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 1997年6月末永かった役人生活におさらばし、全時間が私の物になりました。拘束から解き放たれたこの自由な気持ち!さあー世界に飛び出そうとまずロシアに向かうことにしました。趣味で囓っていたロシア語がどの程度の通じるものか?確かめる気持ちもありました。向かう先はハバロフスク州オホーツク市です。この北の果ての寒村には15年来のアマチュア無線の友人が住んでいます、彼からの個人招待状でビザを取得しました。<br /> 北海道から新潟に飛び当日中にハバロフスクの空港に一人で着きました。ここでトラブル発生!! 友人へのお土産と持参したアマ無線用のトランシーバーが税関に引っかかりました。別室に連れて行かれ、市内から駆けつけたロシア軍の係官、電波監理局、税関当局の係官等に取り囲まれ、取り調べです!<br /> 今思い出しても冷や汗ものです。文法的にはめちゃくちゃな電報の様なただ単語を並べただけのロシア語で3時間猛烈に喧嘩をしました。この時の経験が今役立っています。以後7回ロシアを訪問しましたが全く物怖じしなくなりました。この日の結果は出国するまでに別途指示するが、当該トランシーバーは空港の税関に留め置く事になり、身柄保釈になったときは空港の明かりもほとんど消され、職員も居なくなった夜でした。<br />このトランシーバーは出国2日前に電波監理局に出頭しここでも一悶着有りましたが無事友人の手に渡っています。<br /> ハバロフスクの友人宅に1泊、翌日アントノフ18で5時間かけ北上してオホーツク市に、ここで2泊しハバロフスクに帰り2日遊び帰国しました。<br /> オホーツク市はハバロフスク州の北部地域にある当時1万弱の人口の寒村です、ここのオホータ川を3時間かけ約45Kmボートでタイガに分け入り鮭を釣り、河原で三平汁(ウハー)にして楽しんだことが思い出されます。 その際の旅行記です。

シベリヤのタイガを分け入りオホータ川での鮭釣り

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1997/08/15 - 1997/08/22

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Hidechan

Hidechanさん

1997年6月末永かった役人生活におさらばし、全時間が私の物になりました。拘束から解き放たれたこの自由な気持ち!さあー世界に飛び出そうとまずロシアに向かうことにしました。趣味で囓っていたロシア語がどの程度の通じるものか?確かめる気持ちもありました。向かう先はハバロフスク州オホーツク市です。この北の果ての寒村には15年来のアマチュア無線の友人が住んでいます、彼からの個人招待状でビザを取得しました。
 北海道から新潟に飛び当日中にハバロフスクの空港に一人で着きました。ここでトラブル発生!! 友人へのお土産と持参したアマ無線用のトランシーバーが税関に引っかかりました。別室に連れて行かれ、市内から駆けつけたロシア軍の係官、電波監理局、税関当局の係官等に取り囲まれ、取り調べです!
 今思い出しても冷や汗ものです。文法的にはめちゃくちゃな電報の様なただ単語を並べただけのロシア語で3時間猛烈に喧嘩をしました。この時の経験が今役立っています。以後7回ロシアを訪問しましたが全く物怖じしなくなりました。この日の結果は出国するまでに別途指示するが、当該トランシーバーは空港の税関に留め置く事になり、身柄保釈になったときは空港の明かりもほとんど消され、職員も居なくなった夜でした。
このトランシーバーは出国2日前に電波監理局に出頭しここでも一悶着有りましたが無事友人の手に渡っています。
 ハバロフスクの友人宅に1泊、翌日アントノフ18で5時間かけ北上してオホーツク市に、ここで2泊しハバロフスクに帰り2日遊び帰国しました。
 オホーツク市はハバロフスク州の北部地域にある当時1万弱の人口の寒村です、ここのオホータ川を3時間かけ約45Kmボートでタイガに分け入り鮭を釣り、河原で三平汁(ウハー)にして楽しんだことが思い出されます。 その際の旅行記です。

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  • 最初に到着した極東地方のハバロフスク市のレーニン広場からの風景。

    最初に到着した極東地方のハバロフスク市のレーニン広場からの風景。

  • この大きな建物は放送関係(テレビ、ラジオ)の部署が入っている建物。下の横に長く設置されている建築物にソ連を構成していた15共和国の紋章が掲げられている。3年後に此処を訪れたときには、この紋章は撤去されており、前の広場にはロシア正教の教会を建設中であった。その2年後には完成していた。

    この大きな建物は放送関係(テレビ、ラジオ)の部署が入っている建物。下の横に長く設置されている建築物にソ連を構成していた15共和国の紋章が掲げられている。3年後に此処を訪れたときには、この紋章は撤去されており、前の広場にはロシア正教の教会を建設中であった。その2年後には完成していた。

  • 初めてのハバロフスク市訪問。アムール河に設置されている河の駅。その後シベリヤを訪問して大河を見に行った際に河の駅がどこにでもあり、河川交通が重要視されていることがよく判った。

    初めてのハバロフスク市訪問。アムール河に設置されている河の駅。その後シベリヤを訪問して大河を見に行った際に河の駅がどこにでもあり、河川交通が重要視されていることがよく判った。

  • アムール河の落日。広大な大陸の大河を染めて今まさにシベリヤの大地に日が落ち様としている。この景色を十分に満喫して、河岸にたたずんでいた。

    アムール河の落日。広大な大陸の大河を染めて今まさにシベリヤの大地に日が落ち様としている。この景色を十分に満喫して、河岸にたたずんでいた。

  • アムール河を船で中島まで渡った。川面からみたハバーロフスクの町並み。<br /><br />

    アムール河を船で中島まで渡った。川面からみたハバーロフスクの町並み。

  • オホーツク空港前の駐車場から見た空港建物。駐車場はアスファルト舗装ではなく、角材を敷き詰められ<br />ていた。永久凍土にアスファルトを敷いても持たないのであろう。滑走路はタイガを切り開いた中に砂利が引き詰められていて、飛行機が着陸する箇所に鋼材が引かれていた。飛行機から自分の荷物を降ろし、2〜300m離れた空港建物まで自分で運んでいった。出口は建物の中には無く、外に牧場の柵の様な箇所から出て行く。

    オホーツク空港前の駐車場から見た空港建物。駐車場はアスファルト舗装ではなく、角材を敷き詰められ
    ていた。永久凍土にアスファルトを敷いても持たないのであろう。滑走路はタイガを切り開いた中に砂利が引き詰められていて、飛行機が着陸する箇所に鋼材が引かれていた。飛行機から自分の荷物を降ろし、2〜300m離れた空港建物まで自分で運んでいった。出口は建物の中には無く、外に牧場の柵の様な箇所から出て行く。

  • オホーツク空港管制棟。私が訪問した友人はこの空港で長い間ヘリのパイロットとして働いていた。今は退職していたが、ヘリで上空から遊覧飛行をしようと管制室に行ったところ、空港長から外国人の空港上空の飛行はまかりならんと、飛行を許可されなかった。<br />

    オホーツク空港管制棟。私が訪問した友人はこの空港で長い間ヘリのパイロットとして働いていた。今は退職していたが、ヘリで上空から遊覧飛行をしようと管制室に行ったところ、空港長から外国人の空港上空の飛行はまかりならんと、飛行を許可されなかった。

  • ヘリコプターの空港上空飛行は空港長からきつく禁止されたので、地上で乗り込んでみた。日本で見るヘリコプターと違って、ハンマーと金槌で手作りしたようなヘリコプター。すごいものだ!<br />

    ヘリコプターの空港上空飛行は空港長からきつく禁止されたので、地上で乗り込んでみた。日本で見るヘリコプターと違って、ハンマーと金槌で手作りしたようなヘリコプター。すごいものだ!

  • ヘリコプターMi8の計器類。すごい!これでよく飛べる物だ。

    ヘリコプターMi8の計器類。すごい!これでよく飛べる物だ。

  • オホーツク空港から市街地(約40Km離れている)に向かう道路。永久凍土地帯に建設された道路のため、路盤がうねり、非常な悪路である。もちろんこのときは未舗装、その後舗装されたか否か不明。しかし、永久凍土上に舗装道路を建設してもすぐに壊れるのではないかと思った。その後ロシアからの情報を見ていると、道路の下に発泡スチロールを引いてこの問題を解決しているようだか、膨大な建設費用がかかるだろう。

    オホーツク空港から市街地(約40Km離れている)に向かう道路。永久凍土地帯に建設された道路のため、路盤がうねり、非常な悪路である。もちろんこのときは未舗装、その後舗装されたか否か不明。しかし、永久凍土上に舗装道路を建設してもすぐに壊れるのではないかと思った。その後ロシアからの情報を見ていると、道路の下に発泡スチロールを引いてこの問題を解決しているようだか、膨大な建設費用がかかるだろう。

  • ハバロフスクからアントノフ18で5時間かけてたどり着いた、オホーツク市の空港から市街地に向かう途中の道端を白一色に染め上げていた、ワタススゲの群生。<br />北海道で何時も見ていたワタススゲの花より数倍も大きな花に、最初何の花か判らなかった。

    ハバロフスクからアントノフ18で5時間かけてたどり着いた、オホーツク市の空港から市街地に向かう途中の道端を白一色に染め上げていた、ワタススゲの群生。
    北海道で何時も見ていたワタススゲの花より数倍も大きな花に、最初何の花か判らなかった。

  • ロシア、ハバロフスク州、オホーツク市のメインストリート。車は殆ど走っていない、人も殆どいない。<br />ソ連が崩壊し、ロシアの地方は社会基盤、価値観も崩壊、人々はこの極寒の地から逃げ出していた。逃げ出したくとも、逃げ出すお金もない人々が取り残され、生活は荒れていた。道端には日中からウオッカをラッパのみする酔っ払い、割れたウオッカのビンが散乱している。

    ロシア、ハバロフスク州、オホーツク市のメインストリート。車は殆ど走っていない、人も殆どいない。
    ソ連が崩壊し、ロシアの地方は社会基盤、価値観も崩壊、人々はこの極寒の地から逃げ出していた。逃げ出したくとも、逃げ出すお金もない人々が取り残され、生活は荒れていた。道端には日中からウオッカをラッパのみする酔っ払い、割れたウオッカのビンが散乱している。

  • オホーツク市の海岸通り、人のいない海岸縁の集落は冷え冷えとしずまりかえっている。

    オホーツク市の海岸通り、人のいない海岸縁の集落は冷え冷えとしずまりかえっている。

  • オホーツク市の住宅外。私の友人は自宅の他、ここに1フラットを購入。まともなホテルのないこの地を訪れた外国人にこのフラットをホテル代わりに貸していた。<br />

    オホーツク市の住宅外。私の友人は自宅の他、ここに1フラットを購入。まともなホテルのないこの地を訪れた外国人にこのフラットをホテル代わりに貸していた。

  • オホーツク市の市庁舎。

    オホーツク市の市庁舎。

  • オホーツク市の公民館。ロシアにはどの市にもこの手の建物がある。イリイッチ(レーニンのこと)の文化宮殿と書かれている。中に入ってみた。今でも週末にダンスパーテーや音楽会に利用されているようだ。

    オホーツク市の公民館。ロシアにはどの市にもこの手の建物がある。イリイッチ(レーニンのこと)の文化宮殿と書かれている。中に入ってみた。今でも週末にダンスパーテーや音楽会に利用されているようだ。

  • オホーツク市街から2Km位はなれた高台にあるテレビ中継用のパラボラ。此処を訪問して、中を見せてもらった。広大なロシア領をテレビでカバーするためには、衛星で中継するより他にない。ロシア各地の辺境の地にもこのパラボラが設置され、地域にテレビ放送を中継している。

    オホーツク市街から2Km位はなれた高台にあるテレビ中継用のパラボラ。此処を訪問して、中を見せてもらった。広大なロシア領をテレビでカバーするためには、衛星で中継するより他にない。ロシア各地の辺境の地にもこのパラボラが設置され、地域にテレビ放送を中継している。

  • オホーツク市のオホータ河河口にある港。殆どの施設がストップしていた。さび付いた船やクレーンが目立つ。

    オホーツク市のオホータ河河口にある港。殆どの施設がストップしていた。さび付いた船やクレーンが目立つ。

  • テレビ中継所建物の内部、この建物の上部にパラボラアンテナがある。以前であればこんなところに外国人は絶対に入ることが出来なかったであろう。写真も自由に取らせてもらった。

    テレビ中継所建物の内部、この建物の上部にパラボラアンテナがある。以前であればこんなところに外国人は絶対に入ることが出来なかったであろう。写真も自由に取らせてもらった。

  • オホータ河の河口から見る、オホーツクの市街。クレーンが乱立しているが、稼動しているのは1台のみ、後はさび付いている。<br /> 18世紀に大黒屋幸太夫がこのオホーツクの村に滞在したときの集落はこのオホータ河の旧中州に在ったが300年後の今は、この中州は消失している。川面から岸辺を見ると、所々岸が侵食されていて、家が半分河の上に浮いている物も在った。

    オホータ河の河口から見る、オホーツクの市街。クレーンが乱立しているが、稼動しているのは1台のみ、後はさび付いている。
     18世紀に大黒屋幸太夫がこのオホーツクの村に滞在したときの集落はこのオホータ河の旧中州に在ったが300年後の今は、この中州は消失している。川面から岸辺を見ると、所々岸が侵食されていて、家が半分河の上に浮いている物も在った。

  • さあ今日はオホータ河を遡って鮭つりに出かけます。<br />モーターボート3台に分乗し、私、友人家族、さらに友人の友人(なんと彼らは漁業取締官、友達の知人が外国から来たので、規則には目をつぶり、私を護衛かたがた案内してくれるのです、さすが、ロシア)3人で、タイガを分け入って40Km遡上しました。取締官の腰にはピストルが、熊よけかと思い聴いたところ、時々密漁者と銃撃戦があるとの事。[お前は、俺の友達の友達なので、入漁料はいらない]とのこと。

    さあ今日はオホータ河を遡って鮭つりに出かけます。
    モーターボート3台に分乗し、私、友人家族、さらに友人の友人(なんと彼らは漁業取締官、友達の知人が外国から来たので、規則には目をつぶり、私を護衛かたがた案内してくれるのです、さすが、ロシア)3人で、タイガを分け入って40Km遡上しました。取締官の腰にはピストルが、熊よけかと思い聴いたところ、時々密漁者と銃撃戦があるとの事。[お前は、俺の友達の友達なので、入漁料はいらない]とのこと。

  • 我々がオホータ河ほ遡上していたときに、出合ったロシア軍の兵士たち。川岸によって彼らに会いに行った。川岸に軍用トラックとコンテナがあり、始めて出会った外国人と大歓迎。彼らの一部はすでにウオッカで出来上がっていた。軍ではすでに上部からのお金の支給がとまっており、此処で鮭を捕って生活費を稼いでいるとの事、帰りにまた寄ることを約束して。遡上を続けた。

    我々がオホータ河ほ遡上していたときに、出合ったロシア軍の兵士たち。川岸によって彼らに会いに行った。川岸に軍用トラックとコンテナがあり、始めて出会った外国人と大歓迎。彼らの一部はすでにウオッカで出来上がっていた。軍ではすでに上部からのお金の支給がとまっており、此処で鮭を捕って生活費を稼いでいるとの事、帰りにまた寄ることを約束して。遡上を続けた。

  • 40Km位遡上したところで河の中洲に上陸。つりを始めた。

    40Km位遡上したところで河の中洲に上陸。つりを始めた。

  • 私と釣り上げた鮭。川向こうのタイガから熊が歩く音が聞こえている。

    私と釣り上げた鮭。川向こうのタイガから熊が歩く音が聞こえている。

  • 2時間あまり釣りをして、全員で7匹釣り上げた。河の中洲で焚き火をして、取れたばかりの鮭の[三平汁](ロシア語で[ウハー]と言うが、)を料理して食べた。うまかった。

    2時間あまり釣りをして、全員で7匹釣り上げた。河の中洲で焚き火をして、取れたばかりの鮭の[三平汁](ロシア語で[ウハー]と言うが、)を料理して食べた。うまかった。

  • 三平汁とともに自宅から持ち寄ってサラダ、黒パンなど腹いっぱいになるほど食べ、楽しんだ。帽子を被って立っているのが私です。

    三平汁とともに自宅から持ち寄ってサラダ、黒パンなど腹いっぱいになるほど食べ、楽しんだ。帽子を被って立っているのが私です。

  • こけももの実をロシア人は好みます。持参したもの、美味しい。

    こけももの実をロシア人は好みます。持参したもの、美味しい。

  • 上陸した中州にあった、熊の足跡。周りには足跡だらけ。

    上陸した中州にあった、熊の足跡。周りには足跡だらけ。

  • 我々が上陸したオホータ河の中洲。河には鮭が遡上しているのが見える。

    我々が上陸したオホータ河の中洲。河には鮭が遡上しているのが見える。

  • 熊の足跡。我々人間の匂いがあるので日中は近寄ってこないから安心との事であるが、対岸のタイガの中を歩く音が聞こえていた。

    熊の足跡。我々人間の匂いがあるので日中は近寄ってこないから安心との事であるが、対岸のタイガの中を歩く音が聞こえていた。

  • 露西亜独特の乗り物、べジュデホート、水陸両用車、ツンドラの湿地帯はこれでなくては走行できない。しかし、植生の貧弱なツンドラをこれで走り回り、環境破壊を起こしている。

    露西亜独特の乗り物、べジュデホート、水陸両用車、ツンドラの湿地帯はこれでなくては走行できない。しかし、植生の貧弱なツンドラをこれで走り回り、環境破壊を起こしている。

  • 帰りにロシア軍のところに又寄り、2時間程度ウオッカをご馳走になった。此方もべろべろ、なかなか聞くことの出来ない軍内部の話を聞くことが出来た。この内容は書くことは出来ない。

    帰りにロシア軍のところに又寄り、2時間程度ウオッカをご馳走になった。此方もべろべろ、なかなか聞くことの出来ない軍内部の話を聞くことが出来た。この内容は書くことは出来ない。

  • オホーツク市の小学校の内部、このときは夏休みで子供達は居なかった。小学校といっても1年生から10年生まで在籍、屋外運動場は無く、校舎前の舗装道路が屋外運動場として使われていた。

    オホーツク市の小学校の内部、このときは夏休みで子供達は居なかった。小学校といっても1年生から10年生まで在籍、屋外運動場は無く、校舎前の舗装道路が屋外運動場として使われていた。

  • アエロフロートのオホーツク事務所窓口、当時はまた分割民営化前で、会社はアエロフロートのまま。

    アエロフロートのオホーツク事務所窓口、当時はまた分割民営化前で、会社はアエロフロートのまま。

  • 街中の建物にコンクリート製のものは殆ど見当たらない。建材レンガが殆ど。このレンガ1個1ドルもしていて、今は殆ど新しい建設は出来ないとこぼしていた。<br />赤いレンガと白のものがあり、白の方が安い。我々素人の目でも角がかけ柔らかく粗悪品としか見えなかった。

    街中の建物にコンクリート製のものは殆ど見当たらない。建材レンガが殆ど。このレンガ1個1ドルもしていて、今は殆ど新しい建設は出来ないとこぼしていた。
    赤いレンガと白のものがあり、白の方が安い。我々素人の目でも角がかけ柔らかく粗悪品としか見えなかった。

  • オホーツク市の映画館、今は閉鎖されている。

    オホーツク市の映画館、今は閉鎖されている。

  • 私が訪問した友人宅。入り口を入って1階右側のフラット。とまっている赤い車は先年日本に来たときに5万円で買って帰った物。この車極寒の地でバッテリーがもたないと忠告したら、ヘリに積んでいるバッテリーに変えるから大丈夫と言っていたが、後ろのトランクにヘリ用の大きなバッテリーが乗っていた。

    私が訪問した友人宅。入り口を入って1階右側のフラット。とまっている赤い車は先年日本に来たときに5万円で買って帰った物。この車極寒の地でバッテリーがもたないと忠告したら、ヘリに積んでいるバッテリーに変えるから大丈夫と言っていたが、後ろのトランクにヘリ用の大きなバッテリーが乗っていた。

  • オホーツク市の外洋に面した砂浜にはこの様な廃船が累々と半分砂に埋もれて打ち捨てられている。<br />ロシアを訪ねて驚いたことの1つに、この様な用済みのものが彼方此方放置されていることである。各地の空港にも滑走路のはずれに廃棄した飛行機が何台も放置されていた。この港に何十隻にも及ぶ廃船がただ打ち捨てられている。

    オホーツク市の外洋に面した砂浜にはこの様な廃船が累々と半分砂に埋もれて打ち捨てられている。
    ロシアを訪ねて驚いたことの1つに、この様な用済みのものが彼方此方放置されていることである。各地の空港にも滑走路のはずれに廃棄した飛行機が何台も放置されていた。この港に何十隻にも及ぶ廃船がただ打ち捨てられている。

  • 夏のオホーツク海。私は北海道の紋別方面に1年ほど勤務していた。何時もこの海を南から見ていた。此処はオホーツク海の最北端、寒々とした波が岸辺に打ち寄せている。この海の向こう側に北海道の岸辺が有るのだろう。この白波の此方に2頭のあざらしが頭を見せていた。

    夏のオホーツク海。私は北海道の紋別方面に1年ほど勤務していた。何時もこの海を南から見ていた。此処はオホーツク海の最北端、寒々とした波が岸辺に打ち寄せている。この海の向こう側に北海道の岸辺が有るのだろう。この白波の此方に2頭のあざらしが頭を見せていた。

  • オホーツク市の衛星写真。Google Earthからの画像。

    オホーツク市の衛星写真。Google Earthからの画像。

  • オホーツク市の衛星写真。Google Earthからの画像。

    オホーツク市の衛星写真。Google Earthからの画像。

  • 8月22日初めてのロシア旅行もトラブル続きながら終わり、ハバロフスク空港から新潟へ出国となりました。出国手続きを終えた頃から雨が降り出しだんだんと雨脚が強くなりつつあります、と、ターミナルから外を見ていた日本人の旅行者から悲鳴が上がりました。篠つく雨の中我々の荷物が無蓋トラックに積まれシートも掛けられず飛行機に積み込まれています。でもそれどころか30分後、この雨の中乗客も50m先の飛行機まで徒歩で乗り込めと言うのです!<br />乗客から一斉に怒号があがりました。見ると出口から少し離れたところにバスがあるのです。誰かロシア語で交渉をとの声が出、仕方なく私が交渉に行きました。ところが空港係員の言葉に唖然「あのバスはガソリンがないので動かない」と言うのです。さすがロシア!ソ連からロシアに変わってまだ5年程度しか経っていません、お客様サービスの概念は全くなし、親方赤旗のままです。怒り心頭に発したお客は仕方なく雨の中を飛行機のタラップめがけてダッシュ。ところがまたまた、タラップの下で熊のようなおばんが待てと言うのです。皆仕方がなく飛行機の羽の下に避難、30分もこの下で待たされました。乗り込んだときには全員ずぶ濡れです。怒る気もなくなり、さすがロシアだと苦笑するのみでした。<br />入国時のトラブルから出国時のトラブルまで、今は思い出のみ残っています。

    8月22日初めてのロシア旅行もトラブル続きながら終わり、ハバロフスク空港から新潟へ出国となりました。出国手続きを終えた頃から雨が降り出しだんだんと雨脚が強くなりつつあります、と、ターミナルから外を見ていた日本人の旅行者から悲鳴が上がりました。篠つく雨の中我々の荷物が無蓋トラックに積まれシートも掛けられず飛行機に積み込まれています。でもそれどころか30分後、この雨の中乗客も50m先の飛行機まで徒歩で乗り込めと言うのです!
    乗客から一斉に怒号があがりました。見ると出口から少し離れたところにバスがあるのです。誰かロシア語で交渉をとの声が出、仕方なく私が交渉に行きました。ところが空港係員の言葉に唖然「あのバスはガソリンがないので動かない」と言うのです。さすがロシア!ソ連からロシアに変わってまだ5年程度しか経っていません、お客様サービスの概念は全くなし、親方赤旗のままです。怒り心頭に発したお客は仕方なく雨の中を飛行機のタラップめがけてダッシュ。ところがまたまた、タラップの下で熊のようなおばんが待てと言うのです。皆仕方がなく飛行機の羽の下に避難、30分もこの下で待たされました。乗り込んだときには全員ずぶ濡れです。怒る気もなくなり、さすがロシアだと苦笑するのみでした。
    入国時のトラブルから出国時のトラブルまで、今は思い出のみ残っています。

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