坂の桜」「赤坂の薬師桜」【置賜さくら回廊観光推進会議】のネットから“パクリ”ますと「赤坂より旧深山・栃窪街道入り口に位置し、おそらく古地図にある一里塚がこの場所か、桜樹の根方に町指定文化財東潮句碑があり小高い丘になっている。当地では昔から種蒔き桜として親しまれている。別名で舟つなぎの桜ともいわれている。 高玉の薬師桜と樹種も同じ薬師堂近くにあることから同年代のものとも考えられる。但し、立地条件が悪く昭和の初期に桜の南側の工場の火災で半焼している。旧栃窪街道(最上街道ともいう)はこの桜樹の下を通っていたという伝えがあり急な坂なので、薬師堂と地続きのものを堀り割って作った道のため根が張れないとも言われている。」ま、現地のたて看板も同じ意味が載ってました。

  • 「赤坂の桜」「赤坂の薬師桜」

    「赤坂の桜」「赤坂の薬師桜」

  • 「子守堂の桜」現場の説明板です「子守堂跡と子守桜 この桜は置賜桜回廊の一つ“子守堂の桜”である。樹齢1020年、高さ19m、幹回り約7.15m。この場所は鮎貝城跡の一角で“子守堂”とは昔、桜の側に子守堂の祠を建てて籠守大明神を勧請したことに由来する。またこの地を治めた本庄家の子守にまつわる伝説が今も残っている」

    「子守堂の桜」現場の説明板です「子守堂跡と子守桜 この桜は置賜桜回廊の一つ“子守堂の桜”である。樹齢1020年、高さ19m、幹回り約7.15m。この場所は鮎貝城跡の一角で“子守堂”とは昔、桜の側に子守堂の祠を建てて籠守大明神を勧請したことに由来する。またこの地を治めた本庄家の子守にまつわる伝説が今も残っている」

  • 「子守堂の桜」説明版からのコピーです「鮎貝本庄家三代義長公(1721〜1745年)の子供は、いずれも早世であったが、ある子守を雇ってから子供はすくすくと育つようになり、三女以津子だけが残りその後は家系の絶えることがなかったという。ある時子守はこの桜の木の根元に草履をぬぎ突然と消え城に戻らなかった。人々は子供が地蔵に化身したのだろうと考え祠(ほこら)を建てて祀ったのがこのお堂だといわれている」だそうです。

    「子守堂の桜」説明版からのコピーです「鮎貝本庄家三代義長公(1721〜1745年)の子供は、いずれも早世であったが、ある子守を雇ってから子供はすくすくと育つようになり、三女以津子だけが残りその後は家系の絶えることがなかったという。ある時子守はこの桜の木の根元に草履をぬぎ突然と消え城に戻らなかった。人々は子供が地蔵に化身したのだろうと考え祠(ほこら)を建てて祀ったのがこのお堂だといわれている」だそうです。

  • 【相応院門前の桜】…名前が無いので、しんちゃんが名付けました。「子守堂の桜」の西側に負けるとも劣らない立派な桜の木でした。桜の下の説明版には「相応院(真言宗)応永5年(1398年)初代城主鮎貝成宗が相応院を開基。道智上人が開山。道智上人は黒鴨から大井沢を経て湯殿山までの道を拓いた。今も“道智道”と呼ばれている。境内には道智碑、院内にはゆかりの笈(おい)など貴重な宝物が残されている。また近くの愛宕山の下には伝説にまつわる笈掛石がある」と?の番号が振られ、真新しい、立て札がありました。

    【相応院門前の桜】…名前が無いので、しんちゃんが名付けました。「子守堂の桜」の西側に負けるとも劣らない立派な桜の木でした。桜の下の説明版には「相応院(真言宗)応永5年(1398年)初代城主鮎貝成宗が相応院を開基。道智上人が開山。道智上人は黒鴨から大井沢を経て湯殿山までの道を拓いた。今も“道智道”と呼ばれている。境内には道智碑、院内にはゆかりの笈(おい)など貴重な宝物が残されている。また近くの愛宕山の下には伝説にまつわる笈掛石がある」と?の番号が振られ、真新しい、立て札がありました。

  • 「山口奨学桜」現地の説明版からです「この地は、元、山口村小学校の跡地にして、明治26年時の校長、小嶋太栄治氏の御厚志による学校基本財資金を以て子弟の教育の向上、充実を目的として奨学田をつくる。明治44年10月、小嶋奨学田碑を建立、その記念に一本の桜を植樹す。樹齢88年の年、山口地区民教育のよりどころ、地域づくりのこ心にと念じ、山口奨学桜と命名す。平成11年8月吉日山口区、山口環境整備委員会」

    「山口奨学桜」現地の説明版からです「この地は、元、山口村小学校の跡地にして、明治26年時の校長、小嶋太栄治氏の御厚志による学校基本財資金を以て子弟の教育の向上、充実を目的として奨学田をつくる。明治44年10月、小嶋奨学田碑を建立、その記念に一本の桜を植樹す。樹齢88年の年、山口地区民教育のよりどころ、地域づくりのこ心にと念じ、山口奨学桜と命名す。平成11年8月吉日山口区、山口環境整備委員会」

  • 「山口奨学桜」東側からの雄姿

    「山口奨学桜」東側からの雄姿

  • 「十二の桜」品種:エドヒガン 樹齢:400年 場所:白鷹町山口字山際 現地の説明板より「なぜ“十二”なのか?“十二の桜”とは、一口に言えば山際薬師堂建立との関連で十二神堂が建てられ、そこに植えられた桜なので呼称されたものであろう。然らば、十二神堂とはそも何なのであろうか。それは、薬師如来の護法善神であり、薬師如来を信ずる者を守護する神であり、本尊は十二体の木像である。その新堂がこの地にあったと思われる。安政六年(1859年)山口村水張(土地台帳)に、小字十二神とこの地を定めて居る。少なくともその頃までは、十二神堂が現存したものと思われる。下って、明治九年(1876年)山口村地籍には神の字が消えて、十二とのみ字名が記されている。いつの日からか十二神堂が廃堂となったものであろう。今、十二神像は山際薬師如来堂内の一隅に安置されている」・・・写真からの模写は疲れる!!

    「十二の桜」品種:エドヒガン 樹齢:400年 場所:白鷹町山口字山際 現地の説明板より「なぜ“十二”なのか?“十二の桜”とは、一口に言えば山際薬師堂建立との関連で十二神堂が建てられ、そこに植えられた桜なので呼称されたものであろう。然らば、十二神堂とはそも何なのであろうか。それは、薬師如来の護法善神であり、薬師如来を信ずる者を守護する神であり、本尊は十二体の木像である。その新堂がこの地にあったと思われる。安政六年(1859年)山口村水張(土地台帳)に、小字十二神とこの地を定めて居る。少なくともその頃までは、十二神堂が現存したものと思われる。下って、明治九年(1876年)山口村地籍には神の字が消えて、十二とのみ字名が記されている。いつの日からか十二神堂が廃堂となったものであろう。今、十二神像は山際薬師如来堂内の一隅に安置されている」・・・写真からの模写は疲れる!!

  • 「十二の桜」説明板からです「いつ誰が植えられたものだろうか。この桜を植えられた年代等について記載された文献など定かなものは無い。只、伝説等を詳細整理して見ると、現存する桜樹は三代目の根生え樹と言われている。蚕桑村の郷土誌(昭和47年発行)を参考に検討すると、次のような姿が浮かんでくる。即ち、平安後期(1120年頃)今から約870年前、藤原安親(横越太郎鮎貝氏の祖)が下長井の庄司として当地を支配した時代彼は政治の基本を仏教に置き、各地に薬師堂等を盛に建立し、同じ樹種のエドヒガン桜を植えられたものであろう。(高玉薬師桜、鮎貝西口の桜、伊佐沢久保桜等数多い)尚、山際薬師如来堂境内の老巨杉薬師杉もこの桜と同年代のものと思われる」

    「十二の桜」説明板からです「いつ誰が植えられたものだろうか。この桜を植えられた年代等について記載された文献など定かなものは無い。只、伝説等を詳細整理して見ると、現存する桜樹は三代目の根生え樹と言われている。蚕桑村の郷土誌(昭和47年発行)を参考に検討すると、次のような姿が浮かんでくる。即ち、平安後期(1120年頃)今から約870年前、藤原安親(横越太郎鮎貝氏の祖)が下長井の庄司として当地を支配した時代彼は政治の基本を仏教に置き、各地に薬師堂等を盛に建立し、同じ樹種のエドヒガン桜を植えられたものであろう。(高玉薬師桜、鮎貝西口の桜、伊佐沢久保桜等数多い)尚、山際薬師如来堂境内の老巨杉薬師杉もこの桜と同年代のものと思われる」

  • 「十二の桜」説明板からです「平安の時代から平成まで870年、幾多の風雪を経て、しかも三代に亘り確実に成長をくり返してきた生命力に、我々は深く教えられるものがある。昭和九年(1934年)冬の大豪雪被害をうけ、且(か)つて全国桜名木番附東前頭筆頭(雑誌家の光)にあった名木十二の桜(二代目)も老衰し、その根生えの三代目が後を継ぎ現在に至った。平成の時代に入り、地域の人々が郷土愛に燃え、十二の桜保存会(昭和二十二年結成)に活を入れ、関係各位の力強い御賛同御協力を得て、十二の桜公園の整備を図った。使命を終えた初代かすかに古姿を残す二代目もさぞ満足であろう。そして、この三代目は力強く往時の全盛期を凌(しの)ぐ大桜樹と成って、後世の人々の目と心を和まして呉れることでしょう」今まで読んだことの無い感無量の説明でした。

    「十二の桜」説明板からです「平安の時代から平成まで870年、幾多の風雪を経て、しかも三代に亘り確実に成長をくり返してきた生命力に、我々は深く教えられるものがある。昭和九年(1934年)冬の大豪雪被害をうけ、且(か)つて全国桜名木番附東前頭筆頭(雑誌家の光)にあった名木十二の桜(二代目)も老衰し、その根生えの三代目が後を継ぎ現在に至った。平成の時代に入り、地域の人々が郷土愛に燃え、十二の桜保存会(昭和二十二年結成)に活を入れ、関係各位の力強い御賛同御協力を得て、十二の桜公園の整備を図った。使命を終えた初代かすかに古姿を残す二代目もさぞ満足であろう。そして、この三代目は力強く往時の全盛期を凌(しの)ぐ大桜樹と成って、後世の人々の目と心を和まして呉れることでしょう」今まで読んだことの無い感無量の説明でした。

  • 「十二の桜」説明板からです。「結び 十二の桜は、薬師信仰と一体のものと思われる。平安末期の乱れた京の姿を見た安親は、一族が礎(いしず)いた奥州平泉文化にあこがれたのも当然であろう。また、そこには病苦災厄な百花乱れ咲き、霊鳥法音を発する浄土世界を建設されたとされる。薬師瑠璃光如来を信仰されたのも理解出来る。百花乱れ咲く文化の里の願いを込めて植えられた十二の桜と思えてならない。公園整備にかける村人の姿を見るとき、その昔植えられた人の心と同じ心に思えるのは筆者だけであろうか・平成三年八月吉日 十二の桜保存会」再び感無量、筆者とやらに逢って見たいです。

    「十二の桜」説明板からです。「結び 十二の桜は、薬師信仰と一体のものと思われる。平安末期の乱れた京の姿を見た安親は、一族が礎(いしず)いた奥州平泉文化にあこがれたのも当然であろう。また、そこには病苦災厄な百花乱れ咲き、霊鳥法音を発する浄土世界を建設されたとされる。薬師瑠璃光如来を信仰されたのも理解出来る。百花乱れ咲く文化の里の願いを込めて植えられた十二の桜と思えてならない。公園整備にかける村人の姿を見るとき、その昔植えられた人の心と同じ心に思えるのは筆者だけであろうか・平成三年八月吉日 十二の桜保存会」再び感無量、筆者とやらに逢って見たいです。

  • 「十二の桜」は山際農村公園の中にあります。一角に地元の方々が漬物と少々の“おやつ”を販売していました。「当売店の夜中のかいもちはそば粉百%です」なんだこりゃ??“そばがき”ですが、柔らかく、ふっくら、“えごま”“くるみ”“納豆”の中から納豆を頂きました。200円安い!

    「十二の桜」は山際農村公園の中にあります。一角に地元の方々が漬物と少々の“おやつ”を販売していました。「当売店の夜中のかいもちはそば粉百%です」なんだこりゃ??“そばがき”ですが、柔らかく、ふっくら、“えごま”“くるみ”“納豆”の中から納豆を頂きました。200円安い!

  • 「御衣黄桜」まだまだ蕾でした。染井吉野の手前にある桜の木です。

    「御衣黄桜」まだまだ蕾でした。染井吉野の手前にある桜の木です。

  • 「薬師桜」品種:エドヒガン 樹齢:約1200年 樹高:15m 周囲:8m 場所:白鷹町高玉

    「薬師桜」品種:エドヒガン 樹齢:約1200年 樹高:15m 周囲:8m 場所:白鷹町高玉

  • 「薬師桜」ま・どこにも伝説が飛びかっていますが、【置賜さくら回廊観光推進会議】の情報によりますと・・・「大枝を遠く伸ばし樹冠が辺りを覆った往時の姿はないが、隆々とした樹肌のこぶが、よじれながら起伏する回り8メートルの巨きな幹は、見る人を圧倒する貫禄がある。この桜にも征夷大将軍、坂上田村麻呂にまつわる悲恋の伝説が残されている。征夷の戦いに人の世の哀れを感じた将軍が夜な夜な吹き続ける笛の調べに引き寄せられた美しい娘が、やがて将軍の子を宿す。娘は近くの沼に住む大蛇であり、月満ちて黄金の太刀を産むが、将軍は誤ってその黄金の太刀で大蛇を切り殺してしまった。 その娘を哀れんで将軍が手植えしたのがこの薬師桜と言う。」だそうです!読まなければ良かった!!

    「薬師桜」ま・どこにも伝説が飛びかっていますが、【置賜さくら回廊観光推進会議】の情報によりますと・・・「大枝を遠く伸ばし樹冠が辺りを覆った往時の姿はないが、隆々とした樹肌のこぶが、よじれながら起伏する回り8メートルの巨きな幹は、見る人を圧倒する貫禄がある。この桜にも征夷大将軍、坂上田村麻呂にまつわる悲恋の伝説が残されている。征夷の戦いに人の世の哀れを感じた将軍が夜な夜な吹き続ける笛の調べに引き寄せられた美しい娘が、やがて将軍の子を宿す。娘は近くの沼に住む大蛇であり、月満ちて黄金の太刀を産むが、将軍は誤ってその黄金の太刀で大蛇を切り殺してしまった。 その娘を哀れんで将軍が手植えしたのがこの薬師桜と言う。」だそうです!読まなければ良かった!!

  • 「薬師桜」現場の説明板です「薬師ザクラ 町内に現存する桜の老木の中で、最も風格のあるもののひとつである。薬師堂も薬師ザクラも現在のところ正確な由来がわかっていない。西の方に“観音堂”の地名があり、現在、東高円福寺にある観音様“県指定有形文化財”は、その昔観音堂の地にあったものといわれている。老衰が著しいが、精力の旺盛な頃は枝ぶりもよく、広い面積に枝を張り、見事なものであったという。今も花盛りには貫禄を示して、人々の目を楽しませてくれる○樹種エドヒガン○幹囲約8m平成四年九月 白鷹町教育委員会」

    「薬師桜」現場の説明板です「薬師ザクラ 町内に現存する桜の老木の中で、最も風格のあるもののひとつである。薬師堂も薬師ザクラも現在のところ正確な由来がわかっていない。西の方に“観音堂”の地名があり、現在、東高円福寺にある観音様“県指定有形文化財”は、その昔観音堂の地にあったものといわれている。老衰が著しいが、精力の旺盛な頃は枝ぶりもよく、広い面積に枝を張り、見事なものであったという。今も花盛りには貫禄を示して、人々の目を楽しませてくれる○樹種エドヒガン○幹囲約8m平成四年九月 白鷹町教育委員会」

  • 「釜の越桜」樹齢800年のエドヒガンザクラ.<br /> 説明版より「遥かな時代をこえ、人々に愛し育(はぐく)まれてきた銘木である。「釜(かま)の越(こし)」は古い地名である。樹下に立つ三個の無銘巨石はには、八幡太郎義家が居陣した時に、この石で竈(かまど)を築き、兵糧(ひょうろう)を炊いたとの伝説がある。開花時期は4月25日頃。ややうつむきながら咲く薄紅色の可憐な花の姿は、見る人々を楽しませてくれる」・・・白鷹町教育委員会

    「釜の越桜」樹齢800年のエドヒガンザクラ.
    説明版より「遥かな時代をこえ、人々に愛し育(はぐく)まれてきた銘木である。「釜(かま)の越(こし)」は古い地名である。樹下に立つ三個の無銘巨石はには、八幡太郎義家が居陣した時に、この石で竈(かまど)を築き、兵糧(ひょうろう)を炊いたとの伝説がある。開花時期は4月25日頃。ややうつむきながら咲く薄紅色の可憐な花の姿は、見る人々を楽しませてくれる」・・・白鷹町教育委員会

  • 左「釜の越桜」右「勝彌桜」白鷹町高玉3524-1 釜の越農村公園内 西側の石碑説明です「遥かな時代を越えて風雪に耐え、春ごとに淡紅の可憐な花を咲かせ里人達を楽しませた。最盛期の樹高20m、幹周り6m余、枝張27m四方に及び県内随一の威容を誇った。・・・・略」

    左「釜の越桜」右「勝彌桜」白鷹町高玉3524-1 釜の越農村公園内 西側の石碑説明です「遥かな時代を越えて風雪に耐え、春ごとに淡紅の可憐な花を咲かせ里人達を楽しませた。最盛期の樹高20m、幹周り6m余、枝張27m四方に及び県内随一の威容を誇った。・・・・略」

  • 右から「釜の越桜」「勝彌桜」「二世桜」石碑より「平成元年よりエドヒガン桜保存増殖会の有志が本樹と薬師桜の純血を伝える二世桜苗木の育成を行い、試行錯誤の末、約千本の苗木生産に成功し県内外に領布植樹された。西側の二世桜は平成五年に植樹したものである。 釜の越桜乃碑  白鷹町長 紺野貞夫郎書」とありました。

    右から「釜の越桜」「勝彌桜」「二世桜」石碑より「平成元年よりエドヒガン桜保存増殖会の有志が本樹と薬師桜の純血を伝える二世桜苗木の育成を行い、試行錯誤の末、約千本の苗木生産に成功し県内外に領布植樹された。西側の二世桜は平成五年に植樹したものである。 釜の越桜乃碑  白鷹町長 紺野貞夫郎書」とありました。

  • 「勝彌桜」“釜の越桜”北側にある樹齢80年のエドヒガン桜、影山勝彌翁が釜の越桜の実生を植えたそうです。【どこの誰だか知らないけれど、石碑にそう書いてあった!】

    「勝彌桜」“釜の越桜”北側にある樹齢80年のエドヒガン桜、影山勝彌翁が釜の越桜の実生を植えたそうです。【どこの誰だか知らないけれど、石碑にそう書いてあった!】

  • 「釜の越桜」

    「釜の越桜」

  • 「白兎のしだれ桜」場所:長井市白兎2286 葉山神社境内 品種:枝垂れ桜 樹齢 120年〜140年 樹高:16.1m

    「白兎のしだれ桜」場所:長井市白兎2286 葉山神社境内 品種:枝垂れ桜 樹齢 120年〜140年 樹高:16.1m

  • 「白兎のしだれ桜」長井商工会議所HPから“パクリ”ますと「江戸末期から明治初年の頃、現在の葉山神社の宮司獄本邦丸氏の敷地内に、獄本氏の先祖獄本竹丸氏が、白兎地区の全神社を合祀した際、記念に植えたもので(日本三十三枝垂桜)の1つです」との事です。表題の500年以上から逸脱しますが、一本くらい許して!誇大広告、針小棒大、大言壮語、羊頭狗肉は世の常。写真を載せない手もあったが、正直者のしんちゃんでした。表題は少々訂正させていただきました。

    「白兎のしだれ桜」長井商工会議所HPから“パクリ”ますと「江戸末期から明治初年の頃、現在の葉山神社の宮司獄本邦丸氏の敷地内に、獄本氏の先祖獄本竹丸氏が、白兎地区の全神社を合祀した際、記念に植えたもので(日本三十三枝垂桜)の1つです」との事です。表題の500年以上から逸脱しますが、一本くらい許して!誇大広告、針小棒大、大言壮語、羊頭狗肉は世の常。写真を載せない手もあったが、正直者のしんちゃんでした。表題は少々訂正させていただきました。

  • 「白兎のしだれ桜」

    「白兎のしだれ桜」

  • 「草岡の大明神桜」

    「草岡の大明神桜」

  • 「草岡の大明神桜」長井市草岡694 (横山 堯宅 敷地内)樹齢 1200年 品種はエドヒガン。根周10.91m、高さ約18.8m。

    「草岡の大明神桜」長井市草岡694 (横山 堯宅 敷地内)樹齢 1200年 品種はエドヒガン。根周10.91m、高さ約18.8m。

  • 「草岡の大明神桜」長井市にはこの「草岡の大明神桜」と「伊佐沢の久保桜」が国指定天然記念物に指定されています。【単一市区町村に国指定天然記念物の桜が2本もあるのは、日本で唯一長井市だけです!!】と威張って長井市のHPに書いてありました。(威張っているわけではないでしょうが・・・)<br />

    「草岡の大明神桜」長井市にはこの「草岡の大明神桜」と「伊佐沢の久保桜」が国指定天然記念物に指定されています。【単一市区町村に国指定天然記念物の桜が2本もあるのは、日本で唯一長井市だけです!!】と威張って長井市のHPに書いてありました。(威張っているわけではないでしょうが・・・)

  • 「草岡の大明神桜」にて売店がありました。“ございまん”“せいさいまん”なんだこりゃ??漬物の入った饅頭が“せいさいまん” 山菜の入った饅頭が“ございまん”でいいのかな?黒いほうの“ございまん”を一個いただきました。饅頭であって甘くなく、ほかほかなんとも言えない味でした。

    「草岡の大明神桜」にて売店がありました。“ございまん”“せいさいまん”なんだこりゃ??漬物の入った饅頭が“せいさいまん” 山菜の入った饅頭が“ございまん”でいいのかな?黒いほうの“ございまん”を一個いただきました。饅頭であって甘くなく、ほかほかなんとも言えない味でした。

  • 「草岡の大明神桜」近くの「古代の岡」ストーンサークル

    「草岡の大明神桜」近くの「古代の岡」ストーンサークル

  • 埴輪がデカイ!

    埴輪がデカイ!

  • 「草岡の大明神桜」近くの「古代の岡」内の“縄文そばの館”もりそば600円 見た通り、値段、味、量、普通でした。

    「草岡の大明神桜」近くの「古代の岡」内の“縄文そばの館”もりそば600円 見た通り、値段、味、量、普通でした。

  • 飯豊町にて野生のサルがいました。道路脇にて10匹以上。小猿が木の若芽を食べていました。

    飯豊町にて野生のサルがいました。道路脇にて10匹以上。小猿が木の若芽を食べていました。

  • 飯豊町から飯豊連邦を眺める。20Km以上あります。置賜桜回廊記終了です。約600枚の中から厳選でした。

    飯豊町から飯豊連邦を眺める。20Km以上あります。置賜桜回廊記終了です。約600枚の中から厳選でした。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • マキタンさん 2007/05/03 11:08:28
    櫻の名木紹介 ありがとう!
    しんちゃんさん こんにちは いい旅していますね!

    昨日、毎日旅行の日帰りツアーに参加しました。ベテラン添乗員が置賜街道のサクラのことが印象的・・ぜひお勧め・・と言っていました。

    この旅行記でその姿・形がわかり、嬉しかったです。もちろん1票!
    解説も丁寧で役立ちます。ありがとう!

    しんちゃん

    しんちゃんさん からの返信 2007/05/04 14:55:10
    RE: 櫻の名木紹介 ありがとう!
    こんにちは!ゴールデンウィーク真っ最中!何していますか?置賜桜街道ご覧下さってありがとうございます。わたくしも本年、初めて訪問しました。しかも4月に、二度もです!!地図が頭から離れません。来年まで持てばいいですが・・・マキタンさんのバスの旅はいかがだったでしょうか?昨夜「津川の狐の嫁入り行列」を見学、夜遅く帰宅(午前1時過)、今第一部UP終了しました。あわせてご覧下さい。こちらもお勧めです。来年現地でキツネになって逢いましょう!どちらが騙すか、騙されるか?

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