玉電懐想・世田谷線:もろずみさんの旅行ブログ
東急世田谷線はかつて玉川電気鉄道(玉電)の支線でした。下高井戸・三軒茶屋を結ぶ5kmの短い路線ですが、都内に残る路面電車は都電荒川線と世田谷線だけです。
玉電は渋谷・二子玉川間を走っていましたが、昭和44年(1969年)に廃止され、その後「新玉川線」が建設されました。それも「田園都市線」と一緒になって「玉川」の文字は消えてしまいました。
駅の数は10。全線が専用軌道を走っていますが、2両編成のカラフルな電車と小さな駅がどことなく良い感じです。
沿線には見所もいくつかあってのんびり散策するには最適です。
羽根木公園の梅を見に行くつもりで出掛けたのですが、今年の遅い梅にがっかりして世田谷線沿線散歩に切り替えました。
実はこんな短い距離なのに出足が遅くて時間切れとなり、2回に分けて歩きました。通して歩いても半日あれば足ります。
【下高井戸】
京王線の並びに小さなホームがあります。
停まっているのは懐かしの玉電カラーの電車。
これに乗って出発!
・・・ではなくて歩き始めます。
鬱蒼とした森(というほどでもないが)に佇む六所神社。
六所というのは一宮から六宮までの祭神を勧進した地域の総社の意味ですが、ここもそうなのだろうか?
東京では大國魂神社が六所宮と呼ばれていますけど。
【山下】
世田谷線を跨いでいるのが小田急線の豪徳寺駅。
いわゆるターミナル駅になっています。
駅舎は路面電車らしい簡素なものです。
小田急線を一駅分歩いて着いたのが羽根木公園です。
23区内で一番規模の大きな梅林があります。
ですが、今年の梅はまだ始まったばかり。
【宮の坂】
梅ヶ丘からショートカットで宮の坂駅へ。
この駅の周辺が一番見所豊富の様子です。
この寺は招き猫発祥の地と言われています。
招猫殿と呼ばれるお堂の脇に、大小さまざまの猫が奉納されていました。
ただし、一般の招き猫とは違って小判や大福帳は持っていません。
また豪徳寺は彦根藩主・井伊家の菩提寺でもあります。
世田谷20ヶ村は井伊家の江戸屋敷賄料として拝領された土地だったからです。
桜田門外で暗殺された大老・井伊直弼の墓もここにあります。
幕府の要職を務めた人物で、柳沢吉保、田沼意次とともに不人気の直弼ですが、3人とも知性と教養に溢れた逸材であったことは間違いありません。
結局、安政の開国は、国を売ったわけでなく国を救ったことになったのですからねぇ。
豪徳寺からすぐの世田谷城址公園。
世田谷城は足利氏の流れをくむ吉良氏の居城でした。
かつては豪徳寺境内までも城内だったようで、そこそこの広さがあったようです。
堀の代わりに烏山川が流れ、理にかなった造りでした。
今は土塁くらいしか残っていません。
上町と言えば世田谷ボロ市ですね。
その中心的存在が代官屋敷。道路に面して長屋門が建っています。
ボロ市の歴史は古く戦国末期から行われていたらしい。
古着が売られていたのでボロ市と呼ばれるようになったそうです。
これが彦根藩世田谷領の代官であった大場氏の屋敷。
大場氏は元々は吉良家の家臣だった家柄で世田谷の有力者でした。
出先の役人ながら立派な功績を残した代官が続いたそうです。
茅葺き屋根の立派な屋敷でした。
敷地内には世田谷区郷土資料館があります。
中は世田谷の通史の展示とともにボロ市のジオラマもありました。
郷土資料館は好きです。23区の全部回ってみたいものです。
でも、ここはランク的には普通かな。(^^;
【世田谷】
ボロ市通りから下っていくと世田谷駅に出ます。
駅の向こうには区役所もありますから、ここが区の中心地というわけです。
交通機関はバスと玉電だけですね。
駅の脇には寺が2軒並んでいます。
まずは円光院という真言宗のお寺から。
何の変哲もないお寺のようですが、実は境内にレールが敷かれているのです。
もちろん世田谷線ではなく、奥に幼稚園が併設されていて山門から幼稚園までミニトレインが走ります。
今日は日曜なので運休・・・。
お隣が浄土宗の大吉寺です。縁起の良さそうな名前です。
それもそのはず、作家の寺内大吉さんが住職をしていた寺です。
競輪・競馬にキックボクシングなどギャンブル評論家としても有名ですね。
僧侶としてもかなり高位の偉〜い方です。確か今の芝増上寺の法主でしたね。
松陰神社は幕末の思想家・吉田松陰を祀る神社です。
御祭神は「吉田寅次郎藤原矩方命」とそのまま。松陰先生は神になられたわけです。
この地は毛利家の別邸のあった所で、門弟の高杉晋作や伊藤博文らによって刑死した先生を改葬しました。
明治になって社殿が建てられたそうです。
松陰先生と言えば司馬遼太郎の「世に棲む日々」です。
物静かな風貌ながら激しい思想を胸に秘めた超過激な人物でした。
弟子の高杉晋作は行動力の人で、この二人が主人公の小説でした。
儒者のような風貌の松陰先生の座像があります。
神社なのに境内奥には墓地があって、松陰先生の墓もそこにありました。
小塚原にも墓標が残っているし、萩にも墓石があるらしい。偉い人は違いますねぇ。
境内には萩城下にあった松下村塾が再現されています。
もちろん萩に復元された松下村塾が本物なのでこれは模作です。
調べてみると全国にいくつも模作の松下村塾があるようで、町田の玉川学園にも一棟建っているそうです。
環七と交わる若林踏切です。
踏切と言っても遮断機がありません。
ここは信号によって車も電車も停止する特異な踏切です。
世田谷線はほぼ専用軌道ですが、ここでだけ路面電車であることを思い出させてくれます。
環七を渡って真っ直ぐ行くと烏山緑道があり、その先に太子堂八幡神社があります。
太子堂は地名になっていますが、聖徳太子を祀ったお堂の意味で緑道を下った所にある円泉寺が世田谷の太子堂です。
今日は緑道歩きでないので省略。
最後の見所は目青不動で、教学院というお寺です。
目黒・目白・目赤・目黄と合わせて江戸五色不動尊。
これらの寺を結んだ内側が江戸府内というわけですが、実際には寺が引っ越してしまったので今はそうとは言えません。
【三軒茶屋】
ヨーロッパの駅を彷彿させる三軒茶屋駅です。
規模は全然小さいですけど雰囲気だけ。
ここが終着駅です。
駅の上は高層のキャロットタワーが聳えています。
最上階の26階は無料展望台になっています。
早速登ってみることにしましょう。
展望室から歩いてきた世田谷線を俯瞰しました。
あの森が豪徳寺かなぁ。
距離は短くても寄り道が多くて結構時間がかかりました。
面白かったので路面電車の沿線散歩は続編も歩いてみたいものです。
荒川線にするか、江ノ電にするか。どちらも風情があって面白そうです。
では世田谷線に乗って下高井戸に戻ります。
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この旅行記は現在 -位(-票)です。

もろずみさま、
玉電沿線の写真集の作成ごくろうさまです。わたしもいくつか写真を撮ってのせたのですが、もろずみさまの体系的で本格的な写真集には恐れ入りました。
東京のど真ん中(に近く)にこんなのんびりした風景があるのですから、もっと大切にしたいものですね。
さらなる写真と、調査結果をお待ちしています。
nomonomo

nomonomoさん、ありがとうございます。
体系的と言われるとお恥ずかしい限り。
ただ線路に沿って歩いただけですから。
コメントはいい加減な解釈だらけです。(^^;
玉電の時代とは様変わりの世田谷ですが、痕跡は残ってますね。
寺社や旧河川の場所に立つと昔を想像しやすいです。
で、タイトルを「懐想」にしてみました。
完成までもう少しかかりそうですが、間違いなどありましたらご指摘ください。

実は私め、玉電と共に育ちまして。。。
釘を線路において、玉電に平らにしてもらい、それを四つ集めて、手裏剣と作っていました。
いい時代でした。
また、よろしく。

nomonomoさん、
そいつは列車往来危険容疑で刑事事件になりますね。
もう時効でしょうけど。
実は私は玉電をよく覚えていないのです。
あの頃は都電もたくさん走っていたし、そちらは覚えているのですが。
そのうち渋谷・二子玉川の玉電廃線跡でもやろうかしら・・・。

もろずみさま、
砧線というのも走っていました。田園の真っ只中を走っていたのを思い出します。
都電では、渋谷から水天宮行きにずいぶん乗りました。渋谷から銀座に出るのは、これが一番安かったので。三宅坂の警視庁の建物や、青山車庫前から車庫をのぞいた記憶があります。
玉電の廃線跡を探る旅、お待ちしています。
nomonomo

砧線ですか。良いこと聞きました。
> 玉電の廃線跡を探る旅、お待ちしています。
あはは、どうぞお先に。(笑)
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