神戸・舞子ホテルに泊まる:harihariさんの旅行ブログ
須磨寺の門前に連なった静かな商店街。
昼食を食べていなかったので、商店街の中のパン屋さんで買って、食べながら歩いていました。
須磨というと源平の戦いゆかりの地。
そして、源氏物語や平家物語、百人一首にも登場。
あと、松尾芭蕉もここを訪れた記録を「笈の小文」に記しています。
いずれにせよ、歴史を感じずにはいられない土地。
須磨寺本堂。
創建以来、何度も焼失・破壊と再建を繰り返して、今の本堂は慶長七年(一六〇二年)豊臣秀頼が再建したもの。
宝物館。
源平ゆかりの宝物や須磨寺の歴史的宝物が展示されています。
あと、源平の戦いの模型みたいなのがあって、ボタンを押すとちっちゃい源氏や平氏の人たちが動いたりするんです。なかなか笑えます。
トイレの扉まで。
これらのガラス、扉にいたるまで、建築当時のものを使用しているのだとか。
阪神淡路大震災では、館の煙突が折れたり、大広間棟の屋根瓦が全損したりする程の被害があったそうですが、建物自体がよく無事だったことだと思います。
そして、舞子ホテルのシンボル、フクロウが彫られた太い柱。
舞子ホテルは、明治〜大正に活躍した実業家・日下部久太郎が、別邸として大正時代に建設したもので、もとは住居でした。
それを、昭和初期に旅館部分を増設して、舞子ホテルとして開業したとのことです。
庭には蹲踞が配されるなど、風流に徹したことろは、さすがに近代日本の大実業家の持ち物であったホテルだと感心してしまいます。
引き戸にはめられているガラスは、昭和初期のもので、機械で製造されたものではなく、すべて手により作られたものだとか。
よく見るとガラス面がいびつに歪んでいたりするのですが、今ではもう造ることのできない逸品だということです。
そして、夕食の時間。
夕食は私たちの部屋の隣の部屋を、私たちの夕食専用に準備してくれていました。
というのも、この日の宿泊は私たち二人のみ。
パーティーのお客さんは、食事が済むと帰ってしまうので、それ以後は大広間・洋館・部屋・そして後ほど紹介する応接間などが、すべて貸切状態。ますますテンション上がります。
まずは食前酒と先付、前菜。
抹茶豆腐。わかさぎと沢蟹、空豆の天ぷら、穴子の押し寿司、湯葉を巻いた蓮根、鯛素麺、煮凝り、薩摩芋。粽のようなものは白身魚のお寿司。
五月らしい季節感のある食材と、菖蒲のあしらいが心憎いです。
お吸い物。油目葛打ち。
今の時期、瀬戸内で一番美味しいのが脂目だそう。おだしがとっても上品で美味しい。
お椀の蓋を開けたとき、そして一口目を含んだ瞬間が最高に幸せです。
穴子奉書巻きと小芋の炊き合わせ。
これは、開けた瞬間、器の華やかさに負けないくらい意外性がありました。
グリーンピースを漉して、出汁と絡め合わせているのです。
豆の甘味が、野菜の素材の味にうまく絡んで美味しかったです。
穴子奉書巻きが絹サヤに隠れてるのが残念...
2種類のシャンデリア。
奥の方のシャンデリアは、細長い棒状の硝子が吊り下げられていて、2階で人が歩くとサラサラと繊細な音を奏でる仕掛けになっているんです。
二人で交互に2階を歩いて、下の部屋で音を楽しんだりしました。
そしてフロント。
どこを見わたしても絵になる設えが施されていたり、調度品が配置されているので、いくら見ても飽きることがありません。
本来であれば、外観や海の辺りまで見に行こうかとも思っていたのですが、外は生憎の雨。
今夜は室内を見学した後は、部屋でゆっくり休みました。
朝食の時間。
昨晩、食事をした部屋(我々の宿泊した部屋の隣)のさらに隣の部屋で用意してくれています。
私たち二人のために、都合3部屋も使っていただいてるんですねぇ。
橋の真下です。あまりの大きさに、感動しました。
こんなものを造り出したなんて、人間の力は偉大です。
そういえば、この橋の建設中に、阪神淡路大震災に被災。当初の計画時よりも地盤が1m伸びたとのことです。
自然の力はもっと偉大です。
橋からすぐのところにある孫文記念館「移情閣」。
この八角形の中国式楼閣は、1915年に建設された現存する日本最古のコンクリート建造物で、国の重要文化財。
明石海峡大橋をバックにした移情閣。
今回は、舞子ホテルに宿泊したいという思いから始まった一泊旅行。
名建築はさることながら、料理旅館というだけあって、数々の旬の絶品料理も味わうことができました。
またいつか、違う季節に訪れたい・・・そう思わせる名旅館でした。
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