2009/11/29 - 2009/11/29
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旅人のくまさんさん
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古都・京都の世界文化遺産の一つ、紅葉の天龍寺紹介です。臨済宗天龍寺派の大本山で、名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園なども、かつては天龍寺の境内地でした。
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イチオシ
『大本山・天龍寺』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。その昔、この地は檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后の橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地です。檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇(1220〜1272年)が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇(1249〜1305年)が仮の御所を営んだ場所とされます。
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『臨済宗大本山・天龍寺』のタイトルがあった案内看板の光景です。境内には、国の特別名勝の『曹源池庭園』を有し、境内一帯が『古都京都の文化遺産』として世界文化遺産に登録されています。登録されたのは平成6年(1994年)、17件の内の一つです。
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随分とバランスが悪い造りのように見えた石灯篭です。何らかの理由で下部の半分ほどが失われてしまったように見えました。
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京都名物の豆腐料理、『湯どうふ』の暖簾があったお店の入口光景です。暖簾には、『西山艸堂』の屋号も記されていました。お店案内には、川端康成や司馬遼太郎の作品でも紹介されたお店と宣伝されていました。
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禅問答のような、丸い穴が開いた石碑の光景です。二文字だけのようですが、残念ながら文字が読み取れませんでした。
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手始めに紹介する紅葉光景です。この日の京都訪問は、本当に紅葉の見頃に恵まれました。最初に紹介した第88代の後嵯峨天皇の即位には紆余曲折がありましたが、寛元4年(1246年)に在位4年で皇子の久仁親王(後深草天皇)に譲位し、上皇となり院政を開始しました。後嵯峨上皇の時代は、鎌倉幕府による朝廷掌握が進んだ時期でしたから、後嵯峨上皇による院政は、ほぼ幕府の統制下にあったとされます。
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常緑樹と紅葉の樹が鬩ぎあっていた一角の光景です。最初に紹介した、天龍寺所縁の亀山上皇の話題です。第90代の亀山天皇(1249〜1305年)の即位には、父の後嵯峨上皇や、母后の大宮院の意向があったとされます。院政中には、2回の対日侵攻の元寇が起こりました。
ところで、暦応2年(1339年)に吉野で没した後醍醐天皇(1288〜1339年)の霊を鎮めるため、夢窓国師を開山として、足利尊氏が亀山離宮を禅寺に改めたのが天龍寺の創建とされます。当初は建設のための資金調達に困難があったようです。これを克服したのが、天龍寺船による対明貿易です。この利益により、完工に至ったとされます。亀山上皇が離宮を営んだ際、後醍醐天皇が学問所とした地が、現在の『多宝殿』と伝わります。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われました。 -
勅使門の南東にある塔頭、妙智院境内の小さな社の光景です。扁額の文字は、右が『宝徳大明神』、左が『家光弁財天』でした。
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同じく、天龍寺七福神巡りの一つ、宝徳稲荷を祀る社の光景です。天龍寺塔頭の七福神巡りは、三秀院から始まり、弘源寺、慈済院、松厳寺、永明院、寿寧院と妙智院です。
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天龍寺塔頭の七福神巡りは意識していませんでしたが、たまたま逆コースで最初に訪れた妙智院でした。頭上は黄葉の樹です。
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真っ赤な『サザンカ(山茶花)』の花です。満開の花と蕾の光景でした。
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小さな紅葉の樹に降り注いだ、黄葉の落葉光景です。黄葉の落葉は公孫樹ですが、小さな紅葉の樹は、『ドウダンツツジ(満天星躑躅)』当たりでしょうか。
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分かれ道が交差する広場のような光景です。右手に見える道案内に、天龍寺本堂をはじめ、塔頭への方角が記してありました。塔頭だけで10ケ寺が表示してありました。
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オレンジ色から朱色、赤色と変化に富んだ紅葉の光景です。眺めるときの光線の具合でも変化するようです。因みに、次の呼び名があります。
○初紅葉(染まりはじめた頃)
○薄紅葉(薄く色づいた頃)
○斑紅葉(ムラ紅葉:濃淡斑に染まった状態)
○照紅葉(最高の色付き)
○散り紅葉(照紅葉が過ぎ、散り始め)
○残る紅葉(少し枝に残った紅葉) -
イチオシ
こちらの紅葉は、ほとんど赤一色です。先ほどの呼び名では、『照紅葉』と呼んでいいようです。作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一の『紅葉(もみじ)』の歌い出しに、『秋の夕日に照る山もみじ』の一節がありますが、これは、『照紅葉』とは違っていました。その後の歌詞は、『濃いも薄いも数ある中に 松をいろどる楓や蔦は 山のふもとの裾模樣』と続きます。
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『天龍寺勅使門』の文字が記された、木製の白い標識です。京都府指定文化財の桃山時代の門です。
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天龍寺勅使門の建物光景です。左上は銅葺屋根と鬼瓦、右下は本瓦葺き屋根と鬼瓦の光景です。
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板葺らしい素地の上に銅葺が施されていた勅使門の屋根の光景です。破風には、火除けの木製の『懸魚(けぎょ)』がありました。
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イチオシ
『勅使門』の建物光景です。勅使は、日本の場合、天皇の使者を意味します。平安時代から明治維新までは、上皇の使者は『院使(いんし)』、皇后の使者は『皇后宮使(こうごうぐうし)』、中宮の使者は『中宮使(ちゅうぐうし)』、皇太后の使者は『皇太后宮使(こうたいごうぐうし)』、女院の使者は『女院使(にょいんし)』と呼ばれていました。
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勅使門の軒先光景です。伏見城にあった門が移築されたものと伝わります。天龍寺では、最も古い建造物です。江戸時代、幕府は勅使下向に際し、外様大名のなかから勅使や院使の饗応役を任じてこれを接遇しました。元禄14年(1701年)3月、勅使の接待役の赤穂の藩主の浅野内匠頭長矩が、江戸城松之廊下で吉良上野介義央に斬りつけ傷を負わせた『松之廊下刃傷事件』は、『忠臣蔵』として脚色され、広く人口に膾炙しています。
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同じく、勅使門の軒先光景です。江戸時代に将軍宣下が江戸城内で行われるようになると、勅使は下座に坐し、将軍が上座に坐すという事態が常態化したようです。しかし、幕末になると尊王思想の浸透により、勅使が上座、将軍が下座に戻されたようです。
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天龍寺境内では、最も古い建造物とされる勅使門の紹介が続きます。現憲法のもとでも、勅使は遣わされています。正倉院の『開封の儀』、一般の結納にあたる『納采の儀』や、伊勢神宮と勅祭社の五大祭などです。
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勅使門の周りの『築地塀(ついじべい)』の光景です。瓦が密に使われた造りです。石垣の基礎に柱を立てた骨組みを木枠で挟み、そこに練り土を入れて棒でつき固める、『版築」という方法で造られることが多いようです。
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勅使門の軒瓦の光景です。鬼瓦の部分には菊紋、の三丸瓦には、三つ巴紋がありました。
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勅使門近くの紅葉の『カエデ(楓)』の光景です。その背後に、勅使門の本瓦葺きの屋根が見えていました。
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目の前を通過するような面白い枝と、紅葉の楓の光景です。面白い枝も楓だったようです。
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石垣をバックにした紅葉の光景です。天龍寺は度重なる火災に見舞われました。大きなものだけで延文元年(1356年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安2年(144年5)、応仁2年(1468年)、文化12年(1815年)、と元治元年(1864年)の8回です。
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楓樹の根元に散り敷いた紅葉の落葉の光景です。穏やかな日が続いたのでしょうか、風に吹き寄せられることもなく、まんべんなく降り積もっていました。
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見事に紅葉した『カエデ(楓)』の枝先光景です。カエデ(槭、槭樹、楓)は、ムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属 の木の総称です。
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錦秋に染められた山並みの光景です。天龍寺の庭園からの眺めの借景の山並みのようです。嵐山方面でしょうか。
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