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久し振りの日本、<br />最後に行きたかった場所は、キャンティ<br />飯倉片町の高速道路と、ロシア大使館、飯倉郵便局の道が交差する場所から程近い、普通なら素通りしてしまうイタリア料理店。老舗中の老舗、創業既に半世紀近い。<br />僕は2〜3歳の頃から、中学生時代まで、大袈裟でなく毎週末父母姉妹とともに昼食を食べに来ていた。<br />そこには、古くからの家族の思い出が染み込み、大学生になってから父と二人だけで来たときのテーブル、普段小さい頃に父母姉妹とともにしたテーブル、と素敵な思い出がいっぱいの場所。<br />西麻布や、自由が丘、名古屋栄町と支店、のれんわけはしたのだが、名古屋栄町は数年前に閉じたというし、他のキャンティは、僕にとってはキャンティでは無い、と言えるくらい、飯倉片町の店には、思い入れがある。

キャンティ

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2007/01/30 - 2007/01/30

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2

5

BO/M

BO/Mさん

久し振りの日本、
最後に行きたかった場所は、キャンティ
飯倉片町の高速道路と、ロシア大使館、飯倉郵便局の道が交差する場所から程近い、普通なら素通りしてしまうイタリア料理店。老舗中の老舗、創業既に半世紀近い。
僕は2〜3歳の頃から、中学生時代まで、大袈裟でなく毎週末父母姉妹とともに昼食を食べに来ていた。
そこには、古くからの家族の思い出が染み込み、大学生になってから父と二人だけで来たときのテーブル、普段小さい頃に父母姉妹とともにしたテーブル、と素敵な思い出がいっぱいの場所。
西麻布や、自由が丘、名古屋栄町と支店、のれんわけはしたのだが、名古屋栄町は数年前に閉じたというし、他のキャンティは、僕にとってはキャンティでは無い、と言えるくらい、飯倉片町の店には、思い入れがある。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車

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  • 六本木のキャンティ<br />僕自身は、40年前、僕が2−3歳の頃から行き続けたイタリア料理店。一階の道路に面した部分から見える店構えは、落ち着いていて、夜、ぼんやりとした明かりに映されて綺麗だが、大抵の人は素通りし、そこにレストランがあった事自体、気付かずにいるだろうと思える程、素とした佇まいだ。僕の覚えているキャンティは、一階にベビードールというブティックがあり、地階へ降りてゆくとレストラン。二階、三階は子供だった僕は一度だけ見に行った覚えがあるけれども違った雰囲気のバーとかが在った様だ。毎週末、父母姉らに連れられて昼食に行った記憶が蘇る。バジリコやタリアテルリ(ほうれん草の平打ち麺)が僕の定番で、必ずデザートにはプリン、しかも生クリームたっぷり添えて、と給仕にリクエストを忘れなかった。ある時期、我が家ではキャンティに毎週末行く事が週末行事となっており、むしろ不参加は有り得ない程の儀式だった。そのうち、姉が部活で、僕が面倒になり、と歯抜けしてゆき、家族でのキャンティ、と言う日々は思い出に変わった。

    六本木のキャンティ
    僕自身は、40年前、僕が2−3歳の頃から行き続けたイタリア料理店。一階の道路に面した部分から見える店構えは、落ち着いていて、夜、ぼんやりとした明かりに映されて綺麗だが、大抵の人は素通りし、そこにレストランがあった事自体、気付かずにいるだろうと思える程、素とした佇まいだ。僕の覚えているキャンティは、一階にベビードールというブティックがあり、地階へ降りてゆくとレストラン。二階、三階は子供だった僕は一度だけ見に行った覚えがあるけれども違った雰囲気のバーとかが在った様だ。毎週末、父母姉らに連れられて昼食に行った記憶が蘇る。バジリコやタリアテルリ(ほうれん草の平打ち麺)が僕の定番で、必ずデザートにはプリン、しかも生クリームたっぷり添えて、と給仕にリクエストを忘れなかった。ある時期、我が家ではキャンティに毎週末行く事が週末行事となっており、むしろ不参加は有り得ない程の儀式だった。そのうち、姉が部活で、僕が面倒になり、と歯抜けしてゆき、家族でのキャンティ、と言う日々は思い出に変わった。

  • 日本を離れてハノイ駐在となる前夜、僕は久し振りにキャンティに行きたくなった。それは古い思い出の場所であり、何故か、自分のルーツを確かめに行くかの様に、其処を思い出し、訪れる事にした。六本木の駅から歩くと繁華街を完全に抜けて、ミツワ自動車がポルシェを展示していた、今はアウディのショールームになった高速下を、更に越えて歩き続ける事となる。幸い車で行く事が出来たが。僕にとって、キャンティは特別な場所。今は亡き父の思い出がぎっしり詰まった場所である。父は、商談でも会食でも、キャンティあって他にレストラン無し、といわんばかりにキャンティを多用した。六本木、と言っても上記通り繁華街の雑踏からは一寸離れた場所にあり、今でも隠れ家的なロケーション、「狸穴」(まみあな)と言われる場所で、夜には人影もまばらな場所である。当時、父の事務所は西麻布。タクシーで飛ばせば、15分もかからずにキャンティ。この道を、父は何百回も往復した筈だ。タクシーで。

    日本を離れてハノイ駐在となる前夜、僕は久し振りにキャンティに行きたくなった。それは古い思い出の場所であり、何故か、自分のルーツを確かめに行くかの様に、其処を思い出し、訪れる事にした。六本木の駅から歩くと繁華街を完全に抜けて、ミツワ自動車がポルシェを展示していた、今はアウディのショールームになった高速下を、更に越えて歩き続ける事となる。幸い車で行く事が出来たが。僕にとって、キャンティは特別な場所。今は亡き父の思い出がぎっしり詰まった場所である。父は、商談でも会食でも、キャンティあって他にレストラン無し、といわんばかりにキャンティを多用した。六本木、と言っても上記通り繁華街の雑踏からは一寸離れた場所にあり、今でも隠れ家的なロケーション、「狸穴」(まみあな)と言われる場所で、夜には人影もまばらな場所である。当時、父の事務所は西麻布。タクシーで飛ばせば、15分もかからずにキャンティ。この道を、父は何百回も往復した筈だ。タクシーで。

  • 父と二人だけで「キャンティ」に行った日を覚えている。確か、台湾留学する前、僕の記憶では1985年頃だ。地階の観葉植物が入るガラスケース側の真ん中二人席。奥に父、僕がドアに近い側。僕はえらい長髪で、後ろに手をやると髪の毛に触れる程の、長髪だった。とりたててテーマをもって話をした記憶は、無いが、お前は将来、何をやりたいのだ、と言うような話も中にはあった、様に記憶している。それに対して僕は曖昧な返答しか出来なかった。パリにも行きたいしアメリカにも行きたい、宗教にも興味が有るし、国際関係論も学びたい・・・とかそんな、取り留めの無さだった。父は、軽く首をかしげて、その話は中断された。そして長い沈黙、特に何の進展も無く、黙々と食事をして、それぞれの目的地に戻っていった。その日も、バジリコ。イタリアンサラダ、そして、プリンに生クリームたっぷり添えて。その後、行く機会はめっきり減った。父の逝去、を境に。<br />久し振りに家族が一堂に会したのは、その後随分と経ってからだった。その日、思い出のテーブルは埋まっており、僕らはカウンターが有る側の一番ドア側、変形三角テーブルの席だった。何となく寂しい気持ちと新鮮な気持ちが入り混じった。その日、母、姉二人と僕の確か4人、一人、大事な人を欠いていた。いつものテーブルで、座っていたら、もっと、きっと悲しい気持ちになっていたのかも知れない、と思うと、このテーブルで良かったんだろうね。もう10年くらいは経った今にして、そう思う。

    父と二人だけで「キャンティ」に行った日を覚えている。確か、台湾留学する前、僕の記憶では1985年頃だ。地階の観葉植物が入るガラスケース側の真ん中二人席。奥に父、僕がドアに近い側。僕はえらい長髪で、後ろに手をやると髪の毛に触れる程の、長髪だった。とりたててテーマをもって話をした記憶は、無いが、お前は将来、何をやりたいのだ、と言うような話も中にはあった、様に記憶している。それに対して僕は曖昧な返答しか出来なかった。パリにも行きたいしアメリカにも行きたい、宗教にも興味が有るし、国際関係論も学びたい・・・とかそんな、取り留めの無さだった。父は、軽く首をかしげて、その話は中断された。そして長い沈黙、特に何の進展も無く、黙々と食事をして、それぞれの目的地に戻っていった。その日も、バジリコ。イタリアンサラダ、そして、プリンに生クリームたっぷり添えて。その後、行く機会はめっきり減った。父の逝去、を境に。
    久し振りに家族が一堂に会したのは、その後随分と経ってからだった。その日、思い出のテーブルは埋まっており、僕らはカウンターが有る側の一番ドア側、変形三角テーブルの席だった。何となく寂しい気持ちと新鮮な気持ちが入り混じった。その日、母、姉二人と僕の確か4人、一人、大事な人を欠いていた。いつものテーブルで、座っていたら、もっと、きっと悲しい気持ちになっていたのかも知れない、と思うと、このテーブルで良かったんだろうね。もう10年くらいは経った今にして、そう思う。

  • 1月31日、早朝0645時のフライトで羽田から関空経由、香港経由、ハノイへと向かった。暫くは日本を後にする。いろんなことがあった。日本に戻ってからの10年間で。97年3月帰国、2007年1月末再度出国、海外駐在がまた、始まる。この10年間強で、僕の人生は様々に変化した。結婚して、離婚してまた結婚して、離婚して。今は独身。「今度はアオザイ美人と結婚か?」冗談めかしに同僚や友人は言う。いや、それは無いだろう。(多分)<br />帰りがけに通った東京タワーは、至近距離から見上げると途方も無く高く、綺麗だった。

    1月31日、早朝0645時のフライトで羽田から関空経由、香港経由、ハノイへと向かった。暫くは日本を後にする。いろんなことがあった。日本に戻ってからの10年間で。97年3月帰国、2007年1月末再度出国、海外駐在がまた、始まる。この10年間強で、僕の人生は様々に変化した。結婚して、離婚してまた結婚して、離婚して。今は独身。「今度はアオザイ美人と結婚か?」冗談めかしに同僚や友人は言う。いや、それは無いだろう。(多分)
    帰りがけに通った東京タワーは、至近距離から見上げると途方も無く高く、綺麗だった。

  • そして、少なくとも40年間変わることの無い味とボリューム、僕の好きなキャンティのプリン。生クリームをタップリ添えて。上に載せてあるレーズンはラム酒が凄く浸み込んでいるから、お酒のダメな僕は、これだけで酔っ払う。

    そして、少なくとも40年間変わることの無い味とボリューム、僕の好きなキャンティのプリン。生クリームをタップリ添えて。上に載せてあるレーズンはラム酒が凄く浸み込んでいるから、お酒のダメな僕は、これだけで酔っ払う。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • antabaさん 2007/02/14 14:08:25
    懐かしくって…
    こんにちは。
    キャンティの名前に誘われてお邪魔しました〜
    私も幼少の頃、家族でよくキャンティを訪れていましたよ。
    定番は、生ハムメロン、オニオングラタンスープ、仔牛のカツレツ
    そしてバジリコのスパゲッティ。
    未だに赤白チェックのテーブルクロスなんですね。泣けてきます。。。
    直近で行ったのが、かれこれ15年前のことなので、(しかも1F)
    そろそろ訪ねて行きたいですね。

    BO/M

    BO/Mさん からの返信 2007/02/16 12:20:22
    ご返信遅れて申し訳ございませんでした!
    anabaさん、メール有難うございました。
    そうですか、キャンティ、僕にとっては特別な場所、本当に懐かしい、そして普段はなかなか行けない場所です。
    今回、ハノイ駐在となり赴任する前日、行きました。
    相変わらずの雰囲気、素敵でした。
    日本に帰ったときくらいは、偶には行こうかと思ってます。
    そして、何時の日か、キャンティにちょくちょく行ける様になってみたいものです。
    ハノイにも、イタリア料理店は幾つか有る程度のレベル以上のものがあり、各所味を楽しんでいます。
    気取らない食事が出来る点で、イタリア料理は好きですし、そして僕にとっての原点は、川添さんの、キャンティ。
    また、宜しくお願いします。
    そして、メール重ねて有難うございました。
    開所披露宴に向け、おおわらわの(だから、ホテル日航ハノイが二度もアップされているのですが)ハノイより!

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