2009/07/20 - 2009/07/20
912位(同エリア1830件中)
まみさん
2009/07/20月 キエフ出国モスクワ経由
<モスクワ観光・赤の広場にて>
・ワシリー寺院(ポクロフスキー聖堂)
・カザンの聖母聖堂
2009/07/21火 成田着
ついに終わってしまいました、ウクライナ旅行。
しかし、出国日の今朝は、ホテルでもキエフのボリスポリ空港でも、終わったばかりのウクライナ旅行を名残惜しむ気持ちよりも、モスクワの出入国への不安の方が大きかったです。
というのも、モスクワのシェレメチェボ空港での乗継時間が8時間半もあるので、ほんの数時間でもいいからモスクワ市内に出ることにしていましたから。
フライトは時間厳守。
私の航空券は変更・返金不可ですから、自分の不注意で遅刻して乗り損ねるなんてことは言語道断。
だから、市内へ出ても、ゆとりをもって空港に戻らなくてはなりません。
しかも、なんてったってロシアだから、シェレメチェボ空港だから、出入国審査だのセキュリティー・チェックなどでどのくらい手間どるか分かりません。
また、キエフからモスクワへのアエロフロートが遅れる可能性だってあります。
乗継が8時間半もあるといったって、モスクワ市内観光に費やせる時間は半分以下でしょう。
また、モスクワ市内から空港への道路の渋滞は悪評高いので、もし去年(2008年)の夏に空港と市内をつなぐ鉄道「アエロエクスプレス」が開通していなかったら、はじめからあきらめたかもしれません。
だって市内に出られたとしても、渋滞で空港に戻る時間が読めないとなったら、不安で落ち着かなくなりますから。
モスクワ市内に出るには、トランジット・ビザが必要です。
自分で取りに行けば手数料はかかりませんが、東京の大使館での受付は平日の午前中のみ(2009年現在)。
そして申請と受領で2往復しなければなりません。
その分、仕事を休んで有休を減らすのと、代理店に少なからぬ代行手数料を払って頼むのと、どちらが自分にとって都合が良いか。
このウクライナ旅行をプラン中にこのことでもさんざん悩み、結局、代理店に依頼しました。
だからこそ、このトランジット・ビザをムダにしたくなく、なんとしてもモスクワ市内に出るのだという強迫観念もありました。
結果として、アエロエクスプレスがあったからこそ、市内に出ることを考えることができましたが、アエロエクスプレスにこだわってしまったからこそ、昼間は本数が少ないため、市内に出るまで1時間のロスが発生してしまいました。
でも、モスクワでの出入国も、めっちゃくちゃスムーズにいきました。
出るのもカンタン、入るのもモカンタンで拍子抜けしました。
たまたまラッキーだけだった可能性も、もちろんあります@
キエフからモスクワへのフライトも定刻どおりでしたので、8時間半の乗継時間は短縮されずにすみました。
また、市内から空港に戻ったときも、まだ成田行きのフライトのチェックインカウンターが開いていなかったせいか、カウンターはもちろん、出入国審査もセキュリティ・チェックもガラ空きのグッド・タイミング。
私はキエフで成田までのフライトも含めてチェックインをすませていましたし、機内預け荷物は成田までスルーさせていましたから、チェックイン・カウンターのそばでヒマそうにしていた係員の女性に搭乗券をひらひらさせて、「通してネ」と素通りできちゃいました。
そもそも往路のシェレメチェボ空港でも、9年ぶりの物珍しさはあったものの、乗継の4時間でも時間をもて余したくらいです。
その上、帰国日は成田行きのターミナルが改装工事中で、免税店は半分以上、閉まっていました。
市内に出なかったらどんなにか苦痛な待ち時間となったことでしょう。
このあたりの詳しいいきさつはこちらの旅行記に書きました。
「2009年ウクライナ・ハイライトその9(おまけ)モスクワでアエロエクスプレスに乗りました(完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361993/
「2009年ウクライナ旅行第1日目(2):9年ぶりのアエロフロートとシェレメチェボ空港」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10364578/
モスクワでの観光は、赤の広場に絞ることに決めていました。
初めてロシア旅行をした9年前の2000年はまだフィルムカメラ時代でしたので、デジカメで改めて赤の広場の建物の写真を撮るだけでも再訪する価値はあります。
クレムリンを再訪する時間まではないですが、9年前に見学する時間がなかったワシリー寺院と国立歴史博物館があります。
しかも、どちらも写真代を払えば撮影可能です。
そして、近くのギフトショップで、ロシアのかわいい雑貨やお土産の買い物をしたいです。
これで数時間なんてあっという間にたってしまうでしょう。
実際に赤の広場に到着して観光に費やせたのは1時間半でした。
でも、まだ新しいアエロエクスプレスや9年ぶりのモスクワの地下鉄を利用しての往復そのものが、いい気晴らしになりました。
だいたい私は、セツブンソウ撮影20分のために片道3時間以上かけて秩父の両神に出かけたり、ひたち海浜公園のネモフィラを見るために、ゴールデンウィークの高速道路の渋滞で自宅から往復10時間を耐えたことがあるのです。
それを考えたら、往復4時間で1時間半の観光は十分すぎるくらいです。
関連の旅行記
「セツブンソウを求めて秩父へ(1)ちょっとずつ寄り道した行き帰り」(2009年2月22日)
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10313037/
「セツブンソウを求めて秩父へ(2)両神のセツブンソウ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10313041/
「GWの花めぐり2009(5)初の国内バスツアー、渋滞でうんざりの往路」(2009年5月4日)
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10333070/
「GWの花めぐり2009(6)一度は見たかったひたち海浜公園の、念願のネモフィラの丘とチューリップ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10333075/
ただし、モスクワの赤の広場は記憶よりもとにかくでかく、たったの1時間半ではワシリー寺院と国立歴史博物館の両方を撮影しながら回るのはとても無理でした。
なので、より時間がかかりそうな国立歴史博物館を泣く泣くあきらめました。
来年(2010年)あたりにロシアを再訪して、そのときにきっと行くぞ!───と自分を慰めて。
※残念ながら、2010年の旅行は、いったんはロシア再訪を計画していたのですが、3月末のモスクワ地下鉄テロ事件で家族に猛反対されて、行き先を変更しました。
詳しくはもう一つのブログのこちらの記事に書きました。
「2010年度夏の旅行準備、始動!」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/03/2010-a09b.html
「またしてもテロ……。心安らかに旅行計画が練れない(泣)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/03/post-2b38.html
「涙を呑んで、夏のロシア旅行をあきらめる」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/04/post-5327.html
「渡航先を変更したためにボツになった記事」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/04/post-51db.html
「夏のロシア旅行をあきらめた、代わりの渡航先」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/04/post-35f3.html
代わりに、カザン聖堂を見学しました。撮影不可ですけど。
正教会は、今回のウクライナ旅行中、そして去年2008年のブルガリア旅行、一昨年2007年のルーマニア旅行でたくさん見学してきましたが、本家ロシアのモスクワの正教会の豪華さには改めてびっくりさせられました。
また、国立歴史博物館のそばのギフトショップでゆっくり買い物ができました。
国立歴史博物館のそばのギフトショップで買ったもの
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662533/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその8:ウクライナでゲットしたもの」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361990/
9年ぶりの赤の広場は、記憶よりもずっと観光客で賑わっていました。
今日は何かの祝日ですか?───と道行く人に聞きたくなったくらい。
お土産の屋台もたくさん出ていて、ウィンドウはないですが、ウィンドウ・ショッピングも楽しむことができました。
チェブラーシュカは、「地球の歩き方ロシア」の口絵カラー写真ページでロシア土産として紹介されていますが、あれは日本でのチェブの知名度が上がったからこその記事であって、ロシアではお土産としてそんなにメジャーではないんじゃないかしら、などと疑っていました。
いやはや、赤の広場があれほどたくさんチェブラーシュカしてるとは思いませんでした@
その反面、この旅行中、ウクライナではずーっと晴れて天気に恵まれたのに、モスクワ観光の1時間半はどんより曇りでした。
せっかくの赤の広場での撮影も、空が真っ白になってしまってテンションが下がってしまいました。
皮肉なことに、そろそろ空港へ戻らねばという時間になって、黄金色の日差しと透き通るような青空が戻ってきて、非常に悔しい思いをしました。
2009年ウクライナ旅行最終日のモスクワ・トランジット市内観光の写真は、聖ワシリー寺院内で撮った写真とそれ以外の2つに分けました。
聖ワシリー寺院の写真は、次の最後の旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第16日目(2)モスクワ:9年前に見学しそこねたワシリー寺院(2009年ウクライナ旅行記・完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10469230/
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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左の門の向こうが赤の広場で、右手は国立歴史博物館
赤の広場は地下鉄アホートヌイ・リャート駅を出たらすぐのはずですが、駅舎を出たら見覚えのない巨大な建物に囲まれた広場が広がり、方向音痴の私にはどちらに向かえばよいのか分からなくなってしまいました。
時間は限られているので、迷っているヒマはありません。
すぐに人に聞きました。
ウクライナ旅行中も時々使ったロシア語のフレーズを使って。
「すかじーちぇ・ぱじゃーるすた、くらーすなや・ぷろーしゃち?」
左の門はヴァスクレセンスキー門です。
国立博物館ではなにやら豪華な宝飾品コレクションのある特別展が開催中でした。
でも、それもあわせて歴史博物館をじっくり見学するには、あまりにも時間が足らないと思ったので、泣く泣くあきらめました。
クレムリンの武器庫よりも規模が大きいというので、中途半端に大急ぎで駆け足見学するよりも、いずれロシアを再訪するときにじっくり見学しようと思いました。
この写真には着ぐるみの人たちが写っています。
撮ったときには気づきませんでした@ -
ヴァスクレセンスキー門のそばの屋台にチェブラーシュカがたくさん!
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たくさんのチェブラーシュカと面白いマトリョーシュカ
この中では、水兵さんのチェブラーシュカが一番気に入りました。
ひとまわり小さくて赤い帽子にマフラーのチェブは、ピオニール・チェブラーシュカですね! -
水兵さんのチェブラーシュカと、そのすぐ後ろにはクマのプーさんのマトリョーシュカ!?
政治家のマトリョーシュカはプーチン大統領でしょうか。
どちらのプーさんも、可愛くない(苦笑)。
やっぱりチェブの可愛らしさはダントツ! -
白のチェブラーシュカと水兵さんのチェブラーシュカ
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赤のチェブラーシュカ
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オレンジのチェブラーシュカ
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海賊のチェブラーシュカ
この子が一番可愛い@ -
海賊のチェブラーシュカとふつうのタイプのチェブラーシュカ
ふつうのチェブラーシュカは胸元のオレンジの毛がとてもキュートです。 -
今回は断念した国立歴史博物館の入口
特別展でなにやら黄金のコレクションをやっていたようです。おおお……残念です。
「ロシア屈指の大博物館 国立歴史博物館
赤の広場に面して建つ、モスクワを代表する博物館。1872年にアレクサンドル2世の命によって設立され、1883年にアレクサンドル3世の戴冠式に合わせて開館した。博物館のある場所には、もともとモスクワ大学の小さな校舎があったが、建築家B.O. シェルヴートとA.A.セミョーノフによって、1881年に現在の赤レンガの建物が建てられた。収蔵品は450万点にも及び、規模ではクレムリンの武器庫をもしのぐ。(続く)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
国立歴史博物館、曇りなので空が白飛びしてしまうのが残念
「(前略)常設展示は、2階と3階に分かれ、2階が原始〜中世のロシアの歴史、3階が18世紀〜ロシア革命までのロシアの歴史の展示となっている。長らく続いていた改装工事も終わり、名実ともにロシア史を通覧する大博物館へと成長した。(中略)
2階では、ロシア全域の古代遺跡で発見された出土品が時代順に展示されている。ヨーロッパ・ロシアが中心だが、コーサカスやシベリア地域の出土品も扱い、石器・土器から武具、装身具など種類も多彩。石像や仏像なども展示されている。
3階では、18世紀から20世紀初頭まで、つまりピョートル大帝以降のロマノフ王朝の歴史についての資料が展示されている。政治色はそれほど強くなく、王朝貴族の暮らしぶりや服装、武器などの展示が多い。最後の39室には、画家アポリナリー・ヴァスネツォフによる、17世紀モスクワの市場を描いた絵が展示されている。なお、革命後の展示については、トゥヴェルスカヤ通り沿いの現代史博物館が扱っており、合わせて見学することでロシア史の全貌をつかむことができるだろう。」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
国立歴史博物館の入口(右)と、帰りに買い物したギフトショップの入口(左)
「(前略)カフェやレストラン、ミュージーアムショップも併設し、ミュージーアムショップは入口が別になっているのでチケットがなくても入れる。そのほか、2階の中央部をはじめ、館内の数ヵ所に企画展用の展示室があり、常時何らかの企画展が行われている。(後略)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
クレムリンのニコリスカヤ塔と国立歴史博物館
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クレムリンのスパスカヤ塔の時計
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国立歴史博物館全体、なんとかうっすら青空を入れて
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国立歴史博物館の一部だけ・その1
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国立歴史博物館の一部だけ・その2
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9年前はもっと見学者の行列がいた気がするレーニン廟
「今も昔も赤の広場のシンボル レーニン廟
赤の広場の真正面に位置する、レーニンを永久保存する記念堂。1924年1月24日に死去したレーニンは、家族の反対にもかかわらず永久保存されることが決定し、8月には木造の廟の中に安置され、公開された。1931年に現在の花崗岩造りの廟が完成している。
1953年から1961年の間は、スターリンの遺体もレーニンに並んで安置され、「レーニン・スターリン廟」と呼ばれていた。ソ連崩壊後、レーニン廟については廃止すべきとの意見が強かったが、反対論も根強く、現在も赤の広場のシンボルとして残っている。警備こそされているものの、かつての神格化したイメージはなく、記念写真を撮る観光客の姿をよくみかける。(後略)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
建物は宮殿のように見事なグム百貨店
「モスクワ最大の百貨店 グム百貨店
赤の広場に面してクレムリンの反対側に建つ、立派な百貨店。「グム」とは「ガスダールストヴェンヌイ・ウニヴェルマーク(国立百貨店)」のロシア語の頭文字を並べたもので、1921年にレーニンの命によって開設されている。現在の建物は、1893年に建てられた工場を1953年に大改装したもの。内部は吹き抜けになった3階建てで、3つのアーケードが並んでいる。かつて食料品や衣料など日用品が売られていたが、現在はソ連時代の面影はまったくない。有名外資系ブランド店やみやげ物屋が並び、常に観光客であふれている。(後略)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
グム百貨店の正面部分
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グム百貨店を背景に、ワシリー寺院の前のミーニンとポジャルスキーの像
実はこれはワシリー寺院の中から撮った写真です。
ミーニンとポジャルスキーとは、16世紀末から17世紀初頭にかけて、リューリク王朝断絶した後にツァーリ(皇帝)となったボリス・ゴドノフも失脚後の動乱時代のロシアがポーランドによって占拠されたとき、1612年、ポーランド軍を撃退するのに活躍した2人です。
ロシアでは翌年にロマノフ王朝が成立しました。
(参考HP「ハシムの世界史への旅」etc.)
http://homepage2.nifty.com/hashim/index.htm -
光学12倍ズームでとらえたワシリー寺院
ワシリー寺院内部の写真はつづきの旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第16日目(2)モスクワ:9年前に見学しそこねたワシリー寺院(2009年ウクライナ旅行記・完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10469230/ -
こちらも目が覚めるようなカラフルさ! カザン聖堂
中ももちろん、外観に負けていません!
「金と赤の色彩が映えるカザンの聖母聖堂
赤の広場の一画に建つ、鮮やかな色彩の教会。1612年のポーランド軍の侵攻を防いだことを記念して建設されたが、ソ連時代の1936年に、やはりスターリンの命によって破壊された。現在の建物は、建設当時そのままの姿で1993年に再建されたもの、ソ連崩壊後、ロシア正教会の復権にともない、モスクワで最初に再建された教会でもある。(続く)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
カザン聖堂の一部、入口の上のイコンを中心に
「(続き)教会の由来となったカザンの聖母のイコンは、9歳の少女の夢に3回現れた聖母のお告げどおりに、カザンの廃墟の下で発見されたと伝えられている。このイコンの前で祈ったミーニンとポジャルスキー率いるロシア義勇軍がポーランド軍を破ったことで、信仰を集めるようになった。また言い伝えによれば、このイコンは鐘楼の上にかざられ、何度教会内に移しても再び同じ場所に戻ってしまったという。イコンは、ピョートル大帝の時代にサンクトペテルブルクのカザン聖堂に移されている。」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
カザン聖堂の壮麗なイコノスタシスとシャンデリアのきらめき
内部写真が撮れないので代わりに買ったリーフレットからスキャンした写真です。
リーフレットは20.00ルーブルでした。
(2009年7月現在、1ルーブル=約3円で換算)
ロシア語オンリーで全然読めませんが、こういうカラー写真目当てで買いました。 -
リーフレットより、カザン聖堂のドーム天井の全能のキリストのイコンの写真(上)とイコノスタシスの前で礼拝中の大司教さまが写っている写真(下)
正教会のミサは何度か見たことがありますが、大司教さまは、このように美しくさわやかな色合いでものすごく豪華な衣装だったことが多いです。
教会附属博物館などで、このような衣装を見るのもとても楽しいです。 -
リーフレットより、イコノスタシスの王門のとなりの聖母子のイコン
-
歴史博物館と双子のとんがり帽子の門(ヴァスクレセンスキー門)
「再建されたヴァスクレセンスキー門
赤の広場の入口、国立歴史博物館の北側に接して建つ門。もともとは17世紀に建てられたものだが、パレードの邪魔になるとのことでスターリンによって1931年に破壊されてしまった。現在の門は、ソ連崩壊後の1995年に再建されたものだ。門の正面にはイベルスカヤ礼拝堂があり、信仰を集めているほか、門の前には「ロシア全道路の起点」と書かれた標識がある。ここに立って、願いごとをしながらコインを投げる観光客の姿をよく見かけるが、本当の起点はレーニン廟だという。」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
ヴァスクレセンスキー門のキリスト復活のイコン
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ヴァスクレセンスキー門の2人の聖人イコン
誰か分かりせんが、上はきっとキリスト教布教に尽力した王で、下は正教会のポピュラーな聖人、聖ニコラウスあたりでしょうか。
このシリーズ最後の旅行記「2009年ウクライナ旅行第16日目(2)モスクワ:9年前に見学しそこねたワシリー寺院(2009年ウクライナ旅行記・完)」へとつづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10469230/
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この旅行記へのコメント (3)
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- 義臣さん 2010/06/28 17:38:41
- 東洋では
- この建築 絶対に東洋では見られないと思いますが 如何で。
見て見たい、、けど。。無理ですね
先ず 言葉は日本語でさえ危ない(苦笑)
英語が嫌いで、、まして ロシア語なんて 夢のまた夢
でも このような景色 建築は見たい。。
承知で 無理 言ってる。。
義臣
- まみさん からの返信 2010/06/29 17:01:36
- RE: 東洋では
- 義臣さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
こういう建物が見たくて、東欧めぐりをしているところがあります。
見慣れた西欧とも違い、おっしゃるとおり、東欧ではとても見られない。
ロシア人がつくった植民の歴史があるようなところではひょっとしたら。
これはモスクワの赤の広場の建物なので、モスクワに行くツアーなどであれば、必ずここは観光すると思いますよー@@
私が初めて東欧に足を踏み入れたのは9年前でロシアですが、やっぱりロシアからエキゾチックな東欧の魅力にハマった気がします。
- 義臣さん からの返信 2010/06/29 17:17:30
- RE: 東洋では
- たった一度の外国旅行が北欧
次回も ヨーロッパ アメリカより
東欧 北欧 ロシアとは思っていただけで
いまだに、、
義臣
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