2006秋、中国旅行記10(15):9月26日平遥・平遥古城近郊、黒酢工場:旅人のくまさんさんの旅行ブログ
<2006年9月26日(火)>
今回の旅行も、今日と明日の2日を残すだけとなりました。明日は上海を経由して、日本へ戻るだけですから、実質、今日が最後の日です。しかし、今日は大きなイベントが控えていました。S.P.先生のご生家訪問です。太原の晩餐会でご一緒した、ご親戚の80歳になられる女性のご長老が、自ら水先案内を買って出られていました。
この日のメモです。5時30分目覚し、8時30分、平遥のホテル出発でした。黄河壷口瀑布の見学を交通事情で諦めた関係で、ゆっくりとしたスケジュールとなりました。
<S.P.先生のご生家訪問>
水先案内のご長老とは、泊まった平遥のホテルでの待ち合わせとなりました。合流したところで、平遥古城郊外のご生家へ揃って出かける手筈です。郊外といっても、ほんの僅かな距離でした。近郊と言った方が当たっているようです。城壁から2キロ程の位置だったようです。
大原を出発された黒のベンツが先導車でした。当然ながら、ご長老の娘さんか、お嫁さんも同行されました。そのご生家近くになった時、S.P.先生も場所を思い出されたようでした。確か、1989年頃に一度訪問されたことがあったとも、お聞きしていました。しかし、その時から17、8年の年月が経っていました。
車が石塀に囲まれた一角へ入ると、スピードを落とし、慎重な運転となりました。路地で車が立ち往生しないように、道幅や、轍あとを確認しながらの運転でした。
車が止まった場所が、ご生家の入口の前でした。最初に出迎えられたのが、その昔、S.P.先生の家で執事を勤められていた方の身内と言われる女性の方でした。太原から水先案内をされたご長老とは、顔見知りのように見受けました。
事前に電話連絡が取ってあったらしく、現在の居住者の方も顔を出されました。それで、住居の中まで見学させて頂きました。当時の頃と、変わっていないとの、S.P.先生のお話でした。
先生は70年前のセピアの写真を手にしながら、その写真が撮影された母屋の前を指し示されていました。その時、母屋の左手からご長老が1人で顔を出されました。お聞きしたところでは、唯一、S.P.先生のご親戚の方でした。
そのご長老は、86歳になられていました。S.P.先生のお名前も覚えていられて、先生が小さい頃のお話もされたようです。おそらく、長い間、ご親戚の方との連絡も無かったのでしょう。遠来の訪問に涙を拭きながらのご対面でした。周りの方も、思わず貰い泣きされていました。
先生が小さい頃に遊ばれていたと言う、母屋の屋上テラスから付近の景色を眺めたり、セピア色の写真が撮られた場所での記念撮影等をしていましたら、あっという間に訪問の時間が過ぎていきました。
訪問を終えて、86歳のご長老とお別れする時、何時までも見送られていたお姿が1人寂しそうで、たまらない気持ちにさせられました。日中戦争、文化大革命など、幾多の困難な歴史を、その丸まった背中に背負われているように思われました。
今回の旅行で、S.P.先生方は、第二次大戦前から続いた旧日本軍がもたらした多くの災難に対し、一言も語られませんでした。しかし、1937年に始まり、長く続いた日中戦争、日本の関東軍による満州への侵略による傀儡政府の樹立など、多くの困難をもたらした事実は、歴史上消え去ることはありません。
中国と日本とでは、現在の政治体制は異なりますが、同じ漢字圏として、多くの文化を共有しています。今後、友好関係を修復し、更に深め、アジアの安定、世界の平和に貢献できる協力関係が構築されればと願っています。その前提として、日本は過去に犯した過ちを苦い薬として、再認識する必要があるでしょう。非核三原則の堅持、平和憲法の維持が、その何よりの証であると考えます。
<黒酢工場見学>
平遥のお土産は、黒酢と決めていました。ところが、そのお土産を買うまでも無く、手土産に頂いてしまいました。その黒酢工場見学の紹介です。黒酢の材料は、高粱です。
日本へ輸入されている中国の黒酢は、もち米などの米を原材料にしているものが多いようですが、この工場で見学したのは、高粱から作られる黒酢でした。高粱は、中国で一番生産されている白酒(パイチュウ)の原料にもなります。日中国交回復のセレモニーで、田中角栄首相が周恩来首相と酌み交わした茅台酒も、白酒の1種です。
つい、お酒の話になりましたが、黒酢の工程も、お酒の醸造と良く似ていました。部屋の中に居るだけで酔ってしまいそうでした。
<山西省の古刹、晋祠見学>
いくつかのインターネット情報を参照しながら、山西省の古刹、晋祠について説明します。
晋祠が建造された時期は、いまだに確定されていないようです。一説には、祠堂は春秋時代の晋の始祖、周の武王の次子叔虞を記念して北魏代に創建されたものとされます。叔虞は唐に封ぜられましたが、領内を流れる「晋水」と呼ばれる川の名に因んで、国名を唐から晋に代えました。それが祠の名称の起源ともなっています。
晋祠に関する最初の記録は、西暦466年から572年の北魏の時代の「水経注」にあるとされます。北魏の時代から計算しても、少なくとも千年以上の歴史をもつことになります。長い歳月の間に、晋祠は数回にわたって修復、拡大され、その面貌を変えてきました。
西暦646年、唐の二代目の皇帝である李世民は晋祠に来て、著名な碑文である「晋祠之銘并序」を残しました。更に、晋祠の大規模な拡大工事を命じました。
その後11世紀には、宋の皇帝が叔虞の母親である邑姜のために聖母殿を建てました。のち、この聖母殿を中心として建築物が次々と完成されて行き、水鏡台、会仙橋、金人台、難老泉などが異なる時代に建造され、これら建築物が巧みに融和しています。
ここは寺院のようでもあるし、皇室の庭園でもあるような総合的建築群となっています。晋祠には異なる時代の美しい建築だけでなく、有名な「周柏隋槐」もあります。柏(かしわ)と槐(エンジュ)の古木です。
言い伝えによりますと、「周柏」は西周(紀元前11世紀から8世紀)時代に植えられとされます。聖母殿の左側にあり、全体は南に傾いて地面との角度は約40度です。木の葉は上から殿堂を覆っています。周柏は2000年近くの歴史を持ちます。
「隋槐」も千年以上の歴史があり、この古木たちは豊かな伏流水の恵みを受けて、生気に溢れています。晋祠内の泉と、静かに流れる清水と濃い木影が悠久の時を刻んでいました。
歴代に亘り改築、拡張が行われた中で、最古ものが聖母殿です。内部には表情豊かな北宋時代の彩色塑像43体が現存します。現地ガイドさんの説明に従って、その塑像の1つの表情を凝視しました。見る角度によって微笑みと、憂いに替わって見えるようです。正面からは、その一つの表情か見ることが出来ませんでした。
「水母楼」には、伝説に登場する「水母娘娘」が祀られ、「難老亭」は、北斉の天保年間(550年〜559年)の創建とされます。明代に改修され八角宝形造りの造型美を誇ります。ここで、「水母娘娘」の物語のあらすじを紹介しておきます。現地ガイドの王さんからもお聞きしました。
「その昔、晋祠村に春英という娘が住んでいました。彼女は童養『女息』(息子の嫁にするために、小さい時から貰って育てる女の子)彼女は朝早くから夜おそくまで、一時も休まず働き続けました。それでも姑は気に入りません。手をあげる、殴る、罵りました。春英にとって一番辛いのが水運びでした。この村には水が少なく、飲み水は何里も離れたところから運ばなければなりません。ある日、まだ暗い時、村の入り口で一休みしようとした時、一人の老人が一匹の馬を引いて近づいてきました。老人は水を所望し、馬にも水を飲ませました」
ここから物語はハッピーエンドへ向かいますが、紹介は、ここまでとします。廟内に神仏が祭られている中に、若いお嫁さんがゴザの座布団に座して櫛で髪をといている像があります。それが春英です。
晋祠で伏流水から湧き水となって流れる清水は、年間を通じて17℃の水温を保っているようです。これもガイドの王さんの説明にありました。そのまま飲めるともお聞きしました。
ところで、2002年5月付の「人民網(ネットワーク)」では、「国家文物局、建設部、中国工程院、清華大学、北京林業大学、山西省文物局の専門家らは、晋祠の建造物、彫塑、園林、石碑などは、歴史、科学、芸術の観点で、世界文化遺産の基準に相当し、世界文化遺産を申請する資格があると判断した」事を伝えていました。
周樹と隋槐は、難老泉、宋代の侍女塑像と共に「晋祠三絶」と称されています。世界文化遺産に登録される日が一日も早い事を願って、この節の説明を締めくくります。
<平遥市街の散策>
昼食の場所は、昨日の晩餐会が開かれたレストランの2階でした。その内庭に車を停めて、1時間程の自由時間となりました。昼食の時間には、早過ぎたためです。
早速、カメラを手に平遥の町に向かいました。レストランが市街の中心地にありますから、回りは商店街が並んでいました。片道20分以内と見当を付けて、平遥古城の城壁が見える場所や、露天が並ぶ場所、デパートの中も覗いてみました。買い物ではなく、写真撮影のためです。
買い物は、レストランの入口のスーパーで済ませました。平遥の香肉等です。そのお店の前に居たEnちゃんの値段交渉で、切り身の肉も真空パックして貰いました。
<平遥での昼食>
昼食は、昨日の晩餐会と同じレストランでした。理由は簡単です。他に相応しいレストランが存在しないためです。Enちゃんもお二人の伯母さんも、少し食事に飽きた顔をされています。実は、昨日のメニューと殆んど一緒だったからです。
料理は皿を重ねて、どっさりと出されましたが、その品々は、どこか見覚えがありました。まだ昨日のことですから、当然のことでした。私も沢山ではありませんが、麺類は美味しいので、黒酢をたっぷり使って頂きました。平遥の黒酢は熟成されて、香り十分、味も最高です。
今改めて写真でその料理の数々を見ますと、残してしまったのがもったいない思いがします。お店としては、一番の料理を全て1回で出してくれたのでしょうが、2回に分けて出すとか、工夫をすればよかったことでした。
平遥のS.P.先生のご生家で
一叢の秋桜咲きしその奥の母屋は在りしセピアの写真
長老は涙拭つつ遠来の身内に語る背は曲りおり
晋祠で
千年を超ゆる鎮守の杜在て古き社は此処に鎮まる
罅割れて鉄の帯締め支木に凭れて猶も力士像立つ
伏流は社の杜に現れて村を潤す旅は始まる
仄暗き社殿に立ちて泣く如く微笑む如く侍女の像在り
黒酢工場で
咽返る香は部屋に満ち満ちて出荷の時待つ甕並びおり
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