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  スペイン周遊の旅は、3月20日ラマンチャ地方訪問から始まった。バスの車窓には桜と見紛うばかりにアーモンドの花が咲き誇っていたり、未だ芽生えていない荒涼とした広い田野が続き、空はどこまでも青く雲一つ見えない。やがて小高い丘が見えてきて、その上に風車が十個ばかり並んでいる。風車小屋が往古そのままの姿で残っているのは、ここコンスエグラの町だけである。この町でドンキホーテは生まれたのである。<br /><br />  トレド旧市内は城郭都市になっていてタホ川が巡る丘陵地に広がる中世の街である。この街は711年から約四百年にわたってイスラム教徒によって支配され、1085年カスティリヤ王国のアルフォンソ六世の奪回後も1492年カトリック両王によって追放されるまでユダヤ人やイスラム教徒が居残って経済活動を続けた街である。かっては西ゴート王国の首都として或いは、レコンキスタと呼ばれるキリスト教徒による国土回復運動の中心都市として繁栄してきた。いわばスペインの歴史が凝縮したような街である。道がせまいので大型車両は乗り入れができない。<br /><br />  カテドラルと呼ばれる大聖堂はトレドの中心に位置して往年の栄光を象徴するかのように聳え建っている。1227年に着工し1493年に完成した。実に206年の歳月を費やしたのである。スペイン・カトリックの総本山ともいうべき大寺院であり、ゴチック様式の記念碑的な文化遺産である。<br /><br /> 大聖堂内の宝物室にはイサベラ女王の豪華な王冠、金箔で文字を書いた聖書や聖体顕事台が金銀宝石で豪華に飾られて収められている。その一部にはコロンブスが持ち帰った金が使われていると伝えられている。聖体顕事台の高さは3もあり、16世紀に作られたものである。イスパニアの冒険家達が次々と地理上の発見をしマヤ帝国、アステカ帝国やインカ帝国を征服し莫大な財宝を獲得して持ちかえり、イスパニア王国が輝いていた時代の記念品といえよう。<br /><br />  プラド美術館はマドリッド観光の目玉なので人出が凄い。世界三大美術館といわれるだけあってその6000点の収蔵物には質の高い名品が多い。常時展示されているのは3000点でその半数以上がスペインの画家による粒選りの作品であり、展示物は適宜入れ替えられているようである。作品は12世紀から18世紀までで16〜17世紀の作品が中心になっており王家のコレクションが主体になっている。エル・グレコ、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ等馴染みのスペインの画家の作品の前では黒山の人だかりが出来ていた。<br /><br />  トレド市内に比べれば、マドリード市内はスペイン統一後に遷都された首都だけにアラブの影響が少ないヨーロッパ的な雰囲気を漂わせる街の佇まいである。<br /><br />  翌日、アトーチャ駅からスペインの誇る新幹線アヴェでコルドバへ向かった。所要時間一時間半の道程であった。時速250kmの速度がでているのに車体の振動が全然感じられず、車窓に広がる広大な平野を眺めながらの電車旅は快適であった。極端に刈り込んで太い幹しか残っていない葡萄の茶色ぽい畑や、背丈短く刈り込んだ幹の太いオリーブが緑色の葉を陽光にきらめかせている畑が果てし無く続いていた。<br /><br />  コルドバは、スペイン南部を流れるグアダルキビール川の中流に位置しており、かつて北アフリカを含むイスラム世界の中心地であった。バグダッドに首都を置く東イスラム教国に対して、西のイスラム教主カリフの宮廷が置かれ、10世紀から13世紀にかけて文化、科学、芸術の中心地として繁栄した。<br /><br />  コルドバの街も大型バスは入れない路地の多い街である。特にユダヤ人居住区は迷路のようになっており白壁の家並が続いている。窓には植木鉢に植えられた色とりどりの花や観葉植物で飾られてコントラストの良い趣のある景観を作りだしている。花の小道と名付けられた路地もある。そしてパティオと称する中庭が、開かれた門扉の奥に見え隠れしている。門扉が開かれているのは自慢のパティオを自由に鑑賞してくれという家主の意思表示になっているのだという。<br /><br />  このような路地を通り抜けるとちょっとした広場があり、イスラム聖人の銅像が飾られていたり噴水があったりする。そして必ず実もたわわなオレンジの木が何本か植えられている。よく見るとオレンジの同じ木に花も咲いているし良く熟れた実もなっている。つまり四季を問わず年中実がなっているということなのである。それにしてもコルドバの街はスペインのフライパンと言われるだけあって、3月21日だというのに日中はとても暑く寒暖計は30度を示していた。これが朝夕には肌寒いのだから日本の感覚とは随分違った季節感である。<br /><br />  狭く混雑している路地を通り抜けてメスキータへ辿り着いた。<br />  メスキータはウマイア王朝のカリフ、アブデラマン一世が785年に着工しその後継者のアブデラマン二世、モハメット一世、アルハケム二世によって次々に増築されてきたものでコルドバ・カリフ王国の栄華を誇るモニュメントである。<br /><br />  中へ入ると薄暗い。しばらくして目が闇に慣らされてくると赤色と白色の縞に塗られた浮輪を半切りにしたような夥しい数のアーチと柱が目に飛び込んでくる。幻想的な光景は薄暗さも手伝って、宗教的で厳粛な気持ちにさせる。縞メノウ、大理石、花崗岩で作られたアーチは総数約850本もあり線条細工のアラベスク模様が施されている。屋外が暑かっただけに室内の涼しさにほっと息をつく。<br /><br />  時代を追って進むほどに僅かずつ様式が変化していくのが判る。そして圧巻はメスキータ中央にあるキリスト教のビジャビシオッサ礼拝堂である。カルロス五世に願い出た教会当局が王の許可を得て市民の反対を押し切ってこのメスキータ中央の屋根を取り払いカテドラルを建設したのである。翼廊と祭壇のある後陣はゴシック様式、後陣のまわりを取り囲む丸天井はロマネスク様式、聖歌隊席と説教壇はバロック様式になっており、モスクの中にキリスト教のカテドラルが共存するという、奇妙なメスキータが出現したのである。つまり1523年から1766年までモスクがキリスト教の寺院として使われるという珍奇な宗教行事が営まれたのである。この珍奇さ複雑さがスペインの国情、文化の特徴であろうか。<br /><br />  セビリヤの街は、スペイン南西部のグアダルキビル川に沿う河港都市である。アンダルシア平原の中心にあり、古くはフェニキア人によって開かれ、次いでローマ人に支配され、中世を通じてサラセン文化が栄えた。アメリカ大陸発見後は新大陸航路の基点の港として発展した。<br /><br />  この街の圧巻は何といっても格式高く由緒のあるカテドラルである。イスラム寺院の跡地に1402年から約100かけて建てられ、スペイン最大であるのは勿論、世界的にもローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのサン・ポール寺院に次ぐ規模のものである。この寺院のヒエルダの塔はもっとも有名であり、高さが98メートルもあるが、階段がついていない。塔の中を馬に乗って展望台まで上がれるようにゆるやかなスロープが螺旋状に作られていて展望台からはセビリヤ市内が一望できる。<br /><br />  又、この寺院の中にはコロンブスの墓があり、遺体の入った柩をカスティリヤ、アラゴン、レオン、ナバラ四王国の騎士が担いでいる。寺院内のパディオにはオレンジの木が沢山植えてあった。<br /><br />  サンタクルス街はユダヤ人居住区であった所で曲がりくねった迷路のような路地や白壁の家が軒を連ねており、軒に吊るした鉢植えの花やパディオのオレンジの木々はアンダルシア独特の光景を造りだしている。<br /><br />  グラナダはローマ時代イリベリースと呼ばれて栄えた街である。七世紀からイスラム教徒が流入し、イスラム教徒によるイベリア支配の拠点として15世紀末まで繁栄した古都である。コロンブスが新大陸を発見した同じ年の1492年にカトリック両王がグラナダへ入城し陥落した。<br /><br />  アルハンブラ宮殿は1238年にアラブ王アラマールが即位後、築城の構想を固め、その後21人のアラブ王によって逐次各部が造りあげられていった。アルハンブラとはアラブ語で赤い城という意味であるが城郭に使われた石の壁に多量の赤鉄が含まれていたのでそう名付けられたらしい。アラビア芸術の粋がみられる代表的な美しい宮殿である。<br /><br />  アラヤネスの中庭、コマレスの塔、姉妹の間、ライオンの中庭、アベンセラーヘスの間、王の浴室、ベネラリエフ庭園等を見学した。砂漠の貴重品である水を池や噴水や小川等としてふんだんに取り入れた設計はいかにも砂漠の厳しい自然条件の中で興った王国に相応しい造りである。建物内部の壁に施された美しく、繊細なアラベスク模様の漆喰は高度の技術を感じさせる。また天井には鍾乳洞のつららかとも思えるような装飾が施されていて美しさを際立たせている。<br /><br />  また王族であるアベンセラーヘス一族の誰かが王の寵愛する妃と不義を働いて逃亡したので、怒り狂った王が一族の嫌疑者八人を一つの部屋へ集めて全員を打ち首にした等という身の毛のよだつような恐ろしい話も伝えられている。<br /><br />  アルバイシンはグラナダの古い町でアルハンブラ宮殿ができるまではこの町の丘の上にグラナダ国王が住んでいたところである。当時の人口三万人が住んでいた密集地であり、イスラム寺院が30近くもあったという。今でも迷路のような路地の両脇には屋根の低い家が建てられていて、パディオを持った半円形のアーチやタイルで飾られたイスラム風の建物が多くみられる。この地区から眺めるアルハンブラ宮殿の全景はとても美しい。<br /><br />  バルセロナの町は今までのコルドバ、セビリヤ、クラナダ等とはがらりと趣が変わり、アラブ的な色彩が殆ど見られずカトリック的なヨーロッパらしい街の佇まいがはっきり見てとれた。この街はスペインの中でも別の意味で特異性のある街である。つまり中央に対して対峙する気風が強く、カタルニア地方独特のカタルニア語を公用語として使用する自主独立性の強い街である。そしてこの街が生んだ天才ガウディーの作品があちこちに見られるガウディの街であった。<br /><br />  サグラダ・ファミリヤは聖家族教会と翻訳され尖塔を持つ未完の教会である。1882年にフランシスコ・デ・ビヤールが着手し、1891年にガウディが引き継いだものである。彼は晩年この教会内に寝起きしこの教会と一心同体で制作に取り組んだのであるが制作半ばに交通事故に遭い志半ばで死亡してしまったのである。この建築物の構想はイエス降誕のアァサード、受難のファサード、栄光のファサードと三区画からなりそれぞれに四本の尖塔を持ち全体で十二使徒を意味する構想なのであるが、1982年までにやっとイエス降誕のファサードと地下聖堂だけが完成したにすぎない。ここまでで建設開始から百年以上かかっており、残りの部分が完成するのにはあと百年かかるか二百年かかるかわからないと言われている現代の大建築なのである。<br /><br />  教会内部の部屋は作業場になっており大きな機械が石材を切断したり彫ったりしているし何本ものクレーンが林立して作業が押し進められているが、それでも完成時期が未定という気の遠くなるような大事業である。<br /><br />  旅の印象を一言で纏めればスペインはイスラムの文化とカソリックの文化が混在している文化遺産の豊富で且つワインが安くて美味い国であるということだ。 <br /><br /><br />

カソリック文化とイスラム文化が混在する国

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1999/03/19 - 1999/03/26

21454位(同エリア22433件中)

0

20

早島 潮

早島 潮さん

 スペイン周遊の旅は、3月20日ラマンチャ地方訪問から始まった。バスの車窓には桜と見紛うばかりにアーモンドの花が咲き誇っていたり、未だ芽生えていない荒涼とした広い田野が続き、空はどこまでも青く雲一つ見えない。やがて小高い丘が見えてきて、その上に風車が十個ばかり並んでいる。風車小屋が往古そのままの姿で残っているのは、ここコンスエグラの町だけである。この町でドンキホーテは生まれたのである。

トレド旧市内は城郭都市になっていてタホ川が巡る丘陵地に広がる中世の街である。この街は711年から約四百年にわたってイスラム教徒によって支配され、1085年カスティリヤ王国のアルフォンソ六世の奪回後も1492年カトリック両王によって追放されるまでユダヤ人やイスラム教徒が居残って経済活動を続けた街である。かっては西ゴート王国の首都として或いは、レコンキスタと呼ばれるキリスト教徒による国土回復運動の中心都市として繁栄してきた。いわばスペインの歴史が凝縮したような街である。道がせまいので大型車両は乗り入れができない。

カテドラルと呼ばれる大聖堂はトレドの中心に位置して往年の栄光を象徴するかのように聳え建っている。1227年に着工し1493年に完成した。実に206年の歳月を費やしたのである。スペイン・カトリックの総本山ともいうべき大寺院であり、ゴチック様式の記念碑的な文化遺産である。

 大聖堂内の宝物室にはイサベラ女王の豪華な王冠、金箔で文字を書いた聖書や聖体顕事台が金銀宝石で豪華に飾られて収められている。その一部にはコロンブスが持ち帰った金が使われていると伝えられている。聖体顕事台の高さは3もあり、16世紀に作られたものである。イスパニアの冒険家達が次々と地理上の発見をしマヤ帝国、アステカ帝国やインカ帝国を征服し莫大な財宝を獲得して持ちかえり、イスパニア王国が輝いていた時代の記念品といえよう。

プラド美術館はマドリッド観光の目玉なので人出が凄い。世界三大美術館といわれるだけあってその6000点の収蔵物には質の高い名品が多い。常時展示されているのは3000点でその半数以上がスペインの画家による粒選りの作品であり、展示物は適宜入れ替えられているようである。作品は12世紀から18世紀までで16〜17世紀の作品が中心になっており王家のコレクションが主体になっている。エル・グレコ、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ等馴染みのスペインの画家の作品の前では黒山の人だかりが出来ていた。

トレド市内に比べれば、マドリード市内はスペイン統一後に遷都された首都だけにアラブの影響が少ないヨーロッパ的な雰囲気を漂わせる街の佇まいである。

翌日、アトーチャ駅からスペインの誇る新幹線アヴェでコルドバへ向かった。所要時間一時間半の道程であった。時速250kmの速度がでているのに車体の振動が全然感じられず、車窓に広がる広大な平野を眺めながらの電車旅は快適であった。極端に刈り込んで太い幹しか残っていない葡萄の茶色ぽい畑や、背丈短く刈り込んだ幹の太いオリーブが緑色の葉を陽光にきらめかせている畑が果てし無く続いていた。

コルドバは、スペイン南部を流れるグアダルキビール川の中流に位置しており、かつて北アフリカを含むイスラム世界の中心地であった。バグダッドに首都を置く東イスラム教国に対して、西のイスラム教主カリフの宮廷が置かれ、10世紀から13世紀にかけて文化、科学、芸術の中心地として繁栄した。

コルドバの街も大型バスは入れない路地の多い街である。特にユダヤ人居住区は迷路のようになっており白壁の家並が続いている。窓には植木鉢に植えられた色とりどりの花や観葉植物で飾られてコントラストの良い趣のある景観を作りだしている。花の小道と名付けられた路地もある。そしてパティオと称する中庭が、開かれた門扉の奥に見え隠れしている。門扉が開かれているのは自慢のパティオを自由に鑑賞してくれという家主の意思表示になっているのだという。

このような路地を通り抜けるとちょっとした広場があり、イスラム聖人の銅像が飾られていたり噴水があったりする。そして必ず実もたわわなオレンジの木が何本か植えられている。よく見るとオレンジの同じ木に花も咲いているし良く熟れた実もなっている。つまり四季を問わず年中実がなっているということなのである。それにしてもコルドバの街はスペインのフライパンと言われるだけあって、3月21日だというのに日中はとても暑く寒暖計は30度を示していた。これが朝夕には肌寒いのだから日本の感覚とは随分違った季節感である。

狭く混雑している路地を通り抜けてメスキータへ辿り着いた。
メスキータはウマイア王朝のカリフ、アブデラマン一世が785年に着工しその後継者のアブデラマン二世、モハメット一世、アルハケム二世によって次々に増築されてきたものでコルドバ・カリフ王国の栄華を誇るモニュメントである。

中へ入ると薄暗い。しばらくして目が闇に慣らされてくると赤色と白色の縞に塗られた浮輪を半切りにしたような夥しい数のアーチと柱が目に飛び込んでくる。幻想的な光景は薄暗さも手伝って、宗教的で厳粛な気持ちにさせる。縞メノウ、大理石、花崗岩で作られたアーチは総数約850本もあり線条細工のアラベスク模様が施されている。屋外が暑かっただけに室内の涼しさにほっと息をつく。

時代を追って進むほどに僅かずつ様式が変化していくのが判る。そして圧巻はメスキータ中央にあるキリスト教のビジャビシオッサ礼拝堂である。カルロス五世に願い出た教会当局が王の許可を得て市民の反対を押し切ってこのメスキータ中央の屋根を取り払いカテドラルを建設したのである。翼廊と祭壇のある後陣はゴシック様式、後陣のまわりを取り囲む丸天井はロマネスク様式、聖歌隊席と説教壇はバロック様式になっており、モスクの中にキリスト教のカテドラルが共存するという、奇妙なメスキータが出現したのである。つまり1523年から1766年までモスクがキリスト教の寺院として使われるという珍奇な宗教行事が営まれたのである。この珍奇さ複雑さがスペインの国情、文化の特徴であろうか。

セビリヤの街は、スペイン南西部のグアダルキビル川に沿う河港都市である。アンダルシア平原の中心にあり、古くはフェニキア人によって開かれ、次いでローマ人に支配され、中世を通じてサラセン文化が栄えた。アメリカ大陸発見後は新大陸航路の基点の港として発展した。

この街の圧巻は何といっても格式高く由緒のあるカテドラルである。イスラム寺院の跡地に1402年から約100かけて建てられ、スペイン最大であるのは勿論、世界的にもローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのサン・ポール寺院に次ぐ規模のものである。この寺院のヒエルダの塔はもっとも有名であり、高さが98メートルもあるが、階段がついていない。塔の中を馬に乗って展望台まで上がれるようにゆるやかなスロープが螺旋状に作られていて展望台からはセビリヤ市内が一望できる。

又、この寺院の中にはコロンブスの墓があり、遺体の入った柩をカスティリヤ、アラゴン、レオン、ナバラ四王国の騎士が担いでいる。寺院内のパディオにはオレンジの木が沢山植えてあった。

サンタクルス街はユダヤ人居住区であった所で曲がりくねった迷路のような路地や白壁の家が軒を連ねており、軒に吊るした鉢植えの花やパディオのオレンジの木々はアンダルシア独特の光景を造りだしている。

グラナダはローマ時代イリベリースと呼ばれて栄えた街である。七世紀からイスラム教徒が流入し、イスラム教徒によるイベリア支配の拠点として15世紀末まで繁栄した古都である。コロンブスが新大陸を発見した同じ年の1492年にカトリック両王がグラナダへ入城し陥落した。

アルハンブラ宮殿は1238年にアラブ王アラマールが即位後、築城の構想を固め、その後21人のアラブ王によって逐次各部が造りあげられていった。アルハンブラとはアラブ語で赤い城という意味であるが城郭に使われた石の壁に多量の赤鉄が含まれていたのでそう名付けられたらしい。アラビア芸術の粋がみられる代表的な美しい宮殿である。

アラヤネスの中庭、コマレスの塔、姉妹の間、ライオンの中庭、アベンセラーヘスの間、王の浴室、ベネラリエフ庭園等を見学した。砂漠の貴重品である水を池や噴水や小川等としてふんだんに取り入れた設計はいかにも砂漠の厳しい自然条件の中で興った王国に相応しい造りである。建物内部の壁に施された美しく、繊細なアラベスク模様の漆喰は高度の技術を感じさせる。また天井には鍾乳洞のつららかとも思えるような装飾が施されていて美しさを際立たせている。

また王族であるアベンセラーヘス一族の誰かが王の寵愛する妃と不義を働いて逃亡したので、怒り狂った王が一族の嫌疑者八人を一つの部屋へ集めて全員を打ち首にした等という身の毛のよだつような恐ろしい話も伝えられている。

アルバイシンはグラナダの古い町でアルハンブラ宮殿ができるまではこの町の丘の上にグラナダ国王が住んでいたところである。当時の人口三万人が住んでいた密集地であり、イスラム寺院が30近くもあったという。今でも迷路のような路地の両脇には屋根の低い家が建てられていて、パディオを持った半円形のアーチやタイルで飾られたイスラム風の建物が多くみられる。この地区から眺めるアルハンブラ宮殿の全景はとても美しい。

バルセロナの町は今までのコルドバ、セビリヤ、クラナダ等とはがらりと趣が変わり、アラブ的な色彩が殆ど見られずカトリック的なヨーロッパらしい街の佇まいがはっきり見てとれた。この街はスペインの中でも別の意味で特異性のある街である。つまり中央に対して対峙する気風が強く、カタルニア地方独特のカタルニア語を公用語として使用する自主独立性の強い街である。そしてこの街が生んだ天才ガウディーの作品があちこちに見られるガウディの街であった。

サグラダ・ファミリヤは聖家族教会と翻訳され尖塔を持つ未完の教会である。1882年にフランシスコ・デ・ビヤールが着手し、1891年にガウディが引き継いだものである。彼は晩年この教会内に寝起きしこの教会と一心同体で制作に取り組んだのであるが制作半ばに交通事故に遭い志半ばで死亡してしまったのである。この建築物の構想はイエス降誕のアァサード、受難のファサード、栄光のファサードと三区画からなりそれぞれに四本の尖塔を持ち全体で十二使徒を意味する構想なのであるが、1982年までにやっとイエス降誕のファサードと地下聖堂だけが完成したにすぎない。ここまでで建設開始から百年以上かかっており、残りの部分が完成するのにはあと百年かかるか二百年かかるかわからないと言われている現代の大建築なのである。

教会内部の部屋は作業場になっており大きな機械が石材を切断したり彫ったりしているし何本ものクレーンが林立して作業が押し進められているが、それでも完成時期が未定という気の遠くなるような大事業である。

旅の印象を一言で纏めればスペインはイスラムの文化とカソリックの文化が混在している文化遺産の豊富で且つワインが安くて美味い国であるということだ。 


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