2008/07/18 - 2008/07/18
47位(同エリア95件中)
まみさん
2008/07/18金 コプリフシティッツァ日帰り
【宿泊:Hotel Slavyanska Beseda(ソフィア泊)】
・オスリコフ・ハウス・ミュージーアム
・デベリャノフ・ハウス・ミュージーアム
・被昇天教会
・トドール・カプレシュコフ・ハウス・ミュージーアム
・リュベン・カラヴェロフ・ハウス・ミュージーアム
・リュトフ・ハウス・ミュージーアム
せっかくブルガリアに旅行に来たなら、ぜひ回りたいのが、町や村そのものがミュージーアムというミュージーアム・タウンです。
ブルガリア建築の中でもとりわけ美しく、外国人の私にすらノスタルジックな香りが漂うブルガリア民族復興期の建物が多く残るがゆえに、ミュージーアム・タウンの名乗りを挙げています。
その中でも最たるものが、やはりコプリフシティッツァでしょう。
今回の旅行でいくつもミュージーアム・タウンを散策してきましたが、実際に見て来た後でもそう思います。
そして観光旅行に写真は命、と言ってよいくらい写真に凝っている私にとって嬉しいことに、コプリフシティッツァのハウス・ミュージーアムは、5レヴァほどの写真代を払えば、中を撮らせてもらえました。
(2008年7月現在、1レヴァ=約0.5ユーロ、1ユーロ=約170円で換算)
はじめのうちは、今回の旅行でもう何箇所も訪れ、写真を撮ってきたので、もういいや───と思ったりしたのですが。
どこかトルコ風のエキゾチックな当時の内装を眺めていると、1つ2つと訪れるうちに、カメラを構えたくてムズムズしてきました。
近代的な建物が一切見当たらない、のどかで田舎の村の散策をのんびり楽しんできましたが、鈍い私にも村に落ちる影に全く気付かないわけにはいきません。
せっかくの美しい建物に水を射すように「For Sale」とでかでかと看板のある家。
伝統文化を守るのはどこも大変なのでしょう。
そしてここはかつて、対オスマントルコの独立運動の拠点の1つであり、作戦に失敗して多くの犠牲者を出した歴史があります。
今の静かな村の姿から全く想像もつきません。
が、一見、静かで穏やかに見えるからこそ、秘めたるものの深さは測り知れないといえるかもしれません。
「(前略)19世紀中ごろに流行したプロヴディフ民族復興様式を取り入れたアーティスティックな町には、388を超える重要な建物が点在している。
14世紀、オスマントルコの侵略により、村を追われた人々が山奥へ移り住んだことから、歴史は始まる。18世紀には商業が発達し、経済的に豊かになった商人が自慢の住まいを競い合ったため、華麗な屋敷が数多く残った。
だが19世紀後半には、オスマントルコに対する武装蜂起が発生。約1ヵ月で鎮圧され、失敗に終わるが、革命家の生家や首謀者たちの密会所などが残されていて、ブルガリアの人々にとっては『決して忘れてはならない』土地でもあるのだ。(後略)」
(「東欧の郷愁」(菊間潤吾・編/新潮社)より)
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For Saleの看板が痛々しい家
この美しい家には住む人がいないのですね。
こんなにきれいなのに。 -
青い壁のブルガリア正教会(被昇天教会)
※ここでは他にも、こんな写真を撮っています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328516/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその6:ブルガリアのバラ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10262840/ -
塔の見える正面側
-
ようこそ、教会の墓へ!?
半開きの扉に誘われている気になります。 -
教会のとなりの……廃屋?
由緒ありそうな建物ですが。 -
教会のとなりの廃屋(?)の全体
こうしてみると、校舎のようにも見えます。
あるいは集会所かな。 -
教会の内部
入口脇のイスに座っていたおじさんが、どうやら教会関係者か、あるいはふだん着姿の司祭さまのようでした。
扉にはカギがかかっていたのですが、開けて中を見せてくれました。
5レヴァを払ったら内部の写真を撮らせてくれました。
(2008年7月現在、1レヴァ=約0.5ユーロ、1ユーロ=約170円で換算)
こちら側は礼拝堂を前とすると一番後ろです。
たいていの教会ではオルガンがあったり聖歌隊の席だったりする2階だと思いますが、正教会の構造を思い出すと、もしかしたら女性信者のための空間のプロナオスにあたるところかもしれません。 -
横長いイコノスタシスをもつブルガリア正教会
床がむき出しなのが、素朴でかえってイイかんじです@ -
シルエットのイコノスタシス
背後から神々しい光が……。
(単に逆光になってしまっただけですけどネ@) -
イコノスタシス前の祭壇
イースターエッグとかイコンとか美しいテーブルクロスとか。
教会の宝物は人々の信仰の現れですネ。 -
ろうそく立てとイコノスタシス
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側廊との境界線を形作る美しいアーチと
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ここにも古めかしいストーブあり
イコンの台代わりになってますけど@
たとえばトリャヴナでも教会の中に古いストーブを見つけました。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/15286773/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア旅行第9日目トリャヴナ(1)1人だと、たどり着くまで時間を食う」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10304662/ -
教会の敷地内に墓石ずらり
もう骨も残っていないような古い墓地の墓石かもしれません。 -
町角で可愛い提灯と
教会を出て、カブレシュコフ・ハウス・ミュージーアムへ向かう途中 -
ぎっしり見事に石造り@
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見事な民族復興期様式のカブレシュコフ・ハウス・ミュージーアム
残念ながらこの写真のみ。
プロヴディフの民俗博物館の建物とそっくりだなぁと思ったため、特に撮影意欲がわかなかったのです。
似ていたのは形で、色は違っていました。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14799573/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア旅行第5日目(3):古き良きプロヴディフ旧市街散策」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10284312/
「村のやや奥まった高台にある、コプリフシティツァの大工ムラデノフによって1845年に施工された屋敷。ムラデノフは今でいうインテリアデザイナーでもあつたので、建物と内装とを巧みに調和させてこの屋敷を設計した。1階の大広間の、壁に対する扉の位置や天井の装飾などが身所。
また、この家はコプリフシティツァで最初のハウスミュージーアムとして1932年から一般公開されている。」
(「地球の歩き方 '07〜'08年版」より)
「旅行経験が豊かで明敏なトドール・カブレシュコフ(Todor Kableshkov/1851-76)は、かつて輝かしいカブリシュコフ・ハウスに住んでいました。カブレシュコフは、対オスマントルコの1976年の四月蜂起の引き金となった最初の怒りの発砲をした人物(おそらく)としてあがめられています。その結果、この家は1845年に遡りますが、基本的には蜂起に関する博物館となっています。」
(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳) -
ちょっと道に迷い、町外れへ
カラヴェロフ・ハウスを見つけようとして、道に迷いました。
狭い村なのに……なぜ?
馬車を見つけました。
このすぐ右手は小さな牧場となって、すっかり郊外になっていました。
そして、ブルガリアで感動した黄色い草花であるビロードモウズイカに再会しました。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328549/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328550/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328551/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14328552/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその7:熊手のような黄色い花」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10262841/ -
木立の向こうに、半分埋もれて見える寸胴な家
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木立の向こう、半地下にあるように見える、煙突のある家と
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今は使われていない古い水汲み場(チェシメ)
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あの青い家を近くで見たくて、石畳の道を行く
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瓦屋根をもつ木造の門
門の奥はたぶんレストラン兼ホテルでしょう。 -
門の下から青い家
さっきの門とは別の街角です。 -
カラヴェロフ・ハウス・ミュージーアム
別棟のサマーハウスがあったりして、一番興味深かったハウス・ミュージーアムかもれしません。
「3つの棟からなる屋敷。1810年に豪商カラヴェロフの仕事場として建てられ、1820年には7人の子供を育てるために増築。1835年には夏を過ごすための別棟を建て直した。そのような家族の歴史を感じさせるこの屋敷は、政治とも深く関わったカラヴェロフの生涯を伝える博物館にもなっている。」
(「地球の歩き方 '07〜'08年版」より) -
カラヴェロフ・ハウスへの門
「コプリフシティッツァの家々は石積みの土台に堂々たる寄棟の木造建築。屋根は茶色の丸瓦で、石塀に囲まれた立派なのが多い。屋根付きの木の門は馬車ごと入れる大きさがあり、脇に人一人が入るだけの小さな潜り戸も付いており、門の造りは日本の武家屋敷を思わせる。
全体に東洋風な趣があり、2階部分が道路に向かって大きくテラスのように張りだした造りはトルコの古い建築にも似ている。」
(「神様がくれた国ブルガリア〜空・海・大地と食の旅〜」文・明石和美/写真・長谷川朝美(愛育社/2002年発行)より) -
門からカラヴェロフ・ハウスと中庭
「カラヴェロフ・ハウスは、ジャーナリスト兼画家のリュベン・カラヴェロフ(Lyuben Karavelov/1834-79)の両親が暮らしていました。リュベン・カラヴェロフはロシア、セルビアおよびルーマニアを拠点としたブルガリア革命家グループのために活動しました。彼はブルガリア中央革命委員会の初代議長でした。さまざまな扇動的な新聞が印刷された印刷機が展示されています。3棟に分かれた建物は1810年から1835年の間に建てられました。」
(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳) -
外からカラヴェロフ・ハウスをもう1枚
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山吹色の鮮やかな家と、奥に古めかしい木造の家
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木と石でできた家
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青い家の前を馬車が通る
この馬車にはあとで再会しました@
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14276467/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその3:ブルガリアのその他の動物」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10260540/ -
青い家が青空とグラデーション!?
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村を流れる川を、川岸の子供たちと水面に映る水色の家の影と共に
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古めかしい木造の家と、不釣り合いなまでに真っ白な彫像
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きりがないくらい見つかる素敵な一角
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珍しく、緑の家
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緑の家を、正面から
ポスターの男性はどなた?
ブルガリア国旗とユーロの旗があるので、役所か何かでしょうか。 -
リュトフ・ハウス・ミュージーアムへ
よく見たら、屈伸してるおじさんが(笑)。
前庭の花壇でおじさん、おばさん、お嬢さんが作業していました。 -
リュトフ・ハウス・ミュージーアム
茶色と水色のコントラストが見事な屋敷@
「富豪タパロフが、プロヴディフから大工を呼んで1854年に建てたのがこの屋敷。1906年にリュトフの手に渡ったのでこの名が付けられている。シンプルで力強い外観が美。一方内装は華々しくて、メリハリのある設計意図が伝わってくる。」
(「地球の歩き方 '07〜'08年版」より) -
リュトフ・ハウス
ファサードの美しさでは随一かもしれません@
「リュトフ・ハウスは、最初の家主の名前からタパロフ・ハウスとも呼ばれますが、1854年にプロブディフで見られるバロック様式の家屋を偲ぶ様式で建てられました。コプリフシテッツァでは最も保存状態が良いハウス・ミュージーアムで、リュトフが描いた風景画によって飾られた複雑な木彫りの天井をもつ華やかなサロンが特徴的です。1階にはこの地方で制作されたフェルトの衣装の常設展があります(英語の説明あり)。」
(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳) -
リュトフ・ハウスのサロンの美しい天井
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サロンのシャンデリア
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「ソバ」と呼ばれるリビングルーム
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キッチンの、ブルガリアンな囲炉裏@
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男性のゲストルーム
磁器が飾られたブルガリアンな床の間がすばらしいです@ -
サマー・ゲストルームの迷路のような天井を中心に
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衣装も展示されていた、サマー・ゲストルーム
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