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世界遺産の西本願寺の紹介です。東本願寺を見学の後、歩いて移動しました。西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山の通称であり、正式名称は『本願寺』、山号は『龍谷山』です。『お西さん』の愛称でも呼ばれます。世界遺産に登録されたのは1994年です。<br />国宝の文化財に指定されているものは、次の通りです。その他に多数の重要文化財等を所有しています。<br /><br />☆書院(対面所及び白書院)<br />☆北能舞台<br />☆黒書院及び伝廊 2棟<br />☆飛雲閣<br />☆唐門<br />☆紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影) 附:絹本著色親鸞聖人像(安城御影)・絹本著色親鸞聖人像(安城御影副本)<br />☆『観無量寿経註』 親鸞筆 <br />☆『阿弥陀経註』 親鸞筆 <br />☆熊野懐紙(後鳥羽天皇宸翰以下11通)附:伏見宮貞敦親王御添状1巻、飛鳥井雅章添状1巻<br />☆三十六人家集37帖、附:後奈良天皇宸翰女房奉書1幅<br /><br />この日は特別観覧で、飛雲閣を見学することが出来ました。ただし、撮影は禁止されていました。飛雲閣は、 金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)と並んで『京の三閣』と呼ばれています。

2009秋、西本願寺と菊花展(1/5):御影堂、鐘楼、梵鐘、飛雲閣遠望、大銀杏、懸崖菊

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2009/11/08 - 2009/11/08

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旅行記グループ 2009秋、京都散策(その1)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

世界遺産の西本願寺の紹介です。東本願寺を見学の後、歩いて移動しました。西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山の通称であり、正式名称は『本願寺』、山号は『龍谷山』です。『お西さん』の愛称でも呼ばれます。世界遺産に登録されたのは1994年です。
国宝の文化財に指定されているものは、次の通りです。その他に多数の重要文化財等を所有しています。

☆書院(対面所及び白書院)
☆北能舞台
☆黒書院及び伝廊 2棟
☆飛雲閣
☆唐門
☆紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影) 附:絹本著色親鸞聖人像(安城御影)・絹本著色親鸞聖人像(安城御影副本)
☆『観無量寿経註』 親鸞筆 
☆『阿弥陀経註』 親鸞筆 
☆熊野懐紙(後鳥羽天皇宸翰以下11通)附:伏見宮貞敦親王御添状1巻、飛鳥井雅章添状1巻
☆三十六人家集37帖、附:後奈良天皇宸翰女房奉書1幅

この日は特別観覧で、飛雲閣を見学することが出来ました。ただし、撮影は禁止されていました。飛雲閣は、 金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)と並んで『京の三閣』と呼ばれています。

交通手段
新幹線

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  • 先に隣接する興正寺本山を見学した後、一旦表通りに出てから、西本願寺に向かいました。西本願寺の門近くに到着です。門の横のブロンズ製の灯篭です。

    先に隣接する興正寺本山を見学した後、一旦表通りに出てから、西本願寺に向かいました。西本願寺の門近くに到着です。門の横のブロンズ製の灯篭です。

  • ブロンズ製の灯篭のアップです。日本を代表する宗派の一つですから、全てが豪華です。

    ブロンズ製の灯篭のアップです。日本を代表する宗派の一つですから、全てが豪華です。

  • 本願寺の名前で立てられた高札です。親鸞聖人の750回大遠忌の案内でした。高札には、平成23年4月から修行と記されています。2011年の開始となります。

    本願寺の名前で立てられた高札です。親鸞聖人の750回大遠忌の案内でした。高札には、平成23年4月から修行と記されています。2011年の開始となります。

  • 屋根の破風部分のアップです。まだ西本願寺に入場前です。表通りの歩道からの撮影です。

    屋根の破風部分のアップです。まだ西本願寺に入場前です。表通りの歩道からの撮影です。

  • 先に隣接する興正寺本山を見学した後、一旦表通りに出てから、西本願寺に向かいました。その途中での撮影です。西本願寺の門のようです。

    先に隣接する興正寺本山を見学した後、一旦表通りに出てから、西本願寺に向かいました。その途中での撮影です。西本願寺の門のようです。

  • 御影堂門の下から眺めた御影堂の大屋根です。親鸞聖人の没後、娘の覚信尼が現在の知恩院付近に廟を建てて御影堂としたのが起源とされます。現在の場所に移ったのは、天正19年(1591年)です。

    御影堂門の下から眺めた御影堂の大屋根です。親鸞聖人の没後、娘の覚信尼が現在の知恩院付近に廟を建てて御影堂としたのが起源とされます。現在の場所に移ったのは、天正19年(1591年)です。

  • 御影堂門の下から眺めた御影堂の大屋根と、その手前にあった衝立のような塀のある光景です。吊下がった灯具は、御影堂門のものです。

    御影堂門の下から眺めた御影堂の大屋根と、その手前にあった衝立のような塀のある光景です。吊下がった灯具は、御影堂門のものです。

  • 飾り金具のアップです。御影堂門の扉だったようです。躍動的な唐獅子の図がありました。

    飾り金具のアップです。御影堂門の扉だったようです。躍動的な唐獅子の図がありました。

  • 手前の低い塀のような建造物のアップです。境内の中にあって、御影堂の衝立ての役割を果たしているように見えました。

    手前の低い塀のような建造物のアップです。境内の中にあって、御影堂の衝立ての役割を果たしているように見えました。

  • 大銀杏の幹と塀がある境内の光景です。大銀杏の樹は、塀に沿って何本か並んでいました。

    大銀杏の幹と塀がある境内の光景です。大銀杏の樹は、塀に沿って何本か並んでいました。

  • 重要文化財に指定されている『御影堂』の大屋根です。1876年、親鸞が明治天皇から見真大師の大師諡号をに追贈されたため、『大師堂』とも呼ばれます。

    イチオシ

    重要文化財に指定されている『御影堂』の大屋根です。1876年、親鸞が明治天皇から見真大師の大師諡号をに追贈されたため、『大師堂』とも呼ばれます。

  • 『御影堂』の大屋根の中央部分のアップです。浄土真宗では、浄土真宗開祖の親鸞(1173-1262)が、見真大師)を明治9年(1876年)に明治天皇より諡号を追贈され、本願寺の中興の祖とされる蓮如(1415-1499)が、慧燈大師を贈られています。

    『御影堂』の大屋根の中央部分のアップです。浄土真宗では、浄土真宗開祖の親鸞(1173-1262)が、見真大師)を明治9年(1876年)に明治天皇より諡号を追贈され、本願寺の中興の祖とされる蓮如(1415-1499)が、慧燈大師を贈られています。

  • 『御影堂』の大屋根の右端部分のアップです。御影堂(ごえいどう)には、親鸞聖人像が安置されています。本堂よりも大きな建物です。

    『御影堂』の大屋根の右端部分のアップです。御影堂(ごえいどう)には、親鸞聖人像が安置されています。本堂よりも大きな建物です。

  • 立派な石造りの囲いの中にあったブロンズ製の容器です。宗教儀礼に使われるものでしょうか、それとも防火用水目的でしょうか。

    イチオシ

    立派な石造りの囲いの中にあったブロンズ製の容器です。宗教儀礼に使われるものでしょうか、それとも防火用水目的でしょうか。

  • 境内の大銀杏の木のアップです。この樹はまだ黄葉が進んでいませんでした。

    境内の大銀杏の木のアップです。この樹はまだ黄葉が進んでいませんでした。

  • 境内を取り囲む白塀の光景です。垣根越しに銀杏の黄葉が見えました。西本願寺の南側には、明治時代に独立した本山興正寺が隣接しています。

    境内を取り囲む白塀の光景です。垣根越しに銀杏の黄葉が見えました。西本願寺の南側には、明治時代に独立した本山興正寺が隣接しています。

  • 鐘楼の光景です。重要文化財等には指定されている建物ですが、銀杏の樹に隠れるような、ひっそりとした場所にありました。

    鐘楼の光景です。重要文化財等には指定されている建物ですが、銀杏の樹に隠れるような、ひっそりとした場所にありました。

  • 鐘楼は建築物として文化財には指定、梵鐘(銅鐘)は、美術工芸品として重要文化財にリストアップされています。ただし、この梵鐘は二代目のようです。

    鐘楼は建築物として文化財には指定、梵鐘(銅鐘)は、美術工芸品として重要文化財にリストアップされています。ただし、この梵鐘は二代目のようです。

  • 更にアップした梵鐘です。重要文化財の梵鐘と取り替えられ、重要文化財の梵鐘は、参拝会館の玄関に展示されているようです。

    更にアップした梵鐘です。重要文化財の梵鐘と取り替えられ、重要文化財の梵鐘は、参拝会館の玄関に展示されているようです。

  • 黄葉が始まっていた、境内の大銀杏です。上の方の色付きが早く、下の方にはまだ緑が残っていました。

    イチオシ

    黄葉が始まっていた、境内の大銀杏です。上の方の色付きが早く、下の方にはまだ緑が残っていました。

  • 玄関先に飾られた黄色の懸崖菊です。ピンクの小さな懸崖菊も一緒に飾られていました。

    玄関先に飾られた黄色の懸崖菊です。ピンクの小さな懸崖菊も一緒に飾られていました。

  • 一対になって飾られていた白い懸崖菊です。こちらは小さな黄色の菊が一緒に飾られていました。

    一対になって飾られていた白い懸崖菊です。こちらは小さな黄色の菊が一緒に飾られていました。

  • この日は境内で菊花展が行われていました。菊花展の方は、纏めて別にそゆ回してあります。採点中の係りの人達です。

    この日は境内で菊花展が行われていました。菊花展の方は、纏めて別にそゆ回してあります。採点中の係りの人達です。

  • 境内に並べられた、菊花展の展示小屋の数々です。こちらも一通り見学しました。

    境内に並べられた、菊花展の展示小屋の数々です。こちらも一通り見学しました。

  • 大銀杏と石灯篭がある境内の光景です。西本願寺の境内は、国指定の『史跡』であり、『古都京都の文化財』として、世界遺産に登録されました。

    大銀杏と石灯篭がある境内の光景です。西本願寺の境内は、国指定の『史跡』であり、『古都京都の文化財』として、世界遺産に登録されました。

  • 御影堂に正対する門ですから、御影堂門の建物でしょうか。文化財等には指定されていない建物ですから、近年に再建されたものでしょうか。

    御影堂に正対する門ですから、御影堂門の建物でしょうか。文化財等には指定されていない建物ですから、近年に再建されたものでしょうか。

  • 飛雲閣の見学の出口です。写真撮影が出来なかったのは残念でした。

    飛雲閣の見学の出口です。写真撮影が出来なかったのは残念でした。

  • 近くからの飛雲閣の撮影は出来ませんでしたから、せめて離れた場所からの飛雲閣の外観の紹介です。隣の興正寺からは、建物の裏側が遠望できました。

    近くからの飛雲閣の撮影は出来ませんでしたから、せめて離れた場所からの飛雲閣の外観の紹介です。隣の興正寺からは、建物の裏側が遠望できました。

  • 同じく飛雲閣の建物の遠望です。滄浪池と名付けられた池に面して建つ、3階建の楼閣です。2階は周囲の板戸に三十六歌仙の像が描かれています。古来、豊臣秀吉の聚楽第の遺構と伝えられますが、検証されたことではないようです。

    同じく飛雲閣の建物の遠望です。滄浪池と名付けられた池に面して建つ、3階建の楼閣です。2階は周囲の板戸に三十六歌仙の像が描かれています。古来、豊臣秀吉の聚楽第の遺構と伝えられますが、検証されたことではないようです。

  • 微かに見える、2階周囲の板戸に描かれた三十六歌仙の像です。各階は平面の大きさを変え、屋根などの意匠も左右相称を避け、変化に富んだ外観を持ちます。池を配した庭園も見応えがありました。

    微かに見える、2階周囲の板戸に描かれた三十六歌仙の像です。各階は平面の大きさを変え、屋根などの意匠も左右相称を避け、変化に富んだ外観を持ちます。池を配した庭園も見応えがありました。

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2009秋、京都散策(その1)

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