2006/10/18 - 2006/10/23
77134位(同エリア79537件中)
コマエさん
父島3日目。小笠原父島といえば戦中に根拠地隊があった場所なので、観光の初日には戦跡ツアーを選択。
前日に宿から電話をかけて予約しました。
当日は宿まで迎えに来てくれます…が!その日の参加者は私ひとりで、マンツーマン講義のようでした。
PR
-
夜明山から二見湾を望む。
おが丸が見えます。対岸の先には昨日行った自衛隊基地が。
ここまではジャングルの中を歩いてやってきました。 -
北西の方向。
ぽっこり出ている島のような場所が洲崎で昔海軍飛行場があった場所。
宿泊している扇浦は、ちょうどくぼみあたりにあります。
海がエメラルドグリーンになっている場所には、戦中に座礁した濱江丸。
…なんでも見えるなー。 -
石積みは戦中の防御用。ここは見張り場だったそう。
-
残っている高射砲。
高射砲…ということは陸軍のものでしょうか。 -
高射砲が向いている方向。今はこんなに穏やかなのにな。
ところで今残っている高射砲は出入り口がふさがれていたり、分かりづらい場所にあるものだそうで、岩を登ったりロープをつたって降りたり…などとサバイバル感溢れてハードな旅です。 -
別の高射砲を中から。
いくつもの壕の中を歩いて通り抜けたりしましたが、奥の方は真っ暗で要懐中電灯です。
最初は怖かったけど、しょうゆびんがあったりカバンなどをつるす釘があったり棚の跡が残っていたり、生活の場だったんだな、という印象を強く受けました。 -
こんな景色のいい場所でお昼。
静かで気持ちがいい。 -
小笠原固有種、マルハチ。
-
森の中から空を仰ぐ。
いつもはこんな風に空が見えないほどに木々が茂っているそうですが、台風でだいぶ持っていかれてしまったとか。 -
こちらも軍の建物。
建築物として頑丈な造りをしているらしく、本土から大学のフィールドトリップとして学生が来たほどとのお話。 -
軍が使っていたトロッコのレール。
軍道とか炊事場跡とか食器がいたる所にあり、父島全体が要塞として使われているのが実感できるようでした。
海軍と陸軍が入り乱れている感じ。 -
文字が残っている高射砲。昭和十六年か…。開戦直後でしょうか。
-
壕の入口。食糧庫として使われていた壕とのことで、入口が物凄く狭く、おまけにかなりのカムフラージュ。
反対に、通信隊の壕は通信機器を入れるために車が通れそうなほど広かったです。
いずれにしろ暗いので、隊長でも壕が嫌いで外に寝起きする小屋を建てた人がいたとのこと。 -
食糧庫の壕の上。見張り場だったらしいけど、かなり開けた場所で怖いなあ。
あまりにも敵の飛行機が沢山通るので、頭に来てここから三八銃で飛行機を撃った(!)そうです。
その話を裏付けるかのように、当時の薬莢が落ちていました。ドキドキした。 -
陸軍通信所。
戦後もここに電話の通信設備があったとのこと。今は廃墟で、近くにはヤギしかいませんでした。 -
落ちていたタコノキの実。ナタで割ってもらい、試しに食べてみることに。
白い部分を食べます。うっすら甘いコーンのような感じでした。 -
山を出て北に向かい、ウェザーステーションへ。夕陽がきれいに見える場所だそうですが、まだだいぶ早かった。
-
小港海岸。
ツアー終了後に扇浦からひたすら歩いて1時間弱。遠浅の海でした。
…なんか到着までが大変で、かえって現地の印象が薄くなってしまいました…。 -
境浦海岸。
小港からは楽してバスで来ちゃいました。歩いたらあんなに大変だったのに、バスではほんの一瞬。
浜はやっぱりサンゴで埋もれています。 -
境浦から洲崎方面。手前にほぼ沈んでいる濱江丸。
-
夕暮れ。
-
こちらは扇浦海岸の夕暮れ。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
22