2008年ブルガリア旅行第8日目(7):1人歩きの夕方のガブロヴォ:まみさんの旅行ブログ
2008/07/13日 ブジェンツィ村、エタラ野外博物館からガブロヴォへ
【宿泊:Hotel Balkan(ガブロヴォ泊)】
・ブジェンツィ村散策
・ソコロヴォ僧院
・シプカ峠の記念碑
・エタル野外民俗博物館
ガブロヴォ散策(ここから現地ガイドと別れて一人旅)
・ユーモア博物館
ガブロヴォに2泊することにしたのは、ミュージーアム・タウンであるトリャヴナと、ブルガリアではぜひ行くべきと太鼓判の古都ヴェリコ・タルノヴォと、それぞれ直通のバスが走っていて、中継地として都合が良かったからです。
もちろん、ユーモア博物館にも興味がありましたが、「地球の歩き方」での紹介も乏しいため、それ以外はあまりそそられませんでした。
でも意外に歩き始めればなかなか興味深い町でした。
一週間ぶりの、そしてブルガリアでは初めての1人歩きだからかもしれません。
ガイドがそばにいたら、「そんな写真を撮るの?」と思うだろうというところでも、いちいち撮影意欲がそそられます。
ガブロヴォのハイライトのユーモア博物館には、閉館1時間前に飛び込むことができました。
2日目の明日はトリャヴナに日帰りする予定なので、この日に見学できなければ、あきらめるしかなかったところです。
チェックインした町唯一のホテルから博物館まで、地図で見るとなかなか距離がありそうでした。
そうでなくても今回は前半一週間の旅程中、ほんのちょっとの距離であっても、エアコン付の車で連れて行ってもらえるという贅沢になじんでしまったので、いつもの一人旅のペースを取り戻せるか心配でした。
しかし、夕方4時すぎ。
猛暑もやっと穏やかになり、街の活気は、どことなくこれからという雰囲気でした。
シエスタがある国ではないのですが、ここ数年の東欧の猛暑のせいもあり、昼間の街中は人の姿がほとんどなく、死んだように見えたところも多かったから、町の一日は夕方から始まる、というのもあながち外れではないでしょう。
夏の日照時間は午後9時半頃までたっぷりありますしね。
それに、ガイドブックの地図の縮尺は意外に大きく(東欧の地方都市ではありがち)、博物館は、地図から想像していたより、感覚的にはずっと近かったです。
ユーモア博物館への行き来で自信を取り戻したところで、後半、一人歩きのブルガリア旅行の開幕です。
ガブロヴォのアウトガラ(バスターミナル)
ユーモア博物館はガブロヴォのアウトガラ(バスターミナル)に近かったので、明日のトリャヴナ日帰りのために下見に行きました。
アウトガラは手前です。奥の建物は関係ないようです。
待合室の壁にあった行き先ごとの停留所を示す看板
トリャヴナ行きはБ、そしてあさってのヴェリコ・タルノヴォ行きは3番停留所。
というわけで、バス利用は難しくなさそうでホッとしました。
キリル語を読めるおかげですネ。
ロシア語はほとんど忘れてしまいましたが、若かりし大学時代に聴講で勉強しておいてよかった@
あのときは、ロシア文学をほんのちょっとでも言語で触れたくて勉強したのです。そのずっと後にロシアを含む東欧諸国に旅行することになるなんて、当時の私には考えられませんでした。
待合室の壁にあったバスの時刻表(半分)
ただし公営バスのみで、私営バスは載っていないようです。
あさっての移動先のヴェリコ・タルノヴォに注目。
6時半、6時45分のあとは、7時半から20時まで30分間隔であるようです。
アウトガラのそばの住宅地
いかにも社会主義時代の洗礼を受けた住宅地です。
でもブルガリア一人歩きはこれが初めてなので、こういう写真も撮っておきたくなります@
ガブロヴォのアウトガラ周辺は郊外といってよいかんじでした。
中心地は洒落た建物やモニュメントも残っていました。
ブルガリアはモニュメントがいっぱい
モニュメントの多さは、プロパガンダやスローがが多そうな社会主義の洗礼を受けたから、という気がしてしまいます。
たてに書かれた4桁の数字2つは、1941と1944に見えます。
これが年代だとしたら、第二次世界大戦とかぶりますね。
ヤントラ川に架かる橋のライオン
ブルガリア国家のシンボルがライオンなのと関係があるかしら。
「ガブロヴォは、豊かな手工芸の伝統のある町として知られています。聖処女被昇天教会(1865年)は、ブルガリア民族復興期の建築・木彫の傑作です。デチュコフ・ハウス(Dechkov house)では、19〜20世紀の市民生活様式の優れたコレクションが見られます。ユーモアと風刺博物館は町の象徴です。」
(ブルガリアで買ったパンフレット「BULGARIA guide」(ART TOMORROW出版(www.arttomorrow.com))より私訳)
ヤントラ川の支流にかかる橋
「ガブロヴォは、中央バルカンのふもと、ヤントラ川の渓谷に位置しており、ユーモアと風刺の国際的な中心地として知られています。ブルガリアで最初の世俗の学校であるアプリロフ・ギムナジウム(Aprilov Gymnasium)は、1835年にガブロヴォで創立されました。」
(ブルガリアで買ったパンフレット「BURGARIA」(2007年Gufo社発行/R. Daskalov編集)より私訳)
マリア・テレジアなイエローのバロックな建物の国立教育博物館
「国立教育博物館
オスマン朝統治下の1835年にブルガリアで初めて建設された学校だった建物が、博物館として公開されている。創設者の名を取ってアプリロフ学校と呼ばれた同校は、その後10年の間に50ヵ所も開校された、キリスト教的戒律にはよらない近代的教育を行う学校のさきがけであった。学生にはブルガリア社会主義の父デイミタル・ブラゴエフや作家アレコ・コンスタンティノフらがおり、彼らにゆかりの作品が展示されている。」
(「地球の歩き方'06〜'07年版」より)
うっすい「地球の歩き方」の'07〜'08年版には、この説明は割愛されていました。
紙面の都合からでしょうか。冷遇されてます、ガブロヴォ。
イゴト橋
「中世以来、布地をはじめとした手工業が盛んだったガブロヴォは、ブルガリアのマンチェスターといわれるほど工房がたくさんあり、この町に手に職のない者はひとりもいない、とまでいわれていた。現在でも布の生産はスリーヴェンに次いで国内第2位、革製品の生産は半分がガブロヴォでまかなわれており、マーケットには手工業品の店が多い。
それというのも、ガブロヴォの町の創設者が鍛冶屋だったことと無関係ではあるまい。その男、ラッチョ・コバチャ(“鍛冶屋のラッチョ”の意味)はあるときシデの木(ブルガリア語でガーバル。町の名の由来となった)の下で店を開き、それがやがて市場となり、街となった。町の中心のイゴト橋から見るとヤントラ川の中州にラッチョ・コバチャの像が建てられているので、その姿を知ることができる。
また、ガブロヴォはユーモアの町としても有名だ。昔からガブロヴォの人たちは冗談好きで、街にはユーモアと風刺という笑いの博物館まで建てられた。オープンはエイプリル・フールの日だったというから凝っている。毎年5月に国際ユーモア風刺祭が開催されるので、タイミングが合えばぜひ訪れたい。宿の予約は忘れずに。」
(「地球の歩き方'06〜'07年版」より)
'07〜'08年版の「地球の歩き方」では、2段落目以降が省略されています(怒)。
他の都市の説明が加わったとはいえ……。
ホテルのテラスから
町のすぐ外は山です。
というか、ガヴロヴォ自体、バルカン山中に開けた町といって良いでしょう。
見晴らしはこのようになかなか良かったけれど、メインストリートに面してして、窓をあけるとホテル隣接のディスコの音が騒がしかったです。
2泊した町唯一のホテルの部屋と建物の写真とレポートはこちら
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14420972/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14420972/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその13:ブルガリアで泊ったところ・その2」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10267147/
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