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トルコ旅行といくつかのトラブル

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2006/11/20 - 2006/12/01

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PK_PKさん

1. 概略
日常の激しい勤務の隙間をねらって、夫婦で人類の古い文化を生んだ地域を楽しむことにして、今回はヒッタイト以来の歴史を誇り、東ローマ帝国からビザンチン帝国で千年以上の世界の首都であった、東西文明の結節点であるトルコを訪れることにした。トルコといえばイスタンブールで、あとは世界遺産のカッパドキアとトロイ遺跡を回ることにした。もう少し日程があれば、ヒッタイト関係でアンカラや、ミレトス等のエーゲ海沿岸も行きたかったが、日程上無理だった。ガイドブックでは不十分なところや、現地での移動を含むツァー、あるいは航空券手配と航空会社の対応等についても触れる。
本旅行記の構成は次のようになっている。
・ 成田空港からイスタンブール到着までで、オーストリア航空の不手際が、旅行会社のGTO(グローバル・トラベル・オンライン)へかぶさり、それが客である筈の当方へやってきて、非常にオーストリア航空へ悪感情を抱くにいたったことまでを記述する。
・ イスタンブールでの旧市街の観光とホテルに関する事項である。特に、イスタンブールの第一印象としての「急坂と石畳」について記した。市内観光ツァーのバスのいい加減さも加えたが、11月末でオンシーズンでなかったことも関係するかもしれない。
・ カッパドキア観光の色々である。幸いに旅行中は晴天で風もなかったので、むしろシーズン中以上の快適さでカッパドキアを楽しむことが出来た。服装は冬用だったが。むしろ、問題は、チャナッカレへの移動で、公共輸送機関である夜行バスが、軍隊への入隊者の見送りの連中のおかげで超遅延したこと。17時間以上も狭いバスにいたこと。こんなんでは、頑張ってもトルコがEUに加盟したくても無理ではないかと思うこと等について書いてある。
・ チャナッカレにたどり着いてから、トロイ遺跡の観光、そして再びイスタンブールに長距離バスに乗って戻るまでを記述した。
・ イスタンブールの新市街での観光(ドルマバフチェ宮殿と軍事博物館)にあててある。また、ローマ法王の訪問とぶっつかって帰りを心配したけれど、なんとか早くイスタンブール国際空港にたどり着けたことまでである。
・ 最後に、結びと今回の旅行での問題点の列挙を行なった。

2. 日程とイスタンブールに到着するまでの色々
現地では寒くなるかなと気になったが、勤務との兼ね合いで日程は11月下旬を選ばざるを得なかった。日本からの航空券は、初めてだがGTO社を利用した。マイレージの関係でスターアライアンスを利用するので、成田→ウィーン(1泊)→イスタンブールをオーストリア航空で行くことにした。ここでは、大きな問題が発生した。帰りは、この逆だが、ウィーンは1泊でなくて、乗り継ぎ時間1時間である。イスタンブールからカッパドキア、トロイ遺跡はSAKURA TOURにメールで依頼した。この内容は次のとおりである。
第1日:イスタンブール・カイセリ間の空路(夕方便のe-チケット)と洞窟ホテル(Elkep Evi)への移動
第2日:カッパドキア観光第1日とホテルでの宿泊
第3日:カッパドキア観光第2日後トロイ遺跡の拠点であるチャナッカレへの夜行バス
第4日:午前は自由時間で、午後はガリボリ観光(第1次大戦時にトルコ軍が連合軍を打ち破った戦争関連の遺跡で、近代トルコ建国の父であるアタチュルクが活躍したので有名)、チャナッカレでの1泊(MYDOS HOTEL)
第5日:トロイ遺跡観光後、チャナッカレからイスタンブールへの長距離バス
夜行バスは心配だったが、いいバスだということだった。第3日終了後に空路でイスタンブールに戻り、翌朝早くホテルを出発する方法もあったが、第4日の午前に、ガイドブックに「トロイ遺跡の予備知識を得るのに最適」とあるチャナッカレ考古学博物館に行きたかったので、上のルートにした。問題点は後述する。
カッパドキアに行くまでの3泊はイスタンブールの旧市街、トロイ遺跡から戻っての2泊は新市街のホテルをインターネットで予約した。GTOで航空券を予約すると、ホテルも少し割安になるというので、前者ではArmadaホテル、後者では観光名所でもあるPera Palaceを予約した。ただ、出発直前に、Pera Palaceが改築中との連絡が入り、近くにあるRichmondホテルに代わった。
さて、上でも書いた大問題が発生したのは、11月20日の朝である。今まで私が使っていた旅行会社では、切符の手配に対して航空券を事前に郵送してくれていた。時々、それを利用して、マイレージを使用してランクアップをしたりしていた。しかし、今回のGTOでは、当日の成田空港でのカウンターでの航空券に引渡しだけがあって、事前郵送はしてくれない。GTOの担当者が、オーストリア航空で呼んいるとのことで、オーストリア航空のカウンターへ行くと、便を他に変えてくれないかという依頼。いつもは仕事で時間に追われて外国に行き場合が多かったので、今回のように気楽な場合なら、他に急ぎの人に譲るのもいいやと思って了承したが、これは失敗で、団体の観光客に譲ったのだろう。結局、出発が12時過ぎのANA便でフランクフルトへ、そこからオーストリア航空便でウィーンへというわけでウィーン到着は午後5時前が8時過ぎになる。ウィーン市内での夕食の楽しみはあきらめた。フランクフルトでも2時間待ったので、ウィーン到着時は疲れてしまっていた。なお、フランクフルトの空港は何回も来ているが、11月1日からというので、テロ対策が大変厳しくなっている。液体やゲルのようなものは、100cc以下の容器に入れなくてはいけなくて、そういう容器をビニールの袋にまとめて入れるようになっている。したがって、ペットボトルの水やアルコールなどはゲートの前で飲み干すか、捨てるかしかない。さらに、ゲートを通るには、金属製のものは一切ダメで、ベルトのバックルもひっかかるので、強制的にベルトもはずさされる。こういうのが、よけいに疲れを増加させたかもしれない。検査を受けたり待ったりしながら、オーストリア航空とGTOの問題がなければ、もうウィーンに着いていて、市内へ夕食に出かけているのに…と思った。
ついでに書いておくと、20日朝はオーストリア航空では、その日限りで成田空港内の限られた食堂でしか使用できない食事券1500円を2人分くれ、2時間後に再度オーストリア航空のカウンターに来いという。別段、午前中で空腹でもなかったのでコーヒー程度で使用したのみで、残りは苦情とともにオーストリア航空に返却した。今回のように、別便で目的地へ行くのは、客の好意に航空会社が頼っていることであり、例えば団体客を獲得するために、個人客に迷惑をかけていることである。これに対して、利用が限られた1500円で解決しようというオーストリア航空の体質に憤りを感じた。今後は、この航空会社は使わないことにする。個人旅行の方は、ここは要注意である。国内でも同様のことはあったが(全日空)、会社側の対応はずっと上だった。それでも、強制的な便変更に対しては、たとえ好意で譲っても、不満は出るものではあるが。また、GTOが切符を事前配布してくれていたら、オーストリア航空も便変更対象にしなかっただろうから、GTOのあり方にも問題があると思った。次回からは、今まで利用していたところにもどす。

3. 坂の町イスタンブール(旧市街)
3.1 イスタンブール到着とホテル
最初は、オーストリア航空のおかげでもたついたが、ウィーン1泊(空港から徒歩数分のNH Airport Hotel)後、イスタンブールへ向かった。ウィーンの空港でのセキュリティ・チェックもフランクフルトと同様だった。イスタンブール空港では、タクシーに乗らないか等と声をかけてくる人間も多い。トルコリラへの両替後、Informationで聞くと、メトロを教えてくれた。ただ、メトロは途中までしか行かないので、黄色のタクシーに乗ることにした。Armada Hotelというと、途中から海岸(マルマラ海)に出る道をすっ飛ばして、20分くらいでホテルの前に着いた。料金は21リラ(2千円弱)だったし、あとで地図を見ると最短コースではあった。ガイドブックで見ても、インターネットのホテル検索で見ても、このホテルは旧市街の中心であるスルタンアフメド地区にあって、便利そうだし4☆の割には料金も安いしで選択した。ホテルの状況は、ホテル情報のところに投稿している。ホテルに到着して、少し散策しようと思ってビックリした。スルタンアフメド地区の中心やトプカプ宮殿に行こうと思っても、夕闇迫る中では、暗くて滑りそうな急坂を登る必要があるので、あきらめた。日本の都市に比べると、ヨーロッパの都市には坂が多いし、石畳もよくある。ただ、イスタンブールのは度合いが激しすぎるレベルだ。ガイドブックにあまり坂のことが書かれていないのは遺憾である。まだ元気に坂を上れるが、もう10年もすると、こういう坂は上れなくなるから、ホテルも平坦地に取る必要があるが、そういう情報がどこにもない。
ホテルに戻って、レストランを探すがない。近くにはあるが、かなり高価だ。フロントで聞くと、テラスのレストランが午後7時からオープンするという。前日の移動もあり、疲れてもいたので、ホテルのレストランで夕食をとることにして、午後7時過ぎにテラスに行った。レストラン名もテラス。そしてビックリするくらいの景観に驚いた。天井も南面も北面もガラスで覆われている。そして、南にはマルマラ海の夜景が遠方の明かりとともに見え、多くの船が行き来している。一方、北の方は、すぐ上方に2つの巨大モスクがライトアップされていて、茶色というか赤というかのすごい色で光っている。西側がブルーモスク、東側がアヤソフィアで、観光の目玉である。ブルーモスクの尖塔のあたりには沢山の鳥(かもめ)が飛び回っている。こういうところでの夕食はめったに味わえるものではない。ドアを開けてガラスの覆いのないテラスに出てみると、こういう光景がじかに見れて、余計に素晴らしい。夏場は、ガラスの覆いもとれているのだろう。このレストランの夕食で、初めてトルコ料理を楽しんだ。夫婦2人では、簡単な前菜あるいはスープ、ケバブ等の主采、そしてデザートで十分な量になる。このレストランは伝統的なオットマン型のトルコ料理で、味は実に良かった。品揃えも十分で、3泊の間のディナーは結局ここで毎回違った料理を楽しんだ。ワインも上等である。デザートでは、トルコに多いライスグラタンがいい。ただ、料金は案外高価で、上のような料理で2人で100トルコリラ程度になる。日本並みである。予約の必要もないので、Armadaホテル以外の宿泊でも、坂道を歩く苦労をいとわなければ、いいレストランの一つだ。ホテルの朝食もここでのサービスである。朝も景色は同じで、ライトアップの代わりに朝日がマルマラ海やブルーモスク、アヤソフィアを照らしてくれる。そして大きなかもめがガラスのすぐ外で、こっちを見ながらなにかしゃべっている。朝食メニューも完全トルコ風で、巣のままの蜂蜜や乾燥した白イチジク、淡白な味のトルコ風チーズ等々見慣れぬものが多かったが、どれもおいしかった。

3.2 トプカプ宮殿・考古学博物館・アヤソフィア
さて、イスタンブールの最初の観光は、トプカプ宮殿。朝9時の開門に間に合うように、ホテルから急坂を登る。滑りやすい石畳の狭い道であるが、自動車が登ったり下ったりしていて危険極まりない。切符売り場で入場券を買う。ここに限らず、おつりがないことが多いようなので、10トルコリラの札を常に数枚以上持っていることが必要だ。やはり10リラと身分保障(パスポートかクレジットカード)で、イヤホンガイドを貸してくれる。英語までかと思っていたが日本語もあった。多くのスポットで長めの案内をしてくれるので便利だ。ただし、これを聞いていると、日本人ツァーのガイドらしき女性がやってきて「私たちのと混信するので、ここで聞かないで下さい」とえらそうに言ってきた。文句を言おうかと思ったが、こいつらでは仕方ないと思ってやめた。実に横柄な態度だ。こういうのがいるから、ツァーには参加したくない。この団体とはハレムの観光でも一緒になったが、皆さん英語のガイドがダメらしくて、日本人だけで別行動(後ろからくっついてくるが、日本語でヒソヒソというかコソコソ)していた。ハレムでは、イヤホンガイドも使えたが、英語のガイドが聞きやすい英語で、質問にも的確に答えてくれるので、ここでは、イヤホンガイドは使わなかった。ハレムを含むトプカプ宮殿の案内はガイドブックに詳しい。あと、トプカプ宮殿には見晴らしのいいレストランがあり、昼食にはうってつけである。やはりトルコ風料理で、眼下のボスボラス海峡を見ながら、おいしく食べた。自分で、出来ている料理を指差しながら注文できるし、そう高価でもなかった。
この昼食後は、ガイドブックではトプカプ宮殿のすぐそばにある考古学博物館に行く。実際はそばといっても急坂を下ることになる。アレクサンドロス大王の石棺と称するものがあるとガイドブックには記されていたが、この巨大で装飾豊かな(しかも色が残っている)石棺をはじめとして、多くの見所があった。ヒッタイト王国とエジプト古王国のラムセス2世との間で締結されたガディシュ条約の石碑など、さすがに紀元前3千年あるいはそれ以前から人類が文化遺産を残してきたトルコだけのことはあるなと思う。他に、上の階に上がると、トロイ遺跡の出土品が年代別に陳列してある。後述するが、トロイ遺跡の拠点のチャナッカレの考古学博物館には、あまり沢山のトロイ遺跡の出土品があるわけではないので、トロイ観光の予習は、むしろイスタンブールの考古学博物館でする方がいい。これも私が見た範囲のガイドブックには書かれていなかった。考古学博物館の資料も探したが、大部で高価なものしかおいていなかった。モスク等は別として、10リラか20リラで持ち運び容易の書物があることが多いが、ここにもおいて欲しいものである。
まだ時間があったので、アヤソフィアにもまわった。ほぼガイドブック通りの感じだったが、宝物館は閉まっていたというか、どこにあるのかもわからなかった。東側を発掘しているのか修復工事しているのかで立ち入れなかったので、ここにあったのかな?である。アヤソフィアを出る直前に、警察の車が何台もやってきて騒然とした雰囲気になった。なにがあったのかも不明。トルコの若者は英語が通じる人が多いが、年配者は大半だめである。ちなみに、若者でも、英語教育が書いたり読んだりが中心のようで、日本人と似て、しゃべるのは苦手の人が多いようだ。ただ、子供たちは、至る所でハロー・ハローと声をかけてくる。メルハバ(トルコ語の今日は)と返してやると喜んでいる。市内を走りまわっているトラムやバス等には乗らずに坂道を歩いていたので、相当疲れて、アヤソフィアの間からスルタンアフメドの絨毯屋やレストラン街あるいは多くのホテルの間を坂道を下りながらホテルに戻った。

3.3 ブルーモスク・ヒッポロドーム・地下宮殿・市内観光バス・カーリエ博物館・スレイマニエモスク
イスタンブールの待ち歩きも2日目になると見当がつきやすくなる。ただ、坂が多くて、今居る旧市街と、ボスボラス海峡を隔てた新市街は、坂と橋とで別の町のように離れている。全体を知るために、教えてもらっていた市内観光バスに乗ってみることにした。Plan Tourといって、他国の都市でもやっている会社でオープンデッキの赤い2階バスである。11時スタートで2時間弱でまわるという。このバスは20ユーロ(トルコリラでなくって!)で、Hip-On Hip-Off pointで乗り降り自由という(4箇所しかないが)。そこで、市内からは離れているが必見というカーリエ博物館に近いところで下車して、2時間後のバスに再乗車してという計画を立てた。朝11時がスタートなので、まずブルーモスクへ行ってみる。荘重なつくりで巨大なモスクである。お祈り用に引き詰めてあるカーペットを踏んで中に入ってみる。ここから出るときに、すぐ前にそびえるアヤソフィアはきれいだった。ローマ時代のテオドシウスのオベリスクがあるヒポドロムは、昔は競技場だったということだが、今はそう注目するようなものでもない。まだ時間があったので、バスで戻ってからと思っていた地下宮殿にも足を運ぶ。結果的には、バスに乗る前でよかったが。地下宮殿は予想以上に広くて、よくも東ローマ帝国時代からこんなものを作ったなと感心する。
こうして、11時前にアヤソフィア前のPlan Tourの切符売り場に行く。カーリエ博物館なども詳しく出ている書籍が千円という。ここでは、トルコリラは使わず、切符はユーロでガイドブックは円・ドル・ユーロだ。ちなみに、他の場所でもユーロやドルあるいは円も使えると聞いていたが、タクシーはじめ皆トルコリラだったから、両替は必須である。バスは11時少しに出発。座席のイヤホンで日本語の解説も聞ける。ただ、色々の地点の解説をしゃべっているだけで、必ずしも全部の地点に行くわけではない。コースを走るのみである。Hip-On Hip-Off pointでは目印でもあって…と予想したが、長く停車したのはタクシム広場だけで、ここには出発地点と同じようなPlan Tourのデスクがあった。ドライバーに、カーリエ博物館に行く旨を伝えていたので、最後のHip-On Hip-Off pointでバスが停車し、ここだという。ただし、イスタンブールの古い城壁(テオドシウス城壁)のエーリ門近くの道路が分かれる中間の小さな安全地帯で、下車して歩道に渡るのも危険なくらいに車が通っていた。2時間後までに、この地点に立ってると、次のバスが来るらしい。ここからカーリエ博物館は徒歩5分程度。もちろん坂道を下る。カーリエ博物館に残っているフレスコ画はたいしたものだ。残っているといっても、古いフレスコ画が一度はイスラム教徒によって漆喰で塗り固められ、それを最近になってアメリカの研究者が修復したのだそうだ。元は11世紀の教会だそうだから古いものではあるし、よく残っている。ここに1時間くらい居て、Hip-On Hip-Off point近くに戻る。スナックを食べたりしながら周辺を歩くと、このあたりは墓地の地域だ。イスタンブールの中心部の北西にあたり、城壁のすぐ外なので、こうなってるんだろう。バスを下車してから1時間半ほどして、Plan Tourの赤いバスを待ってHip-On Hip-Off pointに立つ。ミニバスなどがどんどん通り、その下車地点にもなっているので、こういう標識のない怪しげな地点も地元の人にはわかっているのだろう。このミニバスらしきものが、ドルムシュというもののようで、安いようだが乗り心地は悪そうだ。これで、バスを待つも、なかなか来ない。近くの学校らしきところから授業を終えた生徒の集団が出てくる。日本で言えば、中学生か高校生。それでも、ハロー攻勢や、やや進んでMay I help you?あたりが飛んでくる。下車後1時間待つ。それでも赤いバスは来ない。いい加減なものだ。案外、午後1時に出発するバスの乗客が少なくて取りやめたのかもしれない。仕方ないので、無駄に時間を使うよりはと、城壁に沿って歩くことにした。エーリ門から10分くらい坂を下るとエディルネ門で、ここではメトロの駅もあり、ビルも建っている。もう少し歩いて行くと、トプカプ門のあるトプカプという地点になる。宮殿とは全く別物である。ちなみにkapi(カプと発音するかな?)とはトルコ語で門の意である。今度は坂を上る。ガイドブックではわかりにくかったが、現地でもらった地図でトプカプのトラムの駅がわかる。
トラムはすべて4両編成で動いていて、ほとんどが満員である。ジェトンというコインより小さいようなのを買う(1.3リラ)。これを投入器に通すと改札機が動くようになってホームに入る。スルタンアフメドへ戻ろうかと思ったが、途中で下車してスレイマニエモスクに行ってみることにした。若い女性が席を譲ってくれる。彼女はイスタンブール大学で国際関係について学んでいるとのことで、英語の教科書をかかえていた。しきりに、何番目の駅で降りればいいかを教えてくれた。トラム内で座席を譲るマナーは、日本人は最低に近いと思う。若者が股を広げて座っていたり、化粧をしながらそ知らぬ顔をしていたり…で、本当の老人に対して、席を譲られるくらいの年配の人が席を譲っていて、その横で平気で携帯を見ている若者が居る。こいうのは日本特有である。国際的には、恥ずべきことだろう。トルコもずっとマナーは良かった。
教えられた駅からは、有名なグランドバザールの横を通って、スレイマニエモスクに行く。右手がグランドバザール、左手が高い塔のあるイスタンブール大学である。この道が大変な混雑だったので、懐には極端に注意して歩いた。このモスクの詳細もガイドブック通りである。こうして、イスタンブールの観光の第2日目も、バス待ち1時間という予想外のトラブルもあったが、無事修了した。ホテル近くに有名なレストランがあることを知って、行ってみようかと思ったが、ここはシーフードとギリシャ料理らしいので、いつものようにホテルのテラスでのトルコ料理を楽しんだ。

3.4 ガラタ塔・ボスボラス海峡
旧市街の見所はほとんど終了。今日は夕方の便でカッパドキア観光のため、イスタンブール空港からカイセリ空港へ飛ぶ日である。SAKURA TOURでは、e-チケットの番号のみ教えてくれているので、航空会社も不明なので、少し早めに行ってみようと思う。まず、チェックアウトを済ませて、荷物をホテルに預け、新市街の入り口にあるガラタ塔に行く。トラムで国鉄駅の側を通って、ガラタ橋を渡ってすぐに下車。ここからは急坂である。ガラタ塔からの眺めも素晴らしいものがある。上の展望台をグルッと1周するだけだから、そう時間を食うわけでもない。とろい観光から戻ったら、ここよりさらに坂道を上がったところに宿泊するんだなと思いながら、また厳しい坂道を下ってガラタ橋のほうへ。橋の近辺を歩いていると、ボスボラス・クルーズの呼び込みの声がかかった。ここでは相手にしなかったが、天気も良かったので、急にボスボラス・クルーズに出てみることにした。さっきとは別のところへ行くと、2時間で30リラという。今度は途中で降りることもないので、これに乗ることにする。何時発ということでもないようだったが、11時少し過ぎに船は出発した。第1ボスボラス大橋の下を通り、第2ボスボラス大橋の下で折り返す。実に快適なクルーズである。値段もそう高くないので、お勧めである。ドリンクは船内で売っているが、食事類はない。まあ、食べたり飲んだりするより景色の方が重要だが。
クルーズ終了で、ガラタ橋に戻る。丁度、昼食時でガラタ橋の下(橋が2重になっている)では、沢山のレストランが客引きをやっている。高めなら魚などシーフードのグリル、安めなら各種のケバブということになる。明日からは魚とも縁が切れる地方に行くので、前者にした。値切ればトルコティーなどが無料になったり、13リラが10リラになったりする。味は悪くない。客引きに成功したり失敗したりする様子を眺めるのも面白い。
ゆっくり食事をして、あとは今度はホテルまで歩いてかえった。多くの急坂も少しは慣れてきたのかなという感じだ。ホテルでは少し休んでから、タクシーを呼んでもらって空港へ。来るときと同じルートで空港へ向かった。ただ、今度は国内線の方である。空港に入るのが大変でセキュリティ・チェックが大変である。またベルトまでを取って、空港内に入ることが出来た。e-チケットの番号を見せると、トルコ航空であることがわかり、トルコ航空のカウンターへ行く。手続きは実に簡単に出来た。待合室に入って、あとはカイセリに向かうだけである。

4. カッパドキアへの旅とカッパドキアからトロイ遺跡へ
午後6時過ぎの出発なので、外は暗くなっている。カイセリ空港到着は午後8時。出発前に調べた天気予報では、カイセリの気温は氷点下になったりしてたので、寒さを気にしながら飛行機を降りる。空港ビルも小さくはあるがそれなりで、荷物を受け取って外に出る。SAKURA TOURからのメールにあったように、私の名前を書いたプレートをもった若い人がいる。ムラット君というそうだ。彼の車で、ユルギャップの洞窟ホテルへ向かう。1時間かかるという。ムラット君は日本語を少し勉強しているとのことだが、達者ではない。明日からのガイドは別人で、彼はドライバーに徹するらしい。この間の道は夜だったので、星しか見えない。それがものすごく大きくて美しい。オリオン座などがとても立派に見えた。1時間の走行で、洞窟ホテルのElkep Eviに到着した。本当に、岩肌に洞窟が掘ってあって、それがホテルの各室になっている。1つの入り口ドアを開けると、結構広い部屋があり、ベッドやソファ(これも岩をくりぬいた棚に絨毯がひいてある)がある。奥にはバス・トイレもあり、普通のホテルの1室と変わりはない。住み心地は快適であるといえる。このホテルの問題点は夕食のレストランにある。夏場は観光客も多いので、レストランをやっているようだが、11月となると閉鎖している。フロント(これも別の洞窟にある)で聞くと、少し下ったところに店があるという。あまり電灯もない道なのだが、言われたところを進むと店があった。小さな雑貨店的で、併設のミニレストランは、もう閉まっていた。仕方なく、ビスケットのようなのとビール(多くのところでエフェス産のビールを飲んだが、味は問題なかった)を買ってきて、わびしい夕食をとった。
カッパドキア観光の第1日はホテルの朝食から。気温はやはり低くて冬の服装。それでも晴れているのがありがたい。朝食は、なんと屋外である。ここで簡単だが、おいしいパンの朝食。クレープのような食べ物や卵料理は調理してくれたあったかいものを食べる。雄大なカッパドキアの風景を見ながら、この地方に多い、非常に大型だが人なつっこい犬に見られながらの朝食も面白いものである。カッパドキアの観光の中心地の一つのギョレメの町の方向でバルーンが5個ほどあがっている。これが、カッパドキア観光の中で有名な気球でのカッパドキアの見物バルーンだろう。風がないのでまっすぐ上に上がっている。ただ、これに乗ろうとすると、朝早くしかやっていないようなので時間的にもむつかしくなりそうだ。むしろ地面に足をつけているほうが色々体験できるだろう。SAKURA TOURのカッパドキア観光は日本語ガイド付きで、きのうのムラット君運転の車にガイドのエルシン氏がついてくる。彼は日本の友人も多いとかで、日本語は堪能である。ムラット君は中東系の顔立ちだが、エルシン氏は西欧的な顔。つい英語で話しかけかけるが、日本語がいいというので面白いことだ。早速、バルーンの観光がしたければ…と切り出したが、これは断っておいた。朝が早いからとは、彼も言っていた。観光は、通常のコースだろう。製造工程から見せるといって、陶器の工場やトルコ石の工場へ連れて行く。どちらも当然ながら、工場(陶器の場合は、日本でいうと窯元)の過程も面白いし、多くの製品は展覧会を見ている感じもある。ただ、ぼんやりしすぎていると、高価なものを買わされるから要注意だ。ただ、モノそのものは、イスタンブール等で購入するより、上質で安価なように感じた。昼食を洞窟レストランで取りながら、カッパドキアの一日を満足する。また、夕食の問題があるので、その旨を伝えると、ムラット君がユルギャップの街中へ車で連れて行ってくれることになった。ホテルから街中は地図で見ると400メートルほどと近いが、坂と暗さが問題で、なぜか勝手には動くなという注意もあった。野犬でも多いのだろうか?ムラット君は、そう高価でないレストランに連れて行ってくれた。もちろん、前菜とケバブである。横のテーブルの2人連れの地元のおっさんが、タバコをふかし、ミルクを飲みながら料理を食っている。いい機嫌そうだったので、よくもミルクでいい機嫌になるなと思ったが、液体はミルクでなくて、トルコ名産のラクだった。そのままでは透明だが、水を混ぜると白くなる。それをコップで飲むのがトルコ風。以前に、ギリシャで飲んだウーゾーと同じだ。そういう話をすると、トルコ人は、「ウーゾーがラクと同じだ」という。両方のアルコールの起源は不明だが、どちらかが真似なんだろう。ユルギャップの街中は結構商店もありにぎやかなようだった。
翌日も快晴で風はない。11月下旬としてはめずらしいらしい。洞窟ホテルの前の水溜りには氷が張っているので、温度は低いのだろうがそう寒さは感じない。その昔に大噴火して、その火山灰でカッパドキアの奇観を作り上げたという富士山より高くて3917メートルのエルジス山の雪をかぶった姿がよけいにきれいに見える。車で動く以外に、ローズバレー渓谷のハイキングというのが入っている。のどかな地域をぶらぶら進む。ところどころに洞窟があったり、奇岩があったり絶好の景観地があったりである。ここは団体ツァーでは来ないらしくて、気持ちがいい。ハイキングといっても、イスタンブールの急坂を経験していると、それより楽な感じがする。葡萄の木が随所に植わっている。昔から栽培しているようで、カッパドキア地方はワインの故郷の一つのようだ。カッパドキアのワイン(赤ワインしか飲んでいないが)は飲みやすくて良質だと感じた。でもちろん、この日も工場見学がついている。当然ながら、絨毯である。これも実に見事なもので、芸術鑑賞のようなのを次々見せてくれる。日本風の和室にはマッチしないが、洋風の家なら案外あいそうな絨毯もいくつかあった。これもイスタンブールの土産物店で買う気なら、カッパドキアの方がお買い得だろうと感じた。こうして、午後4時頃にカッパドキア観光が終了し、SAKURA TOURのオフィスでアンケートを書いたりした。工場見学といえば、当初の予定にあったワイン工場は行ってみたかった。もちろん、カッパドキアワインの試飲が目的。ただし、おそらくテロ対策で液体の機内持ち込みが禁止の影響だろうが、ワイン工場の見学はなかった。カッパドキアでの唯一の心残りである。
さて、SAKURA TOURのスケジュールでは、午後5時30分にユルギャップを出発して、夜行バスで翌朝にチャナッカレに着くことになっている。エルシン氏は、バス旅行は大変だというようなことを言っていたが、朝の8時頃にはチャナッカレに着くだろうとのことだった。ムラット君に頼んでバスに荷物を積み込んでもらう。夕食用のスナックも熱々のを買ってもらう。ところがバスの前面に出てる札はアンカラ行きとある。びっくりして聞くと、カッパドキア地方の中心都市の一つのネヴェシュヒルまで行って、大きなバスに乗り換えるのだそうだ。バスは午後5時半過ぎに出発。エルシン氏もムラット君も手を振っていたので大丈夫なのだろう。しかし、ネヴェシュヒル発は6時で乗り換えると聞いていたのに、6時になってもまだネヴェシュヒルのオトガル(日本でいうとバスのターミナル)に着かない。イライラしながらいると5分くらい遅れて到着。どうするかなと思って、運転手に聞くと、10分にはチャナッカレ行きがすぐ横に到着するから待てという。仕方なく待つ。オトガルの建物に行ってもバスの時刻表のようなのはない。人だけが沢山集まっている。待っている人の中には英語が通じる人も居るので聞いてみると、チャナッカレ行きのバスはカイセリから来るという。待つこと1時間強、やっとバスがやってきた。ユルギャップからのアンカラ行きもずっと待っていた。カイセリからこのバスでアンカラに行く人も多いからだ。これだけ遅れたから、すぐ出発と思いきや、とんでもない事態が発生する。バス周辺に詰め掛けていた若い男性が何人かを胴上げしたりしながらバスの中へ掘り込む。大騒ぎで、バスの中にも乗客でない若い男性がごろごろ居る。外の連中がバスをゆするので、バスが右左に傾き、実に気分が悪い。あまりにも度を過ぎた馬鹿騒ぎだ。最終的に、迷彩服を着てライフルを持った軍人みたいなのが乗り込んできて整理する。やっと動き出したのは1時間半以上遅れてである。ところが、バスは実にのろのろ進む。外では、さっきの若者の馬鹿騒ぎが続いている。しかも、チャナッカレ行きのバスの前後左右を、若者たちを乗せた各種の車が取り囲んで、のろのろ進みながら歓声を上げたり爆竹のようなのを鳴らしたりしている。パトカーのようなのが警笛を鳴らしてやってくると少し動くが、また前と同様。公衆が利用するバスを我が物顔に占拠するトルコの若者がいやになった。こういうことをやっていると、EUには入りたくても入れないだろうなと思う。こういう騒ぎは真夜中に到着したコンヤのオトガル近くまでは続いた。しかも、オトガル以外に、イスタンブールのドルムシュと同じように、標識もないところに人がいて乗り込んでくる。そのたびに、周囲の大歓声等の大騒ぎである。あとで聞くと、丁度20歳の男性が徴兵で入隊するために移動しているかららしい。入隊ともなると、しばらく親元も生まれ育った地域も離れるし、死地に赴くこともあるので、別れを惜しむのは当然だが、かなり疑問に思った。第一は、入隊なら、公共輸送機関利用でなくて、トルコ軍が専用車を配置すべきだし、第二に、入隊は毎年の行事だから、SAKURA TOURもこれを承知しているべきで、こういう日のバス移動は進めるべきではないということである。日本なら遅れを取り戻す努力をするのだが、トルコは違うようだ。休息時間を守ることに重点を置いている。バスは各オトガルでトイレ休憩(トイレは皆有料で0.5リラ必要)や軽食のために休む。15分強が普通のようだが、コンヤでは50分は休んでいたようだ。これを短くして…とは思わないのだろう。バスの中では、飲み物サービス(チャイ、コーヒー、水あと場合によってはコーラやファンタ)と2回の菓子類のサービスがある。こんなので、チャナッカレには、午前11時頃に到着した。途中で降りたりイライラしたりしていたとはいえ、17時間半も夜行バスにかかったことになる。これもトルコの若者の馬鹿騒ぎと軍隊のためだ。

5. トロイ遺跡とチャナッカレ
やっとの思いでチャナッカレに着いた。カッパドキアの街々に比較すると、エーゲ海に近いし有名なダーダネルス海峡に面しているだけに活気があって大きな町という感じだ。オトガルに降りて、看板を持った迎えがいるかなと思うが(バスがものすごく遅く着いたから)、見当たらない。ややこしい人間に聞くのもいやだしで、Informationらしきところを探すがよくわからない。市内への送迎バスの話ばかりしている。とはいっても、小さな町だし、ここは坂がないようなので、地図通りだと宿泊予定のホテル(MYDOS)には遠くないはず。それで、ホテルの場所を尋ねると、歩いて600メートルと教えてくれた。さてと荷物を抱えて歩き始めると、若いトルコ人がやってきた。どこへいくか?と聞くので、MYDOSだと答えると、それは自分のホテルだから車で送るという。こういうのが怪しい手合いである。それでも離れずに、おまえが自分の客だという。それで、もしやと思って、「それなら私の名前を知っているのか」と聞く。携帯電話でどこかへ聞いて、怪しげながら正しく名前を言っている。それで間違いないと思って、ホテルへ案内してもらう。タクシーは当然、先方もちである。すぐに、ホテルのすぐ近くのANZAC TOURというところのオフィスへ。今の若いのと、オフィスのリーダーみたいなのがいうには、お前は今日のガリボリ・アンザックのツァーには遅れたという。これも、SAKURA TOURから聞いていた午後の予定とは違って、午前11時に出発しているとのことだ。SAKURA TOURの手配したバスが延着したんだから、こちらの責任ではないのでなんとかしろというと、明日の朝7時45分発でトロイ観光をして10時45分に戻り、11時からのガリボリ・アンザック観光を行い、午後4時に戻る。そのあと、イスタンブールのホテルまで送るという。ホテル到着は午後10時にはなるという。考えたが、ガリボリの観光は、アタチュルクが勇名をはせた戦争の地で、我々にはそう関心があるわけでもない。また1日ギチギチのスケジュールでは疲れも増すし、食事もいつ取るのか不明である。それで、トロイ観光のみとし、当初の予定通り午後1時発のバスでイスタンブールに戻ることにした。
このときに、最初に出会った若いトルコ人から耳寄りな情報を2つ聞いた。一つは、カッパドキアからチャナッカレへのバスの超遅延に関する事項で、あのときバスに乗っていた若者は、兵役で入隊する20歳のトルコ人で、友人や親族が総出でバスまで見送りに来ていたということ。上でも書いたが、それで公共輸送機関に迷惑をかけるのは良くないことだ。第二は、パパ(Papa)の話。パパといってもローマ法王で、丁度トルコを訪問していて、今日はアンカラからエフェスへ。明日かにはイスタンブールの旧市街のアヤソフィアとブルーモスクを訪問するという。変な渋滞に巻き込まれなければいいなと思う。そういえば、1泊したウィーンでは、空港近辺でも、クリスマスの飾りが随所にあってきらびやかだったが、イスラム教徒が大半のトルコでは、クリスマスのムードはまったくない。現代のトルコ文化を支えているオットマントルコ(これがトルコ語の和訳で、オスマンというのは英語的だから、オットマントルコというべきでオスマントルコというのは間違いだろう)というのはイスラム教徒。その前のセルジュクトルコも然りで、キリスト教徒の十字軍とはコンスタンティノープル(すなわちイスタンブール)争奪に熾烈な戦いをしていたのだから、そう簡単に和解もしないだろう。逆に、こういう風潮が、キリスト教国中心のヨーロッパ共同体(EU)へのトルコ加盟の障壁にもなっているのだろう。文化はたしかに大きく違うなと感じる。
いずれにしても、午前が自由時間のはずが午後が自由になった。チャナッカレ市内見学を兼ねて、チャナッカレの考古学博物館に出向いた。日本のガイドブックの地図では歩いてもすぐ行ける距離のところにマークがしてあった。しかし、これは大違いで、相当の距離を歩くことになる。またほとんど標識もないので、考古学博物館には行きにくかった。歩いている英語がわかるトルコ人がやっと教えてくれて、自分の家の向こうだという。彼も大学で英文学をやっているそうで、先生は日本名のようだが、英語も読んだり書いたりは十分でも話すのは苦手だと言っていた。先生と日本語では話さないらしいし、先生が日本とどうつながっているのかも不明だそうだ。やっとたどりつた考古学博物館はひっそりしている。先客が帰るところで、あとは我々だけが客。ガイドブックには、トロイ遺跡の予習にいいとあったが、トロイの発掘品はごくわずかで、トロイ遺跡の勉強にはならない。イスタンブールの考古学博物館の方がずっと多くの発掘品を整理している。ただ、このチャナッカレの考古学博物館は、チャナッカレやダーダネルス地域の古い遺跡の発掘品が多く展示してある。学芸員らしい人がやってきて丁寧に説明してくれる。ただし、この人の英語も怪しげで、質問するとまともに答えは返ってこない。それでも親切ではあった。展示物はそう沢山なくて、期待ほどではなかった。街中へ戻るのも歩く。チャナッカレには十数種類のルートでバスが走っている。便利なんだろうが、考古学博物館へ行くバス(C7路線)のチャナッカレ街中の停留所を探せなかった。知らない町だから歩くのも悪くはなかろうとダーダネルス海峡を見ながらである。市内に公園があるので寄る。月曜だったので、休みのところはあるが中を歩くのは自由で、入り口にはトルコ海軍の兵隊が立っている。翌日、少しの時間の余裕で再訪して、公園内のチメンリク城(15世紀に建築されたようでダーダネルス海峡をはさんだ対岸のキリトバヒル城と一対をなしている)内の写真等を見て、あと屋外の魚雷艇のレプリカに入る。これが海軍博物館的になっていて、アタチュルクの頃からのトルコ海軍の状況を示している。これら以上に、ダーダネルス海峡の波の速さや海岸の多くのきれいな石に目が行った。
ホテルMYDOSは海岸沿いなので、窓からフェリーの発着状況がよくわかる。ダーダネルス海峡を渡って対岸まで30分をひっきりなしにフェリーが通っている。バスも乗っている。このホテルは3☆だそうだが、まずまずで清潔だった。夕食用のレストランは当然シーフード中心。海岸を歩く人たちやフェリーから降りる車が行きかう海岸沿いの道をながめながらということになっている。朝食もここだが、7時からオープンのはずが、7時に担当者がやってくるわけで食事開始は遅れる。なんとか済ませて、7時45分のトロイ観光に参加する。昨日のANZAC TOURの人間が迎えに来てオフィスへ。MYDOSホテルからは、あと2名でオフィスでもう1人待っていた。バスは途中の5☆ホテルで停車して2人を加え、総勢で7名。トロイ遺跡の入り口のショップのところでガイドが乗り込む。ムスタファ氏といって英語は堪能で盛んに駄洒落を飛ばしている。手にTROYという案内書を持っていて、それを片手に順番に進む。入り口にあるトロイの木馬の模型は修理中だったが、こういうのはどうでもいい。やはり、こういう遺跡は本で見るだけより現地に行ってみると面白い。シュリーマンがここをよくも見つけたなとも思うし、重要な部分を破壊したなとも残念に思う。ムスタファ氏はそういうことをあれこれしゃべってくれる。手にしていた案内書は、ご自分が書いた本であるとのこと。裏表紙の写真はずっと若いときのものなので、本人かどうかは写真だけからはわからない。誰かが訳した日本語版もあるというので、帰りにショップで購入した。15リラだったかだが、学術的なことも書いてあって面白い読み物だった。裏表紙には、同じ若かりし頃のムスタファ氏の写真があった。こういうガイドのめぐり合えたのは、団体旅行にはない良さである。少なくとも、彼は日本語ではガイドはしてくれないから。元々、トロイ陥落後にトロイ人の末裔がイタリア半島に住み着き、その一族が大きくなり、その中から狼に育てられたロムルスが出て、ローマの建国にいたったという話は知っていたので、このことをムスタファ氏に尋ねてみると、上の案内書には書いてあることと、後のローマ皇帝が建国の話によって、何人もトロイを訪れていることを教えてくれた。
バスは10時過ぎにトロイ遺跡を出発する。乗っている客の5組7人は各組ごとに以後の予定が違うようで、そのままガリボリ・アンザック観光に出かける者、チャナッカレで下車する者等々だった。我々もチャナッカレで下車して、市内散策(上記の公園行き)と昼食で、ANZAC TOURのオフィスで待つ。午後1時には、バスがオトガルではなくて、フェリー乗り場から出発する。すぐフェリーへそのまま入る。バスの車体自体は、カッパドキアから長時間乗車したのと同じで、トルコとしてはいいものだろうが、日本の長距離バスよりは格下の感じだ。ただ、今回は6時間くらいの乗車だろうから楽である!フェリーでチャナッカレの対岸に渡ると、カッパドキアからの夜行バスと同様に、オトガルではトイレ休憩+αで、標識のない乗車点にも停車し人の乗り降り(時刻表もないのに、乗車する人もたいしたものだ)、そして喫茶サービスがある。景色は右手のマルマラ海側よりも、逆のエーゲ海側の方がいい。イスタンブールに近づくと、やはり大都会だけに色々の明かりが増え、道路も片側4車線の高速道路になる。イスタンブールのオトガルは格段に大きく、何層にもなっている感じである。タクシーも安心なのがいいが、タクシーのたまり場らしきところが近くには見当たらない。なんとか黄色のタクシーを呼び止めて、Richmondホテルへ向かった。このタクシーも安くて20リラはしなかった。

6. 再びイスタンブール(新市街)
Richmondホテルは、トルコで初めてアメリカンスタイルのホテルに入った感じがした。特に、エレベータホールを降りたところにドアがあり、ここにカード形式のルームキーを入れなければダメという二重式でセキュリティ面ではいいなと思った。ホテル前は雑踏で店もあるんだろうが、面倒なのでホテルのレストランに行くことにする。6階でボスボラス海峡というか、片方はいい眺めになっている。レストランは予約制で、窓側のいい席にはつけなかった。メニューを見ると、イタリア料理的なのが多くて、トルコの伝統料理とは違っている。品数も多くはないので、選択の余地も少ない。むしろ西洋料理のレストランという感じだ。味は良かったが、比例して値もはっていた。Armadaホテルのレストランと比較すると、Armadaの方がやぼったいがトルコ風で、価格は似たようなものという感じだ。朝食は7階でバイキング形式で、こちらも完全にヨーロッパ的。トルコ料理的なのは、ヨーグルトとトマトとキュウリくらいか。なお、7階は眺望よくない。それに隣室の声が筒抜けなのには驚いた。多くの外国人にとって、日本語は暗号みたいなものだから、しゃべっていても問題ないだろうが、団体ツァーのように日本人ばかりだったら、使えないホテルだろう。全体的な印象派悪くないのに、少し残念である。
イスタンブールでの観光も最終日になり、今日は新市街。といっても、是非行きたかったのが、ドルマバフチェ宮殿と軍事博物館。前者はボスボラス海峡沿いにある広大な宮殿で、トプカプ宮殿が手狭になって建てたものとのこと。アタチュルクが一時執務を取ったのも、最終的に亡くなったのも、この宮殿。現在でも外国の賓客用のパーティー等の行事で使われているとのことだ。ホテルからはガラタ橋のほうへ、急坂を滑らないように降りる。トラムで2駅で終点で、ここから少し歩く。ガイドブックによると、ドルマバフチェ宮殿前あたりまでトラムが延長されるように書いてあるが、これはまだ。ただし道は平坦だからどうのということはない。宮殿見学とハレム見学との2つの見学ルートがあって、英語かトルコ語のガイド付きツァーしかない。ここでも、日本人団体がいたが、英語ツァーにしたがって回ってはいるが、少し離れた別グループを形成して日本語でやっているようだった。改装中の箇所も多くて、いくつかは見られない。日本から贈られた陶磁器等を説明してくれた。途中で、アメリカのブッシュ大統領やイギリスのブレア首相らが来たという話や、ブッシュが使ったトイレがこの奥などと歩きながらガイドが言ってくれる。イラクやアフガニスタンで大量の人たちを殺害させたアメリカ大統領の顔など見たくもないし、彼が使用したトイレなんて…である。最後に、そういう各国の首脳などが来たときにパーティー等で使用する大広間に入った。豪華なシャンデリアが飾ってあって、このシャンデリア等は首相等が来たときには点灯するのだそうだ。私は残念ながら日本の総理大臣ではないので、今日は点灯しないのですね、と聞いておいた。ちなみに、映画俳優のショーン・コネリーが来ると点灯するそうだ。ガイドの説明では、彼は英国貴族で、王室と関連しているからと言っていた。これはよくわからない。英国貴族の称号のSirは、確かに彼にもつけられているが、昔と違ってSirは大安売りされていて、英国の歌手や俳優でもSirは何人か居るから王室との関連はないのではと思う。ただ、この話を知った、別の著名俳優(名前は忘れたが、007等の映画を見ない私でも知っている名前だった)がやってきて、シャンデリアの点灯を求めたが、ダメだったということもあったらしい。ハレムの観光は、また別になっていて、これも英語ツァーに入る。アタチュルクの亡くなったベッドにはトルコ国旗がかけてある。アタチュルクは、近代国家トルコ建設に当たって、日本の明治維新を参考にしたという。それで、トルコ人には日本に親近感を持っている人が多いのだそうだが、日本ではどうだろう?スルタンは4人の后(妃)を持つことができたのだそうで、ハレムには各后の部屋がある。ただ、ものすごく沢山の部屋はスルタンの母親用に当てられている。4人の中でも、次期スルタンの母后は特別になるようだ。こちらのガイドは女性だったので、もしあなたがスルタンの母后になったら、こんなに沢山の部屋を同使うのか、と聞いてみると、自分のいとこだとか誰やらとか(全て女性)を宿泊させたり、食事をしたりと実にまじめな答えが返ってきた。ただ、こういう風に、子供までも男性でなければいけないという、超男性優位の社会は、たしかに過去の遺物だなと痛感した。
ドルマバフチェ宮殿は大きく時間もかかったので、軍事博物館のほうを目指して、坂を上ることにする。ガイドブックでは、メトロが坂の上のタクシム広場(新市街の中心で大変な交通量)まで完成間近のように書いてあったが、これも出来ていないので仕方無しである。タクシム広場近辺には著名な高級ホテルも並んでいる。そういうのをやり過ごして、軽食を取りにケバブを中心にしているレストランに入った。一見、紳士ぜんとした人たちが食べている。珍しく日本のように水はただで、欧米のようにパンもただ。突然、大人数の中学生か高校生みたいな一団が入ってくる。多様な人たちが入るレストランだなとビックリ。外に出て、軍事博物館の方へ歩く。警察が沢山出ていて、道路に柵を作っている。柵というより強固なバリケードだ。おそらく、ローマ法王のイスタンブール訪問と関係あるんだろうが、詳細は不明だ。そういえば、イスタンブールで最初の観光のときに、アヤソフィアで閉門直前に警察が突入してきたのも同じ関係の予行演習だったのかもしれない。法王の警護というより、今のローマ法王がイスラム教徒を敵視したような発言をしたりしていたので、反対行動を阻止する目的や、その練習だったようでもある。Papaとはいうものの、ローマ法王もやっかいな存在だなと思った。
軍事博物館そのものは、別段そう面白いものでもない。中世からのトルコやヨーロッパの武器が沢山陳列してある。広い建物で2階建てなので、展示物の総量はものすごいものだ。ここにも、アタチュルク関連の陳列もあり、トルコの高校生風のグループがメモを取りながら見学していた。ここでの興味の中心は、陳列よりはミュージックである。またオットマントルコ時代の親衛隊の服装をしたメンバーによる演奏である。屋外でもやっていたようだが、今は屋内のホールでやる。午後3時開会で、かなりの人間が集まる。この親衛隊の紹介のビデオが英語で流れ、あと入場となる。腕を曲げて後ろまでまわすおかしな形での行進である。赤い上着が多くて、ラッパとドラムによるすごい音の演奏が始まる。行進曲として、耳慣れた曲もあったが、サクラサクラなども入って30分弱の前半が終了する。ここでも、日本人観光ツァーの団体がいたが、ここでおそらく別のところへ移動のようで退出。少しして、後半が始まる。最初と同じ親衛隊の紹介が、今度はトルコ語で流れ、また親衛隊の入場そして演奏になる。曲は前半とは別で、むしろ後半の方が迫力があった。最後にアッラーの名を唱える曲があったが、これが最高の感じだった。後半も30分程度の演奏だった。帰りに買って帰った親衛隊の演奏に関するCDブックについていたCDの最後も同じ曲だった。こうして、軍事博物館を出て、タクシム広場の方向へ歩いた。やはり、バリケードはそのままで警察官の姿も多かった。
タクシム広場から、Richmondホテルへは、トラムの細い単線の線路がひかれているイスティクラル通りを歩いて帰るだけである。タクシム広場のトラムの終点あたりは舗装もはがされて工事中で、当然トラムも走っていなかった。この通りは、イスタンブールで一番の繁華街といい、歩行者天国である。大混雑していた。この通りは急ではないが、坂を少しずつ下るとホテルになる。今日の夕食で今回のイスタンブールでの夕食は最後になる。折角だからトルコ風の料理でしめたくなり、ガイドブックにあったハジュ・アブドゥラーという老舗のトルコ料理の店に行く。イスティクラル通りで、ホテルから10分くらいタクシム広場の方へ歩いたモスクの横にある。店は簡単に見つかった。さすがに、トルコ風の食材が飾ってあって、しめしめと思う。隣のテーブルにメニューが伏せてあったので見るとトルコ語だけ。これではダメなので、待つことしばしで英語メニューが来た。あれこれ選択する。価格もホテルよりは安い。そして、ワインでもと思って頼もうとすると、あっさりと「ノン・アルコールの店です」と言われてしまった。これは残念。アルコール無しの夕食なんて…という感じで、食はそう進まなかった。イスラム教徒が大半を占める国だから当然でもあるが、ガイドブックには、このことは記載すべきだと思った。ただ、ここでの自家製ヨーグルトは絶品だった。帰りにせめてビールを…と思って、エフェスの缶ビールを買ったが、おいしくなかった。このビールは瓶ビールに限る。
ホテルに戻って、明日のイスタンブール空港行きの話をすると、フロントが早速Papaの話をしだした。イスタンブールの街中で激しい交通規制があるので、通常なら30分で行ける空港も何時間かかるかわからないから、早く出発しろという。朝早くなら交通規制も少ないだろうということだった。それで、翌朝は7時出発にする。朝食レストランは7時オープンなので、空港で朝食にしようかと思っていると、フロントが6時40分には用意はできているから、朝食を食べてから出発すればいいと言ってくれる。これで、朝も助かった。タクシーもちゃんと用意してくれていて、運転手は英語もしゃべれるし、なるべく規制に会わないように急いでくれた。少しだけ、バックして別の道を

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
高速・路線バス
航空会社
オーストリア航空

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