2008年ブルガリア旅行第4日目(4):1人歩きのバンスコとネオフィット・リルスキー博物館(ハウス・ミュージーアム):まみさんの旅行ブログ
2008/07/09水 バンスコとピリン国立公園
【宿泊:Hotel Sema(バンスコ泊)】
・ババ・ヴァンガ教会見学(ルピテ村の聖ペトカ教会)
(最近聖人に列せられた、幼い頃に盲目となったが、国の未来を予言したり人の病気を治したり等、数々の奇跡を起こしたお婆さんゆかりの教会)
・バンスコ散策
聖トロイツァ教会
ネオフィット・リルスキー博物館
・ピリン国立公園(世界遺産)ヴィフレン山や樹齢1300年の木を訪問
・バンスコ散策
パイシー・ヒレンダルスキー像のある広場からニコラ・バルツァロフ広場まで(一人で散策)
夕食前の約1時間、シャワーを浴びてくつろいだり、ホテルにあるサウナに入って、マッサージしてもらう手もありました。
しかし、私はバンスコの街の1人歩きをすることにしました。
Lonely Planetの地図だと、ホテルの場所、すなわち出発地点が分からなくて困ったのですが(「地球の歩き方’07〜08版」には地図すらなし)、ガイドと一緒に歩いた昼間に買ったブルガリア道路地図の裏に、小さいけれど詳しいバンスコに載っていました。
それにも後押しされました。
もっとも、昼間、ガイドが案内してくれたところこそ、町歩きのハイライトでした。
民族復興時代様式の建物が並ぶ、非常に美しいエリア。
もしかしたらブルガリア人にとって、100年くらいタイムスリップしたようなエリアかもしれません。
結局、そこをもう1度なぞって歩いたようなものです。
ただし、昼間の散策では、ガイドと一緒ではゆっくり写真を撮るにしても限度があったのですが、一人で好きなだけ写真を撮りまくることができました。
それにしても、知らない町の一人歩きの開放感は、やはり捨てがたいです。
ガイド付の旅行がどんなに便利で、効率的で有意義であっても、一抹のこころもとなさがあるがゆえの緊張感と、自分自身の目と足で、いいなと思えるスポットを見つける楽しさには及びません。
この旅行記では、前半は、ガイドと回ったブルガリアらしいハウス・ミュージーアムで公開されている、ブルガリアの昔の家の中の写真、そして後半は正味45分のバンスコ1人歩きの写真を集めました。
「郷愁のバンスコを訪ねて
三方を山に包まれたバンスコは、世界自然遺産に指定されているピリン国立公園の起点。どこか懐かしい田舎町をぞそろ歩く。
三方を山脈に囲まれ、その麓にひっそりとたたずむ小さな町。冬はスキーヤーでにぎわうが、現在リゾート開発が進められ、さらに注目を集めそうなエリアだ。
19世紀、オスマン支配からの民族復興運動により町は再興。運動の中心となったのは、リラの僧院が火事で焼失した後の再建・修復にも従事した、建築家のネオフィト・リルスキーだ。町の一角に記念碑が立つほどの英雄で、彼が手がけた高さ30mの鐘楼をもつ聖トロイツァ教会が現存している。
そのほか、イコン画の画家や建築家など多くの芸術家も排出した。
(中略)
メインストリートや中央広場界隈はカフェやレストランでにぎわう一方、牛や馬の荷車が今も走り、牧歌的な空気が流れるのどかな田舎町バンスコ。」
(「東欧の郷愁」(菊間潤吾・編/新潮社))より
博物館前のネオフィット・リルスキーの彫像
ガイドは、彼のことを、オスマントルコからの独立闘争時代の有名な先生と説明してくれました。リラ僧院の博物館でも彼の肖像画があったと。
残念ながら私のそのときの気分は「ふううん」でした。
大急ぎで頭に詰め込んだ私のブルガリアの歴史のウンチクでは、ブルガリアの独立への最初のステップは知識人層による啓蒙、という概要どまりで、この方の名前までは覚えていなかったもので。
「ネオフィット・リルスキー(Neofit Rilski)またはリラのネオフィット(Neophyte of Rila)(1793年〜1881年1月4日)、本名ニコラ・ポッペトロヴ・ベニン(Nikola Poppetrov Benin)は、19世紀ブルガリアの僧侶であり、教師であり、芸術家であり、そしてブルガリア民族復興時代の重要な人物です。
彼はピリン・マケドニアのバンスコの南西の町(あるいはグリヤナ・バニャ(Guliyna Banya)村)で生まれ、最初は父親から、そして後にリラ僧院で、教師になる教育を受けました。リラ僧院では図像学を学び、ギリシャやスラヴ教会の本を自由に読むことが出来ました。彼は1822年にメルニックに行き、そこで有名な教師アダムに4年間師事し、ギリシャ語とギリシャ文学の知識をマスターしました。
リルスキーは、はじめはリラ僧院で教師として勤めましたが、サモコフ(Samokov)へ赴任し(1827〜1831)、それからまた僧院に戻りました。そしてガブロヴォとコプリフシテッツァに赴任し(1835〜1839)、それからまた僧院に戻り、それから今度はハルキ(Halki)島(現トルコ)にある神学校で教師を勤めました。そこで彼は4年半過ごした後、1852年にリラ僧院に戻り、以来残りの生涯をリラ僧院で過ごしました。1860年にリラ僧院の修道院長に就任しました。彼は、正教会の聖職者制度でもさらに高い地位(司教やタルノヴォの新たな神学校の学長など)を提供されましたが、修道院に留まりました。
1835年、リルスキーは「Bolgarska Gramatika」を発行しました。これは現代ブルガリア語の最初の文法書です。彼の著書にはほかに「Tablitsi Vzaimouchitelni」や、ギリシャ・スラヴ語辞典(1852年)があります。
彼は古代スラヴ教会と古代ブルガリアは同義と考え、また、東西ブルガリア方言の統一をめざしました。
ネオフィット・リルスキーは1881年1月4日、リラ僧院で亡くなりました。」
(英語版フリー百科事典ウィキペディアより私訳)
博物館となっているネオフット・リルスキーの家の全貌
木造の手すりと階段が真っ黒にならないようにしたため露出オーバーですが、あしからず。
実は、この写真は見学が終わってから撮ったのですが……あらら、木造の階段の扉が開けっ放しです。
でも写真では分かりやすくて、かえってよかったです@
「ベニン・ハウス(あるいはネオフィット・リルスキー・ミュージーアム・ハウス)は、典型的な18世紀後半のバンスコ建築です。ブルガリア民族復興時代の傑出した人物であるネオフィット・リルスキー(本名ニコラ・ベニン(Nikola Benin))はバンスコで生まれ、1811年までバンスコで暮らしました。(後略)」
(ブルガリア観光案内所の公式サイト(英語版)(http://www.bulgariatravel.org/eng/index.php)より)
1階のキッチン、かまどやチーズ作りの道具や食器と
かまどのそば(左側)のチーズ作りの道具、「アルプスの少女ハイジ」(アニメ版)を連想してしまいます@
右側はパン焼きの道具ですね。
ブルガリア版「寺子屋」!
2階には、教室がありました。
当時は砂箱がノートでした。
民族復興時代様式のハウス・ミュージーアムはメルニックのコルドプルロフ・ハウスもそうでしたが、ここもトルコ風の部屋です。
ブルガリアの伝統的な生活はトルコの影響が大きかったですが、近代の民族復興時代に急速に西欧化しました。
たとえば、イスの生活になったこと、男たちは太いベルトと短刀を腰に射すのをやめたこと、などなど。
そのため、伝統工芸である絨毯産業や短刀、ベルトなどの皮革業はその時代に急速に衰退し、産業構造は大きく変化しました。
関連の旅行記
「2008年ブルガリア旅行第3日目(5):ブルガリアらしい博物館、最初のハウス・ミュージーアム」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10271041/
2階の学生寮
2階の一室が学生寮になっていました。
低いベッドに数人が雑魚寝できます。
壁に食器があります。
当時はこんな風に教師の家に学生が寝泊りしていたのでしょうか。
巣箱のような煙突屋根の可愛いレストラン
ここからは夕食前の一人散策での写真です。
サマータイムのヨーロッパの夕方6時は、まだまだ昼間同然です@
「バンスコはブルガリアの代表的な観光地のひとつです。屈指のスキーリゾートであり、夏には素晴らしいハイキングの拠点となります。バンスコにはブルガリアの民族復興時代のものを含め、150以上の文化遺跡があります。民族復興時代の建物は、石造りと木造の混合で、要塞のような壁に囲まれています。そこには住人をオスマントルコ軍から守る秘密の抜け道もあります。「美しいブルガリア計画」のおかげで、これらの家屋の多くは、チャーミングなメハナ(居酒屋)やこじんまりしたペンションに生まれ変わり、バンスコはとりわけ、ソフィアの住民にとって、週末を過ごす人気の地となりました。家屋は適度に古風で趣がありますが、昔の界隈の路地をとりまいて無限に続くかのような不規則な石畳の小路は歩きづらく、転んだりなどの事故が起きやすいので、足下には気をつけて下さい。(つづく)」
(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳)
家の前のベンチでくつろぐおばあさんたちと
バンスコは、10世紀、古いトラキア人の居住地に基礎が築かれました。エーゲ海とドナウ沿岸のヨーロッパ諸国をつなぐ陸上の隊商ルートに位置したおかげで、18世紀半ばまで非常に繁栄しました。当時、バンスコには商人、職人および芸術家が集まっただけでなく、イコン画および木彫りの学校もありました。」
(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳)
石垣と壁の美しい昔の家を改装したメハナ(=昔のレストラン、居酒屋兼宿屋のようなところ)
Lonely Planetではこういうのを「要塞のような壁」と表現していたようですが、納得。
ちょっとすてきな家と横道
「バンスコは、ブルガリアで最も訪問者の多い町の一つであり、ソフィアの南160km、ブラゴエフグラッドの南東60km、ラズログ(Razlog)の南6km、ゴッセ・デルチェフ(Gotse Delchev)の北約50kmに位置しています。その極めて好都合なロケーション、豊かな文化的・歴史的遺産、スポーツや休暇を過ごすのに条件が整っているがゆえに、バンスコは魅力的な観光地となりました。(つづく)」
(ブルガリア観光案内所の公式サイト(英語版)(http://www.bulgariatravel.org/eng/index.php)より)
わざと車も入れて@
「バンスコが独立した居住地として最初に記録されたのは1576年です。それまで人々は、あちこちの村落に住んでいました。17世紀から18世紀にかけて、バンスコはだんだんと熟練の職人と商人の住む豊かな町となり、経済的・文化的に繁栄しました。バンスコの人々の隊商は、エーゲ海と中央ヨーロッパを行き来し、木製品、皮革、鉄製品を持参し、綿、魚、オリーブオイルなどを持ち帰りました。この時代にバンスコの全ての家族が豊かになりました。あちこちを旅することによって、彼らはいろいろな国や町から文化を取り入れました。子供たちを外国に留学させる者もいました。生活様式が向上するにつれ、バンスコの住民の多くは、2階建ての要塞家屋を建てるようになりました。それは独特な建築様式の家屋であると同時に、盗賊の侵入から持ち主の身の安全をはかる造りでした。」
(ブルガリア観光案内所の公式サイト(英語版)(http://www.bulgariatravel.org/eng/index.php)より)
インフォメーションと間違えたお宅の2階の機織り機
中庭をうろうろしているときにインフォメーションじゃなさそうだ、と分かったのですが、人がいないし、扉が開いているのをいいことに、2階へ上がってしまいました。
外階段ですからね。
2階のテラスから、バンスコを見下ろすピリン山脈と
部屋からは退散したけれど、しつこく2階にとどまってしまいました。
だってこんなにステキな景色が見られて、見晴らしもバツグンなんですもん!
ペネ爺さんの宿
私だけでなく、他にも観光客がうろうろしていたからでしょう。
扉が閉められちゃいました(笑)。
看板の「i」はひょっとしたらインフォメーションでよいのかもしれませんが、この路地の先の広場を指しているのかもしれません。
……でも、だとしたら、こんな風に吊り下げるかなぁ?
ステキな木彫り看板と瓦の塀の家
メハナ・ボヘミと書かれています@
そして7時半からホテル・セマで夕食をとりました@
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14288295/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14288296/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその4:ブルガリアで食べたもの・その1」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10261053/

今晩は。
ブルガリア 旅行・・・ 珍しい! 風景を 拝見できて 嬉しいです。
緑!が いっぱい で ブルガリアの 家々の 風景!と 見事に 合っていて 素晴らしい ですね〜。
青空も ホント ひと際! 澄んでいる 気がします。
そうそう、トルコに 近い!せいか・・・いろんな シーン!で チョット、 似ていませんか?
おばあちゃん達も 服装!が でっぷり!して 似ているように 思います。
でも、「i」の 看板!が 出ていて、
解らずに・・・ たまたま 潜入!し、
良い 写真が、 けっこう 撮影 出来て 良かったデスね。
と いうか、私も 旅行記!で 拝見 出来て 良かったデス。
美しい! 中庭。や 階段と 機織り機。家の 中の インテリア。
そして、 3階に 登って・・・
家を お写真に 入れ込みながら・・・の ブルガリアの 赤い! 屋根の 絵・・・。
日本でも、 瓦の 屋根!だけの 写真が 素敵な 一枚! になるように、この お写真!も とっても 洒落ていますね。
近く!の 風景が シッカリ 写り・・・ながら、 屋根 だけ!を 捕らえていく・・・・ 好き!な お写真に 一票。
それでは また

白い華さん、こにちは。ブルガリア旅行記たくさんの投票、ありがとうございます@
リラ僧院だけでなく、バンスコなども気に入っていただけました?
ブルガリアはずっとオスマントルコ支配下にあったので、ばっちりオスマントルコの影響を受けています。
と、頭で知っていても、いざ行ってみて、トルコらしさが随所にあってびっくりします。
ハウス・ミュージーアムで見たひと昔前のブルガリアの家はまるでトルコ人の家みたいです。
ブルガリア人でイスラム教に改宗した人たちもたくさんいたそうですが、彼等の衣装など、もろにトルコ人。。というか、まるでムーア人ってかんじでした@
ブルガリアはヨーロッパの田舎というステレオタイプがあるので、景色がいいところを求めました。
山がたくさん!
>
> でも、「i」の 看板!が 出ていて、
> 解らずに・・・ たまたま 潜入!し、
> 良い 写真が、 けっこう 撮影 出来て 良かったデスね。
> と いうか、私も 旅行記!で 拝見 出来て 良かったデス。
はい、怪しいなと思っても入ってしまう私のずうずうしさも、こういうときは旅は恥のかきすてっ!
あとで宿のおじさんに出会ってしまって、まちがえましたーーすみませーんというかんじで出てきましたが、次に通りかかったときには、しっかり扉がしまっていました。ははは。
> そして、 3階に 登って・・・
> 家を お写真に 入れ込みながら・・・の ブルガリアの 赤い! 屋根の 絵・・・。
>
> 日本でも、 瓦の 屋根!だけの 写真が 素敵な 一枚! になるように、この お写真!も とっても 洒落ていますね。
> 近く!の 風景が シッカリ 写り・・・ながら、 屋根 だけ!を 捕らえていく・・・・ 好き!な お写真に 一票。
はい、この屋根の写真はほんとうにめっけものでした@
ふつうではなかなか撮れなかったと思うんですよね。
滞在ホテルからはおとなりさんしか見られなかったですし。
ブルガリアはオレンジ屋根つづきです。風情ありました@
現在、トラックバックはありません。