1980/01 - 1980/01
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ソフィさん
私が金沢市立材木町尋常小学校に転校してきたのは、日本中が紀元2600年に沸く1940年の秋、4年生の半ばである。
この学校は、明治の初めに私学からスタートした伝統校だが、教育実験校的な性格が強く、男だけの珍しい学校だった。
同じ校区に、男の小学校と女の小学校(味噌蔵町小学校)と、二つの小学校があったのだ。
また箕面小学校は尋常高等小学校だったのに比べ、ここは尋常小学校と、高等小学校を持っていない。
高等小学校は、金沢全市に男女それぞれ1校ずつ設けられていた。
当時の日本における義務教育期間は6年間であり、6年間の尋常小学校終了後、中学教育機関に進学しない者は2年間を高等小学校に学ぶことが出来た。
尋常小学校卒業時点で中学校受験資格があり、高等小学校卒業時点で師範学校への受験資格が与えられた。
しかしその後間もなく学制の改革があり、義務教育期間が8年となって、小学校の名前は国民学校に改められる。
それまで在学した大阪の、箕面村立箕面小学校とは色々なところで違っていて、しばらくは戸惑いばかりだった。
履物は同じ前ゴムのズック靴だったが、学生服は、紺色のサージから、黒い小倉に変る。
短かったズボンは、長ズボンとなる。
洟垂れ小僧の率が、20%から40%へと倍増する。
しかしそのような見かけ上の変化よりも、心の内の変化がはるかに重大だった。
私にとっては、クラスのボスから、孤立者への転落である。
クラス全体が友達だった箕面時代に比べ、新たな学校に来た今は、友達ゼロからのスタートだった。
先ず第一歩は、いかに多くの友達を作るかなのだ。
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