青蔵鉄道と太陽の都ラサ、ツェタンNo2・・・日月山、青海湖、テント村:早島 潮さんの旅行ブログ

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青蔵鉄道と太陽の都ラサ、ツェタンNo2・・・日月山、青海湖、テント村

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青蔵鉄道と太陽の都ラサ、ツェタンNo2・・・日月山、青海湖、テント村

平成19年5月20日(日)                                      
 西寧で一泊過ごし高度に対する体の順応も少しずつ出来てきたようだ。ここ西寧の標高は2,275mである。                         
 朝ホテルで計測器により血中酸素濃度を測定すると酸素96,脈拍75で先ず先ずの体調である。             

                    
 最初西寧市内観光と言うことで青海省博物館を見学した。この日は博物館前の広場で携帯電話会社の販売促進大会が催されていて数々のアトラクションが行われていた。


 博物館内の展示物はどこの博物館にもあるような考古学的な発掘品が展示されており特記する程のものはない。       

                             
 博物館の入り口に小島という日本人実業家の胸像が置かれていた。ガイドの説明によれば第二次世界大戦で戦闘機に搭乗し重慶爆撃に参加した兵暦の持ち主である。終戦後は豊田自動車の下請け会社を経営して成功した。


 軍令によるとは言え、重慶攻撃に参加して無辜の人民を爆撃するに忍びず動物達を狙って爆弾を投下し多数の動物を殺害したことに対する贖罪意識から青海省のこの建物を寄贈したのだと言う。青海省へはたびたび来訪し地元市民達に慕われている存在で未だ健在だと言う。素晴らしい、金の生きた使い方をした人で、いい人生を過ごされていると感動しながら説明を聞いた。リマの天野博物館を建設し経営した天野氏とも一脈合い通じるものがある。                           

                  
 この後、青蔵公路を茶カまでの長距離バスドライブである。


 途中チベットへ唐から政略結婚で嫁いだ文成公主も通ったと言われる日月山の峠(標高3510m)や橡日山峠(3817m)を越えてのドライブは次第に高度があがっていき、心なしか息苦しさを感じるようになってきた。またチベット人のテントを訪問し遊牧民族の生活実態を見学することもできた。テント村を後にして途中青海湖で昼食を摂り塩の産地茶カ湖まで行った。                                     
 文成公主が嫁いだころは日月山の峠を境にがらりと景色が変わった。手前は農耕地域であるが峠を越えると遊牧地帯に変わるのである。そしてこの辺りの川はいずれも東から西へ流れているが一つだけ西から東へ流れる逆流川がある。人々はこの川を文成公主が故郷への想いを残して流した涙川であると伝えている。  

                             
ここで唐の宗室から文成公主を娶ったソンツェンガンボとチベット仏教中興の祖ツォンカパに焦点を絞ってチベットの歴史と仏教の興廃を概観すれば以下の如くである。           

                      
 618年に唐を興した李淵の衣鉢を襲った李世民が太宋として中国を統一した頃(628)唐の西方には吐蕃の33代目の王ソンチェンガンボが勢力を張り一代でチベット諸族を征服して統一王国を完成した。                                 

 634年(貞観8)初めて唐に使者を送ったが、その東方活動が激しかったため641年(貞観15)唐では太宗の養女文成公主をソンチェンガンボに降嫁させた。             

これにより王はすこぶる親華的となり中国文化を熱心に取り入れ647年の王玄策のインド征討には援軍をだした。また王はトンミサムボータをインドに派遣してインド文字にならってチベット文字を作らせた。また最初のチベット文法を著作させた。              

 一方ネパールから妃としてアムシュバルマンの娘チツンを迎えた。チツンは文成公主と並んでおのおの生国の仏教をチベットに導入したと伝えられる。                   

 現在ラサの古刹のうちジョカンはチツンが、ラモチは文成公主が創設したと伝えられる。そしてソンチェンが観世音の化身として、またチツンが白ターラ、文成公主が緑ターラの化身として長くチベット人の間で信仰されてきた。                        

 文成公主が唐から持参したのは釈迦像でありチツンがネパールから持参したのは十一面観音像であると伝えられる。     


 勢いのあった吐蕃国もラン・ダルマ王が即位して廃仏令を下し佛寺を破壊し僧尼を還俗せしめるなどしてモン教に復帰しようとしたためベルギドルジュと言う僧侶に暗殺されて古代チベット統一王朝は846年に滅亡した。それ以後近世まで中央チベットの政権の情勢は明らかでない。                
                        

 西チベットの王イェシェオェは衰退した仏教を復興するためインドの高僧アティーシャを招き、アティーシャはネパールを経て1042年入境した。アティーシャは宣教と訳教に勤め上下の大きな帰依を受けた。その修学不二の態度は後の改革者ツォンカパの教学に大きな影響を及ぼしている。            


 アムドで生まれたツオンカパ(1357〜1419)は7才の時出家し16歳ころより中央アジア各地を遊学し36才の頃自らの学派を立てた。その学風は従来の呪術的で淫靡な紅帽派の風を排し厳格な独身禁欲による戒律の護持と顕密の両学の段階的な学習が特徴である。53才の頃ガンデン寺を創設し学風を宣揚した。彼の死後二大弟子からダライ、パンチェンの両ラマが転生し、その法灯が継がれていった。黄帽派、改革派と呼ばれている。                      


 17世紀に青海省を中心に勢力を伸ばしていたモンゴルのグルシンの援護を受けたダライ・ラマ5世がチベットを統一した。1637年には清の太宗のもとへ使者を送り存在をアピールした。また順治帝のときにダライ・ラマの称号を贈られ、第一世から第四世までのダライ・ラマの称号の使用を追認させている。


 ダライラマはチベットの宗教・政治の両権を握る法王的最高主権者のことである。


 ダライラマの初代は黄帽派のラマ教開祖ツォンカパの晩年の弟子ゲドン・ドゥパである。黄帽派は戒律厳しく妻帯が禁じられているため後継者がないわけであるが、高僧は俗人の腹を借りて代々転生すると言う思想によりその系統は維持されることになった。                                                                                                                                                          

エリア: アジア >>中国
テーマ: 特になし・その他(観光)
時期: 2007年05月20日〜05月20日
投稿日: 2007年05月30日
写真: 全51枚
満足度: 評価なし
観光: 評価なし
ホテル: 評価なし
グルメ・レストラン: 評価なし
ショッピング: 評価なし
交通: 評価なし
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    旅行テーマ: 特になし・その他

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早島 潮さん
  • 誕生日:05月21日
  • 登録:2006年03月14日

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