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ボロブドール、ブランバナン、デンバサール(バリ島)の旅 <br />  ボロブドール遺跡の見学に行った。ジョクジャカルタの西北方へ約42kmの所にある、インドネシア最大の仏教遺跡である。遺跡に近づくと土産物屋が屋台を連ねているし、沢山の売り子が手ぐすね引いて待っているので到着したことが判る。バスを下りると大人や子供の売り子が絵はがき、Tシャツ木彫り等を持って口々に「五枚で千円」「三個で百円」とわめきながらどっと取り囲んでくる。<br /><br /> 興味のある素振りを見せると何処までもうるさく付いてくるので、ここは相手を黙殺してどんどん歩くのがよい。最近の観光客は旅慣れていて、あどけない子供の売り子に対しても素知らぬ顔でやり過ごす人が多い。そのうち売り子達の値引き合戦が始まる。例えばバスを降りた時三枚千円であったTシャツが観光を終えてバスへ戻る頃には七枚千円になっている。それでも無視してバスに乗り込むと窓の外から十枚千円と指で示しながらしきりに買ってくれとアッピールしている。<br /><br /> Tシャツが十枚千円なら話の種に買ってみるかと千円札を手にして昇降口まで出て行くと五人ばかりの手がTシャツを束にしてわっと伸びてくる。その中の一人から品を受け取ろうと金を払うと、渡しながら素早く三枚程抜き取ってしまった。その手際は見事である。数えてみると七枚しかない。品物を受け取り数を確かめてから金を払えばよかったのだが後の祭りである。後で聞いた話だが黒壇の木彫りが三個千円にまで下がったのでこれを買った人も同じ手口で品物を受け取る時に偽物と差し替えられてしまったとぼやいていた。彼らの商魂はどこまでもしたたかである。<br /><br />  ボロブドール遺跡は当時ジヤワを支配していたシャイレンドラ王朝が8〜9世紀にかけて造営した仏教寺院である。丘陵を利用し安山岩を用いた方形の基壇(一辺約120m)上に九層からなる大建築物であり、全高は約35mである。六層までは方形で、その上は円形をなし頂上には卒塔婆型の大塔がある。<br /><br /> 円形層の各所には合計72の卒塔婆型の小塔が並んでいてこの中には仏像が安置されている。この遺跡には小塔内の仏像も含めて全体で504体の仏像が安置されていて、中には座っているポーズのものや立っているポーズのものがあるが、顔を失っているものや壊れているものが多い。地震で倒壊したり、異教徒の手で壊されたり盗まれたりしたもののようである。<br /><br />  各階層の回廊の壁面には釈迦の伝記やサンスクリット作品から取り上げた物語の名場面が浮き彫りされていて優れた作品が残されている。そして脚部にある浮き彫りは安山岩を組み上げて隠されていたという。建物を補強するとともに異教徒から浮き彫りを守るためであったと考えられている。<br /><br />  この遺跡はメラピー火山の大噴火により約900年前にその火山灰で埋もれてしまって歴史から忘却されていたのであるが19世紀の初めにイギリスの将校が発見して世に知られるようになった。その後1907年から1911年にか けてオランダ人の手によって精密な調査と再建が行われたが、時が経つにつれ再び荒廃がはじまった。その後ユネスコの世界遺産に登録され各国の協力を得 て1973年から1983年にかけて大規模な修復作業が行われた。<br /><br />  この遺跡の周辺は広大な緑地になっており椰子の木等の南国の樹木が生い茂っていて雄大な景観である。これだけの仏教遺跡を残しながら、この国では現在仏教徒は殆ど皆無で世界最大のイスラム社会を形成しているのであるイスラム教徒の数は人口の90%以上を占め、約1億7000万人に及ぶというから仏教伝来以降のイスラム化がこの地で如何に物凄い勢いで進んだかが判るような気がする。現在世界で起こっている宗教紛争はその殆どが戦闘的なイスラムがらみであることを思えば、この遺跡を残した釈迦の慈愛を説く仏教徒達は受難と屈辱に呻きながら異教徒達に滅ぼされていったのであろうといつしか感傷的な気分に浸りながら遺跡を眺めていた。 <br /><br />  昼食後プランバナン遺跡の見学に出掛けた。ここにはシバ寺院群、セウ寺院群、ルンブン寺院群、プラオサン寺院群等の遺跡がありヒンズー教と仏教の聖なる建物があったところである。<br /><br />  我々が訪れたのはこの中、8世紀から9世紀にかけてサンジャヤ王朝によって建てられたヒンズー教のシバ寺院群である。このシバ寺院群は大小237の寺院からなっているが現在修復が終わり復元された建物は16だけであり、残りの大部分の寺院は倒壊して瓦礫だけが元建っていた場所に集められて修復されるのを待っている。<br /><br />  この建物群の中心になっているのは修復の終わったロロジョングラン寺院で高さ47m方形の底部の幅34mであり、上部は角錐状になっている。この建物の中心部の大きな部屋には高さ3mのシバ神の石像が安置されている小部屋には別身のシバ神石像、幸福を司るガネーシャ石像、世界を支配する女神ドゥールガ石像が安置されている。この建物の回廊の壁にはラーマーヤナ伝説の物語が浮き彫りで飾られていて四一の場面で構成されている。<br /><br /> ラーマーヤナとは古代インドの長編叙事詩で紀元前四世紀頃纏められた。その概要は北インド、アヨージャ国の王子ラーマの冒険を描いたもので、知・情・勇を兼ね備えたラーマと美しさ・優しさ・純情さ・貞潔に類のない妃シータは理想的な夫婦としてインド諸民族の敬愛の的であり、絵画や演劇の主題として伝承されてきたものである。<br /><br />  ロロジョングラン寺院の北側には守りの神のヴイシヌ寺院、南側には創造神のプラーマ寺院が建っている。この三つの大きな建物の前にそれぞれナンディ寺院、ガルダ寺院、アンサ寺院が建っている。建物の飾りにはヒンズー教で尊ばれる「リンガ(男性器)とヨギ(女性器)」を象徴する塔がいくつも並んで建っていたりする。<br /><br />  シバ寺院の前の広場はよく整備されてプランバナン公園となっており、市民の憩いの場になっているが、実際には土産物屋の屋台が軒を接して立ち並び、大人や子供の売り子達が屯していて、観光バスが到着するたびにどっと駆け寄り売り込みを始めるのである。<br /><br />  七月から九月までの満月の夜にはインドネシア全域からよりすぐりの踊り子達がこの地へ集い、寺院群を背景としてラーマーヤナを上演するという。さぞかし素晴らしい光景であろうとしばらくその図を想像していた。<br /><br />  プランバナンの観光を終え、土産物屋に付属している影絵劇場を見学したガムラン音楽の演奏に合わせて幾つもの影絵人形を手にした人形師がこれを操って前方のスクリーンへ影絵を投影するのであるが、ストーリーはラーマーヤナ伝説が多いようである。表の観客席から影絵を見ているよりも舞台裏で楽器を打ち鳴らす楽士や激しい動きで人形を操る人形師をみているほうが言葉がわからないせいもあって余程面白かった。 <br /><br /><br />  バリ島へ飛ぶため三時半に起床した。バリ島で最初に強烈な印象を受けたのは、各民家の庭に明確に区画割りして設置されている「お社」のようなものである。最初墓場かなと思ったがよく見ると母屋の北東にあたる位置にかなり広い面積を占めて灯籠型の塔が4〜5個建っているのである。中に御神体でも安置してあるのかなと覗いてみたが偶像らしきものは何も飾られておらず供物が供えられているだけであった。<br /><br /> ヒンズー教寺院でよくみかける動物の形をした魔除けの像はこの「お社」への入口の門柱に彫刻されていたり柱の上に飾られている。ガイドに聞いてみるとこれはヒンズー教の神々を祭るための家庭の「お社」であり、満月の日やヒンズーの祭日には黒と白の元禄模様の布や赤、黄、緑、白の布や幟りで飾られるという。そしてこの「お社」の後方に母屋とおぼしき建物が建っている。田舎へ行く程母屋より「お社」の方が大きく立派な造りであるのをしばしば目撃した。<br /><br /> この「お社」にも格式のようなものがあって、屋根の造りだけとりあげてみても銅板葺き、コンクリート葺き、瓦葺き草葺き、トタン葺きとさまざまであり、その大きさも千差万別である。母屋より大きなものがあるかと思えば、団地サイズのお雛様セットの如くちいさく纏まって形だけ真似をしたと思われるものや、土地の有効利用の観点から編み出されたとおぼしき屋上に設置されているものまである。どうもヒンズー教のカースト制が「お社」の祭祀形式の中にはまだ残っているようである。<br /><br /> ガイドに確認してみるとカースト制は冠婚葬祭には厳然として残っているが職業の選択や進学についてはカースト制の制約は無くなっているということであった。そして市内の至る所にラーマーヤナに題材をとった人物像や動物像が誇らしげに飾られている。イスラム社会であるインドネシアにおいてここバリ島だけは例外的にヒンズー教の風俗習慣が根強く息づいているのである。 <br /><br /> 夕方ケチャックダンスを観劇した。これはとても異様な踊りである。真っ暗な舞台の中央に何本か灯されている蝋燭の火を中心にして上半身裸体の男達三五人程が集まり、口々に「ケクチャク、ケクチャク」と歌いながら踊るのである。そこへラーマーヤナ物語の主人公達が逐次出没して物語が進行するのであるが、半裸身の男達は常に舞台上にあって、奇妙な歌を歌いながら群舞したりうずくまったりするのである。元来ケチャックは、恍惚状態にある娘達が踊るサンヤンという踊りに伴ったコーラスの事であった。サンヤンダンスは恍惚状態にある娘達を通じて祖先の願いを聞くことを目的としていた。現在ではこれが変容して、ラーマーヤナ物語が独特の奇声コーラスと踊りの中で展開されるようになったものが、ケチャックダンスとして演じられているのである。<br /><br />  翌朝九時から始まるバロンダンスをデンバサール市内の劇場で観劇した。<br />バリでは善魂と悪魂がいつも同時に存在すると信じられていて、バロンは善魂を表す動物でありランダは悪魂を表す動物である。バロンは寺院の守り神であり、具体的には獅子であることが多い。バロンの踊りはガメランというバリ独特の楽器の演奏に合わせて踊られる。バロンとランダが踊りの中で色々な戦いをするがいずれの勝利もないままに踊りは終わるのが特徴である<br /><br /> 最初獅子舞が現れて獅子舞を披露し、そのうち王子や王女、王様や宰相、召使、魔女、死に神、道化の猿、僧侶などが次々に出没し物語が進行する。七段階に分けて場面が構成されているが善魂と悪魂が争っている様子が面白可笑しく演じられるので言葉は判らなくても役者の所作から物語のおおよその流れは理解できて楽しく鑑賞することができた。言葉の判らない観光客には昨夜のケチャックダンスよりは余程良いと思った。<br /> <br /> それにしてもバリ島には日本の若者の観光客が多い。これほど多くの日本の若者を今までの旅行で見たことがない。<br />

ボロブドール遺跡、プランバナン遺跡

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2000/11/04 - 2000/11/09

20639位(同エリア21428件中)

0

11

早島 潮

早島 潮さん

ボロブドール、ブランバナン、デンバサール(バリ島)の旅 
ボロブドール遺跡の見学に行った。ジョクジャカルタの西北方へ約42kmの所にある、インドネシア最大の仏教遺跡である。遺跡に近づくと土産物屋が屋台を連ねているし、沢山の売り子が手ぐすね引いて待っているので到着したことが判る。バスを下りると大人や子供の売り子が絵はがき、Tシャツ木彫り等を持って口々に「五枚で千円」「三個で百円」とわめきながらどっと取り囲んでくる。

 興味のある素振りを見せると何処までもうるさく付いてくるので、ここは相手を黙殺してどんどん歩くのがよい。最近の観光客は旅慣れていて、あどけない子供の売り子に対しても素知らぬ顔でやり過ごす人が多い。そのうち売り子達の値引き合戦が始まる。例えばバスを降りた時三枚千円であったTシャツが観光を終えてバスへ戻る頃には七枚千円になっている。それでも無視してバスに乗り込むと窓の外から十枚千円と指で示しながらしきりに買ってくれとアッピールしている。

 Tシャツが十枚千円なら話の種に買ってみるかと千円札を手にして昇降口まで出て行くと五人ばかりの手がTシャツを束にしてわっと伸びてくる。その中の一人から品を受け取ろうと金を払うと、渡しながら素早く三枚程抜き取ってしまった。その手際は見事である。数えてみると七枚しかない。品物を受け取り数を確かめてから金を払えばよかったのだが後の祭りである。後で聞いた話だが黒壇の木彫りが三個千円にまで下がったのでこれを買った人も同じ手口で品物を受け取る時に偽物と差し替えられてしまったとぼやいていた。彼らの商魂はどこまでもしたたかである。

ボロブドール遺跡は当時ジヤワを支配していたシャイレンドラ王朝が8〜9世紀にかけて造営した仏教寺院である。丘陵を利用し安山岩を用いた方形の基壇(一辺約120m)上に九層からなる大建築物であり、全高は約35mである。六層までは方形で、その上は円形をなし頂上には卒塔婆型の大塔がある。

 円形層の各所には合計72の卒塔婆型の小塔が並んでいてこの中には仏像が安置されている。この遺跡には小塔内の仏像も含めて全体で504体の仏像が安置されていて、中には座っているポーズのものや立っているポーズのものがあるが、顔を失っているものや壊れているものが多い。地震で倒壊したり、異教徒の手で壊されたり盗まれたりしたもののようである。

各階層の回廊の壁面には釈迦の伝記やサンスクリット作品から取り上げた物語の名場面が浮き彫りされていて優れた作品が残されている。そして脚部にある浮き彫りは安山岩を組み上げて隠されていたという。建物を補強するとともに異教徒から浮き彫りを守るためであったと考えられている。

この遺跡はメラピー火山の大噴火により約900年前にその火山灰で埋もれてしまって歴史から忘却されていたのであるが19世紀の初めにイギリスの将校が発見して世に知られるようになった。その後1907年から1911年にか けてオランダ人の手によって精密な調査と再建が行われたが、時が経つにつれ再び荒廃がはじまった。その後ユネスコの世界遺産に登録され各国の協力を得 て1973年から1983年にかけて大規模な修復作業が行われた。

この遺跡の周辺は広大な緑地になっており椰子の木等の南国の樹木が生い茂っていて雄大な景観である。これだけの仏教遺跡を残しながら、この国では現在仏教徒は殆ど皆無で世界最大のイスラム社会を形成しているのであるイスラム教徒の数は人口の90%以上を占め、約1億7000万人に及ぶというから仏教伝来以降のイスラム化がこの地で如何に物凄い勢いで進んだかが判るような気がする。現在世界で起こっている宗教紛争はその殆どが戦闘的なイスラムがらみであることを思えば、この遺跡を残した釈迦の慈愛を説く仏教徒達は受難と屈辱に呻きながら異教徒達に滅ぼされていったのであろうといつしか感傷的な気分に浸りながら遺跡を眺めていた。 

昼食後プランバナン遺跡の見学に出掛けた。ここにはシバ寺院群、セウ寺院群、ルンブン寺院群、プラオサン寺院群等の遺跡がありヒンズー教と仏教の聖なる建物があったところである。

我々が訪れたのはこの中、8世紀から9世紀にかけてサンジャヤ王朝によって建てられたヒンズー教のシバ寺院群である。このシバ寺院群は大小237の寺院からなっているが現在修復が終わり復元された建物は16だけであり、残りの大部分の寺院は倒壊して瓦礫だけが元建っていた場所に集められて修復されるのを待っている。

この建物群の中心になっているのは修復の終わったロロジョングラン寺院で高さ47m方形の底部の幅34mであり、上部は角錐状になっている。この建物の中心部の大きな部屋には高さ3mのシバ神の石像が安置されている小部屋には別身のシバ神石像、幸福を司るガネーシャ石像、世界を支配する女神ドゥールガ石像が安置されている。この建物の回廊の壁にはラーマーヤナ伝説の物語が浮き彫りで飾られていて四一の場面で構成されている。

 ラーマーヤナとは古代インドの長編叙事詩で紀元前四世紀頃纏められた。その概要は北インド、アヨージャ国の王子ラーマの冒険を描いたもので、知・情・勇を兼ね備えたラーマと美しさ・優しさ・純情さ・貞潔に類のない妃シータは理想的な夫婦としてインド諸民族の敬愛の的であり、絵画や演劇の主題として伝承されてきたものである。

ロロジョングラン寺院の北側には守りの神のヴイシヌ寺院、南側には創造神のプラーマ寺院が建っている。この三つの大きな建物の前にそれぞれナンディ寺院、ガルダ寺院、アンサ寺院が建っている。建物の飾りにはヒンズー教で尊ばれる「リンガ(男性器)とヨギ(女性器)」を象徴する塔がいくつも並んで建っていたりする。

シバ寺院の前の広場はよく整備されてプランバナン公園となっており、市民の憩いの場になっているが、実際には土産物屋の屋台が軒を接して立ち並び、大人や子供の売り子達が屯していて、観光バスが到着するたびにどっと駆け寄り売り込みを始めるのである。

七月から九月までの満月の夜にはインドネシア全域からよりすぐりの踊り子達がこの地へ集い、寺院群を背景としてラーマーヤナを上演するという。さぞかし素晴らしい光景であろうとしばらくその図を想像していた。

プランバナンの観光を終え、土産物屋に付属している影絵劇場を見学したガムラン音楽の演奏に合わせて幾つもの影絵人形を手にした人形師がこれを操って前方のスクリーンへ影絵を投影するのであるが、ストーリーはラーマーヤナ伝説が多いようである。表の観客席から影絵を見ているよりも舞台裏で楽器を打ち鳴らす楽士や激しい動きで人形を操る人形師をみているほうが言葉がわからないせいもあって余程面白かった。 


バリ島へ飛ぶため三時半に起床した。バリ島で最初に強烈な印象を受けたのは、各民家の庭に明確に区画割りして設置されている「お社」のようなものである。最初墓場かなと思ったがよく見ると母屋の北東にあたる位置にかなり広い面積を占めて灯籠型の塔が4〜5個建っているのである。中に御神体でも安置してあるのかなと覗いてみたが偶像らしきものは何も飾られておらず供物が供えられているだけであった。

 ヒンズー教寺院でよくみかける動物の形をした魔除けの像はこの「お社」への入口の門柱に彫刻されていたり柱の上に飾られている。ガイドに聞いてみるとこれはヒンズー教の神々を祭るための家庭の「お社」であり、満月の日やヒンズーの祭日には黒と白の元禄模様の布や赤、黄、緑、白の布や幟りで飾られるという。そしてこの「お社」の後方に母屋とおぼしき建物が建っている。田舎へ行く程母屋より「お社」の方が大きく立派な造りであるのをしばしば目撃した。

 この「お社」にも格式のようなものがあって、屋根の造りだけとりあげてみても銅板葺き、コンクリート葺き、瓦葺き草葺き、トタン葺きとさまざまであり、その大きさも千差万別である。母屋より大きなものがあるかと思えば、団地サイズのお雛様セットの如くちいさく纏まって形だけ真似をしたと思われるものや、土地の有効利用の観点から編み出されたとおぼしき屋上に設置されているものまである。どうもヒンズー教のカースト制が「お社」の祭祀形式の中にはまだ残っているようである。

 ガイドに確認してみるとカースト制は冠婚葬祭には厳然として残っているが職業の選択や進学についてはカースト制の制約は無くなっているということであった。そして市内の至る所にラーマーヤナに題材をとった人物像や動物像が誇らしげに飾られている。イスラム社会であるインドネシアにおいてここバリ島だけは例外的にヒンズー教の風俗習慣が根強く息づいているのである。 

 夕方ケチャックダンスを観劇した。これはとても異様な踊りである。真っ暗な舞台の中央に何本か灯されている蝋燭の火を中心にして上半身裸体の男達三五人程が集まり、口々に「ケクチャク、ケクチャク」と歌いながら踊るのである。そこへラーマーヤナ物語の主人公達が逐次出没して物語が進行するのであるが、半裸身の男達は常に舞台上にあって、奇妙な歌を歌いながら群舞したりうずくまったりするのである。元来ケチャックは、恍惚状態にある娘達が踊るサンヤンという踊りに伴ったコーラスの事であった。サンヤンダンスは恍惚状態にある娘達を通じて祖先の願いを聞くことを目的としていた。現在ではこれが変容して、ラーマーヤナ物語が独特の奇声コーラスと踊りの中で展開されるようになったものが、ケチャックダンスとして演じられているのである。

翌朝九時から始まるバロンダンスをデンバサール市内の劇場で観劇した。
バリでは善魂と悪魂がいつも同時に存在すると信じられていて、バロンは善魂を表す動物でありランダは悪魂を表す動物である。バロンは寺院の守り神であり、具体的には獅子であることが多い。バロンの踊りはガメランというバリ独特の楽器の演奏に合わせて踊られる。バロンとランダが踊りの中で色々な戦いをするがいずれの勝利もないままに踊りは終わるのが特徴である

 最初獅子舞が現れて獅子舞を披露し、そのうち王子や王女、王様や宰相、召使、魔女、死に神、道化の猿、僧侶などが次々に出没し物語が進行する。七段階に分けて場面が構成されているが善魂と悪魂が争っている様子が面白可笑しく演じられるので言葉は判らなくても役者の所作から物語のおおよその流れは理解できて楽しく鑑賞することができた。言葉の判らない観光客には昨夜のケチャックダンスよりは余程良いと思った。

それにしてもバリ島には日本の若者の観光客が多い。これほど多くの日本の若者を今までの旅行で見たことがない。

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