1998年秋のイスラエル旅行11日間(3日目その1:マサダ要塞):まみさんの旅行ブログ

1998年秋のイスラエル旅行11日間(3日目その1:マサダ要塞):まみさんの旅行ブログ

1998年秋のイスラエル旅行11日間(3日目その1:マサダ要塞)

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1998年秋のイスラエル旅行11日間(3日目その1:マサダ要塞)

今日から2日間のイスラエル・ハイライトの行程は、日本から手配しておいた現地ガイドのルベンさんに案内してもらうことになっています。本日は、死海沿岸のユダヤ砂漠の切り立った岩の上という自然の要塞に建てられた「マサダ遺跡」へ行った後、ずーっと北へドライブして、ガリラヤ湖周辺のイエスが説教をしたり奇跡を起こしてみせた場所へ行きます。

マサダはイスラエル史でも象徴的な場所である上、有数の観光地なので、ガイドブックやイスラエルについての本には、ほとんど必ず説明があります。簡単に言うと、古代ローマ帝国の支配に最後まで抵抗したユダヤ人の一派Zealot(ゼロテ党。熱心党という意味)がたてこもった要塞で、女子供含めて千人足らずが、1万5千人のローマ兵に対して2年間持ちこたえ、最後には、女子供たった7人を残して全員自決して果てた、という、すさましい歴史がある所です。その不屈の精神をユダヤ人は誇りにしていて、現在、軍の入隊宣誓式が年に何回かここで行われるそうです。合い言葉は、No More Masada !

ちなみに、イスラエルは国民皆兵制で、男女共18歳から兵役につくそうです。男子は3年、女子は1年半です。もっとも、ルベンさんは1年半と説明してくれましたが、イスラエル関係の本では女子は2年と書かれているものの方が圧倒的に多かったです。(1998年当時)

マサダは、ガイドのルベンさんにとっても感慨深い所らしく、向かう車の中で、いきなり早口の歴史講義が始まりました。しっかり下調べをしてきたつもりの私でも、話についていくのにひと苦労しました。聞きなれない事を英語で話されるのですから。しかも、ルベンさんの英語は、少しなまっていました。たとえば、舌を歯で挟むようにして発音する「th」が「t」のように発音されるので、bathと言われても、はじめ、なかなかわかりませんでした(マサダには、ヘロデ大王の離宮跡に、古代ローマ風の浴場跡があるのです)。

しかし、マサダのそういった歴史が興味深かったのは確かですが、私はどちらかというと、要塞の上から見下ろす死海沿岸方向、荒涼とした平野に水の枯れた河床(Wadi)が造り出す奇怪な地形と、死海とは反対方向、延々と連なる切り立った岩壁、その向こうに延びるユダヤ砂漠の方に、すっかり魅せられてしまいました。少々乱暴な比較ですが、私は、前者からはトルコのカッパドキアの奇怪なキノコ地形を、後者からはグランドキャニオンを連想しました。

エリア: 中近東 >>イスラエル >>死海周辺
テーマ: 特になし・その他(観光)
時期: 1998年09月11日〜09月11日
投稿日: 2005年11月24日
写真: 全7枚
満足度: 評価なし
観光: 評価なし
ホテル: 評価なし
グルメ・レストラン: 評価なし
ショッピング: 評価なし
交通: 評価なし
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  • 死海周辺 写真

    写真は、マサダ要塞の西の離宮跡を、ユダヤ沙漠を背景に撮ったものです。マサダ要塞は切り立った岩山の上にあり、とても見晴しがよいです。岩の頂上までは、ロープウェイで上りました。

    マサダ要塞の中で一番規模が大きいのは、ヘロデ王の離宮が造られた北の離宮です。

    ローマ軍に陥落した後、要塞はビザンチン時代の僧侶が住みついていましたが、その後、大地震で完全に破壊されてしまいました。この辺りの死海地方は海抜より低いため、昔から地震が多いのです。AD5世紀、マサダ要塞が地震によって破壊された後は、再発見されるには19世紀になるのを待たねばなりませんでした。本格的な考古学調査は、1963年から開始されました。

    マサダの遺跡は下記のように時代別に分類されていました。マサダ要塞と一口に言っても、いろいろな時代の跡が複雑に絡み合って残っているのです。遺跡には、何の遺跡か説明が書かれた番号札が立っていました。

    第一神殿時代 (BC10〜7世紀)
    ハスモン王家時代 (BC 103〜43年)
    ヘロデ大王時代 (BC 40〜4年)
    ヘロデ大王の後継者〜ローマ都督時代 (BC 4年〜AD 66年)☆
    大反乱時代 (AD 66〜73年)
    反乱後 (AD 73〜111年)
    ビザンチン時代 (AD 5〜6世紀)

    少し解説を加えますと、上記の年表と、第一神殿とはソロモンがエルサレムに建てた神殿ですが、時代的には、イスラエルが王制となってから、ヘレニズム時代のギリシャ支配からユダヤ人が再び独立を勝ち取るまでにあたります。

    すなわち、イスラエルが王制となったときの初代の王はサウルです。次にダビデ、それから息子のソロモンと続いたあと、王国が北のイスラエルと南にユダに分かれ、前者がアッシリアに、後者がバビロニアに滅ぼされ、ユダ王国のユダヤ人はバビロニアに連れて行かれます。「バビロンの捕囚」です。その後、バビロニアを滅ぼしたペルシャによって解放されたユダヤ人はエルサレムに戻りますが、ペルシャの支配下におかけ、そしてそのペルシャを倒したアレキサンダー大王によるギリシャの侵入後、アレキサンダー大王死後にギリシャ系のセレウコス王朝の支配下におかれます。ギリシャ人はユダヤ人に自分たちの宗教や慣習を強制しようとしたため、ユダヤ人が反乱を起こします。セレウコス朝自体に混乱も生きていたところに乗じたため反乱は成功し、再びユダヤ人による王国が建てられたのが、次のハスモン王朝時代になります。

    また、上記の年表で☆印がついているのが、イエス・キリストの時代になります。

    ヘロデ大王は、聖書に出てくる、イエス誕生時の嬰児殺しの逸話を持ちますが、同じく聖書に出て来る洗礼者ヨハネとサロメの逸話に出て来るヘロデ王は、ヘロデ大王ではなく、その息子です。ヘロデに限らず、マリアやヨハネやユダ……と、聖書には同じ名前の別人がたくさんでてきて、とても紛らわしいです。ヘロデ大王もそのような悪名高い王ですが、ユダヤ史上では、むしろ、エルサレムの町を発展させ、また、マサダ要塞をはじめとする重要な建築物をたくさん残した重要な人物です。(※アップ時より訂正あり)

    ヘロデ大王は、彼自身はユダヤ教徒に改宗したとはいえ、ユダヤ人にとっては異民族出身(イドメア人)の王です。しかも、ローマ帝国を後ろ楯にしていました。ゆえに、非常に不人気な王でした。それを彼も自覚していたため、疑心暗鬼も強かったそうです。聖書にあるような嬰児殺しを行ったのもそのためです。また、反乱に備えて、マサダに要塞を建てました。防御しやすい地形に目をつけたのです。そのときに、もともとあった、ハスモン王家時代に造られた要塞跡を強化・増築して、要塞兼離宮にしました。そして万が一に備え、1万の兵が少なくとも1ヶ月は籠城に耐えられるように造らせました。そのための食料貯蔵庫や貯水設備の跡は発掘・復元されていて、見学することができます。もっとも、ヘロデ大王自身は、結局、亡くなるまで利用する機会はありませんでした。

    ヘロデ大王の死後、パレスチナの地は、ますますローマに属州化されました。ユダヤ教にとって、ローマの多神教の進出と強制は冒涜に他なりませんでした。AD70年、ローマ軍によりエルサレムは陥落しました。そのときローマ支配に最後まで抵抗してマサダ要塞にたてこもったのが、エルアザル・ベン・ヤイルに率いられたゼロテ党(熱心党)です。女子供を含めて千人足らずでした。その要塞を囲むローマ兵は1万5千人でしたが、ゼロテ党は2年間もちこたえました。もっとも、そのローマ兵1万5千人のうち、1万2千人は奴隷だったそうです。また、天然の要塞という地の利に加え、ヘロデ大王が1万の兵を1ヶ月籠城できるような要塞に改築していたおかげもあるでしょう。

    しかし、ローマ軍は、そのうち、捕えて奴隷にしていたユダヤ人を使って、兵が侵入しやすいスロープの道を造らせることを思い付きました。それを防ぎたくても、ゼロテ党の人々にとって、作業しているユダヤ人は同胞です。攻撃することはできませんでした。とうとうスロープが頂上に達したとき、要塞陥落は免れないと悟ったゼロテ党の人々は、最後の戦いとなる前夜、ローマに屈服するのを良しとせず、女子供7人残して全員自決してしまいました。そのローマ兵の兵站跡も、マサダ要塞の上から見る事ができました。ほぼ正方形でした。

    マサダを含むユダヤ民族の対ローマ大反乱の歴史、いわゆるユダヤ戦争は、ヨセフス著「ユダヤの古代誌」と「ユダヤ戦記」に残されています。AD70年のエルサレム陥落より、ユダヤ人の2000年にわたる離散の歴史が始まります。フラウィス・ヨセフスは、最後にはローマ軍に投降したユダヤ人軍司令官で、AD37年頃〜100年頃の人です。


  • 死海周辺 写真

    マサダからみたユダヤ沙漠です。左手前には、マサダの岩壁の一部が入っています。ユダヤ沙漠とWadi(枯れ河床)だらけの丘陵に景色には、前日、テルアビブから死海へ移動する車窓から見たときから、すっかり魅せられてしまいました。いつまで見ていても見飽きないくらいです。この沙漠の向こうに、エルサレムがあります。


  • 死海周辺 写真

    これも、マサダからみたユダヤ沙漠です。遺跡案内をしていたルベンさんが、少し疲れたのでひと休み、と言っている間、私は遺跡ではなく、ユダヤ沙漠の方ばかり、夢中になっていました。今回の旅程には含まれていないのですが、世界最古の聖書である死海写本が発見されたクムランの洞窟は、こんな岩山にぽっかり開いたかんじなんだろうなぁ、と想像しながら眺めていました。


  • 死海周辺 写真

    マサダ要塞の西の離宮跡の門です。黒い筋より下がオリジナルの石で、それより上は修復された部分です。遺跡はこのように石だらけですが、離宮は、漆喰や化粧石できれいに仕上がっていました。漆喰や化粧石は、ところどころにほんの少し残っていました。


  • 死海周辺 写真

    マサダ要塞の南の方です。北側は修復が進んでいますが、南側はまだまだで、この日も修復作業中でした。

    その北側の写真は全然撮りませんでしたが、ローマ風のモザイクや壁画、大浴場、食料貯蔵庫跡などがありました。


  • 死海周辺 写真

    マサダ要塞からロープウェイで下りる途中で撮った写真です。ガイドのルベンさんお薦めのアングルです。

    マサダの台地の高さは約400mです。頂上が平らで、平地にニョキッと立っている様子が、カッパドキアの奇岩群を連想させます。「マサダ」とはアラム語で、まさに「要塞」という意味だそうです。


  • 死海周辺 写真

    マサダ要塞を下りるロープウェイから、もう1枚、写真を撮りました。高い山のてっぺんをすっぱりと切り取ったような大地が連なるさまは、まさに自然の造り出した要塞です。

    マサダ要塞へは、通常、ロープウェイで上り下りしますが、毎週土曜日、要塞が使われていた当時の唯一の侵入経路を再現した「蛇の道」(Snake Path。蛇のように曲がりくねっているために、そう命名されたようです)を通って、徒歩でアクセスすることも可能だそうです(1998年当時)。でも……しんどそう。


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10年も前に行かれてたんですね返事を書く

by wakabunさん | 2008年11月14日 16:31

まみさん、

私のイスラエル旅行記をご覧頂ありがとうございました。

もう10年も前にイスラエル渡航済みだったのですね。事前に気づいていれば予習できたのに、残念!今は歩き方も更新されていないので日本語の情報に飢えていたんですよー。ロンプラは写真が少ないからイメージわかなくて。

マサダにいけなかったことが悔やまれます。まみさんの旅行記で疑似体験させていただきました。

死海もヨルダンサイドで行ったからいいやと思っていたのですが、今思うといっておけばよかったなあ。かなり近くまで行ったんですけどね。あれはまさに神秘ですよね。

Wakabun

RE: 10年も前に行かれてたんですね返事を書く
by まみさん | 2008年11月16日 18:21

wakabunさん、こんにちは。イスラエル旅行記を見にきて下さってありがとうございます。
たくさんのコメントうれしいです。

> もう10年も前にイスラエル渡航済みだったのですね。事前に気づいていれば予習できたのに、残念!今は歩き方も更新されていないので日本語の情報に飢えていたんですよー。ロンプラは写真が少ないからイメージわかなくて。

そーいや歩き方は最近イスラエルを見かけなかったよーな。なんて残念!
私が出かけた1997年はクリントン大統領時代で、少なくともアラブやイスラエルをめぐる世界はいまよりキナ臭くなかったきがします。
というか、今から思うに平和の谷間?みたいなかんじで。
でもその後、再び、少なくとも旅行に出かけられるくらいには落ち着いたのでうれしくおもっています。

> マサダにいけなかったことが悔やまれます。まみさんの旅行記で疑似体験させていただきました。

マサダは要塞もさることながら、あの周辺の砂漠の景色がすばらしかったです。
私もきっと反対にwakabunさんの旅行記で疑似体験させてもらうことになるところがきっとあると思います@

> 死海もヨルダンサイドで行ったからいいやと思っていたのですが、今思うといっておけばよかったなあ。かなり近くまで行ったんですけどね。あれはまさに神秘ですよね。

海外旅行先でよっぽどのことがなければ水に入らない私ですが、死海体験はしなくちゃね@
なかなか楽しかったです。
一応泳ぎだけは得意の私でも、たしかにこりゃー体が軽くていいわあと思いました。
私はヨルダンは行ったことないんですよねー。
比べられたら面白かったのに。

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まみさん
  • 誕生日:01月28日
  • 登録:2005年08月11日

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