1986/08 - 1986/08
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crosswordさん
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フォスタープランの里親制度を始めたその年、マニラからバスで半日余りかけて、ルソン島南部のダエトに行きました。そこではフォスターチャイルドの家庭を訪ねて、いろいろな話をしたり、また現地オフィススタッフとの出会いもあって貴重ないい体験ができました。
もっとも最終日、マニラで買い物の最中、「いいものがあるので来ないか」と声を掛けられついて行ったら、エラい目に遭いました。変なショーを見せられたのですが、気が付くと周りを数名の男に取り囲まれ、監禁状態になり、なんとかパスポートだけは取り上げられなかったものの、現金はわずかを残して全額持っていかれてしまいました。
そんな経験があったにもかかわらず、それでもフィリピンは特別な国です。むしろいい思い出のほうがたくさん残っています。
「FOOTPRINTS(足跡)」という詩に出会ったのもこのフィリピンが最初でした。以降、ホノルルやバンクーバーなどの空港や書店でも見て、この詩がいかに多くの人に愛されているかを知りました。多くの人と同様に自分自身も素直に感動したことを思い出します。
同様にダエトで出会った「LOVE YOUR WORK」という詩も、あるオフィスに掲げてあり非常に印象的でした。
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2回目のマニラ。
前回と同様に大阪・伊丹空港からはタイ国際航空にて。まだ旅には慣れていないように見えたのか、機内では隣に座ったビジネスマンがいろいろと親切にマニラについて教えてくれました。
危ないので、空港からはタクシーで一緒に行こうということになり、おまけに市内のミッドタウンホテルで昼食までご馳走してくれました。安易な選択でしたが、宿泊はそのホテルになりました。
ホテルからの眺めです。赤色の屋根が目立ちます。 -
さっそくホテルの旅行社で、フォスターチャイルドの住むルソン島南部の町ダエトまでのバスを手配しました。翌日のバスは取れず、翌々日の出発となりました。もう1泊、同じホテルに泊まりたかったのですが、あいにく満室で、正面に見えるマニラマノールホテルを勧められました。
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マニラ市内で目立つ建物といえば、大きなホテルです。正面右にはシラヒスインターナショナル、そのさらに右には小さくフィリピンプラザが見えます。どちらも今泊まっているホテルと比べると、ランクがかなり上です。
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マニラといえばマニラ湾の夜景の美しさで有名ですが、あいにく景色の方向が逆でした。ホテルにはプールもあったのですが、結局利用せず、周辺の散策をして時間を過ごしていました。
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2泊目はマニラマノールホテルに。ホテルの客室からは前日に泊まっていたミッドタウンホテルが正面に見えます。旧ラマダホテルで、タクシー運転手にはこの名前のほうがよく通じるようです。そのホテルの右に小さくヒルトンが見えます。
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あいにくの雨です。
マニラマノールホテルまで歩くこと数分でチェックイン。小さいホテルながら、驚いたことにルームサービスもありました。腹ペコペコ!で頼んだところ、フロントの人が運んできました。小さいホテルなので、ひとりで何役もやっているとか。
その人とあれこれ話しているうちに、「家に来ませんか」ということになり、午後にいっしょに出かけました。その家は1階に兄(弟)が病気で寝込んでいて、経済的に苦労している様子でした。
幸いにもその人がいい人だったので問題なかったのですが、気軽に誘いに乗るのは無防備な危険な行為だったと反省です。 -
早朝にマニラのバスターミナルを出発。6時間以上もバスに揺られながら、ようやくダエトに到着。宿泊のホテルはダエトの中心部のバス亭からすぐそばにありました。
事前になんとかフォスタープランから資料を頂いていたので良かったのですが、「地球の歩き方」もガイドブックもない時代、よくもまあ見ず知らずのところに行けたことです。
翌日、ホテルのレストランで朝食を取っていたら、偶然隣の席で食事をしている人がフォスタープランの職員であることがわかり、その人たちに事務所に連れて行ってもらうことにしました。
発音が聞き取れず、編集部(editor)とばかり思っていたのですが、実は監査室(auditor)の職員だと後でわかりました。道理で話が微妙にズレていたわけです。 -
フォスターチャイルド(FC)のサンチェス君とフォスタープランのスタッフで記念写真。
FCの家にも行きましたが、バラックのような家で一部屋に両親と子どもが5人くらいだったか、住んでいるようなところでした。母親が手作りの料理で歓迎してくれました。
両親とはしばらく話した後、別れて、FCと近くのレストランで昼食を取りました。サンチェス君にとっては生まれて初めての外食だったようで、緊張した様子でしたが、お土産に渡したキャンディーをしっかり握り締めて嬉しそうでした。 -
サンチェス君にサヨナラを言った後、フォスタープランの職員の案内で、町の散策をしました。写真は地元の漁港で、この地域では魚が一番美味しいのだとか。
車の中で覚えたてのタガログ語をさりげなく言葉に出してみました。「アポ・コナン・サンミゲル・ビア」サンミゲルビールが飲みたいのですが、という意味ですが、冗談のつもりが、それでは行きましょうとレストランの相談に...。言葉が思った以上に通じて、このときは困ってしまいました(笑)! -
フォスターチャイルドに会えたことも嬉しかったのですが、フォスタープランの職員の献身的な姿にも心が打たれました。細やかなケアをしながら自立の支援をしているのがよくわかったからです。写真の手前左からソニア、ボン。ふたりは20歳代前半。その右の男性はアリエル、彼は30歳代でした。
いっしょにビーチを散策したり、近くの小学校へ行ったりと、日本人の訪問者を歓迎してくれました...。 -
いったん別れ、「夕食をいっしょにしよう」ということになり、その間を利用して、少し町をひとりで散策しました。ゆったりとした時間の中で、町が動いているようでした。限りなくのどかです。
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夕日に染まる町。ほんとうに何もない所です!また太陽が沈むとすごく暗い。そんな中、ホテルへ迎えに来てくれました。ボンとソニアでした。
二人とは特にすぐに仲良くなれたのですが、どこか意気投合したところがあったのでしょう。夕食はライブ演奏を行なっているというレストランにて。深夜まであれこれといっぱいしゃべって楽しい時を過ごしました。「何かリクエストしたら」ということで、迷っていたところ、結局ディオンヌ・ワーウィックの「That\\\'s what friends are for」になりました。こんな田舎でありながらも、ここまでレベルの高いライブ演奏が出来るとは、感動でした。 -
夕食のレストランで「翌日、泳ぎに行こう!」ということになり、近くのビーチへ。遠浅のビーチがどこまでも続いてきれいでした。ボン(男性、写真右)とソニア(女性、左)です。砂遊びで戯れています。
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ボンの横顔です。なかなか決まっています。ビーチに行った時刻はまだ夜明け前。この時間がもっともきれいだからということで、睡眠時間はたったの数時間、その後の再会でした。ビーチは感動的な美しさでした。
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マニラへ帰る日、わざわざ仕事を抜けてバス停まで見送りに来てくれました。写真は左からボン、アリエル、そしてソニア。とってもいい人たちでした。たった2泊なのに、特別な出会いで、別れのときは涙は出なかったけれど、多少感傷的になりました。
写真を送るからねと言ったきり、実はその旅行の後で、住所を書いた紙を失い、そのままに。それから数年後、フォスタープランの現地事務所は閉鎖しました。経済的に安定し、自立が図れたからでした。
最近ですが、書類を整理していたら、偶然そのときの記録といっしょに住所のメモが出てきました。「もしかして・・・」と彼の名前をインターネットで検索してみると、その後ボンは副市長になっていることがわかりました。まだまだ若く可能性にあふれた好青年という印象だったのが、いまでは副市長だとは...すごい!の一言です。
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この旅行記へのコメント (4)
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- arfaさん 2006/02/18 12:06:50
- ルソン島南部へ:またarfaです。
- 一般に怖いイメージのあるマニラは私の大好きな街の一つでもあります。
タクシーに乗れば運ちゃんが後ろを向いて「Where do you going?」より先に「La,Lady!Do you want Younglady?」とか「KARAOKE!Good KARAOKE I know!」とかいうマニラですがあの雑多さは私は嫌いじゃないんですよね。
ぼったくろうとしたしたヤツに「こらっ!」て言うとニヤリと笑い「あ、バレタか!」で憎めないと言うか、能天気と言うか、お気楽な国ですね。
ま、海には魚がいて、森には果物。基本的には食うには困らないわけですから。
問題はホテルの高いことです。他国ではせいぜい10〜20$くらいで手頃なホテルがあるのにここは安ホテルはあるけどセキュリティ、居心地ともランクが落ちますんでマニラは最近はすぐ脱出しています。基本的にはニノイアキノ空港のT1から駐車場を抜けてジプニーでバクラランまで行きLRTで行きたい所へのバスターミナルのある駅へ行きそのままバスで移動してます。帰国前には空港に近いヘリテージの隣のトロピカーナホテル(1300P)に宿を取ってます。
ボッタクリというか恐喝、大変でしたね。実は私もサイゴンであってます。
最終日っていうのも共通、やはり緊張が緩むのでしょうかね。こないだのインドネシアでも最終日の最終、空港で$札を無くしてるのに気が付きました。最後の買い物の際、荷物に気を取られて置き忘れたか、その帰りにバイクの運転中に落としたかでしょう。なんにせよ事件は最終日に起きますね。
ではまた。
- crosswordさん からの返信 2006/02/19 21:31:07
- RE: ルソン島南部へ
- arfaさんへ
同感であります。マニラは怖い街でありますが、不思議と
憎めないというか、人間的というか、すごく味のあるところですね。
怖い目や盗みは、マニラやコタキナバルでもありましたが、
なぜか一人旅ということもあり、人との触れ合いが多くて
それ以上に親切やあたたかい交流があったことを思い出します。
いまはいいホテルに泊まってと思ってしまいますが、
年代にあったスタイルと言う意味では、若いときこそ
ユースやペンションで情報を交換しながら、現地に溶け込んで
いく、またいける旅が最高だと思います。
マルコポーロの冒険というアニメがかつてNHKであったのですが、
私の原点はそんな旅でした。
arfaさんもいろいろと経験されていますね。
そうそう、最終日は要注意です!
コタキナバルでカメラを置き引き(?)されたのも最終日でした。
気が緩むといけませんと実感です。
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- enyasuさん 2005/11/29 11:06:40
- ルソン島南部
- フィリピンでの出会い読ませて頂きました。
ボン副市長に会いに行く旅行記の予定はないのでしょうか?
その後のルソン島訪問、もし実現したらどういう旅行記になるんですかね。
また寄らせて頂きます。
- crosswordさん からの返信 2005/12/01 06:02:57
- RE: ルソン島南部
- enyasuさんへ
おはようございます!
ルソン島南部も見ていただき感謝です。怖かったけど楽しいひとり旅でした。
このサイトにも広告が出ていますが、フォスタープランの関係で行ってきたの
ですが、非常にいい交流ができました。
ボンさん(覚えやすい名前なので)とはすぐ親しくなりました。
ぜひ会いたいと思っていますが、なかなかチャンスがないのが残念です。
まずは手紙でも書いてみようかと思っています。
もちろんその時の写真をいっしょに付けて!
とってもいい人で、この世にこんな人がいるのかという感じの
人でしたね。
今年からまたフォスタープランを再開したのですが、
ミンダナオ島の女の子がフォスターチャイルドなので、
フィリピンへ行く機会にしたいと願っています。
ところでお名前のように円安のほうも進行していますね。
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