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<br />  北アイルランドのベルファスト空港は出口をでると空港施設内に手洗いのない珍しい空港である。ベルファスト市内中心部のヨーロッパ・ホテルへ到着して市内観光とゴルフプレイをコンシェルジェに相談すると早速アレンさんという若いガイドがワゴン車で迎えにやってきた。ゴルフ場も三時からプレイの予約ができたという。<br /><br />  先ずハウスペインティングの場所へ連れて行かれた。ここはベルファスト市南部のフォールスロードやアンダーソンタウンという名の住宅地域である。長屋風の切り妻造り二階建ての切り妻部分の壁面一杯を使って、銃を手にした男の絵とか覆面をした男達の絵が描かれている。IRAの指導者ゲーリー・アダムスの肖像を描いた壁もある。どうも北アイルランドの分離独立運動をモチーフとした絵のようである。中には鳩の絵とFOR PEACEという標語が描かれている壁面もある。住宅の周りには橙色、白色、緑色からなる三色旗がはためいている。これはカソリックの旗である。ここは北アイルランド独立運動の拠点地域であるようだ。後に調べてみると旅行のガイドブックには危険な地域だから立ち入らないようにと注記されている場所であった。<br /><br />  壁に描かれた絵の意味するものにきな臭いものを感じながらも、一種独特の趣のある住宅の壁面に施されたペインティングを鑑賞したり、カメラに納めていると、通りすがりの広場に大勢人々が集まって、制服を着用した軍隊か警察の集団を取り囲んでいた。瞥見しただけなのでその集団が何をしているのか或いはしようとしていたのか判らない。運転手も見られては拙いものを見られてしまったというような顔をして急いでその場を通り抜けようとしたので敢えて誰も質問をしなかった。<br /><br />  これらのペインティングの施された家々の地域から離れていくと道路に門がある。この門は夜間には扉が閉められて通行できなくなるのだという。何故そのようなことをするのかと訝っているとやがて「ピース・ウオール」と運転手が指さす所に高い壁がある。冷戦時代にベルリンを東西に隔てていたような隔壁である。これはカソリック教徒とプロテスタント教徒の居住区を区分する隔壁なのである。カソリックのほうが人数的にも少なくて狭い場所に閉じ込められているようである。聞いてみると運転手はカソリックであるという。宗教問題や民族問題に深入りすると旅行中のことでもあり、紛争に巻き込まれる恐れがあるので同行者の一行は運転手がこの場所へ異邦人を案内した意図を忖度しながらも正面切った質問は避けることにした。<br /><br />  翻って北アイルランドの宗教紛争と民族紛争の歴史を繙いてみるとその遠因は1536年のヘンリー8世の宗教改革にまで遡及る。元来ケルト系原住民が居住していた北アイルランドにアングロ・サクソンが侵攻してきて13世紀半ばにはその四分の三を支配するようになった。そしてイングランド国教がローマ教会から独立したのを機にイギリスは宗教改革をアイルランドにも強制し、ヘンリー8世はアイルランド国教を導入しアングロ・ノルマン系の反抗を受けたのである。18世紀に入ると異教徒刑罰法が制定されてカトリック教徒は政治経済の権利を剥奪され、プロテスタント地主にカソリック小作という支配関係が定着した。そしてカトリック教徒の間に自治と独立の運動が始まったのである。<br /><br />  1916六年のイースター蜂起の失敗ののち反英運動は独立運動に発展し1916年愛英条約によってアイルランド自由国が成立した。しかしアルスター地方の北部六州はイギリス領に留まり今日の北アイルランドとなった。しかし、カトリック教徒の公民権が制限される等の制限が残ったため独立運動が後をたたず,一九六九年にイギリス治安部隊が常駐するに及んでIRAのテロ活動が活発化したのである。<br /><br />  ピース・ウオールを万感の思いで見学した後、午後三時からパルモラル・ゴルフ・クラブでプレーした。電動カートはなくて手押し車にバッグを積んで自分で持ち運びながらのプレイであった。フラットなコースであったがラフに入ったらまずボールは見つからないという深さである。プレーも夕方になると体が冷えてきて体がかじかんでくる。<br /><br /> 最終ホールになったとき突然前方のピンの旗や建物が二重に見えだし距離感が全然なくなってしまった。初めての経験なので脳細胞の血管に異常をきたして脳血栓乃至は脳溢血でも始まったのではないかと一瞬恐慌をきたした。片目をつぶると二重に見えていた建物が一重に見える。どうにか最終ホールを無事終えてから、この体験を同行の堀家氏に話すと頭が冷えたときには三半規管の機能が低下し二重像が見え距離感がなくなることはしばしば起こる現象だと説明してくれた。小樽という寒冷地育ちの氏には何度もそのような経験があるという。それを聞いてほっとしたが生まれて初めての体験であった。なるほどプレーを終えて体が温かくなると二重像は消えてしまった。<br /><br />  翌朝9時に昨日の旅行社バリュー・キャブスの運転手アレン氏が迎えに来てくれたのでワゴンに乗り込みジャイアント・コーズウエイの見学にでかけた。<br /><br />  車はひたすら北上を続けるがよく整備された自動車道路には殆ど車が走っていない。周囲には広大な牧草地と麦畑が開けていてポプラや松、白樺、杉などの樹木も畑を区画するように繁っている。緑地には羊と牛がのんびりと草を食んでおり、どこまでも牧歌的な風景が続いている。暫く走行するうちに海が見えだした。大西洋である。ポートラッシュの集落に到着したようである。天候に恵まれて海の色は青色に輝いており広がる緑地と共に美しい海岸線が続く。そして気温は肌に快く、7月という時節に日本ではとても考えられないような涼しさである。<br /><br /> 海岸沿いの緑地にはゴルフ場も認められた。スコットランドの名門ゴルフ場セントアンドリュースゴルフ場に似た佇まいである。ポートラッシュの集落を通り過ぎると前方に古い城跡が見えだした。その昔海からの外敵に備えて築城されたダンルース城である。今は廃城であるが史跡として観光名所になっており、沢山の観光客が訪れていた。<br /><br /> ダンルース城を跡にして暫く走行するとジャイアントコーズウエイへの入り口に到着した。沢山の観光客が集まっていたが不思議なことに日本人の姿が全然みかけられない。その後暫くして、日本人女性の二人連れに会っただけであった。ここにはコーズウエイ・ホテルや売店の建物が並んでいる。六方石の奇岩のある景勝地はここから徒歩で約15分位の所にある。ここには六角形をした石の結晶が柱状に重なりあって何本もそそり立っている。尖端が折れて石の階段のようになっていて小高い丘の上に登ることができる。その珍しい形が海の青、山の緑、岩肌の焦げ茶色と絶妙のコントラストをなしていて素晴らしい景観をつくり出している。<br /><br />  コーズウエイ・ホテルで昼食を摂った後、1608年創業の世界最古のウイスキー工場ブッシュミルズを見学した。ここでは女性職員が50人ほどの一般見学者を引率して工場内を工程毎にてきぱきと説明して歩き、その統率力には小気味良いものがあった。見学が終わり食堂でアイリッシュウイスキーを試飲したらまろやかでとても美味しかった。スコッチに勝るとも劣らない味であると思った。<br /><br />  本日の観光を終えベルファストのホテルへ戻り部屋へ入るとベッドサイドの机の上に置いておいたピロウチップがそのままになっている。このことは先日ロンドンのボニントンホテルでも経験したことである。我々の解釈はピロウチップは文字通り枕の上に置いておかないとベットメークに入室したメイドはお客が置き忘れたものであると認識し、手をつけないのではないかということであった。ここにホテル従業員の躾けの良さを垣間見、イギリス人の律儀な国民性を見た思いであった。<br /><br />  夜はホテルの真向かいにあるバー・クラウンに入ってビールを飲み、アイルランドのバーの雰囲気を楽しんだ。このバーは相当古い建物で天井に施された彫刻や柱の彫刻、部屋を囲む壁に使われているガラス細工の模様など贅を尽くしたものである。この街が造船で栄えた頃に建てられたものであろう。シティ・ホ−ルにしろ、アルバート・メモリアルホールにしろ何れ劣らぬ贅を尽くした建造物である。こんな所にこの街の過去の栄光の面影を見る思いであった。<br /><br />  翌日は同行の友人三人でこの市内にあるクイーンズ・ユニバーシティとボタニー・ガーデンを散策した。たまたまこの日は大学の卒業式の日であり、大学構内でガウンを身に纏った卒業生をそこここに見ることができた。ボタニー・ガーデン内には博物館もあり、アイルランドの先住民の生活の模様や歴史等を実物で知ることができた。<br /><br />  午後からはまだ見ていない市内の主たる観光名所を昨日も頼んだ旅行社のワゴンで見て廻った。運転手は昨日のアレン氏と違って判り易い発音の英語を喋った。<br /><br />  百年前に建設されたシティ・ホール、アルバート・メモリアルホール、オペラハウス、パーラメント、ベルファスト・キャッスル、ハランド・エンド・ウルフ造船所等を駆け足で廻った。<br /><br />  ハランド・エンド・ウルフ造船所はかの有名なタイタニック号を造った造船所であるが現在船台には殆ど船が入っておらずかつての栄光と賑わいが嘘のように感じられる閑散さであった。周辺の工場地帯にも活気がなく、なんとなくうらぶれた感じが漂っていた。しかし工業地帯の再開発を積極的に進めているようであちこちにクレーンが林立し、古い建物を壊している現場を目撃することができた。かなりの投資がなされているようで僅かながら活気が蘇りつつあるなとの印象を受けた。<br /><br />  ベルファスト・キャッスルは海と市街地を見下ろす小高い丘の上に立っており、今はホテルに転用されている。ここで昼食を摂ったが料金もリーズナブルで美味しかったし、宿泊料も高くない。ベルファスト観光の穴場ではないかとの感じを受けた。市の中心地から離れた所に位置しているので外来の観光客には足の便の点で敬遠されているのではないかと思った。<br /><br />  ロンドンへ帰りボニントン・ホテルでテレビのニュースを見ていると,我々が北アイルランドを離れた七月三日の夜、ベルファスト市内でIRAの手になるものと思われる爆発騒ぎが発生したという報道があった。このニュースを見て紛争に巻き込まれずに済んでよかったと胸をなでおろしたものである。<br /><br /><br />

宗教対立を象徴する隔壁ピース・ウォール

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2000/07/01 - 2000/07/02

88位(同エリア125件中)

0

16

早島 潮

早島 潮さん


北アイルランドのベルファスト空港は出口をでると空港施設内に手洗いのない珍しい空港である。ベルファスト市内中心部のヨーロッパ・ホテルへ到着して市内観光とゴルフプレイをコンシェルジェに相談すると早速アレンさんという若いガイドがワゴン車で迎えにやってきた。ゴルフ場も三時からプレイの予約ができたという。

先ずハウスペインティングの場所へ連れて行かれた。ここはベルファスト市南部のフォールスロードやアンダーソンタウンという名の住宅地域である。長屋風の切り妻造り二階建ての切り妻部分の壁面一杯を使って、銃を手にした男の絵とか覆面をした男達の絵が描かれている。IRAの指導者ゲーリー・アダムスの肖像を描いた壁もある。どうも北アイルランドの分離独立運動をモチーフとした絵のようである。中には鳩の絵とFOR PEACEという標語が描かれている壁面もある。住宅の周りには橙色、白色、緑色からなる三色旗がはためいている。これはカソリックの旗である。ここは北アイルランド独立運動の拠点地域であるようだ。後に調べてみると旅行のガイドブックには危険な地域だから立ち入らないようにと注記されている場所であった。

壁に描かれた絵の意味するものにきな臭いものを感じながらも、一種独特の趣のある住宅の壁面に施されたペインティングを鑑賞したり、カメラに納めていると、通りすがりの広場に大勢人々が集まって、制服を着用した軍隊か警察の集団を取り囲んでいた。瞥見しただけなのでその集団が何をしているのか或いはしようとしていたのか判らない。運転手も見られては拙いものを見られてしまったというような顔をして急いでその場を通り抜けようとしたので敢えて誰も質問をしなかった。

これらのペインティングの施された家々の地域から離れていくと道路に門がある。この門は夜間には扉が閉められて通行できなくなるのだという。何故そのようなことをするのかと訝っているとやがて「ピース・ウオール」と運転手が指さす所に高い壁がある。冷戦時代にベルリンを東西に隔てていたような隔壁である。これはカソリック教徒とプロテスタント教徒の居住区を区分する隔壁なのである。カソリックのほうが人数的にも少なくて狭い場所に閉じ込められているようである。聞いてみると運転手はカソリックであるという。宗教問題や民族問題に深入りすると旅行中のことでもあり、紛争に巻き込まれる恐れがあるので同行者の一行は運転手がこの場所へ異邦人を案内した意図を忖度しながらも正面切った質問は避けることにした。

翻って北アイルランドの宗教紛争と民族紛争の歴史を繙いてみるとその遠因は1536年のヘンリー8世の宗教改革にまで遡及る。元来ケルト系原住民が居住していた北アイルランドにアングロ・サクソンが侵攻してきて13世紀半ばにはその四分の三を支配するようになった。そしてイングランド国教がローマ教会から独立したのを機にイギリスは宗教改革をアイルランドにも強制し、ヘンリー8世はアイルランド国教を導入しアングロ・ノルマン系の反抗を受けたのである。18世紀に入ると異教徒刑罰法が制定されてカトリック教徒は政治経済の権利を剥奪され、プロテスタント地主にカソリック小作という支配関係が定着した。そしてカトリック教徒の間に自治と独立の運動が始まったのである。

1916六年のイースター蜂起の失敗ののち反英運動は独立運動に発展し1916年愛英条約によってアイルランド自由国が成立した。しかしアルスター地方の北部六州はイギリス領に留まり今日の北アイルランドとなった。しかし、カトリック教徒の公民権が制限される等の制限が残ったため独立運動が後をたたず,一九六九年にイギリス治安部隊が常駐するに及んでIRAのテロ活動が活発化したのである。

ピース・ウオールを万感の思いで見学した後、午後三時からパルモラル・ゴルフ・クラブでプレーした。電動カートはなくて手押し車にバッグを積んで自分で持ち運びながらのプレイであった。フラットなコースであったがラフに入ったらまずボールは見つからないという深さである。プレーも夕方になると体が冷えてきて体がかじかんでくる。

 最終ホールになったとき突然前方のピンの旗や建物が二重に見えだし距離感が全然なくなってしまった。初めての経験なので脳細胞の血管に異常をきたして脳血栓乃至は脳溢血でも始まったのではないかと一瞬恐慌をきたした。片目をつぶると二重に見えていた建物が一重に見える。どうにか最終ホールを無事終えてから、この体験を同行の堀家氏に話すと頭が冷えたときには三半規管の機能が低下し二重像が見え距離感がなくなることはしばしば起こる現象だと説明してくれた。小樽という寒冷地育ちの氏には何度もそのような経験があるという。それを聞いてほっとしたが生まれて初めての体験であった。なるほどプレーを終えて体が温かくなると二重像は消えてしまった。

翌朝9時に昨日の旅行社バリュー・キャブスの運転手アレン氏が迎えに来てくれたのでワゴンに乗り込みジャイアント・コーズウエイの見学にでかけた。

車はひたすら北上を続けるがよく整備された自動車道路には殆ど車が走っていない。周囲には広大な牧草地と麦畑が開けていてポプラや松、白樺、杉などの樹木も畑を区画するように繁っている。緑地には羊と牛がのんびりと草を食んでおり、どこまでも牧歌的な風景が続いている。暫く走行するうちに海が見えだした。大西洋である。ポートラッシュの集落に到着したようである。天候に恵まれて海の色は青色に輝いており広がる緑地と共に美しい海岸線が続く。そして気温は肌に快く、7月という時節に日本ではとても考えられないような涼しさである。

 海岸沿いの緑地にはゴルフ場も認められた。スコットランドの名門ゴルフ場セントアンドリュースゴルフ場に似た佇まいである。ポートラッシュの集落を通り過ぎると前方に古い城跡が見えだした。その昔海からの外敵に備えて築城されたダンルース城である。今は廃城であるが史跡として観光名所になっており、沢山の観光客が訪れていた。

 ダンルース城を跡にして暫く走行するとジャイアントコーズウエイへの入り口に到着した。沢山の観光客が集まっていたが不思議なことに日本人の姿が全然みかけられない。その後暫くして、日本人女性の二人連れに会っただけであった。ここにはコーズウエイ・ホテルや売店の建物が並んでいる。六方石の奇岩のある景勝地はここから徒歩で約15分位の所にある。ここには六角形をした石の結晶が柱状に重なりあって何本もそそり立っている。尖端が折れて石の階段のようになっていて小高い丘の上に登ることができる。その珍しい形が海の青、山の緑、岩肌の焦げ茶色と絶妙のコントラストをなしていて素晴らしい景観をつくり出している。

コーズウエイ・ホテルで昼食を摂った後、1608年創業の世界最古のウイスキー工場ブッシュミルズを見学した。ここでは女性職員が50人ほどの一般見学者を引率して工場内を工程毎にてきぱきと説明して歩き、その統率力には小気味良いものがあった。見学が終わり食堂でアイリッシュウイスキーを試飲したらまろやかでとても美味しかった。スコッチに勝るとも劣らない味であると思った。

本日の観光を終えベルファストのホテルへ戻り部屋へ入るとベッドサイドの机の上に置いておいたピロウチップがそのままになっている。このことは先日ロンドンのボニントンホテルでも経験したことである。我々の解釈はピロウチップは文字通り枕の上に置いておかないとベットメークに入室したメイドはお客が置き忘れたものであると認識し、手をつけないのではないかということであった。ここにホテル従業員の躾けの良さを垣間見、イギリス人の律儀な国民性を見た思いであった。

夜はホテルの真向かいにあるバー・クラウンに入ってビールを飲み、アイルランドのバーの雰囲気を楽しんだ。このバーは相当古い建物で天井に施された彫刻や柱の彫刻、部屋を囲む壁に使われているガラス細工の模様など贅を尽くしたものである。この街が造船で栄えた頃に建てられたものであろう。シティ・ホ−ルにしろ、アルバート・メモリアルホールにしろ何れ劣らぬ贅を尽くした建造物である。こんな所にこの街の過去の栄光の面影を見る思いであった。

翌日は同行の友人三人でこの市内にあるクイーンズ・ユニバーシティとボタニー・ガーデンを散策した。たまたまこの日は大学の卒業式の日であり、大学構内でガウンを身に纏った卒業生をそこここに見ることができた。ボタニー・ガーデン内には博物館もあり、アイルランドの先住民の生活の模様や歴史等を実物で知ることができた。

午後からはまだ見ていない市内の主たる観光名所を昨日も頼んだ旅行社のワゴンで見て廻った。運転手は昨日のアレン氏と違って判り易い発音の英語を喋った。

百年前に建設されたシティ・ホール、アルバート・メモリアルホール、オペラハウス、パーラメント、ベルファスト・キャッスル、ハランド・エンド・ウルフ造船所等を駆け足で廻った。

ハランド・エンド・ウルフ造船所はかの有名なタイタニック号を造った造船所であるが現在船台には殆ど船が入っておらずかつての栄光と賑わいが嘘のように感じられる閑散さであった。周辺の工場地帯にも活気がなく、なんとなくうらぶれた感じが漂っていた。しかし工業地帯の再開発を積極的に進めているようであちこちにクレーンが林立し、古い建物を壊している現場を目撃することができた。かなりの投資がなされているようで僅かながら活気が蘇りつつあるなとの印象を受けた。

ベルファスト・キャッスルは海と市街地を見下ろす小高い丘の上に立っており、今はホテルに転用されている。ここで昼食を摂ったが料金もリーズナブルで美味しかったし、宿泊料も高くない。ベルファスト観光の穴場ではないかとの感じを受けた。市の中心地から離れた所に位置しているので外来の観光客には足の便の点で敬遠されているのではないかと思った。

ロンドンへ帰りボニントン・ホテルでテレビのニュースを見ていると,我々が北アイルランドを離れた七月三日の夜、ベルファスト市内でIRAの手になるものと思われる爆発騒ぎが発生したという報道があった。このニュースを見て紛争に巻き込まれずに済んでよかったと胸をなでおろしたものである。


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  • ピースウォール。宗教対立を象徴する隔壁

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