2007/07/27 - 2007/07/27
426位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/27(金)第20日目:ティミショアラ
【宿泊:一等寝台列車】
22:50発の急行列車(寝台)でブカレスト着7/28の7:26(ほぼ時刻どおり)
勝利広場と正教聖堂、自由広場、統一広場、美術館(ダリ展と常設展)
※民俗博物館は予測していたが改装中で閉鎖
1989年革命記念博物館
※バナト博物館・勝利広場の正教聖堂の地下博物館は閉館16時だったので入れず(泣)
テケーシュ牧師の教会(エリザベス教会)
※テケーシュ牧師は、1989年ルーマニア革命のきっかけとなったハンガリー系牧師
5分か10分で終わってしまうのでないかと思っていました、1989年革命記念博物館の見学は。
こういうところは、写真やドキュメントの展示が主ですし、英語が併記されている可能性は低いです。
いや、たとえしっかり英訳されていても、パネルなどにあまりにたくさん解説があった場合、じっくり読むのは非常に疲れるものです。
そこまで覚悟していたわけでなく、写真などをさらっと見られればそれでよいと思っていました。写真は雄弁なので、それだけでもずいぶん革命時の様子が分かるでしょう。
なにより、入場料が無料なので、そうたくさん展示がなかろうと思っていました。
そして実際、ハンガリー人学生6人ほどの集団と鉢合わせなければ、5分どころか1分もかからずに終わっていたに違いありません。
管理人のおじさんがいなければ、建物の中庭にある小さな礼拝堂しか、見学できなかったでしょうから。
おじさんは、ハンガリー語とルーマニア語は流暢でしたが、英語はカタコトでした。
ハンガリー語でなされたおじさんの解説は全く分かりませんでしたが、それでもおじさんとハンガリー人学生の後をくっついて行きました。
そうすれば、次々と展示室を案内してもらえるからです。
それに、見ればなんとなく分かるものもありましたし、おじさんは私に気を使って、英語でひとことふたこと、説明してくれました。
特に、子供たちの描いた革命発祥の血みどろのデモの絵と、町のあちこちにあるという犠牲者を悼む記念碑や彫刻のレプリカを見ることができたのはよかったです。
それらは2階にあり、おじさんがいなければ鍵がかかっていました。
また、最後にオーディオ・ルームに案内してもらいました。
革命についてのビデオには英語版がなかったので、おじさんは、もし私が希望するなら、学生たちにこのビデオを見せた後に、別バージョンの英語版のビデオを探してくる、と言ってくれました。
おじさんが探している間、英語でのティミショアラ紹介のビデオを見せてもらいました。
結局、英語版はなかったのですが、おじさんは、なんと、NHKスペシャルのルーマニア革命についての番組をダウンロードしていたので、おじさんのオフィスのパソコンで見せてもらいました。
このNHKスペシャルはぜひ見たいと思っていました。
ところが、1989年当時にチャスシェスクが銃殺されたときも、その後もずっと、ルーマニアに特に興味がなかったものですから、見逃していました。
今頃になって、いざ見たくなっても、私でも頭に入るビデオや平易な資料はなかなか手に入りませんでした。
「チャウシェスク銃殺その後──ルーマニアはどこへ」(鈴木四郎著/中公文庫)だって絶版で、古本市で偶然、見つけたくらいです。
(それも、元の540円の定価に比べると、約2.5倍の1,280円で!)
おじさんも、当時デモに参加して、治安警察軍に足を撃たれました。
片足は膝から下が義足でした。
ズボンの上から銃弾を受けた跡を触らせてくれましたが、深くえぐれていました。
もらったチラシによると、この博物館(むしろ研究センター)は、1990年4月26日に創設された「1989年12月16日〜22日のティミショアラ革命記念」協会によって1995年に設立されたそうです。
1989年革命の様子を後の世まで伝えるために。そして革命の意味をルーマニアだけの事件としてではなく、ヨーロッパ史の中に置づけるために。
「1989年ルーマニア革命の発端
1989年12月16日、ティミショアラで民衆によるデモが発生。治安警察(セクリタテア)がデモ隊に発砲、多数の死傷者が出る(しかし、後になって、近所の病院の死体置き場から盗まれた遺体が現場に転がされていた、という噂が広まった)。
このデモは人権活動家でルーマニア正教会司教テケーシュ・ラースローへの国外退去処分に対するマジャル人(ハンガリー人)による抗議デモであった。
ティミショアラを含むルーマニア西部(バナート地方)はハンガリー国境に近く、1919年のオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊するまでハンガリー王国の領域であった。ルーマニアにとどまったハンガリー系住民に対する政府の扱いは、あまり良いとは言えず、マジャル人であるラースローの国外退去処分への抗議とともに待遇改善を求めてデモを起こしたのであった。」
(出典:フリー百科事典ウィキペディア)
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博物館のある建物
「1989年革命記念博物館
住所:統一広場の背後のエマヌイル・ウングレアヌ8番(Str. Emanuil Ungureanu 8)
革命博物館には、ルーマニア国民軍と軍隊の制服、革命の目撃者と参加者による体験談の記事、公的・私的なドキュメント、音声・映像記録、図書室、新聞のコレクションが展示されています。リクエストにより、チャウシェスク夫妻の盛衰を記録したビデオを見ることができます。」
(ルーマニア国営観光局(http://www.romaniatourism.com/)のティミショアラ観光情報から私訳) -
博物館のポスター
写真は、勝利広場の正教聖堂前に集まる群衆。 -
博物館の建物の中庭
あまり博物館らしくない外観で、ハンガリー人の学生のあとをくっついて入っていきました。 -
中庭を囲む建物を見上げて
これはよくある集合住宅でしょう。おそらくかつては貴族の屋敷。
通りからは箱形に見えるたいていの屋敷は、このように中庭を挟んで回廊状になっているのだと思います。
ハンガリー人の学生たちは、管理室と思われる部屋をノックして、管理人のおじさんを呼び出しました。
私一人ぽっちだったら無理でした。 -
十字架の形をした記念碑
博物館内の礼拝堂にて
ここからは管理人のおじさんがハンガリー人学生を案内するのに、後をくっついたときに撮った写真です。
こういうところで管理人のおじさんの目の前で写真を撮ってよいか分からなかったのですが、学生の中に写真を撮っている人がいたので、追従させてもらいました。 -
旧約聖書の三天使の訪れの壁画
博物館内の礼拝堂にて
正教会のイコンとしてよくモチーフにされる三人の天使の絵。
有名なところで、ロシアの中世のイコン画家アンドレイ・ルブリョーフの絵があります。イコンは画家の独創性を排除し、同じ何代も図柄を延々と描き続けるため、この絵は、そのルブリューフの有名な三天使のイコンによく似ています。
旧約聖書の中のアブラハムとサラのもとに三人の天使が訪れる場面だと思います。
かつ、これは三位一体を意味します。 -
キリスト十字架磔や聖母マリア、ルーマニアの紋章などの壁画、そして聖ニコラエと思われる小像
博物館内の礼拝堂にて -
ティミショアラでの革命発端のデモ写真
日が当たっているところと日陰のところと、へんな色の差がついてしまいましたが。
あのオペラ座前の広場が、デモ集団でこんなにぎゅうぎゅうになったのですね。
写真の表題としてオペラ座広場の大デモンストレーション(Marea Demonstratie din Piata Operei)と書かれてありますが、オペラ座が見えません。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13986970/
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第20日目ティミショアラ(1):朝の勝利広場と自由広場」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10247156/ -
ティミショアラでの事件を描いた子供たちの絵
午前中に見学してきた、正教聖堂やオペラ座が、まさに舞台だったんですね。
子供の絵のあどけなさと対照的な主題に、余計にぞっとさせられました。
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第20日目ティミショアラ(1):朝の勝利広場と自由広場」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10247156/ -
戦車と銃撃と死者、勝利広場のオペラ座の前にて
血を流して倒れる人を、実際に目撃したのでしょうね。 -
勝利広場の正教聖堂前のデモ隊
先頭に立つ人は、戦車を見て怖くなかったのでしょうか。怖気づかなかったのでしょうか。
それほどに怒りは激しかったということでしょうか。 -
勝利広場の正教聖堂前のデモ隊と、それを襲う戦車
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勝利広場の正教聖堂を囲む何千ものデモ隊
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オペラ座前、戦車が登場
整然とした絵が、かえって不気味です。 -
オペラ座前のデモ、死者も多数
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「犠牲者の泉」のレプリカ
「1989年12月16日〜22日のティミショアラ革命記念」協会は、1990年から1999年にかけて英雄の丘の記念碑と、1989年12月当時に弾圧を受けた市内12ヶ所に記念碑を建てました。
これはそのうちの1つのレプリカです。 -
犠牲者の碑のレプリカと、実際に街中に立っている記念碑の写真
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彫像「銃撃された人(Target man)」のレプリカ
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記念碑のレプリカと革命にちなんだ絵画の1枚
記念碑の方は、この後に訪れたテケーシュ牧師の教会(エリザベス教会)で見つけました。 -
オーディオルーム
オーディオルームであり、資料室でもありました。
ここで無料でビデオを見せてもらいました。
英語版がなかったので、私はハンガリー人学生が見終わって帰った後に、英語版のティミショアラ紹介のビデオを見せてもらいました。 -
オーディオルームの展示の写真から、オペラ座前に集まった人々
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砲撃による穴の開いた旗と、おそらくルーマニア国民軍の制服を着たマネキン
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