2008/09/23 - 2008/09/23
49位(同エリア61件中)
ヴォルさん
とあることがきっかけで興味を持ったベトナム戦争。NY行きが決まってネット検索していたら、ニュージャージーに博物館があることがわかったので、訪れてみること
兵士達のナマの声に触れる機会を持つことができました
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道
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NYCのPenn StationからBay Head方面行の電車で約70分。Hazlet駅へ到着
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駅舎もなくホームだけの駅。ホームにあるのは待合室と券売機だけ
電車は1時間に1本。電車の到着に合わせてタクシーが来ますが、電車が行ってしまうとタクシーはいなくなります
駅の周囲にあるのはデリが1軒。デリの表にタクシー会社の電話番号が貼ってあるので、電話をすればタクシーが来てくれます
センターや公園周辺に飲食店はないし、公共交通機関もないので食事はこのデリで済ませて行くか、何か購入して行ったほうが良いです -
駅からここまでタクシーで$10。5〜10分ぐらいです
広大な「Vietnam Veteran's Memorial」(ベトナム退役軍人記念公園)の中に位置する「The Vietnam Era Educational Center」(ベトナム戦争時代教育センター)
ベトナム戦争を伝える教育機関は2008年現在全米唯一のものだそうです。2008/9/27に開設10周年を迎えたそうです
↓公式サイト
http://www.njvvmf.org/index.cfm -
タクシーの運転手さんも退役軍人でした。「いい場所だ。たくさんの人に訪れて欲しい。日本の基地で働いていたこともある」と話してくれて、とてもフレンドリーな運転手さんでした
入場料は$4
入ってすぐの所にこのショーケース。兵士達の日常がたくさん入っています -
兵士のバッグ。持ち主は駐屯地と期間を記載していたようです
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左:タイヤから作ったシャワーサンダル
右:カップ -
このセンター設立にあたり、反戦運動家と帰還兵達が平等になるよう気を配られたそうです
今の世の中、世間の多くは反戦を唱える人ばかりなので、帰還兵達が肩身の狭い思いをすることになりがち
けれど彼らは国の為に戦ったのであり、決して悪者になってはならない人達なのです -
軍隊の制服と共に展示されていた「ドッグタッグ」。兵士はこれを必ず首から提げていますが、書かれている内容は「姓、名、厚生年金受給?、血液型、性別、宗教」だそうです
何故宗教が必要なのか。葬り方が変わるからです。切ないです -
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キャンプのジオラマ
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円形の展示室
中央は退役軍人、遺族の映像が流れ、それを座って見るスペース
真ん中のガラスの壁の周囲には兵士、家族、政府etc.の手紙。教科書や資料には載っていないナマの声が伝わって来る部分です
外周は2段に分かれています。上段は世の中の一般的な流れ。下段は上段と時代を合わせてベトナム戦争の流れ -
海軍から兵士の両親宛の戦死通知
英語だと「戦死」という単語がないのか「killed ina action」と著されるようです。多くの「killed」の文字を見て重い気分になりました
司令官からの発信ですが、英文だと日本語よりも事務的表現が少ないので、ちょっと救われた気分になります -
ベトナム人女性からアメリカ人兵士の両親に宛てた感謝の手紙
女性は兵士に教会で英語やクリスマスツリーのことを教えて貰い、またクリスマスツリーを貰った。彼の親切に感謝し、またこの感謝の気持ちをご両親にもお伝えしたかった
という内容。兵士と一般市民との心温まる交流もあったのですね -
戦死した兵士の母に手紙と共に送られた勲章
このうち3つは生前授与されたもので、残りの4つは死後に授与されたもの
母は勲章をもらうよりも息子が生きて帰って来るほうが、どんなに嬉しかったことか -
このような手書きの手紙もたくさん展示されていました。この便箋は軍から支給されたもののようで、同じ便箋をいくつか見かけました。ベトナムの地図が描いあり、今何処にいるのか地図上に印をつけている兵士も多かったです
兵士の手紙も、家族の手紙も、便箋の裏表にびっしり書かれているものばかり
「今ヘリコプターの操縦訓練中。10か月の訓練の後、一人で操縦できるようになるんだ。頑張るよ!」希望に満ち溢れた手紙を書いた数ヶ月後、彼は戦死
両親と兄弟に宛てて「とにかく妻と子供達を頼む。いつも彼らのことばかり考えている。自分に何かあったら、お父さん、お母さん、(兄弟の名)、あなた達だけが頼りだ」彼も数ヶ月後戦死
「ちゃんと食べてる?こちらはみんな元気だから、体にだけは気をつけるのよ。あなたの帰りをみんなで待ってる」母より
「今何処にいるか、何をしているか、詳しいことは言えないけれど、僕は元気にしている。家族のみんなは元気?いとこの○○はもうすぐ結婚式だね。幸せになってって伝えて欲しい」兵士より
第二次世界大戦当時とは時代も違うし、展示できる手紙だし、状況が全く違うのかもしれないけれど、日本軍の戦時中の手紙のように塗り潰されているものはありませんでした -
「いつもおじちゃんのことを思っているよ」幼い姪と甥から兵士へ
「あなた方の息子さんの最期をお知らせします」帰還した戦友から、戦死した兵士の両親へ向けて詳しい状況説明、生前楽しかったことや世話になったことなど
ガラスの壁に沿って1周全部がこのような手紙ばかり。私が一番このセンターの中で時間を割いたのは、この多くの手紙を読むこと。家族の絆とか、戦争の意味とか、兵士達の戦後のこととか、色々考えさせられました -
展示外周の上段には第一次世界大戦辺りからの戦争の流れが説明されています。その中に第二次世界大戦の広島・長崎の原爆についての記述と写真がありました
「この爆弾投下により戦争が終わった」と説明されていました。正直最初はこの記述に違和感を感じましたが、確かにそのとおり
戦争のきっかけにパールハーバーの記述もあり、日本人としてはちょっと複雑な気分 -
カムフラージュした武器を持つベトコン
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小さなボートで移動する武装したベトコン
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避難用の穴なのか?クチトンネルみたいに地下で繋がっている穴なのか?
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砲撃から河伝いに逃げる母子
この写真、以前何処かで見たことがあります -
新聞を読む人力車の運転手。手にしている「サイゴンポスト」は英字新聞。これだけ長期間米軍が駐留していれば、一般市民の間にも英語は浸透するのでしょうね
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1972年空撃を受けた後のハノイ
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軍用機で移動するGI達。笑顔でピースサインがアメリカンな感じ。笑顔がずっと続くといいな
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終戦時に避難しようと空軍の飛行機に殺到する一般市民
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サイゴンが陥落し、逃げる一般市民
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サイゴン陥落時一般市民はヘリコプターの離着陸場や米大使館に殺到し、14フィートある壁を乗り越えサイゴンを脱出しようとした
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何千人ものアメリカ人を父に持つ子供達が孤児院に収容されたり、ストリートチルドレンとして存在
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そんなに広くないスペースですが、3時間たっぷりかかる(英語を読むペースが遅いのも十分理由になりますが)程ボリュームのある展示でした。英語が苦手な私は途中で読むのを放棄したくなる程(^_^;)
上段の一般的な世の中の流れの中にはマリリン・モンローの写真もあったりします。…が、その下段には戦争のことが書かれていたり。本国と戦地の状況の違いが際立って、戦地に赴いた兵士達が哀れに思えてしまいました -
重ーーーい気分を抱えたまま外に出ると、緑が目に飛び込んで来て癒されます
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傷病兵を看護する看護師と兵士
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御影石に掘られたニュージャージー州縁の戦死者、行方不明者の名前
360度円形に配置されています
お花は遺族の方が供えられたのでしょうか -
パネル1枚が1日。亡くなった日毎に戦死者名と誕生日が刻まれています
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広い駐車場。車じゃないと来れませんから
帰りは来た時のタクシードライバーに電話して、迎えに来てもらいました -
周りは見渡す限り森
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駅に戻って来ました
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踏切の左側にある唯一のデリで電車が来るまで待ちます
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デリでベーグルサンドを頼みました
作ってくれたのはコリアンの陽気なおじさん。日本にも訪れたことがあると言って、色々お話ししてくれました -
サンドイッチの写真を撮る私を不思議がっていたので「ネットに載せるから、日本で有名になるかもよ!(^_-)☆」と言ったら照れてました(笑)
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