2006/03/25 - 2006/03/29
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去る、2006(平成18)年3月25日~29日まで、北朝鮮へ行って来ました。
前月の2月15日~19日には韓国へ行っており、今回の朝鮮旅行で、「朝鮮半島南北制覇」を成し遂げました。
この訪朝体験記では、訪朝を決意した動機から始まり、出発から帰国までの旅行内容、訪朝を通じて学んだ事等を執筆しましたので、御一読頂ければと思います。
写真は下部に掲載してあります。
誰もが知っている通り、北朝鮮は韓国と敵対する、朝鮮戦争による未解決分断国家です。
日本が植民地から解放後、旧ソ連とアメリカが占領した事により、同じ民族同士の争いが起きました。
争いのきっかけは、日本の植民地から解放された後、独立国としての政治体制を決める際、社会主義派(朝鮮民主主義人民共和国)と資本主義派(大韓民国)に意見が分かれた事です。
それを、アメリカと旧ソ連が煽り、朝鮮戦争が勃発しました。
直接争ったのは韓国と北朝鮮ですが、アメリカと旧ソ連の代理戦争でもあったのです。
現在でも朝鮮戦争にピリオドは打たれていません。
現在は休戦状態であり、物理的な攻撃こそ加えていないものの、軍事境界線での睨み合いは続いています。
半世紀以上も続いている朝鮮戦争ですが、一体いつまで続くのでしょうか?
南北統一国家として復活するのか、南北が和解した後、それぞれが正式な独立国家となるのか、それとも、このまま半永久的に朝鮮戦争は続くのか、非常に気になるところです。
あまり考えたくない事ですが、消えかかった火に油が注がれ、戦争が再開される可能性も、無きにしも非ずです。
私が北朝鮮へ行く決意をした動機は、韓国へ何度も足を運んでいるうちに、南北の違いを肉眼で確かめたくなった事と、外国旅行の行き先として馴染みがない国だけに、非常に興味をそそられたからです。
我国日本では、北朝鮮については悪い報道ばかりされており、良いイメージが持たれていません。
完全なでたらめではないにせよ、情報には上塗りされた部分、同時に隠された部分が多く、情報だけで全てを知り得る事は出来ません。
現在の北朝鮮は、昔と比べれば開放的であり、鎖国としてのイメージは和らいでいますが、それでもまだまだ謎が多く、独特な雰囲気が漂った国です。
そんな独特な国へ何故行ってみたいの?と思われるかも知れませんが、独特だからこそ行ってみる価値があると思ったのです。
拉致問題を始めとし、大韓航空機爆破事件や、テポドン発射や核実験等、何かと不祥事が多い異質な国ですが、あくまでもそれはそれ、これはこれと切り離し、純粋に観光旅行を楽しもうと考えました。
観光では表面しか見えず、真実を知る事は出来ませんが、実際に足を踏み入れれば、一応の雰囲気を感じ取る事が出来ます。
「百聞は一見に如かず」です。
しかし正直なところ、国が国なだけに、恐怖と不安な気持ちを隠せず、かなり躊躇していました。
不安を消し去るため、色々な人の朝鮮旅行のブログを読んだり、ブログの執筆者にメールで質問をしたりし、事前にしっかりと下調べをしました。
どの人の旅行ブログを読んでも、危険な事に遭遇した内容は書かれておらず、楽しかった内容ばかり綴られており、返信メールを読んでも、「全然恐くなかったですよ」、「とても楽しかったですよ」との事でした。
それだけ下調べをしても、実際に決行するまでは、些かの恐怖と不安は残されていましたが、勇気を振り絞って訪朝を決意しました。
さぁ❗いよいよ出発です。
3月25日、7時35分発の便で羽田空港を発ち、1時間少々で乗継地の関西空港に到着しました。
北朝鮮には携帯電話の持ち込みが出来ないため、予め用意しておいたエクスパックの封筒に携帯電話を入れ、空港内の郵便ポストに投函しました。
出国手続きを済ませ、乗継地の中国・瀋陽へ向かいました。
乗継地は瀋陽ですが、経由地の大連で飛行機から降り、中国への入国手続きを済ませました。
再び飛行機に乗り、乗継地の瀋陽へ向かいました。
※豆知識:「経由」と「乗継」は、どちらも途中空港で降機する事に変わりありませんが、経由は再び同じ飛行機に乗る事を意味するのに対し、乗継は違う飛行機に乗り換える事を意味します。と言っても、厳格に定義付けされているわけではなく、どちらも同義とされる場合もあるようです。
乗継地の瀋陽では、少してこずってしまいました。
高麗航空(AIR KORYO エア・コリョ)は毎日運航しているわけではないので、専用の常設カウンターがなく、特設カウンターで搭乗手続きをする事になります。
その特設カウンターを探すのに苦労した上、職員の手際や対応が悪く、ビザと搭乗券を受け取るまでに結構時間が掛かりました。
中国での出国審査を済ませ、いよいよ平壌へ出発です。
CAに迎えられながら、高麗航空の機内へ乗り込みます。
乗客は中国人を始めとし、欧米人も何人かおり、意外に日本人が多かった事に驚きました。
高麗航空の機体と機内を見て感じた事は、とにかく御粗末な飛行機である事です。
航空機はソ連の御下がり(ツボレフ)だそうです。
機内は、一見古びた観光バスのような感じであり、工場のような油臭い匂いが漂っていました。
スピーカーの音質も非常に悪く、雑音だらけで、機内アナウンスはほとんど聞き取れませんでした。
高麗航空にも機内食はあるはずなのですが、私が乗った便では、常温の不味いジュース1杯が出されただけです。
帰りの便では、ハンバーガーとジュースが出されました。
ハンバーガーの味は、美味しくも不味くもないと言った感じでした。
出発の時点で、社会主義ならではのサービスの質の悪さと、北朝鮮の時代錯誤を感じさせられました。
遂に平壌到着です❗
中国の瀋陽を出発後、50分ほどで平壌順安(スアン)空港に到着しました。
羽田空港を出発してから、およそ9時間後の到着です。
空港の建物に掲げられている、金日成主席の肖像画が見え、いよいよ「遂に来た❗」という感じでした。
飛行機から降り、送迎バスで空港の入り口まで連れて行かれ、いよいよ入国審査です。
入国審査はすんなりパスしたのですが、荷物検査で少々面倒な事になってしまいました。
北朝鮮に携帯電話を持ち込む事は出来ないと知らされていましたので、私は最初から持って行かなかったのですが、本当に持っていないかを入念にチェックされました。
資本主義国家の国民なら、当たり前に所持している携帯電話を持っていないなんて、逆に怪しいと思われたのでしょうか?
荷物検査を終え、出迎えのガイドを探していると、「日本から来た●▲さんですか?」と、ガイドの方から声を掛けて来ました。
ガイドと合流し、ひとまず安心しました。
ガイド2人と運転手が、それぞれ簡単な自己紹介をし、専用車に乗せられました。
ガイドと対面した瞬間、自分の世話をしてくれるという安堵感と同時に、偽りの北朝鮮を演じられる事に対し、複雑な気持ちが募りました。
ここで不安にさせられた事は、「安全のため、パスポートと航空券は帰国まで預からせて頂きます」と、パスポートと航空券を預けさせられた事です。
まさか身柄を拘束されるのでは…?と、悪い想像を働かせてしまいましたが、帰国時に無事返してもらえました。
北朝鮮では、欧米諸国のように個人旅行は出来なく、一般人は必ず旅行会社のツアーでなければ入国出来ません。
滞在中はガイドと行動を共にしなければならず、ガイドは必ず2人付き添い、同じホテルに宿泊します。
何故2人かと言いますと、観光客から買収されぬよう、ガイドが御互いに監視しているからだそうです。
四六時中監視状態である事から、朝鮮ツアーは「缶詰旅行」などと言われていますので、自由行動を求める人には御奨め出来ません。
北朝鮮は、自国を地上の楽園と謳って(うたって)おり、自分達の国は、こんなに平和で素晴らしい国だとアピールしています。
それだけに、飢餓難民が散らばっているような悪い場所には決して連れて行かず、華やかな場所、予め用意された観光地しか連れて行ってくれません。
もっとも、旅行は楽しむ事が目的ですので、悪い場所など見たいと思いませんが・・・。
北朝鮮は危険な国と言われていますが、実際には治安面での心配はなく、旅行中の安全はほぼ確実に約束されます。
「拉致」という言葉は、今や北朝鮮の代名詞になっていますが、それは完全な偏見に過ぎず、実際には拉致の「ら」の字も見当たらないないほど安全でした。
ルールさえ守っていれば、これほど安全な国はないでしょう。
あくまでも、観光で行った場合に限られますが。
「缶詰旅行」は窮屈な感じがすると思われがちですが、逆に考えれば、北朝鮮は「缶詰旅行」でなければ楽しめない国です。
写真(※本ページの最下部に掲載)を見て頂ければ想像出来ると思いますが、北朝鮮で自由行動など与えられても、「ここで一体何をしたら良いの?」、「一体どこに行ったら良いの?」という感じです。
ガイドと一緒であれば、どこへ行くにも送迎車で連れて行ってくれますし、至れり尽せりで世話をしてくれます。
私にも例外なくガイドが付きましたが、その御陰で楽しい旅を満喫する事が出来ました。
滞在中に退屈せぬようにと、北朝鮮で何がしたいか?、どういう場所に行ってみたいか?、何を食べたいか?、追加予算の許容範囲などを訊いてくれ、スケジュールを組むのに最善を尽くしてくれました。
良き話し相手にもなってくれ、観光地の説明を始め、政治経済や世間話、バカ話等、色々な会話を交わしました。
担当ガイドは、日本語がかなり流暢であった上、日本の社会システムや政治経済、地理や歴史にも精通しており、下手な日本人以上に日本を知り尽くしていました。
4泊5日中、平壌で3泊し、妙香山で1泊しました。
到着日は平壌で1泊し、2日目は妙香山で1泊し、翌日から再び平壌で2泊するというコースでした。
不合理なコースにも感じましたが、平壌と妙香山はかなり距離があるため、そうせざるを得なかったようです。
平壌の羊角島ホテルは、まずまずのレベルでした。
部屋も広く、シャンプーや石鹸、ドライヤー、冷蔵庫まで備わっており、ここのホテルでは不自由は感じませんでした。
妙香山(平壌から車で2時間半ほどの田舎地区)の香山ホテルは最悪でした。
それでも、北朝鮮では高級クラスのホテルだそうです。
香山ホテルでは何が最悪だったかと言いますと、バスルームのお湯が出ないと言うのです。
そのため、サウナに入る事を促されたのですが、サウナの浴場でもお湯が出ないのです。
ですので、水に耐えられるよう限界までサウナ室に入り、体を震わせながら冷たい水で体を洗いました。
お湯が出ないなんて前代未聞です。
さらには、停電にも遭遇してしまい、部屋と廊下の電気が突然消え、エレベーターまで止まってしまいました。
停電は10分以上続きましたが、エレベーターに乗っていなかったのが不幸中の幸いでした。
案内書に書かれていた通り、懐中電灯を持って行きましたが、まさか本当に使う事になるとは驚きました。
北朝鮮のエネルギー事情が悪い事は知っていましたが、実際に自分がそれに遭遇してしまい、ちょっとしたハプニングでした。
しかし考えようによっては、それも他国の旅行では味わえない、朝鮮旅行ならではの貴重な体験だったと思います。
たった一夜ですが、エネルギー事情が悪い環境で過ごし、北朝鮮に足を踏み入れているという実感が、その時になって湧き起こりました。
その時は本当に参りましたが、今思い出せば笑い話です(笑)。
北朝鮮の食糧事情は、ここ10数年最悪な状態が続いており、飢餓難民が続出しています。
食べ物が底を突き、雑草を食べたり、木の皮を剥いで食べたりという状態です。
しかし、観光客に出される料理は大御馳走です。
写真を見て頂いても分かると思いますが、とにかく、バリエーションと量が半端ではありません。
御相撲さんでなければ食べ切れない量です。
これでもか!と言わんばかりに、次々と料理が出され、「喰った!喰った!」と思いきや、最後には御飯とスープが出されたりと、北朝鮮滞在中は物凄い料理攻撃に見舞われました。
北朝鮮の食事で面白いと感じたのは、主食のパンと御飯(又は御粥)が同時に出て来るというところです。
特に朝食では、肉まんやビスケットが出て来たりと、和洋中がごっちゃ混ぜで統一性がありませんでした。
チョンゴル(朝鮮風すき焼き)を食べた時も、何故かパンとカステラ、御飯まで出されました。
鍋料理と御飯の組み合わせなら、日本人でも理解出来ますが、パンとカステラは理解に苦しみました。
料理の組み合わせに厳格なルールがあるわけではありませんが、何とも面白い献立だと感じながら食べていました。
平壌の名物と言えば冷麺ですが、朝鮮らしい辛味があり、中々美味しかったですが、ゴムのような歯応えである上、やたら長くて丈夫な麺でしたので、噛み砕くのに苦労してしまいました。
デザートに出されたアイスクリームは、辛い物を食べた後という事もあり、格別な美味しさでした。
ガイドに犬肉スープを執拗に奨められ、最初はかなり抵抗があったものの、実際に食べてみると、これが中々の美味しさでした。
しかし、かなり辛味が強かったので、辛さを和らげるために御飯をいっぱい詰め込んでしまい、その御陰で胃の調子が悪くなってしまいました。
板門店がある開城地区では、飯(パン)床器(サンギ)という料理を食べました。
飯床器は料理と言うより、正しくは料理を盛る一組の食器の事です。
元々は役人のための料理であり、御飯とスープ以外に、5~11品目の奇数でおかずが添えられ、品目数は身分の高さで決まるそうです。
観光客は特権階級扱いですので、最高品目数のおかずが添えられます。
ひとつの器に一種類のおかずが入っており、ホウレン草やナムル、ゼンマイやゆで卵、豆腐や水キムチ等、実に多種多様な料理です。
最低の5品目でも多過ぎるくらいでした。
帰国前夜の晩餐会では、アヒルの焼肉を食べました。
日本ではあまり馴染みがありませんが、それほど違和感はありませんでした。
ただ、肉が分厚いので中々火が通らず、焼き上がるのに時間が掛かりました。
味はまずまずでしたが、昼食の飯床器でかなりお腹いっぱいになりましたので、焼肉はあまり食べられませんでした。
今回の朝鮮旅行では、充分過ぎる過剰な食事を与えられました。
あれだけの量を食べるなんて、普通の人なら到底無理です。
私の場合、最高でも一食あたりの1/3程度しか食べられませんでした。
たくさんの料理で客をもてなすのは、韓国を含めた高麗の伝統らしいですが、明らかに食べ切れない量を出すなんて、はっきり言ってあれは行き過ぎだと感じました。
飢餓難民の事を考えると気が引けそうですが、そのレベルをはるかに超え、ある意味呆れてしまいました。
ガイド曰く、「朝鮮はこんなに料理が豊富なんですよ」、「朝鮮人はよく食べるんですよ」との事ですが、「それなら、あの飢餓難民は何なの?」と思いました。
確かに、食糧はあるところにはあるのでしょうが、特権階級の人間で止まっており、下層階級の国民まで届かないだけの事です。
噂によると、客の食べ残しは従業員が食べるとの事です。
残飯にさえ在り付けない飢餓難民の事を考えれば、食べられるだけ恵まれているのでしょう。
まして、観光客に出される料理は最高の食材を使い、充分に手の施された料理ですので、かなり贅沢な食事だと思います。
食事という身近な部分から、北朝鮮の実情を垣間見たような気がしました。
北朝鮮では、託児所や人民学校、高等人民学校や総合大学、学生少年宮殿等の教育機関も、社会主義国家ならではの観光スポットとしてリストアップされています。
その中のひとつである、平壌第一中学校を見学しました。
平壌第一中学校は、特権階級の良家の子女が通う、朝鮮国内から優等生を集めた名門中学校だそうです。
確かに、育ちの良さそうな品のある子供ばかりでした。
学校の外観や教室を眺めていると、時代遅れという古びた雰囲気ではあったものの、学校としての雰囲気は日本と似ており、どこか懐かしい感じもありました。
最初に、「子供達が才能を伸ばせるようにと、偉大なる首領様(故・金日成主席)の御心遣いにより、このように充実した教育施設が作られました」という学校の紹介から始まり、校内を歩き回りながら、通常の授業が行なわれる教室、化学室や物理室、剥製室やコンピュータ室、音楽室等、各教室へ案内されました。
どの教室にも、金日成主席と金正日総書記の肖像画が掲げられていました。
良家の子女が通う名門校と言うだけあり、教育環境は充実していました。
コンピュータ室には多数のパソコンが並べられ、音楽室にはひと通りの楽器が揃っていました。
設備や備品は立派な物ではありませんでしたが、北朝鮮の経済事情や物資事情を考えれば、かなり恵まれた教育環境だと思います。
最後に講堂へ案内され、女子生徒達が歌と踊りを披露してくれました。
よほど徹底した教育を受けているのでしょう。
とても中学生とは思えぬ、素晴らしい歌と踊りでした。
見学を終えようとしている時、女子生徒の1人が私の手を引き、歓迎の踊りに誘って来ました。
少々照れ臭さがあったものの、北朝鮮ならではの想い出になると思い、誘われるままに踊りに参加しました。
私のぎこちない下手な踊りに足を引っ張られる事もなく、私の相手をしてくれた女子生徒は私を上手にリードしてくれました。
可愛らしい笑顔で華麗な演技を披露する裏には、幼い頃から金日成思想を強要され、個性や人権を完全に押し潰すという、歪んだ教育を受けているという実態が隠されており、そのような教育の結果が作り出した姿なのかと考えると、何とも言えない複雑な気持ちでした。
北朝鮮ではカラオケバーにも行きました。
滞在2日目は空白時間が長いため、ガイドが気を利かせてスケジュールを組んでくれ、ホテルの地下にあるカラオケバーへ案内されました。
カラオケの機械は、10年以上前に日本で使われていたレーザーカラオケでしたので、日本の歌も不自由なく歌えましたが、最新曲が入っていなかったため、私にはやや物足りなさを感じました
それでも贅沢は言えません。
日本では手頃な遊びとされているカラオケも、北朝鮮ではかなり贅沢な娯楽なのです。
ガイド2人と席を共にし、飲んで歌って大いに楽しみました。
普段はたしなみ程度にしか飲まないビールを、この日はいつもになくガンガン飲み、歌いまくって大フィーバーです。
普段ならそこまで盛り上がらないのですが、旅行の楽しさに後押しされ、つい調子に乗ってしまいました。
私がこれだけ楽しんでいる一方、同席のガイドは控え目な飲み方でした。
私は遊びですが、彼らは仕事で同席しているので、無茶な飲み方は出来ないのでしょう。
私はガイドに気を遣い、「明日も仕事なんですから、もう寝ても構いませんよ」と言ってあげたのですが、「いえ、最後まで付き合わせて頂きます」と言いました。
付き合わせて頂くと言うよりは、ガイドは付き添い(監視)義務を確実に遂行しなければならないのです。
0時を回る少し前にカラオケバーを引き上げ、部屋に戻りました。
アルコールがかなり回っていたため、すぐに眠りに入ってしまいました。
昼間の疲れを癒すのと同時に、旅の想い出を膨らませるのには、異国の地で現地人とお酒を楽しむのも中々良いものです。
旅先、それも外国で味わうお酒は、自国で飲むお酒とはひと味違うような感じがしました。
料金は前払いで8000円でしたが、私とガイド2人分、接待員の女性付きでこの金額なら、決して高くはないでしょう。
帰国日の前日(事実上の最終日)は、韓国と北朝鮮の分かれ目である、軍事境界線の板門店を訪問しました。
板門店の訪問は今回で2回目であり、1回目は昨年7月、韓国側から訪問しました。
韓国側から北朝鮮の板門閣を眺めた時は、北朝鮮は完全に異次元の世界、自分は一生足を踏み入れる事がないと思っていました。
それだけに、実際に北朝鮮に足を踏み入れ、今度は北朝鮮側から韓国の自由の家を眺めた時は、去年は反対の場所に立っていたのだなと、何とも不思議な気持ちでした。
日本と北朝鮮を結ぶ直行便がないため、かなり遠回りをして入国しなければならないため、韓国側の自由の家を眺めていると、こんなに近い国なのに…という気持ちも込み上げて来ました。
韓国から北朝鮮へ渡るには、中国やロシア等の第三国を経由しなければならず、到着所要時間も相当掛かります。
同じ朝鮮半島の国でありながら、軍事境界線が大きな壁となり、現実的な距離を遠くしているのです。
韓国側から訪問した時は、服装(ジーンズや半ズボン、ミニスカートやタンクトップ、運動靴やサンダルは禁止)や手荷物の持ち込み制限、観光バスから国連軍バスへの乗り換え、パスポートの提示、ゲストバッジの着用、誓約書(安全の保証は出来ず、韓国政府は一切の責任を負わぬという内容)への署名等、色々と規制が厳しく、物々しい警備に緊張感がありました。
北朝鮮側からの訪問した時は、説明されるまでもありませんが、軍事境界線を越えてはいけないというくらいであり、特別な規制はなく、かなり気楽な雰囲気でした。
北朝鮮側の方が危険だと思われがちですが、安全度は南北とも同じレベルだと思います。
むしろ、北朝鮮側の方が緩やかな雰囲気でした。
タバコを吸いながら兵士と雑談を交わしたり、気軽に写真に写ってくれたりと、韓国側の兵士よりも友好的でした。
北朝鮮側からの訪問を終え、“朝鮮半島南北制覇”を果たしたという達成感に浸りました。
勿論、それは私の自己満足に過ぎず、それが日朝国交正常化に結び付くわけでも、朝鮮半島南北統一に結び付くわけでもなく、世の中には何の変化ももたらしませんが、“朝鮮半島南北制覇”は、私にとっては大きな名誉です。
他にも、国際親善展覧館、主体思想塔、金日成広場、普賢寺、万寿台の丘、祖国解放戦争勝利記念塔等、色々な観光スポットへ行きました。
国際親善展覧館には、金日成主席と金正日総書記へ、世界中の著名人から贈られたとされる贈答品が並べられていました。
その中には、ワニが二本足でお茶を運んでい模型がありました。
ワニのような強者でさえ、偉大なる首領様には頭が上がらないという、金日成主席がどれほど偉大であるかを強調しているのです。
北朝鮮で御馴染みと言えば、万寿台の金日成銅像でしょう。
参拝前に献花用の花を買う事を促され、500円で購入しました。
銅像の前で一礼し、献花しました。
「郷に入っては郷に従う」とはよく言ったものですが、この時ばかりは複雑な思いでした。
主体(チュチェ)思想塔は、金日成主席の革命業績を称える塔です。
主体思想とは、自己の運命の主人は自分自身であり、自己の運命を開拓するのも自分自身であり、革命と建設を推進する源は人民にあるという思想です。
完全に自由主義思想ですが、実際にはいかがなものでしょう…?
いよいよ帰国です。
ホテルのレストランで朝食を摂り、シャワーを浴び、チェックアウトの時間まで、部屋でぼんやりと過ごしていました。
チェックアウトを終えてホテルを出発しましたが、時間に余裕があったので、平壌市内を適当にドライブしていました。
空港に到着し、喫茶店でコーヒーを飲みながら、ガイドと談笑していました。
「日本に帰ったら、みんなに朝鮮旅行の話を聞かせてあげて下さい」、「写真も見せてあげて下さい」、「また朝鮮に来て下さい」と言われ、お別れの握手をガッチリしました。
思わず、涙が出て来そうでした。
チップを1000円ずつ渡し、喫茶店を出ました。
いよいよ出国手続きです。
別に何もやましい事はなかったのですが、不安でいっぱいでした。
ガイドは、「何かあったら、私達が助けてあげますから安心して下さい」と言ってくれ、出国手続きが済むまで見守ってくれました。
結局、何事もなく出国手続きを終え、ガイドと運転手に大きく手を振り、そこで完全に別れました。
この時の別れの瞬間は、後ろ髪を引かれる思いでした。
ここから、瀋陽⇒大連⇒関西⇒羽田、9時間にも及ぶ帰国の途が始まるのかと思うと、気が遠くなる思いでした。
移動バスで飛行機に向かい、機内に乗り込みました。
まずは、中国・瀋陽へ向けて出発し、約50分後に到着しました。
中国への入国手続きを終えた後、すぐに出国手続をし、まずは経由地の大連へ向かいました。
出発時と同様、大連で一旦降機し、再び同じ飛行機に乗り、関西空港に向けて出発しました。
関西空港に到着した途端、無事に帰国出来た事に、強い安堵感が募りました。
しかし、完全に安心し切るのは、この時点ではまだ早かったようです。
荷物検査の時、渡航先を質問され、北朝鮮と答えたところ、「えっ…⁉北朝鮮ですか…?」と、検査官は驚きを隠せない反応でした。
あの反応からして、北朝鮮からの帰国者の対応は、私が初めてだったのかも知れません。
土産品を入念にチェックされ、軽い尋問を受けました。
渡航目的が気になったらしく、旅行パンフレットや日程表を見せ、純粋に観光目的だという事は分かってもらえたようでした。
どのような目的であれ、日本人が北朝鮮へ行く事自体、かなりレアなケースなので、些かの疑念を持ったのでしょう。
国際線の飛行機に乗る場合、チェックインや荷物検査、税関手続きや出入国審査、場合によっては取調べ等、国内便の倍のプロセスを経なければなりません。
特に行き先が北朝鮮の場合、飛行機の乗り降りが頻繁なのでなおさらです。
かなり面倒臭いですが、この面倒臭さが、旅行をより楽しくさせてくれる、意外な要素なのかも知れません。
帰国手続きが済み、ここから本格的な帰り道です。
ここからは、羽田空港までの国内フライトなので、かなり気が楽になりました。
出発まで時間があったので、空港内のレストランで食事をしました。
外国に滞在していると、日本食(特に醤油味)が懐かしくなり、帰国直後は蕎麦を食べる事が習慣になっています(笑)。
食事を済ませてから飛行機に乗り込み、羽田に向かって出発しました。
羽田空港に到着し、電車で自宅の最寄駅へ向かい、無事に帰宅を果たす事が出来ました。
自宅に到着した時が、朝鮮旅行の完全終了地点でした。
小学校の遠足の時、「家に帰るまでが遠足ですよ」と言われたものですが、その意味が、今頃になって分かったような気がします(笑)。
今回の朝鮮旅行はいかがでしたか?という質問に対し、取り敢えず楽しかったと答えておきます。
いや、楽しいかつまらないか、良いか悪いかと言うよりは、北朝鮮滞在中は、物珍しさと不思議な気持ちに浸り続け、常に何かを深く考えていました。
北朝鮮には行けない、自分は一生行く事がない、異次元空間の国だと思い続けていただけに、自分が北朝鮮にいる事が不思議に感じたのです。
日本や韓国と比較し、半世紀以上は遅れている、変わり映えしない殺風景な街並、封鎖社会の中で生きる道行く人々、自由主義の日本で生まれ育った私には、独特さと異様さが絡み合った光景でしたが、その光景がとても新鮮なものに映りました。
平壌の街は、変わり映えしない殺風景な街並みでこそあれ、平和で穏やかな雰囲気が漂い、統制が取れた国である事を感じさせられました。
もっとも、それは特権階級の国民が集中する、平壌ならではの雰囲気なのでしょうが、さすが国を代表する首都だけの事はあります。
他の都市や田舎地域の実情は分かりませんが、取り敢えず、平壌市民はそれなりの生活を営んでいる様子でした。
現地ガイドの口からは、「我国の国民は、偉大なる金日成主席と、親愛なる金正日総書記を崇拝し、主体思想(金日成思想)を絶対と信じて真っ直ぐに生きています」、「首領様と将軍様から、計り知れない幸せを受けて暮らしています」と、金親子を称える御馴染みの台詞が出て来ました。
外部からの情報は完全に遮断され、自国が世界一良い国だと幼い頃から教え込まれ、国民はそれを信じて生きているのです。
「井の中の蛙大海を知らず」とは、正にこの事です。
常識も所変われば非常識と言われ、世界には実に色々な国が存在し、善悪の判断が微妙ですが、この国はどこかで方向を間違えたと感じる事が多かったです。
世界的に社会主義が行き詰まり、ソ連や東欧が崩壊し、中国さえも資本主義経済に転換して急発展して行く中、この国は強硬たる姿勢で、統制経済による独特な社会主義と、独裁政治による封鎖社会を変えようとはせず、世界との協調を図ろうとはしませんでした。
北朝鮮に滞在した4泊5日の間は、現代社会のあり方や人間の幸せについて等、色々と考えさせられました。
ガイドに監視されながらの観光でしたので、一般市民との接触、裏表を含めた真実を知る機会がなく、考えるだけで終わってしまいましたが、実際に足を踏み入れる事により、色眼鏡を外す事は出来ました。
結果的に真実の答えを得られなくても、実際に足を踏み入れるか踏み入れないかの違いは大きいです。
私が北朝鮮へ旅行に行く事に対し、「何でまたそんな危ない国に…」、「拉致されるからやめておきなよ」、「あんな国に行くなんて物好きだな」と、周囲からは否定的な言葉ばかり浴び、北朝鮮を好意的に言う人は皆無でした。
我々日本人は情報に呑まれ過ぎてしまい、悪い部分しか見ていません。
北朝鮮関連の書籍を読んでいても、この国を悪の枢軸と決め付けた内容ばかりです。
危険で不気味な国という先入観が募り、そんな国との国交正常化など、とんでもないという世論になってしまいます。
南北統一にせよ、日朝国交正常化にせよ、現時点では実現不可能とされています。
それどころか、日朝関係は悪くなる一方であり、日朝国交正常化という言葉すら死語になりつつあります。
2000年6月の南北首脳会談では、建前上は韓国との友好ムードが高まりましたが、今ではそのムードも冷め掛かっています。
2006年7月のテポドン発射以来、韓国との友好距離が再び遠ざかり、世界中から経済制裁を受ける等、一部の友好国を除き、この国は世界から孤立している状態です。
政治的には非友好国であるにせよ、私個人としては非常に興味がある国です。
好意と敵意のどちらを持つかは個人の自由ですが、もう少し視点を変え、広い視野で見る努力も必要だと感じました。
そして何より、情報に振り回される事なく、自分自身で確かめる事が肝要です。
日本では、数年前から韓流ブームであり、韓国ドラマの視聴率が上昇し、韓国語を習う人や、韓国への渡航者が急激に増えており、世間は韓国の話題で盛り上がっています。
かく言う私も、韓流ブームに乗っている韓国オタクの一人であります(笑)。
そんな韓流ブームの最中に決行した訪朝は、周囲へ強いインパクトを与えたようでした。
同じ朝鮮半島、元は同じ国であるのに、北朝鮮には無関心な人がほとんどです。
韓国に興味があるなら、北朝鮮にも目を向けるべきです。
いえ、目を向けるべきと言うより、必然的に目が向くものなのではないでしょうか。
敵対国と言えど、韓国と表裏一体の関係にある北朝鮮に、世間は何故関心を示さないのか?と、私はそれがとても疑問でした。
日本と似ている韓国よりも、むしろ、色々な面で掛け離れている北朝鮮の方が、興味をそそられるのではないでしょうか。
実際に訪朝をして感じた事ですが、北朝鮮はどんな国であったかをシンプルに述べますと、独特で異様な国、ピントがずれた国、時代遅れの国と言ったとこですが、それが朝鮮旅行の醍醐味なのです。
朝鮮旅行は、ちょっとしたタイムトラベルでもありました。
かなり勇気がいる事でしょうが、一度くらいは、北朝鮮を自分の目で確かめてみませんか?
訪朝をする機会はないにせよ、もう少し北朝鮮へ関心を持ち、色眼鏡で判断せず、先入観による偏見を捨ててほしいと思います。
北朝鮮へ実際に足を踏み入れて感じた事は、北朝鮮も同じ地球上に存在する国であり、決して異次元の世界ではないという事と、そこに住む人々も、感情を持った同じ人間であるという事です。
実に当たり前の事ですが、実際に足を踏み入れるまでは、その当たり前の事を理解していなかったような気がします。
私はこれまで、イギリスとフランス、エジプトとニュージーランド、韓国とカンボジアへ渡航歴がありますが、今回の朝鮮旅行ほど深く考えさせられ、強く記憶に残った旅はありません。
世間では、北朝鮮について色々と語られていますが、どの人の話を聞いても、確証がない情報を鵜呑みにしたり、自分の勝手な想像で決め付けた内容ばかりです。
周囲の否定的な意見と反対を押し切り、勇気を持って決行した今回の朝鮮旅行は、非常に意義が大きかったと実感しています。
理解に苦しまれるかも知れませんが、今になって思えば、最初に抱いていた恐怖と不安が、朝鮮旅行を楽しくさせてくれる要素になったと感じました。
誤解しないで頂きたいのは、私は決して北朝鮮に憧れているわけでも、左翼的思想なわけでもなく、旅の楽しさを強調しているだけです。
※私が一番好きな外国はイギリスです。
予め演出された旅行コースであり、案内されたのは偽りの北朝鮮ですが、政治的要素の訪朝ではなく、あくまでも観光目的、娯楽なのですから、偽りであろうが楽しければ良いのです。
私は総理大臣でも外務大臣でも、拉致被害者調査団でもありませんので(笑)。
一人の日本人として、北朝鮮に感謝の意を表明します。
充実した楽しい旅を有り難う❗
注:あくまでも個人的感謝であり、政治的要素とは全く無関係ですので、くれぐれも誤解なさらないように御願い致します(^_^;)
【朝鮮旅行のアドバイスと忠告】
⚠「北朝鮮」は差別用語ですので、現地では必ず「朝鮮」と言いましょう。又、「韓国」とは言わず、「南朝鮮」と言いましょう。
⚠「金日成」、「金正日」と呼び捨てにせず、「主席」と「総書記」の敬称を御忘れなく❗
⚠「日本では、我国の事をどのように報道されていますか?」、「日本人は我国に対してどう思われていますか?」と、執拗に質問をぶつけて来ますが、自国が日本で悪い報道をされている事は承知済みですので、ありのまま正直に答えて問題ありません。ただし、個人的に悪口を言うのはやめましょう。金日成、金正日の悪口など論外です?
⚠韓国やアメリカに対する好意的な発言はやめた方が良いでしょう。阪神ファンに、「私は巨人ファンです」と言っているようなものです。
⚠北朝鮮は、日本と歴史的に関わりが深く、強い反日感情を持った国です。歴史的、政治的な話題は、出来るだけ慎んだ方が良いかも知れません。
⚠北朝鮮滞在中の安全面に関しては、全く問題ありません。北朝鮮よりも、経由地の中国でのトラブルに気を付けて下さい。タクシーの客引きや、親切詐欺が横行しています。北朝鮮よりも、中国の方がよほど危険だと思います。
★携帯電話は持ち込めないので、単体カメラを持参しましょう。携帯電話を持参した場合、帰国まで預けさせられますので、記念写真を撮れないという悲劇が起こります。現代人は、携帯電話イコールカメラという概念が強いので、訪朝の際には気を付けましょう。
★北朝鮮は緯度が高い上、エネルギー事情が悪いので、冬はかなり寒いです。荷物が嵩張るので、厚着をするより、貼付タイプの使い捨てカイロを多目に持参した方が良いです。
★タバコや御菓子、民芸品等、日本土産をプレゼントすると、好印象を持たれます。御土産を持参する場合、ガイド2人分と運転手の分、3人分用意しましょう。
★通貨は日本円がそのまま使えます。千円札と百円玉を多目に用意した方が良いです。
★行きたい観光スポット、その他の希望があれば相談しましょう。出来る限り応えてくれます。
🚫心臓病等、重い持病がある方は渡航してはいけません❗ 北朝鮮にも一応病院はありますが、あくまでも形だけの病院であり、医療レベルは最悪最低です。万一発病しても、充分な治療を受ける事は出来ません。
※この訪朝体験記と、【朝鮮旅行のアドバイスと忠告】は、私が訪朝した当時の状況に基づいた内容であり、現在は事情が変わっているかも知れません。
又、根拠や確証がない噂や、私自身の個人的意見も多く含まれておりますので、内容の正確性については断言出来かねます。
訪朝される際は、御自身での情報収集による下調べと、自己責任による決断で御願い致します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 飛行機
- 航空会社
- 高麗航空 ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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滞在中、御世話になったガイド
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滞在中、御世話になったガイド
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滞在中、御世話になった運転手
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到着後に食事をした清流レストランの店員
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到着後に食事をした清流レストランの店員
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両手に花(笑
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羊角島ホテルでの朝食
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この売り子さんから、偉大なる首領様へ献花する花を買いました。
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偉大なる(?)首領様をバックに
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千里馬
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朝鮮労働党創建記念塔
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平壌の街並み
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主体思想搭最上階
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金日成が生まれ育った万景台の生家
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万景台の御土産売場の店員
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冷麺を食べた食堂「安山館」
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平壌冷麺
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地下鉄駅構内
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凱旋門
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香山ホテルの地下にあるカラオケバー
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デュエット
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国際親善展覧館
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普賢寺
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平壌第一中学校教育参観(案内役の先生)
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平壌第一中学校で生徒達による歓迎の踊り
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別れ際の集合記念撮影
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犬肉スープ
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板門店停戦会議場
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板門店停戦会議場(前年に韓国側から)
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北朝鮮側から見える韓国の自由の家
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韓国側から見える北朝鮮の板門閣(前年に韓国側から)
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北朝鮮側の板門店兵士
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韓国側の板門店兵士(前年に韓国側から)
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板門店の帰りに開城で食べた飯床器(パンサンギ)
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帰国前夜の晩餐会ではアヒルの焼肉を
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その他の渡航先①:イギリス/ウィンザー城
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その他の渡航先②:フランス/エッフェル塔
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その他の渡航先③:エジプト/ギザ
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その他の渡航先④:ニュージーランド/ロトルア
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その他の渡航先⑤:カンボジア/シェムリアップ
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この旅行記へのコメント (1)
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- 哈桑湖さん 2010/12/14 01:33:38
- すごくわかりやすいです
- MATCHI様
北朝鮮の旅行記、とても分かりやすいです。
神秘の国ですね。
でも一度は、行きたいです。
あと香山ホテル、ピラミッド風の建物ですね。
一度宿泊したいです。
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