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2007/07/09(月)第2日目:ブカレスト1日目<br />【宿泊:Hotel Central(ブカレスト)】<br />C.F.R(ルーマニア国鉄)オフィスで全行程の切符を手配、現地旅行会社のオフィスに赴いて精算、農民博物館、ヘラストラウ公園<br /><br />ブカレストは、博物館や国民の館などがなければ、ルーマニアで1番観光のしがいのない街だという声もあるようです。<br />もっともそれは、地方にこそルーマニアの魅力があるのだと強調するためだったかもしれませんが。<br /><br />確かにブカレストは、チャウシェスクの都市計画によって、歴史と情緒ある古い街並みをごっそり更地にされてしまった悲劇の都市です。<br />でも、かつては「バルカンのパリ」と呼ばれた痕跡は、まだあちこちに息づいています。<br />そしてフライト等の移動の都合上、ブカレストにとどまる日を日程に入れざるをえないのなら、そういうところを積極的に見いだして、ブカレストで過ごす1日を少しでも有意義にしたいものです。<br /><br />旅程2日目、観光初日の本日は、まずC.F.R.(国鉄旅行センター)でこれからの全行程のルーマニア移動の足を確保し、それからインターコンチネンタル・ホテルの裏側にある現地旅行会社のオフィスに現地ガイドを手配した2週目の代金の精算のために寄った後、月曜日でも開いているヘラストラウ公園の農村博物館に行くことにしました。<br /><br />歩いた経路は、宿泊がチウジミスク公園に近いホテル・チェントラルでしたので、そこからレジーナ・エリザベタ通り沿いに歩き、ヴィクトリア通りとの交差点、そして大学広場を過ぎ、インターコンチネンタル・ホテルより裏(北西)エリアを少し歩き、再び大学広場に戻って地下鉄に乗り、アヴィアトリロール(Aviatorilor)駅で下りてへラストラウ公園へ、となりました。<br /><br />この経路で目にしたブカレストは、今でも「バルカンのパリ」と呼んでも遜色ないのではないか、と思ったくらい、美しい街並みでした。<br />多少のゴミやらくがきをファインダーの外に追い出せば、ポストカードみたいな写真が撮れそうだとワクワクしながらカメラを構えました。<br /><br />実は、この経路のうち半分以上は、去年(2006年)の秋に初めて訪れたときも通っていて、同じように「ブカレストにもまだまだ美しいところがあるんだ」と思ったものです。<br />去年は敢えて、かつての「バルカンのパリ」としてのブカレストに注目した写真を撮ろうと思いませんでしたが、今回は、その具体的な実例を写真に残そうと思いつきました。<br /><br />おかげで思ったより街並み撮影を楽しむことのできた2度目のブカレストの初日でした。<br /><br />「20世紀初頭に「ブカレストのゴールデン・エイジ」を迎えた。巨大な新古典主義のビル群がそびえ立ち、パリ様式のファッショナブルな公園が幾つも市内に区画された。1930年代までブカレストは「リトル・パリ」としてヨーロッパ中にその名声を轟かせた。<br /> しかし、第二次大戦時における連合軍による爆撃、1940年に起きたマグニチュード7.4の大地震により、ブカレストの美しさは大半が失われた。(中略)続くチャウシェスク時代の再開発は、ブカレストの「エレガントな過去への最後の弔鐘になってしまった。<br /> それでも「バルカンのパリ」の名残も決して消えていない。ブカレストの市内を南北に貫くヴィクトリア通り沿いには、未だにかなりの数の歴史建築、また古い教会などが、奇跡のごとく生き延びている。意外な発見がある町。それがブカレストである。」<br />(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)

2007年ルーマニア旅行第2日目(2):かつてバルカンのパリと呼ばれたブカレスト

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2007/07/09 - 2007/07/09

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まみ

まみさん

2007/07/09(月)第2日目:ブカレスト1日目
【宿泊:Hotel Central(ブカレスト)】
C.F.R(ルーマニア国鉄)オフィスで全行程の切符を手配、現地旅行会社のオフィスに赴いて精算、農民博物館、ヘラストラウ公園

ブカレストは、博物館や国民の館などがなければ、ルーマニアで1番観光のしがいのない街だという声もあるようです。
もっともそれは、地方にこそルーマニアの魅力があるのだと強調するためだったかもしれませんが。

確かにブカレストは、チャウシェスクの都市計画によって、歴史と情緒ある古い街並みをごっそり更地にされてしまった悲劇の都市です。
でも、かつては「バルカンのパリ」と呼ばれた痕跡は、まだあちこちに息づいています。
そしてフライト等の移動の都合上、ブカレストにとどまる日を日程に入れざるをえないのなら、そういうところを積極的に見いだして、ブカレストで過ごす1日を少しでも有意義にしたいものです。

旅程2日目、観光初日の本日は、まずC.F.R.(国鉄旅行センター)でこれからの全行程のルーマニア移動の足を確保し、それからインターコンチネンタル・ホテルの裏側にある現地旅行会社のオフィスに現地ガイドを手配した2週目の代金の精算のために寄った後、月曜日でも開いているヘラストラウ公園の農村博物館に行くことにしました。

歩いた経路は、宿泊がチウジミスク公園に近いホテル・チェントラルでしたので、そこからレジーナ・エリザベタ通り沿いに歩き、ヴィクトリア通りとの交差点、そして大学広場を過ぎ、インターコンチネンタル・ホテルより裏(北西)エリアを少し歩き、再び大学広場に戻って地下鉄に乗り、アヴィアトリロール(Aviatorilor)駅で下りてへラストラウ公園へ、となりました。

この経路で目にしたブカレストは、今でも「バルカンのパリ」と呼んでも遜色ないのではないか、と思ったくらい、美しい街並みでした。
多少のゴミやらくがきをファインダーの外に追い出せば、ポストカードみたいな写真が撮れそうだとワクワクしながらカメラを構えました。

実は、この経路のうち半分以上は、去年(2006年)の秋に初めて訪れたときも通っていて、同じように「ブカレストにもまだまだ美しいところがあるんだ」と思ったものです。
去年は敢えて、かつての「バルカンのパリ」としてのブカレストに注目した写真を撮ろうと思いませんでしたが、今回は、その具体的な実例を写真に残そうと思いつきました。

おかげで思ったより街並み撮影を楽しむことのできた2度目のブカレストの初日でした。

「20世紀初頭に「ブカレストのゴールデン・エイジ」を迎えた。巨大な新古典主義のビル群がそびえ立ち、パリ様式のファッショナブルな公園が幾つも市内に区画された。1930年代までブカレストは「リトル・パリ」としてヨーロッパ中にその名声を轟かせた。
 しかし、第二次大戦時における連合軍による爆撃、1940年に起きたマグニチュード7.4の大地震により、ブカレストの美しさは大半が失われた。(中略)続くチャウシェスク時代の再開発は、ブカレストの「エレガントな過去への最後の弔鐘になってしまった。
 それでも「バルカンのパリ」の名残も決して消えていない。ブカレストの市内を南北に貫くヴィクトリア通り沿いには、未だにかなりの数の歴史建築、また古い教会などが、奇跡のごとく生き延びている。意外な発見がある町。それがブカレストである。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)

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  • ヴィクトリア通りの瀟酒な建物<br /><br />ブカレストでも美しい建物が残っているといわれるヴィクトリア通りの一角です。<br />といっても、この建物は、いまはホテル(Hotel Capitol)ですけどね。

    ヴィクトリア通りの瀟酒な建物

    ブカレストでも美しい建物が残っているといわれるヴィクトリア通りの一角です。
    といっても、この建物は、いまはホテル(Hotel Capitol)ですけどね。

  • Cercul Militar National(=Military Club)<br />レジーナ・エリザベタ通りとヴィクトリア通りが交差するところにある小さな広場(Piata Tricolorului)にて<br /><br />1912年建設。ルーマニア人建築家ドミートリ・マイマロイウ(Dimitrie Maimarroiu)設計。ルーマニア軍の社交・文化・教育目的で建てられたものだそうです。<br />この建物のメイン部分は市民には公開されていませんが、レストランやテラスは一般公開されています。<br />また、レジーナ・エリザベタ通りに面したフロアはギャラリーになっています。

    Cercul Militar National(=Military Club)
    レジーナ・エリザベタ通りとヴィクトリア通りが交差するところにある小さな広場(Piata Tricolorului)にて

    1912年建設。ルーマニア人建築家ドミートリ・マイマロイウ(Dimitrie Maimarroiu)設計。ルーマニア軍の社交・文化・教育目的で建てられたものだそうです。
    この建物のメイン部分は市民には公開されていませんが、レストランやテラスは一般公開されています。
    また、レジーナ・エリザベタ通りに面したフロアはギャラリーになっています。

  • 大学広場の瀟酒な建物<br />プリンセス・カジノ<br /><br />大学の真ん前にカジノですか!?<br />もともとは貴族のお屋敷あたりでしょうか。

    大学広場の瀟酒な建物
    プリンセス・カジノ

    大学の真ん前にカジノですか!?
    もともとは貴族のお屋敷あたりでしょうか。

  • 大学広場の瀟酒な建物<br />Banca Commerciala Romana(ルーマニア商業銀行)<br /><br />由緒ある宮殿のような建物が現在銀行や保険会社のもの、というのはよくあることですが。<br />その資本のおかげで建物の改装がかなったのでしょうけど。

    大学広場の瀟酒な建物
    Banca Commerciala Romana(ルーマニア商業銀行)

    由緒ある宮殿のような建物が現在銀行や保険会社のもの、というのはよくあることですが。
    その資本のおかげで建物の改装がかなったのでしょうけど。

  • 大学広場の瀟酒な建物<br />Partidul Social Democrat(社会民主党?)の建物と騎馬像(Mihail Veovov)<br /><br />ミハイル・ヴェオヴォフ(Mihail Veovov)ってどなたでしょう。<br />出で立ちがトルコ風なので、まだオスマントルコ支配下にあったときの人物かもしれないと思わなくもないですが。<br />ルーマニア史の流れは、ルーマニア旅行の下調べのおかげで少し頭に入ってきましたが、歴史上の人物名で覚えている名前といえば、十指でも余ってしまう程度なんですよね(泣)。

    大学広場の瀟酒な建物
    Partidul Social Democrat(社会民主党?)の建物と騎馬像(Mihail Veovov)

    ミハイル・ヴェオヴォフ(Mihail Veovov)ってどなたでしょう。
    出で立ちがトルコ風なので、まだオスマントルコ支配下にあったときの人物かもしれないと思わなくもないですが。
    ルーマニア史の流れは、ルーマニア旅行の下調べのおかげで少し頭に入ってきましたが、歴史上の人物名で覚えている名前といえば、十指でも余ってしまう程度なんですよね(泣)。

  • ペプシの宣伝が美しい(?)バス停<br />大学広場前にて<br /><br />さきほどの騎馬像のお隣にあったバス停です。<br />ちょっとすてきな模様に注目してみたら……ペプシの宣伝かぁ。<br />でもきれいだから撮ってしまいました。<br />こうして見ると、背景の建物もきれいに写っていますね(嬉)。<br /><br />ブカレスト市内は移動は地下鉄ですませてバスは利用しなかったのですが、このようにバス停のそばに切符(Bilete)売り場があるところを見ると、切符は車内販売ではなく乗る前に買っておかなければならないようですね。<br />そしてこういう切符売り場はバスが運行している間ずっと営業しているわけではないため、早朝や深夜、あるいはひょっとして日曜日のために、あらかじめ切符を買っておく必要がありそうです。

    ペプシの宣伝が美しい(?)バス停
    大学広場前にて

    さきほどの騎馬像のお隣にあったバス停です。
    ちょっとすてきな模様に注目してみたら……ペプシの宣伝かぁ。
    でもきれいだから撮ってしまいました。
    こうして見ると、背景の建物もきれいに写っていますね(嬉)。

    ブカレスト市内は移動は地下鉄ですませてバスは利用しなかったのですが、このようにバス停のそばに切符(Bilete)売り場があるところを見ると、切符は車内販売ではなく乗る前に買っておかなければならないようですね。
    そしてこういう切符売り場はバスが運行している間ずっと営業しているわけではないため、早朝や深夜、あるいはひょっとして日曜日のために、あらかじめ切符を買っておく必要がありそうです。

  • カロル1世通りの瀟酒な建物<br /><br />私が歩いている側に、空港行きのバス停があります。<br />カメラを構える私は、結構注目を浴びてしまいますぜいっ。

    カロル1世通りの瀟酒な建物

    私が歩いている側に、空港行きのバス停があります。
    カメラを構える私は、結構注目を浴びてしまいますぜいっ。

  • ブカレストのシャルル・ド・ゴール広場<br /><br />ロータリーの中央にあるアレはなんでしょうね。<br />ルドベキアと一緒に撮りました。

    ブカレストのシャルル・ド・ゴール広場

    ロータリーの中央にあるアレはなんでしょうね。
    ルドベキアと一緒に撮りました。

  • ブカレストのシャルル・ド・ゴール広場<br /><br />黄色いルドベキアと一緒に撮りたくて。<br />ルドベキアは私のお気に入りの花です。<br />ルーマニアではよく見かけました、この花。<br />ルーマニアのルドベキアは、とってもおっきいんですよぉ。<br />日本にも大きなルドベキアがないとはいわないですが、ルーマニアのルドベキアはどれもこれもとっても大胆!?

    ブカレストのシャルル・ド・ゴール広場

    黄色いルドベキアと一緒に撮りたくて。
    ルドベキアは私のお気に入りの花です。
    ルーマニアではよく見かけました、この花。
    ルーマニアのルドベキアは、とってもおっきいんですよぉ。
    日本にも大きなルドベキアがないとはいわないですが、ルーマニアのルドベキアはどれもこれもとっても大胆!?

  • ブカレストの凱旋門<br /><br />地下鉄アヴィアトリロール(Aviatorilor)駅から下りてヘラストラウ公園沿いを農村博物館の入口をめざして歩いている途中で見かけました。<br />でなければ、わざわざこのためだけに寄り道しなかったかもしれません、不運にして今年2007年の猛暑の7月のルーマニアのあの炎天下のもとでは。<br />パリにある凱旋門よりはあっさりしていますが、せっかく見つけたモニュメント、写真を撮らないわけにはいきません。<br />このアングルが気に入りました。<br />また、車通りが少ない瞬間を狙うため何枚もシャッターを切ったのですが、車が全くない一枚より、この真っ赤な車が入っている一枚の方が気に入りました@<br /><br />この凱旋門は、最初は木造だったのを、1930年頃にいまの石造りに作り替えられたもののようです。<br />私の手もとには「地球の歩き方」、Lonely Planet、そしてルーマニア政府観光局の英語サイトからダウンロードしてきたブカレスト情報と、この凱旋門について解説のある資料が3種類あるのですが、凱旋門が建てられた理由と年代について、ちょっとずつずれがあります。<br /><br />「第一次世界大戦の勝利を記念して、1919年に建てられたもの。当初は、木造の漆喰塗りのものだったが、1930年にルーマニアの彫刻家たちによって造り替えられ、現在のような姿になった。」(「&#39;07〜&#39;08年 地球の歩き方」より)<br /><br />「強化コンクリートとDevaで採れた花崗岩によって建築されたこの11mの高さのアーチは、1953年と1936年の間に、1918年のルーマニア統一を記念して建てられた。(The 11m-tall arch, constructed from reinforced concrete, and granite mined in Deva, was build between 1953 and 1936 to commemorate the reunification of Romania in 1918.)」(Lonely Planet(3rd edition, published July 2004)より)<br /><br />「第一次世界大戦で戦ったルーマニア人兵士の勇気を称えるために、1922年に当初木造で建てらたブカレスト自身の凱旋門は、1936年にDevaの花崗岩で完成されました。(Initially built of wood in 1922 to honor the bravery of Romanian soldiers who fought in world War I, Bucharest&#39;s very own Arc de Triomphe was finished in Deva granite in 1936.)」(ルーマニア政府観光局HPより)<br /><br />ルーマニア政府観光局(ROMANIA - Official Travel and Tourism Information)<br />http://www.romaniatourism.com/<br />ブカレスト情報<br />http://www.romaniatourism.com/bucharest.html<br /><br />Lonely Planetによると、この凱旋門にのぼることができたようですね。<br />気付いたときは後のまつり。<br />ガイドブックに載っているからといって必ずしも上れるかどうか確信できないのに、わざわざこのためだけに後日、再びここまで足をのばす気にはなれませんでした。

    ブカレストの凱旋門

    地下鉄アヴィアトリロール(Aviatorilor)駅から下りてヘラストラウ公園沿いを農村博物館の入口をめざして歩いている途中で見かけました。
    でなければ、わざわざこのためだけに寄り道しなかったかもしれません、不運にして今年2007年の猛暑の7月のルーマニアのあの炎天下のもとでは。
    パリにある凱旋門よりはあっさりしていますが、せっかく見つけたモニュメント、写真を撮らないわけにはいきません。
    このアングルが気に入りました。
    また、車通りが少ない瞬間を狙うため何枚もシャッターを切ったのですが、車が全くない一枚より、この真っ赤な車が入っている一枚の方が気に入りました@

    この凱旋門は、最初は木造だったのを、1930年頃にいまの石造りに作り替えられたもののようです。
    私の手もとには「地球の歩き方」、Lonely Planet、そしてルーマニア政府観光局の英語サイトからダウンロードしてきたブカレスト情報と、この凱旋門について解説のある資料が3種類あるのですが、凱旋門が建てられた理由と年代について、ちょっとずつずれがあります。

    「第一次世界大戦の勝利を記念して、1919年に建てられたもの。当初は、木造の漆喰塗りのものだったが、1930年にルーマニアの彫刻家たちによって造り替えられ、現在のような姿になった。」(「'07〜'08年 地球の歩き方」より)

    「強化コンクリートとDevaで採れた花崗岩によって建築されたこの11mの高さのアーチは、1953年と1936年の間に、1918年のルーマニア統一を記念して建てられた。(The 11m-tall arch, constructed from reinforced concrete, and granite mined in Deva, was build between 1953 and 1936 to commemorate the reunification of Romania in 1918.)」(Lonely Planet(3rd edition, published July 2004)より)

    「第一次世界大戦で戦ったルーマニア人兵士の勇気を称えるために、1922年に当初木造で建てらたブカレスト自身の凱旋門は、1936年にDevaの花崗岩で完成されました。(Initially built of wood in 1922 to honor the bravery of Romanian soldiers who fought in world War I, Bucharest's very own Arc de Triomphe was finished in Deva granite in 1936.)」(ルーマニア政府観光局HPより)

    ルーマニア政府観光局(ROMANIA - Official Travel and Tourism Information)
    http://www.romaniatourism.com/
    ブカレスト情報
    http://www.romaniatourism.com/bucharest.html

    Lonely Planetによると、この凱旋門にのぼることができたようですね。
    気付いたときは後のまつり。
    ガイドブックに載っているからといって必ずしも上れるかどうか確信できないのに、わざわざこのためだけに後日、再びここまで足をのばす気にはなれませんでした。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • comevaさん 2007/11/22 20:43:01
    ご無沙汰してま〜す
    まみさん

    こんばんは〜♪
    相変わらず丁寧な旅行記を拝見させて頂き、私にとっても未知のこの地は凄く参考になります。
    パリ経由のこのブカレストもサマータイムはマイナス7時間だったでしょうか?

    まみ

    まみさん からの返信 2007/11/26 13:44:25
    RE: ご無沙汰してま〜す
    comevaさん、こんにちは。書き込み&一票、ありがとうございます。

    ブカレストと日本のサマータイムの時差は6時間ですよ。
    お隣のハンガリーとは1時間の時差がありました。
    このあたりが境界線?

    ルーマニア旅行記はまだまだ途上。
    いつになったら終わるやら(笑)。
    また遊びに来てくださいね。

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